第62話 さらばギーレンの人々
その後すぐに詰所を後にした。
カイルは早く子供の顔を見たいだろうし、青髭さん達はお仕事中なのだから長居は出来ない。
東門の詰所を出た後、またプラプラと南門の方に歩いてみた。
市壁の上には時折、月明りに照らされて人影が見えたりする。塀を警護している夜番の兵士がいるのだ。
もちろん地上の街中にもそういう人がいる。
歩いていたらジャランジャランという、何か鍵をジャラつかせているような音が違づいて来る。
立ち止まってそちらの方を見ていると、前方の建物の角から2人組の男が出てきた。
1人がカンテラを持ち、もう1人が短い棒に鎖を何本か垂らしたものを、軽く上下に振って音を立てながら歩いてきた。
左腕に何か腕章のような布を付けている。
「こんばんは」
カンテラを持った方の男が、通り過ぎざま声を掛けてきた。
俺も挨拶する。
「あれは夜警だ」
ヴァリアスが言った。
「ああやって音を立てて、戸締りなどの注意を促したり、盗賊に存在を知らせて犯罪の抑止になってるんだ」
「火の用心みたいなもんか」
音を立てるのはさすがに終刻の鐘までで、後は見回るだけになるようだ。もうそれきり宿に戻るまで人には会わなかった。
コンビニなんかない、中世の世界のようなところなのだから当たり前なのだが、2人だけで廃墟の町に取り残されたような錯覚にしばし陥る。
それでも宿に戻ると食堂は客で賑わっていた。
日本を3時半頃出てきたので、まだ5時くらいの体感だ。
だから夕食は軽めにシチューにした。奴はしっかり肉とエールを飲んでいた。
部屋に戻ると、間もなく終刻の鐘が鳴った。腕時計を9時に合わせる。
食後にコーヒーが飲みたくなって、持ってきたインスタントコーヒーを出す。
粉を溶かすやつではなく、フィルターに初めから入っている、簡易ドリップバッグ7種類14パック入りという選べるやつだ。
奴は匂いを嗅いで「この中ならこれかな」と『グアテマラブレンド』を選んだ。
俺はカフェインレスのにした。
注ぐお湯はもちろん水魔法で熱湯を出す。
しょっちゅうやっているので、何とかこれくらいなら、あまり集中しなくても出来るようになってきた。
「しかし布地ってそんなに高いのか? ちょっと驚いたよ」
俺は空中からゆっくりと注がれるお湯が、香しいコーヒーの香りを立ち昇らせるのを、じっと見ながら聞いてみた。
「お前のとこでも絹は高いだろ。前にも言ったが素材の問題なんだよ。麻みたいなゴワゴワした固めの布なら、比較的庶民でも手軽に買えるんだ。
穀物を入れた麻袋なんかよく見かけるだろ。
綿より多少粗く織っても破れづらいし、何より原料が安く、生産量も多いからな。
綿や絹は麻に比べて生産量が少ないんだよ。物によっては安い毛皮より高価になるんだ」
「日本じゃ麻の方が高いのになぁ」
場所が違うと物の価値って本当に違うんだな。
「でも俺の上着もさ、王都とはいえ庶民が買える値段なんだろ。古着とはいえ、これだけの面積使って仕立ててるのに」
「王都の庶民が買える値段という事だ。
他所の町や村だったら、そう簡単に手が出せる値段じゃないぞ。
それにそれは綿麻混紡生地なんだ。使われている麻糸は上質なほうだが、綿100%よりは安価な布だからな」
俺はハンガーラックに引っかけてあるチュニックを触ってみる。
そう言われると綿100%の生地よりサラサラ感があるかな?
