第28話 異世界通貨を日本円に換金する(日本橋の天女)

 

 亜空間の門の霧を抜けた場所は、白くてドア以外何も無い部屋だった。

 窓があるらしい部分にも白いパネルが貼ってあって、外が見えないようになっていた。

 ドアを開けるとすぐ目の前に上下の階段があった。

 横の壁に『5F』と表示され、ドアには『STAFF ONLY』と書いてある。

 エレベーターを挟んで左手にもう一つドアがあり、ドアに『●●●●● FINANCE』というプレートが付いていた。


 ふと思ったが、俺はパーカーにジーンズのまま。地元じゃないのでちょっとアレじゃないか。

「ドラえもん、じゃなかった、ヴァリアス、これこの間のジャケットに変えてくんないか?」

 パーカーを上野で買ったツイードジャケットそっくりに変えてもらう。

「オレはついでに換金してくるから、先に行っててくれ。すぐ追いつく」

「わかった」 

 俺はそのまま階段を下りた。


 外に出ると雨がそぼ降っているので、慌ててレインコートを出す。

 そうだ、こっちはまだ雨が降ってたんだ。

 あちらに行くとき傘の概念がなかったので持ってこなかったのだ。

 ビルを振り返ると1,2階がスタバのようなコーヒーショップで、他に居酒屋などが入った雑居ビルだった。すぐ右手に大通りが見えたのでそっちに行ってみると、知っているバス通りだった。

 うん、これならわかる。

 そのまま信号を渡ろうとすると後ろから声がかかった。

 ヴァリアスがもう追いついて来た。

 ヴァリアスはレインコートではないのだが、不思議と雨に濡れていなかった。

 いや、せめて傘くらい差してくれないと目立たないか?


「早かったな」

「いや、まだ換金してない。実は久しぶりにレートを確認したら以前と変わって随分上がってたんだ。たぶん等価交換くらいになってる。

 現金を替えるなら今が良いかもしれん」

「えっ それってあちらのお金をこっちに交換しても損しないって事?」


 ドラゴンの牙代700万エルのうち400万は預けてしまって、今手元にあるのは300万だが、等価交換ならこちらのお金でもかなりの額なのではないだろうか。

「今回こちらに久しぶりに来た時は、銀行にしか行かなかったから気が付かなかった。古い貨幣を交換するだけだったんでな。

 やはりこまめにチェックしなくちゃいかんな」

 俺達は先に換金すべく、また雑居ビルに戻った。

 

 階段でまた5Fに上がる。

 ヴァリアスは基本エレベーターは使わない。というか俺の基礎体力向上の意味もあるらしい。

 いつか東京タワーとかに行ったら階段で展望台まで登らされそうだ。

 

 先ほどのもう1つのドアの前に来る。

「ここって……消費者金融だよね?」

「そうだ。表向きはな」

 そう言うとドアを開けて中に入った。

 

 中には正面に3つの椅子が並ぶカウンターがあり、その奥にはスーツや事務系の制服を着た人達がデスクでパソコンを操作していた。

 左手に観葉植物と衝立で仕切られたソファとテーブルがある。

 よくある小さな銀行の受付っぽかった。


「こっちだ」

 そのまま右手に歩き出す。

 突き当りに青いドアがあり、その横に眼鏡をかけたスーツ姿の七三分けの男が立っていた。

「恐れ入りますが、そちらの方は初めてでいらっしゃいますね?」

 俺のほうを見て男が言った。

「そうだ。オレが保証するから入って良いだろう?」

 と、ヴァリアスが何かハンタープレートとは違う青と赤2色のカードを見せた。

「かしこまりました。ご紹介とあれば結構です」

「ここは紹介がないと初めての奴は入れないんだ」

 そう言いながら青いドアを開けると、短い通路になった先に赤いドアがあった。

 その赤いドアを開けて入ると、一瞬空気が違ったように感じた。

 

