第104話 追跡


 転移で自分たちの部屋に戻ると、礼拝堂のほうに人が何人かいる気配がした。

 廊下から礼拝堂横のドアを開けると、女神像の前にいたコニ―とカスペル、サウロ、そして知らない男が一斉に振り返った。


「魔法使いの兄ちゃんに傭兵の旦那っ、戻ってきたあぁー」

 カスペルがいかにも待ってたような声を出す。もうみんな名前覚えてないだろ。

「何かあったんですか? なんだか嫌な気配がするんですが……」

 これはあの水の使徒から言われたからではなく、本当に落ち着かない雰囲気が漂っているのを感じたからだ。多分皆から出るオーラの気配なのかもしれない。


「ナタリーが攫われたらしいっすっ!」

 少し興奮気味に言うカスペルに、爪を噛みながらブンブン頷くコニ―。オロオロしているサウロ。

 そして焦げ茶色の麻のコートに黒のズボンとブーツ姿の背の高い男。

 異様だったのはフードを被り、顔にはカラスのようなくちばしのある、ペストマスクをつけているところだ。手にも黒い手袋をしている。


「こちらの方達は?」

 男が低いがマスクをしているのに良く通る声で訊いてきた。

「ウチに今泊ってるお客さんですよ。先生の昔の仲間の知り合いとか」

「昔の仲間? 失礼だがその相手の名を教えてもらえますか?」

 ペストマスクの嘴がこちらにググッと向いてきた。


 こういう仮面の人に慣れていない俺は、つい怖くて言っていいものかちょっと言いよどんだが、

「ラーケルという村の村長さんです。ハンターギルドでお世話になって」

 村長という肩書きがある人物としてなら言ってもいいかな。


「ラーケルの村長と言うと、あのアイザックか」

 カラスマスクもといペストマスクが、嘴を頷くようにゆっくり上下させた。

「えっ、アイザック村長を知ってるんですか?」 

「――そうか、アイザックの知り合いならいいかな」

 そういうと男はフードをぬぐと、ゆっくり仮面を外した。

 その顔は深い青の目をした犬というより、狼のような精悍な顔で、黒い毛に覆われていた。


「コボルトの……人でしたか。失礼ですが、発音綺麗ですね」

 俺は初対面なのに気が動揺していて、つい訊いてしまった。以前王都で会ったコボルトは、発声器官がちょっと違うとかで人語の発音が独特だったからだ。

「純血種じゃないんでね。見かけはこうだが、わたしの母親はヒューム―― ベーシスなんだ」

 黒いコボルトはそう言いながら、手品のようにマスクを空中に消した。

 背が高く、シュッとした出で立ちの黒いコボルト。

 俺はどこかあのエジプトの冥界の神アヌビス様を思い出していた。

 

