第105話 ワームホール

 アクール人とコボルトが門の中に飛び込むと、俺達も後に続いた。

「戻ったぞっ! 連絡来たかぁっ」

 2人の姿に門番が緊張してかしこまる。

「はっ、はい、まだそれらしい馬車や男達は来てないようです」

「よしっ、続いて警戒して、絶対通すなって連絡しといてくれっ」

「はっ!」

 門番は背筋を伸ばして右手を胸に当てた。これがこちらの敬礼の仕方なのだろう。


 くるっとアルはこちらを向くと

「国境警備の連中に連絡入れてもらっといた。あっちの国に逃げ込まれたら面倒だからな」

「そうか、それは有難い」と、先生。

「だけど油断出来ないぞ、ハルベリー。ああいう連中はに詳しいからな。ただの時間稼ぎだ」

 

「先生、ナタリーが攫われたって、本当ですか?」

 中年の門番が、セオドアの背中にいる先生に尋ねた。

「ああ、残念ながら……。だが、絶対連れ戻してくるぞ」

「あと、おれ達が行く事も伝えといてくれ。奴らを引き渡すってな」

 そう言ってアルディンは門番に、右手の親指を下に向けて見せた。

 それに門番が少しビクついたように、一瞬身を震わせた。


「最後にもう一度聞くが、これからは国境まで近道ショートカットするから、馬車どころか馬も使えないぞ。危険も伴うが、本当に一緒に来るか? 

 途中で引き返すって言っても送ってってやれないぞ」

 今度は俺に向き直って念押ししてきた。

「すいませんね。本当は彼が馬と相性が悪くてね。早馬が使えないんです」

 と、ペストマスクの嘴がこちらを向く。

「うっさいな。馬車なら乗れるんだよ」

 俺が口を開くより先にヴァリアスが言った。

「大丈夫だ。コイツの面倒はオレが見る」

「そっか。なら任せるよ」


 門を出ると一本の道がずーっと草原に伸びていて、はるか山々のほうに消えていた。

「あっちの国境に行くには通常、あの山沿いをぐるりと大きく曲がっていく。同じ道を通ってちゃ、追いつけるかわからねぇからな。途中から別の道を行く」

「あ、あの転移とかは使わないんですか? どこか近くのポイントとかに跳ぶとか……」

「国境付近や別の国に跳ぶのは、事前審査が必要なんだ。侵入者防止のためにな」 

 奴が説明してきた。

「そう、こんな緊急でも認められなくてね。その場で認められるのは国王か高位の官僚ぐらいです」

 費用もかかるからと、セオドアが少し残念そうな声で返事した。

 本当は奴の転移を使えば一発なんだが……。なんとももどかしい。


「だから通常、人が通らないとこ行くぞ。覚悟してくれよ」

 そう言うやアルとセオドアはまた走り出した。

 えっ、本当に走ってくの?


 自動車かと思うほど2人の速さが凄まじくなった。

 4つ足でもないのにこんな速度が出せるのか? これも魔法なのか、それとも身体能力なのか? 絶対競走馬並みに速度が出ている。

 以前、ラーケルで村から森まで走ったことがあったが、あの時より格段に速度が出てる。

 あの時は奴が俺の出せるギリギリの速度に合わせてやってくれたが、今はあきらかにそれ以上だ。

 風魔法で追い風を使わないと、身体強化くらいじゃ間に合わない。

 腹立つことに、奴はもちろん涼しい顔してついてくる。

 ギリ大変なのは俺だけかよ。ジョギングシューズ持ってくれば良かった。いや、この速度じゃ大して変わらないか。


「彼女を乗せた馬車は2頭立てか」

 セオドアが走りながら嘴を左右に軽く振った。匂うのかな。

「ああ、門番もそう言ってた。男4人と御者、それにお嬢を乗せてるからな。そんなに速度は出さないはずだ。それにまだバレてないと思ってる可能性も高いしな」

 それってずっとこの速度で走る気なのか ?! サイボーグじゃねえんだぞ。


 こっちの陸路の主な交通機関である馬車は、大体15~25キロぐらいが一般的速度だ。

 舗装されていない土道を、箱車という荷物を引っ張って走るのだから、単体で走る競走馬のようにはいかない。長く走らせるのなら尚更だ。

 だから途中、道を行く箱馬車の横を軽く追い越してしまった。

 護衛と御者が『エッ!?』と、こちらに目を見張っていたのを感じる。

 まったく目立ち過ぎて恥ずかしい。


 始めは道なりに走っていたが、山が大きく見えてくるにつれて、徐々に右にそれて、草原を走るようになった。

 馬車道は土道だったが、まだ石ころもそれほど少なく、わだちに足を取られなければまだ走り易かったが、さすがに草むらはそうはいかない。伸びた草や隠れた石に、つい足を取られがちになる。

