第180話☆ キャンプ


 2層に出ると、また砂丘は水没していた。

 

「また湖になってる。なんか早い周期で変るんですね」

 俺は普通に感嘆して言った。

「んん、いや、確かに変わることは変わるんだが、一日でこんなに何度も変化するのはちょっとアレだな」

 ヨエルが少し眉を寄せた。


 とにかく食事と寝床を確保するために、キャンプすることになった。

 俺はてっきり、この壁の傍の浜辺でするのかと思ったのだが

「そんな出入口の近くで野営してたら、誰が来るかわからないだろう。さっき見た通り、ここは善人ばかりがいる楽園じゃないからな。

 こんな上層だったら魔物より人間の方が厄介だ」と師匠が言う。


 そうなのか。

 ゲームではいつも、何かあってもすぐに逃げられるように、階段下とか出口のそばで野営していたが……。


 何事にも時と場合と場所、臨機応変に対応するのは当たりまえのことだが、ダンジョンのような無法地帯では人も魔物と同じ危険対象になるらしい。


「ったくお前は、ゲームや映画とは違うんだぞ。

 お前がもしパーティのリーダーになったら、一日で全滅だ」と奴。

 ううっ、しょうがないじゃないか。

 それを知らないから学ぶために来てるんだし、地球人でダンジョンに入った奴なんかいるのか? 


 大体とんだバーバリアン・ルールだ。

 俺、ハンターになって本当に良かったのだろうか? 


「とはいえ、コイツがギリギリ行ける範囲じゃないと意味ないしな」

 奴がそう言って湖を見ると、スッと右斜めの方角を指さした。

「あの4本、樹が生えてる岩がいい。小さいが上に泉も湧いている」

 俺とヨエルは、その指先の指す方に目を凝らした。


「上に3本、左側のちょっと下がったとこに1本生えてるヤツかい?

 おれも探知には自信がある方だが、さすがにあそこまでは視えないなあ」

 ヨエルが感心して言った。


 俺はというと、3層からこの2層に戻ってきた途端、触手が軽くなった感じがしたのだが、師匠が出来ない距離を視えるわけがない。

 目視でも何個か見える岩山のどれかも分からない。

 えっ 師匠は目視できてるのか?


 あとで聞いたらこちらの人の視力は、一般的な日本人よりも圧倒的に良かった。

 考えたら当たり前なのかもしれないが、空の見えない都会に住む人間と、地平線の見えるところに住んでいる人間とじゃ目の働きが違う。

 こちらでは視力の表し方が異なるが、奴によるとヨエルは両目3.7前後はあるようだ。

 1.5の俺なんか、こっちじゃ弱視なんじゃないだろうか。


「でも確かにあれくらい離れてれば、一応、弓使いアーチャーの射程からも外れるかな」

 どんだけの敵の想定をしてるんですか。

 

 それからヨエルがまた『スカイバット』をリュックから出してきた。

「これを使えば兄ちゃんでもあそこまで行けるよ」


「いや、今回それはいい。コイツの力だけであそこまで行かせる」

 奴が軽く俺の頭を叩いた。

 なに、俺に泳いでいけというのか?


 遠くを見ると、あのカトブレパス水牛が3匹、紺と緑色の毛に包まれた背中に大きな頭を乗せながら、足の付け根まで水に浸かってゆっくり歩いていく。

 隆起した砂丘にできた湖なので、場所によって浅かったり深かったりしているからだ。

 途中まで足がつくかな。


「わかった。じゃあ先に行って確認してくる」

 手早く簡易ハングライダーを身につけたヨエルがそう言うや、ふわりと宙に浮いた。

 途端に、鷹のように凄い勢いで飛びたっていった。

 みるみる遠くの岩山のほうに小さくなっていく。

 やっぱり俺の時は手加減してたんだ。


「見えるか?」

「いや、全然。あっ、そうだ」

 思い出した。

 俺は収納から双眼鏡を取り出した。

 サバイバルグッズとして、家から持って来ていたのだ。

 普段は使う機会がなくて仕舞いこんでいた代物だが、こんなに野山が多い世界に来ているのだから、これを使わない手はない。


「そんな道具にばかり頼るな。お前、身体強化を目に使ってないだろ」

 俺が双眼鏡のピントを合わせていると、奴が言ってきた。

「えっ? 目にも使えるのか??」


「当たり前だ。身体強化とは言うが、要は体をコントロールする事なんだ。

 今まで無意識に、皮膚や筋肉を魔力で強化だけしてるみたいだが、それ以外に戦闘時にアドレナリンをより出させたり、神経に働きかけて痛みをカットしたりする事も出来るんだ。

 目だって水晶体でさらにピントを合わせ、視細胞(光を感じる細胞)の働きを操作すれば、より多くの情報を処理する事が出来るようになるぞ」


 目を凝らすだけじゃダメなのか?

