第97話 妖精の泉と友の灯び その2
「そういや仕事も見つかって良かったけど、その、両親も見つかったって?」
とろろにかけられた卵の黄身を箸で突っつきながら、光男が訊いてきた。
そうなのだ。俺は父さんと会えた後、ちょっと気持ちが高ぶって、友人達に生みの親と会えた事をメールで言いふらしたのだった。
いい年してとは思うが、俺にしてはなんと言ってもBIGニュースだし、子供の頃、他人が羨ましかったことの反動だと思う。
友人たちから驚きやお祝いの返事を次々ともらって、少し浮かれてた自分が恥ずかしくなったが。
「ああ、なんだか忙しいらしくて、まだ一度きりしか会えてないけど」
「だけど凄いよな。海外の実業家、社長さんなんだろ?」
その設定はヴァリアスに言われたのだ。だから忙しくて日本にほとんど来れないし会えないと。
まあ、外宇宙は広く考えれば海外だし、お偉いさんな事には違いないから、まんざら嘘じゃないのかな。
「うん、だけどお袋とは正式じゃなかったらしくて、だから隠し子みたいなもんだけどね」
「でも、認知してくれたんだろ? 大したもんじゃないか。おれ、始めメールを見た時、新手の詐欺かと思ったよ」
確かに俺も疑ってたよ。
なんたって
「そうそう、父さんは撮られるのが嫌いで駄目だったんだけど、母さんのは写真貰ったんだ。父さんと付き合ってた頃らしいけど」
俺はまたつい、自分の親の話が出来るのが嬉しくて、スマホの母さんの画像を見せた。
「えっ? これ昔のだよな? かなりハッキリしたカラーだな。最近写したみたいな」
「あ、デジタル処理してんだよ、多分」
忘れてた。
この頃って初めての東京オリンピックの時代だった。こんなクッキリ写真はないよな。
「へぇ、若い頃なんだろうけど、お前の母ちゃん可愛いなぁ。なんか色っぽいし」
「ま、まあ、父さんが撮ってるからな」
俺もこの熱視線にはちょっとドギマギなんだよ。他に無難な映像ないのかなぁ。
「でもホントに良かったなあ」
そう言いながら光男は、胃の辺りをまたさすっている。
やはり解析…………。
ふいに大陸語が聞こえてきて、意識がそれた。
『オレ、穀物いらないから、お前にやるよ』
向かいの席でヴァリアスが天蕎麦の蕎麦を、若頭の方に押し出した。
蕎麦頼んどいて、なに子供みたいな事言ってんだよ。
『じゃあヴァリさん、代わりにコレ食べます?』
代わりに若頭が自分の天ぷらを差し出す。
若頭の分が、ただの大盛蕎麦になってしまった。
もうこいつらの言動も気になって、集中できない。
それになんか結果が怖かったら嫌だし……。
厨房横の狭い通路の上に『W.C.』というプレートが付いていた。
「ちょっとトイレ……」
俺は誰もいないのを確認してその通路に入った。
『(ヴァリアス、聞こえるか?)』
俺はトイレの前で奴に思念波を送った。光男の前だと勇気が出なかったからだ。これくらいの距離なら、なんとか思念は届くはずだ。
『(なんだ、わざわざ移動しなくちゃ出来ない事かぁ)』
『(動揺するとこを見られたくないからだよ)』
『(何をそんな
『(わかってるんだろ? 頼むから光男の病気を治してやってくれないか?
