第209話☆ 置いていく者 置いてかれる者


 その時、背後に違和感を感じて振り返ると、フッと背中スレスレに黒い闇が閉じていくところだった。


 なんだ――?


 俺はつい立ち止まっていた。

 いきおい先に進んだ2人も振り向いて来た。

「どうしたっ?」

 

ズズーンッ! と地面から激しい衝撃があった。

 蠕動っ!? と思った次の瞬間、今度は凄まじい力が全身にのしかかり、俺は地面に叩きつけられるように突っ伏した。

 同時に俺のまわりの地面が、ビシピシと音を立てひび割れ沈下し始めた。


 まさかトラップっ?! 全然そんな気配は無かったのに――。


「ソーヤッ!! ぐぅっ!」

 俺の元に来ようとしたパネラも手前で勢いよく倒れた。

 彼女が倒れたすぐ後ろで、エッボがギリギリ踏みとどまる。


「なに、コレぇ……ぐっくぅ……」

 必至に体を起こそうとしながらパネラが唸った。


 俺も精一杯、身体強化に力を入れたが、地面から顔すら上げる事が出来ない。

 ちょっとでも力を抜くと、地面に押し付けられる力に息が出来なくなりそうだ。

 体が凄まじく重くなっている。


 まさか 重力が何倍になっているのかっ?!

 それはパネラも同じようだ。

 ハルクのように全身の筋肉を隆起させながらも、頭を起こすので精一杯のようだ。

 それでもじりじりと俺の方に手を伸ばそうとしてくる。


 ダメだ、パネラ。いま来たら共倒れになる。

 そう言いたかったが、胸が圧迫されて息をするのも難しい。


 もう跳ぶ転移しかない。

 だが、ほんの少しの移動すらも出来なかった。

 何故だっ?!


 確かに転移のエネルギーは、移動させる物体の重さも関係するが、それだってほんの少し移動するなら出来ないことではないのか。

 僅か2メートルでいいんだ。普通人だって幅跳びで跳べる距離だ。

 それとも引っ張られているせいなのか。


 混乱する俺の耳に高いトーンで響く、聞いたことも翻訳する事も出来ない言葉が聞こえてきた。


「……キリチリ エステェラ ヴェルラァー メルメラァ……」

 エッボの声だ。


 顔を向けられないがなんとか探知で視えたのは、彼が呪文を唱えながら、青白く光るロッドを掲げている様子だった。



 魔法というのは魔力(あるいは魔素)というエネルギーの流れや組み合わせなどを操り、その結果、森羅万象の事象を導きだすことである。

 それを魔法使いは意思の力、いわゆる念能力で行っている。


 呪文は言葉で綴る魔法式だ。

 式は念の代わりに魔力(あるいは魔素)を流す導線となる。導線の組み合わせ次第で、同じく作用を導き起こさせるのだ。


 のちに知ったが、エッボがこの時唱えた呪文は、精霊の言葉を人の発音出来る言葉に当て字した混成言語――ピジン精霊語と呼ばれる言葉で綴ったものだった。


 よく聞く『炎の精霊よ、我ここに命じる――』などの人の言葉で唱える呪文は、ここではほとんど使われなかった。

 それが出来るのは、精霊や妖精たちと親しくなれた、ホンの僅かな者たちのみ。

 気まぐれで気高いスピリチュアルな存在たちは、そう簡単に人の頼みをきいてはくれない。ましてや人語で話しかけても無視されてしまう。

 せめてこちらの言葉を使えというわけだ。


 そうして言葉は言霊と呼ばれるように、それ自体に力が宿る。

 だからこうして彼らに寄せた言葉に直し、精霊を真似た操作のすべ、または助力をあおるのである。



 するうち、体のまわりを何かが包んできて、押さえつける力が和らいだ。

 おかげで少し息がしやすくなり、声が出せるようになった。

 俺は顔をなんとか動かしてパネラに話しかけた。


「パネラ、危ないから、離れろ」

「もうちょっと、もう少しで届くよ。頑張ってソーヤ」

 彼女はさらに腹の辺りまで、過重力の場に入れてきた。俺が未だに腕も動かせないので、彼女が精一杯手を伸ばそうとしてくる。


 そんな有難い気持ちに感じ入る暇もないまま、俺の背後に絶望を告げる気配が伝わって来た。

 こちらに顔を向けていたパネラの目と口が、大きく開かれる。


 俺の足元の方の床がメリメリと、山が突き上がるように盛り上がっていく。

 それは茶色の石畳と違って白っぽい石灰色をしており、通路をみるみるうちに一杯に塞ぎ始めた。


 通路の幅は7,8メートル以上あったが、そいつの頭全体は収まりきらず、側面は両サイドの壁にめり込んだまま、轟音のような雄叫びを上げた。


 ゴーレムっ!!


