第24話 宿を探す


 土曜日は朝から雨がそぼ降っていた。

 今日は仕事が休みなので9時過ぎまで寝ていたのに、雨のせいかなんだか頭がぼーっとする。

 

 俺は男なのに恥ずかしながら低血圧気味だ。通常でも上が100あるかないかだ。

 昔は普通だったと思うのだが、鬱を患ってから体質が変わったように思う。自律神経の問題かも知れないが、とにかくこういう日は、仕事などで気合を入れないと起きづらい。


 シトシト降る雨音を聞きながら、布団の中で昨日話したことを反芻する。

 昨日は今後の活動について、まず宿を決めようと話をした。

 本当は宿代が勿体ないから、寝るときはこちらに戻ってはどうかと言ったのだが、ヴァリアスに面倒だと断られた。

 確かに亜空間の門を開けるのはヴァリアスがやってくれてるし、ただの転移より力がいるらしいからあまり無茶は言えない。


 それにいちいち人目を気にしてトイレとかに跳ぶのも、なんだか危うい。

 もしドアの外に人がいて、男2人でトイレから出てくるところを見られるのも嫌だし、中に人がいたらもっと大変な事になりそうだ。

 なんなら市壁の外の、人のいなさそうな野原とかに出てから町に入ったらどうかと言ったのだが、どうも必要以上に門を通って、いちいち身分証を見せたくないらしい。

 町の中に転移するんじゃ一緒だし。


 じゃあどうせなら宿を1か月単位で借りたらどうだという事になった。貸し切りの部屋を行き来するなら安心だし、毎回宿を探す手間も省ける。

 それに結構まとまった単位で借りる利用者も多いらしい。

「この間の広場前の宿はどうだ? あそこならギルドの前だし、部屋もまあまあ良かっただろう」

「そりゃ良かったけど、高そうじゃないか。それに自分の部屋より広いとこに長期に泊まってると、なんだかこっちに帰るのが嫌になるじゃないか」

「だったら向こうに永住すればいい」


 確かにそちらにいる方が長くなる可能性は高い。この間 偶然とはいえ、一回で凄い大金を稼げたし、向こうで暮らすほうが経済的には裕福になるかもしれない。

「だけどなぁー、住み慣れたところから離れるのは、なかなか難しいんだよなぁ」

 当たり前だが俺はこの日本の生活にどっぷり使っている。54年間日本しか知らない人間が、いきなり外国どころか、中世みたいな世界に住む事になったら落ち着かないし、きっと色々不便を感じると思う。

 そう考えるとマンガや小説にある異世界物で、いきなり召喚されて帰れなくなる話って、改めて理不尽だなと思う。

 ただの拉致だもんな。


 例えあちらにいる時間が長くても、やっぱり住み慣れた所から完全に離れる気にはなれない。

 だからしばらく優柔不断に行ったり来たりする予定だ。

 俺がヴァリアスの言う通りなら、普通の何倍も生きるわけだから、年を取るのも遅いらしい。それであちらとこちらの行き来の時間差を利用して、こちらの実年齢に近づけようと思ったのだが、実際偉く年月がかかりそうだ。それに老後の資金も稼がなくてはいけないし。


 そう、そこが一番の問題だ。

なんとか日本での仕事は見つかったが手取りは多くは望めない。アパートの家賃払って贅沢しなければ男1人、暮らしていけるぐらいだろうが、貯金はあまり出来そうにない。それにいつまで雇って貰えるか保証もはない。良くても定年までだろうし。

