第49話 ゴブリンと遭遇する


 川の対岸に行くと霧は一層深くなり、その中に黒っぽい樹々の群れが現れた。

 葉も幹も焼かれたように黒い。心なしか空気まで重く感じる。

 俺は手帳を取り出した。

 

 ターヴィが印をつけた場所に最短で行くために、ここから森に沿って右寄りに移動する。

 探知に似た能力で、地磁気や立ち昇るオーラなどで、周りと自分の位置を把握出来たりする、いわゆる鳥や動物が方角を知る能力のようなモノがあるのだが、なんだかここはハッキリと認識できない。

 ぼやけるというより、オーラというか辺り一面から斑なエネルギーが乱反射して、キラキラやモヤモヤしてよくわからないのだ。


 例えていうなら、まだ残り火のある森林火災現場でサーモグラフィーを見ているような感じだろうか。

 ターヴィが入口だけでなく、周りの目印を結構書き入れてくれているので、なんとか目視で位置を割り出せた。

 おそらくこの斜めに並行になっている3本の樹から、右に少しいった辺りから行くのが一番近いはずだ。


 森に入ると空気の重さが一段と感じられた。

 息苦しいまでは行かないが、なんだかとても濃くて臭い感じだ。

 同じ森でもセラピアの森とは大違いだ。

「空気が違うだろ? あの森とは魔素が違うからな。おまけに今魔素が荒れているから合わない者にとっては軽い瘴気のように感じるはずだ。

 だけど護符も付けてるし、実害は無い。慣れるにはちょうど良い」

 それでここに連れてきたのかよ。

 確かに深呼吸したいような空気じゃないが、かと言ってかび臭い地下室の空気って感じじゃないな。

 強いていうなら火山近くの硫黄臭い空気って感じか。


「魔素が荒れるってどういう事だい?」

「そのままの意味だよ。原因は色々あるな。

 地震や山崩れによる地殻変動、大雨や強風、磁気嵐とか、主に磁場が揺らされるようなことで、魔素が放出されたり動いたりすることだ」

「この乱反射みたいに感じるのは魔素がそれだけ濃いって事か」

 富士山の樹海の磁場みたいだな。


「あちこちに魔石の粒が散らばってるんだよ。ほとんどが砂粒くらいだが、これが寄り集まって大きな魔石になる。もちろん大半の成分が魔素で構成されてるから、オイルと煮て蒸留したりして魔力ポーションを作る素になるんだ」

