第61話 馬車と門番
亜空の門を抜けて赤猫亭の部屋に戻ると、まず商業ギルドに行くことにした。
乗合馬車の時間を確認するためである。
ショッピングモールから戻ってきて、アパートで昼飯を食べながら今後の予定をかためた。
まず、一度に向こうに行く期間は一週間ないし、10日間ぐらいにすること。
時間的には1ヶ月間でも余裕はあるのだが、前回のように仕事の事を忘れてしまうなど、異国ボケが恐いし、何よりホームシックになるからだ。
慣れてくれば何とかなるかもしれないが、注意するに越したことはない。
もう一つは、やる事をみっちり組まない事。
一度の渡航する期間を短くしたせいで、ますますこいつが短時間に色々やらせようとするだろうから、釘を刺したのだ。
「前にも言ったけど、俺はもう少しゆっくり
仕方なかったとはいえ、あの
「たまたま重なっただけだろ。王都じゃゆっくりしてたじゃないか」
俺がさっき買ってきた五目チャーハンを食べている目の前で、奴は缶ビールを飲みながら、唐揚げとゲソ揚げを食べている。
「たった1日じゃないか。移動時間だって転移で全く時間を取ってないから、実質活動ばかりしてるし。
だから今度ラーケル村に行くのは、正式ルートで行こうよ。
一般人が旅行するみたいにさ、馬車とかで移動してみたいし」
「そんなの時間ばっかり喰って、もったいないだけだぞ。その時間があれば他にやれることはある」
「だからそうやって、いっつも詰め込み過ぎなんだよ。俺の神経が持たないよ。
また泣くぞ、俺」
「ムッ……仕方ないな。少しづつ慣らしていくしかないか」
あれっ 冗談で言ったのに意外と効いたらしい。
そういう訳でのんびり馬車の旅をすることにした。
そうしてそれを機に、ギーレンを離れることになる。
ギーレンの宿に戻り、夕暮れの道を歩き中央広場に行くと、すでに商業ギルドは閉まっていた。
ハンターギルドは有事の際のために、基本24時間営業なのだが、今は大扉は閉じられ、開いていることを示す小さなランプが、横の通用口の上にだけ灯っていた。
2階受付はやっているだろうが、1階の買取所は閉まっているはずだ。
6時を過ぎていたのだ。
「
「そりゃ俺が悪かったけどさ……あんなハプニングあったし……」
確かに計画では、こちらを出る時は朝早く出て、また戻ってくる頃はお昼頃になるようにするつもりだったのだ。
それが俺の情緒不安定のせいで一気に計画倒れになったのだが。
「どうせ来たんだから少しぶらつこうよ。もうこの町も見納めだし」
街灯の多い中央広場は、まだぱらぱらと人が歩いているが、横道に入ると一気に暗くなるせいか、
街灯もポツンポツンと間隔があいていて、灯りと灯りの真ん中は、建物の影と合わさって闇と変わりつつあった。
時折 窓の鎧戸を閉める音が聞こえる。
ヴァリアスはもちろん、いつもの灰色のコートに戻っている。
夜でフードを脱いでいるので、薄暗がりに白髪と銀の目がぼうっと浮かび上がって見える。
また大通りに出ると、街灯が多くなってまた少し明るくなった。
時々すれ違う人達は家路に急ぐか、もしくは一仕事を終えて、酒場にいそいそと向かう者かどちらかだ。
俺達のようにあてもなく、夜ぶらつく者はいない。
いつの間にか東門の前に来ていた。
門扉は固く閉ざされ、鉄の格子戸が下りている。
その門の手前の広場には何台かの馬車が停まっていた。
もちろん灯もなく馬もいない。
どうやら馬は別に馬小屋に移して、馬車だけここに置いておくようだ。
近づいていくと、大小様々な大きさの馬車があるが、みんな太い車輪の下に木枠や砂袋で、車輪止めがしてあるのがわかった。
そのそばに市壁にくっつくように小さな小屋があった。
街灯の灯りに照らされた看板には『連絡馬車案内所』とある。
街中を走る乗合馬車や、町と町の間を繋ぐように走る連絡馬車、郵便物を運ぶ郵便馬車などの事を、総じて連絡馬車と呼んでいるらしい。
だがもちろん扉はしっかりと鍵がかかり、窓は木戸が閉まっているので中も見えない。
あらためて並んでいる、誰もいない馬車を眺める。
以前王都で見たような、マイクロバスのような箱型の馬車や4人乗りぐらいの、いわゆる『シャーロックホームズ』の時代に出てくる辻馬車によく似たモノ、荷車に簡単に骨組みを取り付けて、その上に布を覆った幌馬車タイプもあった。
物珍しさで車輪とかを眺めていたら
「あんまりそうやってると、
