第240話 燻る気持ちと置いて来た街の想い
「あの男も上手いこと引っかけて来たな」
いつの間にか奴が隣に戻ってきていた。俺はまだ階段の脇に佇んだままだった。
「なんだよ、それ……」
俺の頭の中には、やり場のない憤りと心配がぶすぶすと湧いてきて、他のことを考えられなくなっていた。
「お前をギーレンに呼び戻す魂胆だ。
お前があの女に気があったのを感づいてやがったからな。そう言えばお前が戻って来るかもと踏んだんだろう」
「なに、じゃあアレは嘘なのか?」
「いや、それは事実のようだな。さすがにそんなホラは吹かんだろ」
そこは事実なのか。なんだか急に落ち着かなくなってきた。
買い物するつもりだったのに、それよりも別の事に頭がいってしまう。
「で、どうする?」
「どうするって……」
「いつまでこんな中途半端なとこに突っ立てる気だ」
「ああ、そうだ、そうだな。だけど……すまない、なんか買い物する気分じゃなくなってきた」
俺はそのまま階段から離れると、出口の方に向かった。とにかく外の空気が吸いたかった。
外に出ると入ってきた時と同じで、目の前の大通りは大勢の人が行き交っていた。
人々の話し声、笑い、ちょっと剣呑な感じに言い争う声、馬車の石畳を走る音などの喧騒が、とても頭に響いてうるさく煩わしく感じられた。
「ちょっと移動するか」
後ろから奴が声をかけてきた。
そのまま2人くらいが通れる狭い路地に入っていく。
後に続くとそのまま転移した。
「ん……ここは」
出たところは、森の中だった。
樹々の隙間から木漏れ日が柔らかく降り注ぎ、森林の香りが優しく風に乗って漂っていた。
「少し頭冷やせ」
そう言われてすぐに胸の奥の動揺は消えたりはしなかったが、とにかく頭を整理するために近くの横倒しになった樹の上に座った。
渡されたペットボトルの水を飲む。
薄めてはあるが、これはあの癒し水だ。こんな気分の時は有難い。
「そういやここはどこだ?」
だいぶ飲んでちょっと気持ちが落ち着いてからあらためて辺りを見回した。
王都近くの森だろうか。
「分からないか? ここの空気に馴染みがあるだろ」
「まさか、セラピアか? あの森なのか」
確かにこの空気には覚えがある。
爽やかで優しく、揺れるように頬を撫でていくちょうどいい感触の風など、俺と相性がいいと言っていた魔素がある森。
あのギーレンの東の森だ。
「よりによってこの森かよ……」
俺はまた何とも言えない気分になって下を向いた。
「場の相性は体質や魔力包容力で変わって来る。ここは今のお前にとって、一番ヒーリング効果の高い場所なんだ」
確かに気分はあれなのだが、こうして森の空気を吸っていると、頭の重りが取れて体が軽くなっていく感じがする。
だからといって悩みが解決するわけではないが、少し冷静になれた気がした。
「どうせ悩んだってしょうがないだろ。あっちはあっち。お前の人生じゃないんだから」
「そりゃそうだが……あの野郎、リリエラを裏切りやがって……」
また頭が熱くなり出した。
「それは
「なに、じゃあ本当は違うのか?」
「ほんのわずかな断片だけを見て、全体を知ったつもりになるのは愚か者のすることだ。
当事者たちにはそれなりに言い分があるかもしれないだろ」
うぅん、そうかも知れないが、リリエラを泣かせた事実は確かなんだろう。それだけでも許せない。
でも俺には関係ないことか。
我ながら未練がましいなあ。そう、頭ではわかるのだが、なかなか気持ちの切り替えが難しい。
「そんなに気になるなら、お前の目と耳で確かめればいいじゃないか。これからギルドに行ってみるか?」
「えっ? これから」
俺は驚いて顔を上げた。
「そんな気持ちじゃ、これからの行動に支障をきたす。ハッキリさせてすっきりして来い」
奴がジッと銀色の目で俺を見据えてきた。
当然ながら目力が有り過ぎる。この圧でモノ言われたら、もう断る選択肢は消えてしまう。
どうせこんなチマチマした悩みなんか、こいつは一切持ってないのだろうが、こういう時に俺の背中を押してくれる力にはなってくれる。
