第6話 鬱と魔力切れ

 20代の頃、俺は一世一代の大失恋をした。

 この人と一生を添い遂げたい思っていた、当時つき合っていた彼女に、今まで誰にも教えなかった秘密を打ち明けたのだ。

 それは俺の特殊な体質、怪我が異常な速さで治ることだ。


 あのころ俺も青かった。

 一緒になる人に秘密があったらいけないと思って見せてしまった。

 たまたま腕に怪我をした時、病院に行こうと焦る彼女に、いつもならごまかして治っていくのを見せないのだが…………。


 彼女は驚いたあと、みるみる俺を化け物でも見る眼付になって、あきらかに怖がっている様子だった。

 しまった……と思っても後の祭。

 その後、彼女はさすがにこの事を誰かに話したりはしなかったようだが、連絡しても返事が来なくなり、そのまま疎遠になってしまった。

 失恋の痛手も辛かったが、彼女の反応に俺は20年近く、心の奥底に押し込めていたパンドラの箱を開けてしまった。


 “異常体質だから親に2度も捨てられたのじゃないか” 

 『捨てられた子=要らない子』という歪んだ固定観念。

 また人に見捨てられるかもしれないという不安と恐怖。

 仕事中でも、彼女が初めて見せた忌まわしいものを見るような目と、俺の生い立ちを教えてくれた保母さんの、憐れむような顔がいやおうにも思い出され、ミスが多くなった。


 失敗が多くなった事に焦り、注意しようとすればするほど、指の間からこぼれるように簡単なミスをしやすくなる。

 ミスするたびに罪悪感と情けなさが、澱のように頭に溜まっていった。

 何とかしないと会社でも、要らないものと切り捨てられるかもしれない不安が、グルグル頭の中をまわるのに焦れば焦るほど空回りした。


 上司から注意を受けることが重なり、心が疲弊した。

 食欲もなくなり、楽しみにしていた外国ドラマの新シーズンが、レンタルされても全く興味を失っていた。 

 眠りも浅くなり、夜中に何度か目が覚めた。


 そのため日中ずっと疲労感が取れなくなってきていた。

 本当に会社に行くのが辛かったが、行かないと自分の居場所が無くなってしまうかもしれないという、不安感と焦燥感が俺を突き動かしていた。

 

 ある日のこと、目が覚めると体が動かなかった。

 風邪をひいたわけではないようだったが、全身が文字通り鉛のように重たくなっていた。

 なんとか身支度をして、市販の野菜ジュースを朝食代わりに飲むと、俺は会社に行こうと部屋を出ようとした。


 その時、胸の奥から激しいザワザワした、今まで感じた事のない不快感が強く込み上げてきた。

 マンガ「カ●ジ」に良く出てくる “ざわざわ” した感覚ではなく、まさしく本当に胸がざわつくというやつだ。

 おそらくは強い不整脈だったのかもしれない。

 それと共にいつもより強い倦怠感が被さってきて、歩くのが辛くなってきた。

 そしてドアを開けた瞬間、強い眩暈に襲われ、とうとう立ってもいられなくなった。


 その日から俺は会社を休んだ。

 会社を休んでしまったという負い目が重なり、ますます罪悪感と不安感が強くなり、布団から動けなくなってしまった。

 心配した同僚達が様子を見に来て、只事じゃない状態に俺を病院に連れて行ってくれた。

 

 重度の鬱病と不安神経症、自律神経失調状態……等々と診断された。

 

 入院して薬やカウンセリングなどの治療で、なんとか普通の生活に戻るのに数か月かかった。

 結局その会社は、その後しばらくして退職してしまったが、その時の同僚とは今も付き合いがある。

 

 鬱は誰でもかかる風邪のようなものだ。

 ウイルスが体の奥に潜み、免疫力が落ちた時に帯状疱疹を発生させる病のように、一度なると完治が難しい。

 そして風邪は万病の元と言うように、鬱もこじらせると精神以外に体をも壊す。


 しかし最近ここまで強いのは出てなかった。

 何で今さら急に発症したんだ?!

