第16話 蒼也 ドラゴンと会う その1
俺達が瞬間移動で跳んだところは、切り立った赤茶色の岩山の上だった。
足元を覗くと遥か下方に川が流れている。背後には森というよりジャングルと言った方が良さそうな密林が広がっている。周りには似たような山が幾つも連なり、森を載せたグランドキャニオンを連想させた。
違うのは空がどんよりとした曇り空どころか、黒と灰色の雲に覆われ、映画で見た翼竜みたいのが飛んでいる情景だ。
俺はソレを解析してみた。
「ワイバーンか、あれが」
かなり高いとこを飛んでいるので、大きさは詳しくは分からないが、恐らく翼の端と端まで中型のバスくらいあるのではないだろうか。
今はトンビのようにのんびり飛んでいるが、急降下して狙うのはハンバーガーじゃあるまい。
俺は落ち着かなくなって、パーカーのポケットに入っているスマホもとい護符を握りしめた。
「ここはどこなんだ? 違う大陸だと言っていたが」
「ここはカッサンドラ大陸、別名:暗黒大陸と人間には言われている」
暗黒大陸って呼び名は、ゲームでもヤバい土地につく通り名だし、昔のヨーロッパ人がアフリカ大陸の事を未知だった頃に読んだ名称でもあるな。
「それってヤバくて人跡未踏の地ってことかい?」
「いや、多少は人間の村もあるぞ。どちらかと言うと魔物と魔人族が多い土地だがな。暗黒というのは
旋回するワイバーンを仰ぎ見ながらヴァリアスが言った。
「この大陸のほとんどは火山から出る煙と湿気のおかげで、1年のほとんどがこうして厚くて灰色の雲に覆われているんだ。お陰で太陽光が少なくても育つ植物しかここら辺では育たない」
そう言われれば生えている木々は昨日の森の木々となんか違くて、葉っぱがデカい割に幹が細い気がする。
「もっともこの辺は魔物ばかりだから人間は住んでないけどな」
崖から少し引っ込んだところに生えている鬱蒼とした森は、途中から木々が不自然に倒され、俺達がいる岩山の縁辺りまで草木ごと引っこ抜かれたように地面が露わになっていた。
何かの爪痕のようなおおきな溝があちこちに走っている。
「これはドラゴンの仕業だ」
「これが? ドラゴンが暴れた跡なのか」
「巣穴に敷く木を抜いたんだ。これがあるということは近くに巣がある証拠だ」
当たり前だがカラスの巣作りと違ってスケールが違うな。
って、いま近くに巣があるって言った?
俺は辺りをもう一回見渡してみた。
そそり立つ岩山には緑がこんもり茂っていて、中に何が潜んでいるのかわからない。下方左の方角に湖が川と繋がっているのが見えた。
「視覚にばかり頼るな。索敵してみろ」
ああそうだった。まだ五感以外をとっさに使う事に慣れてない。
とりあえず上空より下に意識を広げてみる。360度の円を描くようにやると、あまり精度と距離が伸ばせないので少しづつ方角を変えて探ってみた。
すると向かいの右手の岩山の下の方に、がけ崩れのように岩と土が崩れて固まっているところから、何か大きい生き物がいる気配を感じた。
よく見ると崩れた上部に黒く空間が開いている。穴があるんだ。
「あそこか。何だか土砂崩れになって塞がれてるけど」
「あれは侵入者除けにワザと崩してるんだ」
その崩れた山肌の面積は、一般的なトンネルの高さ以上だ。
俺の索敵では、とにかく大型トラックぐらい大きい生き物としかわからない。
「あそこに入るぞ」
同時にこちらに来た時と同じように一瞬落下感があったと思うと、急に辺りが薄暗くなった。
あの土砂が崩れた内側に来たようだ。上の隙間から少し光は入るが、元々薄暗い天気の為、中はほとんど良く見えない。
ただ思った以上に中は広がりのある空間なのがわかる。
そして索敵ではわからなかったが、まさに何か生き物がいる大きな息遣いが聞こえてきた。
それは『ヒュー、ビューヒュー』と、やや不規則気味に聞こえている。
台風の時に聞こえる風の音のようだ。
それにともない外と空気が違っていた。
外も天気のせいか、もしくは地域が違うせいか、湿ったようなどんよりとした空気だったが、ここは何かそれとは別の一種の臭みがあった。
なんというか草木の青臭さにアンモニアを混ぜたような、獣臭さとはまたちょっと違った匂いだ。
その時、ぽぅっと辺りが急に明るくなった。ヴァリアスが灯りを空中に灯したのだ。
そしてソレはいた。
目にした途端、俺はここにホイホイ付いてきた来た事を後悔した。
本能が絶対的強者との対峙に悲鳴を上げて、全身に鋭い寒気が走り抜け、激しい身震いがおきた。胃袋がキューっと縮まり、心臓がバクバクする。
ゲームでもちろんドラゴンと戦った事はあるが、それはあくまでゲームであるし、いくら良く出来たバーチャルゲームでも、ここまで存在感は感じ得ないだろう。