 バタンと音を立てて施療院に繋がるドアが開くと、先生とイーファが慌ただしく入ってきた。

「おっ、あんた達戻ったかっ」

「ハルベリー、子供の具合はどうだ? 落ち着いたか」

 俺が先生に声をかけるより先に、コボルトが声をかけた。

「ああ、なんとか元に戻ったと思う。ただ回復にずい分体力を使ったから、今は深く寝てるよ。今日1日はウチで預からないとな」

「そうか、助かるなら良かった。こっちに集中できる」

 コボルトが1つ息をついた。

 他に急患の子供がいたのか。

「もう1人戻って来たら、すぐ行動を開始したい。あんた達も手伝ってくれないか?」

 先生が真剣な顔をして、俺達に顔を向けてきた。


 事の次第はこうだ。

 俺達が出かけた後に、急患の依頼があって先生の代わりにナタリーが出かけた。先生は予約の入っていたお祓いの依頼の為に残っていた。

 ナタリーの帰りが遅いのじゃないかと言ってきたのは、その2人の常連客達だった。

 祓いが終わったのに彼女の顔を一目見て帰ると言って、グタグタ残っていたのだが。


 言われて皆もやっと気がついた。

 確かにベンタル通りからここまでの往復だけなら四半刻(30分)ちょっとだろう。治療に手間取っているにしても時間がかかり過ぎている。

 大変なら人を使いに寄こすはずだ。

 水時計を見るとすでに3時を大きく回っている。半刻半(1時間半)以上は過ぎていた。

 この時初めてハルベリーの頭に嫌な予感が湧いてきた。


 コニ―に道案内してもらって、客の2人が行った先は、すでに閉店した宿屋だった。

 ここで客達が地面に争った跡を見つける。そして匂いで納屋に倒れていた子供を発見したのも2人の客だった。

 その客の1人がこのコボルトだ。確かに鼻が利きそうだ。

 奴隷商との小競り合いの件を聞いていた客の1人は、直ちに門に走っていった。

 もう1人の客コボルトとコニーは、意識不明の子供を抱えて教会に戻ってきたという訳だ。


「そう言われれば、また施術院のほうから、例の葉巻の匂いがするな」

 ヴァリアスが少し鼻をひくつかせて言った。

「ああ、宿屋の裏庭でもかなり独特の葉巻の匂いが残ってたね」

 コボルトが同意する。


「クソぉっ! あのジジイッ、あの奴隷商の手下だったんだっ。まんまと騙されたぜっ」

 ノーム先生が頭を抱えて、怒りにふらつく。

「先生、少し座ってて下さい。さっきの治療で先生もお疲れなんですから」

 サウロが先生の肩を抱えて、手前の会衆席の長椅子に座らせた。

 それを見てイーファがまたパタパタと施療院に戻っていった。


「あぁ……、俺がもう少し慎重になってたら…………。なんで俺に来ないで、よりによってあんな良い娘に災いが来るんだろう…………」

 先生が首を垂れながら呟いた。

「後悔なんかしてる暇じゃないだろ。まだ最悪の結果になったわけじゃないし」とヴァリアス。

「そうだぞ、ハルベリー。まだ打つ手はあ……って、あなた、アクール人か」

 少し驚いた顔してコボルトがヴァリアスを振り返った。

 ヴァリアスが何か答えようとした時に、礼拝堂の大扉が勢いよく開いて、1人の男が駆け込んできた。


「すでに7時の門から出ていったらしいぞっ!」

 そう言って俺達のところに走ってきた男は、キャメル色のシャツの上にインディゴブルーの貫頭衣サーコートを着ていた。顔の下半分を黒い布を巻いて隠していたが、その上の瞳はルビー色の月の目だった。

 ユエリアン(月の目人)か。


「……あんたらは?」

 俺とヴァリアスを交互に見ながら、新しい男が聞いてきた。

「アル、こちらはアイザックの知り合いらしい。今回の件に力を貸してくれるそうだ」

「アイザックの? 本当かっ。そりゃ助かる。ユエリアンなら夜目も利くし」

「オレはユエリアンじゃないけどな」

「エッ……その歯……あんたアクール人 ?!」

 いつもの事だけどホント、こいつの種は珍しいんだなぁ。もうこの人みたいにタオルか、スポーツ用のBUFFでも買ってきてつけさせようかな。


 するとそのアルと呼ばれた男が、口を覆っていた布を顎下に外した。

「おれもだよ。こっちに来て初めて同族にあったぜ」

  その歯は2重の牙になっていた。

 

