第173話☆ 花蜜採り
この
もちろん俺ではなく、ヨエルがだが。
「あそこを通ったようだな」
微かに残っていた残留オーラを、10mほど手前から感知してヨエルが指さした。俺は1m手前まで近寄ってやっとだった。
壁の辺りにたどり着いた頃には、あの金色のスターダストはすっかり見えなくなっていた。
ヨエルが口に巻いていたバンダナを外して、風で体に付着していた花粉を飛ばす。俺も見習ってやってみた。
ちなみにヴァリアスの奴には一粒もついていない。
「ん、こっちに誰かいるな」
ヨエルが壁の亀裂の一つに、ウォーハンドを入れながら呟いた。
1層の時と違って、壁で仕切られている亀裂の奥へ、探知の触手が上手く入れられなくなっていた。
何と言うか抵抗が強くなっている。
ババロアからこんにゃくになったくらいに硬さが違って、柔らかいストローじゃ刺せなくなってきたという具合か。
彼ぐらいなら突破出来そうだが、使える時は道具を用いて余計な力は使わないようにしている。
そんな神経質なと、始めは俺もちょっと思っていたが、今は彼が正しかったと身に沁みてきた。
少しだが、こめかみ辺りが痛みだしてきたのだ。
探知の使い過ぎだ。
いつもだったらまだイケるハズなのに、ダンジョン内の歪んだ空間では負担が思った以上に大きかった。
あの『パレプセト』も歪んでいたとはいえ、初級空間――抵抗がまだ弱かったのだ。
ここの1層もそうだ。
だがこの3層まで来ると水深が深くなるように、いつの間にか歪みも強くなってきている。
そしてここが恐いところだが、ゆっくり1層から降りてくると、その圧力に体が慣れてきてしまい、魔力や神経の負担差に気がつかなくなって来るのだ。
気づいた時には、頭がずっしり重くなり、ヘタをすると魔力切れの症状を起こす。
深い層では命取りだ。
だから始めにヨエルは、俺が要所要所ではなく、触手を出しっぱなしにするのをちょっと危なっかしく思ったのだ。
だが、軽くなら一度経験させた方がいいとも考えたようだ。
「疲れてきたかい?」
ヨエルが振り向きながら訊いてきた。
俺の探知の触手の勢いが減ってきて、切れ切れになってるのが分かったようだ。
「ええ、少し片頭痛が……。でもまだ大丈夫です」
「無理しない方がいい。無茶すると魔力切れの前に、スタミナ切れを起こすぞ。神経がすり減ってくると魔法の操作をしづらくなるだろ。
徐々に体を慣らした方がいい。それともポーション飲みかい?」
ヨエルがリュックから瓶を出そうとするのを、奴がばっさり断った。
「要らん。コイツにはあまり薬は飲ませたくない」
もうちょっと、気を使った物言いが出来ないのだろうか。
「わかった。じゃあ兄ちゃんはしばらく魔法は使わないでくれ。教えたいポイントの時だけやってもらうから」
「すいません」
人の気配がするという亀裂に入る事にした。
また水の壁を通り抜けるような感覚を感じながら出た場所には、色とりどりの花を咲かせる樹や植物がヒュルヒュルと生えていた。
相変わらず幹や枝は捻じれていて、時々ボコボコとしたコブがついていたが、先ほどの区域よりも普通サイズの花が多い。
あのバウンドリーフの『オシアス』が生えていた所は、大小色んなサイズの花や草、シダ・蔓があって、まるで植物園のような景観だったが、こちらは広い庭園と言った雰囲気だ。
同じ樹に黄色とピンクの2種類の花が咲いていたり、茎が赤くて花びらが緑と青のバラのような花が咲いていたりする。
水色のカスミ草のような葉の中に、オレンジ色のパンジーに似た花が咲き乱れている一角があったりと、とにかくお花畑だ。
その中を小さな赤い毛玉のようなモノがあちこちに飛んでいた。