 そこはかなり天井の高いドーム状の部屋だった。

 見上げると映像でも流しているのか、天窓のようなパネルに青い空が見えていた。まわりの壁は白く、俺達が入って来た赤いドア1つしかなかった。

 中央にポツンと丸いカウンターがあり、20代前半くらいの、白いブラウスに紺色のベストの女性が座っていた。


 烏(からす)の濡れ羽色というのだろうか。

 最近日本でも見ない見事な黒髪は、前髪と両サイドをバッサリ切ったかぐや姫のようなカット。切れ長の目にほっそりした鼻筋、白い頬に唇だけがやたら赤く目立っていた。

 なんか凄い美人でまるで日本人形のようだ。


「いらっしゃいませ。ご換金ですね」

 ニッコリ笑う訳でもなく、無表情のまま人形が喋った。

「ああ、オレとコイツだ。コイツは新規で扱って欲しい」

「どうぞお掛けください」

 いつの間にかカウンターの側に2つの椅子が出現していた。

「こちらの方は失礼ですが、日本の方ですね」


「そうだ。オレの星との混血ミックスだがな。身元はオレが保証する」

 人にミックスって紹介されるの、なんか雑種になった気分……。

「かしこまりました。東野蒼也様、この度はお越し下さいまして有難うございます」

 えっ 俺何も言ってないのになんでわかるの?

 ヴァリアスが先に言ってた?

「ここは異界だ。目の前の者は人間じゃないぞ」

 俺の様子に気が付いたヴァリアスが言った。


「私、日本国を担当をしておりますので、お顔を見ればわかります。

 それでは換金の前に今一度レートを確認なさいますか?」


  彼女が綺麗な人差し指と中指で俺達の前の空間をピンチすると、目の前に青い半透明なパネルが出現した。

 そこには本日の日付と為替レート『アドアステラ:レーヴェ大陸共通通貨エル 1e= 地球:日本円 ¥2.32』となっていた。

 ちなみに手数料込みのレートらしい。

 確かに日本と今までかかったあちらでのお金の価格対比だと、2対1くらいの感じかもしれない。

「50年程前に来た時は ¥ 0.86だったから、それに比べてかなりの円安になってるが、何か理由があるのか?」


 その質問に彼女はふとヴァリアスではなく、俺のほうに視線をはわせてから答えた。

「実は最近天使達の間でRPGゲームなるものが流行っておりまして、お客様のような星に渡航する者が増えて需要が高まっております」


「RPG…?」

 ヴァリアスが少し片眉を上げた。

「それって……ドラ〇エとかですか?」

 俺は何となくピンときて訊いてみた。

「そうです。以前はSFアクションや軍事シミュレーション系が多かったのですが、ここ2,30年でそのような冒険ファンタジー系が半数を占めております」

 天使もゲームとかやるんだ。以外と人間臭いとこあるんだな。


 というか彼女も天使なのだろうか。だったらこの蛇の化身のような美しさも納得がいく。

 今は翼が見えないが、あのドラゴンのように隠しているのかな。

 それとも日本の天使は昔話の天女のように羽衣とかを使うとか?


