第181話☆ ヨエルの憂いと希望と……
「じゃあ
いったん鳥の大頭は、ヨエルがリュックの中に仕舞った。これはあとで別に解体するらしい。
しかしマナ板どころか、岩の上に直置きかよ。
どうせ焼くから気にしないのだろうが、せめて焼く前に洗いたい。
短剣を手にする前に、ヨエルはヘルメットを脱いでリュックの上に置いた。
ふと短剣を取ろうとするのをやめた右手が額に触れる。
リュックに入れていたあの青いバンダナを取り出して、額に巻こうとした。
ガン! 岩に何か当たる音がして、俺達は振り返った。
「ヨエル、お前そんなにその傷痕が気になるのか」
奴が岩の上に乱暴にジョッキを置いた音だった。
「――別に気になるほどじゃないが……。前髪が落ちてきたら邪魔だろう」
彼の黒筋混じりの焦げ茶の前髪は、目に入るほど長くないと思うが。
「ヘタな嘘つくな。本当はその火傷の痕を触りたくないからだろ。
どうしても気になって触っちまうから、隠しときたいだけだ」
「…………」
ヨエルは言い返さなかった。
俺も確かに度々見せる彼の仕草が気になってた。
人には『無くて七癖』という言葉があるが、彼のはクセというよりも何か神経質的なモノを感じていた。
ただのクセか強迫観念的なモノか、その違いは俺も覚えがあるからなんとなく分かる。
「さすがに全部お見通しか……」
諦めたようにバンダナを持った手を下ろした。
「確かにこの火傷の痕は、あんまりいい思い出じゃないんでね……」
つい気になっていたついでに訊いてみた。
「あの、それってスプレマシーポーションくらいなら、なんとかなるんじゃないですか?
失礼かもしれませんが、ヨエルさんくらいなら、それくらい買えそうですけど」
以前会った、『アルメアン』の馬車案内所の門番のオヤジは、傷をわざと残していると言っていた。
自分の注意不足で仲間を死傷させてしまった、戒めを忘れないために。
だが、彼はそう言う感じではなさそうだ。
本当は消えてなくなって欲しいモノのような……。
「……これはガキの頃のでね。月日が経ち過ぎちまった。
もうスプレマシーを買える頃には、治る状態じゃなくなっちまったんだよ。治療師でさえもここまでが限界だと言っていた」
右手で撫でるように火傷の痕を擦った。
「じゃあ、
アレって……やっぱり高いんですね……」
スプレマシーどころか、最高峰のポーション、エリクシル。
ギルドの薬局でもポスターさえ見なかった。やはり恐ろしく高いのだろう。
フッと、ヨエルが笑った。
「兄ちゃん、本当に遠いとこから来た
こちらの目を覗き込みながら言う。
「どこの国も『エリクシル』クラスの薬は、国家ぐるみで抑えちまってるよ。
戦争や流行り病が起こった時に、まず王族や皇族、権力者の奴らを守るためにな。
貴族どころか、下々の者になんかまず回しちゃくれないよ……」
「じゃあ、『妖精の泉』なら――『そうじゃねぇだろっ!』」
ついその名を口にしてしまった。それを遮るように奴が声を被せてきた。
「お前が気にしてんのは、その火傷痕じゃなくて、その原因だろうがっ」
それに対して彼は顔を動かさずに、目だけで奴を見上げた。
「…………」
「別に隠す事じゃねぇだろ。もうお前は奴隷でも何でもないんだからよお」
どういう意味だ?
そんな俺の疑問が分かってるみたいに奴が俺の方を見た。
「前にあの
アレだと
『予知』という言葉に、ヨエルの肩がピクッと動いた。
「だからそういう奴には『隷従の輪』とかを使うんだ。
それなら意識も能力も阻害しない。ただ主人に逆らえない呪いがかかってる。
だけどそれもこれも、結構な代物だ。
あの女みたいに高く売れるような奴隷じゃなきゃ、普通は使わねぇ。ただの奴隷を示す輪っかを使う。
ただ、それ以外の方法もあるんだよ」
ヨエルはもう顔を上げていない。
この話はこのまま続けていいのだろうか。
「何故か、わかるか?」
急に振ってきた。
「……そんな事分かる訳ないだろ。それにもうこの話は止めた方が――」
「――ただの輪じゃ、外される可能性があるからだ。それと売る気がない奴隷は――
そういう奴には自分のとこの家畜と同じ、焼き印を押すんだ……」
ヨエルが話しだした。
「体は隠しやすいが、顔だとどうしても入管時に調べられる。遠くへ逃げられない」
ヨエルが力無くその場に座り込んだ。
「……だからこうして、上から焼きなおすしかない」
「そう、焼き直したんだろ? だったらそれはタダの火傷、もう奴隷の徴じゃねんだ。名実ともに自由人じゃねえかよ。
何をそんなに気にする?」
奴が前にどかりと座ってきた。片手にジョッキは持ったままだが。
「…………旦那にゃ分からねぇよ。
奴隷は人間以下だ。堕ちた途端に物になる。
奴隷は感情がない。ただ動物と同じ、本能のみで反応する馬鹿だと思われてる」
「まさか本気でそんなこと思う人はいないでしょう? だって同じ人間なのに……」
そう言う俺にヨエルがゆっくり顔を向けてきた。
「―― 感情を無くさないと生きられないからだよ。だからまわりから見ればそう見える」
「それで?」
奴がわざとらしく分からないという感じに首を傾げた。
こいつは本当に理解出来ないんじゃないのかっ!?
