第112話 目覚める聖女とトンデモ処刑の始まり その2

 気がつくとナタリッシアは灰色の霧の中にいた。


 ただ茫然と彼女は霧の中に立っていた。

 足元も濃い霧のせいで全く見えない。

 足の裏があたっているモノも、土なのか、草なのか、岩なのか、はたまた砂なのか、感触が伝わってこない。


 分からないと言えば何故自分がここにこうしているのか。

 今まで何をしていたのか。

 自分は何者なのか…………全てわからないことだらけ。


 でもそんな事は大して気にならない。別に考えようという気が起きないからだ。

 何か考えるさえ面倒。


 それにうっすらと、何か怖い事が会ったような気がする。

 それが何かは覚えていないけど、ここから出ないほうがいい気がする。

 ここにいればその怖いモノに会わないですみそう……。


 どのくらい時間が過ぎたのか。

 ……さっきから、時折誰かが誰かを呼んでいるような気がするけど、あれはなんだろう。

 探しにいってみようかとふとよぎったけど、そんな気も一瞬で消えた。


 もういい、ここでこうして漂うように、ずっと何も考えずにいることが楽だ。

 そのほうが気持ちいいし。

 そのままユラユラと風に揺れる草原の草のように立っていた。


 またしばらくして……

 どこかで水が湧き出るような、流れるような音がする。

 なんだろ。何か気になる音。

 心の奥で微かに共鳴するような…………。

 ナタリッシアは何も見えない霧の中、水音のするほうにおずおずと足を進めはじめた。



 部屋に入るとベッドの前に座っていた先生が振り返った。

「ハル、彼女が」

「うむ、意識が浮上してきてる」

 確かに彼女の気を感じる。

 2人はずーっと、探知の触手を出しっぱなしにしてたんだ。

 奴が以前言ってたみたいに、寝てても出しっぱなしに。


 彼女の瞼がピクピク動いている。金色の長い睫毛が微かに揺れる。

「お嬢~っ!!」

 抱きつこうとしたアルを先生が止めた。

「ばっかもん。驚いて引っ込んじまうだろっ」

「どさくさに抜け駆けするな」

 セオドアにも軽く頭を叩かれて、アルは大人しくベッドの側にしゃがんだ。


 ゆっくりと瞼が開くと、宝石のような瞳が現れた。

 そのまま天井を見ていたが、くるりとこちらに動くと瞳に光が宿った。


「先生っ!」

 ガバっと彼女は弾かれたようにベッドに起き上がると、先生に抱きついた。

「せんせいっ、……ぜんゼ~ィ~!! ――― っ怖かったよぉ~っ うぅ~っ」

 彼女は抱きついたまま泣き出した。


 先生はちょっとどうしていいのか戸惑ったようだが、背中を優しく叩いてあげながら

「わかった、わかった。もう大丈夫だから、大丈夫だから――」

 泣きじゃくる子供に戻ったような聖女を、先生は頭を撫でていた。

「お嬢~……くそぅ~ おれもあと80年年取ってりゃおれだって……」

 ベッドの縁に掴みながら、下からアルが小さく主張していた。


 とりあえず良かった。俺は肩の力を抜いて後ろに一歩下がった。

 すると後ろに立っている奴にぶつかった。

「あんた何処行ってたんだ?」

「あの魚に一発ヤキ入れてきた」

「えっ!?」

「冗談だ。別件をちょっと調べにいってきた」

 あんたが言うと冗談に聞こえないんだよ。そう言いながら本当にやってはいないか。


 食堂に行って、朝食の用意をしていた4人に、彼女が目覚めた事を教えると、皆すっ飛んでいった。

 俺達だけになった食堂であらためて奴が言ってきた。


「あとはマーレ水の使徒の奴が何とかするから、オレ達の役目はここまでだ。

 ただ、あいつが助けるのは水の信者だけだからな。

 こっちはこっちでやってやらないと」

「?」

 その意味は後になって分かった。


 ナタリーは念のため、今日1日は勤めを休んで、ベッドで過ごさせることにした。

 患者がいない時は、先生が横に来るのがなんだか嬉しそうだった。

 自分が助けた子供が、無事に親元に帰っていった事も安心したようだ。

 

