第50話 卑怯なケルベロス

 

 水を飲みながらもう一度位置を確認する。

 さっきの竜巻のおかげで枝が折れたり、地面の魔素の粒子が空気中に舞い上がってしまって、探知が余計に利かなくなってしまった。

 まだターヴィのオーラは感じとれない。

 日にちが経っている上に、いろんな動物や魔物のオーラで上書きされて、残留オーラがかき消えているようだ。


「う~、せめて太陽とか出てれば、それで方向確認出来るのに」

「ヤツのように小動物を操って方向を知る以外にも方法はあるぞ。手帳を確認してみろ」

 言われた通りに手帳を見たが、その方法とかは書いてない。

「目印があるだろ? こことか」

 そう言って地図のある部分を指す。


「あちこちに魔素溜まりの場所が書いてあるだろ。地形が盆状になっていたりして魔素が溜まりやすいんだ。

 ここまで大きいのはほとんど動かない。

 こういうのは探知範囲外でも風の流れとかでなんとなく感じるだろ?

 それで自分の位置を確認するんだ」

 地図によると入って来たところから左斜め10時の方向に、中くらいの魔素溜まりが一番近くに書いてあった。

 ルートを外れてなければ今この位置くらいのはずだから………。

 風に乗せて魔素の流れなどを集中してみると、果たして8時の方向にそれらしきものを感じた。

 あと3時の方向にもう1つうっすらと気配がある。

 それは恐らくスタート地点から1時の方向にあったポイントだと思う。他はもう少し先になるはずだ。

「あとは樹の上に登るとかでもやり方はあるが、今回はまだいいか」

 俺は方向を決めると再び速足に歩き出した。


 途中ドードーに似たもっとデカい鳥やブルーパイソン、フォレストウルフなどに遭遇したが、鼻先に少し放電したらサッサと逃げてくれた。

 確かに動物のほうがシンプルだ。

 小一時間くらい歩いただろうか。

 段々と空気というか魔素が濃くなってきたのを感じた。

 さらに20分ほど行ったところで、ターヴィの雰囲気を微かに感じ始めた。

 地面の濡れた黒い落ち葉と枝の間に、微かにオレンジ交じりの緑色のオーラを見つけた。駆け寄ってそれをよく見ると、1本のブラウン系の髪の毛が落ちていた。

 ターヴィのモノだ。ここを通ったという事だな。

 しかし俺の方向確認が間違ってなければ、手帳によるとここは危険地帯となっている。

 普通は避けて通る場所だ。


 あっ、そういえばターヴィは危険な場所に連れていかれたと書いていた。

 そう思ってあらためて辺りを見回すと、捻じれた樹の根元に岩を動かしたような跡があり、そこにポッカリとバケツぐらいの穴が開いていた。

 目を凝らすと土の中に微かに光を反射する魔石とは違う粒がチラホラとあった。

「黒水晶だな。ここに原石があったんだろう。奴らの中にそういうのを探知できる者か、鉱石を検索する道具でここが分かったんだろうな」

 ダウジングみたいなものか。それでここに来たのか。

 その後また引き返したのかわからないが、ここを通り抜けたほうがターヴィがいると思われるポイントに一直線だ。

 ここはそのまま行くことにした。


 もう4時過ぎだ。あと2時間もすれば暗くなってくるし、魔物だって活発になってくるだろう。

