第126話 王都の巨大書店 その2(本を買う)


 それにしても警備員や司書がそこら辺にいるが、こんなに本棚があるとやはり死角が出来る。

 俺みたいな空間収納を持っていなくても、地球では書店では万引きが横行している。

 ここでの本は高価な物だし、やっぱり盗む奴もいるのじゃないのか?


『これを見てみろ』

 そのことを言うと、奴が本の背表紙をスッと撫でた。

 すると背表紙と本文の隙間から、にゅるんと金色の蔓のような虫のようなモノが出てきてページの上を這った。


『何これ?』

『呪いの一種だ。もしこの品を、無断で外に持って行くような事をしたら、コイツがその者の耳の中に入り込んで体を拘束する仕掛けだ』

『へぇー、一種の防犯タグみたいなものか。おっかねぇー』

『今ワザと視えるようにしたが、もちろん通常は見えないからな』

 俺は前からの疑問を思い出したので訊いてみた。

 よりによって本屋の中で聞く質問でもないのだが。


『……なあ前々から思っていたんだけどさ。この空間収納能力って、こういう防犯システムがなければ盗みし放題なんじゃない?』

『フフン、そう思うか? じゃあ封じを解いてやるからやってみろ』

「ハアッ !?」


 うおっ、うっかり素っ頓狂な声を出してしまった。

 少し離れたところにいた警備員と何人かの司書が振り向く。

 だが、別に異常がないとみて、またこちらから視線を外した。


『何言ってんだっ? 万引しろっていうのか?!! 犯罪だろっ、こっちだって』

 俺は出来るだけ声を平静にして言った。

『そりゃそうだ。だけど大丈夫だからやってみろ』

 そう言うや俺の前で軽く手を振った。

 スッと体を締めていた感覚が消える。魔力が反動で腕から滲み出るのを感じた。

『おいっ! 戻せよ。俺、違反で捕まっちゃうかもしれないじゃないか』

 焦ってつい周りを見回した。

 魔力が出てるの気づかれてないか?