 樹もボツボツ立ち始めた間を抜けるので、根っこも危ない。

 だが、2人はそんなこと全く気にならないように、速度を緩めない。

 おいマジかよ。


「兄ちゃん大丈夫か?」

 ちょっと心配そうに先生が振り返って聞いてきたが、俺はいっぱいいっぱいで上手く返事が出来ない。

「しょうがないな」

 奴がそう言うと俺の背中を掴んだ。背中をというより全体的に前に引っ張られる。背中を掴んだのはダミーだ。

 悔しいが負担を軽くするために、引力操作してるんだ。


 それにしても警吏なら、犯人を捕まえるので体力勝負な仕事だとは思うが、罪人を処刑するだけの刑吏もこんなに凄いのか? 

 確かに重たい首切り用の剣とか振るうだろうから、ある程度体力も必要かもしれないが。

 それともアクール人とコボルトだから、元の体質が違うせいなのか?

 この疑問はまた別の要因もあると、後で知る事になったが。


 そうこうしているうちに、樹々の隙間から岩肌が前方に見えてきた。

 崖下にきたようだ。

 ここにきてやっと速度が落ちてきたと思っていると、その岩肌ぞいに走っていたセオドアが、ザッと急に止まった。

「ここら辺がいいだろう、ここから真っ直ぐが一番短い」

 そう言いながら先生を地面に下ろした。

「よし、交代だ。ハルベリーはおれが負ぶってく」

 今度はアルが先生を背中に負ぶった。

 ここから真っ直ぐって……まさかこの絶壁をか?!

 俺を掴んでる手から、こっそりとエネルギーが注がれてるのがわかる。足の疲れが霧散し、体力が戻ってきた。

 もう、都合のいい特訓になってる。


 セオドアがまたマスクを外した。もう人目を気にしなくて済むからなのだろうか。

 途端にサラサラと目の前の岩壁の一部が砂になり、崩れながら目の前にポッカリと大穴が開いた。

 大人2人が並んで入れるくらいの大きさだ。

 そのまま2人が飛び込む。

 俺達も入ると後ろに砂がまわり込んで穴が塞がった。

 辺りは漆黒の闇になった。

 なのにかまわず、また2人が走り出す音がした。ザラザラと音を立てて岩が崩れていく音も反響する。

 俺は探知しながら慌ててついて行った。


 先を行く2人の、前方の2mくらいの先の岩がどんどん砂になって崩れていく。その石砂はザーザーと左右の側面に沿って流れ移動して、俺達の後ろ側にまわりこむとまた後方の穴を塞いでいった。

 俺達は岩山の中を岩を削り、再構築しながら、まさしく穴を移動させて進んでいるようだった。


「これは土魔法……こんな使い方があるんだ」

 全然速度が落ちないが、体力を戻してもらったのと引力補助のおかげで、少し余裕が出た俺は感嘆の声を出せた。

「なんでも使い方次第だ。お前も練習次第で出来るようになるぞ」

 ほんとか、これかなりの魔力と繊細な操作してないか。

 俺達の速度に合わせてピッタリと、前方と後方の砂と岩の操作を、形も歪ませずにずっと続けている。俺が以前、* ブッシュジャッカルにジョーズの泥人形を作った時とは段違いだ。(*第61話参照)


「ところでハルベリー、あんた また太ったんじゃないのか?」

 先生を背負っているアルが言った。

「そっかぁ? まぁ最近ちょっくら、美味い料理と酒にありついてるからなあ」

 先生は俺達のほうをチラリと振り返った。

「それだけじゃないだろ、こりゃあ絶対中年太りだ。腹が当たってるぞ」

「やっ、面目ない。そういうアルディンは変わらないよなあ。俺とほとんど年は変わらないのに。アクール人は青年期が長いっていうけど、羨ましいもんだぜ」

「やめろ、人の腰に足を絡めるなっ。やっていいのは女だけだっ」

「この速度で無茶言うなよ~」

 この走りでよくそんな余裕で喋れるなぁ。って、30前かと思ってたら、先生と同い年なのかよ。もうターヴィもそうだったが、こっちの人間は見かけと違いすぎる。セオドアなんか動物顔だから尚更わからん。