「えっ そうなのか?」
俺は慌てて馬車から離れると、小屋の横にいたヴァリアスのところへ戻った。
確かに地球でも、車上荒らしに見えなくもないか。
またやっちまったよ俺。
「何してるんですか?」
振り返ると、カンテラを持ったカーキ色のベストを着た若い男が立っていた。
御者か関係者かもしれない。
「すいません。……ちょっと、こういうのが珍しくてつい見てました」
謝ろうとした俺を見て、男が声を上げた。
「ああ やっぱり、ソーヤさんですね、それとヴァリアスさん!」
「え、あなたは……」
「カイルです。そこの門番の」
と、男は自分の顔の近くにカンテラを持ち上げた。
深緑の髪と見慣れた薄茶色の瞳が浮かび上がる。
「ああっ、そこの門のっ」
ヴァリアスがからかったり、出産祝いをあげたり、迷惑やらなんやらかけたあの若い門番だった。
いつもは兜と胸当てをしているのに、今は平服でわからなかったのだ。
「いつもの恰好と違うから、一瞬わかりませんでしたよ。確か、今お仕事お休み中でしたよね」
「いえ、一昨日から仕事に戻ってます。さっき仕事が終わったので帰るとこだったんです」
へぇー こっちの育休って短いんだな。いや、そもそも育休なんて無さそうだし。
「それと――」
カイルはヴァリアスに向き直った。
「あの時は沢山ご祝儀を頂いて本当に助かりました。
おかげで妻にハイポーションを飲ませる事もできたし、滋養のある食べ物を買ってやることも出来ました。
本当にありがとうございます」
若い男は両手を胸の前で組んで礼をした。
ああ そうか、ちょっとドラマでも見たけど、日本でも亡くなる妊婦も何人かいるくらい、出産って大変なんだよな。
こっちじゃもっと危険だろうし、産後の肥立ちが悪いとかいうものなぁ。
あとで聞いたら具体的な金額は言わなかったが、およそ
「ただ気が向いただけだ。礼はいらん」と、素っ気なく言う奴に
カイルはいつもと違う明るい顔を上げた。
「そういえば何をされてたんです?」
「あー、ちょっと明日の馬車の時刻とか、ルートを調べようと思ってたんですけど、来るのが遅くなっちゃって……」
「どこまでですか? ここから出る定期便の事ならこちらでもわかりますよ」
と、門の方を指した。
「えっ もう業務は終わってるんですよね?」
「門には
そういうとカイルはクルッと閉まった門の方に歩いていくと、横にあるドアをノックした。
カタンと除き窓が開いて明かりが漏れると、誰かと話をしている。
少し間があって
「大丈夫です。どうぞ、入って下さい」
カイルがこちらを振り返ると同時にドアが開いた。
俺達は壁の中の門番詰所に入れてもらうことになった。
中には2人の兵士が立っていた。
青みがかった紺色のカイゼル髭を生やした中年の男と、エラの張った顔をした大男だった。
青髭の男は以前、オークに殺された子供が運び込まれた時に、指示を飛ばしていた上司らしい男だと直感した。
「ようこそ、お噂はかねがね聞いております。この間はうちの兵士が、多大な祝い金を頂戴したようで有難うございます」
上司は丁寧にお辞儀をした。隣の大男も慌てて一緒に頭を下げる。
この大男は見た事ないな。
「かしこまらなくていいぞ。オレはただのハンターだ。そんなに偉い者じゃない」
だけどこいつがSSだから中に入れてもらえたんだよな。俺だけだったら到底相手されなかっただろう。
「これが路線図です」
カイルが壁に貼ってある地図のうちの1つを指す。
それは以前、俺がギルドの売店で買った地図に似ていたが、町や村とを色違いの線や、点線で繋いだ経路が書き込まれていた。
「ちなみにどこまで行く予定なんですか?」
「このラーケルという村なんですけど」
俺は家で地図を何度か見ていたので、すぐに村を指す事が出来た。
「結構遠くまで行くんですね。だとすると真っ直ぐプーケに行くか、少し斜め先のこのトランドの町に行くのが順当ですかね」
と、隣町らしいのを2つ指して言った。
「もっと先まで一気に行くのってないんですか?」
これだとまだまだラーケルより、少なくとも5つくらい手前だ。
「無いですね。その先に一気に行こうとしたら、朝早く出ても、夕暮れまでに町に入れるかわかりませんから」
「蒼也、こちらじゃな、一般の旅客馬車は夜営をしないんだ。夜の外は危険過ぎるからな」
