第57話 貴族の正体
「そんな事は予定にございませんぞ! それにそんな時間もありませんっ」
傷男は叫ぶように言った。
「ヤダ! こんな機会、今逃したらもう一生無いかもしれないんだぞ!」
「しかし元々今日は、あの方と謁見される為にこの街に来たのですぞ、何よりそんな事危険です!」
「あの人だろ、待たしておけばいいさ。それにたまには我が儘言ったって良いだろ。
出来なかったら今日帰らないからな―!!」
アッシュは手足こそバタつかせなかったが、テーブルの端を掴んでその場を離れない仕草をした。
子供か。
傷男は途方に暮れたように、顔に手を当てて天井を仰いでいたが、やがて大きく息をついた。
「……分かりました。もう、そうなられたら何を言っても聞かれませんでしょうから……。
ただし、四半刻(約30分間)だけですぞ」
「やったっ! ジルいつも済まんな」
嬉々としているアッシュ様と反対に、溜息をついているジルと呼ばれた男は、後ろを振り返ると1人の男に指で合図した。
合図された男はすぐに席を立つと、急ぎ早に出て行った。
「ではどこでやる? ここでは出来ないだろ」
「ええ、良ければここのギルドの訓練場を借りましょう」
ジルが諦めたように言った。
そうしてまた別の男に指示すると、2人目の男も速足に食堂を出て行った。
「わかった。行くぞ、蒼也」
もう、朝から色々展開が早くてついてくのがやっとだな。
アッシュ様と俺達が立ち上がると同時に、食堂中の客―――もとい護衛が立ち上がった。
半数が素早く先に外に出ていく。
その後をアッシュ様がゆっくり歩くと、残りの護衛達が周りを囲んで移動する。
最後に俺達と大きめのフードを被った、修道僧のような、足元までの長い裾の濃い青い服を着た男だけが残った。
若い男はスッとヴァリアスの前に来ると、フードを脱ぎ水色の頭を見せて一礼をし、俺の前を静かに通り過ぎていった。
20人近くの護衛に囲まれて階段を下りていくアッシュ様を見ながら、俺達は少し後ろを付いて行く。
「珍しいな。こういうのにつき合うなんて」
「なに、お前の利益になるからだ。でなければやらん」
「そりゃお貴族様とお近づきになれると何かといいかもしれないけど」
「フッ、後で教えてやる」
1階に下り、いつもの買取カウンターの右横の通路を通ると中庭に出た。
中庭には先に所長と副所長が、後に出て行った護衛の男と待っていた。
他には誰もいなかった。
そういえば他の階にも人がいなかった。
すでに人払いしてあったのかもしれない。
「どうもお待ちしておりました。御館様」
所長達は深々と頭を下げた。
「いいよ。そういう堅苦しいのは、今日は無礼講だから。それより用意出来てるかい?」
「はい、こちらに」
副所長が手を上げると、男がガラガラと庭の端から、何か色々な長さの棒状のものが刺仕掛けてある、台車付きの木箱を押してきた。
木箱の上は大きな傘立てのような格子状になっていて、そこに剣やメイス、槍、棍棒などが立て掛けてあった。
よく見ると練習用のものらしく、メイス状の棒には殴打部分に布がグルグル巻いてあった。
解析すると剣や槍の刃も潰してあるようだ。
「さて、どれにしようかなっと」
ルンルン気分で武器を選ぶアッシュ様に、ジルがまた慌てて伝える。
「お待ちください、御館様。先にまず私が手合わせしてからにさせて下さい」
「なんだよ、私が頼んだのにズルいぞ、ジル」
「いきなり御館様にお相手させられません。まずは私めが確かめさせてからにします」
まぁそりゃそうだよな。家臣がまず毒身? するのが筋だよね。
アッシュはちょっと残念そうだったが、渋々納得した。
傷男のジルは、あらためてヴァリアスに向き直ると名乗った。
「私はジルベスト・ヤルヴァラと申します。御館様の護衛長をしております。
このような訳で、まず私めからお相手願えますか?」
「別に誰でも構わん」
「恐れ入ります。私も職務上、相手の力量を見抜く目は持っているつもりです。今まで色々な強者を見てきましたが、貴方は底が知れない。
こんなのは初めてだ。ですから御館様の前に私で力を調整してください」
そう言われてさっきからの違和感にやっと思い当たった。
いつも抑えているか、隠しているヴァリアスの力というか、オーラというか気のようなものが、ほんの少しだけ漏れているのだ。
以前感じた脅すような威嚇とは少し違う力の気配。
もしかしてわざと?
