第175話☆ 行きはよいよい……
今回も長くなってしまいました。
お時間のある時にでもお願いします。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おいーいあんた達、花粉採りかぁ」
「えっ、警吏さん?」
そろそろ地上では3時の鐘が鳴ろうという頃、3人の花粉採り達は花粉を詰めた袋の口を縛っているところだった。彼らの前に2人の警吏が現れた。
ダンジョンではまず有事にしか現れない警吏の姿に、少なからず花粉採り達は動揺したようだった。
「本当に警吏……さん?」
武装している男の後ろから、一番小柄な姿が恐る恐る訊ねる。
警吏に偽装なんかしたら死刑になりかねない大罪だが、ダンジョンのようなところに潜む輩にはどんな奴がいるか分からない。
うっかり信用出来ないのだ。
「ちょっと訊ねたいことがあるんだが」
大柄な獣人の方がサーコートの首周りから、チェーンに付いた認識票を取り出して見せた。
それはディープブルーの鈍い光を放つプレートで、その反射する光のベクトルは、見る相手の網膜に剣を示す『†』のマークを映し出す。例え光を失った者にさえ、脳に直接視せてくる特殊な光だった。
本物とわかって、今度は武装した男が足元に武器を置きながら答えた。
「警吏さん、あっしらは別に不法な魔薬のために花粉を集めてる訳じゃありませんよ。
こいつはちゃんと『医道ギルド』(医術・薬関係のギルド)に卸すもんです」
『ディセオ』の花粉は医療用にも使われるが、
それは罠用だったり、麻薬としての合法ドラッグとして認められている。
だが一部では濃縮加工などをおこなって、魔薬の素材ともなった。
普段、いい顔はされないが黙認はされている代物だ。
ただ稀に取り締まりの対象になった。
「そんなことじゃない。まずは顔と身分証を見せてもらおうか」
月の目をしたユエリアン系の警吏の方が近寄りながら言ってきた。
言われてそれぞれフードを脱いで、ペストマスクを外す。
「ついでに、手も出してくれるか」
3人が顔を出すと、警吏がまた言ってきた。
意味が分からないが言われた通りに、身分プレートと一緒に出した両手を、ユエリアンが1人ずつ握った。
その様子を隣で、熊系獣人がジッと見ている。
「どうだ?」
獣人警吏が相棒に訊ねた。
「……変装はしてないな」
最後に一番小柄な花粉採り、ベーシス系の中年の女から手を離して答えた。
「じゃあこいつらを見た覚えないか?」
パラッと獣人が出してきたのは、4枚の手配書だった。
男3人と女が1人。似顔絵でもその女の美しさは伝わってきた。
「さあ……、あっしらには覚えがないですね。男の方は見ても気にしないかもしれやせんが、こんな別嬪さん、見たら絶対覚えてると思うんで」
武装していた初老の男が答える。
その男の手を掴んだまま、警吏が他の2人の反応を見る。
中年の女とひょろ細い青年も、手配書を覗き込んで首を振った。
「やっぱり手がかり無しだなあ」
ユエリアンが手を離しながら呟いた。
「まあ、不確かな情報だからな」と獣人。
「あっ、そういや、これとは全然違いやすが、ちょっと怪しいかも知らん奴らなら見ましたよ」
初老の男が思い出したように言った。
「どんな奴だ?」
「3人組でしたが、仲間が1人はぐれたから見なかったかと言ってましたなぁ」
その言葉に警吏2人は顔を見合わせた。それなら4人となる。
「ちょうど『ディセオ』の花粉が舞ってる時でしたから、顔を隠してましたが、1人が平気なのか顔をさらしてやした」
「それは
それに男は言いにくそうに目を逸らすと
「警吏さんと同じ、ユエリアンでやした。銀色の目の」
「銀目のユエリアン……?」
金目の警吏は何かを考えるように、ちょっと目を動かした。
「そいつは目を除いて、この手配書とは似てなかったか?」
横から獣人が訊ねる。
「え、ええ、何といっても普通とは、かけ離れた業顔でしたから。連れの男が話して来なかったら、魔族かと思ったくらいでやしたよ」
ただ……と、男は付け加えた。
「話しかけてきた男は、顔は隠してたし、背も高くなかったです。あの体つきなら女が化けていてもおかしくないかなぁと」