『大丈夫だ。奴らにはわからんようにしてある。それよりサッサとやってみろ。

 簡単だろ? その手に持っているのを、そのまま収納すればいいだけだ』

『ふざけんなよ。いくらわからないからって、盗みってのは人の迷惑に――』

『いいからやってみろ! すぐ戻せばいいだろ』

 押し殺した声が奴が言う。


 クソッ、こいつは言いだしたら何が何でも引かないからな。

 大体、戻したって、その行為自体が禁止行為なのに。

 本当にこいつは神の使徒なのか。まるで万引きを強要する虐めっ子どころか、借金のカタに犯罪の手引きをやらせるヤクザそのものだ。

 もうこいつはヴィランじゃないのか。


 俺は諦めて一瞬だけやってみる事にした。

 本当に一瞬入れてすぐに出す。出来る限り収納に入れたと思われないように。


 だが、本は一瞬どころか、1mmも入らなかった。

 ???!  空間収納は開いている感触はある。だが、本をそこに当てても、押し込もうとしても、全く入らない。


『なんだ、どうしたんだ? 何か他に万引き防止の仕組みがあるのか?』

『実際にやってみるとわかるだろ?』

 また俺の顔の前で手を振ると、じんわり全身を締め付ける感触が戻ってきて、魔力が出なくなった。


『おーい、あんまりこんなとこで無茶するなよー。察しの良い奴だっているかもしれないんだから』

 まわりをそれとなく警戒していてくれたらしいナジャ様が、俺たちの間に顔を入れてきて、やはり日本語で話してきた。


『オレがそんなぬるい隠蔽するか。

 いいか蒼也、つまり空間収納には、基本的に道徳観念でロックがかかるようになっているんだ。

 自分の物や他人から承諾を得て預かった物とかはすんなり入れる事は出来ても、他人の所有物を無断でと意識した途端、入れられなくなるようになる。

 そうしないと人間は意思が弱いからな、すぐに堕落の道に落ちる』


『そうなのか……。でもこれ、盗賊とかが持ってたらロック外れないのか?』

『元々そういう素質がある奴は、この能力は発現しないようにしているよー。ただ後から堕ちた奴とか、その他の能力だって使えば出来ない事もないけどねー』

 悪事には頭をいくらでも使うからとナジャ様。

『まあとにかく良かったな。お前に盗癖がないって証明されて』

 奴がニヤリと笑った。

『冗談じゃねぇよ。俺の手がもうちょっとで汚れちまうとこだったじゃないかよ』

 俺は文句を小さく言いつつ、本を書見台に戻した。


「お待たせいたしました」 

 そこへ白い司書が本を抱えて戻ってきた。


「本を返すのは、司書の人に頼むのかな?」

 俺は書見台に残した8冊の本を見て聞いた。司書は計12冊の本を持ってきてくれていた。

 そのうち選んだ4冊を購入することにしたのだ。

「本の返却はこうすればいいんだよー」

 そう言うと少女は1冊の本を取り上げると、空中に軽く放った。

 空中に飛んだ本は落下してくるかと思いきや、宙でピタッと止まると、今度は天井まで浮かび上がった。

 そのまま天井に沿って、ある本棚の上に行くと、ゆっくりと降下して、3段目の空いている隙間にすっぽりと入り込んだ。


「さっきの金色の虫がいただろ? あれは呪いだけじゃなくて置き場所の印でもあるんだ。持つことを放棄すると自分で元の位置に戻るんだ。

 もちろん購入するとこれは解呪される」

 このフロアの物ではなかった本は、天井伝いに吹き抜けのところへ行くと、ゆるゆると人を避けながら柱に沿って降りていった。

 ふーん、なんかいろいろと地球よりハイテクなのか遅れてるのかよくわからんな、この世界は。



 会計は1階だけだった。

 買う本と一緒に例の魔封じの帯も返す。この帯が1本5万エルの保証金の証明になるのだ。

 購入時はこの保証金との差額で清算されるようになっている。

 果たして合計金額は4冊で178,400エル。表紙に宝石でも仕込まれているのだろうか。

 差額は奴がギルドカードで払ってくれた。


 白いシルクのようなスベスベした布に、金地の縁縫いの手提げ袋2つに分けて入れた、4冊の本を両手で持ちながら本屋を出た。

「大事にしないと、こんな高い本……」

「その手提げ袋もね、結構価値あるんだよ。王都近辺じゃ、この本屋で買い物したっていう証しだからねー」

 なるほど、どこぞのブランドの紙袋みたいに金持ちのステータスになるのか。

 あらためてよく見ると、袋には外壁と同じような蔦模様の刺繍も施してあった。


「だから、そういう袋を持ってるって事は、金持ちの証拠だから盗人に狙われやすいけどねー」

 ケケケと笑いながら少女が言った。

 なんですとっ、ヤバいじゃないか。

 後ろにもう10人くらいつけて来てないか?

「こんな王都の大通りでわざわざお前に目を付けなくても、他にも金を持ってそうな奴はいっぱいいるぞ。

 それより奪いやすそうな、そういうオドオドした態度の方がよっぽど狙われやすい」

 ジロリと俺を見ながら奴が言う。


 そんなにオドオドしてるか、俺? 