 さっきまではどちらかというとハイテンションで、気分は悪くなかったはずだが……久しぶりの強い症状に俺の頭は混乱した。


 ふと、温かいフワフワしたものが頭から流れてきた。それは体全体を包み込んで皮膚に染みわたってきた。

「心配ない。ただの魔力切れだ」

 ヴァリアスが俺の頭に手を当てていた。


「これが……!? あの魔力切れ………!」

 流れてきたそれが完全に体に染み込むと、さっきまでの眩暈や不安感が消えた。

 動悸もだんだん収まってきた。

「こんな……直に精神に影響するんだ……。驚いた。ちょっと病気が再発したのかと思った………」

「まぁ初めは驚くだろうな。慣れれば少し休めば済むようになる」


 うぅっ、慣れたくないというか、もう味わいたくない。

 ヴァリアスの説明によると、魔法を使う時、魔力ほどではないが気力や体力も使っているのだそうだ。

 こちらでは大まかに『気力』と言っているが、どうも『脳内ホルモン』の事らしい。


 それを最後の一滴まで魔力を使おうとすると、袋を絞り切るように一気に気力や体力も使うのだそうだ。

 それで今のような急な低下状態になったりするらしい。

 魔力切れって、よく話には聞いていたが実際味わうと、とんでもない感覚だ。

 戦闘中に魔法使いが魔力がつきるのって、もうデッドエンドじゃないか。


「それにしてもお前のはちょっと酷いな。魔力量が多い奴ほど落差が激しかったりはするが。

 うーん、いま魔力も補給したからもう一巡やろうと思っていたのだが、止めておくか」

 そう言うとヴァリアスも俺の隣に腰を下ろして、すこし休めと言った。

「はぁ……、マジでちょっと休ませてくれ……」

 俺はそのまま芝生の上に横たわり、手で顔を覆った。


  ****************

 

 ふと目を開くと、辺りはだいぶ暗くなってきていた。

 ヴァリアスはさっきと同じように隣に座っている。

「あれっ 俺もしかして寝ちゃってた?」

 俺は体を起こした。


「ああ、初めてで疲れたようなのでそのままにしておいた」

「今、何時なんだろ? 洗濯物取り込まないと」

 俺は立ち上がり、体についた草を払った。

「大丈夫だ。戻ってもあちらではまだ20分も経ってないぞ」

「ああ……そうか、……にわかに信じがたいけど、そうなのか」


 いったん日が落ち始めると辺りはどんどん暗くなってきた。

 とりあえず俺が先に練習した光魔法で作った、野球ボールくらいの光の玉をランプ代わりに、もと来た野原を歩いた。

 浮かせた光の玉が消えないように意識しながら。

 

 それにしても東京では見られないほどの星の数。

 まさに天の川だ。

 どこかの田舎に来たような錯覚もするが、後ろを振り向くと、大小の青い2つの月が浮かんでいる。

 やっぱり地球じゃないんだなと実感した。


 高い市壁が見えてきたとき、俺は門の部分が暗くなっているのに気が付いた。

「あれっ、もしかして閉まってない? あれ」

「あぁそういえば、さっき閉門の鐘が鳴ってたな」

 大事な事さらっと言ったね。

「えっ それじゃ入れないじゃないか。どうすんだよ。

 俺は都会っ子なんだから、野宿は勘弁してくれよぉ。それとも今日はこれで家に帰ろうよ」

「大丈夫だ。明かりを消せ」


 なんで明かりまで消さなくてはいけないのか。わからんがとりあえず言われた通りに明かりを消した。

 辺りは一気に暗くなったが、2つも月が浮かんでいるおかげで、なんとか周りの木々や道を薄ぼんやり見ることはできた。


 門の扉の前をそのまま右にスルーして、少し壁伝いに歩いていくと、その壁を見ながらヴァリアスが振り返った。

「ここら辺でいいだろ」


 一瞬、体が浮き上がって回転するような感覚があった。

 まさかと思ったが次の瞬間には、壁の内側に俺達は立っていた。

「えっ、門通らなくていいのか?」

 俺は小声で訊いた。

「これは距離が短いからな。大陸間くらいなら、いちいち亜空間の門を開かなくとも移動できるぞ」

「いや、その門じゃなくて、税関を通らなくて大丈夫なのかよ? 後で通ってないのになんで町にいるって、怒られたりしないのか?」

 俺はそういう細かい事がつい心配になってしまう。


「なに、こちらに来た時もそのまま入ってしまっただろ。

 バレたらその時はその時だ」

 あんた本当に神の使いなのか?!


 なんだか今更だが、こいつについて来て、大丈夫なのか不安になってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る