第29話 明日に向かって特訓
「宿の娘といい、お前女に弱いな」
雑居ビルを出たところでヴァリアスが言ってきた。
「しょうがないだろ。あんなお人形みたいな美人に手握られたら、誰だって動揺するよ」
「美人なぁ~。オレにはレッドアイマンティスの雌みたいに見えたが」
「――マンティスってカマキリかよ。それこそ失礼じゃないか」
「そうかぁ? 人形なんて無機質に例えるほうがよっぽど侮辱じゃないのか?」
「何っ そうなのか ?! そっちではそれって蔑称なのか??」
「ん? どうだろうな、オレはそう思っただけなのだが」
あんたの意見かーいっ! それ一般的じゃないだろっ。たぶん。
だけど日本では当たり前に使ってることが、外国じゃマナー違反だったり文化の違いがあるからな。
ましてや異世界じゃ相当違うかもしれない。
俺が誉める意味で使った言葉が、意外と相手をけなす事になるとしたら……。
ちなみにレッドアイマンティスとは平均3.5メートルくらいの魔虫で、こちら同様、雌が交尾の時に雄を食べる習性があるらしい。
その際、内側が真っ赤な口を開ける際の顔が、いつも無表情なのに笑うように見えるのだそうだ。
雌の口の内側は赤に大して雄のは緑色なので、それで雌雄を見分けたりするらしい。
いや、魔物の情報も必要かもしれないけど、もっとあちらでの一般常識が知りたいんだけど俺は。
って、ヴァリアスに聞いて偏った情報になるかもしれないしな。
しょうがない明日他の使徒様に聞いてみよう。
大通りを道沿いに歩いて行くと某有名デパートが見えてきた。
地下の食品売り場やギフトコーナーをまわり、スパイスなどを購入。
使徒のヒトに渡すお土産代は、ヴァリアスが仲間の分は払うと言って譲らないので任せた。
確かに食べるヒトなのか、どこかの楽屋にでも差し入れにいくのかと思うくらいの量を買っていた。
それにしても最近はずっと、自炊か近くのスーパーですませていたので、久しぶりのデパ地下の食品売り場には目を引かれる。
普段だと美味しそうだけど高くて手が出しづらかった『国産鰻重』や『神戸牛のヒレカツサンド』なんか買っちゃおうかな。
収入もあったことだし。
あっ もちろんヴァリアスの分も買ってくよ。何人分なんだ?
宿に戻って来ると、ちょうど修道院の9時の祈りの鐘が鳴った。
「どうする? これからギルドに行って何か依頼でも見に行くか?」
「そうだなぁ。明日もある事だから今日は魔法の練習がいいかなあ」
ちょっと習いたい魔法があったんだよね。これからの季節に役立ちそうな風魔法だ。
これを上手く使えば暖房代が浮くかもしれない。
1階に下りると食堂でリリエラが給仕をしていた。俺達を見ると軽く手を振ってくれた。
やっぱり妖しすぎる美しさより明るい笑顔のほうがホッとする。
中央広場を通るとギルド前であの水売りがいた。
ここでは噴水は鑑賞用だけでなく、貴重な水場として飲んだりもできるそうなのだが、その噴水のある広場で商売しているのだからちゃんと需要があるんだろう。
俺もちょっと彫像から流れ出ている水を手に受けて飲んでみた。
水道水とは違って確かにカルキ臭のない天然水だ。
俺はDバッグから空の2Lのペットボトルを2本出す。この為に捨てずに取っておいたのだ。
「毎度どうも!」
俺の顔を覚えていたらしい水売りが、ペットボトルを持っている俺に声をかけてきた。2本とも満タンに入れてもらってその場で少し飲む。
うん、やっぱり違う。こっちはただのミネラルウォーターじゃないな。
「お前この水が気に入っているようだな。なんならこの水が湧き出るところに行ってみるか?」
「うん………ちょっと気になるけど、他人の秘密の狩場を荒らすみたいでやめとくよ。そんな高いもんじゃないし」
「フッ、お前らしいな」
いつもの大岩のある草原には子供達がスライム狩りをしていたので、森沿いに少し歩いて、大岩が見えなくなるぐらいの位置でやる事にした。
ちなみにこの森の名前はセラピアという名前だった。
今回の目的は、エアコンの代わりに温冷風を操れるようになること。
俺は涼風や温風を楽に持続する事が出来ればOKだったのだが、もちろんそれだけで済むはずがなく、基本ができるようになった途端、真空だの竜巻だの空気を激しく動かすことをやらされた。
ちょっと変わったのは遮音魔法。
遮音するには色々やり方があるようだが、空気の振動を弱める、もしくは無くして音が伝わらなくなるという方法があるらしい。
攻撃補助としては、相手が詠唱するタイプの魔法使いの時に詠唱の邪魔が出来たり、魔物が仲間を呼ぶのを防いだりとかに使えるらしい。
「ただ、自分に使う時には気を付けろよ。空気の振動を無くすと空気が動かなくなるから、その中にいたら息が出来なくなるからな。中身全部じゃなく壁のように膜を張るイメージにしろ」
それかなりの攻撃魔法じゃない?
