第85話 字(あざな)と渾名(あだな)

 村に戻ってきたのは、閉門前の5時頃だった。またもやマラソンで帰ってきた。


 パルクールのような木登りと枝渡りを、小休止を入れながらひたすらやった。

 時々、ターヴィに手本を見せてもらったりした。


 枝の間を連続してすり抜けたり、段違い平行棒の車輪の要領で、掴んだ枝の上に素早く立ち、別の枝に飛び移ったりと、猿飛さるとびサスケを彷彿させる技の連続だ。

 樹を真っ直ぐではなく、らせん状に素早く登るのは、敵からの攻撃を避けたり、目くらましの意味もあるらしい。

 まさしく猿飛さるとびの術である。考えることは基本同じなのかもしれない。

 見た目が少年なので、着物を着せれば、白土三平『サスケ』の主人公、少年忍者みたいだ。


「そのまま索敵も続けろよ」

 ドSな悪魔が下でほざいている。

 出来るかーっ! 動くので精一杯だよ。


 時々、遠くの方に動物の気配がしたが、近くには寄って来なかった。ヴァリアスの奴がはらってるのかもしれない。


 太陽が青い山に差し掛かった頃、ヘトヘトになった俺は、さすがに疲れたターヴィと一緒に座り込んだ。


「今日はこのくらいにしとくか」

 やっと悪魔のお許しが出た。

「じゃあこれ飲め。体力が回復する」

 2本の小瓶を出してきた。


 飲む前に解析すると、ただのミント水なのだが

「わあ、疲れが吹っ飛びました。こんな高価なポーションをおいらなんかにも使って頂いて、有難うございます」

 ターヴィが頭を下げる。

「別にそんな高価なもんじゃないぞ。なあ蒼也」

「そうだな、自前だし」

 もちろんミント水はダミーで、奴が直接体力を回復させているのだ。

 ターヴィは救出された時、治療したのもポーションを使ったと思っているからだ。


「鳥はリトゥが預かれるか?」

「あっ、はいっ。以前似たような鳥をテイムしていたので、大丈夫です」

「よし、じゃあ走るぞ」

 奴が来た時と同じく、鳥を持ったターヴィを抱えた。

 悪魔はあくまで悪魔だった。


 ★★★★★★★★★


「おうっ、例の鱗な、112万エルで落札されたぞ」


 ターヴィと別れて役場に戻ると、開口一番、アイザック村長が言ってきた。

「はいっ ?! 112万? ギーレンの時より高いんですけど」

 確かヴァリアスの奴が出した、新鮮な鱗でさえ1枚90エルだったよな。


「他所での値段はわからんが、競りで値がどんどん吊り上がっちまったからな。

 本当はもっと上がりそうな勢いだったんだが、途中で争ってたギルド本部のお偉方が興奮し過ぎたのか、急に具合が悪くなっちまってな。

 それで棄権せざる得なくなっちまって、それで男爵が見事、競り落としたって訳さ」


 村長は相変わらず、首に手を当ててゴキゴキ左右に動かしながら

「医者を呼ぼうとしてたら、競売が終わった途端に具合が良くなってな。

 やっこさん、凄く悔しがってたもんさ。もう宥めるのが大変だったぞ」


 ――怪しいなあ、それ。

 そんな都合よく具合が悪くなって、また治るなんて、何かの力が作用したとか思えない。

 ギルドのお偉方なら、かなり強力な護符で守りを固めていただろうけど、それでも打ち破れるんじゃないのか? 

 使徒の力なら。

 とんだサポートだな。


「あと、レッドアイマンティスの方だが、これは部位バラバラに落札されてな。

 ええと、こっちの書類に明細が書いてある」

 ポルクルが差し出してきた紙を、そのまま俺のほうに渡してきた。


 この時間になると、もうオバチャン達はいなかったが、なんとなくいつものテーブルに座る。


「そういえば男爵達は?」

「ああ、鱗を競り落とした途端に、急いで帰っていったよ。なんでも今、黒い森の魔素が奥に引っ込んでるらしいんだ。

 荒れた後の揺り返しかもしれんが、今のうちなら、森の側を通っても魔物が出てこないそうじゃ」

「じゃあ今は、比較的安全なんですね」

「そうなんだが、そういう事は早く言って欲しかったよな。帰り際に聞いたばかりだから、調査が明日になっちまう。

 1日出遅れちまったよ」

 村長が言うとはなしにぼやく。


「何か不味いんですか?」

「ああ、取り越し苦労だとは思うが、念のためにな」

 村長はポルクルが持ってきたオーツ麦茶を、グイっと飲んだ。


「黒い森の魔物が奥に引っ込むって事になると、まわりの森や山から別の動物や魔物が、稀に移動してくる事があるんじゃよ。

 今まで森の魔物の気配が恐くて、入って来れなかった別の動物とかがな。

 数匹ならいいが、種類によってはその土地の生態系を変えちまう事もあるから、明日、調査隊をたてることにしたんじゃ」

 ふーん、人間がわざわざ持ち込まなくても、自然災害(?)でそうなっちゃうのか。

 