映画「ジェラシックパーク」でTレックスに出会った主人公達の気持ちが少し解った気がした。
いや、実際はそれ以上だろうが。
それは黒光りした艶やかな鱗をびっしりとつけた山のような塊だった。
体の下にぎっしりと裂いた木や枝、蔦などを敷き詰めている。猫のように体を丸め、前足の上に顎を乗せ、尻尾を体に沿わして前に付けている。
3メートル近いその頭には、黒赤の角が後ろ向きに波打って4本生えていた。丸まってはいるが体だけでも大型トラック以上はありそうだ。
顎の下に敷いた指から、ショートソードくらいありそうな黒い爪が見えていた。重量感もさることながら、眠っているのはずなのに何とも言えない溢れ出す威圧感。
その大きな鼻先の穴から、強風のような寝息が吹いていた。
こんなモノは人間が対峙していいものじゃない。剣と盾だけで挑むなんて餌にしてくれと言ってるようなものだ。グレネードランチャーどころか戦車でも持ってこないと。
とりあえずこんな時は水を飲もう。
俺は空間収納からペットボトルを出した。
「おいっ」
ヴァリアスが突然、大きな声を出した。
何やってんだよ。心の準備させろよ。
っていうかせっかく寝てるのに起こすのかよ! と言いたかったが舌が上顎に引っ付いて喋れなかった。
「おい、起きろ」
ヴァリアスはドラゴンの下顎を掴むと、ぐわんぐわん上下に揺らした。
これには流石に爆睡ドラゴンも目を覚ました。
始めに黒い瞼が開いて、深紅の水晶のような瞳が現れた。それは2,3度目をしばたかせて、目の前の俺達に焦点を合わせた。
爆発が起きたかのような轟音に耳を押さえるどころか、その衝撃で体が動かなくなった。
それは恐らく最新の映画技術でも再現できないような、この世のものではない咆哮だった。全身にビリビリと電気が流れたような衝撃。
そのまま聞いていたらおそらく俺の鼓膜は確実に破れていたはずだが、大きく聞こえたのはほんの一瞬で、あとは急にボリュームを絞ったように小さくなった。
ヴァリアスが遮音したらしい。
「うるさいぞ」
ヴァリアスがドラゴンの鼻のあたりを軽く掌で叩いた。
ギャン! とドラゴンは高い声で叫ぶと、後ろに地響きを立ててひっくり返った。凄まじい土埃が舞い上がる。
俺は慌てて顔を覆った。
するとサッと一陣の風が起こり、土砂の隙間から抜けていくのを感じた。土埃と共に空気が入れ替わって少し中の臭いがマシになった。
どうやら風魔法を使ったようだ。
「おい、オレを忘れたのか?」
鼻を前足で押さえ、少し下がり気味にこちらを鋭く警戒しているドラゴンに、ヴァリアスが一歩詰め寄った。
「背中の鱗は無事に生え変わったのか?」
するとドラゴンの真っ赤な目と金色の目――正面で見たら左右の瞳の色が違っていた――の瞳孔が縦に糸のように細くなった。
また大きな口が開いたと思ったら、今度はさっきとは打って変わった高音の大声を発した。
悲鳴だ。
「うるさいっと言ってるだろう」
途端に、ドラゴンの頭が上から叩きつけられるかのように、地響きを立てて地面に押さえつけられた。
ヴァリアスは何もしてないように見えるが、ドラゴンは頭を上げることができないようだ。
「静かにしろ。大きな声出すな。大人しくすれば手荒なマネはしない。わかったか?」
もうドラゴン相手に言ってることが、強盗のそれなんだけど。
ドラゴンは下顎を地面に押しつけたまま、尾の先を少し上下に動かした。
戒めが解けて頭を少し浮かせることが出来るようになったドラゴンは、さっきの咆哮時の態度はどこへやら、手足を引き付け、身を強張らせながら小さな声で鳴いた。
“ グルルルゥ…グルゥルルル…ゴウルルルゥ… ”
【スミマセン、すいません。寝ぼけてました……】
「あれっ、なんか意味が解るんだけど、これ言葉なのか?」
「そうだ。コイツらは発声器官の違いで人語は話せないが、ちゃんと言葉はあるし、人間の言葉も理解してるぞ」
そう言ってヴァリアスは右手をドラゴンの鼻の辺りにかざした。
スっと腫れていたドラゴンの鼻が元に戻った。
「オレのこと覚えているか?」
【もちろん、勿論であります!】
ドラゴンは押さえつけられてもいないのに、顎を地面すれすれに下ろして喋った。
【あの時、自分はまだ若くて、世間知らずでありました。ちょっと自分の力を見せつけたいのと、お酒が飲みたかったのであります】
「お前今だって十分若いだろう。見たところまだ3,000年も生きてないだろうが」
【あの頃はかなりイキってました。今は大人しくしてます。あれから自分は人の街を襲ったりしてないであります!】
なんで軍隊口調なんだろ?