 俺は目の働きに意識して注意してみた。目を細めるのではなく、鋭く集中させる。

 遠くの一点のみを見るという意識。

 すると段々とカメラのピントが合い始めたように、遠くの部分がそこだけ鮮明になってきた。


 幾つかある岩山をずらしながら見ていくと、5つ目の大小の樹が4本載っている岩の上に、横にした豆粒のような何かが動いている。

 手を振っている?


「見えたか。合図もあったことだし、行くぞ」

 奴が促してきた。


 念のため双眼鏡でも確かめる。

 確かに上に樹が3本生えていて、左側の段差にもう1本が斜めに傾いで生えている岩上で、羽をつけたヨエルが手を大きく振っていた。

 まわりを見ると、牛や虫の姿は一応いないようだ。


「おい、お前まさか泳いでいくとか、考えてねぇよな? 水魔法を使え」

「当たり前だろ。言われなくても分かってるさ」

 ――危なかった。

 言われなければ泳ぐとこだった。またコイツにバカにされるところだった。


 俺は目の前の水面を見た。

 距離にして向こうまで確実に100m以上はある。実際は400m以上あった。

『雪の女王』のように水面を凍らせて道を作るという手もあるが、どれだけ伸ばさなくてはいけないのか。

 しかも自分の体重を浮かせるだけの厚みのある氷を、それだけ量産しなくてはいけない。

 

 うん、無理だ。途中で力尽きるのは間違いない。

 俺は足を踏み出すと同時に、水魔法を使った。

 

 足を着けた瞬間、その足裏の水だけを動かないように固定する。

 瞬時に俺の体重と勢いで加算された力がかかるが、すぐに足をどかせばほんの一瞬のインパクトだけで済む。

 瞬間なら、氷を作り続けるほどの力も集中力も要らない。足を水面に着けた手応えと、水を動かさないという意識が同時になるから楽なのだ。


 もう俺は、キリスト様が静かに湖上を歩くイメージとはかけ離れた、水面を走るバジリスクトカゲのように走りだした。

 いや、人間なんだから、せめて忍者の『水蜘蛛の術』としておくか。


「なんだ、まどろっこしいやり方してるな」

 後ろから声がした。

 振り向いた途端、顔に水が思い切り引っかかる。


「うあっ、何すんだよっ!」

 奴は俺が走る横を、速度を合わせて水面を滑ってきた。

 足元を見ると、なんとサーフボート型の氷に乗っている。


「そんなちまちま、修行僧みたいな真似してたら、向こうに行くまでに疲れちまうぞ。

 もう少し、力を無駄なくスマートに使う方法くらい思いつかねぇのかなあ。

 ホントに見かけの割には頭が固いんだよ」

 と、俺の頭を指で突っつくと

「先行ってるぞ」


 バッシャアッと、また波を立てて暴走サーファーは先に滑って行ってしまった。

「このっ、いちいち水かけてくんじゃねぇよっ!」

 俺は水面上に立ち止まりながら、小さくなっていく灰色の姿に怒鳴った。

 憎たらしいことに、奴の笑い声だけ返って来る。


 しかしサーフィンとは思いつかなかったな。

 悔しいが俺の頭が固いのは事実かもしれない。もっと柔軟に考えないと。


 確かに足元の水面をいちいち固定するよりも、一度足場ぐらいの氷を作って浮かせるほうが楽だ。

 そしてそれを水面を滑らせるのなら、少ない力でも済む。

 沈む前に動かせばいいのだから。


 足元の水面に、野球のホームベースを大きくしたような五角形の氷の板を作った。

 おおっとぉっ。

 自分で操作しているのだが、いざ動き出すとバランスを崩しそうになった。

 前に進むとどうしても板が斜めに持ち上がるからだ。

『フィラー渓谷』の船頭がやっていたように、水の抵抗を減らすか。


 ヤバッ! 抵抗力を減らしたら、氷が沈みだした。

 浮力=抵抗力だった。板全部にかけちゃダメだ。


 先端だけ抵抗を減らしていけばいいのだろうが、動くモノだし意外と繊細な操作が必要だった。

 船頭は力だけじゃ駄目な職業だった。

 練習無しで本番は難しい。


 むうぅ、どうしたもんか……。

 あっ、そうか、スキーだ!