 俺はつい自分の事は棚に上げて思った。


「あ、あの明かりって、つけちゃ、不味いんですか?」

 しばらく探知してはいたが、やっぱり視覚的に何も見えないのは、凄い閉塞感がある。

「別におれ達は必要ないから、点けてないだけだ。兄ちゃん、光魔法できるのかい?」

 アルが走りながら後ろを向いてきた。本当に視覚に頼ってないんだな。

「ええ、ちょっと、闇は、落ち着かなくて、点けて、いいですか?」

「いいですよ。ただ、光量は少し抑え気味でお願いしますね」

 土魔法を操り続けてるセオドアも、全然息も切らさず普通に話してくる。


 ポッと2つ、前と後ろに豆電球ぐらいの発光体を打ち上げる。LEDのような強い白色ではなく、優しいオレンジ系の光にした。これを自分の位置を基準に固定すれば、一緒に動いてくれる。探知しっぱなしより全然楽だ。

「蒼也、視覚にばかり頼らずに、探知もしろよ」

 人の上着を掴んだまま、奴が言う。

「わかっ、てるよ」

 ちぇっ、やっぱり楽はさせてもらえないか。


「この調子なら間に合いそうだが、問題なのはお嬢が何されてるかだよな」

 またアルが話し出した。

「ああ、買ってきた奴隷じゃなくて、誘拐した人間だから絶対何か処置してるだろうな」と、セオドア。

 ハッと先生が息をのむ気配がした。

「魔力封じだけならいいんだが……」

「ハシッシとか隷属の輪とかか」

 ヴァリアスが口をはさんだ。

 アルが答える。

「そうなんだ。最近あいつら、捕まえた新しい獲物を奴隷化するのに、調教とかいちいち面倒くさがってやらなくなってきてやがる。少々金がかかっても、早く服従させて売るために、ハシッシとか使うのが当たり前になってきてるんだ」

 ハシッシってなんだか、聞いたことがある。何だったっけ。


「ハシッシってのは、麻薬だ」

 相変わらず俺を掴みながら、横で奴が説明した。

 ああそうか。地球ではハシシとかハッシッシとか、大麻の事を指してた。昔読んだ小説で、暗殺教団アサシンの別名がハッシッシ派って呼ばれてたんだ。麻薬で考える力を奪って操り、最後には死ぬことも恐れなくなる、最狂の暗殺者に仕立て上げる道具。


「知っての通り麻薬は中毒性もあるし、摂取量によって体に負担がかかる。でも解毒できりゃあなんとか回復させることも出来る」

 と、先生が繋ぐ。

「だが、もし隷属の輪使ってたら……」

「嫌な事言うなよ、ハル。おれは人形になったお嬢なんか見たくねぇぞ」

「隷属の輪ってのはな、前に教えた傀儡魔法と似たようなものだ」

 奴が俺の方を見ながら言った。

「直接、大脳を侵して自我を奪うんだ」

「わたし達が以前、攫われた娘を賞金首から奪い返した時は、6ヶ月近く輪をはめられた後だった」

「その女は輪を外しても廃人のままになっちまったよ」

 そんな恐ろしいものなのか。

「まあ高い道具だから、そう簡単に使わないと思うんだが、お嬢は聖職者だからなあ……クソッ」

 アルがガチガチと歯を鳴らした。


 そうこうしているうちに、時折、ポコっと上や横に穴が開くようになった。

 それは人間の頭ぐらいのモノから、1m以上の直径のモノまで様々で、上にあるときは、ほぼ下にも出来てるので、足元にも注意が必要になった。

「そろそろ巣が近いですよ」

 セオドアが俺達の方を振り返る。

「もちろん突っ切ってくぜ」とアル。

 えっ、何の巣?