 先程の『チェンジ』で召喚されし巨大なるいにしえの番人。

 こんな時になんて厄介なっ!


 しかしこれはただの偶然ではなかった。

 先程の俺たちの蛮行が、このダンジョンという魔物の体内で危険物と認識されたようだ。

 奴は俺を追って来たのだ。


 そうしてこの重力の急激な変化は、奴がこちらの空間に具体化しようとする際の空間の歪みによるものだった。

 圧倒的な質量の違いによる超引力。

 探知する触手も、ブラックホールに曲げられる光のように力を失う。


 辛うじて全力の身体強化で体を保護している俺たちと違って、まわりの壁や床、天井がビシバキと激しい音を立てて、破片を散らしてくる。

 そんな中、押さえつける力が、呼吸に合わせるように強くなったり弱くなったりするのを感じる。


 エッボがガクガクと体を激しく震わせながら、呪文を更に高く唱えていた。

 体中から魔力が、エナジーが、生命力が、激しく燃えているのがわかる。

 ムチャだ、エッボ、壊れちまうよっ。

 

 通常、人は体を壊さないために筋肉を100%使えない。魔力も肉体が制御出来る範囲しか出せないものなのだ。

 だが彼は呪文の力を使って、限界以上に力を引き出していた。


 どんどんエキサイティングしていく夫の声に、パネラが不安そうに後ろを見た。

「パネラ、俺は大丈夫だから、行ってくれっ」

「なに言ってんの! 諦めないでよ」

 またこちらに彼女が向き直る。


「諦めなんかじゃない。俺だけなら何とかなる。

 だけどこのままじゃ、2人とも巻き込んじまうっ」

「置いてかないわよ、仲間を見捨てていくなんて、そんな――」


「バァシッ パァシッ エリィィ――……」

 地鳴りの中、呪文を唱える声が途切れた。

「あんたぁ!」

 彼女の悲痛な叫びが響いた向こうで、鼻血を出しながら白目をむいたエッボがゆっくりと仰向けに倒れていくのが見えた。

 圧力が戻ってくる。


「早くっ! でないと全滅だっ 君もエッボも死ぬっ!」

 俺は力を振り絞って最後の言葉を吐いた。


 今や後ろのゴーレムの頭は通路を完全に塞いでいた。そうして左右の壁からミシミシと、10本のストーンヘンジが現れつつあった。

 奴の指だ。


「グ……ッ!」

 パネラが顔を伏せて喉の奥から詰まった声を出した。

 やがて頭を上げると、真っ直ぐに潤んだワインレッドの瞳を向けてきた。


「……ゴメンね、ソーヤ…… ごめんね…………」


 いいんだよ、それで。

 俺はどのみち死ぬことは許されてないんだよ。

(至上の贅沢と思われるかもしれないが、千年の寿命は人の精神こころには重すぎる)


 それに俺は置いていかれるのには慣れているんだ。

 だから気にしないでくれ……。


 彼女はなんとか後退りすると、すぐに倒れている夫に手をかけた。

 だがまた俺の方に顔を向けると、腰に下げていた短剣をおもむろに首の後ろに当てがった。


 驚いて見ていると、兜から伸びた豊かに編み上げたオレンジ色の三つ編みをザックリと切り落とし、俺の目の前に放ってきた。

「せめてもの手向たむけに持っていって……」

 

 クルッと背を見せると、今度こそエッボを抱きあげたパネラはそのまま通路の奥に走っていった。

 その後ろ姿が曲がり角に消えるのを見て、俺は安堵した。


 不思議な事に彼女達の姿が見えなくなると同時に、凄まじかった引力の脅威が緩み始めてきた。

 壁の両脇からすでに巨大な掌が、親指の付け根まで現れている。

 こちらへの移動が完了しつつあり、歪みが収まり始めたのか。


 動けるっ。

 俺は彼女の髪を引っ掴むと、その場でバッと跳ね起きた。

 同時に大きな真っ黒い虚と目が合う。

 ゴーレムはまた一声大きく咆哮すると、合掌するように寄せてきた。

 俺は潰される前にすぐに跳ぼうとした。


 ザアァァーーーッと、視界が急速に暗くなった。


 なんだっ、また闇の攻撃かっ?!