こちらヒューム系女性の平均身長は、日本人の女性より10cmは高い。170㎝はザラにいるのだ。
「そいつらは何処へ行った?」
「アッチですよ」
後ろから若い男が奥を指さした。
2人の警吏はお互いに目を合わせると。
「やっ、悪かったな、邪魔しちまって。有力な情報ありがとう。
あんた達も帰り道気を付けてな」
そう言って警吏の2人は奥の方に歩き出した。
少しの間、3人の花粉採りはぼんやりその姿を見送っていたが、ハッと初老の男が大声で伝えた。
「警吏さーん、奥にノズスの巣があったから、気ぃつけてくだせぇー」
すでに樹々の陰に消えかかった警吏が、背中を向けたまま片手を上げたのが見えた。
**************
「―― ちょっと出かけてくる」
いきなりサメが言い出した。
先ほどの『花蜜採り』のオバちゃまの
気まぐれな子供が突発的に行動するように、俺達から急に横にヴァリアスが逸れた。
「えっ 旦那、何処へ?」
ヨエルがちょっと驚いて振り向いた。
「心配するな。焼き鳥は食べに戻る」
そんな夕飯の支度を心配してる訳じゃないぞ、きっと。
『(ちょっと
奴がテレパシーで伝えてきた。
「じゃあな、ネズミには気を付けろよ」
戸惑うヨエルを無視して、色が抜けていくようにフェードアウトすると、まったく奴の姿は見えなくなった。
姿が見えてても探知出来ないのだが、ヨエルが辺りに首を動かす。
「すいません、多分また酒の買い出しに行ったんです」
もう言い訳が思いつかない。
「えっ ここから……? 3層だぞ!?」
道理が通用しないのが分かっていても、やっぱり奴のムチャぶりにまだ思考がついてこないようだ。
「奴の言う通り、夕食までに戻ってきますよ」
いくら傍若無人でもそれは確かだろう。
「うん……そうか、まあ旦那だからなあ……」
勝手に納得してくれた。
俺達はまた出入口のある壁に向かって進んでいった。
突き当りに亀裂が5つも固まって並んでいた。
ヨエルが右端から調べていく。
その姿を見ながら俺は、一番左端の穴を覗いてみた。
薄暗い中に灰色の石畳、奥の壁にボウッと灯った一本の松明が掛かっていた。
1層と同じような広い通路のようだ。
何故か右隣りの穴と1mぐらいしか離れていないのに、右側の壁はドーンと5mは横に広がっている。
やはり空間が歪んでいるのだろうか。
目を凝らしていると、奥に薄っすらと上向きの階段が見えた。
「ヨエルさん、こっちに上に上がる階段がっ。もしかするとここに入ったかも」
俺はこの時、無意識に左手を横に伸ばしていた。
その際、穴に手を入れていたらしい。それが分かったのは、腕を降ろそうとしたときだった。
あれっ 手が抜けない?!
横に振ったまま、親指以外の4本が何かに握られているように動かなかった。向こう側に何かがいる気配はない。身体強化して抜こうとしてもビクともしない。というか、指が抜けそうで痛い。
そしておかしなことに、引くのは1㎜も動かないのに思わず押すと、なんの抵抗もなく腕が中に入った。
しかし抜こうとすると動かないのだ。
ぞぞっと、背筋を悪寒が走る。
いまや俺の左腕は肘の近くまで、向こうの空間に入っていた。
ガッチリと括り罠にハマった動物の気持ちが分かった。
ザッザッザッザッと、ヨエル師匠が足早にやってきた。
何も言わずに俺の肘を掴むと、一気に引き抜いた。
俺の腕にピッタリと空気を這わせて覆いかぶせ、空間と手の間に空気の筒を固定したのだ。
空間から剥がされた手は、簡単に抜けた。
「これでおれが、ヘタに頭を入れないのが分かっただろ」
俺はおっかなびっくり抜けた左手を動かしたり、何か変なモノが着いてないか確認した。
「すいません……うっかり入れてました。でも何ですか、これは。罠?」
「罠だ。1層にもあっただろ。一方通行のが」
「あ、だから――」
そう、これは一方通行の穴だった。
一方通行というのは、入って振り返ったら穴が塞がっていたという、物理的な障害だけでなく、このように空間的な塞がりでもあるのだ。