 気ばかりが焦る。

 いい加減方向を間違えてないか、立ち止まって確認していた時、俺の索敵に引っかかるモノがいた。


 感じたのは大小の2つ。

 大きさや形からしてターヴィでも人間でもなさそうなのがわかる。小さい方が急に俺達のほうに動いて来た。

 匂いでも嗅いだか。また近くに来たら放電で追い払えるかな。とりあえず姿だけ見てやれ。

 俺達が黒緑の苔生す岩の側で立ち止まっていると、そいつは樹々の間から姿を現した。


 黒い犬の体に頭が3つ、それがそれぞれバラバラの方向に鼻をひくつかせている。

 ケルベロスに間違いない。

 そいつは俺と目が合うと真っ直ぐにこっちに走り寄ってきた。

 だが俺はすぐに放電できなかった。

 そいつは俺の6mくらい手前の茂みの前で止まると、こちらを不思議そうに首を傾げたり、短めの黒い尾を振ったりしてきた。


「なんだこいつはっ、可愛いじゃないかっ!」

 大きさは土佐犬ぐらいだろうか。幅の割に胴が短く、両脚も体に対して太くて短い。

 いやそれよりも一番注視するべき頭が3つあるのだが、これが折れた耳といい、短い鼻と丸い頭、何より真っ黒な円らな大きな瞳が、黒ラブラドールの子犬にそっくりだった。

 

 黒ラブもどきは俺の声に反応して、またスタスタとこっちに近づいて来た。

 一瞬身構えたが、感じる気配からは殺気のように切りつけるような鋭い波長は感じられない。

 そいつはすぐ俺の前まで来た。


 3つの頭は足元の匂いを嗅いだり、俺の顔を見上げたりして小首をかしげている。

「ケルベロスの幼体だな。見たところ生後40日くらいか。繁殖期はまだ先なのに珍しいな」

 ヴァリアスが横に来て言った。

 確かに丸々太った胴太寸詰まりで、頭が3つある黒ラブの子犬――サイズは成犬以上だが――にしか見えない。

 うっ、触りたい。

 しかし兎の件もあるし、いつ豹変するか分からない。

 俺はいつでも放電できるように注視した。


 また2,3歩近づいてくると1頭が俺の靴の匂いを嗅ぎだした。

 続いてもう1頭が服の匂いを嗅ぎ、残りの1頭があろうことか俺の尻の方に顔を押し付けてきた。

 さすがにこれはヤバいと思い体を離した。

「くそっ卑怯な奴だな。可愛い顔して油断させやがって」

 つい気が緩んでしまった。尻を噛まれてからでは遅い。何しろ相手は獰猛な魔物なのだ。


「まだ人間を見た事ないんだろ。それにこの時期は好奇心旺盛だからな」

「なにっ、じゃあ害意はないのか?」

「このくらいだとまだ狩りはしてないしな。まだ親に乳と狩った餌をもらってる頃だ」

「それ早く言ってよ~」


 俺は手袋を外すと、その場にしゃがんで両手を広げた。

 子ケルベロスはすぐに寄ってきて俺の顔を皆で舐めてきた。

「ちょ、ちょっと待てっ! 口はやめろ」

 左手で口まわりをガードしながら右手で真ん中の頭を撫でると、黒い尻尾が激しく振られた。


 手触りはベルベットのように滑らかで気持ちよく温かい。

 真ん中の頭を撫でていたら、自分も撫でろと言わんばかりに、両側の頭が俺の袖を噛んでそれぞれ引っ張りだした。

 いや、いま左手使えないし、大体一度に2つまでしか撫でられないぞ。こういう場合どうするんだ?