顔を上げるとヴァリアスと目が合った。
「やっと気が付いたか? コイツらの力量を試す為にわざと出してたんだ。
お前はオレに慣れ過ぎてるから、なかなかわからなかったようだが、アイツらはすぐに危機感を感じてたぞ」
それがいつにも増して護衛(かれら)に緊張感を与えていたらしい。
ヴァリアスはジル護衛長のほうに振り返ると
「安心しろ。コイツに教える時と同じくらい手加減してやる」
そういうと軽く両手首を振った。
ジルが自分の剣を鞘ごと抜いて、柄をこちらに向けようとしたが、ヴァリアスが別に必要ないと断った。
「では……大変失礼ですが、貴方の得物を見せて頂けないでしょうか?」
「いいぞ」
そういうとヴァリアスは腰から、サバイバルナイフのようなショートソードを抜くと、柄のほうをジルに向けた。
「我々を信用していただき有難う存じます」
ジルは両手で押し戴くように剣を受け取った。
そうか。得物を渡すって事は、相手を信用するって事の表現でもあるんだな。
もっともアレがなくても奴なら平気なんだろうが。
「これはなんだ? 見た事ない素材だ」
ジルはショートソードの黒い刃を、返し返し見ながら呻いた。
以前にも見たが、黒いせいか光に当たってもキラキラ光るというのではなく、なんだか底光りするある種の不気味さを持っていた。
ルーン文字のような模様の波紋は、刃を動かすたびに動いて形を変えていくように見える。
アッシュ様はもちろん、所長達も横に来て珍しそうに眺めに来た。
「言っとくが、うっかり指とか切るなよ。それで切ったら傷口がくっつかなくなるからな。
そうなったら傷周りをえぐり取らなくちゃならなくなるぞ」
呪いの品かよ! なんて物騒なもの持ってんだよ。
それを聞いた、刃を触っていたアッシュ様が慌てて手を引っ込めた。
所長達も一歩体を引いた。
奴に言わせると、別に呪われている品ではなく、ただそういう効果があるだけだと言っていたが、世間ではそういうのを呪いと言うんだよ。
「どうも貴重な品を見せて頂き、有難う存じます」
恐る恐るショートソードを返すジル。
「もちろん、今はこれは使わんぞ。お前らは何使ってもいいが」
「では私はこのロングソードにします」
ジルは練習用具の中から、一本の刃引きした剣を引き抜いた。
ヴァリアスは中から、バトンよりやや太いくらいの棍を取り出した。先は丸くなっている。
「いつでもいいぞ」
「ではお言葉に甘えて」
ジルは右肩に引き付けるような姿勢で、剣を平行に構えると切っ先を相手に向けた。
「
奴の方はというと、畳んだ傘を持つように、片手で棒を下に向けていた。
ジルが鋭く突っ込んだ。
と思ったら、もう剣が手から落ちていた。
ヴァリアスはやっぱり棒を下に向けている。
「蒼也、見てたか」
奴が俺に顔を向けた。
「見てたけど全然わからなかった」
俺は正直に答えた。
やられたジルも同じだったようで、自分の手と落ちている剣を見て啞然としている。
「なんだ、しょうがないな。もう少しゆっくりやるから、ちゃんと見てろよ」
ヴァリアスは左の掌を上に向けて、ジルに手招きした。
「もう一度来い」
ジルは落とした剣をゆっくりと拾い上げると、今度は剣の先を斜め45度上に向け、ヴァリアスにむかって真っ直ぐに日本刀を持った時の基本のような構えをした。
そして息を一つ吐いて止めた。
ジルが突くと見せかけて、鋭く下からすくい上げるように左に切った。
と、そこまでは見えたのだが、次の瞬間、ヴァリアスの動きが残像とダブったと思ったら、ジルの首の左側を切るように棒が止まっていた。
