第241話 リリエラとの再会
揺れるオレンジの差し色の入った明るい赤毛、地中海のような青い瞳、艶のある形のいい唇、そしてマーガレットの花が咲きこぼれるような可憐な笑顔。
『赤猫亭』の廊下で話した時の想いが甦ってきた。
老いらくの恋とはよく言ったものだ。
一瞬にして、こんなに世界が変わって見えるんだから。
「もうっ、何も言わないでいなくなっちゃうから、淋しかったですよ」
ちょっとワザとらしく頬を膨らませた彼女はまた可愛かった。
「あ、あの時は、ちょっとタイミング悪くて……」
色々と始めの言葉を考えていたのに、全部ぶっ飛んでしまった。
「わかりました。許してあげます。それより私の方こそ、有難うございました」
と、ペコっと彼女がお辞儀をした。
え、何が? なにかしたっけ、俺。
「母から頂きました。フワフワのタオル、とても嬉しかったです。毎日使ってますよ」
「あ、ああー、アレですか、(忘れてた)そんな大したものじゃ……いや、気に入ってもらって良かった」
日本人はこんな時つい
「ふふっ、それで今日はお仕事で?」
「え、ええと、その、買取で……」
「え、でも2階に来てくれたなら、依頼を探しに来たんじゃないの?」
「う、うん、ついでに何かあるかなぁと思って……」
実際に会うとへどもどしてしまう。なんとも情けない俺。
「蒼也、お前今日は買う物があるんだろ」
急に奴が横入りしてきた。
俺の曖昧な態度にもうイラついて来たのか? せめてもう少しだけ話させてくれよ。
すると奴が今度は所長に顔を向けた。
「コイツがポーションを見たいらしいんだが、ここでも揃うか?」
「ええ、王都ほどではありませんが、ウチも基本的な物は揃えておりますよ。良かったら見ていきますか?」
そう言ってトーマス所長はリリエラに向かって
「じゃあ君、ソーヤさんたちの案内して貰えるかな。商品説明ぐらいは出来るだろう」
え? 彼女に。
「わかりました。それでは3階にどうぞ」
スッと彼女が俺たちの前に進んで、階段の方を手で示した。
以前も来たことのある3階には、売店の他に食堂がある。
奴が食事をする人達を見ながら
「オレは興味ないから酒でも飲んで待ってる」
「おお、そうですか。お酒でしたらこちらでお出し出来ますので、ぜひ上に」
一緒にくっついてきた
なに、2人だけで行けと!?
俺は彼女と残されてしまった。なんだか見合いの席で『後は2人で』みたいに仕組まれた気分になった。
「その……仕事中にすみません」
「良いんですよ。所長の命令なんだし、これも立派に仕事ですから気にしないで」
あ、そうか、仕事ね。そりゃそうか……。
「それでポーションって何が欲しいの?」
ちょっと頭が冷えた俺に彼女が訊いてきた。
******
「そうね。
薬局で彼女はサンプル棚から、淡いイエローの液体が入った小瓶を手に取って見せてきた。
ガラス瓶入りはサンプル用の瓶だけで、販売品は竹のような植物性の筒に入っている。
「『ぷらす5』って、ハイにも色々あるの?」
俺は単純にポーションの種類は、 ロー < ハイ < S < スプレマシー < エリクシール という基準しか知らなかった。
「ええ、作り手と成分によっても結構効果が違うのよ。
大体、擦り傷とか軽い打ち身くらいを治せるのがローポーション、全体面積がその人の掌ぐらいの傷から綺麗に折れた骨折――指とか比較的細い部分ね、これぐらいを治せるのがハイポーションの効果範囲基準よ。
それ以上がSポーションね。とても高いけど」
効果は最低でも一般的な『ハイ』5本分くらいの効果が1本で賄えるらしい。それでいて価格は5本分以上する。
だったら『ハイ』を5本買っといた方がお得な気もするが、咄嗟に5本も飲めるかというと、状況によって難しい事もある。
例えば交戦中に飲むとなったら、のんびり何本も飲んでる暇はない。なるべくワンアクションで済ますためにも、こういう高価な物も重宝されるのだ。
「この『+』に付いている数字が効果の高さを示してるのよ。数字が大きければ大きいほど効果も高いの」
確かに並んでいるハイポーションは5種類あって、ただの『+』は35,000だが、『+5』は180,000だ。
そしてSポーションの『+』は770,000もする。
これはホイホイ買う値段じゃないな。
命を守るためなんだから金に糸目をつけてる場合じゃないが、いざ買う段になるとちょっと躊躇してしまう。
薬が高いというのをあらためて感じた。
そういえばアグロスの赤ひげ先生んとこは、薬を買えない人達がよく来てたなあ。
日本の保険制度ってしみじみ有難いもんなんだと思った。
予算としてはSなんか買えない。
薬以外にも魔力ポーションとか魔石、魔法が効かない相手用の武器とかも購入したいし……。
一度準備を考えると、あれもこれも持っとかないと不安になってしまうとこが、俺の悪い癖だ。
とりあえず基本範囲の『ハイ+3』あたりを買っておくか。
ギルドの売店だし、まずボッタくってはいないだろう。逆にこの世界でディスカウトしてる店とかあるのだろうか?
