第185話☆ ホールにて
今回も長くなりました……( ̄▽ ̄;)モウイイカ……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ギュンターは怪我をした若者を、管理室隣の治療室に運び込んでいた。
「お前も少し大人しくしてろよ、こっちは肝が冷えたぞ」
治療師が若者の手当をしているのを横目で見ながら、後からのんびりついてきた相棒に文句を言った。
その相棒はフードを脱ぐと、少し馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「フン、どうせあんな奴ら、集団にならないと威張れないくせしやがってっ」
ギュンターはもう一度、ドアがしっかり閉まっているのを確認してから息を吐いた。
「お前なあ~、その集団でいるところが厄介なんじゃないかよ。あいつらが言いがかりつけてきたら、まず
「
そう言いながらもちょっと宙に目を動かした。
それから治療師に手に持っていた物を差し出す。
「これ拾っといたから」
それは先程へし折られて落ちていた、若者の2本の前歯だった。
「ご苦労さん。で、どうするかね。つけるかい?」
歯を受け取った初老の治療師は、診察台の若者に向き直った。
砕いた下顎はまずポーションで鎮痛、血止め、細胞組織の再生を80%行い、その後 骨などを治療師の回復魔法で最終的に正しく整えていく。
その際にこうして欠けた歯や骨があれば、くっつけることは可能だ。
ただし歯の場合、別料金になる。
「うぅ~~ん……、あの人たちに請求できないのよねぇ……」
横にいた若者の連れの女が、苦々しそうに呟いた。
「もう無茶するな。今度は上顎もやられるぞ」
ギュンターがそれとなく諭す。
「しゃあねぇ……。先生、カッコ悪いからやっちゃってくれよ」
まだ喋れない男に代わり、仲間が治療師に頼む。
若い女がぷーッと頬を膨らませた。
やれやれと、そんな若者グループから目を戻すと、ユーリが治療師助手に話しかけていた。
「なあ、何か眠気覚ましの薬とかない? それかこう、頭がスッキリするヤツ」
「ええと……、あ、すいません。その手の薬は切らしてます。ここではあまり需要がないので」
薬棚を覗きながら助手が答えた。
「そっかぁ……。あ~、ここに来る前に署に寄って持って来ればよかったぁ」
ユーリがぼやきながら頭をバリバリ掻いた。
「じゃあ、頭痛薬は? 鎮痛剤くらいならあるだろ」
「ええ、それならあります」
助手がまた薬棚の戸を開けた。
「
「わかってるよ、おれだって家庭があるんだから、そこまでムチャしねぇよ ―― っていうか、それ冷たくない?」
貰った薬を一気に飲み干したが、まだ落ち着きなく奥の壁の前を行ったり来たりしている。
こいつもちょっとヤバい。
ギュンターは昨夜のことを思い出した。
**************
昨日あれからバレンティアの町に急ぎ戻った。
閉門時間を過ぎてはいたが、大門横の小窓から門番に面通しすると、同じく横に設けられている戸口が内側に開いた。
ここは人1人通れるくらいの狭い通路になっていて、万一敵がここから侵入して来ても対処できるように、壁には狭間が何個も作られている。
門番はそのまま2人に通路を通らせると、反対側の扉を開けた
壁の内側の町中は、陽も暮れたというのに昼のように賑わっていた。
もう紙吹雪は無くなったものの、道路や建物の間に張り巡らされたモールにランタンが色を灯し、人々の頭上や川面に色とりどりの光を映していた。
その川をのぞむところにある『第13分署』には、人がほとんどいなかった。
何しろさっきから、引っ切り無しに橋をパレードが通っているのだ。
ほぼ全員が警備に出払っていた。
「おう、お前たち戻ったか。どうだった?」
署長のヴァルトがファクシミリーの前で、書類を見ながら振り返った。
「ちょうど良かった。今、ブルクハウセン卿のとこから通知が届いたとこだ」
「ブルクハウセン……」
2人は顔を見合わせた。もう嫌な予感しかしない。
「伯爵懇意の占い師が、『マターファ』に奴らが潜伏していると託宣を受けたそうだ。
それでこちらも本格的に捜索することになった。
今、ひとまずダンジョンを閉鎖させるために、ラウエイとパーシバルを向かわせたとこだ」
そう言って持っていた書類を見せてきた。
ファクシミリーから送られてきた伝書には、ボルケスティン家の紋章が描かれている。
「ギュンター、ユーリ、お前たちにはまた明朝、2人と交代してもらう。
その目撃談を直接聞いているし、なによりダンジョンに慣れているお前たちが適任だろ」
確かにギュンターには少なからぬ『土』の能力が、そしてユーリは元々ダンジョンに主に潜っていた『ダンジョンハンター』だった。
傭兵をしていた事もあったが、とにかくダンジョンには精通していた。
「伯爵の部隊ももちろん投入されるから、こりゃ長丁場になるぞ。
今のうちに一度家に帰って休んどいてくれ」
「あ、あの、
ユーリが恐る恐る休暇願いを言った。
「バッカもんっ!! ナニ寝ぼけたこと言っとるっ?!