「そうだな。ハッキリさせて、すっきりさっぱりさせて来るか」
「そうだ。グダグダ思い悩んでるより、綺麗に散った方がいっそ清々しいぞ」
なんでフラれる前提なんだよ。
くそ面白くねぇ~。
「だけどどうせならドルクのおっさんにも会いたいなあ。そうなると手ぶらじゃ行きづらいか」
ただその事を確かめに行くだけじゃ気も足も重いが、何か別の理由をくっつけた方が動きやすい。
そうだ、俺はドルクのおっさんに会いに行くついでにリリエラの顔を見に行くんだ。そういう想定で……。
となると何か買取にまわせる物を持っていくべきだろう。
実際は近くに来たとか、ただ無駄話に寄り道するハンターも多いようで、そんなこと気にしなくてもよかったのだが、こういうのを気にするとこが俺の気の小さいところである。
「じゃあ何を狩る? この森だと奥にフォレストウルフかワイルドボアーってとこかな」
「う~ん、今はそんな狩りする気分じゃないなあ。それになんか当たり前すぎる気もするし」
ドルクのおっさんが『面白いモノ』とか言っていたというのを聞いて、なんかハードルが上がってしまった。
以前のホブゴブリンやオークも、決して獲物としては珍しい訳ではないのだろうが、死因が珍しいという事なんだろう。
だけどあまり殺し方に注目して欲しくない。ここは純粋に良い物を持っていきたいとこだが、いまハードな事をやりたくないのも本音だ。
「そうか。じゃあ今回は、オレのストックの余りでも持っていってみるか」
「まだ何か持ってるのか? この間のドラゴンの鱗みたいに」
「まあな、色々とあるぞ。成り行きで貰ったものとかな」
「成り行きで……」
昨日の煽り野郎から金渡されたみたいに、命を取られる代わりにって相手が差し出してきたブツとかしか考えられない。
「ん? 不満か。ならお前が何か――」
俺の疑心が顔に出ていたらしく、奴が片眉を上げた。
「いや、全然不満なんかないぞ。ただ、あんたが持ってるって、どんなヤバいブツなのかなあと」
実際、余計な狩りに連れて行かれなくて助かる。
「そうだな、色々あるが、ちょうど要らなくなりそうだからこれにするか」
そう言って空中からスルッと、ドラム缶ぐらいの樽を取り出してきた。
そのフタを開けると、生臭さと甘さが混ざった何とも言えない異臭が溢れ出してきた。
「なんだい これ……?」
中を覗くと、黒と赤紫、赤、深緑がデタラメに着色された、天然海綿スポンジのようなボツボツした塊が入っていた。そうしてヌメヌメと濡れている。
「ディゴンの精巣だ」
「――ディッ の、エエェッ!!?」
俺はつい飛びのいてしまった。
「いや、本当は、お前に使おうと思って取っといたんだが」
「な、な、な、な、な……ナニッ?! 何言ってんだ???
こんなモノまで俺に食わす気だったのかっ!?」
こいつトンデモない事また考えてやがって。肝の次はタマかよっ!
「とりあえず必要になるかと思って1個獲っておいただけだ。
それに個体によって5,6個あるからな。1つぐらい取ってもどうってことない」
そうなのか? いや、そういう問題じゃないだろ。
なんでディゴン寄りの話になるんだよ。
「コイツはオークのどころか、赤ん坊も起きるパワーがあるんだぞ。それこそ棺桶に足を突っ込んだジジイでも元気になる代物だ」
究極の精力剤か。しかもマムシどころかよりによってディゴンのかよ。気持ち悪い。
「そんなモノ、だからなんで俺に……」
「体力増強剤でもあるんだぞ。血行促進に回復力も上がる。戦地じゃ24時間ぶっ通しで戦えるって重宝されてるんだ」
どこぞのエナジードリンクみたいだが、後の反動が恐ろしい。
「それにいざっていう時に出来ないとアレだろ?
まあ、最近お前は若返って元気になってきたから、こんなモノに頼らなくても大丈夫そうになってきたしな。要らないか」
そう言って奴がニーッと笑った。
「馬鹿ヴァリーッ! 人のプライベート見てんじゃねぇよっ!」
この出歯亀ならぬ出歯ザメっ!
「オレはお前のガーディアンなんだぞ。お前の体調管理もしてるんだからな。大体恥ずかしい事じゃないだろ。ただの生理現象だし」
「なんでもかんでも生き物の生態一辺倒で括るんじゃねぇよっ!」
俺は立ち上がって、その場で地団駄を踏んだ。もうさっきからのイライラを、ついこいつにぶつけてしまった。
「そうか。まあオレだけじゃなく、ナジャの奴も喜んでたぞ。お前が無事に若返ってきたって」
サメが悪びれずに言った。
「イヤぁーーー!! ナジャ様も知ってるのかよっ!!?」
俺はその場に崩れるように膝と手をついた。よりによって若い女に見られてたなんて……。
「まさか……、すぐ傍で見てたなんてことはない よな……?」
「さあなぁ」
奴が空とぼけるように肩をすくませた。
******
「おんやっ、お客さんお久しぶりです!」
懐かしい顔の1人、水売りが黄色い歯を見せてニンマリ笑った。
「どうもお久しぶりです。これに水下さい」
以前と同じように俺は空のペットボトルを2本出した。水は奴が用意してくれてるが、ここに来たならやはり彼から買いたい。
「毎度どうも」
男は懐かしい手際の良さで水を計ると、ペットボトルに注いでいく。
「そういやね、1カ月ほど前、ちょうどお客さんたちを見掛けなくなった頃に、あっしはとんでもない目に遭いましてね」
一杯水をその場で奢ってくれながら、水売りは自分の体験を話し出した。
それによるとどうやら俺たちがギーレンを出発する前日に、彼――トッドは嫁いだ娘が遊びにやって来るので、2度目の水を森に汲みにいったらしい。
朝早く汲んだ水は思ったより早く完売したし、家に残してある水よりも、新鮮な冷たい水を飲ませてやりたいと思ったからだ。
だが、そこでどうやら朔(さく)による怪異現象のために、あろうことか魔族の村に飛ばされてしまったらしい。(* 閑話『朔と水売りとドラゴンと』参照)
そこで出会ったトカゲの魔人に助けてもらったというのだ。
そのトカゲ人は何故か、俺たちの事を知っていたらしい。
酒まで奢ってもらい、しばしの安堵と疲れで酔って気がついた時には、あのセラピアの森の手前の大岩に寄りかかっていたそうだ。
そして夢じゃない証拠に、ポケットに魔族が使用する金貨が入っていたという。
「あの人は自分の事を『イージスのオッドアイ』と言ってましたよ。確かに左右の目の色が、金と赤と違ってましたけど」
俺は思わずヴァリアスの方を見た。奴も目だけ俺のほうに動かすと、月の目だった瞳孔が丸くなった。
間違いなくあいつだ。元イナバの黒ドラゴン。
翼はあの時と同様に隠していたのだろうが、ただ、どうしてそんなサイズになっていたのか、まったく分からない。
「もし、お客さんたちが、あの人に会ったら、水売りのトッドがとても感謝していたと伝えて下さい。
助けてもらって本当に有難かったと……」
トッドは少し潤むような眼を軽くこすった。
「わかりました。必ず伝えますよ」
奴も顎を摩りながら
「あいつ、もう起きたのか。そのうちまた様子を見に行ってみるか」
「そうだね。人助けしたみたいだし、今度またお酒持ってってやろうか」
俺も会う事に賛成した。
それに奴だけ行かせると、褒めに行ったのがお礼参りになってしまいそうだ。
だから俺も同行してやらないと。
実は俺たちを恐れてやったとは、もちろん知る由もなかったが。
水を受け取り、そのまま見慣れたギルドの門扉をくぐる。
1階の買取所には10人ほどの人がいて、対応している3人の係の男たちが順番に応対していた。
「おろっ、兄ちゃんたちじゃねぇかっ!」
相変わらず声のデカいドルクのおっさんが、柱のとこにいた俺たちを見つけて、客の頭ごしに声をかけてきた。
この声もスタンハンセン似な姿も懐かしい。
「お久しぶりです。ドルクさん」
俺も離れているとこから軽く会釈した。
「いやあ、久しぶり、1カ月ぶりくらいか? 今日はなんだ、顔見せに来てくれたのか、それでも嬉しいぜ」と、本当に嬉しそうに大きく顔をほころばせた。
「いや、買取のブツを持ってきた」
奴が口を開いた。
「ほう、そりゃあ有難い。じゃあちょいと待っててくれよ。すぐ片づけちまうからよ」