なんか今朝のシャワーの時といい、やっぱ魔法ってちゃんと使いこなせないと怪我しそう。
よく言う生兵法は怪我のもとってやつだな。
遠くで昼の鐘が鳴った。もうそんな時間か。確かに腹減った。
その場に座ってデパ地下で買った『神戸牛のヒレカツサンド』を食べる。
うん、パンもカツもお値段なりにとても美味しい!
たまの贅沢だし、晴れた日に青い草原で遠くに山々を見ながら食べるのはまた格別だ。
ヴァリアスはパンが柔らか過ぎるとか言ってたが、相当食べてるぞ。
昨日も骨付き肉、骨ごと食べちゃったし、まぁ今後ヴァリアスに出す食べ物関係はジョーズ基準で考えた方がいいのかな。
英気を養う水を飲みながら一服して、さっき思いついた方法を口にした。
「さっきのさ、アレンジしてこういうのも出来ないかな?」
考えた1つの攻撃方法を話してみた。
それは真空にするやり方の応用で、空気から酸素だけ抜く『酸欠攻撃』だ。
もし地球と同じような呼吸をしているなら、すぐに戦闘不能に出来る可能性が高い。
しかも痛みも感じさせずに殺傷することも。
この前のような兎狩りのような事を今後しなくてはいけないなら、せめて出来る限り、苦しませずに倒したいとも思ったからだ。
「面白い事考えるな。
確かに動物系の魔物なら、人間と同じ呼吸をしているのが多いから効果あるだろう。
魔力の強いヤツは生命力も高いから、即死は無理かもしれないが、やってみる価値はあるな。こっちじゃ空気の構成成分まで気にするのは学者ぐらいだから、今まで無かった魔法だしな」
そういうと空中から大きめのランプを取り出した。
中には火が灯っている。
「この中の酸素だけ消してみろ。火魔法じゃなくてあくまで空気を意識しろよ。どっちで消えたかオレはわかるからな」
うーん、空気のみを意識したいのだが、どうも火を見つめているとそっちに意識がいってしまいがちだ。
中の火が揺らめく。
「おい、今、火を操作してるぞ。火を消すことじゃなく、空気を意識しろ」
なかなか難しい。
何度かやっているうちに、酸素を無くすというより、一酸化炭素とか窒素とかに入れ替える操作のほうがやり易いのに気が付いた。
しばらくやって小休止していたら
「気分転換に軽く体を動かすか」と言ってきた。
「今度は森の中に行くぞ。靴も新調した事だし、ここからは走るからな。あと走りながら出来る限り索敵しろ」
「えっ 歩きながらじゃなくて走りながら? 難易度高くないか? まだ無理だろ」
「慣れればどうって事ない。本当は別の魔法も動きまわりながら出来るようにしたいんだ。
とりあえずこれは基本だな」
「普通、魔法って動かずに腰据えてやるもんじゃないのか?」
「誰かとパーティでも組んでやるならそれでもいいだろう。チームなら誰かが守ってくれるからな。
だけどお前は今基本ソロだろ? 防御も攻撃も索敵も全部1人でやらなくちゃいけないんだぞ。
スタンドファイトなんかしてたらすぐにやられるからな」
なんか全部1人でって俺の人生みたいだな。
これからもやっぱり1人のなのかなぁ。
「出来るに越したことないだろ。じゃあついて来い」
そう言うとヴァリアスは森に向かって走り出した。
俺も慌ててついて行く。
森の中はもちろん並木道の樹のように枝の手入れなんかされていないし、地面は岩や根っこで凸凹だ。
その中をヴァリアスは楽々枝を避けながら通り抜けていく。
俺は横に伸びる枝や足元に注意をはらいながら、なんとかブツ切りに索敵をし続けた。
だけど探知波を出しているだけという感じで、気配を感じられているのかよくわからない。
奴はそんな状態の俺が、ギリギリ出せる全力の速度を保って走っている。
もうなんのスポコンなんだよ。
少し行ったところでヴァリアスが立ち止まった。
「この辺でいいかな。いきなり実戦は危ないから、今回は代役をたてるぞ」
地面からボコボコと泥が盛り上がってきた。
それは下のほうに穴が開き、前に大きな塊が突き出してきて、みるみるうちに四つん這いの姿になった。
しかもかなりデカい。3メートル近くあるんじゃないのか。
顔は無いが、胴体や手足の太さといい熊のようだ。
「手段はなんでもいいからコイツから逃げ切ってみろ。もちろん逃げるだけじゃなくてコイツを倒してもいいぞ。剣だけじゃなく魔法使うのももちろんありだ」
「はあっ?! それって実戦と変わらないじゃないか!
