第174話☆ Let's try 落とし穴

「ここに落ちたみたいだね」

 壁伝いにやってきたパネラ達2人と1匹は、ある落とし穴の前で立ち止まった。

 壁には消えかかっているが、確かにレッカのオーラが残っていて、その上には砂の落とし蓋がある。

「即死の罠じゃなくてまだ良かったけど、3層に落ちちゃったのね。可哀そうに」

 パネラが壁を見ながら呟く。

「ここから行くしかないけど、大丈夫?」

 しゃがんで砂蓋を触っていたエッボが顔を上げた。

「う、うん、行くしかないでしょ」

 妻は少し腰が引け気味に返事した。


 実はパネラは高所恐怖症だ。だから落下する感覚はとても怖い。

 別に高いところから落ちたりとか、高い場所で恐い思いをしたということはない。

 だが物心ついた頃から、高い所には何ともし難い恐怖心があった。

 飛べない人間には本能的に高い所を恐れる潜在意識がある。パネラもそのような遺伝子上の恐れなのかもしれない。


 しかし覚悟を決めれば本能的恐怖を克服できるのも、ドワーフの強い底力だ。

 パンッと自分の頬を張ると、気持ちを引き締めた。

「大丈夫。いけるよ」

「そう。もちろん目一杯保護かけるから」

 エッボが妻の背中を擦る。

「うん、お願いね」

 やっぱり少し身震いが来る。 


「で、ポーは……」

 ポーは先ほどから穴のまわりをグルグルまわりながら、時々クンクン匂いを嗅いでいた。

 一緒に腰の触手をゆらゆら動かしている。

 そのポーから、警戒と怯えの波長が出ているのを感じて2人は不安になった。


 この落とし穴自体に対してではない。

 ポーが恐れているのが困るのだ。


 動物は人以上に本能に忠実だ。

 だからこのような落とし穴――まさしく罠には敏感に反応する。今もポーはここを主人が通ったとわかっていても、その恐怖心から二の足を踏んでいた。

 その戸惑いがヒシヒシと2人に伝わって来る。


「ポー」

 エッボが蔓山猫に話しかけた。

 恐る恐る前足で蓋を軽く叩いていたポーが、ピクンとこちらを向く。

「怖いのはみんな一緒だよ。だけどおいらがちゃんと保護魔法をかけるから大丈夫だよ。

 なっ、レッカを探しに行かないと」

 エッボが一歩近寄ると、ポーが一歩後退りした。


「ポー、あたいだって怖いんだよ。だけど入らないと。イイ子だから、ねっ」

『ミャアアアァ……』

 パネラも近寄ろうとすると、鳴きながら後ろを向いて走りだした。


「ちょっとっ! ポー、ダメだよっ」

「ポーッ 戻って来いっ。こんなとこではぐれたら、お前ひとりじゃ地上に出られないぞっ ポー!」

 2人が慌てて猫を追いかける。

 猫も2人とつかず離れずの距離を、時々振り返りながら小走りに逃げる。

 2人と1匹が3層に進めるのは、まだ少し時間がかかりそうだった。



 **************



「そういえば、署長が近いうちに全員の健康診断やるとか言ってたぞ」

「はぁっ? なんで」


 砂から顔を出したサンドヴァイパー砂クサリ蛇の鼻先に、軽く電気を放って追い払いながらユーリが聞き返した。

 彼ら警吏組は今、2層の砂丘を半分ほど過ぎたところだった。

 先ほど水牛『カトブレパス』の姿を遠目に眺めて、いつ見てもあの捻じれた首が気になるなあと思ったところから、ギュンターがふと思い出したのだ。


「一見元気そうだが、その実どこか悪い奴が多いんじゃないかって心配してるらしい。

 この仕事は体が資本だからな。いざって時に本領発揮出来ないと困るからだろ」

「そりゃ当たり前だが、なんで今更?