またポーションには回復力の強弱だけじゃなく、血止め及び造血作用に特に効果ありや、体力回復と鎮痛に特化した物など多種にわたると知った。。
ハンドクリーム一つとっても色々あるのと一緒か。
これは余計わからなくなってきたぞ。
「他に
「ええ極端な話、ただの二日酔いと
この麻痺毒に『ロー』なんかで済まそうとしたら、それこそ自殺行為だもの」
「あ、麻痺対応の薬って毒消しなんだ」
「基本そうよ。大抵の麻痺は毒でもたらされるから」
そうか。どうもゲームだと毒消しと麻痺消しは別だったから、違うものに考えていた。
実際は何が原因かって事なんだな。
「ちなみにそのブラックバイパーの毒って、かなり強いのかい?」
「もちろん、よく基準で引き合いに出されるオークで例えるなら、10歩も歩かないうちに絶命すると言われてるわね」
何それっ!? VXガスよりヤバいよ。もう飲んでる暇なんかないじゃないか。
「もちろん噛まれてからじゃ遅いから、危なそうだったら先に飲んでおくのよ。体にまわる時間も必要でしょ」
「ああ、そういう使い方なのか。なるほど勉強になります」
本当に奴と一緒だと、そういう一般目線が分からないからなぁ。
すると彼女がクスクス笑いだした。
なに、俺変なこと言ったか?
「やだ、ソーヤさん、なんかぎこちなくて。初めて会った時みたいになってる」
「あ、そう? いや、久しぶりだし……」
こちらじゃ1カ月くらいしか経ってないけど、俺の実際の時間は3カ月近く経っている。どうも接し方がリセットされてるようだ。
「じゃあ会えなかった分、もう少し一緒にいてもいい?」
その煌めくような瞳と目が合って、ドキンと俺の心臓が音をたてた。
******
「おう、兄ちゃん、いいもんあったか?」
「あれ、ドルクさん? なんでここに。所長は?」
リリエラに案内されて応接室に入ると、何故か所長の代わりにドルクのおっさんが奴と一緒に酒盛りをしていた。
「所長は外せない用があってな、途中で俺と代わったんだ。
エッガーの旦那も出張中だし、こう見えても俺はここの№3だからなあ」
そう言って太い親指を自分の胸に押し付けて豪快に笑った。
そういやこのおっさんは、買取主任とか言ってたな。
さすがに今は革エプロンは外しているし、接待にかこつけて自分も昼間から酒が飲めるなんて役得しかないだろ。
「兄ちゃんはなに飲む? 今日は地酒の旨いウィスキーもあるぞ」
そう言いながら、テーブルの上の酒瓶の数々をジョッキで撫でるように示した。
「いえ、私はあまり強い酒は……遠慮しておきます」
確かに喉が渇いていたが、このあと予定があるんだ。
そのためにも今飲むわけにはいかない。
「なんだよ、そのよそよそしい言い方。俺と兄ちゃんの仲じゃねえか。
もちろんヴァリアスの旦那もなあ」
ガハハッと大きな声で笑うと、ぐびりとジョッキをあおった。
「んじゃ、軽い白エールにでもすっかあ」
そう言ってドルクはテーブル横にあった、金属製のシャワーノズルのような物を掴むと、そのラッパ上の先に話しかけた。どうやら伝声管の一種のようだ。
「おう、S室だ。追加頼む。白エール1つとレッドラガー2つ、あとそれに合うツマミもなっ、以上」
以上じゃねぇよ、おっさん、あんたもう出来上がってるだろ。
「いつまでも突っ立ってないで、こっちに座れ」
奴が自分の隣を軽く叩いた。
ジョッキ以外にシルバー色のワイングラスのような脚付きや、ロックグラスのようなガラス製のものまで色々なカップが、5,6本の酒瓶と共にテーブルの上に入り乱れている。
もう応接室が酒場のVIPルームと変わらない匂いになっていた。
「で、何買ってきたんだ?」
奴はわかっているはずだとは思うが、おっさんもいるので普通に訊いてきた。
「『
細かい効果については、基本的なものをリリエラに選んでもらった。
本当は魔力ポーションも買おうと思ったが、リリエラがそれはギルドより宵闇通りの店の方が安いと教えてくれたのでやめた。
それでも会計の際にリリエラが、社員割りを使ってくれたのでお得に買える事が出来た。有難い。
「ふうん、まあ妥当だな。お前の性格だと、もっとごちゃごちゃ買ってくるのかと思ってたが」
本当はもっと買いたかったが、他にも必要な物があるから予算と相談したんだよ。