しかもこんな足場の悪いとこでか? せめて草原でやらないか」
俺は周囲を見回した。
斜めになった地面には、あちこちにくねった木の根が岩同様、足場を凸凹にしていた。
「敵が時と場所を選んでくれると思うか? こういうのは出来る限り早く慣れたほうがいい。
10秒待ってやるから先に逃げろ。魔力も十分にあるから30分間逃げ切るか、もしくは倒してみろ」
「ふざけんなよっ! 30分って長すぎだろっ」
と言いつつ時計を確認してしまう。
泥人形が太い足を踏ん張って俺に向かって咆哮してきた。
目も鼻も無い顔に口だけが大きく裂けた、エイリアンのような泥熊になった。
開いた口に歯の代わりに石が生えている。
「10、9、8、………」
「馬鹿ヴァリーッ!! ったく このドSがっ、全然気分転換の走りじゃねぇぞっ!」
「わかった、わかった、文句は後で聞いてやるからひとまず走れ。時間無くなるぞ。
―――ドSってなんのランクだ?」
俺は目一杯身体強化して走り始めた。
走りながら神経を後ろに集中しているせいか、泥熊が猛ダッシュしてきたのをはっきりと感じた。
俺自身も今までにないくらいの速さだと思うのだが、それ以上に熊の奴の勢いが凄い。
実際に枝をバキバキ言わせて走ってくる音が段々大きくなってくる。
模擬戦とはいえサバイバルゲームの比どころじゃない。
かなり恐い。このままじゃ逃げ切れない。
どうする、樹に登るか?
走りながら空間収納から出した軍手をもどかしくつける。
たぶん後ろ50メートルを切ったと感じた時に、比較的幹の太い高い樹に跳びついた。
そのまま枝や蔦を掴みながらよじ登る。
木登りなんか小学生以来だ。身体強化のおかげで、我ながら猿のように早いと思う。
ドカンと樹全体が揺れた。
あの泥熊が樹に体当たりしたのだ。
落ちないように枝を強く掴んで下を見た。
泥熊がこちらを見上げて重低音で唸っている。
と、丸太のような前足を幹に叩きつけたかと思うと巨体を揺らしながら登り始めてきた。
しまったっ! 熊って木登り出来たんだった。
泥だから土魔法効くか? 俺は熊の体が崩れるようにかけてみた。
泥熊は動きを止めて少し小刻みに揺れていたが、ブルッと大きく身震いするとまたガシガシ登り始めた。
そんな簡単じゃないか。じゃあこれならどうだ。
熊の頭から背中に向かって炎を発した。相手が生物じゃないので思い切りやれる。
熊は炎に包まれながら咆哮した。これで泥が崩れてくれないか。
が、頭と背中を燃やしながら登ってくるのを止めようとしない。
マズい、このままじゃ俺にも火が移りそうだ。
熊の手が俺の足に届きそうになった瞬間、俺は飛び降りた。
身体強化したとはいえ足元が悪くてちょっと後ろに転んだ。
すぐに飛び起きて身構えると、熊が大きな音を立てて尻もちをついて落ちてきたとこだった。
すぐに走って距離をあける。
直接かけるのは駄目だったけどこれならどうだ。
俺は
泥熊の胸と右腕に大きな音を立てて突き刺さる。
そこにビキッとヒビが入った。
イケたと思ったが泥熊は怯まず突っ込んできた。
ヤバいっ! 慌ててファルシオンを取り出すと熊を包んでいる火を消した。
熊は大振りだが勢いよく右手を振ってきた。
だがその大振りのおかげで右側に一歩避ける事が出来た。
上から思い切り右腕のヒビの入った部分を、剣の背に左手を当てて両手で叩く。
ガツッ と凄い手ごたえ。
まさしく岩を叩いたようだ。身体強化してなければ剣を落とすとこだった。
ぶっとい腕に剣が半分めり込む。
あれっ 剣が抜けねぇ!