「魔力が切れた時とかに補給するポーションのことかい? そうやって作ってるのか」

 ドラクエやってるときに、ダンジョンに向かう時は薬草以外にMP回復アイテムは出来るだけ買って持って行ったなぁ。

「もちろん直接食べても魔素を吸収することはできるぞ。粒状のほうが飲みやすいしな。

 試してみるか?」

「いやまだ必要ないし、何が悲しくて砂利土を食べなくちゃいけないんだよ」

「ポーションを買えないような者には、ここの魔石を含む土は有難いモノなんだぞ」


 中は霧も深いがジャングルのように黒くて高い樹々が欝蒼としていて、足元はデコボコと起伏も激しく、かなり歩きづらい。

 いきなり崖のような角度のキツイ傾斜があり、うっかりすると落ちそうになる。

 捻じれた樹の根や、倒れた大樹の枝などが真っ直ぐ歩く事を妨害している。

 霧と覆いつくす黒い樹のせいで、まだ高くにあるはずの太陽もほぼ見えない。

 辺りは白夜のような薄明るさだ。


 始めヴァリアスが先頭をひょいひょい軽く走っていたが、途中から

「ここら辺からお前が検索しながら進んでみろ」

 ここで持ってきた腕輪が必要なのだ。

 これでターヴィの残留オーラを感じ取る。

 色で例えて言うなら、ターヴィのは緑色にオレンジが少し混じった感じ。

 周りの灰色や黒、赤、緑、茶色などが混ざり合いうねった中からこれを探すのだ。


「もう少し急がないと日が暮れるぞ」

 後ろからのんびりついてくるヴァリアスが言った。

 だけど俺はいつもより分かりづらくなってる探知をしながら、霧の中、足元にも注意して道なき森の中を行くのだ。当然速度が落ちる。

 仕方ないのでちょっと走って、少し移動したらオーラを検索するということを繰り返す事にした。

 今の俺はこれぐらいで精一杯だ。

 姿は見えないが、キャアーキヤァーいう甲高い声や、グワグワァと蛙に似た鳴き声、枝を揺らす音などいろんな生物がいるのは確かだ。

 そいつらは俺達の事を遠巻きに見ているようにも思える。まぁ、監視していても、手を出してこなければ良いのだが、やっぱりそんな穏便に事はいかないようだ。

 しばらくすると茂った樹々の中に蠢くオーラを感じた。これは枝が揺れているのではない。

 しかもかなりの数がいる。

 こちらに向ける波長は好奇心というよりも―――――。

 

 ―――ゾッとした。考えるより先に土魔法で岩のドームをイメージした。


 突然、ヒョウが降ってきたのかと思うような激しい音がした。

 実際は矢や槍が雨のように降り注ぎ、それが俺達のすぐ上で音を立てて岩に当たり散らしているのだ。

「よくやった。以前より上手くなったな」

 褒めてくれてるようだが、俺は胸がドキドキして返事を返す余裕なんかない。

 まだガッ、ゴツン、ガツンと当たってくる音がする中、岩が壊れないか集中に精一杯だ。

 痛くはないが、自分の体の表面のように岩に当たる手ごたえを感じる。


 ややあって音がしなくなってきたが、岩のドームなのでもちろん外が見えない。

 小さな格子窓を作ればいいのかもしれないが、そこが脆くなって矢を撃ち込まれたらと思うと怖くてできない。

 索敵で様子を探る。

 

 枝上で騒めいている猿のような奴らがいるわいるわ、たぶん2,30匹はいるように感じる。

「どうする? このままじゃ埒が明かないぞ。一気に焼き払うか?」

「いや、そんなむやみやたらに殺すのも……それにそんな事したら山火事になっちゃうよ」

「甘いな、命を狙われてるのに。まぁちょっと手助けするか。この岩を消せ」

 岩を消すのに躊躇したが、ここは信用して一気に消した。

 途端に俺達を取り巻く樹々の周りを何本もの竜巻が立ち昇り、轟音と共に樹々を激しくゆすった。

 枝の折れる音に交じって悲鳴や叫び声が飛び交う中、ドサドサと落ちてくる音がそこらじゅうでした。

 

 落ちてきたり、まだ枝になんとかしがみついていたのは、12,3歳くらいの子供のような大きさ――ドワーフやノームくらいか――で緑色の肌にぼさぼさの髪、ギョロっとした大きな赤い目。先の尖った大きな耳に大きな鼻、チンパンジーのように少し突き出し気味の口。

 毛皮や腰布をまとった小柄な体に似合わず、腕が妙に長くて足が大きかった。

「こいつらってもしかして……」

「そう、お前も知ってる俗称ゴブリンだ。

 別名グリーディインプ。名前の通り貪欲な奴らだよ。

 欲にとらわれて他人の物や命も平気で奪うのは当たり前。時には自分自身も危険にさらす、欲望に勝てない奴らだ」

「こんな時に面倒なっ!」

「後はどうするかはお前に任す」

 そう言うやいなやヴァリアスはかき消すように見えなくなった。

 おいっまたかよ! 

 咄嗟に背中側にまた岩の湾曲した壁を作る。

 ホントにうちの家庭教師はスパルタだな。


 落ちてきた奴の中には呻くもの、また慌てて樹に登っていくものなど死んだ奴はいないようだった。

 どうやら手加減はしたらしい。

「おいっお前ら、言葉わかるかー? 俺は急いでいる。黙って通してくれればこれ以上何もしない。

 幸い今死んだものはいないだろぉー。

 これ以上手を出さないなら、先に手を出してきたことは水に流すから」

 始めは遠巻きに様子を見ていたゴブリン達は、俺が1人だとわかったせいか、また枝を激しく揺すったりギャアギャア喚き始めた。

 やっぱ言葉通じないのか。通じてもオークは話し合いにならなかったけど。


 すると右の視界に、ひときわ大きな姿がゆっくりと樹から降りてくるのが見えた。

 急に周りで騒いでいたゴブリン達が静かになった。

 そいつはのっそりと地上に降り立った。


 ゴリラを思わせるような肩と腕、体格といい2m以上の身長といい、間違いなくこいつがボスだとわかった。

 辺りにこいつ以上のオーラエネルギーを発している奴もいない。


“ ボギャッ、ゴルー、グフ、ゲラッフゲラ ”

