第103話 購(あがな)われる聖女 その2
今回また長くなってしまいました。
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俺たちはそんな事が起こっているとはつゆ知らず、のんびりとアグロスのハンターギルドにやって来た。
ここのハンターギルドは、普通の宿屋くらいの大きさの3階建て。中に入ると買取カウンターと総合受付が同じ1階にあった。
ざっと5,6人のハンターがいたが、外と同じく亜人の姿はなかった。
「この町ではほとんど亜人って見かけないなあ」
今のところ俺が見たのは、先生と患者で来たドワーフ1人ぐらいだ。ラーケル村は異例としても、ギーレンや王都オルガでもチラホラ見かけたのに、ここではほとんど見ない。
「ここが隣国に近いからだ」
さも当たり前のことのように奴が言った。
「この間の奴隷商なんかが、簡単に国境を渡って来るんだぞ。亜人は落ち着かないだろ。いるのは大体、年寄りか、売れそうにない中年以上だな」
ああ、奴隷商か。こちら(エフティシア国)にいるとあまり感じられないが、他所の国では亜人は軽んじられている。
いや、人間とは見ていないのだ。それは人種差別というよりも、人と類人猿の差の延長のように、似て非なるもの。どんなに人語を話し、姿や立ち振る舞いが似ていても、彼らは町に住む犬猫同様なのだ。
亜人に友好的な人達も、動物好きな人と同じような感覚で彼らに接しているのだという。
つまり人と動物、立ち位置からして違うのだ。
だからこちらでは人権が認められている亜人も、一歩他所の国に行くときは、通常の身分証とは別に人権保障証というものが発行される。
いわゆる自由人としての証明と同時に、この者を差別し陥れる事を禁じる法令書となっている。
なんにしろ、人語を話して意思疎通できる相手を、そこまで分けて見れる感覚が俺にはよく分からないのだが、地球でも奴隷制がまかり通っていた時代はそうだったのだろうか。
「ランクの確認ですね。本部に連絡して照合しますので、結果は明日の午後以降になりますが」
受付嬢が俺のプレートを手に取りながら言った。
ここは地球と違ってオンラインという訳にはいかない。
連絡や書類等のやり取りは主に例のファクシミリーでおこなうようだが、それには魔石のエネルギーがいる。だから日に決まった時間にまとめてやる事になるらしい。それに相手先が調べる時間もかかる。
だからどうしても1日はかかってしまうらしい。
「うーん、そうか。時間かかるんだ。すぐに知りたかったけど……待つしかないかな」
俺は明日また来ることにして、それで頼もうかと思ったが
「待つのは面倒くさいな。直接本部に行って聞いてみるか」
「えっ、本部って何処だよ? 一般ハンターが行っていいとこなのか?」
「そりゃ決まってるだろ。王都だよ」
奴の転移で跳んだ先はどこかの家の裏庭のようだった。
横に納屋とその反対側に井戸があり、左右は別の店らしい建物の側面で、明り取りの窓はあるのだが、この庭に出る戸口はない。正面の家にだけ庭への通用口が付いていた。
後ろの蔦の絡まるレンガ塀に外に出る木戸が付いている。
すぐ近くに人気がないのを確認してから、隠蔽を解く。
『(おいっ、いきなり税関飛び越すどころか、人ん家(ち)に不法侵入じゃないのか)』
俺は声に出せないので、伝心(テレパシー)で言った。
『(大丈夫だ。知り合いの家だから)』
『(え?)』
その時、正面の建物の戸口の方から、パタパタやって来る足音がした。
マズいっ! ここの住人が来たっ。
カチャリと鍵を開く音がして、家人が顔を出した。
「ああ、本当だ。ヴァリハリアス様、ソーヤさん、お久しぶりです」
そこにはイアンさんが立っていた。
「あ、じゃあここは、イアンさんのお宅の?」
「そうだ、さっきナジャに連絡しといたんだ。今そっちに行くから連絡しとけって」
