第26話 転移(テレポーテーション)を習得する


 俺はエールは一杯だけにして、2杯目から“冷オーツ麦水 60e”にした。炒った麦を煮出したお湯を冷ましたもので、まさしく麦茶のようだった。

 こちらに合わせた腕時計を見ると、7時9分だったが、あちらでは昼前に来たから体感的にはまだ昼下がりくらいな感じだ。


「なんか時差ボケで、後3時間くらいで寝られるかな」

「疲れてないなら軽く運動するか?」

 ヴァリアスが残りのエールを一気にあおって言う。

「外でか? まさか部屋の中って訳じゃないだろう」

「もちろん外だ。部屋もあるから気兼ねなく転移できるしな」

「夜の外って危険じゃないのか?」

「それは一般の人間の話だ。それにそんな森の奥までは行かん。もし魔物が出来てきたら対処すればいいだけだ」

 一般の人間はそんなお気楽な感覚で夜出られないんじゃないのか。まぁヴァリアスがいてくれるならの安心感はあるが。


 立ち上がった時、うっかりスプーンに手が触れてテーブルから落とした。反射的に掴もうとした俺の右手にいつの間にかスプーンがあった。

 あれっ? 一瞬スプーンが消えたように見えたが。

 それを見ていたヴァリアスが「ほうっ、それが発現したか」と呟いた。


 3階の部屋に戻るとあらためて2段ベッドを確認する。

 当たり前だが前回の宿のベッドより質は落ちる。

 煎餅布団のように薄いマットが板の上に敷いてあるだけで、毛布はちょっと麻っぽくて洗いざらしのゴワゴワした感じだった。

 枕もそば殻枕に似てかなり硬めだったので、今回マイ枕と抱き枕を持ってきて正解だった。


「どっちを使う?」

「うーん、高い所は落ち着かないから下が良いかな」

 するとヴァリアスが下のベッドに手をかざした。ほんの数秒蜃気楼のようにぼやけたと思ったら、マットと毛布が変化していた。

「あれっこれ、中央広場の宿と同じマットと毛布だ」

 マットがさっきより明らかに盛り上がったと思ったら、フカフカになっていた。毛布も同じくすべすべだ。

「ちょっと元素加工した。出る時にまた元に戻せば問題ないだろ」

「おおっ便利だな。なんだかドラえもんみたいだ」

「何だ、それ?」

 

 窓を閉めて、ランプ代わりに光魔法でともした発光体をそのままランプの中に入れておく。

 帰って来たとき真っ暗よりいいからだ。

 これくらいなら、なんとか長時間維持出来るようになった。

 転移すると月の薄明りにぼんやり見た事のあるものが見えた。

「ここあの平原か」

 俺が立っていたのは始めにスライム狩りした、東門側の草原だった。

 例の大きな岩が近くに見えた。


「明かりをつけてみろ」

 ポッと光玉を打ち上げてみると、足元のスライムがプルプルと蠢いて草むらに隠れようとした。一応索敵してみたが、俺がわかる範囲ではスライムしかいなかった。

「いいぞ、場所を変えたらまず辺りを確認するのは基本だからな。そのうち意識しなくても24時間出来るようになるぞ」

「戦場かよ。そんなにしてなくちゃいけない世界なのか?」

「まぁ、その方がすぐ危険を察知できるぞ」

「俺をアサシンにでもしたいのか? しなくてもいいならもっと有意義な事教えてくれよ。

 で、今回何をやるんだ?」


「転移魔法をやろう」

「えっ、あれ軽い運動なのか? 大変なんじゃないのか?」

 転移って今やったいわゆる瞬間移動だよな。それって相当難しくないか?

「お前さっきスプーンを転移させて掴んだだろ。オレと一緒によく転移してたから、誘発されてスキルがさっき発現したんだ。

 発現し始めた時が一番、能力が伸びるんだよ」

「あれってそういう事だったのか」

 咄嗟に掴もうとはしたけど意識してなかった。


「まぁあれは小さいし軽い物だったからな。次はこれでやってみろ」

 と、ボーリングの玉ぐらいの鉄球を出して草むらに置いた。

「これがお前の足元にあると思って移動させてみろ。土や水とかだとそれぞれの魔法で操作できるだろうが、これは鉄だからまだ出来ないだろう? だが転移なら移動させられるぞ」

