第96話 妖精の泉と友の灯び その1


 笛の音のような、風が吹き抜けていくような高い音が辺りに満ちていた。

 あたりにはオーロラのような、色を次々と変える膜のようなものが、はるか天高く、まわりをすっぽり包んでいる。

 だが、ゆらゆらと揺れたそれは、霧のように遠近感が掴めず、あるはずの天井や壁が何処までなのか、まったくわからない。

 そのドームの中に、トルコのカッパドキアのような穴の開いた岩山が、いくつも天界の巨人たちのようにそびえ立っている。

 俺達はその穴の1つに立っていた。

 先ほどからしているこの音は、この穴々から風が吹き抜けているのではない。

 眼下に広がるが発しているのだ。

 俺はソレを見て立ち尽くすと、さらにその場に両手をついてしゃがみ込んだ。

 

 何故、こんなとんでもない場所にいるのか ――― 話は数日前に戻る。


  *********************



 あれから田上さん親子を団地まで送ってから、俺は自分のアパートに戻ってきた。

 せめてお茶でもと引き留められたが、例の4人組が一緒について来そうな勢いだったので遠慮したのだ。

 団地の階段下で監視カメラが無いのを確認して、アパートまで転移した。

 

 狭っ! さすがに小さい玄関に男3人入ると窮屈で、思わず壁に手をつく。

 あれっ、ナジャ様とキリコがいない。


「あの2人は買い出しに行ったぞ」

 黒い殺し屋がズカズカ上がって、勝手に部屋に入っていく後ろで、ヤクザがキレイに脱いだ靴を奴の分も揃えている。

 申し訳ないが、その姿がしっかり仕込まれた、昔ながらのヤクザを彷彿させる。


 奴はテレビをつけると、炬燵の前に座って空中から缶ビールを出した。

「あの、缶ビールでいいですか?」

 俺は冷蔵庫を開けながら、若頭ならぬオプレビトゥ様(運命の使徒)に訊いた。

「お構いなく。自分のは用意ありますので」

 『吟』と大きくラベルに書いてある、一升壜を取り出した。

 日本酒派なんですね、若頭。


「今回のこと、全部仕組んでたのか」

 俺はツマミにキュウリの浅漬けを出しながら訊いてみた。

「ほんの少しだよ。ビトゥが運命の糸を読んで、ナジャが夢見と、カードへの幻覚でお前に知らせただけだ。

 後はお前が判断して行動しただけだ」

「そんでもって、脅しはあんたがやったって訳か。

 あっ、そういや、あんな傷害未遂の奴、野放しに出来ないじゃないか。通報しなくちゃっ」

 もうこいつらと関わっていると、通常の感覚がズレてしまう。


「あの男は遅かれ早かれ、高い確率で罰せられる運命です。そうしてかなりの確率で、その刑場(刑務所)で命を落とすでしょう。自らをかえりみない限り」

 若頭が持参の枡に酒を注ぎながら答える。

「そこまで……決まってるんですか」

「まあ、自業自得だろ。それにファミリーのまわりのゴミは払っておいた方がいいからな」

 空けた500㎖の缶を潰しながら奴が言う。


「それっ、さっき言ってた、その……嫁候補って、つまりその……」

 ちょっとドギマギしながら訊く俺。

「あくまで可能性があるってだけの事だ。それにあの女に何かあったら、お前のメンタルに関わるからな」


「……そっか、そりゃそうだよな。確かに知り合いに何かあったら嫌だもんな……」

 そうか、あくまでほんの少しだけの可能性か。そんなんだったら無限にありそうだよな……。

 ちょっと期待してたよ、俺。


「なんだ、上手くいったのに、なんでそんな時化しけつらしてるんだ?」

 あんたがさせてるんじゃないか。

 ったく、こいつ鈍感さも神業だな。


「戻ったよー」

 ナジャ様とキリコが帰ってきて、炬燵の上に直径20㎝近いホールケーキと、焼き鳥大盛を出してきた。

 キリコはまた台所にいそいそと戻っていく。 

「なんかあちこちでケーキ売ってたよー」

「ああ、クリスマスが近いですからね……」

 今年も俺、1人クリスマスなのかなぁ……。

 こいつらを除いて……。


「ん? どうしたソウヤ、浮かない顔して」

 と、軽く辺りを見回すと、ナジャ様がヴァリアスを軽く睨んだ。

「またあ、お前さんかぁ。まったくデリカシーがない男だなぁー」

「なんだ、オレは何もしてないぞ? デリカシーってなんだよ」


 チッチッチッと少女は人差し指を立てて、軽く振った。

 後で知ったことだが、彼女は物から記憶を読み取る能力があるらしい。

 それで過去見が出来るそうだ。


「しょうがない男だねー本当に。

 いいか、ソウヤ、彼女とは統計学的に見ても相性は悪くないぞ。後はお前さん次第だよー」

 そんなものですかねぇ。俺の気持ちは現実に戻されていた。

 俺がどうしたって所詮、相手がどう思うかって事だし。それを一方的に押し通すのがいわゆるストーカーなんじゃないんですか?

