第53話 夜明けの使者

 急に背中に水を垂らされたような寒気が走った。

 恐る恐る部屋の前の廊下に戻ると、もう男はいなかった。

 俺は部屋に飛び込むと、光球を出して部屋を昼間のように明るくした。

 ヴァリアスを呼んでみたが、気配さえない。

 あいつなんでこういう時にいないんだよ。


 俺はオカルト映画は見るが、日本の恐怖モノは見ない事にしている。

 西洋モノと東洋モノの恐怖のツボは違うと思う。

 西洋はいきなり脅かされるとか、命をすぐ狙ってくる暴漢系が多い気がするが、東洋は恨みつらみというか、あの湿気をはらんだようなまとわりつく不気味さ、得体の知れなさがヤバい。

 まず俺は生理的に駄目だ。

 一人暮らしなのにそんなものを観てしまったら怖くなってしまう。

 それっぽいのは疲れた時の金縛り(心霊ではない身体的疲れによる金縛り)ぐらいで、本格的な心霊にはあった事はない。


 だけどここは異世界だ。

 魔物にだってアンデット系とかいそうだし、何より俺のシックスセンスが上がっているから、見えてしまう可能性大だ。

 これが魔物として追い払えるならまだいいが、俺はまだやり方を知らない。

 何よりも霊的なモノの不気味さと対処の分からなさが恐い。

 とりあえず護符つけてるし部屋は明るくしたし、何とかなるかな。

 ベッドに潜り込んだが目がすっかり覚めてしまった。


「すいません。驚かしちゃいましたか?」

 いきなり背中側で声がした。

 俺は横向きのまま跳ね上がりそうになった。

 さっきの男がベッド際に立っていた。

 たださっきよりもハッキリと鮮明になっている。

「誰っ……?!」

 男は軽く頭を下げると、右手で耳横の髪をかき上げて言った。

「キリコといいます。創造神クレィアーレ様の774番めの使徒です」

「はい ?」


 あらためて話を聞くと、男はどうもヴァリアスの代わりに俺を見守っていたらしい。

「本当は姿を見せないようにと言われていたのですが、しくじりましたね。これくらいの隠蔽で大丈夫と思っていたのですが、あなたを侮ってました。

 それにおそらく寝ぼけられてたので、たまたま波長があってしまったようです」

 そう言って頭を軽く掻いて笑った男は、一見20代前半くらいか。

 軽くウェーブのかかった長い髪、スッとした長い手足に細めの体つき。なんだが吟遊詩人とかやってそうな優男というか柔和なイケメンなんだが。

 彼もヴァリアスと同じ創造神様んとこの? いたのこういうヒト?