 さっきの奴らがまた仕掛けてきたのか?

 それなら探知と光を――


 しかし再び体中に重しがのしかかり、全身から力が抜けた。

 俺は闇の世界に落ちていった。



    ******



「おかしい。これだけほっつき回っても、出口の1つも見つからないなんて」

 ギュンターが唸るように言った。

「おかしいなら亡霊たちもだ。急に数が少なくなったと思わないか」

 ユーリが辺りを目を向ける。


 2人は相変わらず、5層の白い世界をうろついていた。

 先のゴーレムが暴れながらもいなくなり、結界を解いた彼らは再び警戒しながら探索を続けていたのだが、しばらくしてからいつもと様子が違うことに気がついた。


 まず亡霊の姿がまったく見えなくなった。

 先程までは近寄って来なくても、必ずどこか遠くに漂っていたり、柱や階段にぼんやりと佇んでいるものを、気がつけば感じられなくなっていた。

 まるで森に夜が訪れて、昼間の鳥たちが一斉に巣穴に隠れてしまったかのようだ。

 一体どこに潜った?


 なのに剣呑な気配はどこからか漂ってくる。それはいつにも増して強いのだ。

 何かが起こってるのは確かだ。

 もしかするとアーロンが暴走していて、亡霊どもがビビッて引っ込んでいるのかもしれない。

 それなら生身の自分たちがいるのは、明らかに自殺行為だ。


「もう戻ってもいいだろ。時間も結構経ったし」

 ギュンターがベルトに着けたポーチから、例の緊急脱出用簡易転移ポートセットを取り出した。


「ん……?」

 魔法陣を描き込んだ畳んだ布の中に、カサリと何か手応えがあった。

 広げると紙が一枚紛れ込んでいる。

 いつの間にか転送されていたようだ。


「上の奴ら、待たされてイラついてるのかな」

 ユーリも横から覗き込んだ。

 しかし今度は2人の方が怒りをあらわす番だった。


 ギュンターは通信文を握り潰すと、すぐさま広げた魔法陣の中心に手をかざした。

 しかし出口から見えるはずの光景は何もなかった。


 本来ならはるか上、管理室前に設置されているはずのもう1つの魔法陣のまわりが視えなくてはならない。

 なのに明るいホールどころか、闇さえも感じられない。

 対の魔法陣が畳まれているのではなく、結界で閉じられているからだ。

 