 胃腸の調子がちょっとくらい悪いのはザラだろ。みんな大酒のみで大食いだから」

 皆ではないが、警吏に就く者はエネルギー代謝が多いせいか、そういう暴飲暴食者が少なくないのは否めないことだった。


「いや、胃腸だけじゃなくて、全般だよ。

 ほらっ 最近、休憩室に置かれた新しい道具があったろ、『健康ボード』って言う」

 ギュンターが、黒い両手で作った四角を横に伸ばす仕草をして、長いボードを表した。


「あ、あれ、『健康ボード』って言うのか? 新しい拷問道具じゃなかったのか」

「なんでそんなモノ、休息室に置く必要があるんだよ」

「だから効果を試すためなのかなぁと……それかまた、オヤジ署長のイタズラかと思ってた」

「そんな訳ないだろ。……でも、おやっさん署長ならそういうイタズラはあり得るか……。

 いや、今回のは違うらしいぞ」

 一瞬ユーリの考えに納得しそうになったが、すぐにギュンターは思い直した。

「その『健康ボード』に挑戦する奴が少なすぎるって、おやっさん嘆いてたよ」


 ギュンター達の所属する『バレンティア第13分署』の署長ヴァルトは、偉丈夫なベーシス系で、齢71歳ながら最前線に自ら飛び込んで活動する精力的な男だった。

 実年齢的にはユーリやギュンター達の方が上なのだが、他の長命種たちも同様に、この老人には署長という肩書き以外に何か頭が上がらない雰囲気があった。

 それで彼らは署長のことを『オヤジ』や『おやっさん』などと呼んでいた。


 さすがに近頃少し年を感じてきたのか、まだまだ現役を続けたい老齢の男は、最近健康に気をつかうようになってきた。

 酒を少し控える代わりに朝、必ずヨーグルトに蜂蜜を入れて食すようになった。

 気が向いたときにしか行かなかった整体にも、週一で行くようになった。

 それで署内の治療室の横に、新たに整体室を作った。これは自分が利用したいからだろという噂も出たが、本人は署員みんなのためだと一蹴した。

 その新しい整体室に呼んだ整体師が、どうやら今回の『健康ボード』なる物を署長に勧めたらしい。


『健康ボード』というのは、幅1ヨー(約91㎝)長さ2ヨー(約1.8m)の梯子のような形をしていた。

 その踏み板部分にあたる棒の間隔は狭く、大小さまざまな形の石がびっしりと付いていた。

 ソロバンの珠の代わりに、バラバラな石が付いているような感じが一番近いだろう。

 それを素足で踏み歩くと、イタ気持ち良く、健康にもいいというので、署長は大いに気に入ったらしい。

 署員にもやらせようと早速休憩室に置いてみた。


 だが、しばらく経っても誰も使っている様子がない。

 こっそり覗いてみても、長椅子に座ってボーっと煙草を吹かしてるか、官報ではない胡散臭いタブロイド紙を読んでいる奴、ハンモックで仮眠してる者しかいない。(ちなみにハンモックには『起こすな危険!』のプレートがぶら下がっている)

 しかも中央に置いておいたはずのボードが、いつの間にか壁際の隅に追いやられている。

 ちゃんと使用方法も板の端に書いておいた。

 まず字が読めない奴はいないから、使い方が分からないはずもない。


 みんなこういう健康法に興味がないのかもしれない。署長のヴァルトは考えた。

 なのでやりたくなるように賞与を設けることにした。


『この『健康ボード』を2往復出来た者に、1日有給休暇を与える。挑戦者は署長ヴァルトまで連絡されたし』

 追いやられたところの壁に、そう張り紙を付けた。

 ヘタに少額の賞金を与えるより、この方が彼らには魅力的だろう。それにこれなら自分の財布も痛まない。

 ただ、あんまり一度に休暇を取られても困るな。

 そこは総務のチェスターに上手く配分してもらおう。


 だが、期待とちょっぴりの不安で心待ちにしていた挑戦者は、一週間でギュンターも入れてたったの5人だった。

 さすがにこれはおかしい。ヴァルトは思った。

 いつもならエルバイン地方の黒ビールを一杯かけただけでも、アームレスリングを躍起になるぐらい勝負事には熱中してくるのに。

 しかも今回はまるまる一日有給だぞ。


 それで5人のうちの1人、40代後半のベーシス系の部下に皆の反応を訊いてみた。

 すると彼は少し申し訳なさそうな顔をすると、こう答えた。


「実は、大変な騒ぎだったんですよ」

 彼の口からトンデモない事実が出てきた。

『署長が休憩室に嫌がらせで拷問道具を置いた』という噂になっているというのだ。

「俺が、そんな事する訳ないじゃないかっ!」

「分かってますよ、皆も本気でそんなこと思ってません。ただ、そう言いたくなるくらい、キツかった者が多いんですよ」

 唾を飛ばしてくる上司に閉口しながら部下が説明した。 


 それで分かったのは、みんながあの設置したボードに、全然無関心じゃなかったという事だ。

 突如 休憩室に置かれたボードに、むしろ初めはみんな興味津々だった。

 またオヤジ署長が何か仕掛けてきた。今度はなんの余興だ?