「だから、どこの国でも奴隷だった奴は軽蔑すべき対象な――っ」
ビッと、奴がヨエルの顔の前に人差し指を突きつけた。
「下らねぇっ! ヨエルッ お前に感情はないのか? あるから悩むんだろ。
お前の頭の中は空っぽか? オレがコイツを任せるぐらい、お前には知識と能力があるじゃねぇかっ!」
「そう……評価してくれるのは有難いが、一般的には……」
「フン、一般だろうが特殊だろうが、他人がどう思おうなんざ関係ねぇっ。
オレはオレ。お前はお前だ。傀儡でもねぇし物でもねぇ。
それに過去は過去だ。過ぎちまったモノにいつまでも囚われてるなんて、下らなすぎるっ」
最後の方は俺の方を見て言った。
「ヴァリアス、そうは言うけどな、感情ってのはそう簡単にいかないんだぞ」
俺だって過去のことが、綺麗さっぱり忘れられたらどんなに気持ちいい事か。
それにこの切り替えの早い彼が、そう出来ないのは、その奴隷の名残りが残っているせいだ。
きっと触るたびに自分の過去を思い出すのだろう。
俺が傷が治るたびに苦い思い出が甦るように。
「大体、あの女はなんて言ってるんだ。どうせお前の事だから女には話してるんだろ?」
この馬鹿と一緒だからと、俺の方を親指で指した。
「……兄ちゃんも何か秘密持ちなのか」
ヨエルが顔を上げてきた。
「そうだ。そのせいでコイツは女にフラれたんだ」
「うるせぇんだよっ! 俺の痛い過去はどうでもいいじゃねえかっ」
今でも胸の奥が疼くんだから、イジるんじゃねぇよ。
「……ふっ、それじゃ、まだおれはまだマシな方なのか」
「え」
「あいつは別に気にしないとさ」
どうやらあの後、彼はエイダに自分が元奴隷の身だった事を打ち明けたらしい。
それで彼女の発した言葉が
『だから?』だったそうだ。
「『そんな昔のことはかまわない』とさ。
ああ……確かに旦那みたいな事言ってたな、あいつも――」
ヨエルは一つ息を吐いた。
『それはあんたのせいじゃないでしょ』とエイダは言った。
『だったら何も恥ずべきことは何もないじゃない。
あたしだって体売ってるけど、別に恥ずかしいなんて思ってないわよ。違法行為じゃないし、お客さんが喜んでくれるなら、これも立派なサービス業でしょ?』
そう言ってヨエルの額に口づけした。
『ねえ、そんなに独りで抱え込まないで。あたしで良ければ一緒に持ってあげるわよ。
あたしといる時ぐらいは忘れさせてあげるから』
柔らかな温かい腕が首に絡んできた。
「あいつもガキの時に、黒死病で家族全員やられちまってさ。
独りぼっちになったところを騙されて、娼館に売られたのに、ほんとに逞しい女だよ」
「あの女は気が強いからな」と奴。
それに対しやっとヨエルが少し口元を緩めた。
「違げぇねえ」
それから彼は俺と奴を交互に見て
「確かに、旦那たちにも奴隷から解放してもらって、こうして普通に扱ってもらってるんだから、それだけ十分に人間に戻れたってことだよな」
「まっ、そういう事だ。
それにもしも、昔のことを嗅ぎつけて難クセ言う奴がいたら、オレの名を出してもいいぞ。
オレが雇ったハンターを
奴がドンとジョッキで胸を叩いた。中にはまだ半分くらい入っていたはずだが、一滴もこぼれない。
「わかった。――有難う、旦那」
ヨエルが頭を下げた。
「礼はいい。それよりさっさとツマミ作れよ。こっちは酒控えめにして待ってるんだぞ」
やっぱり焦れてたのか。
というか、脇に樽を抱えて何処が控えめなんだか。
再び鳥の方に向き直った彼だが、手にしていたバンダナをふと見ると、おもむろに額に巻いた。
「傷関係なく、やっぱコレ使うわ。
何しろあいつがくれた物だからな」
二ッとこっちを見て笑った。
なんだよ、結局のろ気かよ。
なんだかんだで、上手くやってるようじゃないか。
確かにヨエルは渋くていい男だと思うよ。俺のハリウッド映画で鍛えた目で見てもそう思う。いかにも女にモテそうだし。
って、結局失意に終わってるのって俺だけかよ、コノヤロー。面白くねぇー。
が、師匠が元気になったようだから、まあいいか。
とりあえず羽毛の詰まった袋を、カバンに収納した。
すると短剣を鳥の腹に当てようとしていたヨエルが言ってきた。
「旦那は規格外だけど、兄ちゃんもアレだよな。結構な収納持ちだよなあ」
「えっ? まあ確かにこのバッグ、かなり容量ありますけど」
コトンとまたヨエルが短剣を脇に置いた。
何故か口を片手で隠している。
ナニ? 俺変なこと言った?