「あいつらぁ ふざけやがってっ!」

 いつもなら穏やかなギュンターが、肉食獣としての牙を剥き出しに歯ぎしりした。

「まったくだっ! どうせ閉じるなら、酒と食料ぐらい寄こしやがれってんだ」

 ユーリが少し違う方向に大真面目に怒る。


「お前、そんな悠長なこと言ってる場合か。脱出口が塞がれちまったんだぞ。 

 あいつら、おれ達を見殺しにする気だ」

 獣人が憤慨しながら相棒に言葉を返した。


 先程の連絡には大体以下のような事が書かれていた。


―― 魔導士、占術師の見立てによると、かの怨霊アーロンの動きが尋常ならざる模様。

 そのため第二陣としての人員を送るのは、被害を大きくする懸念が多々ある。  

 また不測の事態により、地表に這い出て来る可能性も少なからず。

 誠に申し訳ないが、この不穏な気配が落ち着くまで、上層に繋がる通路をいったん閉鎖するものとする。

 武運を祈る ――


「上に戻ったらまず、一発ぶん殴る。そして報酬割り増しだ」

 ユーリがパシッと片方の掌に拳を打ち付けた。


「いやっ、いやいやいや、その前にすることあるだろっ!?」

 ギュンターが目を白黒させた。

「メシ?」

 ユーリはしゃがみ込むと、ゴソゴソと足元に置いた雑嚢を探った。


 それは先程見つけた、罠にかかった被害者の持ち物だった。確認のため遺体をなんとか引きずり出してみたが、ただの探索者らしかった。

 そこで持ち物だけこうして持って来たのである。


「おんまえなあ~~っ」

 もう呆れるしかない。

「硬いこと言うなよ。どうせここに置いといたって、この魔洞窟ダンジョンに吸収されちまうだけなんだからさ。生きてる者がありがたく活用した方がいいじゃないか」


「そうじゃねえっ! それが今やるべき事なのかって言ってるんだよっ」

「もちろんだ。腹が減っちゃ力は出ないからな」


 何の迷いもなく答えた相棒に、ギュンターはついため息が出た。

「……言っとくが、俺の『土』に期待するなよな。

 昨日のトンネル掘りは3層だから可能だったんだぞ。

 それがこんな下層じゃ、質が違い過ぎてまず無理だからな。

 10Yaヨー(約9.144メートル)も行かないうちにペシャンコだ」

 ギュンターは下に向けた手を振った。


「わかってるよ。だけどこんな時だから、気力を無駄にすり減らしたってしょうがないだろ。体力も温存しとかないと」

 そう言いながら雑嚢のサイドポケットに差してあったナイフを取り出して見た。

 その小刀くらいの小さなナイフの柄には、持ち主の名前らしき文字が彫ってある。

 

「これはちゃんと持って帰ってやるよ」

 ユーリはそれを自分のポーチに仕舞った。遺体は損傷が激しく、身分証も見つからなかったからだ。


「さて、すぐに帰れないなら、こっちは持ち歩くわけにはいかないよな」

 そう言って雑嚢以外に置いてある、足元の遺留物を見た。

 ある紋章の入った盾、蛇腹に組んだ金属の肩当ての一部、手甲――それらは全て共通の手入れ油の匂いがした。

 

「……ああ、遺体自身じゃないしな。せめておれ達がサボってない証拠に持っていきたかったが」

 ギュンターがポリポリと耳の後ろを掻いた。


「じゃあ、余計な荷物は要らないと」

 ぽいっと、伯爵の衛兵たちの遺品を宙に放った。

 それは鈍い光を放ちながら、底なしの深淵に消えていった。



 

   ******



 壁を斜めに走っていた黒い塊りが、急にブルブルと体を震わせると、側面で動きを止めた。

 それから少し間を置いて、ズル……ボトボトボトと、支えていた力が無くなったらしく床に崩れ落ち始めた。

 

 するうちドサンとひときわ大きな塊りが落下する。

 それは床に落ちると思わず唸り声を上げ、ズルズルと土塊から這い出した。


 目が見えない……、体中がギシギシと悲鳴を上げている。

 動こうとしてヨエルは思わず咳込んだ。

 空気が全くなかったわけではないが、息をする暇などないほど峻烈な攻防と締めつけ。

 おまけに酷い臭いだった。


 なんとかハンターの核を潰した、ダガーを持った右手は重く痺れている。おそらく脱臼しているのだろう。

 左腕と左足は折れているだろうから、知覚したくない。その他あちこちも。


 体に触れる床の感触からまだ4層にいるのはわかる。反響する耳鳴りのせいでまわりの音がよくわからない。 

 が、残り少ない魔力を探知に使う事は躊躇ためらわれた。


 とにかく生命力が枯渇していた。

 あの呪いと、この負傷のせいで、通常ならすでに心臓が止まっていてもおかしくない状態だった。

 それを防いでいるのは、残された魔力とそれを動かす精神力。

 今や全魔力を新陳代謝の維持に注がなくてはならない。そうして体力が回復するのを待つしかない。


 幸いなことに、体中についたこの汚泥のおかげで自分自身の匂いは消えているはずだ。

 これが他のハンターから身を守ってくれる可能性は高い。

 あとは亡霊たちに見つからないことだ。

 ここまでどうにか自力で切り開いてきた運命だが、もう天に任せるしかなかった。



 しかし少しの間、意識が薄れたらしい。気がつくと何かがすぐ傍まで近づいている気配を感じた。

 足音をさせてない。

 だが、ゆっくり近づいてきているのを感じる。

 これは人ではないし、ハンターでもない。

 ――亡霊か。


 奴らに剣は通用しないし、それにもう腕は動かない。まだダガーを握っているのかさえ定かでない。

 気を奮い立たせようとしたが、もはや防御する力は残っていない。

 そちらに力を使えば、心臓と肺を動かし続けている魔力の流れが止まる。

 