俺の親友なんだよ)』
『(それは出来ないな)』
『(なんで? 中田さんの腰は治してくれたじゃないか?)』
『(あれは別に大した事ない疾患だったからだ。今回みたいに、運命を左右するかもしれないような場合は手は出さない。オレはこちらの者じゃないしな)』
それって……やっぱり大変な病気なのか……。
『(じゃあ、せめて光男の具合を見てやってくれないか? どんな病気なのか……)』
『(やだね。それくらい自分で視ろ)』
『(なんだよ、ケチだな。それくらいやってくれてもいいじゃないか)』
本来自分がやらなくてはいけない事なのだが、つい俺は甘えて逃げていた。
結局その場では解析できずに、光男とは別れた。
夜10時過ぎ、いつものように家に戻って来ると、相変わらず奴だけがいた。
「結局なんのつもりだったんだ。これ見よがしに光男といる時にやってきて」
「別に、他意はないぞ。ただ姿を見せるか見せないかの違いだけだ」
絶対なんか企んでるだろ。
「俺、今週末に行くよ。そっちに」
ダウンコートをハンガーラックにかけながら俺は言った。
「おお、そうか。じゃあ今度は何をやる?」
「ポーションを買うんだ。出来ればスプレマシー(最高の回復薬)くらいのを」
それを聞いて奴の片眉が上がった。
「お前には今必要ないだろ。あの男に使う気か?」
「そうだよ。だって俺は治療魔法出来ないし、スプレマシーなら、たとえ……癌とか怖い病気でも治るだろう」
「考えが浅いな、お前」
今日はウオッカなのか、ショットグラスに透明な酒を注いでいる。
「なんだよ。あれか、もしウィルス性とかだったら回復薬だけじゃ完治しないとか、そういう事か?」
俺だってそれくらい考えてるよ。まだどんな病気か、確認してないんだから。
だけど体力とか、傷んでしまっている臓器を修復する事ぐらいは出来るだろう。それで後は日本の医学で治してもらえばいい。
「あの男に、いや、地球人に効くと思ってるのか。副作用がないと言い切れるか?」
「えっ、そんなものあるのか? いや、まあ薬だから当たり前か。だけど俺に効くんだから、光男にだって効果あるんじゃないのか?」
台所で作っているインスタントコーヒーをこぼしそうになった。
「お前、自分が何者なのか忘れてないか。お前は半分はウチの人間なんだぞ。だから適応能力があって当たり前だが、全く違う星の純血種に精製した薬なんか使ったら、効果があるどころか毒になるかもしれないんだぞ」
俺は炬燵に入ろうとして固まった。
「毒っ ?! そんなに違うのか?」
「人間が食べられても、動物には毒になる食べ物なんかザラにあるだろ、その逆も。
それと似たようなものだ」
「それじゃ、回復ポーションを飲ましたら、逆に悪くなるという事か?」
「それはわからん。あくまで可能性だ。試してみるか?」
「そんな事聞いて出来る訳ないだろ……」
どうしよう。もうポーション飲ませば何とかなるって思ってたのに。
俺はここじゃ異質なんだ。自分基準で考えちゃいけなかった……。
炬燵で俺は
「こういう事があるから回復や治療魔法が必要なんだ。あれは魔法で操作可能だから、種族を超えて適応させることが出来るからな」
「……今から頑張れば、俺にも出来るのか? その治療魔法は」
「出来るよ、ちゃんとやればな。ただ治療は習得するのに時間がかかるぞ。まずは回復魔法を習得してから治療に移る。
生物の組織形態とか、最低限の基本がわからないと失敗するからな」
「最短で今、あいつが
それなら早いだろう?」
「つまりは基本とかをすっ飛ばして、そのパターン1つだけ出来るようにしたいって事か?
―――出来ない事もないぞ」
「ホントか ?! じゃあそれで……」
奴が高い音を立ててショットグラスを置いた。
「作業だけを覚えるやり方だな。同じ症状の人間を見つけて何度も練習すれば、そのうち出来るようになるだろう」
「えっ……練習って、人で……?」
「そりゃ当たり前だろ。生身の肉体あってこそのスキルというモノだ。医学生が食用肉でメスを使ったり、縫合の練習する技術とは次元が違うんだぞ。
生きてる体にしか作用しないからな」
「そうか……人相手なのか。でも失敗したら……」
「仕組みを理解せずに、作業だけ覚える為なんだから仕方ないだろ。それに臓器の形や病状の寸分違わない人間を見つけないとな。血管一本間違えても不味いから。
まずはそういう人間を探すとこからだ」
「そんな都合良くいるかな……。それに1人じゃ足りないじゃないのか」
1回で覚えられる自信がない。
「大丈夫だ。治したら、また元に戻せばいい。そうすれば1人で何回でも練習できる」
悪魔が薄っすら牙を見せた。
「そんなっ! それじゃ人体実験と同じじゃないかっ。そんな事が出来るかよ!」
ゾッとした。やっぱりこいつ、悪魔じゃないのか !?