お前の目は外の騒ぎさえ見えんのかっ?
このクソ忙しい時に半日だって休めるわけないだろがっ。
明日は全員出動だぁっ!!」
痛いほどの激しい豪雨のような『気』が当たって来る。
『気』は覇気とも言われ、魔法力とは違う精神の力だ。そのため同じ
頭では無茶な頼みなのは分かっていたので、無駄に神経に打撃を喰らって追い出された。
「なんでおれまで当てられなくちゃいけないんだよ……」
結局ギュンターまで一緒に怒られた形になってしまった。
その厄介な相棒は、署内の薬局で
「駄目だっ。こんなんじゃ効かねぇっ!」
「ああ?」
「ギュンターっ、頼むっ! おれと一緒に来て釈明してくれっ!」
「ああっ?!」
何故か今度は他人の家で人妻に睨まれるハメになった。
外の賑わいとは反対に、物事が停止したような部屋の中で、大きな胸を持ち上げるように腕を組む女。
確かにイイ女だとギュンターは思った。
大きくウェーブした腰までの髪は、深い緑色に金と赤色のメッシュが流れるように入っている。
ダイナミックな踊りを披露する踊り子のような肉感的な肢体、きりりとした眉に切れ長の目、スッと伸びた鼻筋に厚くも薄すぎもしない唇。
好みじゃないが獣人の彼から見ても、ヒューム系として彼女は整った顔立ちをしているとわかる。
だけどそれ以上に――
「ドラ、だけど……署長直々に命令されちまったんだ……仕方ない……だろう?」
ユーリが引け腰で手を前に出しながら、おどおどと妻に話す。
それに対してドラことドロレスは、腕を組んだまま軽く小首をかしげると笑みを浮かべた。
「そう、署長さんの指示なのね……」
穏やかな言い方に反して、熱いと感じるほどのゴウゴウしたオーラが伸びてくる。
切れ長の目の奥の瞳は、赤とオレンジ色の光が揺らいでいる。
この女、『火』の属性だ。そうして『覇気』の持ち主でもあるんだ。
気が強くて喧嘩っ早い女、またはその美しさで争いの種になるような女 ――
ふとテーブルの下から、小さな顔が覗いているのに気が付いた。
ユーリと同じ濃淡のあるブロンドに、赤い月の目をしている男の子。
間違いなく、こいつの血を引いている。
「あの……奥さん。これはダンジョンという特殊地域の捜索で、彼が適任と選ばれたんですよ。
警吏多しと言えども、能力共におやっさん――いや、署長に実力を認められてるからで、これは……」
ギュンターも付いて来た手前、フォローを入れる。
「いえね、ウチの人、ちょっと向こう見ずなところがありますでしょう? だから警吏になっても何かやらかさないか心配で」
取り繕うような妻の顔をこちらに向けながら、相変わらず炎のような『気』を纏わりつかせている。
「それと同時にお調子者なところがあるから、あまり計画的なこと、特に約束事を守るのが苦手で。
また今度もかなあと思っただけなんですのよ」
そう恐ろしい流し目で見られたユーリのオーラが、隣で小刻みに波打っている。
「そうよねぇ? これはうっかり約束を忘れてた訳じゃないってことなのね、ユーリ。
なんでこっちを見ないの?」
「いや、その……圧がちょっと痛くて……」
「あんた、自分じゃ分からないかもしれないけど、嘘つくと目の色が変わるのよっ!
