第87話 廻る廻るよ、因果は廻る その1(因縁という呪い)
「こんにちわ、あの村長は?」
ピジョンは首に巻いたワイン色のスカーフの結び目を、少し落ち着かない様子でいじりながら訊いてきた。
「アマムの森に調査に行ってます」とポルクルが返事する。
「ああ、そうですか……」
視線をおどつかせながら、テーブルの近くまで来ると
「……さっきスー・ディ・ジーの3夫人が、アタシのとこに来ましてね。しばらく家に籠るからと、持病の腰痛湿布と、買い置きの傷薬を多めに買いに来ましてね」
スー・ディ・ジーというのは、『スージー』『ディジー』の双子と末っ子の『ジニー』の三姉妹のこと。
3人はそれぞれの伴侶が亡くなったあと、また実家に戻って、一緒に暮らしている『かしまし姉妹』で有名らしい。
「どうしたのか訊いたら、オークが出るかもしれないからって、聞きまして。
それでここに来たわけなんですけど……」
もう近くで喋ったのか。
もうペラ子というか、とんだお喋りオバさん達だな。変に曲解して広めなきゃいいけど。
「お喋りババアは、どこの国でも困ったもんだよなぁ、蒼也」
奴が飲み干した缶を片手で潰しながら、俺に言った。
こいつ俺の頭の中を読んだな。
「俺はお喋りババアとまで言ってない、いや、思ってないぞ」
『ババア』って勝手に変換するなよな。
「ふぅ、……困る事もありますけど、あの人達も普段は、村の樹や草花を見回ったり、手入れしたり、畑で出来た作物をおすそ分けに来てくれるんですよ。
その日課が終わると、ここにお茶しに来るんです」
ポルクルが弁護するように言いながら、ピジョンに向き直って
「まだハッキリした訳じゃないんですよ。アマムで地豚が2匹、見つかったという事しか、今の時点ではわかってないんです」
「……地豚が……」
スカーフから手を外して、ちょっと呆然とするピジョン。
「さっきも言ったように、マスター達が調べに行ってますので、その結果を待ちましょう。
むやみに騒いでもいい事ありませんし」
ポルクルが静かに言う。
それにハッと顔を上げたピジョンは
「わかりました。アタシはとりあえず出来ることをしますね」
と、またドアのほうに引き返していく。
「ピジョンさん?」とポルクル。
ピジョンはクルッと振り返ると
「アタシは薬師です。念のために傷薬や、その他のポーションや包帯を、ギトニャに仕入れに行ってきます。
これからもし怪我人が増えたら必要ですからね」
そう言うと役場を出て行った。
さすが自分の出来る事、やるべき事がわかっているな。
俺は自分の身の振り方さえ、まだ決まらないのに。
などと、場違いな思いをしていると、今度は勢いよくドアが開いて、7,8人の村人が入ってきた。
「オークが出たんだって?!」
オーバーオールのような作業ズボンをはいた、スキンヘッドのヒュームの親父が開口一番言った。
「いえ、まだ地豚が……」
ポルクルが説明しようとしたが、他の村人の声が遮った。
「村の近くで見つかったって?」
「群れができてるって?」
こんな短時間でもう噂に尾ひれがついる!
どこからすっ飛んできたのか、ジョッキを持って来たままのウィッキーが叫ぶ。
「も、もうこの村は終わりだぁ~っ」
「 ウルセェッ !! 」
一瞬で場がシンとした。
「テメエらっ、ここに何しに来やがったっ! 騒ぎに来たのかっ !?