 でも高い物を持ってるとなんか落ち着かない、貧乏性なのは認めるよ。 

 さっさとしまっておこう。

 ショルダーバッグに入れながら、空間収納に本を入れた。


 確かに本は高い。紙自体も厚手の上質の紙を使っているせいもあるが、まず印刷費用が高いらしい。

 こちらには転写というコピーに似た魔法があるが、魔力を使うので何十枚、何百枚という印刷にはコストと負担がかかり過ぎるので量産出来ない。

 印刷用インクも通常の筆記に使われるインクとは、種類が違って安いものではない。


 ただ、印刷技術はそこそこあって、通常は鉛の版を使った活版印刷や木版印刷などが主流だそうだ。

 機械ではなくまだまだ手刷りで、カラーの場合、手塗りの場合もあるらしい。

 全て手書きの宗教関係の本なんかはちょっとした財産になるそうだ。


 『ボクにもわかる マモノの全て』なんか挿絵が5色ぐらいのカラーのせいか、32,000エルもした。

 子供用の本にこの値段って、高価なオモチャ感覚なのかな。

 確かにこれは金持ちじゃないと本は持てないな。


 …………これって一般家庭の1カ月分以上の生活費に匹敵するんじゃないのか。

 伏竜の素材は高く売れそうだけど、こんなにしょっちゅう爆買いしてたら、すぐに無くなっちゃう。


 今更ながら高い買い物をした実感が湧いてきた。

 2ヶ月前までは失業者だった恐怖感が、まだ完全に拭えない不安症の俺は、すぐに一番悪い状況を考えてしまう。

 それに何よりもこの金銭感覚に慣れてしまうのが怖いのだ。

 いわゆるセレブ感覚に慣れてしまって、落ちぶれた時に生活水準を低くする事が難しくなるという問題だ。


「今からそんな余計な心配してどうする?」

 全く生活感のない男が呆れ顔で言ってきた。

「これはお前の教育費なんだから、オレが出してやる。いちいち金の心配するな」

「いや、いつも有難いんだけど、気持ちの問題なんだよなぁ、なんか堕落しそうで――」


「分かってると思うが、金を稼ぐなんざオレ達には瞬きするより容易いことだ。

 ただ、お前を一人前にする事の方が、星を管理するより難しい。

 ちょっとでもオレ達の気分を良くしたいなら――」

 俺の目を銀色の月が見据えてきた。

「少しでも成長してみせろ」

 バンッと背中を叩かれて、俺は思わず息が詰まってよろめいた。


 派手に咳き込む俺の隣で、カッカッカッと歯をむき出しに笑っている奴の声に、通行人が何人か、おっかなそうに振り返る。

「もう少し手加減してやりなよ。ヴァリー」

「気合を注入してやったんだよ」

 あんたは猪木かっ。

 ヘタしたら肺が爆発するとこだったぞ。

 絶対今見たら俺の背中に手形の痣がくっきりあるはずだ。


「わかるか? 前より強く叩いても、ちゃんと持ちこたえられるようになってきている。

 ほんの少しづつだが体が出来てきてるんだよ」

 そうしてまだ声を出せない俺の背中に手を当てて回復させた。

「肝っ玉の方はその万分の1くらいの歩みだがな」

 わざとらしく残念そうに肩をすくめてみせた。


「てめぇ、ちょっとくらい力が強いと思って調子に乗りやがってっ。言っとくけど俺は約束を忘れてないぞ。

 いつかあんたのそのツラ、思い切りぶん殴ってやるからな」

「おう、いつでもこっちはOKだぞ。今でもいいぐらいだ」

 奴がニヤニヤしながら、顔を近づけてきた。

「……だからもう少し待てよ。俺の拳が、あんたの面の皮の厚さに耐えられるくらいになるまで」

「ああ、もちろんこうして待ってるよ。ただ千年くらいで間に合うかなあ?」

 今のままじゃそうだねーと、傍で少女も頷く。


 この不条理な馬鹿力の奴にダメージを与えるのは、生半可な力じゃ無理だ。

 なんたって、地球の悪魔どもを平気でぶっ飛ばすぐらいなんだから。

 だけどやってやるぜ。

 なんたってそれが俺の出来る、多分唯一の恩返しなんだろうから。

 それにはまず、ちょっとした買い物でもびびらないように、稼げるようにならなくては。

 それがまずは第一歩だ。


「ねぇ、先にパン屋行こうよー。ギルドは6時までやっているけど、パン屋はもっと早く閉まっちゃうよー」

 少女が俺の袖を引っ張った。

 そういえば本屋の中で3時の鐘の音が、あの天井のパイプから響いていた。

 あれは空調のパイプだと言っていたから、外の音が伝わってきたんだ。

「しょうがねぇな。さっさと済ましてギルドに行くぞ。あと2つ回らなくちゃならねえんだから」

「大丈夫だよ。行こう、ソウヤ」


 まずはこの少女の食欲を満たすのが先か。

 俺は少女に手を引かれながら、賑やかな通りを歩いていった。

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