「そう言われてもさっき無意識に出来たばかりなのに」

 毎度ながらいきなり実技なんだよな。

 とりあえず目の前の鉄球を、じっと見ながら足元にあると想像する。

 1分、3分、5分…経っても何も起こらない。集中が尽きた。


「出来ないぞー」

「転移した時の感覚を思い出せ。それがこの鉄球に起こると思え」

 あのちょっと宙に浮いて落下する感じか。うーん、念じれば念じるほど、鉄球を掴もうとして掴めないもどかしい感じ。

 鉄自身を操れないので下の土を無意識に動かしてしまって、周りが窪んだり盛り上がったりした。


 ちょっとまだ無理なんじゃないのかぁ。

 ふっと足元を見た途端、ドスッと音を立てて足元に鉄球が出現した。おっ!

「よしよし、出来たな。その調子だ」

 ヴァリアスは軽く手を叩いた。

「今の本当に俺がやったのか?」

「そうだ。本当は接触感応接触テレパスの方が先に発現するかと思っていたんだが、こっちが先に出るとはな」


 それから何回か足元と、1mから3mくらい先の草むらに交互に出現させた。

 一度出来ると2回目からあまり時間をかけずに出来るようになった。

 ガチガチに意識するとかえって雑念が入るので、適度に力を抜きながら鋭く集中するのが良いようだ。

 難しいが出来るようになってくるとちょっと面白い。

「よし、そろそろ短い距離なら大丈夫だろう」

 そう言うと鉄球が消えた。


「今度はお前自身が転移してみろ」

「えっ、俺自身かい? 大きさとか重さとか流石に違いすぎじゃないのか? 自分でやって失敗したら怖いし……」

 自分自身にかけるのってなんだか戸惑ってしまう。もし失敗したらどうなるのだろう。

「身体強化だって自分にかけてるだろ。それに転移は物より自分自身を動かす方がやりやすいんだ。

 同じ重さの物を動かすより自分自身が動くほうがずっと楽だろう?

