第172話☆ 一般人レッカの底力
「誰かあっちにいるぞ」
気の流れが邪魔で俺にはわからないが、ヨエルには何か視えたようだ。
言われた方に歩いていく途中、派手な花の根元に、あの凶眼鳥や大きなネズミのような動物の姿を何匹か見た。
まだ生きているようだが、もう毛細血管のようなヒゲ根がビッシリと張り付いていて、微かに息をしているのみの状態だった。
やがて舞い散る金粉の数が、目に見えて少なくなってきた。ようやく飛粉が落ち着いてきたんだ。
同時に樹々の陰から、金粉元の花たちが少し密集しているところに、3人の人の姿が見えてきた。
彼らはカーキ色の革のサロペットのような作業着を着ていた。足にはそれぞれロングブーツの上から、そのズボン裾を紐で縛っている。手にも肘上までの長い手袋をしていた。
どうやら『ディセオ』の根除けのようだ。
彼らのうち2人がその根の上に乗り、花に向かって何か作業をしていた。片手にナイフを持ち、もう片手でベージュ色の袋を花の中に押し付けているように見える。
あとでヴァリアスが、あの袋は牛の胃袋から作った袋だと言っていた。
麻袋と違って伸縮性もあり、液体も入れられるので水筒とかにも使われているらしい。
俺たちの立てる足音に気がついて、作業をしていない1人がこちらに顔を向けた。
その顔には嘴の短いペストマスクを付けている。よく見ると3人ともだ。
こちらを向いた人物はおそらく見張り役なのだろう、その手に三日月型の刃を付けたバトルアックスと盾を持っていた。
他の2人も作業の手を止めて、こちらに振り返ってきた。
「こんにちはー」
俺は頭で会釈した。ヨエルは軽く片手を上げる。
3人もちょっと戸惑ったようだが、恐る恐る片手を上げてきた。
絶対にヴァリアスにひいている。
「すいません。こっちで栗色の髪をしたヒュームの青年を見ませんでしたか? 彼、はぐれちゃって」
3人はまた顔を見合わせた。マスクのせいで顔色が読めない。
「いや、誰もこの層では見かけてないな。あんた達が初めてだ」
見張り役の男が返答してきた。マスクのせいか、ちょっと声がくぐもっている。
他の2人も頷く。
そうか、ここを通ってないのか。それとも隠蔽を使って隠れてしまったのかもしれない。
礼を言って通り過ぎようとすると、また男が声をかけてきた。
「あんた達、これから先に行くなら、4つ先離れた区域には気を付けた方がいいぞ。
『ノズス』が巣を作ってたからなあ。ちょっと危ない数だったぞ」
「わかった。情報助かるよ」
ヨエルが礼を言うと、男達はまた俺たちに背を向けて、花の中に手を突っ込んで作業に戻った。
どうやら雄しべを摘んでいるようだ。
「アイツらは『花粉採り』だ」
歩きながら奴が説明してきた。
「あの花粉は
「夜の商売の間では、トリップドラッグとして売られてるしな」
と、ヨエルがこちらを振り返りながら
「兄ちゃんはさっきはどんな夢見てたんだ?」
見抜かれてる?!
「いや、いやいや、そんなエッチなモノは見てませんよ。そこまでいく前に起こされたし」
「あー、やっぱりそっち系の幻覚見てたのか」
あっ、引っ掛けかっ!