それは2cmくらいの丸っこい姿で、ブ~ンという羽音のような音を響かせている。
「鳥? 虫?」
「丸花蜂だ」
そう言うや、奴が下で軽く手を振った。
俺の目の前に開いたその手のひらには、3枚の羽をつけた、明るめの赤紫色をしたボンボンのようなモノが乗っていた。真ん中から左右に2枚、どっちが頭か分からないが端っこに1枚、薄緑色に透き通った羽が生えている。
「この3枚目の羽が付いてる方が尻だ。この羽で飛行中に舵を取る。鳥の尾羽と同じだな」
手の上のその虫は、その3枚の羽を微かに上下させてジッとしていた。
「凄いな、旦那。いくら大人しいとはいえ、そんな風に掴んだらまず刺されるのに、抑え込んでる気配すらない」
ヨエルが感心しながら手の中の虫を見る。
「もしかしてテイム能力を?」
「コイツらはオレが優しいのが分かるからだ」
ヨエルが『えっ』という顔をしながら、再び飛んで行く小さなボンボンを反射的に目で追った。
「こいつは虫にだけ優しいんですよ」
もうあんたが虫担当だと分かったよ。確認してないけどさ。
「オレはみんなに平等にしてるぞっ」
嘘つけっ。
奴の声にヨエルが目が覚めたように目をシバつかせると、親指で自分の背後を指した。
「あっちに人がいるから、訊いてみようぜ」
2m以上の背の高い、桃色の稲穂のような花が群れていたが、先ほどの『肉食植物』はいなかった。足元の土も柔らかい感触から、やや固めの土に変わっていた。
同じ層でも、エリアによって地質や生息する種が違うようだ。
その桃色畑の先に、青緑色の樹の根っこに腰を掛けながら、ぷかぷか煙を吹いている人がいた。
ベージュのスカーフを被り、粗目のチェーンメイルのように編んだ、長い麻のだぼだぼのチュニックを着て、赤茶色のパイプをふかしている。
俺たちの気配に気がついて振り向いてきた。年配のオバちゃんだ。こんなとこに一人で?
「こんにちわー、あの……」
ブワァッとまわりの空気が一気に変化した。
小さな針がキンキンと、壁に乱反射しているような痛みに似た警戒する波動を感じる。
それと同時にあちこちに飛んでいた、ボンボン達が一斉に集まりだし、彼女の体に纏わりついた。
オバちゃんの服や帽子が一瞬にしてワインレッドに変わった。
「待てっ 訊きたいことがあるだけだ。他に意図はない」
俺達のまわりにも残りの蜂たちが、ビィービィィーンと羽音を立てて舞っていた。
ただヨエルの作った空気の壁で、俺達に寄りつくことは出来ない。
これは蜂たちを操ってるのか。
「訊きたいって何をさ。あたしは見ての通りのタダの『花蜜採り』だよ。お宝の在りかなんざ知らないよ」
沢山の護衛蜂に守られた女王蜂が、腰に手を当てて不審そうに立ち上がった。
「すいません、はぐれた人を探してるんです。1人でこっちに迷い込んだみたいで」
俺は狐面を頭の上にずらした。顔を見せないのは相手に警戒させる。
余計なことに奴が凶悪ヅラを晒してるし。
「こげ茶色の髪をしたヒュームの青年をなんですけど、見ませんでした?」
俺の顔を見ると、『花蜜採り』の女は少し首を傾げた。そうしてちょっと間をおいて軽く頭を上下させると、俺達のまわりにいた丸花蜂たちが一斉に彼女の足元に飛んで行った。
「……あたしが直接見たわけじゃないけど、この子たちがそれらしいのを見たと言ってるね」
『花蜜採り』が、ワイン色のタンポポ畑のようになった足元の蜂たちを見回しながら言った。
「えっ それどこですか?」
「あくまでソレっぽいというだけだよ。どうやら人らしいのが1体、向こうの方にいたらしいけど、それがお前さん達の言う探し人かは確証ないね。