 やっぱり言葉はあった。

 人間の言葉の文法とは少し違うのだけど、直訳するとこんな感じだった。

【置け、命、取る、持ち物全て】

「追いはぎかよ。お前たちの縄張りに入ったのは悪かった。それは謝る。

 だけどいきなり攻撃してきたのそっちだろ。お互い様なんだからこのまま通してくれれば、もう誰も傷つけない」

 俺は敵意がないことを見せる為、両手を開いて顔の高さに上げて見せた。

 だけどこれがマズかった。

 恐らくこちらでもこのポーズは降参を示していたのではないだろうか。

 

 急にまわりじゅうからゲラゲラ、ギャフギャフ笑い声が起こった。

 樹上の奴だけでなく、地上に尻もちをついていた奴らまで大笑いしている。

 目の前にいるボスもニヤニヤしていたが、急に右手を横に振った。

 同時に樹上の奴らが一斉に飛び降りてきた。

 

 次の瞬間、俺のまわりで何十匹の小鬼が悲鳴を上げて飛び退いた。

 俺のまわりには柱上の電気が張り巡され、それに感電したのだ。

 ヴァリアスが消えた時点で、地面に散らばる魔石の粒子を使って静電気を起こしておいた。

 それを放電させたのだが上手くいった。内心ドキドキだったけど。

 まぁ電気量自体は少ないので痛いけど、死ぬほどじゃない。

 

 だが脅かすのには十分だったようで、優越満面に飛び掛かってきた小鬼たちは、弾かれて慌ててまた樹に登ったり、樹の陰に隠れたりした。

 かかって来なかった奴らも、仲間の様子や火花にビックリしたようで固まっている。

 これで諦めてどっか行ってくれ。

 この雷魔法? はまだあんまり長く続けられない。

 放電する方向を操作維持する事が長く続かず、奴らが近くにいなくなったので電気を引っ込めた。

 

 すぐ後ろで石の囲いが、激しい音を立てて破壊されたのはほぼ同時だった。

 いつの間にかあのボスが、俺の後ろに回り込んでメイスを振ってきたのだ。

 石のお陰でギリギリ、メイスの殴打部分についた刺が、俺の左目に当たる手前で止まった。

 もうゾッとしてる暇もない。


 見上げて一番上に登っていた小鬼と入れ替わって転移する。

 枝の上に立つと、下でボスが入れ替わった小鬼を蹴飛ばしていた。

 すぐにボスのまわりの空気を酸欠状態にする。酸素量がどんどんゼロに近づく。

 ボスはちょっとキョロキョロと辺りを見回したが、すぐに樹上の俺に気が付いた。

 そうして両手を大きく振り上げて咆哮した。


 そのままのポーズで大きな地響きを立てて、ボスゴブリンはその場に倒れた。

 なんとか効いてくれた。


「お前らもこうなるぞっ! 死にたくなければどっか行けっ!」

 俺は大声で叫ぶと、最後の脅しにぐるりと取り囲む樹の表面に一瞬だけ電気を流した。

 固まって様子を見ていた小鬼たちからあちこちで悲鳴が上がると、一斉に猿のように枝を飛び移りながら我先に逃げていった。

「はぁ~……」

 俺は枝の上でしゃがみ込んだ。

 

 ふと見下ろすと倒れたボスゴブリンの側にヴァリアスが現れていた。

「そのまま転移を使わず降りてこい」

 あらためて見ると高さは俺のアパートから見下ろす位置より高い。10m以上はあるか。

 運が良くても足を折りそうなので、枝や幹に掴まりながら気を付けて降りようとした。

「そこから飛び降りてこい。身体強化すれば大丈夫だ」

 えー マジですか。マンションの3階建てくらいの高さだぞこれ。

 いや、あいつは本気だな。くそ、本当に大丈夫なんだろうな。

 

