第171話☆ ダンジョンという名の魔物

 亀裂を抜けると、金色の粉雪が降っていた。


 そこは先ほどと同じような捻じれた樹が生える森のようだったが、その上にキラキラと金の粉が光りながら舞っている。

 青緑色の草と葉、幹も葉も、赤・青2色の大きなベンジャミンもどきの樹々たち。

 その森に金粉が雪のように、静かに降っていた。

 喧騒どころかとても静かなのに、あのバレンティアの祭りを思い出した。


「これはちょっと不味いかな」

 ヨエルがそう言いながら兜を脱いだ。

 スルッと額につけていたバンダナを外すと、口と鼻を隠すように巻く。

 その際、彼の額に少し火傷のような引っ攣れ跡が見えた。


「旦那たちも、目の周りだけ空気の層を作って、口と鼻は布か何かで覆った方がいいぞ。見ての通り花粉が飛び過ぎてる。

 これだけ範囲が広いと、風でいちいち除けているのは面倒だし、魔力の無駄使いだ」

「オレは平気だ。ただ蒼也、お前はちゃんと覆っとけ。何か端切れくらい持ってるだろ。

 それともコレ使うか?」

 そう言って自分の首に付けている、ネックゲイターを外そうとした。


「持ってるよっ! そんなもん要らないよっ」

 何が悲しくて、野郎の使用済みを付けなくてはいけないんだ。

 俺は収納から布製マスクを取り出した。

 昔懐かしのガーゼマスクではなく、青系の落ち着いたタータンチェックの手作りマスクだ。

 自分で作ったのではない。絵里子さんがくれたのだ。


 最近、日本では急にマスクが不足し始めていた。

 使い捨ての物どころか、布マスクもだ。

 うちの会社も発注した半分も入らず、メーカーからの次回納期は未定となっていた。


 謎の肺炎病とインフルエンザが重なって、巷ではマスクの買占めまで起きていた。どうやらそれは製造元の国でも起こっているようで、日本に輸出されなくなったのが品薄の一番の原因らしい。

 そこで絵里子さんが『ネットで作り方をやっていたから』と、ついでに俺の分も作ってくれたのだ。

 さすがにお揃いではなかったが、俺はもちろん有難くもらった。


「おい、なにしみじみ見てるんだ。さっさと付けろ」

 横でサメがウルさく急かす。

「わかってるよ。ちなみにこれって花粉なのか? 吸い込むとヤバい代物なのか」

 一見して綺麗な情景なのに、これだから異世界は油断ならん。


「あれだよ」

 ヨエルが森の一角を指さした。

 ここの樹々は、ベンジャミンもどきの捻じれた樹があちこちに立っているのだが、その中にやはり茎が捻じれた紅い花が生えていた。


 花と言ってもヒマワリのように背が高く、確実に俺の頭よりも高い位置に花が一輪開いている。

 そのラッパのような裾広がりの、巨大な紅い花びらにレモン色の水玉柄のような丸い模様があり、内側の紫色をした雄しべらしき管が数本突き出している。

 金粉はその管の先から、息をするように間隔をおいて吹き出していた。

 気がつくとその派手な花は、樹々に紛れてそこかしこに生えている。それらが一斉に、金の花粉を散らしていたのだ。


「『ディセオ』という植物だ」

 俺が少し離れた場所で見ていると、奴が花の傍に歩いていった。

「本来は大樹の下に生える日陰の花だ。光合成で栄養を取りづらいから、もっぱら土壌からの栄養を摂取するのを主としてるんだ」

 