感染病研究所などの陰圧室が、気圧の差によって空気を外に出さないように、ここは空間の流れが内側にしか動いてなかった。
だから物質が外から入ることは出来ても、出ることは出来なくなってしまうのだ。
今のようにその空間から切り離すことでもしない限り。
『行きは良い良い 帰りは恐い……』
足の先でも体の一部を入れてしまえば、もう切り落とす以外に入って行くしかなくなってしまう。
そうしてその先は……。
「でも、入っても必ずしも危ない訳じゃないですよね? ほら、奥に上がり階段らしきモノが見えますし」
俺は今度は穴に触れないように、指さした。
階段はずっと上に続いているように見える。
「……そうだな。一度ちゃんと見てみるか」
そう言って近くの樹の枝を折ると、リュックからアルミ製の瓶を取り出した。中の液体を軽く枝の先にかけると、スティック型の火種で火をつける。
枝は生木だが、すぐに火がついた。液体は油のようだ。
火が大きくなると穴の中に向かって放り投げた。
「ほら、見てみろ」
言われて再び覗くと、俺は目を瞬いた。
さっきまで上に向いていた階段が、下向きになっていたのだ。
「錯視だよ」
隣でヨエルが言った。
先程まで俺が突き当りに見ていた階段は、張り出した壁のデコボコが見せた影だった。薄暗い中での一方向からの光源(松明)と角度、それが上がり階段のように見せていたのだ。
そして闇はひっそりと、下に続く階段をその足元に隠していた。
投げ入れたもう1つの明かりのおかげで、いまやその錯視の魔法が解かれたのだ。
ざっと見たところ、この空間は狭く、その階段以外、松明と石畳しかなかった。
もしもうっかり入り込んでしまったら、4層に行くしかもう道はない。
獲物を奥に追い込む恐るべき罠だった。
俺は転移が出来るが、まだこのダンジョンでは試していない。
明らかに『パレプセト』より、歪みと圧の強いこの空間でまともに出来るか不安になる。
「もしかして……レッカ、彼はここに入ったんじゃ……」
「恐らくそれはないだろう。パニックにでもなってたなら別だが、そうなら何かこの辺りに痕跡を残すはずだ。ちょっとだけ探知してみろよ」
確かにこの穴のまわりには、乱れた跡やオーラは視えなかった。
「ここら辺の穴のまわりには、オーラの跡がない。通らなかったというよりも、隠蔽を使って消した可能性が高い。これだけ穴が並んでいれば調べに来るだろうから」
隠蔽を完全に使えるだけ、落ち着いていたという事か。
じゃあまだ彼は無事なんだな。
「ただ、どれに入ったかだよなあ」
師匠が額の辺りを擦りながら呟いた。
「この穴じゃないとして、他の3つは似たり寄ったりだ。もう1つはどうもノズスの気配がする。
手前で分かるくらいウロチョロしてるから、さすがに入らないだろう」
「ノズスって、さっきの『花粉採り』の人達は、4つ先って言ってませんでした?」
まだあそこから2つしか通ってない。
「巣は1つだけとは限らないだろ。
それにここは区画整理された町のように、きちんと並んでる訳じゃないぞ。
あれは奴らが通って来た4つ手前という意味だ。
さっきも蠕動で穴が塞がったのを見ただろ?
エリアの繋がりは少しづつ変化している。いつも同じとは限らないんだ。
それが
迷宮とはトラップの1つだという事をあらためて思った。
「さてと、まだ他の壁に穴があるかもしれないし、落とし穴の可能性も捨てきれないから、先にグルッと他所を確認するか」
そう、ヨエルが穴から離れようとした。
ただ、俺にはなんだか引っかかるモノがあった。
さっき、奴が消える前に言った一言。
「待ってください。そのノズスって、巣のあるエリアから別のエリアには渡ってこないんですか?」
「いや、あのネズミは基本、臆病だから縄張りからは出ないんだ。
彼も何か感じたようだ。
「あの穴のノズスどもは、ウロウロというより、どちらかというと騒いでる感じだったな。何か興奮してるみたいな」
そう言いながら俺の顔を見た。
「何か大きな獲物でも襲ったのか――」
「確かめましょうっ!」
俺はなんだか胸騒ぎがしていた。
奴が言った言葉、
『ネズミには気を付けろ』
それはレッカの事を指していたのじゃないのか?
