第111話 目覚める聖女とトンデモ処刑の始まり その1


「何がご苦労さまだっ、この魚口さかなぐちが」

 バッと立ち上がったヴァリアスが、水の使徒様のぶ厚い唇の両端を、左右に掴んで思い切り引っ張った。

 ぐぐーっと魚の口が2倍に広がる。


「イダダダァーッ、何さらすんじゃあっ」

「もとはと言えば、お前がちゃんと管理しないから、余計なこと蒼也に吹き込まれちまったじゃねぇか。

 手伝わなけりゃあ、言われなかった(運命の)選択肢だ。

 ちゃんとこの落とし前はつけるんだろうなっ」

「そ、そんなの言いがかりだっ! 遅かれ早かれ誰かに言われとったわっ」

 ええ、言いがかりです。

 元はといえば、こいつが毎回、危険な目に合わせようとするのが原因だと思う。

「タイミングが問題なんだよ。横から流れを変えやがって、この魚頭うおあたまがっ」


「相変わらずメチャクチャだな。大体お前だってカルカロクレス(巨大鮫の一種)のモデルの一部じゃないか」

 やっぱりそうなの?

「ナニィッ!! まだこの口が言うかっ」

「イダイッ、イダイッ!」

「待て待てっ! でやめろっ」

 俺はつい見てられなくて止めに入った。


「ア゛ッ?!」

「もう、何やってんだよ。いちいち暴力振るわないと話せないのかよ。

 ヤクザよりタチ悪いぞ」

「そう、そうだ、確かにこんな事やってる場合じゃないんだよ」

 魚の使徒は、頬のあたりをヒレで擦りながら言った。


 3人でまた廊下に出ると礼拝堂を通った。

 サウロが、女神像の足元にひれ伏すように眠っている。

「この男も水の資質を持たないながら、良き信者である」


 リベロマーレ――― この間は慌ただしくて、ついお互い名乗らなかったが ――― 水の女神様の357番目の使徒とあらためて名乗った。


 施療院の眠り姫の部屋に戻ると、イーファとコニ―がそれぞれ、椅子の背もたれに寄りかかっていた。

 姿の見えないカスペルは厨房の壁に、寄りかかって座り込んでいるのを感じる。

 あともう1人は、別の部屋のベッドでぐっすり眠っている小さな男の子。

 もちろんナタリーもこの部屋で、変わらずに人形のように横たわっている。


 その人形の頭のほうに、リベロマーレ様がしずしずとまわる。

 両ヒレを枕につけると屈みこんだ。


 こ、これはまさか、定番の起こし方か!? 

 起こされる方は問題なく美女だが、起こす方は王子様どころか魚100%なんだが。

 俺がドキドキして見ていると、そのまま使徒は口を開けると――― 


 開いた口から、キラキラと光る水蒸気のような霧が降り注いだ。

 それが彼女の顔にかかると、スッと皮膚に吸収されるように消えていった。

「これでよし」


「今日のところはこれまでだ。またあらためて来るから、宜しくな」

 そう言うとまた卵型の光に包まれて、ゆっくりと消える光と共に、姿が見えなくなった。

 あらためて眠っている3人の様子を見ると、イーファとコニ―はもとより、ベッドの姫も変わらず目覚める気配がない。

 一体何しに来たんだろ?