男は20台後半くらいか。ヴァリアスを見て嬉しそうな顔をする奴を初めて見たが、やはり少ない同族だからなのだろうか。

 奴以外のアクール人は俺も初めて見た。博物館の模型以来だ。

正確にはこいつは同族ではなくオリジナルだと、つい暴露したくなるが。


「同族なら尚更頼もしいぜ。だが今は急ぐから、積もる話は後だ。奴隷商を乗せた馬車が、7時の門から国境のほうに向かって出て行ったらしいぞ」

 どうやらここでは東西南北ではなく、時計の針の向きで門を表わしているらしい。7時というと南西の門ということか。

「奴隷商の顔を覚えてる門番がいてな、そいつの話だと3時の祈りの鐘の少し前だって言ってた」

「彼女を荷物置きかどこかに隠して通ったか」とコボルト。

「あの……その奴隷商が攫ったっていう確かな証拠ってあるんですか?」

 同じ宿屋に匂いが残っていたという状況証拠だけでは、もし間違いがだったら取り返しがつかなくなるかもしれない。


「それが残念ながら間違いなさそうなのっさ……」

 コニ―がまたガチガチ爪を噛みながら言った。

 宿屋の裏庭の荒れた地面に、彼女の髪の毛が1本落ちていた。

 嗅覚の鋭いアクール人がすぐに見つけたそれは、拾い上げると空中でクルクルと蔓のように形を作った。

「“ブリガンに騙された”と綴られってたのさ……」

「恐らく隙を見て抜いた髪に、メッセージを残したんだろうな」

 コボルトが呟くように言った。

「なるほど、細胞を操る治療魔法を応用したか。大した女だ」

 ヴァリアスが褒める。

「そりゃおれ達のお嬢だからな」

「流石は我らの見込んだ聖女だからね」

 何だか彼女のファン層がとんでもない。


「先生、これ飲んでくださいっ」

 イーファが液体を入れたコップを持ってきた。

 それを飲むと先生の顔色が少し良くなったようだ。

 だが、依然辛そうな顔つきは変わらない。


「ハルベリーはここにいろっ。おれ達でお嬢を連れ戻してくるから」

「いや、俺も行くぞ。万一の時に行かなくちゃならんだろ……」

「最近大人しく暮らしてたんだろう? 現役の頃とは違うんだから無茶はするな」

 コボルトがやんわりと諭す。

「そんな気付け薬よりこっちの方がよっぽど効くぞ」

 奴が先生の前に、薄緑色の液体の入った瓶を出した。

『アブサン』とラベルの表記名が読める。酒か。

 先生はのろのろとそれを手に取ると、キャップを開けるやグイっと直接あおった。


「カハァッあっ !!」

 先生が思い切りむせて吹いた。

「うわぁっ。すげぇっ強い酒だな、それっ」

 吹いた霧がかかってしまったのか、コボルトとアクール人が鼻を押さえた。

 ゴホゴホ咳き込む先生の持っている瓶を覗きこんで、俺もビックリした。

 アルコール度数89.9度となっている。これ本当に飲料用なのか ??!


「先生、それ強すぎるからやめたほうが――」

 瓶を取り上げようとした俺の手をするりと避けて、先生がまた瓶を持ち上げてラッパ飲みした。

「あ~ぁ、勿体ない。良い酒をそんな乱暴な……」

 アクール人が鼻を押さえながら唸る。

「ぷはあぁっ! 生き返ったぜっ、こりゃあ。やっぱり酒は俺の血、聖水だなぁ」

 瓶の3分の1くらいを飲み干して、マジマジと壜をあらためて見ながら、先生が言った。

 血色と共に顔つきも、いつもの癖のある親父面に戻っている。

「だろ?」

 ヴァリアスがニヤッと口の端を上げた。


「さすがハルベリー。肝臓は相変わらず頑丈のようだな」

 コボルトが納得気味に言った。

「よっしゃあっ、力が戻ったぜっ。すぐ戻るから待っててくんな」

 そのまま立ち上がると先生は、バタバタと居住館のほうに走っていった。


「よし、じゃあ わたし達も職務を遂行するか」

 コボルトはそう言いながら軽く前で手を振った。

 パッと手品の早変わりのように、焦げ茶のコートから黒いフード付きのサーコートに変わった。ベルトのバックルも黒ずんでいる。

 黒いシャツの左袖には、紋章付きの血のように紅い腕章が付いている。黒いサーコートの胸から中央にも赤い線で模様が入っていた。それはアーモンド形の目に棘の蔓が巻き付き、その瞳の中心に剣が刺さった物騒な紋章だった。

 そしてまたマスクをつけてフードを被った。


「クソ、せっかくの休日に仕事させやがって。お嬢に手を出したんだからぐらいじゃ済まさねぇぞ」

 アクール人もまた口を布で隠すと、バサッと一瞬で同じ服に変わった。どうやら空間収納を応用した、奴も良くやる早替えらしい。


 後で聞いたら魔族寄りのコボルトはもちろん、アクール人も魔力の高い種族なので、ベーシスに比べて色々能力スキル持ちが多いらしい。

2人共同じ格好のところを見ると、何かの制服だろうか。

「あの、お2人は何かの役人の方なんですか?」

 俺は好奇心で訊いてみた。

 門番達も固有の同じ服を着ていたりするが、この制服は見た事がない。


「そういやあなたも見かけない人種ですね。この制服を初めて見るのかな?」

「おれ達はね、別の町の『刑吏』だよ。『警吏』のほうじゃなくてね」

 刑吏って警吏と違うのか?