さっきから、緑色に変ってるじゃないのよっ。
なにかやましい事でもあるんじゃないのっ!?」
「どぉうも すいませんっ!!」
夫はガバッと勢いよく床に這いつくばった。
エエッ! こいつすぐに吐きやがったーーっ!!
一緒に来たおれの立場はーーーっ!?
しかも謝り慣れてるしっ!
「あの、奥さんっ お子さんの教育上よろしくないかと――」
土下座してる相棒を庇うように言うギュンターに、ドロレスがまた口元だけ上げた。
「あら、すいません。みっともないところをお見せして。
ご心配なく。明日の公務に差し障るようなマネは致しませんから。
ただちょっと、家族での話し合いをしたいと思いますので、すみませんがご遠慮いただけます?」
目の前で戸が閉じられ、心配ながら帰ったギュンターだったが、今朝、イラつきながらも五体満足で現れた相棒の姿を見て、ひとまず安心していたところだった。
**************
「こうして見たところ、無事だったと思っていたが……、やっぱりぶっ飛ばされたのか?」
そう訊かれてユーリは急にガックリ肩を落とした。
「………… いっそぶん殴られた方が良かったかも……。
話すとムカつくって、口聞いてくれなくなっちゃった……
……今日の『アジーレ』のイベントは、ほんとにカミさん行きたがってたから」
実は『アジーレ・ダンジョン』の催しには宝探しの参加者だけでなく、一般観客もホールまで入れる事になっていた。
それは街中に勝るとも劣らないくらい気合の入った、一日限りのイルミネーションがほどこされるらしい。
ホールにはそうした一般客用の店や、大道芸人たちの催しも用意されていた。
普段は入る事などない場所でもあり、ドロレスは前から楽しみにしていたのだ。
「おまけにウチのガキが『夜行症』で寝かせてくれないし……」
「お前んとこの家庭は事情だらけだなっ」
思わずギュンターも唸った。
『夜行症』というのは、地球人の睡眠障害とは違い、主に『闇』属性の者がなる一種の体内リズムの乱れである。
日中に眠気を覚え、日暮れと共に神経が覚醒してくるという、いわゆる昼夜逆転現象だ。
これはほとんど2~7歳の間に現れ、大概が数日から数か月程度で自然に収まっていく。幼少期とあって起きている時間は大人より少ないとはいえ、夜中家族は目を離すことが出来ない。
薬で抑えることも出来るが、成長にいい影響を与えないので推奨されていなかった。
「大体あいつらが来なけりゃ、
ほぼ八つ当たりである。
「うう~むぅっ、それはお前のせいなんだが……」
とりあえずこいつのイライラをなんとかしないと。
「よし、わかった。お前のその寝不足も大きな原因だな。
おれが何とかするから、お前、少し仮眠してろ」
「えっ、 いいの?」
ユーリがパッと顔を上げた。
「どうせ応援が来るのは早くても日暮れだ。それまでおれ達は連絡待ち、留守番だろ。
ネズミが逃げ出さないようには軍がやってくれてる。
おやっさんも万全の態勢で臨めって云ってたしな」
「おおっ、やっぱり持つべきは理解ある仲間だなっ!」
「お前がなにかやらかしそうで怖いからだよ」
「うんうん、この際理由は何でもいいや」
と、ユーリは薬棚の陰に寄りかかる。
「じゃあこうしておれ、立って寝てるよ。目ぇ開けながら寝るのも得意だし」
「やめろよっ、気持ち悪いっ!」
治療室の中には、簡単な仕切りで区切られた診察台が5個並んでいた。各仕切りはこれまたカーテンで目隠しできるようになっている。