 ナジャ様は何かと恋愛に関しては、押しを推奨みたいだけど。


 今日は土曜日という事もあって、人外達は騒いでなかなか帰らなかった。

 もちろん外に音が漏れないように、遮音はしたが、6畳一間に大の男が4人と少女という狭さで、結局俺は壁にくっつくようにして寝る事になった。

 すっかり奴らの溜まり場になってしまったが、意外と違和感はあまりなかった。

 子供の頃、大勢で寝泊まりしていたせいもあるかもしれない。 


 月曜日、店に出社すると更衣室の前に田上さんが立っていて、一昨日のお礼をあらためて言ってきた。

「あの、私あの時、動揺してて、お礼もちゃんと言えなくて……。それと、そのあんな凄い人達に頼むとは思わなくて、その……費用はいくらぐらいなのかしら……」

 少しモジモジと心配そうに彼女は言ってきた。


「いや、費用なんて要りませんよ。あいつ、いや、彼らは元々探偵じゃないですし。

 今回は日本に来たついでの肩慣らしみたいなものだから、無料サービスだって言ってましたよ。

 それに俺の知り合いだから」

 本当にそうなんだから仕方ない。


「ええっ ?! ……無料なの? ホントに、大丈夫なの? でも……」

 パッと明るくなった顔がまた曇った。

「……だけどどうしよう……。またあの男が来るかもしれないし……。警察も注意しかしてくれなくて……」

「大丈夫、本当にもう来ないですよ。もしもまた何かあったら、俺が何とかしますから」

 無意識に、私から俺と言っているのに気がつかなかった。自分でも知らないうちに一歩踏み込んでいたらしい。

「本当? 良かったぁ……。私、まわりにこんなこと頼れる人がいなくて、ホント、東野さんに会えて良かったわあ」

 仕事中なので長く話しているわけにはいかなかったので、彼女がLINEの交換を言ってきてくれた。

 だが、俺はLINEを入れてなかったので、とりあえず電話番号を交換する事にした。


 おいっ! 俺っ、あんまり期待するなよ。後で傷つくからな。

 と、頭では考えててもやっぱり、チャンスありなのかなと、気分が上向きになるのは抑えられなかった。

 休憩時間中にLINEアプリをダウンロードしたが、使い方がわからずに四苦八苦していたら、彼女からショートメールが来た。

 アプリを入れた事を告げると『LINEの招待』というのが来て、なんとか繋げる事が出来た。

 これで彼女と常時連絡が取れる。


「おい、顔が浮かれてるぞ」

 アパートに戻るとヴァリアスが1人でテレビを見ていた。

 余計なお世話だよ。

「あれ、他の使徒様達は?」

「ナジャとキリコは帰したぞ。ナジャは五月蠅うるさいだけだし、キリコはだいぶ作り置きをさせたから、しばらく用済みだ」


 確かに昨日1日で冬ごもりするみたいに作ってたな。おかげでタッパー容器を追加で業者買いしてきたよ。

 半分以上はあんた用だった気がするけど。

 まあこれも収納スキルがあって良かった。ウチの冷蔵庫に入る量じゃなかったからなあ。


「ビトゥはせっかく来たから地球の神界を見学してくるらしい。ほんとに何が面白いんだか」

 その勤勉さ、というか所作ぐらい見習ってくれよ。

 自分の家のようにくつろいでいる不良外国人を見て、心の中で唸った。


「ところで次はどうしたい?」

 ウイスキーをグラスになみなみと注ぎながら、不意に奴が訊いてきた。

「次って……」

「そろそろ別の町に行くのもいいだろう。まずはどんな事をしたい?」

「考えてないよ。っていうか、たまに気が向いた時でいいだろう? 能力だってだいぶ付いたしさ」


 明日も仕事だけど、今日は気分がいいから飲んじゃおう。

 俺も冷蔵庫から缶ビールと、ツマミにチーかまを出した。

「あ˝あ゛? 何言ってんだ。気が向いた時っていうのはまだいいとして、力はまだまだこれからなんだぞ。

 能力だって半分も発現してないじゃないか」

「普通に生活していくのに、これで十分だろ。今回だって皆のサポートがあったとはいえ、探索とか1人で出来たし、もうこっちの人間相手だったら、俺無敵じゃん?」


 そう、つい数日前までは負の要因だった悪しき能力は、彼女を助けることができ、親しくなったおかげで、今や180度感じ方が変わっていた。

 俺は自分の力に怯える、あの孤独な『超人ハルク』の科学者ではなく、『スーパーマン』のクラーク・ケントがロイス・レーンと結婚出来たように、正体を隠しながらも普通の生活を送れるかもしれないと、考え始めていたのだ。

(実際のスーパーマンでは、結婚直前に正体がバレるみたいだが)

 だが、そんな俺の浮かれた気分に、奴が水を差す。


「中途半端が一番不味いんだぞ。それが能力の限界というならしょうがないが、なまじ力があると、無い奴よりも辛い思いをすることがあるんだぞ。

 予知が出来ても、それを回避する力を持たないようにな。

 持てる力は最大限に使えるようにしておいた方が絶対にいい」

「はいはい、そりゃ正論だよ。でもさ、俺は今のままでいいよ、もう」

 

 なんだか、エラそうな事言ってるけど、人が出したチーかま、一気に全部食っちまいやがって。

 そのくせ『歯応えがなさすぎる』とか文句言ってんじゃねぇよ。

 もう豚骨の中にチーズでも入れて出してやろうか。

 それに向こうの狩りだって、あんな大カマキリやハイオークみたいに、魔力耐性のある奴じゃなければ、狩りも簡単なのじゃないか。それでなんとか小金ぐらい稼げそうだし。

 俺はこの時こんな風に考えていた。

 現実はそんなに甘くなかったのだが。


 

 次の日の夕方5時半過ぎ、いつも通り店の2階で品出しをしていると、後ろから知った声がかかった。

「よおっ、アダムス」

「おっ、光男みつお、久しぶりっ」

 

 小山田光男おやまだみつお、俺が昔勤めていた会社の同僚だ。

 俺に昔『アダムス』という渾名(第1話参照)をつけた張本人である。

 俺が鬱になって入院した時に、世話になった1人でもある。


「たまたまこの近くに営業に来たんだ。会社には直帰ちょっきって連絡してあるから、ちょっと寄ってみようと思って」

 本当にここで働いてんだなぁと、しみじみフロアを見まわした。

 彼と最後に会ったのは会社が潰れる少し前だったから、半年くらい前か。

 再就職出来た事はメールで連絡してあった。

「せっかくだからメシでも食いに行かないか? 俺、6時に休憩だからさ」

 

 休憩は1時間なので手っ取り早く近くの蕎麦屋に入る。

「あっ、すまん。ここ完全禁煙みたいだった」

 席に座ってから気がついた。自分が煙草をやらないので、うっかりしてた。

「いいよ、今、禁煙してんだ。10日めだけど」

 へぇ、それ何回目だよ。


「俺はまだこれから仕事だから、飲めないけど、光男はどうする? 別に俺に遠慮しなくていいよ」

「いや、俺も止めとくよ。この間、健康診断引っかかちゃって」

 光男がコートを脱ぐと、見事に出た腹が現れた。


 光男は俺より背が高いが、相撲取りのような筋肉混在というより肥満型だ。

 見た目通り良く食うし飲む。

 仕事が終われば、小一時間でもジョッキ3杯は必ず飲むタイプだ。

「珍しいな。ちょっとくらい引っかかっても、いつも気にしなかったのに」

「年だよ、年。もう無茶はできねぇよ」

 おしぼりで薄くなった頭を拭いた。


「いらぁっ……しゃぃ……」

 カラカラと戸口が開く音と共に、給仕の女将さんの声が小さく萎んだ。

 この感じ何度か覚えがある。

 俺は入口の方に顔を向けた。


 やっぱりっ! 黒服2人組が入ってきた。

 奴らは俺の斜め前のテーブルに座る。もうストーカーだよ。

 いや、守護神ガーディアンなんだから常にいるのが当たり前なんだが……。

 なんだろこの、借金返済をせまるヤクザの嫌がらせのようなまとわりつき方は。

 もう少し気配消して来れないのか。絶対ワザとだろ。


「この天蕎麦というのを2つと、冷酒を2つお願いします」

「は、はい、天蕎麦と冷酒2つ、ずつ、ですね」

 若頭が丁寧な口調で注文するのに、ちょっと引き気味な女将さん。

 申し訳ないが、丁寧な態度のほうが威圧感を増してます。


「おっ、外国人も蕎麦食うんだな」

 後ろを振り返って光男が感心しながら「なかなか迫力あるのが来たな」と声を潜めて言ってきた。

 すまん。知り合いというか、そのうちの1人は俺の身内だ。


 俺達の注文したのが来た。俺はミニ天丼せいろ蕎麦セットを、光男はとろろ蕎麦だった。

「珍しいな。それだけなんて。家でまた夕飯食うのか?」

 光男は既婚者で、奥さんとすでに20前後の子供が2人いる。

「いや、最近胃の具合が悪くてさ。そしたら見事に健康診断で引っかかちゃって。今度胃カメラなんだよ。

 だから少し自粛しなくちゃ」

 そう言いながら狸腹を擦った。

 

 俺はそれを聞いて少し嫌な気配を感じた。

 確かにいつも血色のいい彼の顔が、青白く見える。心なしか頬がやつれた気もする。

「大丈夫か? なんかやつれてないか」

「ああ、最近食欲が落ちたからな。これで少しはダイエット出来るかな? 

 そういうお前はなんか、落ち着いたっていうか、少し精悍な顔つきになったな」

「よせよ、男に言われたって気持ち悪いだけだよ」

「ハハ、だな」

 そう言って食べ始めた光男のオーラを、俺はこっそり観察した。


 元気が無いのか、弱々しくまばらに出ている何色かの緑色と赤色のオーラに交じって、胸から下、腹のあたりで黒く、くすんだオーラがモヤつくようににじみ出ていた。

 

 俺は結果を知るのが怖くて、解析をすることが出来なかった。

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