「警吏は犯罪者を捕まえたり、町を見回ったりする、いわゆるお前のとこの警察のようなものだ。刑吏は刑罰の執行をする、拷問官や死刑執行人のことだ」

 ヴァリアスが説明した。

 拷問官……死刑執行人って、首切り役人とかなのか。

「まったく今日はせっかく穢れを落としに来たのになぁ……」

 アルが忌々しそうに言った。


「待たせたなっ」

 先生が腰に太いベルトをまわして戻ってきた。両腰に警棒のようなものが下がっている。

「あいつらにこの神の怒りを見せてやるっ!」

 そう言ってその2本の棒の抜くと、ブンブンと両手で振り回した。それはトの形をしていた。

 トンファーっ! ずい分とダイレクトな神様の怒りだな。


「よし、じゃあ近道するために、まずは門まで行くぞっ」

「あの、おいらも行きますっ」

 サウロが走り寄ってきた。

「いや、サウロ、お前は残っててくれ」

 先生が振りかえって言った。


「万一、また奴隷商の奴らが嫌がらせにきたら、イーファ達じゃ太刀打ちできん。残って教会を守ってくれっ」

 そう聞いてハッと立ち止まるサウロ。イーファが側にやってきて服の裾を引っ張った。

「もどかしいけど、ここは先生たちに任せよう」

 サウロはガックリと力を落としたように頭を下げた。


「ベーシスの兄ちゃんも、危ねぇから来ないほうがいいぞ」

 アルが俺に向かって言ってきた。

「いや、コイツは連れてく」

「多分その兄ちゃんは思ったより強えぞ」

 先生も同意した。

 2人は一瞬、ヴァリアスと先生を見てから、俺に視線を戻した。

「わかった。ただ何があっても恨みっこ無しだぜ」


 教会から出てすぐに門に向けて走り出す。一気に先生が後ろに残された。

「おっとそうだった」

 コボルトがすぐに戻って先生を負んぶすると、俺達と一緒に走り出した。

 さすがコボルト、狼男並みに体力もありそうだ。

 走りながらの自己紹介によると、アクール人のアルと言われた男はアルディン、コボルトはセオドアと言名乗った。

 以前彼らが刑吏でなかった頃、賞金稼ぎバウンティハンターを生業にしていたそうだ。その縁で村長や先生たちのパーティと組んだりした事が何度かあったらしい。


「そういや、忘れてたがあのガキは?」

 走りながらアルが訊いてきた。

「落ち着いたらしい。来る途中で辻番(ここでは交番のようなもの)に連絡しといた。子供が帰ってこない親がいたら、教会に来るように言ってある」

 結構重そうな親父を背負っているのに、全然息も切らさずにセオドアが答える。


「そっか。なら良かった。んじゃ飛ばすぜ」

 通りは大通りで人がいるとはいえ、ぶつかる程ではなかったが、走る俺達の様子にほとんどの人が振り返った。

 そして先頭を走って来る黒い2人に慌てて道を譲った。

「こういう時はこの制服が役に立つ」とアル。

「あんまり良い気はしないけどな」とセオドア。


 俺は走りながら、さっきの魚人――水の使徒に言われたことを思い出していた。




「我が敬虔なる信者が危機に陥っている。ぜひ手助けしてほしい」

 と、イアンさんの裏庭に現れた使徒は言ってきた。

「人間の1人や2人、助けるのがそんなに大変な事かぁ?」

「むろん我が力を使えばそんなこと難なくないのだが……」


 少し口ごもる魚人が言うには、どうやら先生やナタリーは水の信徒として認識はされていたが、ナジャ様とイアンさんのようにハッキリとした守護対象ではないらしい。

 だから目は掛けてはいたが、特に守護扱いはしていなかったそうだ。

 ただ最近の働きに、そろそろ守護申請をしようとした矢先に事件が起こったらしい。

 特別に守護するには特別な申請が必要なのだそうだ。


「遅せえんだよ。目ぇ掛けてるんなら、申請が通る前から天使をまわすなり注意してやるもんだろ」

「面目ない。我も結構、他にも守護している者がいるからな。つい後回しにして油断していた。

 知っての通り、申請には時間がかかる。待っていたら間に合わなくなりそうなのだ。

 どうも最近の、一部の運命の者達の差配がキツクてな。悪いほうに転がりやすいようだ」

「またアイツらか。ビトゥみたいな慎重すぎる奴もいるのに、加減がわからねぇ新人がやたらとムチャしてやがるんじゃねぇのか」

 自分だって俺の運命ずたぼろにしてるクセに。


「確かに我もそれについては苦言を呈しているのだが。とにかく申請完了前なので、我は直接手出しできん。

 どうも他に助けが入るようだが、確実に助かるとはいえんからな。ここは万全を期したいのだ」

「だからって、オレだって直接手出しするわけにいかねぇぞ。運命の奴らの邪魔をすることには変わりないからな」

「わかっておるわ。だからこうして頼みに来てるのじゃないか。それ、彼に」

 魚顔が急に俺の方に向いてきた。


 えっ、俺 ?

「あー、そうだな。確かにコイツがやる分には、運命の設計妨害じゃないな。ちょっとイレギュラーだが。

 オレもこいつならサポート出来るしな」

 ヴァリアスもニヤリと笑ってこっちを見た。


 なに、なんか良いように使われる感が半端ないんだが。

 そりゃ人助けするのはいいけど、なんだろ。

 複雑な気分だ……。

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