 はあ……今度こそ終わりか……。ヨエルは微かに息を吐いた。


 思えばここまで生き延びてこれたことは奇跡だった。

 早ければ暗い鉱山の中、いや、あの飢饉の年に、泥と藁でできたボロ小屋の中で、朝冷たくなっていた妹と同じく逝っていたかもしれないのだ。

 もはや命運尽きたか。


 人生のほとんどを見えない影に脅かされていた気がする。

 生きるために犯罪と言えることは少なからずやった。

 奴隷商の追手だけでなく、別件で捕まり縛り首になる可能性もあった。

 ロクな人生じゃなかったな。


 そんなおれがハンターとして力をつけていったら、いつの間にか護衛の依頼が増えてしまって――こんな極悪人に守らせるなんて、皮肉なもんだ。

 ふっと笑いが出そうになったが、引っ込んだ。


 ……それも奴隷のサガ、主人の安全は自分の身を挺しても優先することを徹底的に仕込まれた、あの数か月の影響か……


 奴隷は物だ。意思を主張できる権利などない。


 地球でも昔ギリシャ(またはローマ)で、以下のような事件があった。

 ある家に賊が押し入り、就寝中の主人を殺害し金品を奪った。

 その際、賊に気がついた奴隷の少女は、声を上げて助けを呼ぶことが出来なかった。

 何故なら賊に『声を上げたら殺す』と脅かされていたからだ。

 かくて主人は殺され、強盗は逃げた。


 裁判で、『我が身可愛さに、叫んでまわりに助けを求めなかった故にあるじは殺された』と判断され、少女は死刑になった。


 ――奴隷は主人のためにのみあるべし――


 

 おれの人生はおれの為にあったのだろうか……


 その時よぎったのは、目が覚めた朝もやの光の中、微笑みながらこちらを覗き込んでいる女の顔。

 ああ、確かにおれはおれを生きていた時もあった。


 そう、エイダ、おれに生きているぬくもりをくれた女。

 あいつならおれの為に泣いてくれるかもしれない。たまには思い出してくれるかもな。


 …………お前はおれの分も幸せになれよ。


 気配がなおも近づいて来る。


 ……そうと腹を決めたなら、最後にせめて相手の顔ぐらい拝んでやるか。

 誰にトドメを刺されたかわからないまま逝くのも癪だ。


 そうヨエルが身構えた時、相手が声を発した。


『ミャアァ~~』

 猫?!


 思わず重い首を動かすと、短毛に覆われた尻尾のような触手が頬に触れてきた。

 それと共に【 どうしたの 大変 やられた!? 】という感情が流れてきた。

 やって来たのはポーだった。


 ポーはあれから再び4層に通じるスロープを降りて来ていた。

 魔猫としての第六感シックスセンスなのか、彼女は下層に仲間が集まっている事を感じ取った。

 そしてハンターの匂いと共に、知り合いヨエルの気を感じ取ったのだ。


『ミュウゥ~~、ミィ~~』

 かなりの弾力のある肉厚なものが、顔を摩ったかと思うと、フッフッと猫の鼻息が顔にかかってきた。ポーが前脚でヨエルの泥を払うと、匂いを嗅いできたのだ。

 続いて大きな舌がビショビショと舐めてきた。 

 

 ……やめろよ……このバカ猫……

 なんだか可笑しくなってきた。

 

 昔、母親を思いがけなく殺してしまい、また逃亡した直後に山猫に襲われた。

 その親殺しに使った同じ能力で、なんとかその場を切り抜けることは出来たのだが、額と同様に消えない傷跡が残った。


 これは親殺しの天罰だと思っていた。

 いつまでもその事を忘れさせない為の戒めなのだと。

 そうしてまた山猫が現れている。

  

 ……お前は おれのなんなんだ……………………

 

『ミャアウゥ~~……』

 ポーは反応しなくなった男にまた触手を当てていたが、ふと辺りを見回すと、おもむろに彼の襟首を噛んだ。

 そのままズルズルと床を引きずっていく。


 偶然ヨエルが落ちた場所は、あの落とし穴の近くだった。

 ポーはスロープ寄りに仕掛けてあったトラップ落とし穴を避けて、通路の中央を通った。


 3層に続く穴の前で直角に曲がって中に入る。

 ここにはハンターや亡霊はまず入って来ない、一種の安全圏な事を、山猫は本能で知っていた。

 トンネルの内部は緩く曲がる長い坂になってはいるが、ポーは人1人運ぶくらいわけなかった。ゆっくりだがすたすたと上に登っていく。

 