「一番奥のを使わせて貰えよ。ここの治療師たちだって仮眠に使ってるんだろ」
「いや、それは案外マズいかもしれない」
ユーリが破顔からまた真顔に戻った。
「さっきの奴のイラつく気配がする。おれに恥かかされたって思ってやがる。
多分文句ぐらい言いにまた来るぞ」
直接接触した相手の波動を残留電気で、しばらくなら感じることが出来る。
近くにいるなら猶更だ。
「なんてこった。後から後からまったく――」
治療費をしぶしぶ払って出ていく若者グループと入れ替わりに、先程の兵士が入ってきた。
若者たちが一瞬、文句を言いたそうに見返したが、睨み返されてそそくさと出ていった。
「おい、さっきのユエリアンはどこだっ」
治療師と話をしていた獣人の警吏に、兵士が突っかかるように言った。
「あいつなら、さっき出ていったよ。軽くダンジョン内を見てくるそうだ」
大きな体を屈めるように椅子に座りながら、獣人が答える。
「ナニッ? ここから出て行くのは見なかったぞ!?」
頬面を上に上げながら、兵士は治療室の中を見回した。
今のところ診察台の仕切りカーテンは全て開いていて、誰もいる気配がない。
突き当りのドアを乱暴に開けると、薬の数をチェックしていた薬剤師がビックリして振り向いた。
他には誰もいない。
もう1つ、左奥に少し引っ込んだところに、黒いドアがある。
「あ、そこは――」
勢いよく開けた。
なんだか、ヒンヤリした空気が漂っていた。
薄暗い部屋の中には、左右と奥の三面の壁に、それぞれ2段作りのどっしりとした鉄製の棚があった。
棚の上には靴や衣服、鎧の一部やたまに武器などが置いてある。
どれもこれも使った跡がある中古品、というよりもどこか壊れたり汚れていた。
その他に大きさの違う黒い袋が、いくつかあった。
全てその口は固く紐で結ばれ、どこか冷気がソレから漂ってくるようだった。
開けたドアから差し込む明かりが、その品々を闇から浮かび上がらせている。
「あんまり面白いもんじゃないよ。本当は今日あたり引き取りにくる予定のもあったようだが、こんな事態になっちまって遺族が来れないからな」
いつの間にか獣人が後ろに立っていた。
「あんた達ベーシスにはわかんないかもしれないが、どうしても死臭が漏れるんでね。
鼻がむずがゆくなっちまう。早く閉めてくれよ」
「煩わしい体質だな」
もう一度中を覗いてから『遺体・遺品安置室』のドアを閉めた。
「本当にどこ行ったんだ? ここには確かにいないようだが」
「だからさっきも言っただろ。見回りに出ていったって。
こうしてても退屈だからな」
「出入りしたのは、さっきの助手とあの馬鹿どもだけだったぞ」
しっかり見てやがるなあ。
ギュンターは内心舌打ちしながら返答した。
「じゃあ気配を消していったのかもしれん。警吏とバレずに紛れ込むためにさ」
元々警吏の護符は、犯人に気取られぬように隠蔽系なのだ。
更にユエリアンなら闇系なのはまず間違いない。人目につかないように移動することは大いに考えられる。
「はあっ?
兵士が小馬鹿にするような顔をした。
「それは俺たちに見つかりたくなかったってことかあ?
さっきはワザと突っかかってきたくせに、いざとなったら腰が引けたってわけか、情けないっ」
ポンポンと兵士は自分の腰を叩いて見せた。
これは腰抜けを現す一種の侮蔑的ゼスチャーだ。
「さあね、おれは出ていく瞬間は見てないんでね。なんとも言えん」
それに対してギュンターはワザとらしく、肯定とも否定ともつかない感じで肩をすくめてみせた。
「ふん、もういい!