 別に奴と同じようにサーフィンにしなくても良いんだ。


 すぐに先が沿った長めの細い氷板を足の下に作ると、氷を足首に這わせてロックした。

 よっしゃあ。

 氷板の下を始めは緩やかに次第に早く、水を動かした。 


 スキーを最後にしたのはもう10年以上前だが、バランス感覚を体が覚えていた。

 岩山が水面から突き出る湖面に、水上スキーの波が一筋流れを作り始める。

 

 いやあ、慣れてくると結構面白い。

 久しぶりに光男たち(前の会社の同僚)を誘って日帰りスキーに行くのもいいかな。

 今からだと3月の春スキーになるだろうなあ。

 そんな事を考える間もなく、ゴールの岩山の麓に到着した。


 すぐにその岩肌に足場を作って移動する。

 見上げると岩山は、ボコボコとして足場には困らないのだが、頭でっかちな形をしていて、上の方がいわゆるネズミ返し状態になっていた。

 

 高さはマンションの4階くらいかな。

 うーん、ここは途中までロッククライミングして行って、そこから足場を作るか? それとも一番なだらかな部分を変形させる?

 

 いや、柔軟に考えろ。

 ここは足場をエスカレーターのように移動させれば良いんだ。

 早速足元の岩をずらしていこうとすると、上から声がかかった。

「兄ちゃん、手伝ってやるよ」


 言うやいなや、俺の胴回りにグルッと何かが巻き付いてきた。

 そのままぐぃんと上に向かって引っ張り上げられる。


 これは、あのモモンガを捕まえた時と同じだ。圧縮空気を操作して動かしてるんだ。

 そうすれば触手のように、物を掴むことが出来る。

 なんだかまるで風の精霊ジンに捕まった気分だ。


 頂上は岩肌と少しの草地、青緑色の葉をつけた捻じれた樹と、突き出た小岩の亀裂から水がチロチロ湧いていた。

 デコボコと隆起はあるが、変形20畳くらいありそうだし、わざわざ縁までいかなければ落ちる心配はないだろう。


「どうだい? なんとなくコツが分かったかい」

 天辺に俺を下ろしながらヨエルが訊いてきた。もうすでに羽は畳んでいる。


「ええ、なんとなくつかめてきました。ただ、まだ出来るかどうか……」

 原理は分かったが、まだ実際にそこまで空気を圧縮したことはない。

「コツが分かったなら、あとはやるだけだ。要は出来るまでやればいいんだ」

 ウチの横暴教師がヤバいことを言っている。


「まあ今は食事にしようぜ。

 兄ちゃんも疲れてるとこ悪いが、例の鳥出してくれるかい」

 ヨエルが奴の気を逸らしてくれて助かった。

 バッグから取り出すように見せながら、収納から『凶眼鳥』を取り出した。


「あの、何をやればいいですか?」

 解体はヨエルに任せるが、羽をむしるくらいなら出来そうだ。

「そうだな。まず獲物を腐りづらくするために、水場で冷やしたりするんだが、兄ちゃんは水魔法使えるんだろ。じゃあこいつを凍らせずに冷やすことはできるかい?」


「あ、はい、やります。やれると思います」

 そういえば水分を凍らせたり、温めたりするのはしたことはあるが、適度に冷やすというのはやったことなかったな。

 凍る手前で止めればいいのか。


 俺は鳥の体全体に向かって、意識を集中した。

 体内の血液、細胞の水分、内蔵やリンパ液まで、全ての水分を少しずつ温度を下げていくように意識する。

 冷蔵庫の温度をイメージしているのだが、一気にやってしまうと調節がきかずに凍らせてしまいそうだった。


「うん、そこまででいい。上出来だ」

 探知で温度を測っていたヨエルが隣で言った。

 なんとか上手くいった。

 今までこんな風に『水』を繊細に動かす事って、あまり無かったかもしれない。

 そういえば、魔法試験でも繊細な技術も必要だと言われていた。

 これからはもう少し魔法全般を意識して使うか。


「そのまま内蔵取るまで、冷たい状態を維持しててくれ。じゃあ羽抜いちまおう」

「はい」

 触れた羽毛は当たり前だが、ヒンヤリしていた。

 こいつも生きてた頃はモフモフで温かかったんだろうなあ。

 あらためて見ると、本当にあのお菓子のリアル『キョ〇ちゃん』色違いみたいなんだよなあ。

 ギョロ凶眼ちゃんじゃなければ、生きてる時に撫でたかったなあ。


 そんなことを思いながらブチブチ抜いていたら、急に足元に影が伸びてきた。

 ヨエルがすぐに後ろに飛び退る。