「お前がやろうとしてる事は結局そういうことだ」
ヴァリアスがまた酒をあおる。
「何もかも飛び越して、簡単に事を済まそうとしてるんだからな。そうするしかないだろ」
「じゃあ、初めに魔法を教えてくれたみたいに、ヴァリアスが俺の頭に、直接やり方を流してくれればいいんじゃないのか? それなら迷惑かけないだろう」
それならすぐに習得できそうだし。
「なんで神聖魔法って言われてるか考えた事があるか? 治療魔法はそういうものじゃない。これは天から認められた者だけが、授けられる能力なんだぞ。自分だけを治す自己回復能力と、他人を治す事とは全く意味が違うだろ。
そんな手軽に習得して良いモノじゃない」
「それじゃ……まともにやったら習得するのに何年かかるんだ……? いくら時間が短縮されるって言っても、こっちで何ヶ月とか、かかってたら、もしかして間に合わなくなるかもしれないじゃないか……」
「神聖魔法じゃなくていいなら、直に教えてやれるのはあるぞ」
「そんなのがあるのか?」
顔を上げた俺の目を、更に見据えて奴が言ってきた。
「
自分の利益の為に相手を治す魔法で、これは相手の脳全体を支配下におく、
相手は自分の意思を奪われて、ただの人形になるけどな」
「却下だ……」
どうしよう。もう今回は中田さんの時のようにはいかないぞ。今から医学を学ぶなんて時間にして何十年かかるんだ? そしたらこっちで何十日になるんだ?
せめて回復だけでも習得すれば何とかなるのかな……。
せっかく淹れたコーヒーはぬるくなってしまった。
ポーションが使えないのは誤算だったな。そういや俺が具合悪い時もヴァリアスが、あんまり使いたくないって言ってたよなぁ。
自然系の薬草はOKだったのに……。自然……。
「そういえば天然のエリクシル(万能薬)ならどうなんだ? あれって体の負担が少ないって言ってたよな」
「いいとこに目を付けたな。確かにあれは薬とは言ってるが魔法の一種―――魔法薬だ。普通の薬の物理とは異なった
確かにアレなら多分効くだろうな。
だがアレはお前の為に取ってあるものだから、他の奴には使わせないぞ」
「わかってるよ。だけど俺が採りに行けば文句ないんだろ? 俺が行動する分には制約がないはずだ」
「フフン、というと?」
奴が面白そうに口元を上げた。
「連れてってくれよ。その天然のエリクシルがある、妖精の泉に」
***********************
開いた亜空の門を抜けると長い洞窟のようなところに出た。中が薄暗いながらも見えるのは、前方から明かりが射しているからだ。
「あの先が妖精の泉だ。今回は特別に途中の通路などは通らずに直接来た。あとはお前次第だ」
「わかってるよ。最終的にやるのは俺だもんな。それに前にも言ってたよな、
『隠蔽が出来れば簡単だ』って」
以前、アルメアンの案内所の爺さんと別れた後、こいつは確かそう言っていたはずだ。
「覚えてるよ。簡単とは言ってないが。まあ、ちゃんと隠蔽が出来さえすればな。今はギリギリまでこうして俺が隠蔽かけておいてやるよ」
それにしても何か高い音が、さっきからずーっとしている。
それは1つや2つではなく、何十にもいや、何百かもしれない音の群れになって聞こえていた。
その音を聞きながら俺はまだ、少し楽観的に考えていた。
集中してやれば隠蔽ぐらい出来るはずだと。
泉を守る番人さえなんとか避ける事ができれば、エリクシルが手に入る。
自分の力で友が救える。
あれからこの週末まで、空いた時間に気配を消す自主トレをしていた。
ちゃんと気配が消えているか確認するために、なるべく外を歩きながらやった。
商店街を透明人間になった気分で、何度も往復したりした。
結構というか、かなり出来るようになったと自画自賛していた。
本当の努力もしないで、自分の力を過信していたのだ。
そうして穴のふちに立ち、
不確かな膜のような結界に包まれたこの場所の、正確な広さは全く感知できない。
狭いのか広いのか、壁や天井一面がつなぎ目の無い鏡に覆われた、霧の中のようにまったく把握できない空間が広がっていた。
そうして遥か眼下に広がる台地にソレがいた。
いや、ソレらだ。
妖精郷の泉の番人、ガイスターゴーレム達が地面を埋め尽くしていた。
彼らは黒や緑、赤や青、灰色などのさまざまな鉱石から作られた体をしていた。
大きさや姿は様々で、一般的に想像するような人型の者や、丸い球体に何本もの触手が出ている者、犬のように四つん這いになっている者など色々な形をしている。
ただ共通しているのは皆、ゆらゆらと揺らめき、ゆっくり動きながら、その体から風切りのような高い音を発していた。
視線を下から戻すと、俺達の目線かそれ以上の高さに、何かワイバーンのようなモノが幾つも飛んでいた。
目を凝らすとそれは人のように手足があって、その背中から蝙蝠のような翼が生えていた。
だが、その姿は黒っぽく、外国のゴシック式大聖堂につけられた魔除け像そっくりだった。
「アレは……もしかしてガーゴイル……か?」
気がつくと、奴らは遥か上空に無数に見えるほど群れなして飛んでいた。
まるでイナゴの大群のようだ。
こんな奴らの中を行かなくてはいけないのか……。
俺は番人はどうせ多くても数体だろうと、根拠のない考えをしていたのだ。
考えが甘かった。
「一体何体いるんだ……!?」
「前に来た時より少し増えたかな。アイツらやられると、自己修復する時に増殖したりするんだ。
次の敵に備えて更に警備を強化するためにな」
それってあんたが、この間ここにエリクシルを採りに来た時、番人を倒したせいじゃないのか?