 誰か飼ってる人教えてくれ。


 代わる代わる頭を撫でていると、その場に後足で座って前足を俺の肩にかけてきた。

 見えるお腹の毛が無いところはピンク色だ。下のほうに出べそが見える。

 太い前足を掴むと肉球に土がついてはいるが、まだ柔らかいピンク色だった。

 申し訳ないがほんの少し、ターヴィの事よりこっちに夢中になってしまった。


「うわぁ~ ホントに可愛いなぁ。これが本当に地獄の番犬なのかぁ? ポチの間違いじゃないのか」

 地面に転がすと、お腹を撫でる俺の手を皆でガシガシ甘噛みしてくる。

 この可愛さはある意味かなりの破壊力だ。

 デカい子犬は丸々太っていて、もっと小さいサイズなら絶対抱きあげたい愛らしさだ。

 俺の警戒心は吹っ飛んでいた。ホントに卑怯な奴だ。う~ 癒される。


「いやぁ 飼いたいなぁー。どっか飼えるとこに引越そうかなぁー」

 俺はこの時、結構本気で考えた。

「生物は持ち出し禁止だぞ。それに1年もすればああなるしな」

 顔を上げると、そいつはさっき子犬が最初に姿を見せたところに立っていた。


 押し殺すような重低音の唸り声が地鳴りのように響いて来た。

 まとわりつく霧よりも濃い瘴気のような息がその口から洩れている。

 殺気以上の怒りのようなものが否応もなく肌を刺してきた。

 のそりと一歩踏み出してきたその姿は、まさしく黒く呪われた地獄の番犬そのものだった。

 俺は初期の「オーメン」に出てきた黒い犬を思い出した。

 そいつはまた一歩、落ちた枝を踏み砕きながら近づいて来た。

 アフリカ象くらい大きいんじゃないのか。

 この世のモノとは思えない唸り声が段々大きくなってくる。

 鼻の上のシワはこれ以上よれないぐらい歪んで、口元から歯茎ごと恐ろしい牙が見えた。

 

 この天使のように可愛い存在が、アレになるのか……!?

 つい自分の口が半開きになっているのに気が付いた。


「コイツは耐性も強いし、電撃ぐらいじゃ追い払えないぞ。ワイバーンと同じAランクの魔物だ」

 そう言ってヴァリアスが俺の横を通り過ぎていった。

 凍傷しそうなほど冷たくて重たい風がよぎって、子犬がキャン! とひと鳴きして固まったので俺はその体を抱えた。


 子犬は敏感に反応したが、今なら俺にも視える。

 これは以前ハンターギルドで所長達を威嚇した時の悪風と同じだ。

 いやそれ以上かもしれない。


 ヴァリアスの周囲には、闇よりも濃いモヤのようなモノが蜷局とぐろを巻いていた。

 ああここにも瘴気を出しているのがいた。

 あのモヤは絶対触れてはいけないものだと直感した。

 辺りが一気に寒くなってきた。それと同時に薄暗くなる。

 見えないが近くにいた動けるモノたちが、一斉にいなくなったのを感じた。

 ただ1体、ケルベロスを除いては。


 瘴気は真っ直ぐケルベロスに流れているが、相手は唸るばかりで動じない。

「さすがはケルベロス。これくらいじゃ戦意喪失しないか」

 いや、こっちはすでに被害出てて寒いんだけど。

 俺はブルブル震える子犬を強く抱きしめた。

 ふいに大ケルベロスの3つの頭が揃って口を開けた。

 真っ赤な舌と白い牙がハッキリ見える。


 マズいっ!! この展開はアレが来る! 