 が、数メートル移動したところで、ポーの足が止まった。

 先に誰かが立っていた。

 

 黒っぽい焦げ茶の足元まである長い衣。手が見えないぐらい長い袖。

 そして深いフードから見える、真っ赤に燃えるような穴。

 ポーにも本能で、彼が人という部類ではないことがわかった。

 

【 その男をこれ以上 連れて行かない方がいい 上は魔素が薄くなるから まず体を維持できなくなる 】

 番人はトンネルの中で、通せんぼするように両手を広げて言った。

『ミィーー』

 ポーはヨエルの首から口を離すと、返事するように啼いた。


 ススッと音もなく近寄ると、番人は袖でポーの丸い頭を優しく撫でた。

『ミャアウ~ン……』


【 行きなさい お前の友達が待っている 今を逃すともう二度と会う機会がなくなるかもしれないから 】

 そう言って番人は、元来た4層への出口を長い袖で指した。


 指し示された後ろに、動かした頭をまた元に戻すと、ポーは足元の転がる男を見た。

【 後は彼自身の問題だ 】


 ゆっくりとヨエルの上を跨ぐように踵を返すと、ポーは出口の方に体を向けた。

 そうしてまたゆっくりと横たわるヨエルに振り返った。

『……ミィーー』


【 お前はよくやったよ 】

 その言葉にポーは再び一声啼くと、今度は振り向かずに真っ直ぐ出口に向かって走っていった。


 灰色のスロープには黒く汚れた男だけが残った。



   ******



 蒼也の意識が完全に途切れた後、石畳にぶつかるはずだった体は途中で止まった。


「ふん、もうちょっとやるかと思ったが、ここまでか」

 灰色の悪魔が片手で受け止めていた。


 突然現れた闖入者にゴーレムが更に音量を上げて吠えつけてきた。

 辺りの壁や床がビシビシと音を立て、天井のシャンデリアが揺れる。


「ウルセェッ!」

 空いているもう片方の手で、ゴーレムの鼻先目がけて突きを繰り出した。


 バッキィーーーンンンン――― 


 直接当たってはいない。当たる距離ではない。

 だが、ゴーレムには見えない打撃が当たったかのように、顔の中央にもう一つの穴が出来た。


 合掌途中の手が、指が、頭が、ガラガラと音を立てて崩れていく。

 飛び散る破片や砂埃が、手前にシールドがあるかのように、ヴァリアスをよけていった。


「あ~~、やり過ぎた。

 ――まっいっか。どうせ3日もあれば修復出来るんだろ? 番人キーパー

 と、誰もいない壁の方をチラリと見た。

 壊しておきながら後始末はやはり人任せだった。


「オレはこいつの教育で忙しいんだ」

 そう言ってぐったりしている蒼也を、両手に持ち直した。


「なに、人の身にやり過ぎだって? 

 お前コイツが半神なのくらいわかってるだろ――

 ――――――――――――

 ……まあ、今回はちょっと短時間に詰め込み過ぎたかな。

 でもコイツは、これくらい追い詰められないと本気を出さないからなあ」


 それから顔を上に向けると

「とりあえず一旦帰る。後はよろしくな」

 

 まだ立ち込める砂煙の中、2人の姿は見えなくなった。





    ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 呪文は私にとって意味のわからない言葉。

 いつでも呪文は『*エコ・エコ・アザラク エコ・エコ・ザメラク』なのです。

(*『エコエコアザラク』黒魔術を題材にしたホラーマンガ。本当に何かの呪文の一部らしい)


 奴隷の話は本で読んだ実話です。

 比較的奴隷を大切にしている(?)とされていたギリシャ・ローマ時代でもこんな感じでした。

 不条理というか、とにかくやるせないですね……。


 ところでやっとこさの、サメことヴァリアスが再登場。

 そして2日目もこれでやっと終わりです。

 ふうぅ長かった。


 たった2日間で、色んな奴らにしっちゃかめっちゃかにされたダンジョン・マターファ。

 何気に一番の被害者は番人かもしれません……( ̄▽ ̄;)

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