 確かにその長い茎には葉が1枚もない。その代わり根っこが、まわりの樹のように太く盛り上がって地面に食い込むように伸びていた。

「この根はな、長く触れているモノに、この毛細血管より細いヒゲ根を伸ばして、弱いが神経毒を流すんだ」

 俺に見えるように根を掴んで持ち上げると、枝分かれした細い根から更にヒゲのような細かい糸が出ていた。

「そうして幻覚と毒で動けなくなるようにしながら、根で直接栄養を摂取する。

 まあ一種の肉食植物だな」

 うわー出たよ、肉食植物。もう食虫どころじゃないんだもんなあ。


「流石だな、旦那。素手であの根に触れて何ともないのか……」

 ヨエルが感心しながら呟くのが聞こえた。

 そりゃあ『弱い毒』って言ってたし――ヴァリアス基準だが――どのみちブラックマンバの毒だって、こいつにはスパイスでしかないんだから。


「で、この花粉もその毒なのか?」

「毒というか、『魔薬ダヴィリッシュ』だな。幻覚を見せるんだ」

 代わりに横のヨネルが答える。

「魔薬? 麻薬ドラッグではなくて?」


「この花粉は幻を見せるだけじゃないぞ。その幻で獲物を操って、この根元におびき寄せるんだ。

 ほら、アレを見てみろ」

 そう言ってヴァリアスが指さした足元の『ディセオ』の根元に、何か紺と緑のクシャクシャした毛玉のような塊りが根に絡まっていた。

 いや、毛玉のほうが絡み付かれていたのだ。

 そのほぼ骨と毛皮だけになった、中に埋もれていた大きな頭蓋骨に見覚えがあった。


「上にいた水牛じゃないのか。あの牛、この層にもいるのか?」

 その僅かに残っている毛皮の感じも、さっき見た『カトブレパス』のモノと同じだ。 

「いや、アレは水牛だから水場の多いとこにしかおらん」

 奴がこちらに戻って来ながら言った。

「おそらく落とし穴か何かで、この層に迷い込んだんだろう。当たり前だが、獣も魔物も罠にはかかるからな」


「……レッカは大丈夫かな。こんなとこに独りでいるんだろ」

 しかも彼は荷物すら無くしてるのだ。

「花粉のことなら大丈夫だろう。ダンジョンに潜るような奴なら、この花の事は知ってるだろうから、袖や服で防げばいいし、多少は耐性も出来てるはずだ。ここの層の魔動物が全滅しないのはそのせいだ」

「そう、花粉は常に薄く飛んでるからな。おれもこんなに飛んでなければ気にしないんだが」

 それはあなたヨエルが常日頃、大麻カンナビスを吸ってるからでしょ、と思ったが言うのはやめといた。


「おそらく栄養が足りない株が多いんだろうな。だから一斉に花粉を飛ばしてるんだ。

 でもそろそろ収まるだろう。飛ばすのもエネルギーを使うから」

 奴がそう言うならそうなのだろう。

 まるで星降る森のようで、しばらく見ていたい光景ではあるが、今は急いでいるし、ましてや危険と背中合わせじゃあなあ。

 

 とにかく頭を切り替えてレッカの痕跡を探す。

「う~ん、また隠蔽を使ったか」

 ヨエルが軽く唸るように呟いた。

 確かにさっきの亀裂跡の近くから、オーラが消えている。

 彼が分からないのに、俺が探知出来る訳ないのだが、とにかく俺なりに細かく探ろうとした。


 それにしてもここも、空間の歪みなのか。抵抗が強いというかヒドイ。

 まわりのまさしく気の流れ(エナジーやオーラなど)が、揺れているのではなく、グルグルと緩くゆっくりとまわっているのだ。

 それは一定の螺旋を描きながら上に向かっていた。

 強い流れのある部分は、まるで柱のように視える。

 それは透明な、床屋のバーバーポール(円柱形の細長い看板)が、大小幾本も天までそびえているような感じなのだ。

 おそらくここの植物はその影響を受けているのだろう。樹も植物も捻じれているし、視えるオーラも捻じれている。

 見ているだけで目がまわる気がする。


 まるで地上のモノを吸い上げる竜巻にも似ているのだが、上に上がった『気』はまた空で散開して降りてくるのだろうか。

 霧が漂う空をなんとなく見上げた。

 すると、手前の一本の気流ポールの流れが、反時計まわりから逆に時計まわりに変わった。

 視ているとそのまま空から白い霧を巻き下げて降りてくる。

 みるみるうちにドライアイスの煙が流れてくるように下りてきた。


 ――なんだ ?! 