 競売オークションの手数料10%を差し引いて、代金を現金で頂く。

 こういう競り落とした物の代金は、基本その場で現金で支払うそうだ。

 大事なコレクションの1枚を売ったお金とはいえ、臨時収入だし、2人にはお世話になってるから、ここはギルドに半分寄付しようかな。

 俺がトレーのコインを全部取らずに、残ったコインをトレーごと渡そうとしたら、奴に日本語で止められた。


『蒼也、自分で稼いだ分は、お前が貰っとけ。そういうのは、もっとランクが上がってからにしろ』

『そりゃ確かにシルバープレートでもない者が、寄付なんて生意気かもしれないけどさ。

 なんかここ、言っちゃなんだけど、貧乏なギルドなんだろ? 

 だったら寄付って大事なんじゃないのか?』

 それにとっても世話になってるし。

『お前みたいな低ランクに、同情で多額の寄付金貰う方が、恥ずかしい事もあるんだよ』


 そうなのか。

 よくわからないけど、そういうプライドみたいなのがあるのかも知れない。

 色んな意味で早くランク上げないといけないなあ。

 あとでポルクルから聞いたら、奴がちゃんと寄付金を渡していたらしい。

 うーん、こっそり恰好つけやがってぇ~。


 今日もよく運動したのでシャワーを浴びたい。

 村長に断って、また2階のシャワーを借りに行く。

 ヴァリアスは1階で、そのまま村長と待ってた。


 手早くシャワーを浴び、着替えて廊下に出ると、さっき通った時には開いてなかった、客室のドアが少しだけ開いていた。

 なんとなく覗くと、そこには開いた窓を背にしたネーモーが立っていた。


「男爵が忘れ物をされましてね、取りに戻ったのです」

 そう言うとチェストの引き出しから、タオル地の端切れを出した。

 俺が売ったタオルだ。

 何故か断裁されて、切り口や表面がほぐされている。

「調べるために1枚分解したのです。

 テリー織りに比べたら、麻布のような安さですからね」

 解析ばかりに頼らず、じかに織り方を探ろうとしたらしい。


「本当に調べたんですね。男爵のその勉強熱心なとこ、敬服しますよ」

 俺は本心から言った。

「うちの町でも繊維商品は扱ってますからね、織り方を習得できるかもしれないので」

「だけど、これって確か機械織りなんですけど……」

 タオルって手で織れるのかな。

「そういえばテリー織りをご存知ありませんでしたよね。あれは転生者が昔伝えた織り方なのです。

 確か、あなたの星から来た者ですよ」


 後でネットで調べてみたら『テリー織り』ってあったよ。

 テリークロスとも呼ばれていて、パイル織りの一種らしく、昔は機織りで作っていたようだ。


「この織り方が伝わっている、南の国にはその転生者や、その子孫が多くいるのですよ。

 魔法に頼らない、高度な機械文明を築き上げていましてね。そういう技術者を多く抱え込んでいるからなのです」

 転生者が多い国か、それはちょっと興味あるな。


 長い指でタオルの切り口を撫でながら、ふと顔を上げると

「そういえばソーヤさんは、なぜヴァリハリアス様に、『ヴァリアス』というあざなもとい、略名があるか知ってますか?」

「それはこちらの一般人名では長いからだとか……いえ、知りません」

 なんか他に理由があるのか?


「フフッ、それはですね、昔ある転生者がいたのです。

 地球―――あなたと同じ星から来た方でね。

 この星とは同盟を組んでますから、地球からの転生者の割合は結構多いのですよ」

「その人が何か関係してるんですか?」


「彼がね、初めてヴァリハリアス様を見た時、生前の母国語でこう言ったんです。

 『カリハリアス!』ってね」

 ネーモーは何故か可笑しいらしく、右手で口元を隠すとクスクス笑った。

「カリハリアス……あっ!」

 言語スキルのおかげで突然理解できた。


 カリハリアス καρχαρίας ――― ギリシャ語で『サメ』のことだ。


 俺はサメ男と言ったが、ズバリ言っちゃったギリシャ人がいたのか。

 でもそれはしょうがないよなぁ。地球人の感覚だもん。


「――要らんこと言うなっ !! ヘタな隠蔽しやがってっ!」

 突然、当のサメ男がドアを突き破る勢いで入ってきた。


「まわりに誰もはいないはずなのに、どうも蒼也が独り言ってるし、おかしいと思ったんだ。

 たまに言ってる独り言とは違ってたからな」

 俺ってそんなに独り言言ってるのか?