 となるとどうしてもあちらで稼がなくてはならない。


「それとこの間の弾丸旅行みたいなスケジュールは御免だぞ。忙しくてしょうがない」

「そんなに忙しかったか?」

「――かったかって、2泊3日でハンターの正規登録まで済ましたどころか、同じ日にドラゴンに2回も会うって大変じゃないかよ」

「そうかぁ? お前のとこの神だって、この世界を造るという大事業を6日間でやったんだろう? それに比べたら大した事じゃないだろ」

「神様基準に合わせるなよ。そんな調子でやってたら過労死するわ。もう少しゆっくりやろうよ。観光もしたいし」


 そういうわけで今日は宿探しに徹しようという事になった。

ざっと計算しても今日中に行けば、あちらはドラゴンの巣から帰った日の午後3時ぐらいのはずだ。

 定宿が見つからなかったら、とりあえず一晩泊まれるところを探せばいい。今日の土曜日だけでもあちらに一か月位いれそうだし、のんびりやろう。

 ああ、そうだった。行く前に用意しておきたい物が残ってた。

 俺は布団から起き出して伸びをした。


 アパートを出て近くの馴染みになっている弁当屋に行く。ここはオバちゃん達がやっていて、お袋の味という感じの惣菜とかを扱っている。

 俺はもちろん家庭の味は知らないが、大家さんがくれるオカズとかなんか懐かしい感じがするから不思議だ。ここの弁当はそれに似た味がするのだ。

 本日はお目当てのお握りが100円均一になっていた。やった。オカカ、鮭、明太子、ツナマヨ、梅シソなど計10個買う。

 前回お米が食べたくてしょうがなかったからな。

 こういう時、空間収納は本当に便利だと思う。時間が止まってくれているので冷蔵庫より保管が効くしね。

 その後、いつものスーパーでインスタントみそ汁と漬物パックを買う。やっぱり食は大切だからな。インスタントコーヒーは家にあるのをすでに収納している。


 玄関の鍵を開けると、何故かテレビの音がする。居間の戸を開けるとやはりヴァリアスが座っていた。

「よぉ、勝手に入ってるぞ」

 なんかもうこの外国人がうちの居間にいる風景が自然に感じられるようになってしまった。

「別にいいけど、朝飯食べてから行くよ。あまり時間差はないだろ」

 俺は卓袱台の上にさっき買ってきたお握りの入った袋を置く。


 ヴァリアスは家に来てテレビに興味を持ったようだ。台所でお茶とコーヒーを入れて持っていく。

 朝はオカカとツナマヨにしようかな。

「穀類好きだな、お前」

「お米は日本人のソウルフードだからね。ヴァリアスも食べるかい?」

「いや、俺は穀類はいい」

 やっぱりサメは米より肉がいいのか。俺は1人納得した。


「今日は宿探しだな。町をウロウロしてて探すのもいいけど、効率悪いからどこか紹介してくれる観光案内所みたいな所はないかな」

「それなら商業ギルドだな」

「やっぱりそういうのあるんだ。それなら商人登録もしたいな」

 よくマンガとか小説であるよな。それで簡単な商売を始めてもいいし。


「出来ないことはないが、まず何をやるか具体的に決めないと登録できんぞ」

「えっ そうなの?」

「あそこは依頼を受ける事が主なハンターギルドと違って、それぞれ商品を売買している商人や、店や食堂、宿を営んでいる経営者や、代書業のような事務関係まで細かく職業分けされてるからな」


 俺はインスタントコーヒーをポットのお湯で作ってやりながら考えた。

「そう言われると、よく小説で見かけるテンプレかもしれないけど、商品の転売かな。塩や砂糖とか胡椒とか高いんじゃない?」

「塩は昔程ではなくなったな。以前海が近くにない場所ではかなり高かったが、石から塩を取る事を発見したからな」

 それって岩塩って事かな。じゃあ塩は商売の候補から外れたな。

「砂糖も以前、胡椒同様かなり高価だったんだが、これは近年原料になる植物の温室栽培に成功したから、だいぶ安くなってきてる。とはいえ庶民にはまだまだ高級品だがな」

 じゃあ砂糖は候補に入れておこう。


「ただ、胡椒は相変わらず高いな。あれはよその大陸の輸入に頼っているから、そういう意味では転売向きかもしれんがな。ただ基本的に商人はどこかの町の市民権が無いとなれないぞ」