 大変な目に遭ったが、これが良いきっかけになったかもしれない。

 頑張れ、ナタリー。

 俺は心の中で応援した。

 口に出したら、アル達に怒られそうだったから。


 昨日の件が夢だったかのように、普通に一日が終わろうとしていた。

 アル達も警監視局(こちらでの警察署)から夕方には戻ってきた。


「もし闘刑を望むなら、ウチに来いって言ってきてやったぜ」

「まあ多分それは無いと思いますけどね。あとは裁判でどうなるか」

 なんでも裁判に当事者として、出なくてはいけないので、あと数日はこの町にいるそうだ。日本の何か月もかかる裁判と違って、とても速いがそれでもアルは面倒くさがっていた。


「あれ、私達も当事者として出なくていいんですか?」

 念のため訊いてみた。

「本来はそうなんですけど、嫌でしょう? だから除外してもらいました。調書も取ってあるし、相手の方も、こちら側の証人が減るので文句はないようでしたけど」

 良かった。俺、日本でもそんなものに出た事ないのに、こんな異国でなんか到底無理なところだった。

 セオドアが気の利く人で良かった。


 珍しい事じゃないのかもしれないけど、どうも日頃ガサツで気遣いのない奴とくっ付いてると、そういう有難みが身に染みる。

 そう、ヴァリアスはデリカシーというモノを、どっかに忘れてきたような奴だから、いつも冷や冷やさせられる。

 この夜も俺はぶっ飛びそうになった。


 夕食の後、また先生の執務室で酒盛りとなった。

 今夜はイーファやコニー、カスペルも一緒だ。

 これだけの人数になると、狭小居酒屋のように窮屈なのだが、誰も食堂に行こうとは言わなかった。

 その代わり、先生の執務机は窓際にどかされたが。


 みんな昨日と打って変わって、安心した事もあり酒が進んだ。

 セオドアも今夜は酒を飲んだ。

 やはり酒には強いようで、ビールではないが、チェリーブランデーをストレートで飲んでいた。

 俺はこちらで初めて蜂蜜酒ミードというのを飲んでみた。

 度数が強かったので、ジンジャーを入れて湧き水で割ってみたのだが、ほんのり甘くて飲みやすい。


 アルが懐かしいと言っていた。

 蜂蜜酒をミルクで割ったモノか、またはストレートを、アクール人はミルク代わりに赤ん坊に飲ませるという。

 赤ん坊からかよ。そりゃ酒好きにもなるわな。

 でもカスペルも子供の頃、風邪をひいた時に飲んだことがあるというから、こちらじゃそれほど珍しくもないのだろうか。


 だいぶ酒もまわった頃、俺は昨日訊き損ねた事を聞いてみた。

「そういえば2人はどうしてハンター辞めちゃったんですか? まだまだ出来そうなのに」

「あー、そりゃ今でも出来るよ。だけどさ、将来の事考えてねー」とアル。

「お前が言うな、何も考えてないくせに。

 こいつはこのまま、体が動かなくなるまでハンターを続ける気だったから、老後をどうするか考えてなかったんですよ」

 と、セオドアがアルの頭を突っついた。


「いくら長命種だって限度ってものがあるでしょう。

 力ばっかりで、何か商才があるわけじゃない我々なんか、老いて弱ったら、そこら辺の獣と一緒で朽ち果てるだけですよ。

 だから役人になったんです。官吏は保険や年金が充実してるから」

 おお、そうですよね。やっぱ老後の手配はしとかないとね。

 セオドアは年とってもなんとかなりそうだが、アルは行き当たりばったりっぽいからなあ。


「それではじめは警吏になろうとしたんですけど、こいつがダメで」

 ジロっと横眼で相棒を見る。

「いや、おれだってちゃんと実技も筆記も受かったんだよ。試験は十分通ったんだから」

 アルが慌てて弁解する。

「ほら、こいつ馬に乗れないから」

 あぁ~っと、イーファ達から納得の声が出る。


「別に乗らなくてもいいじゃねぇかなぁー。

 だけどそうしたら試験官の奴が、だったら『闘吏』にならないかって勧めてきたんだよ。

 警吏より危険手当が良いって言うし、戦って金貰えるならいいかなぁと」

「闘吏が少ないからだよ。

 殉職したり退職する者も少なからずいるのに、成り手が減ってきているから」

「確かにあの試験官の奴、おれが警吏になれないってわかった途端、ゴリゴリ押してきたからな。

 もう始めっから勧める気、満々のオーラだったし」

 ちょっと口を尖らせた。


「まあでも、年金が高いのも確かだったし、結果良しって事かな」

「そうだよねー。聖職者も、後ろ盾に聖堂参事会があるからね。暮らしは最低限保証されてるよ。

 ここはカツカツだけどね」とカスペル。

「どこがカツカツだよっ! 