「これは失礼しました。

 フフッ、この間、酷い言葉を言われたことへの、ちょっとしたお返しですよ。

 ソーヤさんが、ご存知なかったようですし」

 ネーモーは奴の凄みも感じないかのように、受け流すように穏やかに言った。


「でも、ワタシの隠蔽が先輩の目をくぐったのですね。

 まだまだ捨てたモノじゃないですね、我が水の隠蔽も」

 水の隠蔽というのは、水を使うというのではなく、水中に没したモノが、水の屈折で見えなくなるように感じるので、そう呼ばれているのだそうだ。

 普通の隠蔽のようにただ感じさせないのではなく、探る探知の触手をあたかも自然に屈折させて、存在を感じさせなくしまう事から由来している。


「今は力を抑えてるからだっ。全開でいればこれくらい見抜いてたわっ!」

 負けず嫌いのサメが吠える。

「フフ、わかってますよ。ワタシのほうは、これが最大限の隠蔽です。今までは、ここまで使う必要がなかったですからね。最後くらい使って見たかったんです」


「ったく、舐めたマネしやがって。

 死んで魂だけになったら、絶対に見つけ出して締め上げてやるからな!」

「おお、怖いっ。でもワタシの事、忘れないでいてくれるのですね」

 何故かネーモーは、どこか嬉しそうに顔をほころばせた。


「では、そろそろ帰ります。あまり時間がかかると、フーが心配しますから」

 手にした端切れが空中に消えた。

「名前つながりで言うと、ワタシのこの名前も、地球の方から引用したんですよ。今までいろんなところのを使いましたが、今のワタシにはピッタリでしょう?」


 ではこれにて失礼しますと

 ぷわりっ と水が霧散するように、『誰でもない』男は消えて行った。


「あのヤロウ、さっさと魂だけにしとけば良かったか」

 ネーモーが消えた辺りを、忌々しそうに見ながらヴァリアスが言った。

「まあまあ、彼も悪口で言ったつもりじゃなさそうじゃないか」

「当たり前だ。悪意が少しでもあったら、口をすり潰してやる」

 相変わらず、本当にやりそうで怖い。


「でも、ヴァリアスって略名使ってるじゃん? それってやっぱり気にしてるからだろ?」

 俺がそう言うと奴は、余計 忌々しそうな顔をした。


 名前というのは、ただの記号ではなく、その魂と密接に結びつく呪文のようなものだ。

 だから、貴族などは成人するまで、幼名として仮の名で育てられる。

 幼い頃は死神の鎌にかかりやすいから、本当の名前を知られて、連れていかれないようにするためだ。


 地域によって、悪い呪術師に本名を知られると、操られて奴隷にされると信じられていて――実際は名前だけでは効かないのだが――普段、本名は使わず、洗礼名で生活するという国もあるらしい。