ジルはそのまま動けなかった。
「今度は見えたか?」
ヴァリアスが振り返って訊いてきた。
「……護衛長さんの動きしかわからなかった……」
「何、これでもか?」
ヴァリアスが意外だという顔をする。
どれだけの動体視力を求めてるんだよ。
中途半端なスピードは難しいんだ、とかボヤいていたが
「いいか、始めこう左側から来るだろう?」
ヴァリアスはジルが持ったままの剣の刃を左手で掴むと、自分の方に動かした。
「そうしたらこうして、相手の刃を絡めるように方向を逸らして、相手の右側に1歩踏み込んで相手の動きの邪魔する」
そう言ってジルの右足のすぐ後ろに、自分の足を踏み込んだ。
「同時に手首を返して、相手の首に刃を持ってくる。
あと刃を逸らしたと同時に左手で、相手の右手を逸らしてもいいぞ」
ヴァリアスはジルの首に棒を当てたまま、ジルの肘を軽く押した。
ジルは人形のようにやられるままだった。
「わかった。だからもう離してやってくれよ。練習台にしちゃ申し訳ない」
「いや、大変勉強になりました!」
ジルがハッと目が覚めたように言った。
「私もそこそこ出来る気でおりましたが、まだまだ未熟者だということを痛感いたしました。
もう充分です」
もう技の前に、人間技じゃないスピードのせいじゃないかと思ったりするのだが。
「なんだ、もうやらんのか」
「じゃあ次は私の番だね」
アッシュ様がワクワクしながら武器を選び出した。
「うーん、レイピアもいいけど、やっぱり私も一番扱い慣れてるロングソードかな」
一本剣を抜くと前にやってきた。
「同じようにやっていいのか?」
「もちろん、同じようにやって下さい。解説もお願いしますね」
目をキラキラさせているアッシュ様に比べて、周りは気の毒なほどに冷や冷やしているのがわかる。
1本目はやはりジルと同じように剣だけ弾かれた。
「凄いっ! 今のは?」
すかさずアッシュ様が訊く。
「これはな、真っ直ぐに突っ込んできているのだから、こうして横から刃を逸らしざま、鍔の部分に引っかけて―――蒼也、ちゃんと見てるか?」
「見てるよ」
いちいち諭すように俺に教える姿に、ちょっと恥ずかしくなってきた。
なんか親馬鹿みたいだ。
ジル、所長達や護衛の皆さんが、ハラハラするのを全く気にせず、アッシュ様はアハハと笑い声を上げたり、オーッと感嘆の声を出したりして、何本も打ち込んでいた。
そこへ一番初めに食堂から出て行った男がやってきて、ジルに耳打ちした。
「御館様、恐れ入りますが、もう時間いっぱいです。これ以上は伸ばせませんっ!」
ジルが焦るようにをかけてきた。
「ちぇっ、せっかく調子が出てきたのとこなのに」
アッシュ様は口を尖らせた。
「お願いします。もう本当にギリギリですから」
「もう、あの爺さん、しばらく昼寝でもしてくれればいいのに」
「御館様!」
「わかったよ。帰るよ、皆に迷惑かかっちゃうからな」
アッシュ様は剣をジルに渡すと、こちらを振り返った。
「今日は本当に楽しかったです! 有難うございました」
アッシュは綺麗に頭を下げた。
妙に周りがどよめいている。
俺も慌てて深く頭を下げた。
「外に馬車を待たせてます。お急ぎください」
ジルに急かされて心残りそうに振り返りながら、中庭から出ていくアッシュ様。
「ヴァリアスさん、ソーヤさんまた機会がありましたら、よろしくお願いしますね~」
護衛に囲まれながら、右手を上げて外に続く通路に消えていった。
また最後にあの青い服の若い男が残った。