「えぇっ、じゃあ何処かの市民にならないと駄目なのか?」

 今のところあの町にいるが、まだ完全に腰を落ち着けるつもりじゃないしなぁ。

「うーん、旅から旅をしながら商いをする、遍歴商人というのもあるが、あれも町で商売する為には仮登録が必要だったはずだし、オレはよくわからんな」

 現実はなんか色々手続きいるんだな。軽く考えてたよ。

「まぁ今度詳しい奴に聞いておく。とりあえず今はハンターでいいだろ」


 腹も落ち着いたので出かける事にする。

 前回の反省を踏まえてトレッキングシューズを買った。街中でも履けるソールのやや柔らかいタイプだ。

 本格的登山にはちょっと物足りないかもしれないが、スニーカーよりは良い。


「お前が嫌がるから、念のためお前ごと気配を消しとくか」

「えっ、そういや上野で服買った時にやってたな。なんだよ、始めからそうしてくれれば良かったじゃないか」

「気配を消すといっても感じづらくなるだけで、人や物があればぶつかるし、バレたら不審者に思われるぞ。建物にはセンサーもついてるし、ハンターギルドのヤツらは鋭い奴が多いからな。オレはそんなヘマしないがお前もいるからなぁ。万が一という事もある」

 まぁそりゃ、建物や町中でやってたら犯罪者に思われるか。



 いつも通りハンターギルドに出てすぐ階段に向かう。

「そういやさ、この間貰ったあのワニもどきの魔石、売ってもいいかい? 現金化出来るものはしときたくてさ」

「構わんぞ」


 1階に下りて買取所に行く。カウンターには2人空いている係の男がいた。

 だが、半分開いた奥のドアから、肉屋よろしく包丁を研ぎ棒で研いでいる、例のスタン・ハンセンもどきの親父と目が合った。奥は解体所のようだ。

「よぉ、兄ちゃん」

 革エプロンをつけた親父はスタスタとカウンターに出てきた。もう顔を覚えられたらしい。

「今日は何の買取だい?」

「あの、これ買い取ってもらえますか?」

 もう兎の時に空間収納を見せているので、そのまま魔石を3つ空中から出す。


「ほぉっ、立派な魔石じゃねぇか。しかも結構でけぇな。何の魔物から取れたんだい?」

「えっと、グレンダイル……です」

「ああん、グレンダイルだって? 兄ちゃんが獲ったのか?」

 声がデカいよ。

「いえ、違います。私の仲間が狩ったんです」

 俺がそう言うと親父は柱のほうを見た。そこにはヴァリアスが立っている。

「あー」

 そう言うと親父はカウンター越しに俺の肩を掴んで、顔を近づけると声を潜めてきた。


「兄ちゃんの相棒、大物なんだってな。トーマスの旦那から聞いたぜ」

「えっ!? なるべく隠しておく約束なのに」

「俺はこの買取所の主任だからよ、そういう意味でお触れが来たんだよ。まぁ他の奴らは外見を知らないからよ。もしも気が付いても普通にしてろっていうくらいの連絡は回ってるんだ」

 こんな事してたら気が付かれないか?

「とにかく良い獲物を持ってきてくれるらしいから、うちは有難いけどな。んじゃ、鑑定に回すから、ちょっと待っててくれ」と奥に引っ込んでいった。

 

 俺は後ろを振り返った。ヴァリアスは腕を組んで柱に寄りかかりながら、あんまり面白くなさそうにしていた。親父さん声を潜めたって丸聞こえなんだよな。

 あらためて奥を覗くと、中に魔法円が書かれた台の上に魔石を載せて、横に立っている別の男が、台に取付られたレンズか鏡のようなものを覗き込んでいた。

 何か鑑定・解析の器具なのだろうか。その後、秤に載せて紙に書き込むと戻ってきた。


「待たせたな。これなかなか上質な水の魔石だったから、1ポムド(453g)45,300エルだ。3つ全部で66.62ポムド(約3㎏)で、合計299,886エルだ。これでいいか?」

 おお、思ったより高く売れた。一般家庭の2ヶ月分の生活費に近い金額だ。もちろん俺に異存ないのでそれで引き取ってもらう。


 2階で換金してもらい、今回は貯金せずに全額通貨で貰う。

「これで今回の宿代くらいになるかな」

「ん、そんな費用の事は考えなくていいぞ」

「いや、今後こちらで生活していくのに、どのくらいかかるのか体験したいんだよね。それにこれ、元々ヴァリアスから貰った魔石を売った金だからさ。これ使おうよ」

「まぁお前がいいならそれでいいぞ」

「よし、じゃあ次はいよいよ宿だな」


 さっき換金の時に聞いたら、商業ギルドはこのハンターギルドの向かいの黄色の5階建ての建物らしい。

 やはりこの中央広場には主要な施設が固まっているようだ。

 ギルドを出て噴水越しに見ると、確かに薄い黄色のレンガ造りの大きな建物があった。

 前に泊まった宿『ファンタジアファウンテン亭』の3つ隣だった。

 1階に入ると左手に大きな階段があり、右手手前に総合案内があった。奥はホールになっているようだ。

 案内で聞くと宿関係は3階の8番だと言うので階段を上がる。


 3階に行くと中央にソファとテーブルが並んでいて、それを囲むように各窓口が並んでいた。

 ハンターギルドと違うのは各窓口が、ショッピングモールの小店のような雰囲気で、商品を並べたり、ポスターのような紙を貼ったボードを立て掛けていたりしていることだ。

 もちろんここを行き交う人たちもハンターギルドとは違って、幅広の袖に帽子、剣の代わりに杖というかステッキ風の棒を持ったりした、いかにも商人風の人達がほとんどだった。


 8番窓口の前に立て掛けてあるボードには、不動産屋の窓ガラスよろしく物件案内が貼ってあった。

 そこにはデカデカと例の『ファンタジアファウンテン亭』の案内ポスターも貼ってある。

 部屋の値段を見ると1人用1部屋9,150e~となっている。

 からって事は最低値段って事だから、あの部屋は一体いくらだったんだろう?


 そんな事を考えながら他の張り紙もチェックする。

 大体が中央大通りの表街道に面しているところが多かった。

 値段も一番安いのは1人用1部屋最低6,300eだ。一般家庭の1ヵ月の生活費の約20分の1くらいだから決して安い訳じゃないだろう。基本素泊まりみたいだし。


 ちなみに1人用というのは部屋の大きさの目安で、別に何人で止まっても部屋代は一緒なので、金の無い者は大勢で泊まって雑魚寝はもちろん、ベッドからもれた奴は床に寝たりすることもザラらしい。

 またその逆に余裕のある者は、多人数の部屋を1人で泊まったりもするそうだ。

 貼ってあるもの以外にあるのか受付で聞いてみる。


「2人泊まれる宿で連泊出来るとこあります? 個室が良いんですけど」

「予算はどの位ですか?」

 事務系の袖カバーをした、細面の中年の男が分厚いファイルを引っ張り出して訊いてきた。


「そこのボードにあるのより安いのがいいんですが」

「色々ありますけど、その他ご希望は? 表通りが良いとか、朝食のあるところ、風呂のあるところとか」

「えっ お風呂が無い所とかあるんですか?」

「ええ、安価な宿なら結構当たり前ですよ」


 そうなのか。日本じゃカプセルホテルだって風呂があるのが当たり前だったから、普通に思ってたよ。

 夏場はあまり湯舟を使わない事が多いけど、シャワーぐらいは欲しいよな。

「じゃあ、シャワーでもいいのである所で、朝食はどっちでも構わないです。あと裏通りでも大丈夫です」

 

 係の男はファイルをパラパラめくっていたが、

「この辺りですかね」と何軒かのファイルを抜いて見せてくれた。

 俺はちょっと転写させてくださいと断ってから、スマホで写真を撮った。

 男は珍しそうに見ていたが

「もし宿が決まったらこれ出してくださいね。宿代が5%割引になりますよ」

 ギルド加盟店専用の割引券をくれた。


「風呂のない宿に泊まった場合、皆どうしてるんだろ? まさか入らないのが当たりまえなのか?」

 階段を下りながらヴァリアスに聞いた。

「下町だと通常、体を拭くだけが当たり前だな。あと湯につかりたいのなら風呂屋というのがある」


 風呂屋というのはいわゆる銭湯のようなものなのだが、体を洗う目的以外にマッサージや垢すり、店員による洗髪・散髪サービスの他、食事やお酒が飲めたりと、ちょっとしたスーパー銭湯のような施設らしい。

 市民にとって酒場以外の社交場になっているそうだ。

 以前は混浴で売春の温床になったりしたようだが、性病の伝染を防ぐ為禁止になったらしい。


 混浴だったらちょっと恥ずかしいが、それなら行ってみたい気もする。

 とりあえず教えてもらった中で一番安い所から見ていく事にする。

 紹介してもらった物件のほとんどが東区側に散らばっていた。

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