 って、本当の事だからしょうがねえかあ。ガァッハハハッ!」

 先生が大口を開けて笑った。


「アルディン、お前なんで馬が苦手なんだ?」

 奴がスルっと入ってくるように訊いてきた。

「え……それは昔、ガキの頃に噛まれたことあったんだよ。それ以来苦手になっちまって」

「うん、うん、あるよね。僕もドードーに蹴られた事があって、それ以来ドードーは苦手だよ」

 イーファが腹を押さえて渋顔を作る。

「ベーシスならまだしも、馬なんかどうって事ないだろ。何がそんなに怖いんだ?」

 奴がさらに突っ込んで訊いた。


「別に、怖い訳じゃないよ。ただ苦手なだけだ」

 新しい缶ビールを開けると勢いよくあおる。

「ガキの頃とはいえ、アクール人がやられるなんて、ただの馬じゃないんだろ?」

 見透かすようにさらに奴が言う。


「う、うん、大きな馬だったよ。ガキの頃で種類まではわからなかったけど、魔物だったのは確かだな……」

 なんだか少し目が落ち着かない。

「そうだろな。だけどただ噛まれたわけじゃあるまい?」

「ああそうか、それっくらいじゃ、こいつがそこまで嫌がる訳ないか。

 散々蹴られるか痛い目みたんだな」

 先生も新しい缶ビールを開けた。


 だが、追い打ちをかけるように奴が、恐ろしい事を言った。

「違うな。痛い目じゃなくて恐ろしい目にあったんだ。噛みつかれたんじゃなくて、本当はんだろ?」


「――― ッ!!! ――― 」

「「「「「?!!!」」」」」

「ブファッ!!」

 先生が思い切り、ビールを毒霧のように吹いた。

「わあっ きったねぇっ!」

 カスペルとコニ―がビックリして立ち上がる。

 いや、それより、えっ? ナニ、どういう事だって ?!


 アルは言い返さなかった。

 右手に缶ビールを持ったまま、左手で口を押えていた。

 目はテーブルの一点に据えられていたが、そこを見ているわけではないようだった。

「すいません、ちょっとその件は……これぐらいにしてやってください」

 セオドアが慌てて身を乗り出して、奴に言ってきた。


「いや、良い機会だからハッキリさせといたほうが良い。そうしないとコイツは一生、そんなを背負って生きてくことになるぞ」

 先生が激しく咳き込む中、なんだか急に早いリズムを刻む音が聞こえてきた。

 アルの動悸だ。

 早くなってるんだ。

 普段なら消しておく音が無防備になってきている。


「おい、なんだかわからないけど、止めとけよ。辛そうじゃないかっ」

「トラウマを祓う時は、痛みぐらいあるさ。それを越えなきゃ治らないからな。

 あと、その馬の種類を当ててみようか」

 アルの目が動いた。


「十中八九、ユニコーン一角獣だろ?」

「―― なんでぇ……わかった? あんた過去見ができるのか……?!」

「エエッ?!! ユニコーンってあの神聖な馬の ??」

 奴が俺の方に振り向くと

「お前のとこじゃペガサスのように神聖視されてるみたいだが、こっちじゃただの魔物だよ。

 バイコーン二角獣と一対の。

 嗜好が正反対ってだけだ」

 そうなのかあ。いや、待て待てっ。

 この流れ、話の内容だと、ヤバいことを皆の前でぶちまけてないかっ ?!!


 アルがまた下を向いている。

 その眼の色は、昨日の時のようにピンク色になってしまっていた。

 おおいっ、もう彼のMPメンタルポイントはゼロだよ。

 あんた、同族というか子孫というか、眷属に何してくれちゃってるんだよ。


 アルの公開処刑が始まった。



  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 とんでもない展開になったと、自分でもちょっとビックリ(;´Д`)

 ですが、これは実はアルの勘違いによるトラウマ……。

 ではございません。

 それを治すべく奴が動きます!


 次回少々残酷な描写がありますので、

 どうかご注意お願いいたします。

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