何しろぶつかるまで見えなかったらしいから」
と、左の方を指さした。
「どうやらそいつっぽいな。いや、驚かして済まなかった。情報ありがと」
ヨエルが軽く右手を上げた。
「やっぱり隠蔽使ってたという事なんですか?」
こちらに向きながら彼が頷いた。
「ああ、他の隠蔽使いのイケ好かない奴らだったら、まず蜂にぶつかられるようなヘマはしないだろう。
だが、あの若造ならありそうだ」
うん、俺も十分やりそうだ。
「どうも有難うございました」
俺も片手を上げて礼を言った。
「……こっちも悪かったね。つい疑っちまって。こういうとこじゃ特に用心深くなっちまうもんだからさ」
オバちゃまも少し口元を和らげた。
「それは仕方ないですよね。しかし失礼ですが、お一人で潜ってるんですか?」
ダンジョンに1人でって、仲間はいないのだろうか。
「1人じゃないさ、ほらっ この子たちがいるじゃないか」
またヴヴゥゥ~ンと羽音が響き渡った。
「あの女、見かけよりデキるぞ」
俺の方に顔を寄せてヨエルが囁いた。
それが聞こえたのか、オバちゃまはクルッと目を動かして視線を逸らした。
ヴァリアスもこちらに向き直りながら
「この蜂は『丸花蜂』の中でも『ソルジャーレッド』と言われている種だ。
蜂は社会性が高い生物だが、コイツらは特に
普段は大人しいが、敵と判断した相手にはとことん攻撃する。巣や女王を守るためにな。
そうしてその針は『火炎毒』を持っている。刺した内部を焦がすんだ。
まさしく火鉢で刺したようにな」
恐ろしい。火蟻以上だな。
「そうだよ、ウチの子たちはとっても優秀なのさ。蜜も一杯採るしね」
オバちゃまは少し誇らしげに腕を組んだ。
「でもこんなところまで蜜を採りに来るなんて大変ですね。養蜂箱なんか重そうだし」
台車で運んだとしても、スロープがなければどうするのだろう。それともヨエルの言う通り、このご婦人は強者なのだろうか。
「ふふっ 養蜂箱なんて持ち歩かないよ。あんなの重たいだけだし」
「地上じゃないんだから、あんなの邪魔だろ。巣箱を持ち歩かなくても、ああやって体に纏わせればいいんだ」と、奴が顎でしゃくった。
確かに半分以上の蜂たちが、女王様を守るようにその体にくっついていて、小太りの体型がひと回り大きくなっていた。
「さっきの網目服を見ただろ。アレは蜂たちが掴まりやすいようになってるんだ。一段目がしっかり掴まってれば、その上に止まる蜂も安定するだろ」
「え、じゃあ蜂を体まわりにたっぷり付けたまま、移動するのか?」
「あらあら、お兄さん、さぞ遠いところから来たんだね。『虫使い』を見た事ないのかい?」
オバちゃまは目を大きくして、ちょっと好奇の眼差しを向けてきた。
『虫使い』というのは、そのままテイマーの一種だ。
テイムすると一口に言っても、その能力は得手不得手、対象との相性にもかなり左右される。
『虫使い』はその名の通り、虫を扱いやすい。
そして『花蜜採り』をするような、いわゆる『蜂使い』はもちろん蜂と一番相性が良いのだ。
人の多い街中では、さすがに荷車に載せた養蜂箱などに入れるようだが、馴染みの村や小さな町ではこのままの姿で移動することもあるという。
ただ一応は、上から軽いマントを羽織るらしいが、それでもその一枚下に蠢く虫たち全ては隠せない。
2,3匹でも怖いのに、これだけの塊りが外に出ていたら、つい殺虫剤をかけてしまいそうだ。
だが、こちらでは『虫使い』の虫への統率力が信頼されているようだ。それにもし何かあったら責任を取らされるから、飼い主も十分気を付けているのだろう。