 急に前の穴が広くなった。いや、何か空洞に出たんだ。

 何か酸っぱいような、湿った臭いが広がった。

 多分一般的な学校の体育館よりも、ずっと広い空間だと思う。その壁のいたるところに、先程から現れているのと同じ大小の穴が開いていた。俺達の立っている穴もその横穴の1つだ。

 そしてその空間の底に―――。


「ヒッ……」

 俺はうっかり声を上げそうになった。

 セオドアがこちらを振り返り

「声を出してもいいけど、小さくお願いしますね。奴らを刺激するから」

 そう言われても俺は眼下の光景から、目が離せなかった。

 そこには無数の虫―――ワームが蠢いていた。


 それは弱い光に照らされて居心地悪そうにズルズルと地面の上を動いていた。

 あるものは大人の太腿くらいの太さで、大きなアナコンダくらいの大きさだった。またあるものはドラム缶のような太さで、おそらく10m以上はあるかと思われた。

 いや、更に大きい奴もいる。皮膚が肌色のように見えるのは、この赤色系の明かりのせいで、実際は白灰色のようだ。表面に血管のような筋が、浮いては消えるを繰り返す、まるで何かの巨大な腸のよう。


 ただその先端、いわゆる頭らしきところには、目らしきものはなく、ただ窄んだり開いたりする口があった。それは蕾が開くように何枚もの花弁になって裂け、その中からメドゥーサの蛇髪のように、幾本もの青紫の触手が蛇の舌のように出てくるのが見える。

 そうしてまた、裂け目が修復されるように口を閉じる動作を繰り返していた。


「あの口の中にある触手が高濃度の酸を出す。それで岩を溶かして食べるんだ」

 そんな虫どもが目の前を這い回り、のたうち、重なり、絡み合ったりしている。

 テレビ画面どころか巨大スクリーンで見たとしても、自分が立って見ているこの光景は、味わえないだろう。画面越しでもガラス越しでもなく、網戸1枚すらない同じ空間に悍ましいモノたちと一緒にいるのだ。

 この時の俺は久しぶりに血の気が引くのを感じた。


「じゃあ先に行きますよ」

 セオドアがそう言うと下に飛び降りた。続いて先生を背負ったアルも続く。

 見ると2人は軽々と、虫どもの間に僅かに露出している突起した岩を足場に跳んでいく。その跳躍力もさることながら、不規則に動く虫の不意の動きをも巧みに避けている。

 先に行ったセオドアが向こう側の壁にぶつかると思われた瞬間、また岩壁が砂のようにくずれて穴が開いた。そこにサッと入っていく。

「こっちも行くぞ」

 奴の声に見入っていた俺はハッとした。

 待てまて、まだ心の準備が―――。

 全身が前に引っ張られて、俺は奴と共に虫どもの中に落下した。


 もう悲鳴を上げそうになるのを押さえるので精一杯だった。

 目をつぶり、体をすくめ、奴に掴まれ引っ張られるままに任せた。もちろん自分で地面を蹴るなんて出来るわけがない。

 が、途中1回だけ、硬いゴムタイヤのようなモノに靴底が当たる感触があった。

「おっと、うっかり踏んじまった」

 てめえ~っ、絶対ワザとだろっ!!


 奴に踏まれて痛かったのか、急にワームが騒めき始めた。

 穴の中に飛び込んで後ろを振り返ると、何体ものワームが、獲物を捕らえようと触手を伸ばすイソギンチャクのように、上に向かって伸びて蠢いていた。


「コイツらはロックワームだから、基本 生物は襲わない。踏みつぶされたり、あの酸を浴びたりしなけりゃ別にどうって事ない」

 それ全然安心できる情報じゃないぞ。

「よし、また走るぞ」

 俺の服から手を離すと、軽く背中を叩いた。

 クソッ、なんてトライアスロンだっ !! 

 だが、俺もこの場を一刻でも離れたかったので、全力で猛ダッシュした。


 穴が塞がってもしばらく、ドスン、ズンと、ワームたちが立てる地響きが伝わってきた。

 それが聞こえなくなった頃

「もう少しで外です」

 セオドアが言った。

「良かった。俺はそろそろ外の空気が吸いたいぞ」と先生。

 俺もですよ、先生っ。


 パアッと前方の穴が明るくなって、空が見えた。

 やったっ、外だ。

 だが、先に飛び出した2人の姿が急に見えなくなった。

 えっ? 

 俺は穴の縁で急停止した。

 はるか下に緑の樹々が生い茂る森が見える、そこは断崖絶壁の途中だった。

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