「おい、いくら換金するんだ?」

 ヴァリアスに言われて空想を止めた。

 カウンターを見るとヴァリアスはすでに換金手続きを済ませているらしく、ドラマでしか見た事がないような札束の山が出現している。

 見ている前でそれは一瞬で消えた。

「わ、私は300万エルで」

 くたびれた小銭入れを出すと、そこから大金貨3枚を出した。


「300万エルですと6,960,000円になりますが、宜しいでしょうか?」

 700万近くか……。レートを見て予想は出来たけど、あらためて聞くと凄い金額だな。

「はい、それでお願いします」

 返事した途端、俺の前に札束が6束とバラ札、小銭がコイントレーに載って現れた。

「どうぞお確かめください」

 解析したし、天使が騙したりしないだろうから大丈夫だろうけど、バラ札と小銭だけは形ばかりに数えた。

「はい確かに」

 バラ札を財布に入れようとしたがそんなに入らない。

 しょうがないので端数の6万円だけ入れてあとは収納しよう。


「失礼ですが、こちらはすぐお使いになるご予定はございますか?」

 札束を収納しようと手を伸ばした俺に、天使人形が訊いてきた。

「いえ、とりあえず貯金しようかと思ってますが……」

「では是非、当社のバンクにお預けされるのを推奨させて頂きます」

「え……ここでも銀行あるんですか?」

 それはちょっと驚きだったが、ギルドだって銀行があるんだから金融関係には当たり前なのか。


「はい、当社のグループ会社で本店はドバイですが、全国に支店がございます」

 ドバイって俺のような庶民には遠い存在の、金持ちがやたら住んでるイメージの国際的な都市だよな。

 地球の天使のネットワークすげぇな。

「いや、今回は止めときます」

 これは老後資金として郵貯に入れておこう。


「では今回の金額は税務署に申告される予定はありますか?」

「いえ、ないですけど?」

 そんな事考えた事なかった。

「再三失礼申し上げますが、お客様の地球での年収ですと、今回の金額のほうが上回ります。それを申告せずにいた場合、もし税務署に見つかれば脱税とみなされる可能性があります」


「えっ脱税!?」

「そんなの見つからなければいいだけだろう」

 すかさずヴァリアスが口を挟む。

「日本の税務署、特にマルサは優秀です。彼等は取りやすいところ、不明な収入のところから徹底的に攻めてきます。申告以上の収入の気配があれば調査が入るでしょう。

 その時どのように申告をされる予定ですか?」

 相変わらず表情が人形みたいなのに口調が押してきた。

 税金のことなんか考えてなかったよ。


「えと……競馬で大穴当てたとか……」

 俺は競馬をやったことはないが、ビギナーズラックとかでありそうだし。


「競馬の当選配当金は一般に一時所得とみなされます。

 特別控除は年間最大50万と経費は差し引かれますが、競馬の場合、経費として認められるのは当たり馬券のみです。

 外れ馬券がいくらあっても例外を除き、経費として認められません。

 例えば今回10万円分が当たり馬券として696万円の配当と得られたとすると、ざっと23万円近くの税金がかかります」(注:2019年時の税率です)

 さらに人形が畳みかけてきた。


「ですが、これも競馬で得たと証明できればの話です。

 いつどこでどのレースを買い、どこの窓口で換金したか証明できなければ、不正収入とみなされる可能性があり、また追徴課税で最悪、全額近く没収となる場合があります。

 もちろん他のギャンブルで得た賞金も同じです」


 その時、なんで人形みたく感じるのか気がついた。

 彼女はさっきから瞬きを一回もしていない。長いまつ毛が1mmも動かないのだ。

 その凍りついたままの残酷なまでに美しい黒い瞳が、俺の目を真っ直ぐとらえていた。

 俺は急に心細くなって隣を振り返った。

 