彼女・彼らは自分を女王蜂と思わせて蜂達に奉仕・守護させる。その代わり家族として接し、1匹たりともただの駒としては扱わない。しっかりとした信頼関係を成り立たせるのだ。
そうでないと人も虫も心からは動いてくれない。
「やっぱりここの蜜って美味しいのかい?」
蜂蜜は確かに砂糖のように高価なモノだった。胡椒ほどでないとはいえ、純粋な蜂蜜は金持ちの食べる物で、庶民の口にする『ハチ蜜』は、甘草や樹液などに少し『蜂蜜』を添加したくらいのモノだ。
もう薄めたという代物でもない。
あのアグロスの教会で飲んだ
ここで薄めたと言えるのは三分の一が蜂蜜、残りが樹液、甘草、ハーブの汁などだからだ。
ただしこれに使われる蜂蜜は独特の臭みのある蜜らしく、ハーブでその臭みを緩和・中和しているのだそうだ。
水魔法が使えれば、直接花から蜜を取れそうな気もするが、実は蜂がその体に一度入れる事で成分が変わるらしい。花の蜜に蜂の胃袋の酵素が混じり、巣で熟成・糖度を高める。
蜂が採って来るから蜂蜜なのではなく、蜂の成分入りだから蜂蜜だと最近知った。
そしてここの蜂もまさしくそれ以上で、巣ではなく、体内でその熟成・発酵までおこなう。
おまけに体が倍になるくらい蜜を溜め込むことが出来る。だからそのまま蜜のタンクにもなるのだ。
「味もそうだが、栄養価も段違いに上がる。ダンジョン植物の蜜だからな。年老いた細胞が一時的にも若返るぐらい、ヘタな滋養強壮剤より効くぞ」
その代わり地上の純粋蜂蜜の3~5倍するそうだ。
やはり庶民の口には入りそうにない。
教えてもらった方に歩きながら振り返ると、またボンボン達は飼い主から離れて花に向かって飛び始めていた。
俺はそのままお面で顔を隠すのを止めた。
やはり慣れない物を長く着けていると、なんだか顔が痒くなってくる気がする。
それに余計なところに神経がいってると、探知がやりづらいのだ。
あの変態野郎とはもう会わないかもしれないとも、少し思い始めたせいもあった。
でもちょっと恐いから、すぐ着けられるように頭の上にずらして付け直した。
それにさっきもそうだったが、人にモノを尋ねる時は、やはり顔を出した方がいいかもしれない。
「なあ、ヴァリアス」
「ん」
「次に人に出会った時は、ネックゲイターをちゃんと付けて、フードを目一杯下げておいてくれ。
いや、いっそのこと、後ろ向いたままでいろよ」
こいつがくっついていると、ダンジョン内をラスボスが巡回してるみたいなインパクトを与えてしまう。
「なんでだよっ!」
またサメがガチガチ歯を鳴らして抗議してきたが、俺はシカとした。
この光景を後で『ドラゴンが牙を鳴らしているようだった』とヨエルが言った。
ドラゴンは大袈裟だと思うが、猛獣度で言ったら当たっているとは思う。
いくら慣れている相手でも、サーカスのライオンだって猛獣使いは緊張する。
だがこいつはウザいだけで、怖くもなんともない。もう慣れたし。
「兄ちゃんも意外と胆の太いところがあるんだな」
ヨエルがそんな俺を見て、なぜか感心していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
本当はパネラ達と警吏の二人組のエピソードを一緒にするつもりでしたが、これだけで長くなり過ぎました。
仕方ないので、次回に持ち越します。
そういや、魔石以外にここでの宝という物を、ちゃんと表現してませんでした。
なんかエピソードがまた増えてきたなあ。
これはいつになったら『マターファ 第1日め』が終わるのだろう……(汗)
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