そうかぁ、西部劇とかでよくカウボーイが夜営して、焚火なんかしているイメージがあったけど、注意しなくちゃいけないのは、コヨーテやインディアンどころじゃないんだもんなぁ。
「上手く乗り継げば、先の町に夕方までに入る事は出来ますよ、ちょっと待ってくださいね」
カイルは棚からファイルを取り出すと何やら調べ始めた。
「自分、アクール人もSSの方も初めて見ましたが、やっぱ凄いオーラですね」
大男が上司に小さな声で囁いた。
『(嘘つけ、オレはオーラなんか微塵も出しちゃいないぞ。全部引っ込めてるぞ)』
ヴァリアスの声が直接頭に聞こえてきた。
『(だから例えだから。オーラを本当に見て言ってる訳じゃないよ)』
「ありました。このプーケまでは大体2刻(約4時間)前後かかるんですが、いつも日に3便出てて、第1便は開門と同時に出ます。
トランドまでは大体3刻(約6時間)前後で、開門時と9時の祈りの鐘の通常2便です」
どうやら見ていたのは運行表のようだ。
「プーケのほうが手前ですが、その分早く着くので上手く乗り継げば、その先のマリーヤまで行けますよ」
「わざわざすいません。じゃあ早起きしないと」
俺は手帳に今聞いた町名と、念のために聞いた他の発車時刻を書き留めた。
もっとも天候やら客が集まらないとかで、だいぶ発車時刻は左右されるそうだが。
「だけどもうこの町を出て行かれるんですね」
初めて会った時とは打って変わって、カイルは少し残念そうな顔をした。
「ちょっと他の町も見てきたいので。いつかまた戻って来ることもあるかも知れませんし」
約束出来ないけど。
「オレ達は所詮流れ者だからな。この地上にいる限り、生きてりゃまた会えるぞ」
奴の言葉にゆっくりカイルは頷いた。
「そうだ、これ」
俺はショルダーバッグから出したように見せて、空間収納からタオルを取り出した。
「良かったらこれ使ってください。柔らかいから赤ちゃんの肌を拭くのにも優しいかと」
以前、友人の子供が産まれた時、夏は赤ん坊を1日2回は洗ったと言っていた。
また紙オムツは高いからと布オムツを使っていて、遊びに行った時に凄い量のオムツが干してあったのを覚えている。
こちらのオムツはどんなものか知らないが、とにかく布は必要なんじゃないかと思い、予備に買ってあった3本をカイルに渡した。
「ええっ! こんな柔らかい布……相当高いんじゃないんですか?
しかも3つも」
え……村人ほど貧しくなさそうだし、普通だろうと思ってたんだけど、そういう問題じゃないの?
それともそんなに高いの? 柔らかい布って??
彼の後ろに立って覗き込んでいた上司の口も、『ほぉ~!』っていう形になってるし。
「全然高くないですっ。私の国では比較的、布地が多く安く生産されてるんですよ。
だから気にしないでください」
「班長、これ……」
カイルが上司を振り返って、支持を請うように言った。
「せっかくだから頂いておきなさい。ご好意を無下にしちゃいかん」
それを聞くとバッとまた俺に深く頭を下げた。
そんなに人に何度も頭を下げられるのは慣れていない。
俺はひたすら高い物じゃないからと言い訳のように言った。
「いいなぁ、カイルの奴ばっかり……」
隣でポロっと大男が呟いて
「この馬鹿っ、卑しいことを言うな!」と青髭上司に注意された。
そりゃそうだよな。目の前でどうやら高価らしい品を、ポンポン1人だけにあげてるんだもんな。
「あの皆さんも良かったら使います? まだありますので」
余分に買っといて良かった。俺は2本またタオルを取り出した。
さっきカイルに渡した明るい色ではなく、紺地とボルドー色の落ち着いた色のを出して、2人に見せた。
村長やポルクルに渡す事を考えて選んだ色だ。
「やった! 有難うございますっ」
大男はすぐにボルドー色のを選んだ。
「コラっ! ……まったくすいません、礼儀作法がなってなくて……」
青髭上司はまた部下を叱ったが、さっきより口調が強くない。
「いや、本当に気持ちいい肌触りですな。わたしも最近、背中の吹き出物が擦れて痛くて、これなら痛めずに体を拭けそうです」
青髭さんも嬉しそうで良かった。
そう考えるとタオルも商品として売れそうだな。
食べ物じゃないから、体に直接害は無さそうだし。
とにかく明日は一番の便で出発しよう。
そう思ったのに、俺は次の日、まさかの寝坊をしたのだ。
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