 で、もちろん使用方法通り、靴を脱いで歩いてみた。


 悲鳴が上がった。

「どうした?」

 まわりでくつろいでいた仲間が、一斉に振り向く。

 初めの勇者が床で足を押さえながら言った。

「これ、ヤベェぞ……」

 こんな石コロの上をただ歩くのが何がヤバいんだ。

 大体、石が痛いなら身体強化すれば良いだけだ。

 だが、そうやってみたところで結果は同じだった。2人めも飛び上がった。


「……コイツはマズい」

 他の奴も代わる代わる挑戦してみたが、結果は惨敗。休息室に死屍累々が転がった。

「何があった?!」

 知らずに部屋に入ってきた仲間がギョッとした。 


 その小石はただの石ではなく、式を書き込んだ魔石だった。身体強化をして足裏を硬化させていようと関係なく、そのツボ=反射区を刺激する波長を出すようになっている。

 おかげで靴を履いたままでも、うっかり踏んでしまおうものなら、たちまちその電撃のような洗礼を受けた。

 しかもそれぞれの棒が回転するので、足の裏に合わせて動いてくる。避けたハズの箇所にピンポイントで刺さって来たりした。


 初めは好奇心で面白がっていた者も、段々鬱陶しくなってきた。

 だが、さすがに上司が設置したモノを、勝手にお蔵入りするのはマズイ。

 それで壁際に寄せられてしまったというわけだ。


「どんだけみんな内蔵悪いんだっ?!」

 ここでヴァルトは、部下の健康状態を一度把握する必要があると判断した。


「それでお前は有給貰えたのか?」

 ユーリがちょっと妬ましそうな顔で見てきた。

「ああ、楽勝だったぞ。2往復どころか3往復してやったよ」

「ふーん、やっぱり、熊の肉球は頑丈なんだな。同じ肉球持ちでも、ビレル(狐系の獣人)の奴はキャンキャン言ってたぞ」

「失礼だなっ。おれのはそこら辺の家猫のよりずっと柔らかいぞ」

 本当はかなり固いのだが。

「じゃ、相当ぶ厚いんだ」

 ユーリも譲らない。


「そんなに羨ましいなら、お前も身体強化してやれば良いのに。あれぐらいの波動、お前なら抑え込めるだろ?」

 そう、いくら魔石の波動が反射区ツボに作用しようとしても、それ以上の力で抑えてしまえば何でもない。

 もちろんマッサージの意味も無くなるが。


「それだけならもちろんイケるが……オヤジの前じゃ無理だろ」

「あ……そうか」

 最近おやっさんの現場を見ていなかったので、つい忘れていたが署長の特技の一つが『魔力封じ』だった。

 相手の魔力を吸収、源流からの流れを抑え込む。これは外に向かってではなく、身体の内部で行なわれる魔素の変換さえもストップさせてしまう。

 やられた相手はまさに魔法が使えない、ただの人になってしまう。


 この能力はただの魔法と違って、相手の魔力の強弱関係なく掛けることが出来る。

 だから魔力でこれを防ぐのは困難な技なのだ。

 おそらく身体能力や魔力以外の第3の能力と呼ばれる、『気の力』(気功のようなモノ)なのかもしれない。

 魔法とは違う能力、テレパシーなどもこの部類だ。 

 その辺りも、署長が慕われつつも恐れられる所以ゆえんの1つである。


「じゃあお前もやっぱり、惨敗組なのか」

「惨敗って言うなよっ。……ちょっと痛かっただけだ」

 そう言うユーリの目に僅かだが、動揺の色が浮かんだのが見てとれた。

 彼の目は金色だが、その月型の瞳孔の縁に、少しグリーンの色素がかかっている。それが広がったのだ。

 瞳孔の大きさが変わらなくても、興奮したり動揺すると虹彩の色が変化する。

 猫とかのヘーゼルアイにもよくある現象だ。


「ちょっとなら歩けるだろ、たった2往復だぞ。休息室を一周するより短い」

「……それが一部分だけ、激烈に痛くてな……」

 話が違ってきた。

「やっぱり痛くて歩けなかったんじゃないかよ」

「いや、大体はイケたんだ。ただ、踵を降ろしたらヤバかった」

 と、片足を上げてブーツの踵部分を指さした。


「お前、そこ、『生殖器』が悪いんじゃないのか?」

「えっ?!」

 再び歩き出そうとしたユーリが驚いたように振り返ってきた。


「なんでそんな事分かるんだよ? お前、治癒師じゃないだろっ」

「そりゃそうだけど。ほらっ、壁に『足裏の反射区部位足ツボ一覧』って図が張ってあるだろ? おれ、ボード踏みながら、なんとなく見てたから覚えちまったんだ」