 ヴァリアスは腕組みをして珍しく困ったような顔をしていた。

「……すまん、オレはこちらの税の事はよく分からん」

「お話 続けて宜しいでしょうか?」

 なんかもう蛇に睨まれたカエル状態だ。もう頷くしかない。


「もし当社のバンクにお預け頂ければ、税金対策サービスをさせて頂きます」

 細い白い指が、1枚の細長い紙をカウンターの下から取り出した。

「これは某宝くじです。1枚300円ですがこれをご購入ください。宝くじの当選金なら非課税ですので」

「これで当たった事にすると?」


「そうです。我々はこれを『神隠し籤』と呼んでいます。

 当選者の中に紛らわす事など管轄の日本国内なら操作可能。もちろん正式な当選者に影響は出しません。

 人間にはどんなに調べても、当選人数が増えてるかさえ分からないでしょう。何しろ本店はドバイですが、本社はから。

 完全な治外法権ですし、万一税務署に目を付けられても、当社が処理対応します。お客様には安心してお預け頂けます」


 ふと人数さえうやむやにしてしまうくだりが、子供の頃聞いた昔話を思い出させた。

 お寺の境内で遊んでいた10人近くの子供が、ふと気が付くといつの間にか人数が増えている。

 しかし皆で確認しあっても始めからいた顔しかいない。

 なのに何度数えても1人増えている。座敷童が入ってきたと子供達は一目散にそれぞれの家に帰るという話だが、別に被害がある訳ではない。

 害がないならそのまま遊べばいいじゃないかと子供の頃俺は思ったが、怖いのはその違和感なのだろうと大人になって思い至った。

 今回のは当選人数も合わせてしまうのか。どういう仕組みなのだろう。


「……それは入金するたびに毎回籤を買うという事ですよね?」

「いえ、これ1枚で合計10億円まで対応します。分割で賞金をお渡しする設定にしますので。

 それ以上の入金になってから2枚目をお買いいただければ結構です」


 10億ってそんなに簡単に貯めるって言える金額じゃないよな。

 あ…でも今後貯めなくちゃいけないのかな。

 大体物価も上がるだろうし、俺の老後って何十年か何百年かわからないから、一体どれくらい貯めなくちゃならないんだろう?

 うーむ……。

仮令たとえまたリーマンショックのような金融危機が起きようと、年金が無くなろうと、お客様から預かったお金はわが社が必ずお守りします」


 ふと人形は何かに気が付いたようにトーンを落とした。

「失礼いたしました。大事なポイントをお伝えておりませんでした。

 本日の利回りですと普通預金は1.3%、定期預金ですと5年満期は2.5%、10年満期で3%です。

 途中解約の場合、普通預金の利回りとなります。

 ただし、この利息に関してだけは日本の所得税がかかりますが」


「入ります」即決した。

 最近の低金利だと0.1%無いのも多いから、1%を超えるのは魅力的だ。

「有難うございます」

 人形は軽く絹のような髪を滑らして頭を下げた。


 どうせすぐには使わないだろうから10年定期にしようかな。少し手元に残しておきたいから切りの良い金額にしておこう。

「じゃあ600万を10年定期でお願いします」

 俺は残っていた札束のところに神隠し籤代300円を出した。


「かしこまりました。それでは手続きいたしますので、お手をお借りしていいですか?」

 こちらでも血を取るのかな? とりあえず右手を出す。

 人形が俺の手をそっと握ってきた。

 その白い手はマシュマロのように柔らかく、赤ん坊のようにすべすべした肌だった。

 そしてほんのり温かかった。


 俺の手を握ったまま、彼女はカウンターの上に青赤2色のカードを出して、空いたほうの手をかざした。

 カードが蛍の光のように淡く光り始める。


 それをぼんやり眺めていたら人形と目が合った。

 フッと赤い花弁のような唇がほんの僅かに笑みを浮かべたのを見て、俺は急に手を握っていることを意識してドキドキしてしまった。


「はい、これで手続きが終わりました」

 俺の手を離すと、光が消えたカードをそっと差し出してきた。


「これはキャッシュカード兼通帳となります。この裏面に手を当てて頂きますと、残高とお取引の詳細が出てまいります」

 また能面のような顔になった彼女が説明した。

 俺は言われた通りに裏面に手を当ててみた。

 すると上にB6くらいの青いパネルが出て来て、一行めに今日の日付と入金した金額が表示されていた。


「ちなみにそのパネルは、お客様本人にしか視覚化出来ません」

「お金を出す時は、こちらか他の支店のみですよね?」

「いいえ、全国のATMでお使い頂けます。このカードを使っていただければ、日本国内ならこちらにリンクします。

 お手続きは以上ですが、他にご質問ございますか?」

「いや、今のところないです」

 どこでも出し入れ出来るなら、とりあえずOKだ。


「それでは本日はご新規口座開設頂き、誠に有難うございました。またのお越しをお待ちしております」


 人形は綺麗に頭を下げた。

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