ハッキリと教えられないから、回りくどいが俺達に注意するような言い方をして。
実はレッカがノズスと遭遇している事を伝えてたのかもしれない。
もしそうだとすると、あれからどのくらいの時間が経ったのか。
もっと早く言ってくれればいいのにっ!
運命に関わる事だから、ストレートに言えないルールと、俺の力で見つけさせる事を優先させている、奴のやり方に腹が立った。
人の生き死にを訓練に使いやがって。
だが、それはこの穴の錯視と同じく、俺の偏った1つの見方に過ぎなかったのだが。
とにかく当時の俺は、振り回される事ばかりに気がいって、他の考え方をする余裕がなかった。
ヨエルが先に穴に入った。俺もすぐに後に続く。
横をババッと、アンゴラのような長毛のネズミが駆け抜けていった。
小型犬サイズのネズミがあちこちに、チョロチョロうろうろとせわしなく動いている。
幅の広いエリアだったが、ネズミ達が沢山いるらしい方向は分かった。
樹々の間から赤茶色の毛玉がかたまって、蠢いているのが見えたからだ。
その中心に向かって走っていく俺達に、ネズミ達は一瞬ビクンと反応するが、襲い掛かっては来なかった。
ヨエルが放つ、『近寄ったら殺す』という殺気を敏感に感じ取っているからだ。
しかし数が多い。100匹以上はいるんじゃないのか。
ネズミの大群が人を襲うパニック映画はあったが、こんなに大きくなかったし。
「うっ!」
ヨエルが立ち止まると同時に、横に手を出して『止まれ』と合図した。
それと同時に俺もその場の光景を目にして、つい声が漏れた。
青緑の枝や茂みの上、垂れる蔦に絡まり落ちるもの、樹の根や茎の太い多肉植物を齧っているヤツ、様々な行動をとっているものが多い中、その中央に4,50匹はいるであろうか、赤茶色のネズミが山を作っていた。
奴らは重なり合い、蠢き、その中心に顔を突っ込もうと手足を懸命に動かして仲間の背中に登っていた。
これほどではないが、他にも10匹くらいが固まって何やらしきりともぞもぞ動いていた。
ここがその巣なのだろうか。
地球にも*ヌートリアという大きなネズミがいるが、それだってこんなにかたまってはいない。(*ヌートリア:体長50cm 体重6キロ前後になるネズミ)
こいつらが一斉に襲い掛かってきたらどうしようと、怖じ気心が湧いてきそうになる。
だが、ヨエルが呟いた一言と、同時に目にしたモノに、俺は怒りにも似た戦慄を感じた。
「これは、もう――ないな」
ネズミ共の山から、チラリと見えたソレ。
レッカが着ていたベストだった。
それがまたネズミ共に噛みつかれ、踏みしだかれて、毛皮の中に消えていく。
「ヨエルさん、このまま動かないでくださいっ! でないと巻き込んじゃうかもしれないんでっ」
「お、おうっ?!」
一歩踏み出そうとした彼を止めた。
ネズミの山までは10m以上は離れているか。
通常なら問題ない距離も、このダンジョン内では負担がかかる。
だから全力を込めて魔法を放った。
「!」
ヨエルがすぐ感じ取ったらしく、自分のまわりに空気の層を作った。
数秒後、蠢いていた赤茶色の毛皮が1匹、ボロッと山から転がり落ちた。
ボロッボロッとそれは続けて剥がれ落ちるように、2匹3匹4匹と転がっていく。
下にいたものも、くたりと横になると動かなくなる。
やがて毛皮の山は静かになった。
10秒くらい様子を見てから、俺はその山に駆けだした。
酸欠魔法を使ったのだ。
相手が沢山いても、固まっているならとてもやり易く有効な手段だ。
ただ本来なら、レッカを巻き込んでしまうから、この方法は絶対に使ってはいけなかったのだが……。
―― 一秒でも早く彼をネズミから解放してやりたかった。