「じゃあ早く戻るぞ。あいつらが目を覚まさないうちに」

 部屋に転移して戻ると、こちらの3人もまだそれぞれの態勢で寝入っていた。

 毎晩人々を眠らせて、こっそり人生を入れ変える街、映画『ダークシティ』の中にでも迷い込んだ気分だ。

 今回は何も変えてないように思うのだが。

 そっと元の位置に座ると同時に、セオドアがピクっと動いた。


「……おや、ちょっと空気が変わったか……?」

 セオドアがソファに座り直した。ふとテーブルのカップを見たが、アルが落としたカップは元通りにこぼれず立っている。

「ふぁああぁ~っ、さすがにちょっと疲れたわい……」

 先生が大きな欠伸をした。


「えっ?」

 アルがガバっと勢いよく起き上がった。

「お、おれ、今もしかして寝落ちしてた ??!」

「そうみたいだな。珍しいが……」とセオドア。

「かぁ~っ! なんたる醜態っ。これっくらいの酒で寝るなんてっ

 ったく、恥ずかしい~」

 顔を両手で覆いながら天井を仰いだ。


「アル、お前も若く見えるけど、もう年なんじゃないのか? 年だって俺と変わらないんだから」と先生。

「生まれた時からジジイのノームと一緒にすんなよ。おれ達アクールは、戦えなくなった時が老いの始まりなんだよ。

 あ~……だけどちょっと自信無くすなぁ……」

 凹むアルを見ながら、俺は心の中で謝った。

 まさか強制的に眠らせたとは言えない。


「まだダメージが残ってるんだろ。体内魔石がすり減るくらいの負担がかかったんだ。

 肝臓や腎上体(副腎)だって疲弊してるはずだ」

 奴がしれっと説明する。

「あー、そうかもしれんな。体内を廻る魔力は戻ってるようだが、エネルギー分泌とかは下がってるようだし」

 先生が2人をじーっと見ながら頷いた。


 地球人と同じで、肝臓や副腎はホルモン分泌とかを司る臓器なのだが、彼ら独自のエネルギータンクにもなっている。

 特に彼らのような長命種はベーシスと違って、内臓が異常に強いことが多い。

 それが長命・体力の高さの秘密として、昔からベーシスに妬まれる要因にもなっているらしい。

 昔は魔物同様、長命種から生き胆をとって、その力にあやかろうとした王様もいたという話が残っている。 

 まさしく熊の胆以上なのだ。

「ふーん、ならしょうがないのかなあ……?」

 アルがポリポリ顔を掻いた。


 と、外で訪問を告げるノックの音がした。

 パタパタと走る音とドアの開く音、サウロが応対している声がする。

「先生、男の子の親御さんが来られました」

「そうか、今日一晩は念のため預かったほうがいいから、俺が説明する」

 先生とサウロが出て行って、少しの間 部屋が静かになった。


「―――ところであんた、何者なんだ? あの時、あんたもおれ達と同じくらい魔力を消耗したはずだ。おれ達以上の魔力持ちなのはわかるけど、その余裕がちょっと異常じゃないか?」

 先生がいなくなって、おもむろに口を開いたのはアルだった。

 疑うように目を細めてる。

 セオドアもジッとヴァリアスを見た。


「お前らより年上ってだけだ。年季はいってるからな」

「んんーん、そういうもんかぁー? 確かに毎日、ディゴンの肝でも喰ってそうだけどさあ」

 アルはまだ納得がいかなさそうだった。

 それ俺です。最近1日1回になったけど。

 

 いつの間にかセオドアが、艶のあるコバルトブルーの目で俺を見据えていた。

 えっ、肝飲んでるのわかったのか?