「ハハ、若いんだから、別に恥じなくてもいいじゃないか。当たり前のことだろ」
笑いながらポンポンと肩を叩かれたが、なんとも簡単に引っかかった自分が情けない……。
ちなみにあのマスクなら、目の部分が透明な虫の羽根で出来ているので、エビルアイバードの凶眼除けにもなってるようだ。
直接見なければ、あの凶眼を防げるから。
「そう言えばさっき巣を作ってるとか言ってたけど、『ノズス』って?」
俺は話題を変えた。
「ああ、さっき小型のネズミがいただろ。アレが『ノズス』だよ」
ヨエルが言うのは先ほど花の根元で横たわっていた、赤茶色に黒いブチ模様の毛足の長いネズミのような顔をした動物だ。大きさも小型犬くらいあった。
あれでも小さいネズミなのか。
「アイツらは元々臆病だから、いくら群れたところで、自分より大きい相手に牙をむくような事はして来ないぞ。基本、自分より強い相手には向かって来ないからな。
お前1人じゃナメられそうだが」
「余計なお世話だっ。大体あんたなら誰も刃向かえないだろうが」
隣でヨエルも静かに頷いている。
しかしそんな危ないネズミもウロチョロしてるのか。
一般人の俺なんか、こんなとこに1人だったら到底10分も持たないだろう。
レッカもホントに大丈夫なのか。
だが、まさにこの時、先のブロックでレッカが、このネズミ共と出遭っていたのだ。
**************
どうやらノズスの巣がある場所に入ってしまったようだ。
ノズスは地面下に巣を作るので、この一角の区域が丸ごと巣というわけではない。
ただ見える数からして、この地下に沢山の奴らの巣がかたまってあるようだ。
樹とシダ類の葉陰に身を隠しながら、レッカはつい毒づく言葉を漏らしそうになった。
『ノズス』は先に挙げられたように体重10㎏前後の大きさの、集団で生活・行動する
臆病な性質なので、まず自分より大きい相手には対向しないし、避けて通るだろう。
ただ、それはあくまで敵わない相手と感じた場合のみ。
相手が弱そうだったり、怪我や病気で弱っている場合などは話は別だ。
そうしてこちらの数が圧倒的に多い時も。
さっきからレッカの傍を4,5匹のノズスが、鼻をクンクン言わせながら通って行った。
明らかに自分の気配に気付き始めているのをレッカは感じた。
隠蔽はかけ続けている。
だが、さっきから休み休みとはいえ、連続して発動させ続けているこの能力に疲れを感じ始めていた。
さすがに何時間も発動し続けているのは、神経も体力も消耗する。それに魔素の濃いダンジョン内とはいえ、こうも使い続けていたら、やがて魔力も尽きてしまうだろう。
敵の真ん中で魔力切れになったらどうなるか。
魔法が使えないという事より、しばらく起こる眩暈や
魔力も体力も残しておかなければならない。
それで先ほどから力を弱めていたのだが、ノズス達に気配を気付かれたようだ。
ノズスは長毛が目の上を覆っているせいもあり、あまり視力は良くない。一説には凶眼鳥除けだとも言われているが、常に一緒の生息地域にいるわけではないのでこの説は怪しいものだ。
それより優れているのは、その大きめの赤い鼻と耳だ。
ダイヤ型をした人の手の平くらいあるその耳は、超音波も聞くことが出来る。
5キロ以上先の
そして赤い鼻には左右と下に計4つの穴があり、呼吸と共に匂いを最大限吸い寄せることが可能である。
むろんネズミの系列に恥じることなく、嗅覚能力は犬と同等かそれ以上。
おそらく彼から漏れてしまっている汗の匂いを感じ取っているのだろう。
焦り、怯える獲物の匂いとして。
今もモソモソと靴の先にやってきた一匹を、そっと跨いで除けた。
けれど辺りの茂みや草の上、枝にさえこのネズミどもがチョロチョロと動き回っている。
そのうち足の踏み場も無くなってくるかもしれない。
もしここで隠蔽を完全に解いたら、一見大人しそうに見えていたこの小動物は、一斉に牙をむいて集団で襲いかかって来るだろう。
強いモノには尻尾を巻くが、弱いモノにはとことん強く出る。
それは動物界では当たり前のことだからだ。
だが、今ここで力を全開にしていたら、抜け穴まで持たない。