春夏用だからそのほうがいいんだけど。
「それに裾や肘部分とか、あちこち生地がずい分擦れてたんだぞ。
かなり使いまわされてたからな。
だから生地がクタクタになってて柔らかかったんだ。もちろんお前が着るから直しといたが」
一般庶民―――主に低所得層は、滅多に服は買わないらしい。だから同じ服を長く着る。
ちょっとくらい擦れたって、綻んだって破れったって直して着る。
季節の変わり目に、どうしても新しい服が必要とかになった時、やっと買う事にする。
その時に季節外れの服を売ったりする。
来年の季節の事より、今の時期に着る物の方が大切だからだ。
だからこれもこうして、人から人へ渡って恐らく3巡くらいしてるはずだとヴァリアスが言った。
「でも確かこれ、3万以上したんだぞ。じゃあ、ぼられてたのか?」
「そんなものだよ。おそらく新品の時はその4倍くらいしてたはずだ」
「高級ブランド並みだな。庶民にはそりゃ高い買い物だよ」
「王都の庶民は他の町や村から見たら、立派に富裕層だからな。もっと高級な服も売られてるぞ」
逆に町や村じゃもっと安いのが売られてるってことか。
金持ちに見えるような服を買うつもりなかったのに、王都で買ったのは良かったのか悪かったのか……。
あらためて服を眺めると確かに店で見た時より、布の光沢が良くなっている気がする。
新品に直したんだな。わざわざ古着を買った意味がなくなっちゃった気がするが。
「あれっこんな模様あったけ?」
首の後ろ辺りのタグが付いている部分の下に、白い糸で何か模様が刺繍されている。
タグの色も文字も生地とほぼ同じ濃紺なので、すぐ気がつくはずだが。
「やっと気がついたか。お前が鎧にこだわってたから、服の防御力を上げるために魔法式を入れといたんだ。
それは神界の言葉であらわしてるから、誰にも読めないけどな」
「へぇー魔法使いのローブみたいなもんか。だけど力を発揮するためには魔石とかが必要なんじゃないのか?」
魔力封じのような特殊な式以外は、確か動力として、そういったエネルギーがいるはずだが。
「それはオレの髪の毛で綴ってある。だから半永久的にエネルギーは無くならないぞ」
ドヤ顔で椅子にふんぞり返った。
「エェッ!? 気持ち悪いなっ、あんたの髪の毛なのかよっ!」
女の黒髪をお守りにするって聞いたことあるけど、よりによってこいつのかよ~~~。
「お前は反抗期なのかっ?! なんでいちいち嫌がるんだっ」
奴がまた大きく口を開けて牙を見せる。
サメの癖なのか、不満があると口が裂けるのだ。
だが、俺もやっと慣れてきた。
「誰が男の髪の毛なんか有難がるんだよっ! 彼女のならいざ知らず、普通は親のだって嫌なはずだぞ」
「お前は知らないだろうが、神界の者の体の一部は、地上のエネルギーに比べて絶対的なものなんだぞ。
神獣
「ヘタに生々しく人のよりも、動物の毛のほうが抵抗感がな――あっ!」
話に気がいってて忘れてた。
俺は慌ててお湯を止めた。
なんやかんやで11時頃に眠りについた。
明日は早く起きなくてはいけないが、寝不足でも馬車で寝ればいいかと思っていた。
が、俺は開門の鐘の音で目を覚ました。
予定では4時に起きなくてはいけなかった。
「なんで起こしてくれないんだよ。今日早く起きなくちゃいけないの知ってたろう!」
俺は文句を言った。
「寝不足は体に良くないからな。無理に起こさなかった」
確かに起きれなかった俺が悪いが、こいつ、馬車で行くのが気乗りしないから起こさなかったんじゃないのか? と、つい疑ってしまう。
腕時計にアラーム機能はないし、スマホの時計は地球モードになってるから、時間があちらと合わないのだ。
目覚まし時計を持ってくるべきだった。
仕方ないのでの9時の便に乗るか。時間もあるし馬車停留場に行く前にギルドに寄ろう。
ゴブリンとオパールの査定もすんでるかもしれないし。
食堂で朝食をとっていると、赤猫のジョシーがまた鳴きながら、足元に擦り付いて来た。
よしよし、これでお別れだからな、今日は存分に食べてくれ。
俺は100均で買ってきた紙皿に猫缶をあけていった。
待てなくてテーブルに登って来ようとするジョシーを、ヴァリアスが食べながら足で制してた。
とても神の使いのやる仕草には見えない。
触り納めに椅子から下りて、後ろから抱きついてみた。
食べてるのに迷惑だと思うのだが、ジョシーは嫌がらずに鳴きながらガツガツ食べていた。
給仕の少年とその体勢で目が合って、ちょっと恥ずかしかったが。
部屋の鍵を返すとき、さりげなくリリエラの事を聞くと、今日は仕事ですでにギルドに行っているらしい。
別に珍しい事じゃないらしいが、他の人のいるとこでプレゼントを渡すのは、ちょっと抵抗がある。
ちょっと迷ったが、結局女将さんに託すことにした。
女将さんはタオルを見てちょっと目を大きくしたが
「わかった、あの娘に渡しておくよ。アリガトね」とサラっと受け取ってくれた。
男前の女将さんだ。
ハンターギルドの1階に行くと、ドルクのおっさんがカウンターで、小さな新聞のような二つ折りの紙を読んでいた。
その奥の扉の開いた解体所の壁に、チラリと見覚えのある白い袋がぶる下がっているのが見える。
『45L』と書いてあるゴミ袋。
アレ、俺がスライムを買い取ってもらった時に、渡した袋じゃないか。
捨てずに使いまわしてるんだなぁ。
しみじみしてたら、おっさんが買取明細書を持って来た。
「ホブゴブリンから毒も何も出なかったな。また窒息か心臓発作みたいな状態だったが、ホントにどうやったんだ?」
「すいません、ちょっとそれは秘密なんです」
ヴァリアスに言われたのだが、この酸欠魔法は相手を瞬殺できる、いわゆる暗殺魔法となりうるからだ。
基本的に空気の構造を知らないと出来ないが、もしそれを認識出来るようになったら……。
俺が発見したやり方が、人殺しの道具になるなんてまっぴら御免だ。
意図せずに自分の研究が、核爆弾に利用されたアインシュタインが、日本人の友人に泣きながら電話を入れてきたという話を思い出す。
そんな思いはしたくない。
「……ふーん」
おっさんはちょっと訝しげに顎を掻いて俺を見たが
「そっか、必殺技とかは隠しとくもんだしな。まっ俺はいいブツを持ってきてくれんなら何でもいいけどよ」
ドルクのおっさん、悪いけどこれで最後かもしれないんだよ。そう思うと慣れてきた、このハンセン似親父とのやり取りが出来なくなるのも、ちょっと淋しい気がした。
ブラックオパールの原石は32,350エルで売れた。これが良い値なのかどうなのかわからない。
ターヴィに渡したのも、これぐらいの価値があったのだろうか?