つい文句が出そうになったが、それも俺のためだった。
それに今はそんな事言ってる場合じゃない。
「わかるか? あそこにあるのが妖精の泉だ」
ヴァリアスがすっと一点を指した。
それは遠近感がよくわからないこの空間に浮かんでいた。
それがオーロラのように色を変えてあたりに光を放っている。
その光が霧のような膜のような結界に反射して、この空間全体を明るく照らしていた。
球体のようでもあり、多角体のようでもあるそれは、ゆっくりと上下しながら回転し、ゴーレム達の頭上を漂っていく。
それが近づくとゴーレム達の声が一層高くなるのだ。
「あれが泉…………」
泉というから、地面に湧き出ているような場所をイメージしていたのだが…………。
そうだよな。ここは異世界なんだぞ。俺の既成概念はここじゃ通用しないんだ。
「準備いいか? 結界を解くぞ。あとはお前次第だからな」
先程から穴の縁に手をつき、少し放心していた俺は、その声にハッとした。
「ああ、ただちょっと少し待ってくれ。あの泉がもっとこっちに来てからにしてくれ」
妖精の泉はフラフラと漂いながら不規則に動いていたが、いくつもの穴の開いた尖った岩山の間を抜けて、こちらに近づきつつあった。
なるべくリスクを減らしたいので、出来る限りこちらに近づいてきた時に、泉まで転移して素早く水を汲もうと思った。
あと、上のガーゴイル達が、なるべく近づいていないタイミングで。
俺は空のペットボトルを右手に握りしめて、深呼吸を繰り返した。
心穏やかにしないと気配が消せない。
落ち着け、俺。隠蔽は上手くなってきているはずだ。
10分くらいそうしていただろうか。段々と泉が俺達のいる穴に近づいてきた。
泉の形は球体に近いのだが、表面が完全な玉になったり、細かい面を持つ多面体になったりと変化しているのが見えた。
まわりを舞っていたガーゴイル達は、ちょうど上空の群れの中に戻っている。
今しかない。
「よしっ! 解いてくれ」
目の前をサッと手が振られた。すぐさま俺は転移しようとした。
―――――――― ゾンンンッ!! ――――――――
ヴァリアスの隠蔽が解かれた途端に、周りの空気が一変した。
いや、空気だけでなく、絶えず聞こえていたあの高い音の波が消えた。
奴らはピタリと音を発するのを止めて、一斉に俺達を見たのだ。
人型や動物型、異形や空飛ぶ者、全てが号令と共に同じ方向を向くように、この岩山の一点の穴の中を注視している。
それは町を埋め尽くす大連隊の軍事パレードの一瞬を、切り取ったような光景だった。
完全にバレている。
俺の隠蔽は奴らには全く効かなかった。
奴らの前には俺の隠蔽力など、蟻の巣の前で甘い汁を出しながら、葉の下に隠れるアブラムシくらいの存在感だったようだ。
レベルが違い過ぎる―――。
一気に望みが薄れていくのを感じた。
――――――だけど、俺が一番辛かった時に、あいつは助けてくれてたんだ―――
ええいっ、いっちまえっ! 俺は泉の上に転移した。
ぶよんっ! 泉は石のように硬いわけではなく、高反発な弾力性の高いゼリーのようだった。
絶えず色を変えるそのゼリーの中心に、何かキラキラ光るモノが見えた。
あれが泉の水――天然のエリクシルか。
と思った途端、ガクンと力が抜けるのを感じた。
魔力が凄い勢いで吸い取られる!
すぐさま右手の護符から魔力が入って来る。
おかげで魔力切れにはならなかったが、吸い取る力と拮抗して、大きな魔法が使えるほど溜まらない。
たぶん魔力耐性もあるのだろう。
火や氷が全く効かない。 いや、飛散してしまう。
とにかく急がないと。俺は収納からファルシオンを出した。
収納と身体強化は、ほぼ魔力は使わない。どちらかというと生命力と気力がベースだ。
俺は出来る限り身体強化をして力を込めた。
何とか切れてくれ。
ファルシオンを思い切り足元に突き立て―――――。
目の前に突然、ブロンズ色に赤が混じった霧のようなモノが膜を張った。俺は本能的に左に飛びすさった。
俺のいたところに、土砂崩れのような波が一直線によぎっていく。
その鉱物の波は空中でUターンすると、すぐに俺の前に戻ってきて形を成して立ち上がった。
ゴーレム ! なんで
こいつらは塊から瞬時に姿を変えて、亡霊のように突然現れるのだ。地面にいるからと
反射的にファルシオンを構えたが、
いや、どんどん増えているっ!