もしかするとコソコソとこの中で気配を隠してやがるかもしれないが、そんな意気地なし野郎に付き合ってるほど、俺も暇じゃないんでね」
そう言って溜飲を下げた兵士は、入って来た時と同じように乱暴に外に出ていった。
「ドアくらいちゃんと閉めてくれよ」
小さくぼやきながらドアをしっかり閉めて、治療師に向き直った。
「済まない。黙っててくれて」
「いんや、別に気にしなさんな。私は何も見とらんし、何も知らん。
色んな人間が来るから、いちいち覚えとらん。
ただ時には、ちょいと気に入らない奴だっておる。それにちょいと刃向かう者に応援しちまうのが人間ってえもんだろ?」
治療師は白髪交じりの口髭をいじった。
「うん、何も知らないでいてくれ」
それからまたハァ~っと大きくため息をつきながら、ギュンターは椅子に座り直した。
まったくユーリの奴、何度もヒヤヒヤさせやがって。
もうこれはハイオーク(Dクラス)どころじゃなくて、CかBクラスの肉を奢ってもらわないと割に合わん。
起きたらふっかけてやらないと。
そう思いながら黒いドアの方に目をやった。
爆睡した相棒がイビキをかかないか不安に思った獣人は、1つの死体袋がたてる寝息に耳をそばだてた。
**************
確かに似てないな、特に自分の顔は。
配られた手配書を見ながら、ロイエは軽く眉を上げた。
フューリィがあんな似顔絵じゃ、そう簡単に捕まらないとほざいていたのもわかる。
色々な証言を混ぜ合わせ、わからない部分を憶測で補っているのか、イメージで描かれたと言えばそうかと納得するところだ。
だが、実物とだいぶ細部が違うとはいえ、大まかな特徴は捉えられている。
フューリィがリトルハンズとの混血種というところなど分かりやすいだろう。
お嬢も目立つ存在だし、だから一番目立たない自分が動いたのだが。
降りてきたハンターから、閉鎖の件を聞いて念のため様子を見に来たが、とうとう軍を投入してきたか。
まあいつかはと予想はしていたが、こんな民間人を焚きつけるように使って来るとは、なかなか抜け目がない。
だから隠蔽で隠れるより、こうしてワザと姿を晒してホールに潜り込んだ。
ヘタに気配を消すと、人混みでぶつかりやすくなるし不自然だからだ。
ロイエはまたマジマジと自分の似顔絵を眺めた。
最近の顔を知らない者が、以前のロイエの顔を年齢なりに想像して描いた老人の顔だ。
オールバックにした髪はそれなりに額が後退し、肩にたっぷりかかっている。眉間の皺は深く、細めの目は睨みつけるように鋭く眼光を放っている。
がっしりした口や顎まわりの髭は、そのままもみあげと繋がって顔を強く見せていた。
今にも噛みつきそうな顔だ。
もしかするとあのまま何事もなければ、本当にこのような顔をしていたのかもしれない。
そっと自分の髭もない、皺だらけのやつれた頬を触った。
以前はまわりに合わせて髪を伸ばし、髭の手入れを怠らなかった。
今はバッサリと五分刈りに仕上げている。髭もすっかり剃り落した。
すでに昔の面影はない。
昔の仲間と顔を合わせても、きっと自分とは気がつかないだろう。
まだ初老と言える年にもかかわらず、彼は10も20も老けて見えた。
それだけロイエは面変わりしていた。
手配書には彼の昔の名前がまだ使われていた。
確かに新しい名を表では名乗ってないからな。
知らないのも無理はないが、正直この名前はあまり見たくない。
愚かな昔の自分を思い出させるからだ。
手配書から顔を上げると、閉まった大扉の前に先程の小隊長が、まるで軍師のように構えて座っているのが目に入った。
あの男も他の兵もみな、あの貴族に何の疑いもなく
いや、自ら考えることを放棄し、唯々諾々とただ言われた命令をこなし、従うだけの下僕。
生まれた時から主君に仕えることが、最上の生きがい、至高なる行いと教えられてきた者たちの狭く歪んだ世界観。
昔は自分もあのような面構えをしていたのだろうか。
デュッセル・ガング・ローゼンマイヤー
それが捨ててきた彼の名前だった。
彼の家はある皇国の子爵家に、代々仕える騎士の家系だった。
成人すると彼もまた、父や祖父たちと同じように、何代目かになる主人に忠誠を誓った。