俺達の前に来ると深々と頭を下げてきた。
またもや俺だけ頭を下げる。
「突然の申し出にお付き合い頂き、本当に有難うございました」
「お前も振り回されて大変だな」
男はニッコリすると、もう一礼して踵を返すと、皆と同じく通路に消えていった。
彼らの姿が見えなくなった途端、所長の2人が全身から力を抜いた。
「はぁ~っ 疲れた……急に今日来ると、朝連絡受けてビックリした……」と副長。
「私もヒヤヒヤしっぱなしで……心臓のバクバクが止まらないですよ」と所長。
「やっぱりとても偉い人だったんですか?」
俺は恐る恐る聞いてみた。
「「ええっ!」」
2人は同時に俺を見た。
「知らなかったんですか?」
ハンカチを握ったまま所長が目を真ん丸にして聞いてきた。
「……だってさっき会ったばかりだし、辺境貴族とは聞きましたけど……」
うすうすかなり偉い人らしいって感じてたけど……もしかしてここの領主様本人かな?
他人事のように話してたけど。
「確かに嘘は言ってないな。今は王都を離れて地方に引っ込んでるし。
それにアシュフィールドと名乗っていただろう。あれは幼名だ」
ヴァリアスが棍を野球バットみたいに、肩にポンポン当てながら引き継いだ。
「幼名?」
「本当の名前は『エフティシア上王エドアルド=イーシャ・アシュレイ・リヒト・ランコヴァー』
このエフティシア王国の前国王―――上王だ。20年前に孫に跡を継いで隠居したがな。
ちなみにベルカット姓は母方のだ」
「上王っ!? そんなっ、偉いどころじゃなかった !!
なんで教えてくれないんだよ? 俺、普通に話しちゃったじゃないか」
「初めから知ってたら、そんな自然体で喋れなかったろう。
アイツだってわざわざお忍びで来たんだから、それで良かったんだよ」
「確か今日、この街で枢機卿と面談する予定のはずだったのに……ギルドに寄ったおかげで遅れたとか言われないかな……」
トーマス所長は心配そうだ。
「エドアルド様は隠居したとはいえ、まだまだ現国王を陰で支える影の実力者だし、枢機卿の影響力だって計り知れない。
我々なんか簡単に、クビどころか絞首刑に出来るからなぁ――」
また片頭痛でもするのか、エッガー副長はこめかみを押さえる。
「大丈夫だろ。あれだけ満足してたんだから。悪くはしないはずだ」
皆のそれぞれの心配なんか気にせずに、ヴァリアスがさらりと言う。
「まぁこれで少しは、お前の印象も良くなっただろう。もしもこの国に住む事になった時の布石だ」
それで大人しく相手してたのか。
「それにアイツはな人間界ではなかなかの名君と言われてるんだぞ。
この国の人種差別撤廃を、200年近くかけて実現した功績もあるしな」
「えっ、200年って……ヒュームだよね !?」
「エドアルド様は今年272歳になられます」
トーマス所長が教えてくれた。
すると俺にだけ分かるように、日本語でヴァリアスが話してきた。
『さっきの上王付きの魔法使いな、水の女神アネシアス様のとこの天使なんだ。
朝、急にアイツが会いに来るから、対応して欲しいと連絡があったんだ』
『え……天使って事は、やっぱり守護とかの為に?』
『アイツも加護持ちなんだ。神に愛された者の1人なんだよ』
人払いが解けたせいなのか、中庭に人が少しづつ入って来た。
彼らはまた、そこかしこに置いてある練習用の武器を選んだり、思い思いの場所で剣闘や術の練習を始めた。
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