 すぐ下の根っこの重なるところは避けて、出来る限り平らな地面に飛び降りた。

 ズンッと衝撃が膝に響いたがなんとかなった。

 俺は恐る恐る立ち上がった。

「今はまだ身体強化しないと危ないが、そのうちお前なら通常でも平気で降りられるようになるぞ」

 そう言われてももう子供じゃないから無謀な飛び降りとか勇気がいるんだよ。


「まだ手を抜くなよ、トドメをさしてやれ」

 ボスゴブリンはまだ辛うじて生きていた。だがここまで酸欠の空気を吸ってしまっては、今さら酸素を吸ってもどのみち助からないだろう。

 もし生き残っても脳に大ダメージが残るはずだ。

 俺はそのまま1分ほど、動かないボスの顔のまわりを酸欠にしていた。苦しまないとはいえ気分の良い行為とは言えなかった。


「しかしお前はいちいち和解を求めるんだな。危なっかしくて見てられん」

「思いっきり傍観してたじゃないか。俺は余計な殺生はしたくないんだよ。それにこいつら元人間の意識があるなら通じるかと思ったんだ」

「その元人間の頃の意識があるから厄介なんだよ。ただの魔物のほうがずっとシンプルだ」


 解析して完全に死んだのを確認すると、俺はその場にしゃがんで手を合わせた。

「お前のとこではそうやって祈るスタイルなんだな」

「ああ、宗教によって手の組み方が違うけど……あれっもしかしてこうやって祈るのって、こっちじゃ通用しないのか?」

 そういや俺、始めの兎に対しても南無阿弥陀仏言っちゃったし、こっちの神様と違うから全然無効だったんじゃないのか? 

 ただの自己満足な行為になってたのか。

「祈り自体は気持ちが大事だから別に無駄にはならんが、どうせならこっちのやり方でやるか?」

「そうだね。やっぱりこちらはこっち式でやった方が良いだろうし」


「国や宗教によって細かいとこが違ったりするが、一番多く使われているやり方を教えておく。

 立ったままや片膝のみの略式の場合もあるが、基本はこうして地面に両膝をつく」

 そう言うとヴァリアスは片膝でなく両膝を地面についた。

 俺も横で真似をする。

「両手は胸の前で交差させる。体を抱くようにするのじゃなくて、手は肩まで上げずに胸の前だ。あと右手が下だ」

 背筋を伸ばすようにも直された。

「そのまま上体を斜め前に倒す」

「この姿勢を保つのって結構腹筋使わない? 長いお祈りしたら結構なストレッチになりそうだが」

「出来なければ頭(こうべ)を垂れるだけで良い。だけどお前は出来る限りこの体勢でやれよ。ちなみにこれは祈り以外にも相手に敵意が無い事を示す形だからな」

 ハイハイ、もうなんでも訓練に繋げてくるな。


「この場合は、命を司る運命の女神スピィラルゥーラ様に祈る。教会でもないから簡単にやるぞ」

 殺しといてなんだけど、急いでいるから今は簡単でいい。後であらためてやろう。

「慈悲深き運命の神スピィラルゥーラ、我ここに祈り捧げる」

「慈悲深き運命の神スピィラルゥーラ……我ここに祈り捧げる」

 俺も真似して復唱する。

「どうかこの者を憐れみたまえ」

「どうかこの者を憐れみたまえ」

「願わくば―――」


 気配を感じて目を開けると、ボスゴブリンの遺体の上をバレーボールぐらいの大きさの薄緑色の光の玉がポワンと浮かんでいた。

 それはみるみる2つ、3つと増えていき遺体のまわりをゆっくりと回り始めた。


「待てっ! 今のは無しだっ! オレのはカウントにいれるなーっ!!」

 ヴァリアスが慌てて立ち上がって光玉に叫んだ。

 光の玉たちは動きを止めるとふわりと消えていった。


「――――危なかった。コイツ、もう少しで天国行きになるところだった」

 奴が苦々しそうに言い捨てた。

「今のって……そういう事?」

「クソッ、天使の奴ら空気読めよなっ、マニュアル通りに仕事しやがってっ! 

 勝手に天国送りにして怒られるのはコッチなんだぞっ」

 さすがに神様に近い使徒が祈ったら、そりゃ一発で天国行っちゃいそうだな。

 それに今のは忖度どころでは済まされそうにないし。


「祈り終わり! もう行くぞっ」

 俺も慌てて目の前のゴブリンとメイスを収納して立ち上がった。

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