もう手袋を着けるのも忘れて、毛皮を引っ掴んでは辺りに放り投げた。まわりのネズミ共が、飛んで来た仲間の死骸に【ビビィービビィー】とうるさく騒ぎ鳴く。
何匹か取り除いて、ようやくかの布端が顔を覗かせた。急いでネズミをどかしていくと、出てきたのはベストだけだった。
そこで初めて探知をかけた。
しかし、レッカどころか、人の体らしきモノは感じられなかった。
「凄いな、何をしたんだ? いま」
ヨエルがネズミを近づけないように、まわりに威嚇しながら言ってきた。
「え、あの……、彼は……レッカがいないんですけど……」
俺は混乱してて、問われた事とは別のことを言っていた。
「ああ、もうここにはいないようだな。さっきもそう言ったが」
「え……」
俺は聞き間違えていた。
あのベストを見た衝撃で、ヨエルの言葉を『もう生きていない』と勝手に勘違いしていたのだ。
「なんだぁ……」
安心したのと一緒に、ドッと頭痛の波が押し寄せてきた。
頭の血管が切れるかと思ったほど力を込めたので、血圧が一気に上がったように、こめかみの辺りがズキンズキンと波打ち始めた。
実は魔力切れにともなう症状の一種で、俺の場合、常に護符から補給されているので、魔力ゼロにはならないが、一緒に消費される脳内ホルモンが急激に減少した為だった。
「さっさと離れるぞ」
引っ張られてネズミの山から移動する。
振り向くと、始めはおっかなびっくりだったネズミ達が、やがて死骸の山に鼻をひくつかせていくのが見えた。
「なんで……あんなに固まってたんでしょう」
俺はこめかみを擦りながら訊いた。
「多分、仲間の死骸に
探知で視ていたヨエルが答える。
「じゃあこれは、彼が落としただけ?」
ベストは齧られてすでにボロ雑巾より酷かった。
これにただ集っていただけだとしたら、なんかネズミとはいえ、無闇に殺してしまって申し訳ない。
俺は心の中で謝った。
「まあ、襲われたんだろうな。だけどヤラれはしなかったんだろう。ざっと視たところ、ネズ公の血しか落ちてなかったし、死骸もな」
案外やるじゃないか、あいつと、ヨエルが感心するように言った。
ただ残念なことに、ネズミ達にレッカの痕跡を踏み荒らされて分かりづらくなっていたが。
とりあえず無事らしくて良かった……。
う~ん、それにしても頭が痛い……。
「旦那もいないし、これからの行動に差し障りが出ると不味いから、飲むかい?」
ヨエルがポーションを出してきたので、有難く頂くことにした。
「それにしても、さっきのどうやったんだ?」
ポーションのおかげで頭痛が治まってきた俺に、彼があらためて訊いてきた。
やっぱり気付かれてたか。そりゃ風使いだもんなあ。
「……空気を毒に変えただけです」
「空気が変わったのは分かったが、それが具体的にどうとはわからなかったんだよな。鉱山のガスとも違うようだし。しかも効果が早かったしな」
「……その、上手く説明出来なくて……」
酸素とか窒素なんて、この世界の人にどう説明すればいいんだ。
少しの間、ヨエルは俺を見ていたが、また前を向いた。
「まっ、兄ちゃんも流石にあの旦那についてるだけはあるって事だな。こんな凄い妖術を使うんだから」
「えっ、妖術なんかじゃないですよ」
「いや、立派に妖術だよ。だってこんな解らない魔法はないぜ」
こちらの人達は魔法は魔法でも、理解できない、真似出来ない術をひっくるめて妖術と言うらしい。
実はすでに、魔法試験の時に俺が見せてしまった雷や光の変わった魔法のせいで、魔導士ギルドで俺の事を『妖術使い』とひそかに噂されていたのだ。
まったくいい迷惑である。
かくして俺は知らないうちに妖術使いにされてしまっていた。
しかし、ほんとにレッカはどこ行っちゃったんだ?