「ええ、ナジャジェンダ様から今さっき、急に連絡が入りました。頭に直接ですけど。
お2人が裏庭を使うのでよろしくと」
そりゃ神様ラインはダイレクトだからネットより早そうだな。
「それはすいません。急にお邪魔しちゃって」
「いえいえ、これくらいいつでも使ってください」
「そうだな、今後王都に来るときには使わしてもらうことにするぞ」
「おい、勝手なこと言うなよ」
「フフッ、立ち話もなんですから、どうぞ中に」
いきなり裏庭を使ってじゃあこれでと、立ち去る訳にもいかないので、少しお邪魔することにした。
「フィー、居間にお茶を3つ持ってきておくれー、アレを入れたヤツだよー」
階段を上りながら上に声をかけた。
前回と同じダイニングルームに通されると、テーブルの上で2人の女の子が広げた紙に、なにかお絵かきをしていた。
「あら、お客さん?」
壁際のソファに座っていたキャメル色の巻き毛の女性が立ち上がった。
「すいません、突然お邪魔してしまって」
俺はあたふたと頭を下げた。
そうだった。イアンさんは妻子持ちだった。いきなり来て迷惑だったんじゃないのか。
「いいえ、こちらこそ、ちゃんとしたところをご用意出来なくてすみません」
奥さんはごゆっくりどうぞと言いながら、双子に部屋を出るように促した。
双子は顔はそっくりだが、それぞれが親の髪色、イアンさんの濃紺と奥さんのキャメル色の髪色に分かれていて、イアンさんのような細かいウェーブをしていた。
顔はちょっと下ぶくれで、そこが子供らしく可愛かった。
3人が出て行ってメイドの少女がお茶が運んでくると、呼ぶまで来なくていいよと、イアンさんは人払いをした。
「今日は店も学校も休みなので、家内も娘達も家におりまして」
イアンさんはスコーンのような茶菓子を勧めてきた。
お茶はブランデー入りの紅茶(発酵茶)だった。
ひと通り最近の活動などの話をした後、俺はふと思い出して収納から物を取り出した。
「実はこの間フリーマーケットで、こんなのを売ってみたら受けが良かったんですけど、こっちでも通用しますかね?」
ガラクタ市で受けが良かったので、何かの時の贈答品用に、また100均ショップで買っておいたのだ。
「ああ、タオルと手鏡ですね」
テーブルに置いた品を見てイアンさんが頷く。
「確かにこちらではこのような柔らかい布や鏡は高価なんですよ。これをフリーマーケットで売ったんですか。ちなみにおいくらで?」
グっとちょっと詰まったが、誤魔化してもしょうがないので俺は正直に答えた。
「両方とも500エルです……」
「エッ? ごひゃくぅっ?!」
いつも落ち着いて話すイアンさんが、素っ頓狂な声を出した。
あー、やっぱりこちらじゃトンデモナイ価格だったのかな。
「あー、ああぁ……そうですよね。地球じゃそんなモノかもしれませんし……」
イアンさんは鏡を両手で持ちながら、1つ溜息をついて言った。
「私の時代も質によって価格は色々でしたから、これは安価なタイプなんですね?」
良かった、わかってくれた。
「そう、そうなんです。これ実は日本で流行ってる、百……ワンコインショップの品物なんですよ。それに庶民的な市で売ったので、それくらいにしたんですけど……。あの、もしこれをこちらで売るとしたら、幾らぐらいになります?」
「そうですねぇ……」
イアンさんはまずタオルを手に取ると、縁の縫い目や表面の生地を見たり、上下斜めに引っぱったりしてみた。
それを置くと、今度は鏡を手に取り、プラスチックの枠を撫でたりしていた。
「成程、プラスチック製の大量生産タイプなんですね」
こっちの人がプラスチックなんて口にすると、なんだか不思議な感じがするが、イアンさんは転生者で前世の記憶があるから当たり前か。
「私が地球にいた頃、戦時中に一気にプラスチックが普及したんです。戦争で金属が不足して、合成樹脂が代替えとしてね。当時は粗悪品も結構ありました。
これは一か所、縁に引っかかりがありますけど、気になるほどじゃないし、中々質がいいですね。気泡もないし」
「最近のワンコイン物も質が良くなってきてますからね」
「うーん……」
イアンさんはちょっと目をつぶり、斜め上に顔を上げていたが
「ウチで売るとしたら、このタオルは4,000前後でしょうか。綿のように柔らかくて厚手ですが、本当の綿ではなく化学繊維ですよね? ちょっとこちらでの価値がわからないので、低めにみてではありますが」
「それ確かにポリエステル100%なんです。イアンさんさすが、鑑識眼がありますね」
商人ってみんな、目利きがきくんだな。
あの商人上がりの男爵も見抜いてたし。俺なんかタグ見ないと全然わからないのに。
「フッフフ、そんなもんじゃありませんよ。実は、あれからナジャジェンダ様から頂いた能力を使ったんです。
今、ソーヤさんから教えて頂いた『マジックレンジ(電子レンジの事)』を製作中なんですけど、その先行投資というか、製作の補助にもなるだろうと」
なんと後付けで『解析能力』を授かったのだという。
そんな事もあるのか。
「アイツのお気に入りだし、神の許可が下りれば、そういう事もあるな。滅多にあることじゃないが」
ヴァリアスがお代わり用に置いていった、紅茶に入れるブランデーだけカップに注いで勝手に飲みながら言った。
「空間収納と解析能力は商人にとって、とっても有難い能力ですからね。もう授かった時には、僕は嬉しくて嬉しくて、興奮して眠れませんでしたよ。初日はやり過ぎて魔力切れになったくらいです」
イアンさんは一番欲しかったオモチャを貰った子供のように、とても嬉しそうな顔をした。
すいません、俺も持ってますけど、そこまで嬉しいとは思いませんでした。
何しろ初めての自己解析が『ミックス』だったし。
「あとこちらの鏡ですが、この歪みの無さと反射率も高くて映り込みもいいですから、9,000前後ですかね。
かなり高価な代物ですよ、こちらでは」
確かあのバッハ似の男爵も大銀貨1枚(10,000エル)ぐらいって言ってたから、適当に言ってた訳じゃなかったんだな。
「あの、これってこちらで売れますか?」
「そうですねぇ。カレイドスコープの時のように、貴族向けでしたら需要があると思いますが、ただ、柔らかいタオルや、質のいい鏡はすでにありますからね。名の知れたメーカーの物でないと難しいかもしれません」
そうか珍しい物じゃないから、ノーブランドは売れないかもしれないのかぁ。それなら……。
「じゃあ、これノーブランドだから安く販売したら、売れますかね? 例えばタオルは2,000、鏡は4,000、ううん、3,000とかなら」
「エエッ ?! そんなに下げるんですか?」
「ええ、なんとか商いとして売れるモノを探っている最中でして。もっともまだ商人の免許がないから直接販売は出来ないんですけど」
「う~ん、そうかぁ、確かにこんな良い品を売れないのは勿体ない……」
また目をつぶると、今度は頬に両手を当てて、顔を下向きに考え込んでいたが、少しして顔を上げた。
「では、試しにウチで限定販売でやってみましょうか? 価格の方はあまり安すぎるとダンピングと見なされてしまうので、一度商業ギルドに伺いをたてますが、どうでしょう?」
「ここで売ってもらえるんですか? ぜひお願いしますっ」
やった。イアンさんとこで委託販売できる。
「いや、あまり期待しないでくださいね。まだギルドが通してくれるかわかりませんので。
それに1回だけなら僕のとこの販売店の責任だけで済みますが、もし継続となるとソーヤさん自身の、こちらでの商人ギルドの登録が必要になるかと思います。高価なものですしね」
「そうかぁ、そうですよねぇ。続けるとなったら卸業者になるんですものね……」
これはそこら辺で、子供が小遣い稼ぎに薬草採ってくるわけじゃないし、工場の下請けで、主婦や子供が物を作って納品するのとも違うからなぁ。完全な転売だし。