「ヴァリアスは? 神界とかに帰ってるんですか?」

「私も詳しくは聞いてないんですが、いくつかまわるとは言ってました」

 それから少し斜めに首を傾げて

「本当は話しかけてもいけなかったんですが、あなたを怯えさせてしまったので………。

 私 殺されるかな……」

「えっ どうして?! あいつに? そんなに大変な事なんですか ?!」

「いや、冗談ですよ。さすがにそんな事はありませんよ。うん、半分くらいかな……」

 なんか凄く不穏なんだが……。


「いくらなんでも他人にお願いしといてそれは横暴じゃないですか?」

「お願いじゃなくて命令なので……」

「へ…………あいつそんなに粗暴な奴だったんですか?」

「違いますよ。上司だから当たり前なんです」

「ううん? あなた確か使徒って言ってましたよね。天使じゃなくて。

 ヴァリアスと同じ使徒なんですよね?」

「ええ、私はさっき言ったとおり774番めの使徒ですが、副長の部下ですので」

「副長ってヴァリアスのこと?」

「はい、あの方は様付けで呼ばれるのを嫌がるので、そう呼んでますが」

 ほー、使徒にも上下関係があるのか。

 でも、キリスト教の天使にも階級があるもんなあ。

 もう私喋り過ぎですねーと、キリコは辺りをキョロキョロ見回して、じゃあこれでと消えようとした。


 ふと聞いたことのある番号だと思い出した。774番……ナナシ……。

「あの、もしかして頭の黄色い虫創った事ありません? 食用の甘いやつ」

「あっ 食べましたか? どうです、美味かったですか?」

 キリコは姿をもう一度ハッキリと現すと、嬉しそうな顔をした。

「ええまぁ、お菓子みたいだなと思いましたけど……」

「良かった。あれはまだ人間達には砂糖類が高くて、庶民は甘味系の食べ物が少ないんで作ってみたんですよ。

 下手に砂糖を量産出来るようにすると、今度は相場が崩れたり、下手すると自然界とかにも色々と影響が出ますからね」

 それはいいけど、なんか虫じゃなくてもっと違うモノにして欲しかったな。


「味は良いんですけど、見た目がちょっと……」

「えっ? キュートじゃないですか? 皆に受けは良かったんですが」

 皆って誰に? 使徒や天使にか?

「いや、なんで虫なのかなあと……。植物でも良かったんじゃないかなぁと思いまして」

「あ~ そちらでは虫を食べる文化がないんですね」

 勝手に納得したキリコは、その場に椅子を引き寄せて座ってきた。

 おっ、話に興味を持ったみたい。

 やっぱり自分の作品の話にはのってくるようだ。


「あれなら動物性たんぱく質も取れるからですよ。入手しやすい肉もあるとはいえ、そんな肉も滅多に食べられない人間もいるから、その対処をかねてます」

「なるほど。キリコ様は人間の食用生物が専門なんですか?」

「いえ、専門じゃないですけど、……そうですね、比較的多いですかね。

 あと、様付けやめてください。

 同族の身ですし、私が副長を差し置いてそんなふうに呼ばれたら、それこそ大変ですから」

 と、キリコは慌てて手を振った。

 そうか、上司を呼び捨てにしてるのに、部下を様付けしたらさすがにマズいか。

 しかしいきなり呼び捨てはなぁ。日本人の俺はそういうの慣れてないんだよなぁ。

「………うーん、分かりました。じゃあキリコと呼びます」

「ええ、ええ そうして下さい」


「ところで、こんなの創ってもらえませんか?」

 俺は空間収納からオニギリを出した。

「これ調理した後のものですけど、日本のお米です。こっちのはちょっとパサパサしてるから、こういうもっちりしたのがあれば嬉しいんですけど」

「ちょっと失礼します」

 そう言ってキリコはフィルムのまま、ツナマヨのオニギリを手に取った。

「澱粉と糖分が高めですね。それと水分を吸収しやすいようですね」

 さすが、食べたりしなくても解析眼でわかるようだ。


「どうです?」

「うーん、今一番近いのは確か人間が食べやすいよう改良した穀類で、おそらくアレ以上改良することは、担当者もその気は無さそうだし、新種を出すのもいいかもしれませんね。

 そのままでも鳥や小動物達にとって、良い食料になるかもしれないし」

 と、オニギリを返してくれた。


「ただ人間界に普及するのは、何十年後とかになるかもしれませんよ」

「それでもいいです。ぜひ創って下さい! こっちでお米が食べられるようになりたいんで」

 しばらくは日本米を持ち込んでもいいけど、店で出してくれるようになったら有難い。

「分かりました。だけど最終的に許可が下りなくちゃ通りませんから、あまり期待しないでくださいね」

「それって上司のあいつの許可ってこと?」

「いや、それだけじゃないですよ。あんまり詳しく言えませんけど、土とか他の領域の兼ね合いもありますから」

 そうなんだ。出来れば通って欲しいなぁ。


「じゃあホントに私はこれで」

 と、キリコは立ち上がった。

「あっ すいませんでした。だけどあいつの下で働くって大変じゃないですか?

 俺は守ってもらってるけど」

「確かに恐ろしい方ですが、あれで意外と面倒見はい………」

 半透明に消えかかったキリコの頭が急に掴まれた。

 恐ろしいのが帰ってきた――!!