それは息をするのと同じようにしごく、当たり前のことだったからだ。
そのまま務めに励み、主人が白いモノを黒いと言えば、冤罪の者の首も躊躇なく刎ねた。
だから妻を一晩貸せと言われれば、困惑するどころか、逆に喜ばしい気持ちが湧いた。
主君の目に留まるような女を、妻に娶っている自分を誇らしく感じたのだ。
だが、妻の感性は自分とは違っていたようだ。
彼女が自ら毒を飲んだのは、それから数日経った頃だった。
したためられた最後の手紙には、残さなくてはいけなくなった幼い娘への心配と、ズタズタに穢された人としてのプライド。
そして妻としての夫への絶望だった。
もちろん妻の死は悲しかったが、なぜ死を選んだのか、手紙を読んでも理解できなかった。
主君に奉仕出来たというのに、なにを怒り悲しんだのか。
いや、無理やり目をつむり、考えることを避けていたのだ。
そうしなければ自分の間違いに気付いてしまう。
そんなことをすれば、妻の死が自分のせいだとわかってしまうから。
庶民をどこか卑しい下民と、馬上から見下ろしながら、本当の愚か者は己だった。
この時に目を開けば良かったのだ。
そうすればその後に続く悲劇を避けられたものを。
残された宝、我が愛しのサリアが馬車の荷台に載せられて帰宅したのは、数えで13になった頃だ。
以前から楽しみにしていたお茶会に誘われて、お屋敷ではずい分とはしゃいでいたという。
そうして不幸なことに、大きく高く広がる中央階段から足を滑らせたのだと、使者が伝えてきた。
確かに首の骨が折れていた。酷い落ち方をしたせいで服も破れている。
だが、この苦痛に歪んだ眉はなんだ!?
この……拭ってもとれない涙の跡は――!
もう服の下を見なくても、何が起こったのかわかった。
やっと目が覚めた。全て自分のせいだ。
忠誠という大義名分に目を曇らせ、人の道から外れた外道者。
妻の尊厳を奪い死に追いやり、娘を穢し殺した悪魔に盲従していた、このどうしようもなく愚かな男のせいなのだ。
あの頃の自分にもし会う事が出来るなら、一刀のもとに切り捨ててやりたい。
形が無くなるほど叩きのめしてやりたい。
だが、人は先に悔いることは出来ないのだ。
主君殺しの罪を犯した彼は皇国を後にした。
もう騎士ローゼンマイヤーは死んだ。
今ここにいるのは人の形をした
二人の後を追いたかったが、それを止めたのがお嬢だった。
くしくも娘と同じサーシャという愛称の女。
彼女が彼にこの世の地獄をゆく意義をくれたのだ。
どうせいつか地獄に堕ちるなら、それまで道連れを多く手土産にしたほうがいい。
あのような人の姿をした悪魔を一人でも多く、この世から滅するのだ。
それがせめてものお前たちに対する詫びの仕方なのだ。
こんな不器用な自分を許してくれ……。
………… あの兵士たちの姿につい感傷に浸ってしまった。
軍や警吏たちが来るのは、早くとも夕方以降だろう。それまでに出来ることはある。
地上の様子もわかったのだし、そろそろ戻るとしよう。
**************
「じゃあ酒も仕入れたし、オレたちも戻るとするか」
全部自分基準の
「そうだな。元々潜りっぱなしの予定だったし」
ヨエルも席を立つ。
「ソーヤ、やっぱり奥まで行くの?」
パネラがちょっと心配そうに訊いてくる。
「うん……本当は行きたくないけど……」
「ナニ言ってんだっ。これも全部お前のためなんだぞ」
何かといえば俺のため、と言えばいいと思いやがって。
俺に選択権なんかないじゃないか。
「だって、そんな凶悪犯が潜伏しているようなところなんだぞっ! 意気揚々と行く奴は賞金稼ぎくらいだろうが」
まず動いたのは、ハンターらしき荒事に慣れていそうな者達だけだ。
薬草採りや農夫、宿屋代わりにたまたまここに泊ってしまった商人風など、いかにも一般人らしき人々はまだどうしたものか、今一つ行動を起こせずホールに残っていた。
「確かにそうだけど、実際は町のほうにもっといっぱいいるしなあ。遭遇率からしたら、こっちのほうが少ないくらいだよ」
と、変な安全説を説く師匠。
そうだった。
この人も一般人じゃなかった。俺とは常識が違う。
「そうだぞ蒼也。
それにお前んとこだって、まんざら治安も良くないんだろ?