「でも、いいです、それで。手応えがみたいんでお願いします」
あらためて出したタオルと鏡は、イアンさんにお土産として差し上げて、他に売れそうな物がないか、話しあった。
「おい、いい加減に行かないとギルドが閉まっちまうぞ」
しばらくして奴が口をはさんできた。ブランデーの瓶が空になっている。
「ああ、これはすみません。今日は何かご用事があって来られたのでしたね。ついお引き止めしてしまいました」
「いえ、こちらこそ。話に乗ってもらって。だけどそんなに時間経ったかな」
腕時計を見ると4時過ぎだった。たぶんこちらのギルドも6時の閉門までだろうから、そろそろ行かないと。
「ではどうぞこちらから。今鍵を開けますね」
イアンさんは1階に降りると、店のほうのドアを開けようとした。
そちらに廊下を抜けようとして、ピタッと奴が足を止めた。
「いや、裏から行く」
「えっ、わざわざ?」
「では、そちらの鍵を……」
「いい、お前は来るな。あとしばらく裏庭を覗くなよ」
イアンさんはちょっと驚いたようだったが、何か察したようだ。すぐに頭を下げると戻っていった。
「なにがどうしたんだ?」
俺はよくわからないまま、奴について廊下を裏口に向かった。
奴が裏口の戸を開けると、そのまま庭に出る。
壁の側にある井戸の前に誰かが佇んでいた。
その人は長い足元までの濃い青色のローブを着て、上に同じ色のケープを羽織っていた。
袖は幅広でとても長く、手が全く見えない。顔も同じく青色の鍔(つば)の広い帽子を被って、頭を伏せているので分からなかった。
体型は見事な卵型で、ウエストが一番太く、トーマスギルド所長を思い出せた。
その卵型がゆっくりと顔を上げた。
「久しぶりだな、ヴァリハリアス。30年ぶりか?」
「32年だ。なんだよ、わざわざこんなとこにやってきて、なんか用があるんだろ?」
俺はその顔を見て声を出しそうになり、思わず口を押えた。
その顔は丸い黒い目が極端に左右に離れ、鼻はなく、口の部分が尖っていた。いや、顔自体が円錐に近い形をしていた。
それは魚のそれそっくりだったのだ。
「話が早くて助かる。実は急ぎ教会に戻って欲しいのだ」
魚人の使徒は袖から半透明のヒレを出すと、ゆっくりと帽子を脱いだ。
******************
ベンタル通りは教会から歩いて20分ほどのところにある、いわゆるスラムに近い下町だ。とはいえ住民はゴロツキのような反社会性のある者が多いという訳ではなく、ちゃんと女子供、日雇い労働者など、ただ貧しい者が多い地区なのである。
ナタリッシアは以前、家から動けない病の老人などを見て回るのに、何度かこの辺りに来た事があった。
その時はコニ―が薬箱を持っての2人連れだったが、普通の貧民街として別に危険を感じなかったのも、この気の緩みを生じさせていた。
今回は以前行った事のある地区より少し奥だったが、別に問題ない。彼女はそう考えながら、老人の後をついて行った。
日当たりの悪いジメジメした細い路地を何本か抜けて、先に通りが見えたとき、片方の留め具が外れて斜めにぶら下がった『ロロック亭』の吊り看板が見えた。
「こちらでやす」
老人が正面のドアより離れた建物脇のほうに行きながら言った。
あまり流行ってないのか、ドアはもとより、正面の窓も締め切られていて、人の気配はうかがえなかった。
1階に人がいないのかもしれない。
ぐるりと建物の後ろに回った角に、裏庭に入る短い路地があった。
奥に手入れされてない、壊れたレンガやゴミが落ちている地面がチラリと見える。路地は人1人が通れるぐらいでとても暗く、ここにもゴミが散らばっていた。
だから足元の不自然な模様がうっすら見えていたのに気がつかなかった。
「キャアッ !!」
もう少しで裏庭に入る瞬間、急に全身を貫く衝撃に彼女は庭に転び倒れた。
高い岸壁からいきなり突き落とされたような激しい落下感と同時に、体中から力が抜けていく。