「それにさ ――― いや、いいや、やめとこ。知らない方が良い事もあるもんな。実害がないならそれでいいや」

 アルがわざとらしく首を振って、またカップに酒を注いだ。

 それを見ながらサメが目を光らす。

「オレは

「うん、うん、そういう事にしとこ。おれもまだ死にたくねえし」

 妙な緊張感が出たところで先生が戻ってきた。

「俺の分まだあるかー」


 それから少し他愛ない話をしていたが、落ち着いてくるとなんだかドッと疲れが出てきた。

「すいません、なんだか疲れちゃって……。先に寝かせてもらいます」

「そうか、まあ今日は色々あったからな。明日もあるからゆっくり休んでろよ」

 と、奴がまさしく他人事のように言った。

 今日もだろが。


「そうだな、俺も確かに疲れたわい。少し仮眠してくるかなあ」

 先生も立ち上がりながら

「アルとセオはどうする? 宿に帰らねぇなら、奥の部屋使ってくれ。いつもサウロが掃除してあるから綺麗なハズだぞ」

「ん~、そうだなぁ、今夜は魔素を浴びて寝たいから、中庭で寝ようかなあー。

 ここは土地もいいし、セオだって、月の光を浴びた方がいいんじゃないのか?」

 アルがまた缶ビールを飲みながら、相棒に話しかけた。

「わたしはワーウルフ(狼人間)じゃないぞ」

「別に庭使ってもいいが、ベッド動かすのか。まあ空間収納使えば造作もないか」と先生。

「いや、いいよ。防水布持ってきたし、もうこのまま中庭行かねえ?」


 俺が部屋に戻って窓を開けると、3人が湧き水の出る女神像の前で、シートを敷いて酒盛りをし直していた。

 なんだか罰当たりだな。

 セオドアは飲んでないようだが、2人につき合っている。

 何かアルが笑いながら喋っているようだが、声どころか音が聞こえない。一応気を使って遮音はしているようだ。


 今日は本当に色々あり過ぎた。

 なんかここにいると夕方の出来事が嘘のように感じるが、あの時の嗅いだ匂いや殺気だった空気の記憶は生々しくて、なかなか頭から消すことが出来ない。


 悪い夢見たらやだなぁ。そんな事を思いながら着替えていたら、窓を叩く音がした。

 振り返ると奴が窓の外に立っていた。


「なんだよ、覗きかよ」

「嫌なら閉めとけよ。それと今日は神経けっこう消耗したろ。これ枕元に置いておけ」

 何か黄色い液体の入っている小瓶を渡してきた。

「さっきの目覚め香で思い出したんだ。ナジャが以前持ってきただろ」

 ああ、あの安ぎのハーブ。小瓶から例の、柑橘系の実がなる森のような香りがした。

 確かにあの臭気の記憶を入れ替えてくれそうだ。


『(ったく、あの魚がいい加減な処理するから、アイツらに変な勘繰りもたれちまった。タイミング考えろよなってんだ)』

 奴が2人に聞かれないように、テレパシーで話しかけてきた。

『(ああ、そういえばなんか疑ってたね。それにしても、コボルトってもっと低級な魔物のイメージがあったから、意外だったけど)』

『(前にも言ったが、コボルトはここじゃ魔族だ。お前んとこじゃ、多分ワーウルフとゴッチャになってるんだろうな。

 こちらのイメージで言うなら、地球の反対勢力の幹部『マルコキアス』に少し近いかもしれんな)』


『マルコキアス』 ソロモンの72の悪魔の1柱。翼を持つ狼の姿をしているという。

 そういえば質問には誠実に答えてくれるという、ちょっと知的なイメージもある悪魔だった。


『(そんなに強いのか? なんだかドラゴン並みに強そうだな)』

『(ピンキリだけどな。魔族の中には天使ランクの強さの奴も生まれる。

 そういう奴が魔王になるんだ)』

 チラッと後ろを見て

「じゃ、先に寝てろ。オレはもう少し奴らと飲んでるから」

「それなら1つ頼みがあるんだが」

「なんだ?」

「これ直してくれ」

 俺は袖の切れた長袖のカットソーを出した。


 