「オレは姿を見せずに守れって言ったはずだが、なんで話までしてるんだ?」

 俺は慌てて立ち上がり弁護する。

「俺がつい見えちゃって、ビックリしたから怯えさせないようにって、出て来てくれたんだよっ!」

「あ゛っ? そりゃあ、隠蔽を徹底的にやってなかったって事だな。オレはいつも言ってるよな。

 任務は全力でやれって。それともいい加減にやってたのかぁ?」

 頭からこめかみにかけて掴まれたまま、持ち上げられたキリコは、足をバタつかせてなんだか歯ぎしりみたいな声を出している。


「手ぇ放せよ。死んじゃうよ!」

「これっくらいじゃ使徒は消滅しない。こんな簡単な事もまともに出来ないような奴じゃ、もう降格してやろうか」

 ギシギシ軋む音がする。

「とにかく止めてくれ、言う事聞くからっ」

「じゃあ、これからは文句言わずに、薬草と肝を1日2回は必ず飲むか?」

「飲む飲む! 絶対飲むっ」

 パッと手を離すと、キリコは糸の切れた操り人形みたいに床に落ちた。

 生きてる?


「それじゃ早速飲め」

 ドロっとした液体の入ったコップを渡された。

 相変わらず濃いスムージーみたいに濃度が凄いな。これだけで朝飯要らなくなりそうなんだが。

「あれっ? 今回のは生臭くない。ちょっと香ばしくなってる」

「そうだろう。お前が生を嫌がるから肝を焼いてみたんだ。本当は生のほうが栄養価が高いんだがな」

 奴が少し面白くなさそうに口をへの字にした。


「いや、飲みやすいからこの方が断然良いよ」

 生臭さが無くなったおかげですんなり飲めた。

 それを見て少し奴の機嫌が直ったようだ。

 それと同時にキリコがやっと起き上がってきた。

 こめかみを押さえながらフラフラしている。


「キリコッ 大丈夫ですか?」

「は、はいっこれくらい……いつもの事ですから……。ご心配なく」

 いつもなのかよ。って鼻血出てますが……。

「元はと言えばヴァリアスが、この使徒のヒトを代理にたてるって、俺に言わなかったせいじゃないか」

「お前は酔いつぶれて、教えるどころじゃなかったろ」

「そりゃそうだけどさ……。ナジャ様だったら知ってるから、驚かなかったけど……」


「アイツはまた2人っきりになったら、ちょっかい出すかも知れないだろ。

 本当は天使でも良かったんだが、もしアイツが来たら、同格以上の者じゃないと対処できないから、コイツを呼んだんだ」


「じゃあ副長、私はこれで失礼します」

 キリコはまだふらつきながらも、手を後ろにして真っ直ぐ立った。

 こめかみに明らかにへこみがあるんだが、本当に大丈夫なのか?

「ああ、またあらためて頼むぞ」

「ヴァリアス、本当にこのキリコの上司なんだな。もしかして結構偉かった?」

「そんな事はない。ただの小隊長ぐらいだ」

 だけど後ろで消えかかりながらキリコが、手で違う違うという仕草をしてるんだが。 


「お前はさっさと帰れっ!」

 落雷のような激しい光が散って、今度こそ本当にキリコは消えた。

「チッ、床焼いちまったじゃないか」

 そういうとヴァリアスは床の焼け跡を元通りに直した。

 というかそこまでやるな。


「キリコをあんまり怒らないでくれよ。俺、日本米を作ってもらうようにお願いしたんだから」

「あー あの穀類か。アイツはそういうの創るの好きだからな」

「だけどヴァリアスの部下っていうから、もっとゴツい使徒ばかりなのかと思ってたら、ああいう一般人みたいな使徒もいるんだね」

 あらためて考えてみると同族だから、やっぱり親戚みたいなもんか。

 良かった。ああいう普通のタイプがいて。

「そりゃ軍隊じゃないんだから、いろんな奴がいるぞ。女だっているし」

 なんかヴァリアスの部下が、軍隊じゃないっていう方が違和感あるんだけど。


「さっきはああ言ったが、ナジャのヤツしばらく来ないぞ。

 一昨日、お前に勝手に祝福した件を怒られて、謹慎くらったからな」

「えっ、あれってそんなにいけない事だったのか?」

「こっちの籍に入っていない者に勝手にやったんだから当たり前だ。

 まぁこっちは有難かったけどな。

 アイツ、時たま羽目を外しちまうん事があるんだよ」

「なんか申し訳ないな。俺のせいで罰受けて……」

「別に外に出られないってだけだ。

 昨日アイツのとこの天使が来て 『女子会やるから差し入れ寄越せ』って伝言持ってきやがった。

 だからお前が寝てるときにたっぷり渡してきたんだ。

 礼もかねてな」


「そうか、それならいいけど……そういや、リブリース様も無事なんだよね?