それと同時に彼女の体から赤紫の煙が立ち昇っていった。
事態に気がついた彼女は、なんとか力の出ない体を起こそうと土の上に手をついた。
「おー、上手くかかってくれたなぁ」
庭の納屋の陰から鷲鼻の男と2人の男が現れた。
路地のほうから老人ではなく、大男とアゴの尖った男がやってきた。
鷲鼻の奴隷商ブリガンは彼女の側に来ると、彼女の頭のターバンを掴んで乱暴に引っぺがした。
鮮やかなオレンジ色の筋が入った金髪が広がる。
「見ろっ! やっぱりだ」
両手で体を地面に伏せないようにするのがせいいっぱいで、顔に手をやれない彼女の耳が露わになった。
その耳は長くはないが、先が尖っていた。
「こいつはハーフエルフだ。痣とかで目元の違いを隠してやがったみたいだが、俺の目は誤魔化せないぜ」
自慢げに奴隷商はしゃがみ込むと「そらっ」と彼女の顎を掴んで顔を上げさせた。
痣が消えていた。
淡いピンクをふくんだ滑やかなアイボリーの肌には、染み1つない。青と黄の混色の瞳が、傾きかけた日の光を反射して、宝石のように輝いている。
すっと伸びた鼻筋に、今や悔しそうに結ばれた唇が赤みを帯びる。
美しい女が出現していた。
「こいつはワザと自分に呪いをかけてやがったんだ。都会じゃあエルフは、よく仮面で顔かくしてやがるけど、こっちじゃ目立つからな。この辺りが疫病の名残りがあるのを利用して、紛れ込んで誤魔化してやがったんだよ」
「さすがボス、目が利きやすね!」
顎の尖った男が路地に広げておいた、魔法円を描いた布を土を払いながら取り上げた。
「……あんた達、聖職者に手を出したらどうなるかわかってんの……」
やっと体を起こせるようになってきたナタリッシアが、忌々しそうに言う。
「おおっと、もちろんだよ、お嬢さん。だけどそれは表の話。裏じゃあね、出身や出所は関係ないんだよ。
要は品質、それが良いか悪いかってだけ」
それからグッと顔を近づけて、ヤニ臭い息で喋った。
「なかなかの逸品だ。こりゃあ魔石を使ったかいがあったというものだぜ」
そして彼女の腕を掴もうとした時、ナタリッシアが思いっきり、ブリガンを突き飛ばした。
ブリガンが後ろによろめき、大男にぶつかる。突き飛ばした反動で、後ろにゴロゴロとナタリッシアは転がった。
「ったく、手間のかかるお嬢さんだ」
ブリガンの言い方に大男、他2名の男たちもニヤニヤと笑う。
少し間をとってナタリッシアは立ち上がると、まわりの建物を見回した。
人が出てくる気配がない。
「残念だったな。ここは今やってない、空き家なんだよ~」
少しづつ彼女につめ寄りながら、下卑た男は舌を出して見せた。
が、彼女の意外な行動に立ち止まる。
彼女は腰に巻き付けてあった、緑色の紐代わりの蔓を素早く解いた。その片端を右手に握ると、強く一振りする。
男共の手前の草地がビシッと一筋えぐれた。
「おっ」
「最後にもう一回言ってあげる。聖職者に手を出したらタダじゃ済まないわよ」
「全く気の強い女だなあ」
一歩踏み込んだアゴ男が、左の頬を打たれてその場に尻もちをつく。
「なっ、てめぇっ!」
「なにしやがるっ」
もう1人と大男が同時に飛び掛かろうとした。
が、一歩後ろに下がりつつ振るった蔓は、まさしく生きているように、鋭く2人の男の頭や顔、胸などを同時に数か所刺すように打った。
「イッデェッ!!」
「ア゛痛っあぁっ! イッテぇー」
2人も思わず転げ込む。
「クソッ 何やってやがるっ」
ブリガンがサッと踏み込む。ナタリッシアが返す蔓の鞭をすかさず振るった。
バシッと咄嗟に顔を庇うように前に出した左腕に蔓が巻き付く。
それが解ける直後、ブリガンが右手で掴んだ。
「よっしゃ! 捕まえたっ。こうすりゃあい―― イッデェッ!!」
得意満面に紐を掴んでいたブリガンが、叫ぶと右手を振り上げた。その掌に血が滲む。
離した紐にさっきまで無かった筈の、棘のようなトゲが生えていた。それは一振りするとすぐに表面から消えた。