これでも全部で369,500エル。
ホームセンターでの手取り額の2倍以上。当初の予算をはるかに超えている。
でもダラダラと治療に時間をかけて治すのを考えたら、こっちの方が断然お得なのかなあ。
細かい事を言うと、本当は治療師によるゆっくり時間をかけての治療が一番元通りになるのだが、やはり緊急時にすぐ治せるのは凄く有難いアイテムだ。
「それにしても兄ちゃん、ちょっと見ないうちに良い顔つきになったなぁ。なんだい、いい女でもできたかい?」
そう言ってドルクのおっさんは、右手の人差し指と中指を絡ませて見せた。これはいわゆる小指を立てるジェスチャーと同じ、オンナを表しているのだ。
「いや、そんな事は無い……ですよ」
ふと、絵里子さんの顔を思い出して、否定するのも妙な後ろめたさを感じた。
その時ノックの音がしてドアが開いた。リリエラがワゴンを押して入ってきた。
ごちゃごちゃしたテーブルの上をさっと片づけながら、ジョッキを置いていく。俺も空のジョッキや皿をどかすのを手伝った。
その時、俺の耳元に小声で「また後でね」と囁いた。
今日は早めに仕事を上がるという事で、4時に1階で待ち合わせをしたのだ。
そう、彼女の仕事が終わった後、食事をしに行く約束をしていた。これは俺からではなく、彼女の方から言ってきたのだ。
久しぶりだから話したい事もあるという。
うん、色々と溜まっているんだろうな。グチくらい聞いてあげるよ。
決してあわよくばなんて、気持ち悪いことは思ってない ―― つもりだ。
彼女はそのままこちらを見ずに、酒を置き終わると軽く会釈して出て行った。
するとドアが閉まったのを目で確認してから、おっさんが俺の方に向き直った。
「兄ちゃんよぉ、あの
「え、何ですかっ」
ついジョッキを落としそうになってしまった。
な、な、な、なに??
「綺麗な子だろ? まあウチの受付嬢は自慢じゃないが美人揃いだけどな」
また笑いながら新しいジョッキをあおった。
ドルクの話によると、このギーレンは王都を除いて中央都市と呼ばれるような主要都市の1つだそうで、ここのギルドで働くというのは一種のステイタスになっているそうだ。
だからここで働きたいと望む者は多いのだが、もちろん誰でもいいわけではない。それなりの能力は必要だ。
その1つが、受付嬢の容姿基準。
地球だったらハラスメントに引っかかりそうな規定だが、これは大都市のギルドとしての見栄えと共に、いわゆる客寄せ効果を狙っているのだという。
それはハンターの7割以上を占めている男達に足を運んでもらうためだ。
近くの町や村よりちょっとくらい遠くても、このギーレンのギルドに行こうかという気にさせるのだ。
どうせなら目の保養になる女に応対して欲しいと、遠くのコンビニにわざわざビールを買いに行く、愚かしくもいじらしい男の
もちろんそれだけでなく、豊富な仕事依頼の数や、他所より1エルでも高い買取金額など、企業努力はしているようではあるが。
「だから兄ちゃんも目移りしちまうだろうけど、飾
なんだか、心の中を見透かされたような気がした。
そういやエッガー副長は、俺が彼女に気が合ったことを見抜いていたって言ってたな。
という事はドルクのおっさんも知ってるのかな。
知ってて釘を刺してきたのだろうか。なんか頭の中を見透かされてるようで恥ずかしい。
そうして落ち着きなく小一時間ほど過ごしてから、まだ飲んでいる奴とおっさんを残して俺は用があるとだけ言って応接室を出た。
ちょっと早いが遅れるよりはいいだろう。それにあらためて買い物がある。
また3階の薬局コーナーに行って、2本ほど毒消しのローポーションを買った。二日酔いに効く程度の低い奴だ。
彼女に会うのに酔いがまわっていると、また気持ちが変な方向に暴走しかねないからだ。
もう1本は酔いつぶれないように予備の分として。
俺は朝のキオスク前のサラリーマンのように、その場で毒消しを飲んだ。
軽く体から白い靄が出ていく。
う~ん、やっぱりこれ、地球で売ったら大ヒット間違いなしなんだがなあ。
とりあえず気を締めていこう、俺。
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