 次の瞬間、ババッと鳥の体中の羽が逆立ったと思ったら、一気に地面に散った。

 目の前の大きな鳥が、紫色の肌をした丸裸になっていた。


「ほらっ手伝ってやったぞ。そんなグズグズしてたら日が暮れちまうだろ」

 後ろでもう酒樽を出してコルクの栓を抜いている奴が、摘まみが待ちきれないのか手を出してきた。

「やっぱり旦那か……。今のは『闇』?」

「そうだ。毛穴の闇をちょいと膨らませて、羽の根元を押し出してやれば簡単だ」

 凄い完全脱毛法だな。


「なるほど、それなら空気を操作しても出来そうだな」

 ヨエルが感心して納得してるが、それって全部を一気にやるんでしょ? かなりの高等技術なんじゃないか。

「まあ、お前は地面に挿した棒からだな」

 奴がこっちを見ながら片眉を上げた。


 この羽毛もそこそこ売れるというので、俺は持ってきたビニール袋にかき入れた。45Lのゴミ袋は一杯になる。

 その横でヨエルがトンッと、鳥の首を切断した。

 そしてその鳥の頭を上に持ち上げると、いつの間にか出していた金属製のカップを下に置いた。

 みるみるうちにカップに、赤紫色の液体が溜まっていく。


 それを――――飲んだーっ!!


「冷たくてうめぇ~」

 なに風呂上りのビールみたいな事言ってるんですかっ?!

「兄ちゃんも飲むかい?」

 血が入ったカップをコッチに向けてきた。

「要りませんっ! ノーサンキューですっ!!」

 俺は全力で拒否しようとした。

 

 が、

「いや、こういう経験も必要だ。飲めっ」

 いつの間にか奴がジョッキを持ちながら、目の前に立っていた。


「お前は喰わず嫌いだから、なかなか体が出来ないんだ。生肉も喰わねぇし。

 だったら血くらい飲んでみろっ」

 いや、それだったら生肉の方がマシじゃないのかっ?

「なんだ、兄ちゃん偏食なのか。それじゃ大きくなれないぞ」

 いや、もう俺はとっくに成長期過ぎて……なかったっけ?

 いやいや、それとこれとは話は別だっ!


「グズグズ言ってないで、男なら諦めて飲めっ!」

 それは男女関係あんのかっ!? 男女差別では?


 結局飲まされた。

 初めてのキャンプがカレー作りじゃなくて、いきなり血の洗礼から始まった。


 2人にじっと見られながら、恐る恐るカップを口にする。

 絶対に鉄の味が――昔、自分の血を舐めたときや、雨の日の濡れた鉄棒を思い出す。


 あれっ……? 

 口の中であらためて舌で味わってみる。

 冷たいせいなのか、臭みはなかった。

 代わりに感じたのは、クルミ系のような香ばしい味、それにサビに似た苦さが上手く混じってる。後から奴に聞いたら、この鳥の血液中には亜鉛が多いからだと言った。

 そして最後の後味に優しい甘味が舌に残る。

 なんだ、これ。やっぱりこちらの鳥や動物の血は違うのか。


「美味いだろ? この鳥はとにかく目が武器だから、頭や目のまわりに特に栄養がまわるんだ。

 頭部の血が他の部分より糖分も多いから甘いしな。甘党のお前には丁度いい」

 奴が血を飲んだ俺を見て嬉しそうに言う。

 新鮮な血液は生臭くない、というのはわかった。でももうこれで十分だ。

 残りはヨエルが全部飲んでしまった。


 まさかこれから獲物を狩ったら、いちいち血を飲むんじゃないよな……?

 ……明日の朝食はパンとコーヒーにさせて欲しい……。

 

 いやいや、もうそんなマイナスな考え方はやめよう。

 俺は軽く頬をはった。

 とにかく今はこのキャンプを楽しもう。

 今日は人助けも出来たんだし、俺も役に立てた良い一日だ。



 この時俺は、レッカを助けることが出来て、今日一日の成果にすっかり満足していた。

 だからここに来た目的が、試験勉強以外にもあったことを忘れ始めていた。

 それはとても大切で、試験なんかよりも重要なことだったのに。 




  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 本当は次回でこの1日を終わらせるはずでしたが、1話が長くなりすぎてしまった為、2話に分けました。

 なのであと2話でこの長い1日――『前夜』が終わる予定です💦


 次回は完全には晴れないヨエルの憂いの話です。

 どうかよろしくお願いいたします。

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