 俺はすぐに自分のまわりに空気の遮音壁を作ろうとした。

 ケルベロスが咆哮しようとした瞬間、ヴァリアスから発せられていたモヤのようなものが急に膨れ上がった。

 それは爆発したように凄まじい勢いでケルベロスに真っ直ぐ伸びて通り抜けた。

 地面が森ごと震えた。

 俺は遮音壁に代わって別の膜のようなものに包まれていた。

 ヴァリアスがやったのだろうが、それでも地面からくる振動がビリビリと凄かった。

 遠くのどこかで鳥たちが鳴きながら飛び立つ音がする。


「ギャン!」「キャン!」「キャゥン!!」

 3つの頭がそれぞれ悲鳴を上げた。見ると辺りの瘴気は消えたが、ケルベロスの体にはまだ微かにあのモヤが霞のように残っていた。

 ヴァリアスが手を軽く振ると、そのモヤが風に吹かれるように消えた。

 同時に辺りの気温が元に戻り、また薄明るくなった。

 ケルベロスはさっきまでの勢いは何処へやら、すっかり腰砕けになって、耳を後ろに倒し尻尾を後足の間に挟んでしまった。

 しかも子犬のようにブルブル震えが止まらないようだ。

 さっきより随分小さくなった気がする。

 だが、それでも震えながらオロオロとこちらを見て、逃げようとはしない。

 何か凄く困っているような。


「ほう、大したものだ。これで逃げないとは、お前根性あるな」

 ヴァリアスが感心したように言った。

「それはいいけど早く追っ払ってくれないかな」

 すると奴がこちらを振り返って

「そういうお前はどうするんだ? それ」

 ハッとした。

 腕の中で子犬がもぞもぞしながらクーン クゥーンと鳴いていた。


 手を離すと子犬はパっと俺の手を離れて、太い根っこに足を取られながら走っていった。

 ヴァリアスの横を過ぎると、それまで縮みあがっていたケルベロスがいきなり動いた。

 真ん中の頭が子犬の背中を素早く噛むと、そのまま凄い速さで黒い樹々の奥へ消えていった。




 あれからどのくらい経ったのか。

 熱で朦朧とする頭でターヴィはふと考えた。

 

 鳥から意識をはずずと同時に自分も意識を無くした。

 だから今日が何日めかわからない。

 猛禽類に注意して隠れながら飛ばしたので、クイックバードを村まで飛ばすのに半日もかかった。

 いつも使っていた鳥ではなく、テイムしたてなのでずっと意識をくっつけていなければならず、途中何度も意識が逸れそうになった。

 だが、ここで鳥から意識が抜けたら、たちまち操作が外れてしまう。失敗は許されない。

 必死で食らいついた。


 念のために魔素の粒をポケットに忍ばせていたのも良かった。途中魔力が尽きそうになったとき、これを飲んで補給した。

 おかげでなんとか村の前まで持った。

 最後に鳥の目を通して見たのは村の門前、門番のフランを見下ろしたとこだった。

 フランはあの袋に気づいてくれただろうか。

 ちょっと粋がってるとこもある奴だが、根は悪い奴じゃない。目の前に落としたのだから、気付いてシヴィのとこに持って行ってくれただろう。

 そう願いたい。 


 あの時切りつけられた時の傷は、応急処置はしたが化膿したようだ。

 痛みも激しいし、膿の毒がまわったようで熱が出て寒気がする。

 薬と携帯食はあいつらに取り上げられた。

 水筒だけは残して貰えたのは良かったが、その水ももうない。

 通常なら夜露を集めたりして水を確保できるのだが、もう体が動かない。


 危険な仕事を続けてきたのだから、いつかはこうなる日が来るのは覚悟していた。

 ここで案内人の仕事をやって28年、結構もったほうか。

 危険な割にはあまり儲かるとはいえない仕事だが、テイマ―の自分には合っていたと思う。

 

 結婚して子供が生まれて妻と別れて子供を育てながら仕事して…………シヴィがなんとか成人するまでは生きれた。悪くはなかったのかな、おいらの人生………。


……………………最後にシヴィの顔が見たかったな………。



 微かにケルベロスの匂いがする。

 近くに来たか。こちらが匂いが分かるという事は、向こうにもこちらの匂いは分かるだろう。

 撒いた匂い消しの効力が無くなったか。

 傷が元で死ぬのかと思っていたが、魔物に喰われるのが先だったか。

 せめて一発で噛み殺してくれないかなぁ………。

 

 匂いがどんどん近づいてくる。

 落ち葉や枝を踏む音が聞こえてきた。真っ直ぐこちらに向かってきている。

 それを感じると急に恐怖が湧きだしてきて、心臓が音をたて始めた。

 やはりいざとなると恐いっ! 怖いっ、こぉわいぃぃ――


 寒気とあいまって震えが止まらない。

 目を開けようにも強張こわばって開かない。

 ソイツが穴の前に積んだ枝をどかし始めたのが分かった―――――――――― 


 神様っ どうか最後にご慈悲をっ!!

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