隙間がどんどん無くなっていく鉱石のドームに囲まれて、俺のまわりは闇に包まれ出した。
あの最後の光が無くなったら、俺は死ぬ。そんな考えがよぎった。
クッソッ!! 魔力が抜けて転移できねぇ………………。
急に体が浮いて明るくなったと思ったら、俺はヴァリアスの横に尻もちをついた。
奴が転移で引っ張ったのだ。
「どうだ、汲めそうだったか?」
「……分かってるくせに……」
俺は力が抜けて立ち上がれなかった。
「だが、あの状態で尻込みしなかったのは褒めてやる」
そう言って俺の頭をポンポン軽く叩いた。
俺はまた四つん這いになって、穴のふちから外をうかがった。
浮かぶ泉の上からガーゴイルが離れ始め、再び上空やまわりをゆっくりと飛んでいた。まわりを固めていたゴーレム達は、現れた時のように土の粒子状になって、滝のように下に流れ戻っていく。
そして変わらずまたあの高音が流れ始めてきた。
全てがまた元通りになっていく。
「……こうなる事わかってたんだろ」
「口で言われるより、体験した方が納得したろ? いつかはお前にも対抗できるようになるよ」
はあ…………。やはり急がば回れか……。回復から地道にやるしかないようだな。せめてこまめに回復して時間を稼ごう。
‟ピロロン” と俺の右手首から音が鳴った。スマホにメールが来た着信音だ。
見てみると光男からだった。
恐る恐るメールを開くと
〘 連絡遅くなってすまん。実は昨日、再検査を受けて胃カメラを飲んだんだが、
結果は 『胃底部の潰瘍』だったよ。
中くらいのポリープもあったんだけど、良性だって。
念のため一部を取って検査するけど、多分大丈夫だってさ。
知ってるかい、胃の良性ポリープって癌には変化しないんだって。
いやあ、俺もちょっとは癌を疑ってたけど、これ聞いて食欲が戻っちゃってさ。
でも今、酒と脂っこいモノはドクターストップなんだよな。
早く直して飲みてぇよ~(;´Д`) 〙
俺は顔を上げて奴を見た。
「あんた、知ってたんだろ」
「お前が視なかったからだろ。さっさと解析しとけば、そんなに悩まなかったのに」
クソ、言い返せねぇ。
でも良かった…………。
「それにしても数が多いな。少し間引いとくか」
下を見下ろしながら奴がボソッと呟いた。
何……?
また辺りが急に静かになった。
その代わりさっきと同じ、凄まじく凝視されている圧をひしひしと感じる。
ヴァリアスが隠蔽を解いたのだ。
「お前の隠蔽は解いてないから安心しろ。オレはちょっと運動してくる」
そう言いながらこちらを向いている奴の後ろに、俺達の2倍くらいの大きさのガーゴイルが顔を突っ込もうとしてきた。
ヴァッカァッンン!!
こっちに顔を向けながら、奴が裏拳でガーゴイルの鼻面を打った。
ガーゴイルはそのまま粉々に砕け散った。
「よぉっし! いいぞっ 遠慮なくかかって来い」
ヴァリアスが両手を広げると、手の爪が白い牙のように伸びた。
「増えた分再生しないように、核まで分子レベルに切り刻んでやる」
そう言うや嬉々として穴から飛び出していった。
穴の外はたちまち、戦場のような破壊音と奴の笑い声に包まれてしまった。
俺は穴の縁でその光景を見ながら、ポチポチと光男に返信メールを打った。
〘 心配してたぞ、コノヤローッヽ(#`Д´#)ノ 今は大人しく胃を治すのに専念しろ。
禁煙続けろよー。
お前は家族がいるんだから、体大事にしろよな。俺も――― 〗
顔を上げると辺り一面に、番人たちの砕けた粒が、キラキラと虹の粉のように舞っているのが見えた。
あんなレベルに本当になれるのかな。
でも今後、俺の数少ない、守りたい人達のためにも、力はあった方がいいな。
軽く1つ息を吐くと、俺は送信ボタンを押した。
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