 サポートするから安心しろ」

 怖気づく俺に奴がはっぱをかけてくる。

「…………サポートしてくれるなら」

「よし、じゃあちょっと体力を戻しておくか」

 そう言って俺の頭に手を置くと、スーッと体の中に何かが流れてきて、少しあった疲労感がなくなった。


「いいか、今立っている所の感じを良く覚えておけよ。そうしたらあっちの岩の所へ行け」

 俺は言われた通りに、足元のスライムを踏まないように気を付けながら岩のそばに行った。

「よし、じゃあこっちに移動してみろ」

 とにかくイメージが必要だ。俺が今立っているのはココじゃなくて、あっちの場所だ。

 さっきまで立っていた感じを思い出す。


 と、少し引っ張られる感じがして、次の瞬間にヴァリアスの横にストンと着地した。

 草むらの数㎝上に出たらしい。

「ほとんど誤差は無いし初めてにしては上出来だな。今の感覚をよく覚えておけ」

 どうやらあの引っ張られる感じはヴァリアスのサポートらしい。

 小学校で跳び箱を練習した時みたいだ。

「じゃあ次はさっきの岩の所だ。距離を気を付けないと岩に激突だからな」

 恐ろしいこと言うなよ。

 そういや瞬間移動するときに座標を間違えると、石の中や水に落ちて即死というゲームがあったが、あれを自分自身でやる日が来るとは。

 絶対失敗できないぞ、これは。とにかく岩の手前を強くイメージ。


 手前にばかり意識がいって、今度は2,3㎝地面に足元がめり込んだ。

 危ねー。岩の中じゃなくて土の中にのめり込むとこだった。上下の位置も意識しないと。

「大丈夫だ。回数を重ねれば自然と補正されてくる」

 そんな感じで岩の手前とヴァリアスのそばとを往復する。

 十何回目かでサポートが無くても自力で移動できるようになった。

 何十回かやっているとだいぶイメージ通りに着地出来るようになったが、始めて15分くらいしか経ってないはずなのに、なんだか疲れてきた。


「ちょっと休憩させてくれ」

 俺はスライムに注意しながら草むらに腰を下ろした。

 収納空間から水の入ったペットボトルを出して飲む。

「魔力切れかかってるのかな、なんかどっと疲れが出てきたんだけど」

 アスレチックを真剣にフルでやったような、体全体に疲労感が出てきた。

「いや、魔力はまだ半分以上あるぞ。あの護符からすぐ供給されるからな。それに周りの魔素も濃いからそう簡単には無くならないぞ。その疲れは体力的なものだな」


 聞くところによると、転移は亜空間の門を開くのとは違って、まさしく物体を移動させるので、体力も使うのだそうだ。

 簡単に言うと『移動距離×物体の重さ×速度=エネルギー』を使うのだ。

 つまり俺は今10mくらいの幅跳びを連続してやっていた事になるのか。

 もちろん魔力がメインのエネルギーとなるが、距離が伸びたらそれなりに負担も増えるって事だよな。

 ヴァリアスの奴、本当に化け物だな。こんなの平気でやるなんて。全然軽い運動じゃないぞー。

「コツがつかめば必要最小限の力で済むようになる。それに伴って魔力を効率よく使うようになるから、体力もあまり使わなくなる。慣れればそんなに疲れなくなるぞ。次は少し距離を伸ばしていこう」


 結局休みを入れながら、2時間ぐらいはやっただろうか。最後のほうは疲れ過ぎて座ったままの体勢で移動していた。

 だがその頃になると、特に集中する事を意識しなくても転移出来るようになってきた。

 その代わり力まないと力が出なくなってきたが。

 へとへとに疲れたので、もちろんヴァリアスに部屋に転移してもらった。

 本当はシャワーくらい浴びたかったが、戻った途端、全身に疲れがまわってきてスウェットに着替えるのがやっとだった。

 俺はその夜、まさしく泥のように眠った。

 


 夜中、誰かがひそひそ話をしているのを微睡みの中に聞いた気がする。

 スーッと誰かがベッドに近づいてきた気配がした。

「なんだ、もっと枯れた感じかと思ってたが、割と可愛い顔してるじゃないか」

 あれ……若い女の声? ……だけど眠すぎて瞼が重い……。

「そういう事コイツに言うなよ。そういうのを結構気にしてるみたいだからな」

「ケケケ、そりゃ面白い。イジリがいありそうだ」

「やめろよ。誰が後でフォローすると思ってるんだ。それより例の件はどうした?」

「ああ聞いてきてるよ。それでな……」

 あとは声が小さくなって聞こえなくなった。俺はまた深い眠りに落ちてこの件を忘れた。



 何かをパンパン叩いている音で目が覚めた。

 やや薄暗いと感じたのは、ベッドの天井が光を遮っているせいだった。

 部屋の中は開いた窓から朝日が差し込んで結構明るくなっていた。

「よく眠れたみたいだな」

 椅子に座ったヴァリアスがテーブルの上に木製の杯を置いた。足元には酒樽が置いてある。

 いつの間に持ってきた?