「そ、それ、マジめに言ってるのかぁ?」
「ええ、だってそれ以外に?」
「あ゛? ヨエル、お前これがタダのバッグだって気付いてたのか」
奴が2杯目を飲もうとしたジョッキを止めた。
「ああ、申し訳ないが、兄ちゃんがここに入る前に使った時からな。
――そうだなあ、ここは注意を伝えとくのも雇用主を守る事になるか。
でも旦那ほどの人が気付いてないとは……」
なぜかヨエルは可笑しそうだった。
「なんだ、探知で分かったんじゃないのか?」
「いや、違うよ、そんな使わなくても見りゃあ分かる。
ええと、これ見てくれ」
自分のリュックを引き寄せた。
「これも前に言った通り、収納機能を付加してある」
そう言いながら、リュックを大きく開いて見せた。
そこには収納空間独自の、絶えず中心から広がり消えていく波紋が中に浮かんでいた。
そうしてリュックの黒い内面には、何かびっしりと模様が光っている。
やっぱり高い品は内面の飾りも違うなあ…………って、これ、魔法式か?
「あ……そうだった」
奴の目が点になった。
「ぶっふぅっ! だ、旦那、その顔はマズいっ、そりゃあ反則だってぇっ!」
もう耐えきれなくなったヨエルが震えながら笑いだした。
このバカザメは忘れていやがったのだ。
魔道具という物には、魔法を発生させるためにこうして、魔法式が組み込まれているのだ。
そしてそれを作動させる魔石も。
それなのに俺のバッグにはそんなモノ、一行もない。
外カブセにロゴが付いているだけで、中には模様すらない。
つまりエンジンも燃料も積んでいない、形だけの車のようなモノだった。
魔法の種類によって式は簡略化できるものもあるが、収納魔法はそう簡単じゃない魔法だった。
だから俺のバッグぐらいだと、絶対にカブセ裏までびっしりと書いてなければならないものらしかった。
「今までシャレでやってるんだと思ってたのに、まさか、ググッ―― 本気で隠してたつもりとは――」
そう言う彼はとうとう腹が痛くなり出したようだ。
腹にもう片手をやって、前屈みになってきた。
「このポンコツっ! あんたが分かってなくちゃ一番ダメじゃねぇかよっ!
俺はこっちの事、よく知らねぇんだからなっ」
「しょうがねぇだろ、あくまでダミー程度のつもりだったんだから――って、誰がポンコツだっ!!」
「イダイッ イタイッ! このバカッザメッ!!」
自分の失態のくせに俺の頭にアイアンクローしてきやがった!
「だからっ オレは魚類じゃねぇって言ってるだろがっ!
そんな事も覚えられねぇのかっ!!」
「アー ハッハッハァッ!!
もう勘弁してくれっ、おれこのまま笑い死にそうだぁっ」
ヨエルが本当に可笑しそうに笑った。
岩山の上は俺達の声で一気に騒がしくなった。
もし敵でもいたら、一発で見つかっちまうところだった。
でもそんな事もあとで良い思い出になるのだろう。
そう、なるはずだった――――
―― 俺はどうしようもない馬鹿だ。
予知や占いよりも、もっと確かな情報を得ていたのに。
使徒たちがあんなにハッキリと教えてくれていたのに、俺は軽んじていた。
レッカを助けて安心してしまったのだ。
俺の中でもう、『助ける』というミッションが終わったような錯覚を起こしていた。
それはまだ始まってもいなかったのに。
まだ嵐の前の静けさだったんだ。今ならそれが分かる。
それは地を這うように忍びやかに、しかし確実に巡り合わせの糸を織り始めていたのだ。
これから起きる人々の運命の模様を。
一番情報を得ていた俺なら防げたのに………
すまない………ヨエル………
本当にすまない………………
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
次回でこの長い1日を終えるつもりです。
まだ少し『嵐の前の静けさ』は続きます。
奴隷が自由の身になっても、元という過去を世間がなかなか忘れさせてくれない世の中です。
確かドラマ『ルーツ』でも
自由にしてくれたはずなのに、同じ土地に居続けると再び奴隷にされるとかいう、馬鹿な法律のおかげで家族と離れ離れになるし。しかも実話だ。
まだまわりの国が奴隷制を続けている中、民衆の意識を変えるのはなかなか難しいようです。
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