次の瞬間、左手で足払いを喰らって思い切りひっくり返った。
背中を打ちつけたと同時に大きな黒い顔が視界を覆ってきた。
そこで熊は動かなくなった。
「降りるぐらいなら別の樹に飛び移るなりすれば良かったんだ」
ヴァリアスが熊の後ろから現れた。
俺は熊の下から這い出した。
「俺は猿じゃないぞっ……ったく無茶させやがって」
「いやお前なら出来るだろ。出来ないと思い込んでるからだ。失敗覚悟で色々やってみろ」
「簡単に言うなよ。こいつは魔法があまり効かないし、硬かったし……」
俺は熊の右腕に刺さっている剣をメリメリ引き抜いた。
「まぁコイツは大体Dランクの中位ぐらいに設定したから、すんなりクリアはまだ難しかったろうけどな」
「はぁっ? 俺ってまだFランクなんだぞ。いきなりDは無理だろうが」
「そうでもないぞ」
そう言ってそのまま固まっている熊の頭をコツコツ叩いた。
「さっきヒビを作ることは出来ただろ? 続けて同じポイントに打ち込んでれば破壊することも出来たかもしれないぞ。
直接土魔法が利かなくてもコイツは空を飛べないんだから、落とし穴を作るなりやり方はいくらでもある。
それに地面や他の枝に転移することもやれたはずだ」
あっ それは思いつかなかった……。いざとなるとそんな単純な事も考えつかなくなる。
「場数を踏めば手数も自然と増えてくる。それにお前は確実に進歩してきてるよ。
一週間前から比べたら雲泥の差だ」
確かに一週間くらい前に熊なんかに出会ったら、対抗するどころか足も動かなかったと思う。
なんか認めるのも悔しいが、俺が出来るギリギリのところをやらせているようだ。
「だけどなんでいきなりDランクなんだ。Eランクから始めてくれても良かったんじゃないのか?」
「Dランクってのはな、ある意味お前が気にしている事の目安になるんだよ」
「何っ?」
俺は服から土を払う魔法の手を止めた。
「ハンターはな、大体Dランク辺りから家庭を持つ奴が多くなるんだ。それは何でだと思う?」
「………ランクが一段落して私生活も落ち着きたくなるからか? あと女からも一人前に見られるとか」
Eまでは銅プレートだけど、Dから銀プレートになってそれなりに箔が付くような気がする。
俺はペットボトルの水を取り出した。
「半分当たりだ。それはな、贅沢しなければ家族を養えるぐらい稼げるようになるからだ」
「あ………」
「共働きなんか当たり前だが、子供が小さいうちは母親は稼ぎが少なくなる。短い時間で家賃を稼ぐ為に私娼したりする女もいるんだ。
こちらはお前の国より性を商売にする事には寛容だ。国営もあるしな」
「え……奥さんに体売らすのか……? ちょっとそれは……俺は嫌だなぁ」
「もちろん平気じゃない男のほうが多いぞ。それに女だって好きでもない男を相手になんか、できればしたくないだろ? だから男の稼ぎが重要になるんだよ。
その目安がDランクなんだ。こなす量にもよるが、Eランクに比べて一度に稼げる仕事が増えるからな」
『稼げる=一人前』なのか。
単純だけど当たり前の考え方かもしれないな。
好きだけじゃ食っていけないし。
「どうだ、少しはやる気になったか?」
「うーん、そう言われたらやらざる得ないよな。……そう簡単にいかなさそうだけど」
俺はパーカーを見た。ずいぶん樹に擦り付けたけど、目立った傷はないな。
「そうでもないぞ。お前さっき動きながらは無理だとか言ってたが、走りながら身体強化以外に索敵も発動させてただろ」
「えっ? あっ……そう言われると必死だったから……」
「お前は危機を感じると全力が出るタイプなんだよ。慣れてくれば自然に出来るようになる」
泥熊が急にグズグズ崩れたかと思ったら、今度は2メートルくらいに小さくなった。
いや、これでもデカいとは思うが。
「次は難易度を下げてEの上級くらいにしとくか」
ちょっと水飲む暇くらいくれないかな。
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