**************
実はレッカも魔力切れ症状に苦しんでいた。
首元に飛びかかれはしたが、ベストを巻いていたおかげで、ノズスに直接噛みつかれることはなかった。
気に入っていた服だったが仕方ない。
無事に穴に飛び込み、新しい区画の中を注意して様子を探った。
ここは青緑の樹々の代わりに、池でもないのに地面から直接、水生植物に似た蓮のような葉が広く群生していた。
その茎は背の高いモノは3mはあろうか。緑地に薄ピンク色の縁と葉脈を走らせている。
傘のような大きな葉はぷっくりと膨らみ、それを支える茎も人の胴体ぐらいに太い。
『オシアス』と同じく、『ウォーターリーフ』に属する多肉植物だ。時期によって蜂の巣のような形をした実をつけるが、今はまだ花のままだ。
おかげで辺りにそれを食べにくる獣もいないようだ。
そのトウモロコシ畑のように密生した、ハスの葉の中をしばらく歩いているうちに、レッカは異変を感じ始めた。
まずい……凄く眠くなってきた。
急激に強い眠気が彼を襲い始めていた。
魔力切れ症状の一つ、緊張と弛緩によるものだった。
極度の緊張状態の連続で、魔力と体力を削り、いまノズスが追って来ないのを確認し、辺りに魔物がいないことで気が緩んだせいだ。
つまり今まで魔力と気力で抑え込んでいた疲れがドッと出てきたのだ。
これはもうナルコレプシーと同じ睡眠発作だ。
ハンターや職業的魔法使いなら、日頃からこのような発作が起こらないように自然とコントロールする術が出来ているが、あいにく彼は職人なのだ。
ここまで1人で張りつめて行動したことはなかった。
いくら近くに魔物がいないとはいえ、いつやってくるかもわからない。
だが、いったんこの状態に陥ってしまうと、もう体は休息を求めて悲鳴を上げ続ける。
みるみるうちに、睡魔が彼の脳を浸食していく。
レッカは先ほどの靴下から、比較的鋭利な石を取り出した。
それで近くのハスもどきの茎を、力を込めて大きく擦った。
じわっと薄青色の液体が漏れ出てくる。それを顔や腕、体になすりつける。
今度はその薄皮をビリビリ剥がすと、体中に巻きつけ始めた。
ちゃんとした道具ではないので、途中で切れてしまったり、上手く剥けなかったりしたが、とにかく細切れでも繊維でも体にくっつけた。
強い眠気に眩暈を感じながら。
そうしてもう手を動かすのも億劫になってきた頃、遠のく意識の中で乾きを感じた彼は、その削った茎の傷に口を押し当てた。
少し青臭い汁だが、乾いた喉にはとても美味かった。
そのまま二口も飲まないうちに、その植物の根元に倒れこんだ。
この植物の液が、少しでも匂い消しになる事を祈りながら、深い闇の中へ落ちていった。
**************
「父さん、結局何だったんだろね」
若い男が初老の男に話しかけた。
花粉採り達は、またペストマスクをつけて、今度こそ地上目指して歩き出していた。
「わからん。同じ日に人探しに2回も会うなんて、しかも1組は警吏なんて初めてだ」
「あの人たち、本当に警吏さんが探してた人達なのかしら」
中年の女、青年の母親が不思議そうに呟いた。
「それもわからんな。けど、一応伝えといたほうが良かろう。後で隠していたと思われちゃあ大変だからなあ」
「そうだよねぇ、どのみちおいら達には関係ないし」
青年も頷きながら、肩に背負った花粉袋を持ち直した。
今日は花粉が飛んでいたが、おかげで雄しべの管の奥から、花粉が押し出されていて採りやすかった。
飛ばすくらいだから、多分ほどよく熟れているかもしれない。
熟した花粉は上物とされて、高く買い取ってもらえる。
換金したら今夜は皆で、バレンティアの新市街地で食事をしようか。奮発してバルコニー席なんかいいかもしれない。
夜のパレードを上から見ながら食事するのは乙なものだろう。
そんな事を夢想しながら、初老の花粉採りは亀裂を潜った。
だが、彼らは結局、この夜レストランに行くどころか、地上にすら戻れなかった。
何故なら、彼らのあとを見えない影が、一緒に通り抜けていったからだ。
ダンジョンは帰る時が一番怖い。
何が後をついてくるかわからないから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
つい予定以上に引っ張ってしまいましたが、
やっと次回レッカと遭遇できそう…………かと(^_^;)
ただ、その前に新たな敵が彼らの前に現れます。
また最後の謎の影の正体は、一つ飛んで
次次回177話で分かる予定です。
次回予定『Dungeon’s Hunter(ダンジョンズハンター)』
宜しければ引き続きご笑覧お願いいたします。
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