 ヴァリアスも平気だったんだから」

 怒られたと聞いて思い出したのは、あの地球の天使の接待事件を思い出したのだ。(第40話参照)


 ヴァリアスはともかくリブリース様は、ちょくの接待人で首謀者なんだから、何か引っかからなかったんだろうか。

「あれは客へのサプライズだって言ったろ? 

 全く問題なしだ。

 アイツはナジャんとこで女が集まるって聞いて、参加したがってたが、火のヴァルキリーに追い払われてたぐらいだな」

 うーん、なんか通常運転そうだね。


「まぁ今後は、俺がいない時はキリコに出来るだけ来させるからな。

 お前はうちのファミリーなんだから、ウチの者に警護させないと」

 キリコはいいけど、なんかあんたの口からファミリーとか、ウチの者って聞くと不穏な音色にしか聞こえないんだが。


「そういや何処行ってたんだい?」

 俺は話題を変えた。

「依頼だよ。他にもあっただろ? あれをこなしてきたんだ」

 そういうとキリコが引き寄せていた椅子にドスンと座った。

 そういや副長が持ってきたのは、他にもいろいろあったんだった。


「まったく例の依頼が勘違い案件だったぞ。

 ディゴンかと思ったら紛らわしいディストーション・オクトパシーの変異種だった。

 頭来たんで、浜辺に依頼書と一緒に打ち上げてきてやった」

「えっ、それは地元の人にかなり迷惑じゃないのか」

「そんな事ない。今頃浜辺で、喜んで皆で解体してる頃だ」

 そういうもんなのか。海辺の民はたくましいな。


 ちなみにディストーション・オクトパシーというのは、本体も元々歪んでいる大蛸なのだが、周囲の景色を歪ませて獲物を錯視させて捕らえるらしい。

 ディゴンにも似た捕獲スキルがあり、視覚どころか音や触覚、空間すら実際に歪ませる能力があるそうだ。

 やはり恐ろしい存在だ。

 だけどディゴンじゃなかったんだ。それならディゴンの肝食べなくて済むな。

 俺は少し安堵した。


 そんな俺の気持ちを見抜いたのか、

「飲みやすくなった事だし、午後も必ず飲むんだろうな?」

 と凄むように目を合わせてきた。

「そりゃもちろん約束だしな。だけどそんなに大事なことなのか? たかが栄養ドリンクで」

「前にも言ったがお前は今、成長期なんだよ。こっちで活動し始めたせいで、最近細胞がまた活性化してきてるんだ。

 体作る時期にちゃんと栄養取らないと、成長期のスポーツ障害みたいになるぞ」

「えっ まだ成長痛みたいなのあるのかよ。この年でヤダなあ」

 やっぱりまだ自分が何百年もこれから生きる実感が湧かない。

 気持はもう人生後半戦なのだ。


「まぁ訓練は体痛めない程度に、徐々に慣らしていくから安心しろ」

「今までに結構ハードなことやらされてないか? これからあれ以上になるって事かなのか」

「お前自分の事を一般人と一緒に考えるなよ。スキルもそうだが体だって違うんだからな」

 そう言われても持病のせいで、一般人より弱いときがあるんだが………。


 ん、なんか胃の辺りが温かくなってきた。

 じわじわと血の巡りが良くなってきて体がポカポカしてくる。

「やっぱりあの肝は効くようだな。さすがロックバードなんかよりずっと良い」

 俺が胃の辺りに手を当てているのを見て、ヴァリアスがしたり顔で言った。


「……ロックバードのじゃないって………まさか………」

「せっかく獲りに行く気で行ったんだから、手ぶらで帰ってくるわけないだろう。

 探し出して肝だけ貰ってきた。

 なに、ほんの少し取っただけだから、アイツにしたら指の先をちょっと切ったくらいだ。

 生命エネルギーもダントツに強いからな、切り取った部位もこうして半年は生きてるぞ」

 そう言って空中から、大きめのジャム瓶のようなガラス容器を出した。

 中にはドス黒くてヌメヌメした、何かの塊がビクンビクンと動いている。

 顔から血の気が引くのが自分でわかった。


「安心しろ。これは強いから、一度に摂取するのはほんの少しだけにしてある」


 そういう問題じゃねぇーっ。 

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