そう言うと客から預かった革袋に手早くプレートを付けると、預かり書と引き換えプレートを渡した。
「おーいスコット、受付代わってくれ。俺はこっちの旦那たちの相手すっから」
と、奥の解体作業所に声をかけた。
出てきたのはなんだか気分悪そうに俯いた、見た事のある深緑の髪をした若者だった。
スコット――確かに副長がそう呼んでいた。リリエラを泣かした奴だ。
つい睨みそうになってしまうのを、なんとか抑えた。
「おら、いつまでもそんな顔してんな。せめて客には愛想よくしろ」
パンッと若者の背中を叩く。
叩かれた男は少し力なくよろめいた。
「ちなみにどんなブツだい?」
カウンターの中に通されて、台に寄りかかりながらドルクが俺に訊ねてきた。
「今日はオレのだ」
そう言って奴がデンと、台の上に例の樽を出現させた。
「お、おうっ 旦那のかい。そりゃあ期待しちまうぜ」
おっさんが軽く口笛を吹くと、樽の蓋に手をかける。
「あの、それ臭いですよ」
俺はタオルを出して、鼻と口を押さえながら注意した。
本来なら風を操作すればいいのだが、このギルド内で勝手に魔法を使うのはご法度だからだ。
「おう、こりゃあ何だ?」
おっさんが鼻に皺を寄せながら、中を覗き込んだ。
「ディゴンの精巣だ」
「おっほぉうっ!? ディゴンのかぁ! そいつは凄いな」
少し興奮気味にドルクのおっさんが、台の横に引っかけていた皮手袋を慌ててつけ出した。
「せっかく獲って来たのに蒼也がこんなのには頼らないと言うんでな。
不要になった」とワザとらしく肩を揺すって言った。
ば、馬鹿っ! 余計なこと言うんじゃねえよっ。勘違いされるじゃないか。
案の定、おっさんがほぉ~と口を丸く開けて俺を見る。
「ち、違いますっ! だって気持ち悪いから――」
「いいねえ、若いヤツぁ」
ドルクのおっさんがニヤリと笑って、俺に太い親指を突きたててみせた。
******
鑑定に時間がかかるという事もあって、そのまま引き換えプレートを貰った。
他の係の男は、客や仲間と軽く冗談などを飛ばしているのに、スコットの奴だけは終始、大人しく仕事をしている。
リリエラと喧嘩したのが相当堪えてるのか。という事はまだ彼女に未練があるのだろうか。
だけどお前が浮気したんなら自業自得だよな。
さて次は本命の2階だ。
ちょっとドキドキしながら階段を上がる。
総合受付のあるフロアも2,30人くらいの人がいて、ザワザワと賑やかだ。
真っ先に正面のカウンターに目をやる。
いた。
カウンターで客の応対をしている5人の係の向こう、立ちながら書類の束を机の上に仕分けしている赤毛の娘が見える。
ちょっとドキドキしながら、そのままフロアをカウンターに行こうと踏みだした。
「ヴァリアスさん、ソーヤさん、いつこちらにお越しで?」
急に横から聞き覚えのある声がした。
見るとハンプティダンプティこと、トーマス所長がポンポンと跳ねるように走って来るところだった。
その声に彼女がこちらに顔を上げた。
俺は出来る限り自然を装いながら、軽く胸の前で手を振ってみせた。
「お久しぶりです、所長。ちょっと買取りもあってこちらに寄りました」
「おお、そうですか。また来て頂いて嬉しいです」
所長はニコニコと笑顔を振りまいてきた。そりゃあSSの奴が来れば嬉しいよね。
「そう言えばソーヤさんは、魔導士ギルドの試験をお受けしたとか」
「えっ、そんな情報も流れてるんですか?」
なんだよ。魔導士ギルドとの横繋がりは無いと思っていたが、やっぱり情報の共有とかするのか?
「いえね、王都の魔導士ギルドが、ソーヤさん達の事を問い合わせてきたんですよ。なんでも登録に必要だとか言って、情報開示を求めて来ましてね。
もちろん組合員の個人情報ですからキッパリ断りましたよ」
うわぁ~、あの半仮面を付けた部長かな。
俺のオーラを取り損ねたから、今度は直接ハンターギルドに問い合わせてきたのかもしれない。
なんだかそんな真似されると、入会するのが嫌になって来るなあ……。
などと思っていたら、急に名前を呼ばれて振り返った。
「ソーヤさん! 来てくれたんですねっ」
そこに天使が走って来た。
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