 それだけ名前というのは、大事なものらしいのだ。

 ましてや神が付けたまいし名では―――。


「本当に偶然なのは勿論わかってる。

 何しろ、ギリシャ語が出来たより、オレが名付けられたほうが、ずっと先だからな。

 だからあざな――略名を作ってくれたのだ」

「それって勝手に自分で作っちゃダメなのか?」


「略名はただの呼び名とは違う。名前には力があるからな。

 お前達だって、呪文を唱えるときに、聖人や神の名を何度も口にするだろ?」

 そう言われると、念仏とかって、お釈迦様とかの名前だらけだよな。別の宗教もお祈りするとき、神様の名前を言うし。


「ただ……思いっきり笑われたがな、あるじに」

 苦虫を潰したような顔をして奴が呟いた。

 お父さん神様っ! それはさすがに悪いですよ、こいつでも。

「だが、その代わり陰では絶対にヒトを笑わんからな、あの方は。

 たくさんの面を持ちながら、1枚のコインにさえある、裏表がないのが我が主だ」

 ヴァリアスが少し自信を取り戻したように、胸を張って言った。


 神様が、こんな無頼者に尊敬されてるのって、凄いことだとは思っていたが。

 どこか似てるんだよな、この二柱は。

 やっぱり生みの親と子の関係だからなのだろうか。


 でもそうすると、

『 ヴァリアス≒神様 ≒俺 イコール ヴァリアス≒俺 』っていう、嫌な方程式ができちゃうぞ。

 それは成立させたくないなあ。


「何またブツブツ言ってるんだ」

 あ、少し口に漏れてたか。

「とにかくせっかく頂いから、略名をおもに使ってるだけだ」

 だったらどっち使ってもいいじゃん。

 素直じゃねぇなあ。


「でもさ、名前隠しても、姿見たら思いついちゃうんだけど……」

「あ゛っ !?」

「いやいや、まあ、でもサメって結構悪くないじゃん?

 マンティコアよりはシャープでカッコ良いし。

 それに、日本でもサメは神様の使いで昔話に出てくるし、ハワイじゃお酒好きの神様なんだぞ」

「ア゛ア゛ッ!」

「いや……悪かった。

 とりあえず村長が、食事行くのに待ってるから下いこうか……」


 俺はさっき脱いだシャツや下着を、あらためて洗濯袋に入れる。

 これは宿のではなく、ポルクルに頼もう。

 なんだかあの宿蝋燭の芯亭に頼むと、雑に扱われそうで怖いからだ。

 実際は親父のウィッキーじゃなくて、女将さんがちゃんと管理していたみたいだが。


「そういやさ、俺も名前で嫌な思い、したことはあるんだよね」

 俺は洗濯袋を抱えたまま廊下に出ようとして、ふと思い出した。


「別にオレは嫌だとは思っていないぞ」

「ああ、わかってるよ。

 俺の場合はね、学生の頃、あだ名に『トム・ソーヤ』ってのがあったんだよ。

 アニメ番組で『トム・ソーヤーの冒険』ってのがあって、その主人公の少年の名前から来てるんだ。

 名前がトウノ・ソウヤで似てるだろ?」


「それがどうかしたのか?」

「主人公のトムは明るい少年なんだけど、両親がいないんだよ。

 そこも似てるって言われて―――」

 目の前のヴァリアスの悪魔感が、急に増してきたので俺は口をつぐんだ。


「どこのヤツだ?! お前にそんな事言ったのは!」

 俺の目を射抜くように覗き込んでくる。

 奴の顔の陰が凶悪さを増してきた。


「やめろよ、記憶を覗くなっ。

 かなり昔の事だし、相手だってもう忘れてるよ」

 俺は目の前を遮るように両手を振った。本当に何かしそうで怖い。

 実は他にも『みなし子』とか『家なき子』とか言われたのは黙っていよう。


「フン、知ってるよ。大体はお前の守護霊から聞いてるからな。それにアイツ守護霊がやられっぱなしの訳ないだろう。

 ちゃんと天罰が下るように手配してるぞ」

 えっ、ナニ? 

 俺の地球の守護霊様もそんな物騒な奴なの?

 お返しは必ずするっていう、半沢直樹みたいな人だったのか?!


「だけど色々類似点があるってことだな、オレ達は。

 似たもの同士って事だ」

 妙に納得顔で言う奴に、俺はキッパリ、で言った。

「いや、全然」

「素直じゃねぇなっ! お前は」

「イタイ、イタイ、イタイッ!」


 奴にヘッドロックされながら階段を下りる羽目になった。

 最近、なんとか人間並みに、力を落とす事ができるようになった途端、この野郎は手を出すようになってきた。


 1階で待っていた、村長とポルクルが何事かと立ち上がる。

「何でもない。さっさと飲みに行くぞ、ジジイ」

 人の頭をヘッドロックしながら、何でもない訳ないだろっ。


「すいません、ポルクルさん、これ洗濯をお願いしていいですか?」

 俺は変な横向き体勢で、戸惑っているポルクルに袋を渡した。

「おいっ、みっともないから、早く外せよっ」

「カーカッカッカッ!」


 ホントにこんな奴と血が繋がってるなんて、今だに戸惑っている俺だが

 ただ、代わりに怒ってくれた事は、少し嬉しかった。


 だが、やはり神と人、管理する者とされる者。

 意識と立場の違いには、どうしても深い溝がある。

 それに俺の余所者としての認識不足が加わって、災いは知らないうちに大きくなっていたのだ。



  ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 もうお分かりと思いますが

アクール人という名称も、ロシア語の『アクーラ』(サメ)をもじったモノです。


 思わせぶりに引っぱってしまった『事態』は次回、明らかにします。

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