先ではあるが、樹々の切れ目に遠く、壁に亀裂が見えているのに、その手前にはびっしりとノズスたちが重なるように蠢いていた。
迂回するにもこのネズミを1匹残らず除けて通るのは難しそうだ。何しろ段々と彼のまわりに集まりだしているのだから。
ここは強行突破するしかない。そう思った。
ただ彼には直接攻撃出来るワザも能力もないし、武器になるモノは携帯してなかった。
彼は元よりハンターではないのだ。
しかしハンターでも強者でもないレッカは、一般人としてはダンジョンに何度か潜った経験があった。
それに日本の一般人とこちらとでは、危険に対する心構えがどこか違うのかもしれない。
武器がないなら、まわりのモノを代用すればいい。
レッカは素早く靴下を脱ぐと、まわりをモソモソとやってくるネズミに注意しながら、小石を拾い始めた。
そうして片方の靴下の中に入れると、もう片方に入れて2重にし、口を絞る。
それからベストを脱ぐと、横長にたたんで首周りに巻いた。
まずは首を守らなければならない。
ゆっくりと深呼吸して、気を落ち着かせ前を見る。
目指すはあの穴だ。
どこに通じているかもわからないが、今のこの場所よりはいいはずだ。
何しろノズスは臆病だから、違う空間になる別の一角には敵から逃れるわけでもない限り、そう簡単に移動はしてこないはずだから。
やがて意を決すると、前方にいたノズスを思い切り蹴り飛ばした。
『ビャビィッ!』
2匹が吹っ飛んだ。
その物音で一斉にまわりのノズスが、こちらに振り向く。
見えてはいないが、獲物の位置を把握した。
「どっけぇっ!」
もう音を立てないようにすることは諦めて、穴めがけて走った。
軽い隠蔽をかけているにもかかわらず、ネズミ達は『ビキビキィ』鳴きながら、レッカの方に歯をむき出した。
『ビャキーッ!』
始めに飛び掛かってきた奴を、先ほどの小石をくるんだ靴下でぶん殴った。
見事にレンガ色のネズミが何メートルも吹っ飛ぶ。
ブラックジャック――サップとも呼ばれている殴打武器だ。
砂や土でもいいが、やはり石の方が威力が高い。そして1つの塊りよりも、このように幾つかの小石に分かれているほうがダメージが増す。
面で叩くより、個々のエッジに力がかかるからだ。
続いてすぐ前にやってきたのも眉間を打った。ネズミは一声鳴いて動かなくなった。
弱いと思っていた相手の思わぬ抵抗に、近くのノズス達は怯みだした。
けれどもまだまだ離れた所にいるネズミどもは、そんな気配よりも獲物の存在に反応していた。
――僕は絶対に生きて、生きて帰るんだっ! 絶対に戻りたいんだっ そこを退いてくれよぉっ!――
無数のネズミの中、彼はしゃにむに武器を振るって走った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『ディセオ』 スペイン語のdeseo(デセオ)からとりました。『願いまたは欲望』という意味らしいです。
大抵の食虫植物は甘い匂いや蜜で誘惑してますが、願望・欲望を見せてくる方法なので、この名前にしました。
ご存じ『ブラックジャック』は、革袋やしっかりした布袋を使うのが有名ですね。
以前これを使った傷害事件とかありましたが、本当に想像以上に強力な破壊力が出るので危険です。
ただ、車に閉じ込められたとか、緊急時には使えるかもしれません。
もちろん車内に石なんか落ちてないでしょうから、小銭で代用です。1円玉だと軽すぎますが、十円玉とかなら大丈夫でしょう。
パンパンにするのではなく、少しジャラジャラ動くくらいに余裕をもって結んでください。
その方が威力が増します。
テレビではレジ袋を使ってもいいと言ってました。
脱出用ハンマーとかが無い場合の、あくまで最後の手段として参考にしてください。
また御存知かとは思いつつ恐縮ですが、ついでに私の記憶のためにも書かせていただくと
フロントガラスではなく、ドアガラスかリア(後ろ)がいいそうですね Σ(●□●)
パニックになると、つい正面のガラスを割りたくなりますが
意外と割れにくいそうなので、咄嗟の時間がない時のためにも覚えておこうと思います。
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