 ちょっとまだ寝ぼけまなこで窓の外を見ると、あの井戸の周りで3人の女が、洗濯物を棒で叩いたり盥でジャブジャブ洗っていた。


「今何時だ? もう開門の鐘鳴ったのかな」

「とっくに鳴ったぞ。よく寝てたから起こさなかったが」

 腕時計を見ると6時13分だった。昨日帰って来たのが終刻の鐘前だったはずだから、9時間近く寝てたのか。

 やっぱり相当疲れたんだな。


「昨日の練習は効率良かったな。魔法の練習は夜が良いかもしれんな」

「いいけどかなりキツかったな、転移魔法」

「そりゃそうだろ。空間収納と同じ空間魔法の一種だが、転移はその中でも特殊系なんだ。

 ヒュームで出来る奴は滅多にいないぞ」

「そんなのやらせたのか。生活魔法の次にいきなり特殊かよ」

「使えると何かと便利だぞ。それにお前自身が特殊なんだからな。人間で全属性を持っているなんて、魔人でもほぼいないんだぞ」

 そうなのか。ヴァリアスが凄すぎるので意識してなかったよ。

 というか平均能力がわからないから自分の基準がわからん。

「朝飯前にシャワー浴びて来ていいかな? 夕べ入らなかったから」

 俺は空間収納から着替えとタオルを出す。


「いいぞ。それから商人の件だがな、知り合いの使徒が守護している地球からの転生者が、王都で商人をしているらしくてな。

 直接会って話を聞いてみないかと言ってきたが、どうする?」

「直接って会っていいのか、転生者と。それって地球人の頃の記憶があるんだろ?」

 転生者って物語だと前世の記憶がある設定だよな。

「大丈夫だ。詳細は話してないが、あちらにもお前が召喚者だという事は言ってある。もし里心がついても地球に帰れない事は十分承知の上だ。召喚とは違うんだからな」

「そうなんだ。じゃあ良ければお願いしようかな。

 だとすると、何か手土産持ってったほうが良いよな。手ぶらじゃなんだし」

「そんな事気にしなくていいぞ」

「いや、だって相手は商人なんだろ。教えてもらうんだし、やっぱりそういう事はちゃんとしないとさ。こっちのマナーはよく知らないけど、地球での記憶もあるなら的外れじゃないと思うし。

 何を土産に持っていったほうがいいか、また聞いといてくれないか?」

「わかった。一応聞いとく」


 廊下に出ると向かいのシャワー室のドアに『空き』と手書きの札が下がっていた。

 これを『使用中』に裏返す。

 ドアの内側にフックが付いていて、そこに網状の籠がぶら下がっている。

 脱衣所が無いのでここに服とか入れるのかもしれない。

 ドアの内側のすぐ手前に厚手のビニールっぽいゴワゴワしたカーテンがかかっていて、床はドアの縁からレンガ1つ分くらい低くなっている。

 上のほうに小窓は開いているが、それだけでは暗いのでランプが、水がかからないようにシャワーヘッドの上にフックで取り付けられていた。

 

 そういえばカーテンとドアの隙間に鍵爪付きの棒が立て掛けてあったが、これでランプを引っかけたり外したりするのか。

 まぁ今回は光魔法を小さく打ち上げておこう。

 さて昨日は覗いただけで、シャワーの水圧を調べなかった。

 よく外国のバックパッカーとかの話を聞くと、シャワーがあっても水圧が低かったり、出なかったりするという。

 ここはどうかな。


 まず水。ここは水の魔石使用じゃなくて、普通に蛇口をひねると水が出るタイプ。水圧はそれほど強くないけどまぁ許容範囲かな。

 近くに井戸があるからそこから引いてるのかもしれない。


 で、お湯のほうは赤い小さな魔石が埋め込んであるので、これで熱するようだ。ちょっと魔力を流す。

 ぬるい。水よりは暖かい程度だ。

 何度か魔力を流してみたりしたが、いつまで経っても温度は上がらない。

 そういえば魔石もなんか石鹸の欠片の残骸みたいに小さいし、もうあまり魔素残ってないんじゃないのか?


 家で風呂沸かす時、バスタブにはった水に火魔法で作った火の玉を入れたりして沸かしてみたけど、出てくる水を始めから温水にするのって別のやり方だよな。

 やり方は組み合わせでいろいろあるって言ってたけど。

 うーん、ちょっとトライしてみるか。

 水を出しっぱなしにして、それが温水になるイメージを作る。

 そうしてシャワーノズルに魔力を流してみた。


「アッチッ! 熱いっ、マズいっ、水、水っ」

 力加減を間違えたのか、注がれてきたのは温水どころか熱湯だった。

 慌てて魔力の流れを消す。


「痛ってぇー」

 手と足に熱湯がかかって、みるみる赤くなった。俺はヒリヒリする手足に水をかけまくった。

 が、すぐにそのヒリヒリする痛みは消えていった。回復力の異常な速さはいつもの事だが、なんか解せない。


 ドアにスマホ引っかけておいたけど、護符って肌身離さず持ってなくちゃ駄目なのか? 

 これじゃ前と変わりないんだけど。

 それにしても新しい魔法使うときは練習が必要だな。

 結局寒くもないので生温いお湯でシャワーを済ました。


 体を拭いたタオルは水魔法で水気を切って乾かす。

 本当は直接体から水気を飛ばせばいいのだろうが、加減を間違って脱水とかになるのが怖くて、いつもタオルを使っている。

 ついでにシャワー室の中も乾かしておく。マメに練習だな。


 ドアが内開きなので、そのまま出ようとしたら、左側から通ろうとした人が立ち止まった。

「あっ すいません」

「いえ、こちらこそ……ソーヤ様?」

「あれっ あなたはギルドの!」

 そこに立っていたのは、ハンターギルドの2階受付の赤毛の受付嬢だった。

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