「このッ!! 植物魔法かっ」
植物魔法はその名の通り、植物に働きかける魔法だ。
ただこの場合、他の魔法と違うのは、植物の蔓という生物にある種の契約的繋がりをつくり操るという、傀儡魔法に似ていること。
だから精神が伝われば対象を操る事が出来る。よって魔法自体に対抗する護符はあまり意味をなさなくなるのだ。
「あんた達に使うのは勿体ないけどねっ。サッサとそこをどきなさい。すぐにしないと、今度は肉を裂くわよっ!」
蔓がシュンシュンッと風を切る。
彼女が手首を返して操るというよりも、それはまるで水の中の蛇のようにひゅるひゅると自由に宙を動いた。
4人の男は少し動揺して後退りする。
「こいつ、何してやんがるっ?!」
突然、宿の中で怒鳴り声と共にドタバタと争う音がした。
バンッと宿の裏庭に通じるドアが開くと同時に、老人と子供がもみ合いながら姿を現した。
「こりゃっ、こんガキがぁ、入り込んで覗きくさってやがったぁ」
掴まれた5,6歳の男の子がもがきながら、その茶渋色の腕に噛みつく。
「ぃでっ!」
老人が思わず手を緩めると、サッと子供は戒めを外して、路地めがけて駆け込んだ。
ガッ ! 横をすり抜けようとした子供に大男が、横に踏み込んで腕を一振りした。
その勢いで吹っ飛ばされた子供は庭に転がっていた、レンガに頭を打つと少し痙攣して動かなくなった。
ナタリッシアが悲鳴を上げる。
「おおっと、動くなよぉ。ちょっとでも変なマネしたら、トドメ刺すぜ」
すかさず子供のそばに屈んで、その細い首に短剣をあてがいながら、ブリガンが彼女に向き直る。
「このっ人でなしっ! 早く手当させてよぉ、死んじゃうわよっ」
「ああそうだなぁー。まずはその厄介なブツを捨ててもらおうかぁ?」
彼女はまさに血が出そうなほど唇を噛んだが
「絶対に治療が済むまで、手出ししないと約束出来る? でないとこの命に代えて呪いをかけるわよ !!」
「おっかねぇな。約束するよ。さすがにおれ達だってそう人殺しはしたくないからな。しかもベーシスのガキだし」
ブリガンがワザとらしく両肩をすくめて言った。
ほんの数秒立ち尽くしていた彼女は、やがて無言で蔓を下に落とした。すぐに手下の男がそれを拾い上げる。
「あと、その護符もな」
彼女は黙って首からペンダントを外した。
「さぁ、どきなさいよっ! 治療するんだからっ」
「いや、そいつは出来ねぇな。見張ってなくちゃ何するか、分かんねぇし」
ブリガンは子供の喉元から短剣を離さない。
ちょっと睨むと彼女はそのまま、子供の横に屈みこんだ。
小さな頭蓋骨に亀裂が走り、右側面に内出血が起こっている。子供の左手がプルプルと微かに痙攣していた。
落ち着くのよ、ナタリー。今は治療に専念しないと。
5人の男に囲まれながら、彼女は2度深呼吸した。そうして目の前の子供に集中した。
舌が喉の奥に丸まらないように、外したペンダントを口の中に入れた。そうしてゆっくりと顔を横に向ける。
無意識に吐いて、吐しゃ物で窒息させないためだ。
被害を最小限にするために、すぐに漏れ出した血液を血管内にゆっくりと戻す。
勢いよくやると血管が破れてしまう。同時に出来る限り、出来てしまった亀裂を再構築していく。血液を戻すと血管壁を再生させる。
だが、血液にさらされて傷んだ脳細胞や、圧力でへこんだ脳との隙間を戻すのは難しい。
まだ私には無理だ…………。
「おい、まだかよ」
焦れた奴隷商がピタピタと、子供の首に刃を当てながら言う。
「……お願い……先生にこの子を診せてあげて……。絶対助けてあげて……」
後ろからゆっくりとアゴ男が、隷属の首輪を彼女の細い首にまわしてきた。
「…………せんせぃ…………」
それが自我を失う前の、彼女の最後の言葉だった。
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