少しは借金返済の足しになるといいな。
2階に行くと結構混んでいて、リリエラは何か忙しそうにカウンターと奥の書庫とを行ったり来たりしていた。
俺は別の受付嬢に買取明細書を渡して、換金してもらいながら彼女を眺めていた。
最悪のタイミングだったかもしれないが、あの時彼氏がいる事がわかって良かったと思う。
もっと時間が経っていたら、俺の気持ちが焦げ付いていたかもしれないのだから。
彼女はバタバタしていて、俺の姿に気がつかないようだ。
―――『サヨウナラ』 心の中でそっと呟いて2階を後にした。
ギルドを出て水を買おうと思って、広場を見回したが水売りがいない。
ペットボトルを持ってまわりを見回していると、いつもいるパイ売りが声をかけてきた。
「お兄さん、いつもトッドから水買ってる人だよね? あいつなら今日は来ないよ。なんでも別の町に嫁いだ娘が、夫婦で遊びに来るんだってさ。昨日嬉しそうに話してたからね」
そうなんだ。最後にあの水売りのオジさんから、量り買いしたかったなあ。
ヴァリアスが、オレが用意してやるから心配するなと言ったが、なんかそういうもんじゃないんだよなぁ。
もう最後だし、せっかくだからミートパイ買っていこうか。
「あの、パイ2つ――」
「10個くれ」
えっ?
「やっ、こりゃあどうも!」
そんなに買うって事はそこそこ旨いのかな。こいつの嗅覚は鋭いからな。
パイを普通こんなに買う人がいなくて、包む物がないというので、そのままショルダーバッグに入れる振りをして空間収納にしまう。
そうだ、現地調達されるのが恐いから、奴の昼食分を用意していこう。
人が飯食っている横で、獲ってきた獲物を解体でもされたら堪らないからな。
それを言ったら、それなら西町の大通りに行くと言いだした。
知っている店でもあるのかと思ったら、例のドラゴンに持って行ったブランデーを買った酒屋だった。
また倉庫の方に通してもらい、またまた樽単位で次々とブランデーを選んでいた。
「誰かへのお土産って訳じゃないよね?」
「もちろん自分用だ。あとビール工房にも寄っていくぞ」
このドランクシャークがっ。
もう酒からビタミン作ってるんじゃないのか?
西区から東区に向かう途中、南区の下町商店街で良い匂いが漂ってきた。
大きく張り出した日除けテントの下で、大きな鍋や深皿に、煮物や炒め物を入れて売っている総菜屋からだ。
1人の男が持参したサラダボールのような木皿に、オカズを入れてもらっている。
こちらの店は、日本のように100g単位とかではなく、30gぐらいの細かい単位で売り買いしているようだ。
お茶の葉なんかも、庶民は1回分単位で買ったりする事も、珍しいことではないそうだ。
俺も味見の為に、一口ずつ買って紙皿に出してもらう。
試食した中でも、ドードーと木の実の炒め物が気に入った。
ニンニクの芽のような山菜の入ったものを、ソースで甘辛く絡めたモノで、鳥肉とカシューナッツ炒めの西洋版といった感じか。
これと青紫色の根菜の千切りと、オレンジ色のキャベツのような葉を塩漬けにしたものをチョイス。
ザワークラウトみたいな、あっさりした酸味が箸休めにちょうどいい。
「お客さん、鍋か深皿は持ってきてるかい?」
レードルで鍋の中を、ゆっくりかき回していたオバちゃんが訊いてきた。
あっ ここでは入れ物持参が基本なんだ。
「えと、これに入れてもらっていいですか?」
俺は100均で買っておいたキッチンポリ袋を出す。
袋なら色々と使えるかと思って用意しておいたのが、早速役に立った。
「オレはコレとコレだな」
奴が指さしたのは、何かの動物の内臓を、真っ黒に煮込んだ苦みの強い煮物と、芥子菜をさらに辛子草で炒った炒め物。
苦いわ辛いわ、俺は両方とも苦手だったが。
「鍋にあるの全部くれ」
「「えっ?!」」 オバちゃんと俺、ハモった。
大きな中華鍋分くらいあるぞ。
「つまみに丁度いい」
そう言いながら銀貨を出した。
オバちゃんはすぐに嬉しそうな顔になると
「たくさん買ってくれてアリガトさん! ウチのは最後に旨味が残るからクセになるよ」
何袋かに分けて入れてくれた。
買い物はしたし、あとは馬車に乗るだけだ。
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