ヴァリアスの重低音の声がまた響き渡る。
側でターヴィが耳を両手で覆う。
他の獣人も耳を後ろに倒した。
「大体、自分の目で見たヤツいるのか? ―― 噂に踊らされやがってっ。
今、ジジイが調べに行ってるんだ。
何も出来ないヤツは、家で震えながら大人しくしてろ」
そう言って、また缶ビールのプルタブを開けた。
「ア、アクール人? 本物の?」
「そういや、村長はどっか行くって、人集めてたな」
「そうか、村長がもう動いてくれてるんだ」
「誰だよ、オークがいっぱい出たって、言ったのは?」
カンッと高い音を立てて、テーブルにビールを置くと奴が呟いた。
「ジジイ、おせぇんだよ」
村人が気がついて左右に分かれると、真ん中からアイザック村長と、3mくらいの巨人が入ってきた。
「なんでぇ、皆、なに集まってるんだ?」
村長が村人たちを見回す。
「ジジイが遅いから、パニックが起き始めてるぞ。さっさと説明してやれよ」
「おう、もう伝わってるのか。じゃあ、しょうがねぇなぁ」
村長が目配せすると、巨人族の男が持っていた麻袋をドンと、テーブルの上に置いた。
袋をひっくり返すと、中からごろっと1m弱くらいの豚が出てきた。
牙は無かった。
「確かに地豚がアマムの森で見つかった。2匹いたんだが、1匹は取り逃がしちまった。今、ザック達が追っかけてる。儂らは先に取り急ぎ帰ってきたってわけだ」
「あの、こいつの牙は……?」
俺は気になって聞いてみた。
「そんな危ないものは、その場で粉々にして、焼いちまったよ」
そうか、そういう処理しないといけないのか。
時間の止まる空間収納とはいえ、そのまま1匹持ってるんだけど、今出したらマズいかな。
「ザック達が戻って来たら、あらためて集合をかけるから、みんな悪いが一旦帰っちゃくれんか。情報をあらためて整理してから、ちゃんと伝えるから。なに、すぐに何かが起こるわけじゃねぇ。
だから今んとこはちょっと大人しく戻っててくれ」
村長の言葉に、顔を見合わせた村人たちは、またぞろぞろと戻っていった。
そうして「ご苦労さん」と巨人族の男の腰を軽く叩く。
のそりと頭を下げると大男もドアを屈んで出て行った。
「やれやれ、また肩こっちまった」
右腕をグルグル回しながら、椅子に座った。
ポルクルがささっとお茶を差し出す。
★★★★★★★
「それでその始めの地豚は、そのまま逃げちまったってわけか」
俺の話を聞いて、喉が渇いていたらしい村長は、一気に茶を飲み干した。
「……すいません。そんな大変な動物とは知らなくて……」
知らなかったとはいえ、本当に申し訳ない。
「気にしなさんな。
国が違うとそういう事もあるもんさ。とにかく、そうなると少なくとも昨日から、すでに森に入っていた事になるな」
テーブルの上の赤毛の豚は、もちろん俺が昨日見た豚とは別ものだ。
つまり3匹はいたって事だ。
「あの、これからどうするんですか?」
余所者の俺がこんな事聞いていいのかわからないが、関わっているには違いない。
「まあ、明日あらためて森中を捜索する。男衆を集めてな。もちろん来てくれるんだろ?」
村長は俺ではなく、向かいに座ってビールをあおっているヴァリアスに顔を向けた。
「あ゛?」
「せっかく傭兵の旦那がいるんだから、手を貸してもらわない訳はないだろ?
万一、オークが出た時の切り札にもならあな」
「やらねぇぞ、オレは」
「何言ってんだよ。俺達にだって見過ごした責任があるんだぞ。俺、いや私は手伝いますよ。
もちろん無償でやらせてもらいます」
「ありがてぇ。恩に着るぞ」
そう言ってテーブルに出していた俺の手を、力強く握った。
そしてヴァリアスの方に向き直ると
「しかし旦那の方はさすがに、タダって訳にはいかんしなぁ」
と、首をさすりながら
「酒屋のヒッコリーの奴が、この間よそで、27年物の
「勿体ないことするなっ!」
そっぽを向いていた奴が、急に向き直った。
「だけどのお、美味い酒ほどおびき寄せやすいじゃろう? そういう性質もオークの素になってるのだろうがの」
「クソジジイッ、オレは手は貸さんぞ。蒼也の手助けをするだけだからな」
忌々しそうに言ってるが、絶対引っかかってるだろ。
「おお、そうかい。分かったよ。助かるぜ、旦那」
さすがは年の功なのか、村長は奴の操作法を見抜いているようだ。
オークより先に、サメがおびき出されてしまった。
それから30分程して、4人の獣人とドワーフ達が役場にやって来た。
村長と一緒に森に調査に行った、ザック達だった。
「面目ねぇ、駄目だった……」
黒と黄色の斑の毛並みの獣人の男が、耳ごと項垂れた。
「ザックとディンが、あともうちいとまで追い詰めたんだが、
ドワーフのビンデルがそう言って、ドアの外に置いた、足を縛って転がしてある黒い猪を顎でしゃくった。
「わかった。よく無事に戻ってきてくれたな。ご苦労さん」
村長は4人の肩を叩きながらねぎらった。
「ちなみに逃げられちまったのは、何色だった?」
「黒地に茶色のブチ模様だったな。大きさはそこのボアーより二回りほど小さかったが」
「……そうなると、少なくともあと2匹はいるって事か」
村長が呟く。
「これからどうするんで?」
ザックと言われた斑模様の獣人の男が聞く。
瞳も黄色くて虎模様に似ているが、耳はドーベルマンのように尖っていた。
「閉門を早める。それから集会を開く」
村長は4人を見回した後、俺たちを見た。
いつもよりずい分早く鳴った閉門前の2の鐘に、慌てて畑や近隣から帰ってくる人達がいたようだ。
そうしてあらかた村人が戻った頃を見計らって、村の門を閉じると、今度は修道院の鐘が『ガンカン、ガンカン……』と聞いたことのないリズムで鳴り出した。
その音に村中からワラワラと村人が、役場前広場に集まってきた。
「みんな、もう噂で聞いているとは思うが、アマムの森で地豚が見つかった」
役場の前に立って村長が、集まった村人を見回しながら言った。
少し騒めきが起きるが、村長が手でまあまあと制するとやんだ。
「おそらく黒い森の魔素が引っ込んでいるために、森の裾を通って渡ってきたんだと思う」
アマムの森は両側を、切り立った高い崖で覆われていて、前方に川が流れ、その川向うがあの黒い森だ。
だから両側からは、翼でもなければ入って来ることは出来ず、川か森から来るしかなかったのだ。
地豚は長距離を泳ぐことはできないので、長年、黒い森によって地豚はこちらに入ってこれなかった。
だが、それが今、何匹か分からないが確実に侵入してきていた。
「数はわからねぇ。だが、儂はオークになる確率は少ないと思う。
知っての通り、地豚にオークが憑依する発生条件は ‟
ここは大都市でもねぇ、ましてや無法者が集う村でもないじゃろが。
無駄に怖がらずに、素早く出来る限りの対策をとれば、まだ十分間に合うんじゃ。
だから皆の衆、この村を守るために力を貸してくれっ」
「「「「「「「「「おおっ!!」」」」」」」」」
あちこちで声が上がるのを、俺は役場の3階の窓から見ていた。
明日は早いので、今日はここに泊まってくれと言われたのだ。
「‟因果繋がり”って何だい?」
俺は振り返ると、ソファに退屈そうに、組んだ足をブラブラさせて座っている奴に訊いた。
「
「そんな説明はいいから、ストレートに話してくれよ」
俺は奴の前に座った。
「これは運命のヤツらの采配だが、オークはほぼ、生前関わりを持った人間の前に姿を現す。
一番わかりやすい例では、自分を殺したヤツとかが、住んでいる町の近くとかで発生するんだ」
「え……じゃあ、俺が以前、殺したオークとかもか?」
急に誰かに恨まれてるかもしれない感じがして怖くなる。
「まあそうだが、あれはどうだろうなぁ。
基本的に一番恨んでいるヤツのとこに引き寄せられやすいんだよ。
生きるサイクルが短いから、前世より前々世の時の恨みを引きずるヤツもいるし。
ゴブリンの場合はそこまで執着するヤツはいないから、かなり強い思いがなければ、基本ランダムなんだよな」
こんな話があると、ヴァリアスは昔あった、ある町の話をした。
ある地方に村や小さな町を襲っては、強盗や女を攫う盗賊団がいた。
そいつらは襲った家々のドアに、ナイフで『Ψ』のような3本フォークみたいな傷を刻んでいった。
それが奴らの紋章だったからだ。
だが、度重なる被害に、業を煮やした村人や町の住人が、金を出し合い、傭兵部隊に
捕まえるより、殺す方が簡単だからだ。
かくして盗賊のアジトを急襲した傭兵たちによって、盗賊たちは全滅した。
死体は20日間、代表者の1人が住む町外れに、
それから約5年後、オークの群れが町を襲った。ギルドからの応援もあり、なんとか切り抜けた町民達だったが、市壁に爪で付けられた跡に震え上がった。
そこにはあの『Ψ』のマークが刻まれていたからだ。
「逆恨みじゃないか。関わった者はたまったもんじゃないな」
「そういうヤツらだから、オークになるんだよ。例え関わったヤツが善人で、自分が悪くても、罪人側の
だから運命の糸に繋がれてしまうんだ」
やだなあ、殺しても殺しても、蘇って戻って来るんじゃどうしたらいいんだか。
ノイローゼになっちまうよ。
「だからそういう因縁を断ち切るために、祓い清める行為があるんだ。
悪い縁を浄化するためにな。
そうするとオークのヤツが覚えていても、運命の糸を織り込まれなくなるから、そばに引き寄せられてくる事が無くなる。
祓いは、教会や僧侶どもの大事な収入源だしな」
と、やや下卑た笑いを浮かべた。
「もちろん、オレも出来るぞ」
胸張って立ち上がると、俺の頭に手を置いて口笛のような高音を出した。
俺の手足など体中を、何か透明なキラキラしたものが包んで消えていった。
「よし、いっちょ上がり!」
まったく有難みが感じられない。
外ではまだ村長が、男共に向かって明日の山狩りの話をしていた。
明日、日の出と共に、森をローラー作戦で調査する。他の動物や魔物もいるので、2人以上で必ず組むこと。
もちろん俺はこいつと2人1組だ。
ギトニャや近隣の町や村のギルドに、ポルクルが連絡済で、明日応援で人が集まるようだ。
朝が早いので、落ち着かないが夕食をとった後は、さっさと寝る事にしよう。
村長のハッキリした物言いは、頼もしいし、なんとかなるだろう。
しかし俺は因縁というモノのしつこさを、甘く見ていたのだった。
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