「別に襲っても構わんぞ」
「【えっ?!】」
俺とドラゴンとハモってしまった。
「オレは別に人間の味方をしたわけじゃない。あの時たまたまオレが入ろうとした酒屋を、お前がすぐ目の前で壊したからちょっと頭に来ただけだ。
やり過ぎたと思って治してやろうと思ったら、すぐ逃げてしまったから治療してやれなかったけどな」
ドラゴンの目が泳いでいる。俺もドラゴンとヴァリアスの両方を交互に見た。
「それにお前だって何もしなくても人間に攻撃されるだろう? お互い様だ。あまり目に余るような、種を滅ぼしかねないような破壊をするなら放ってはおけないが。まぁ、街を襲うくらいは天災の部類だろう」
「ヴァリアスって人間の味方してくれないのか?」
俺は少しびっくりして訊いた。
「オレは贔屓しないだけだ。弱肉強食というヒエラルキーはあるが、人間も魔物も動物もドラゴンも皆、生物としては平等だからな」
ああ、そうだった。こいつはそういう存在だったんだよな。つい忘れていたよ。
【しかし……自分は暫くは街は襲う気分になれないであります。また偶然、貴方様がいらっしゃる時に出会わないとも限りませんから……】
ドラゴンは小刻みに体を震わせた。
よっぽど怖い思いをしたんだな。
考えてみたら、自分より強いヤツなんかまずいないんだろう。それがいきなり打ちのめされてショックだったのかも知れない。
「そうか。まぁ好きにすればいい。ところで今日来たのはな、お前の鱗を少しくれ」
【エェッ?!】
ドラゴンの全身の鱗が逆立ったように見えた。
「ちょっと30枚ほど必要になったんだ。なに、痛くはしない。今度はちゃんと治療して傷は治しておくから。鱗が生えそろうまで内皮も硬くしといてやる」
そう言って一歩近づくヴァリアスに対して、ドラゴンはドスドスと後ろに3歩ほど下がった。明らかに尻込みしている。
あまりに下がり過ぎて洞窟の奥にぶつかり、尻が持ち上がった状態で硬直した。
「ちょっと待った。何も無理矢理はぎ取らなくても良いんじゃないか?」
俺は可哀そうになってつい割って入った。
「しかしそうしないと依頼を達成できないぞ」
「前に缶コーヒーでやったみたいに、鱗を複製することは出来ないのか? あれなら誰にも迷惑かからないじゃないか」
「そういうのはな、
コイツの鱗が只の魚のような価値しかないならまだしも、高価格で取引されるから黄金と同じだ。そういうものをやたら増やしたら、デフレどころか世界の物量バランスが崩れてしまいかねない。
物を作り出せるのはオレだけじゃないんだぞ。勝手な事はできん」
ああ、そういや初めて会った時、99番目の使徒とか言ってたな。ということは最低でもあと98人はヴァリアスみたいなのがいるのか。
ルールは確かに必要なんだろうなぁ。これもある意味、弱肉強食の生殺与奪権みたいなものなのか。
だが横を振り返るとドラゴンがさっきの恰好のまま、じっと俺のほうを見ている。さっきまで縦に細かった瞳孔が広がって、丸い猫の目のようになっている。
わぁっ、そういうすがる様な目で見ないでくれ。兎を思い出しちゃったよ。
なんとかしてやりたいけど……俺には何もできないよ。
「オレが大丈夫だって言ってんだろ。すぐに済むから、怖いなら目ぇつぶってろ」
ヴァリアスがドラゴンの方にゆっくり歩いていく。
“ キュゥ~~~イィ~~………… ”
デカい図体のどこからこんな声が出るのか。ドラゴンが子犬のような声で鳴いた。
可哀想なのは見たくないので、俺は横を向いた。
おっ?
あるモノが俺の目に入った。
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