 疲れたせいか、それともアロマのおかげか、はたまた土地が良いせいか、夢も見ずにぐっすり眠れた。

 ひと眠り出来たおかげで、昨日のあの落ち着かない気分はだいぶ薄れていた。

 見回しても奴は部屋の中にいなかった。時計を見ると6時過ぎだ。

 もう皆起きて活動しているだろう。

 朝食は6時半と決まっているから、俺は顔を洗って着替えることにした。


 窓の外を見ると、昨日と同じく中庭にシートが敷かれたまま、ミノムシのように丸まった毛布が転がっていた。

 あれ……。まだ寝てるのかな。

 もう辺りはすっかり明るくなっていたが、ちょうど樹の伸びた枝の陰になっていたので、どちらかわからない。

 どうせ顔を洗いにいくので中庭に出た。


「お早うございます」

 急に声をかけられて俺はちょっと慌てた。

「あ、お、おはようございますっ」

 誰もいないと思っていたら、樹の陰にセオドアが寄りかかっていた。

 気配も感じなかった。

 ということはこっちの毛布に丸まってるのは、アルのほうか。


「すいませんが、そいつはほっといて下さい。朝に弱いんでね。

 起きる時は勝手に起きますから」

 それって、俺みたいに低血圧じゃないよね。

 もうなんだかこの人間臭さが、昨日のあの悪魔のような所業をした奴と同じ人物なのか、俺の頭の中でマッチングしないんだが。


 冷たい井戸水で顔を洗ったあと、湧き水を飲むのがここでの日課になっている。

 井戸水も自然水として美味いのだが、この湧き水を飲んでしまったら、もうこの水しか飲みたくなくなってしまうほどだ。

 まさか中毒性があるわけじゃあるまいが。


「わたし達は闘吏の仕事が無い時は、普段夜警をやってるんですよ。夜目も利くし、朝寝出来るからちょうどいいでしょ。

 ただ、午前中に闘刑しごとがある場合だけ、こいつを起こすのが大変ですけどね」

 そう言って毛布をめくった。ピクリともせずにアルが眠っている。

「こうやっても全く動じないんですよ」

 頭が浮くほど耳を引っ張って見せたが、確かに全く起きる気配がない。

 いや、普通にヒドい事してないか。


「ただし、口だけは気を付けた方がいい、こうして」

 スッと出した短剣の柄の部分で、口元を突いてみせた。

 ガッチンッ といきなり鋭い歯が柄に噛みついた。

 しばらくガチガチやっていたが、そのまま口から外すと、何事もなかったように元通りになった。


「下手に指なんかで悪さしたら、噛みちぎられますよ。本人は寝てるから覚えてないし」

 あいつの血統恐るべし。

 っていうか、あんた、相方にどんなイタズラしてるんだよ。

 この人もよくわからん。

 そのままセオドアが、防水布の上に座ったので、俺もつられて横に座った。


「そういえば転移魔法は亜空間を操るので、時間を止めたりする能力を持つ者もいると聞きますが、あなたはどうなんですか?」

 話題を変えてきた。

「え、そうなんですか? 転移は最近できたばっかりで、まだ移動しかできないですけど」

 ちょっと俺の顔をジッと見ていたが

「…………いや、失礼しました。わたしもやっぱり疲れてたんですね。こいつが昨日、寝たのにも気がつかなかったくらいですから」

 と、後ろで眠りこけているアルを指さした。

「まあ *『寝ている竜を起こすな』といいますから。わたし達もそのつもりですよ」

 ( *‟触らぬ神に祟りなし”的なこちらの諺)

 

 やっぱり昨日の異変に気が付いていたんだ。それを俺達がいや、あいつがやったと思ってる。

 確かに関わってるから、間違いじゃないけど……。

 それをもう詮索しないってことを、俺を通して言ってるんだ。


「ええと、よくわからないけど、わかりました。多分というか、奴もそんな変なマネはしないと思います」

「それは良かった。有難うございます。

 なんとなくあなたが歯止めになってるのは、わかりますから」

「歯止めって……」

 軽く溜息をついてセオドアが肩をすくめてみせた。


「人種でくくるのは好きじゃないですが、アクール人は自由奔放な者が多いですからね。誰かが手綱を締めないと。

 まあ、わたしの場合、こいつしかわたしの力について来れなかったんでね。

 もう腐れ縁で――」


 急にセオドアが後ろに振り返った。

 一瞬遅れて、後ろで熟睡していたはずのアルも飛び起きる。

 ナニっ なに ? 


「彼女が目を覚ます」

 施療院の方を見ながらセオドアが言った。

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