「なんてこったっ!」

 相棒が思わず頭を抱えた。


「……実はカミさんのやつ、もう1人欲しがってたんだよ。それが本当ならおれ、捨てられちゃうかもしれない……」

「またえらく話が飛躍してきたな。慌てるなよ、まだそうと決まった訳じゃないだろ。もしかするとって事だ」

「ううん……、そう言われると何となく思い当たるフシが――」

「待て。お前の夜の悩みなんかこんなところで聞きたくないぞ。そんなに気になるなら、治癒師に診てもらえばいいじゃないか。専門家に任せろよ」

 項垂れていたユーリが、ガバッと顔を上げる。


「そうだよな。まだそう決まった訳じゃないし、例えそうだとしても、まだカミさんにバレちゃいねぇ。すぐに治療しちまえばいいんだっ!」

「ぉおぉぅ……」

 いつものことながら相棒の、このテンションの乱高下には戸惑うところがある。

 これもこの人種特有の性質なのだろうか、とギュンターは思った。

 まずユエリアン系で、落ち着いた物腰の奴の話を聞いたことがない。


「こりゃあ忙しくなってきたぞ。帰ったら明日休みの奴を捕まえて、休暇を替わってもらう。んで、治療師のとこ行って、しっかり診てもらう。で、カミさんにはお気に入りの『ポムムパイ(アップルパイ)』買って帰れば完璧だ」

「全部お前のとこの事情だな」

「よっし、早く済ましちまおうっ。もう2層も半分は通ったんだ。さっさと3層行こうぜっ」

「さっさとって言ったって、壁はまだ遠いぞ。走ってくか?」

「いや、どっかに近道あるだろ。下層への落とし穴が」

 ユーリが緑の茂みがポツポツと見える、灰色の砂丘を見渡す。


「う~ん、そりゃあるだろうが、おれ、あんまり落とし穴って好きじゃないんだよなあ」

 ギュンターが嫌そうに眉を寄せる。

「何言ってんだよ、お前は『土』で制御すればいいじゃないか。

 あ、だけどあんまりチンタラされても困るぞ。時間ないからな」

 そこなんだよなぁ。こいつはおれがゆっくり降りるのに文句言うだろうから。

 ギュンターは子供の頃、崖から落ちた経験があるので、落下や滑走に関してはあまり良い気分はしなかった。

 逆にユーリは雪国育ちで、そりで遊んだ思い出があり、滑走には慣れていた。


「どこだ、どこかにないか?」

 もうこうなったらこいつのペースだ。

 ギュンターがちょっと息を吐いて、右に見える岩の方を指さした。

「あの辺りにそれらしい穴がある。あんまり気が進まんが」

 そう言ってるそばから、相棒ユーリが走っていく。


「確かに、下まで続く落とし穴だな。途中に罠もないようだし、それに――」

 足元を凝視した。

「誰か落ちたみたいだな」

 そこには僅かに人のオーラが残っていた。

 あのベールゥが飛び込んだ穴だった。


「ふーん、じゃあ救助もしなくちゃいかんか」

「面倒くせぇ。ここは街中じゃないんだぜ。それに意図して降りたのかもしれないだろ」

 先を急ぎたいユーリは救助に乗り気ではない。

 とても警官が言うような言葉ではないが、警吏は基本、街の番人であり、ダンジョンは別機関の管理エリアなのだ。

 巡回を頼まれることは稀にあるが、今回は別件捜査だ。

 それに今は構ってる暇はない。


「じゃあ先に行くぜ。早く来いよ」

 そう言うや否や、ユーリが軽くジャンプして砂を踏んだ。

 スルンとそのまま砂の中に姿が消える。

「おいって、……たく、しょうがねぇなあ」

 ギュンターはちょっと躊躇したが、諦めて一歩踏み出した。

 ユーリの時よりもゆっくりと、埋もれていくように降りて行った。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 すいません(-_-;)

 警吏組の話が長くなってしまって、レッカのその後まで行けませんでした……。

 なんだろ、彼らのバックストーリーも膨らんでしまって、警吏彼らたちだけで『異世界87分署』が描けそう。(あんな渋いドラマにはなりませんが)

 さすがにこの『アナザーライフ』では長くなるので割愛ですが。

 そうしてユーリ、君は最近ちょっと寝不足で疲れてるだけだ。

 安心したまえ(by 天の声)( ̄▽ ̄)


 なんとか次回は別展開までたどり着きたいところです。

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