 それはどんどん俺たちのまわりに溜まっていき、すぐに2人の姿を見えなくした。

 あっという間に辺りは、真っ白い闇に包まれた。

 咄嗟に探知をしようとしたが、まるで強い眩暈をおこしているかのように触手が出せない。


 これは――――。


 その場を動けずにじっとしていると、背中を誰かが軽く叩いた。

 振り返ると


「え……田上さん???」 


 会社の4階の食堂だった。俺はそこの長テーブルに突っ伏していた。横に食べ終わって空になった弁当容器がある。

 腹がいっぱいになって、ついうたた寝していたらしい。

「ふふっ 今日はお疲れ気味ね」

 そう言って絵里子さんが俺の横に座ってきた。


「あ、そうだね。なんだろ、搬入がこれからなのに」

 俺は食堂の中を見回した。

 まだ食べている人もいれば、食べ終わって新聞を読んでいる人もいる。外のテラスで4人が煙草を吸っていた。

「なんだか、すごく長い夢を見ていた気がする。忘れちゃったけど」

「やだぁ、そんなにしっかり寝るなんて、相当疲れてるんじゃないのぉ?」

 彼女が俺の顔を近くで覗き込むように見てきたのに、少しドキリとした。

 まわりに人がいるのに。

 だが、みんなは俺たちの事なんか気にしてないのか、まったくこちらに注意を向けている者はいない。


「あのねぇ、ちょっと今度の土曜日、時間あるかなぁー?」

「土曜日?」

 土曜日は通常、異世界(あちら)に行く日だが、滞在時間を減らして日曜日に行ってもいい。

「うん、予定ないよ。なに?」

「良かった。実はねぇ、今、両親が来てるの」

「え……」

 今度こそ胸が高く鳴った。


「だから久しぶりにジィジとバァバに、来夢らいむを見てもらえるのよぉ」

 ああ、流石にいきなり両親に会ってくれって話じゃなかった。当たり前だな。

 なに期待してるんだろ、俺……。

 彼女の1人息子はキラキラネームの3歳児だ。内縁の夫はDVで逃げた彼女を追って、悪質なストーカーになっていた。

 それを俺が助けたきっかけで彼女と親しくなったのだ。


「だからね、どこか2人で遊びに行かない? 遠出はできないけど」

「え、ええ、そりゃあいいね。喜んで」

 俺は嬉しいのにどこか落ち着かない気になった。

 いきなりの申し出だからではなく、何か違う意味で落ち着かないのだ。

 それになんだろ、何か大事な事を忘れてる気がする。


「ねぇ、なんだったら今からでもいいのよぉ」

「え……」

 目を動かすと、いつの間にかすぐそばに彼女の顔があった。

 夢見るように潤んだ瞳と、その濡れたような唇から目が離せなくなった――――



 グイッと力強く腕を引き上げられた。


「おいっ 根の上に座るなっ! 捕まるぞ」

「えっ?」

 俺は奴に腕を捕まれ、太い根の上で中腰の体勢になっていた。

 後ろには例の青緑の捻じれた茎があり、頭の上には深紅とレモン水玉の花びらが揺れている。


「なに……夢? どっちが?」

 慌てて立ち上がる俺に、奴が少し呆れたように言ってきた。

「まったくお前は。注意しててもいちいち引っかかる奴だなあ」

「え、霧は? さっきいきなり濃霧が降りてきて――」

 だが、空には相変わらず薄曇りの霧のようなモノが漂ってはいるが、森の中には霞みも見当たらない。

「そんなモノはない。お前が勝手に幻覚を見ただけだ」


 幻覚……あれが。妙に生々しかった。

 それにデートの件、夢だったのかあ……。


「何ガッカリしてるんだ? お前、本当は危なかったんだぞ。アレと同じことになるところだったんだからな」

 奴が顎であの水牛の成れの果てを示した。


「……おっかねぇなあ。それにしてもマスクぐらいじゃダメなのか」

 やっぱり手作りのマスクじゃダメなのだろうか。

「お前、付ける時に払わなかっただろ。すでに顔やマスクの内側についてたんだよ」

「なに、そうなのか。わかってるんなら教えてくれよ」

「普通は言われなくてもやるんだよっ」

 一般人には分からねぇよっ。


 その時、また軽く揺れを感じた。眩暈? まだ花粉の影響が残っているのか。

蠕動ぜんどうだよ」

 ヨエルが言った。

「これが蠕動?」

 一般的に『蠕動』とは、ミミズが動くために筋肉を収縮させるような運動や、動物の消化器官が食べ物を奥に送り込むために蠢くような動きを言う。

 だが、ここダンジョンでも同じような動きがあるらしいのだ。


 確かに地震のように足元や全体が揺れている感じではなく、一方方向から揺れが来た感じがした。

「軽い蠕動は結構、頻繁に起こってるんだよ。ただ小さすぎて歩いていると分からないことが多いんだ。

 今のだって一部分が動いただけ。すぐ近くで起きたから気付いただけだよ」


「一部分が動いたって……。何か変わりました?」

「ほらっ 後ろ」

 そう言われて振り返ると、さっき通ったはずの亀裂が跡形もなく消えていた。

 壁はくすんだ薄灰色の、ただ苔むした岩壁になっている。


「こうやって獲物を奥に追い込むんだ」

 奴が当たり前のように言った。

「お前みたいにすぐにパニックになったり、焦るヤツはまさしくいい餌になる」

 それに対してヨエルが、安心させるようにフォローを入れてくる。

「大丈夫だよ。一方通行の穴じゃないから、どこか別のところに、必ず出入り口が出来てるはずだ。落ち着いて探せばちゃんと見つかる」

 

 入ってきたはずの入り口が消えて、どれだけの人が冷静でいられるのだろうか。

 それにあの1層に比べたら、2層、3層と急に危険度が上がってきてないか。

 俺はあらためて魔物ダンジョンの腹の中にいるのを実感した。



  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 『ディセオ』 スペイン語のdeseo(デセオ)からとりました。

 『願いまたは欲望』という意味らしいです。

 大抵の食虫植物は甘い匂いや蜜で誘惑してますが、これは願望・欲望を見せてくるので、この名前にしました。


 実はこの先4,000字ほど作ったのですが、一話にするには長すぎるのでここで切りました。

 続いて後ほど更新させていただきます。

 更新が遅くなったり早くなったり、不定期で申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします。


 次回は久々にレッカ登場します。

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