煙突があるとそこから赤い服を着た強盗が侵入するから、暖炉を作らない文化なんだもんな」
「えっ、暖炉ないのか? 冬はどうしてるんだ??」
「赤い服って、それマジでヤバくない……」
「侵入防止の格子をつけても駄目なのかい……?」
ヨエルやパネラ達が目を丸くした。
「バカ野郎っ! 防犯のために暖炉がないわけじゃねぇよっ! どんだけ日本が危ない国なんだよっ。
大体サンタの服は返り血でもないし、強盗でもないぞっ!」
もうこいつのせいで、一気に聖なる一夜がデンジャラスだ。
中途半端なニュースと知識で人の国を語るんじゃねぇよ。
「ああ、そうか。アレは置いていくんだから、強盗じゃなくて義賊のほうか」
「だから ちがぁーうっ!」
俺がそんな事を喚いている前を、1人の商人風の老人が背中を丸めて通って行った。
目の端に彼が意を決したかのように、一度立ち止まり、兵士たちの方を見てから奥に入っていくのが見えた。
それがあの岩山の2番目の影だったとは、この時ヨエルも気付かなかったようだ。
何しろあの時、探知で視ていたとはいえ遠すぎて、存在を大まかに感知出来たに過ぎなかったのだ。
それに今はまわりに親衛隊の兵たちもいるし、さすがに探知の触手は引っ込めていた。
まさかこんなに堂々と表に姿を現すとは思ってもいなかった。
奴も何も言わなかったし。そう、我関せずだった。
「じゃあ、あたい達も準備を整えてから行くから。
兄さんたちが一緒だから大丈夫だと思うけど、気をつけてね」
「うん、そっちも無茶しないで」
特にポーと別れるのは名残り惜しかったが、奴に急かされてまたダンジョンの入り口を潜るしかなかった。
**************
「無闇に不安にさせちゃうのは嫌だから言わなかったけど」
蒼也たちの姿が見えなくなったところで、パネラがポツンと呟いた。
「さっきの兄さんの知り合いみたいな人、間違いなく『土』使いね」
「ああ、そんな雰囲気だったね。ここなら多そうだし。
だけどそれが?」
エッボも妻に耳を傾けながら声を潜めた。
「なんかただの『土』使いじゃないような気がして……。
なんていうか、兄さんみたいに超越しているような――」
「そりゃあ、やっぱりあの人の知り合いなら、それなりの能力者なんじゃないのかい?」
「うん、そうだろうけど、上手く言えないんだけど なにか違うのよねぇ。
…………これはあたい達ドワーフに伝わる話なんだけどね」
ちょっと辺りを見回した。
まわりに残っている者たちは、ひそひそと同じく声を潜めながら話しをしている。
おそらくみんな、この場をどうやり過ごすか算段をしているのだ。
「山崩れとか大地震とか、そういう地の災害がある前に、『土の精が姿を現す』っていう言い伝えがあるのよ。
それはみんな姿はまちまちなんだけど、ドワーフなら分かるそうよ」
ワインレッドの瞳が天井の光で揺らいでいる。
「でも、あの人の知り合いなんだよ? 人じゃなかったらおかしいじゃないか」
「ええ、まあそうだけど……なんでかな、気にしすぎかもしれないけど……」
パネラは不安を消すように、足元の山猫の頭を撫でていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
もうすでにお分かりの方もいらっしゃると思いますが
『フューリィ:fury 』は英語の『怒り』からつけました。
『ロイエ:Reue 』はドイツ語の『後悔』の引用です。
姉御のサーシャことアレクサンドラは、そのまま人名ですが、手下の3人はシャレで意味をつけました。
もう1人は――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます