第203話☆ 強運と迷運の狭間


 短い横穴を通り抜け向こう側の通路に出ると、前方の壁に大きな黒っぽい金属板が埋め込まれているのが見えた。

 表面には呪文らしき文字が彫りこまれ、中央には掌型の窪みがある。


 ヨエルがその窪みに手を当てると、淡く青い光が文字の溝に流れ込んだ。

 ズ、ズリズリズリ……と、横に扉が移動していく。


「ん……」

 扉越しに中を窺ったヨエルが、ふと感心したように声を漏らした。

「お前たち、ここまで来れたのか」

 それを聞いて俺も中を覗いた。


 内部はおよそ15畳くらいの部屋になっていた。

 天井近くの壁には、茶色がかった橙色の光を放つ発光石がポツポツと埋め込まれていて、淡く部屋の中をセピア色に照らしている。 

 その中には3人の見覚えのある男女が座り込んでいた。

 ホールで兵士に殴られた若者とその仲間だった。


「おれはてっきり2層止まりかと思ってた」

 と、ヨエルが失礼なことを平気で言ったが、実は俺もそう思っていた。


 なにしろ彼らは、あの『アジーレ』のイベントに間に合わないとゴネていたのだ。

 ということは元々初級ダンジョンに入るぐらいの、それぐらいの腕前なのだろう。

 俺も他人ひとの事は言えないが、こんな深層なんかはとんでもない。

 それとも例の如く、イキがった勢いでやって来たのだろうか。


「好きで来たんじゃねえよ……。一気に落っこちて来たんだ……」

 深緑色のソフトモヒカン頭の若者がしかめっ面をした。

「なに?」


 彼らの話によると、1層のクールスポットにいたところ、突然辺りに黒い塔のような闇が出現して、人々を消していったのだという。

 彼らも気がついたら、ここの通路に跳ばされていた。

 それでたまたま見つけた、この転移スポットに避難して来たらしい。


「……1層でそんな『チェンジ』が起こるなんて聞いたことないが」

 ちょっと疑わし気にヨエルが眉をひそめた。

「だがあの兵士共も同じような事言ってたし、何かいつもと違うことが起こってるのは確かだな」


「じゃあ早く脱出しましょうよ。――あの、5人全員は無理ですか?」

 中央の床には扉と同じく黒っぽい金属で出来た、直径2.5メートルほどの魔法陣が埋め込まれていた。

 これなら一度に5人くらい十分入る。あとは動力としての魔力が足りるかだが。


 転移には知っての通り、重さと距離に比例するエネルギーがかかる。

 俺が自分の力で転移する時、ここまでなら跳べるというのは感覚でわかる。目の前の水溜まりをどのくらいの力で跳べばいいのか、なんとなくわかるのと一緒だ。


 魔法陣を使う場合も、強い魔力を持っている者なら上に乗り、移動先をイメージすることで把握することが可能だ。

 魔力の許容量が大きければ、それだけ多量のエネルギーも正確に感知することが出来るからだ。

 ちなみに一般的には、そうでない人の為に正確なエネルギー量を割り出す測量計を使うらしい。


「全員って、こいつらも連れてく気か?」

 ヨエルが呆れたように目を大きくする。

「だってこのまま置いていくわけにはいかないでしょう。それとも足り無さそうですか?」

「さあ、測らないと何とも言えないが……しかし、せっかくの魔石を見ず知らずの奴に使うのは――」

 

「あのさぁ、あんた達もこの転移魔法陣を使う気で来たのかい」

 兵士に歯を折られた方の若者が、声をかけてきた。

「だったら絶対止めときなよ。ヤバい事になってるから……」

 瞼を腫れぼったくさせた娘も、隣で膝を抱えながらコクコク頷く。


「ああ?」

 それを聞いてヨエルがサッと魔法陣の上に屈むと、手をついた。

 途端に顔つきが険しくなる。

「何だっ これはっ!?」

 俺も急いで手をつくと、魔力を流してみた。転移先の景色がスッと視えてくる。


 そこには絶望があった。

 さして広くない部屋に棺桶サイズの狭い檻が4つ、中央の魔法陣の上に並べられていた。

 それだけでも異様なのに、それを取り囲むように赤と黒、紫のまだらな霧がまるで巨大な蛇のように、その檻のまわりをグルグルと回っている。


 探知しなくても、猛毒のガスであることがわかった。

 そしてその毒の濃霧の外側、白い壁と床のあちこちに、蜘蛛の巣のようなワイヤーがチラチラ鈍く光って視えた。


 普通転移スポットに何も置くべきではない。

 飛行機の滑走路に障害物を置くようなことになるからだ。

 これは明らかに悪意でやっている。


「クソォッ! 絶対あの野郎兵士たちの仕業だなっ! ふざけたマネしやがってっ!!」

 ヨエルが思い切り魔法陣を踏みつけた。鉄の枠がガキィィーンと反響音をたてる。


「あたし達もさ、ここ見つけた時はラッキーって思ったの……。

 転移するほどの魔石もポーションも持ってないけど、助けを呼べる狼煙くらいは送れると思ったのに……」

 そう言って娘がまた小さく泣き出した。モヒカンの男が慰めるように、彼女の肩に手をまわす。


 確かに煙ならほぼ重さは無いに等しいから、距離があってもかかるエネルギーは少なくて済む。

 だが、こんな煙幕が張られていたら、いくら合図を送っても気付いてもらえるかどうか。

 いやそれよりも、助けに来てくれる気があるのかさえも疑わしい。


 希望の後の絶望ほど、耐えがたいものはない。

 ここを先に見つけた若者たちもそうだが、俺も脱力してその場に膝から折れてしまった。


 ヨエルもイライラを隠せず魔法陣の側を行ったり来たりしていたが、やがてポーチからまた煙草カンナビスを取り出した。

 それを2,3口吸いながら、額に片手をやって目を閉じた。

 一見なんとか気を落ち着けて、考えごとに集中しているように見えたが、実はこれから起こりうる未来を出来る限り感知しようとしていたのだった。


 元々突然降ってくるお告げのような予知を、意識して感知するのは、そぼ降る雨の中で残り香を探すように難しい。

 それでも意識を集中すると、ほんの微かに匂いがよぎるように分かる場合がある。

 その中で一番リスクの低い選択肢を探すのだ。


「……ここは伯爵あいつらの領土じゃない。3,4日もすれば罠が解除される可能性はあるな。

 そのうち旦那も合流してくるかもしれないし」

 やはりこの転移陣を使うのが一番安全な手のようだった。

 しかし俺の一言が彼の判断を鈍らせてしまった。


「え、こんなとこにまだ何日もいるんですか?

 それにあいつなら、待ってても逆に来ないですよ」

 ヴァリアスの奴は何かトラブル試練を解消しないと姿を見せない。俺たちが安全圏にジッとしていたらきっと現れないだろう。

 それにこんな閉塞的なとこに何日も居たくない。


「そうか……。まあ確かにここは結界になってるから、旦那も位置を知らなければ気がつかないかもしれないなあ」

 ヨエルが俺の言葉を違う解釈した。


「それにおれも出来ればここに長居したくないし……。

 やはり正攻法で上を目指すか」

 そう言って吸い殻を軽く弾くと、宙でパッと塵となって消えた。


「あんた達、上に行くのか? 俺達も一緒に行ってもいいか」

 歯をへし折られた若者が、期待を込めた顔で立ち上がってきた。

 俺はもちろん頷こうとした。

 が、ヨエルの鋭い返事がそれを塞いだ。


「駄目だっ! ついてくるなっ! 足手まといになる」

 拒絶された3人の顔が一瞬にして強ばった。


「なんでだよ!?

 いや、足手まといになんかなんねえよ。後ろをついてくだけだし、仲間は多い方がいいだろぉ?」

 戸惑いながらも、見栄を張るように強気で言って来る若者。


「仲間っていうのはな、同等か、ある程度使える奴の事を言うんだ。

 どうせここに逃げ込んで来たはいいが、亡霊や罠が怖くて動けないんだろ?

 お前たちなんかがついてきたら、それこそ騒いで余計なモノをおびき寄せるか、罠を発動させるに違いない。

 一緒に行くのはリスクが高過ぎる」


 酷い言われようだが、残念ながらそれが現実なのかもしれない。

 俺にも彼らの面倒を見る力はないし、何かとヨエルの負担になっている。

 本当にこんな時、無力なのはなんと歯がゆいことか。


 だが男は、まだ仲間の前で強がって口を開こうとした。

「言ってくれるけど、俺達だって――」


「もしついて来る気なら、今この場で殺すっ!

 その方が一番スッキリする」

 青い目が無慈悲な光を放った。右手がすっと腰の剣を掴む。

 さすがにその殺気に若者たちは一斉に身を竦めた。


「ヨエルさんっ!」

 俺は咄嗟に彼らの前に飛び出した。


退けよ、兄ちゃん。

 敵になるかもしれない相手に、下手に背中を見せるな。

 もしもあんたを人質に取ろうとしたら、その時は本当に殺るぞ」

 そう言って俺を横にどかすと、まだその場に辛うじて立っている若者の前に進み出た。


 男は急激に汗をかきながら、小刻みに震え始めていた。

 しかし目だけは真っ直ぐ相手を見ている。

 手は震えながらも、なんとか腰の得物を掴もうとしていた。


「その意気だけは買ってやる。

 しかしイキがるのも場合と相手を見極めろ。

 次は本当に死ぬぞ」

 彼も相手の目を見据えながら、しかし剣からゆっくり手を離した。


「お前たちはここにいるのが一番安全だ。

 ここには亡霊は入って来ないし、罠もない。それに水はあるだろ」


 それを聞いてあらためて見回すと、天井や四方の壁には発光石以外に、魔法式らしき呪文や記号が彫りこまれていた。

 これのおかげで、あの厭らしい亡霊どもが入って来れない安全圏となっているようだ。


 右手の壁奥には、ワイングラス型をした土台の小さな泉があり、水がチョロチョロと湧き出ている。

 反対側の凹んだ壁奥の陰に、U字型の台座とその下に穴が空いていた。

 簡易トイレだ。

 水場がある事で救助を待ちながら、外に出ずに最低限は凌げる造りになっていた。


「ここで大人しく待っていれば助かる可能性が高い。

 おれ達も上に戻ったら、ギルドにここに遭難者がいる事を伝えてやるよ」


「それは……嘘じゃない、よな?」

 まだ少し震えを残しながら、若者が必死に声を絞り出してきた。


「もちろん、約束しますよっ! いや、神に誓って絶対に!」

 俺も大きな声で請け負った。


 あっ そうだっ!

 カバンから紙包みを取り出すと、立っている若者に押し付けるように渡した。

「良かったらこれ食べて」


「え、これ、エッ? パン?!」

 昨日結構みんなで食べたのだが、まだ半分近くが残っていた。やはり買い過ぎていたようだ。


「こっちは甘いパンだから」

 もう1つのパン袋も出す。

 床に置こうかと思ったが、ふと女の子に手渡した。彼女とモヒカンも呆気にとられながら受け取った。

 横でヨエルがまた目を丸くしたが、何も言って来なかった。

 

 これは綺麗ごとなんかじゃなく、ただただ後ろめたいからだ。

 どう言い繕うと、こんな場所に置き去りにしていくのだ。

 せめて出来ることだけはしてやりたい。


「……美味しそう」

 袋の隙間から微かに洩れたパンの匂いに、彼女が泣き顔からやっと少し微笑んだ。

 隣のモヒカンの若者も、嬉しそうに白い歯を見せた。 

 その笑顔に俺の方が救われる思いだった。


 そうそう、こんな時は甘いものを食べると、気分も落ち着くものだ。

 パン買い過ぎてて良かった。

 


「あんなのやらなくても良かったのに。まあゴネなくなったが」

 再び通路に出て扉を閉めると、ヨエルが言ってきた。


「全部じゃないですよ。

 ヴァリアス用の摘まみは残してあるし。あいつそういうのは五月蠅いから」

 どのみちあげても、辛過ぎて食べれないかもしれないが。


 やっと落ち着いたのか、ちょっとツッパてた若者も、最後には素直に礼を言ってきた。

 そう柔和な顔つきになると、思ったより幼く見えた。

 おそらく17,8かもしれない。


 こちらでは15で成人だが、それでも死ぬには若すぎる。

 出来る限り早く救援を呼んでやらないと。


「さて、他人のことよりおれ達のことをまずは優先するぞ。とにかくここを無事に出るからな」

「ええ、そうですね」

「どうした? まだ4層なんだぞ。そんな緊張感が抜けた顔して」

 どうやら俺はニヤニヤしていたらしい。

 

 だって、そんな言い方してるけど、師匠が一番優しいですよ。

 彼らをここから下手に連れ出しても、全員が無事に出られるかわからない。

 それならここに残っていた方が、一番生き残れる可能性が高いのだ。

 

 けれどそれをそのまま伝えても、あの若者は素直に聞かなかったろう。

 逆にムチャをして出ていこうとしたかもしれない。

 だからあんな風に恫喝したのじゃないか。


 その事を伝えると、ヨエルはフッと笑った。

「兄ちゃんはホントお人好しだな。

 そんなんじゃ、確かに旦那が心配するのも無理ないな」

 そう軽く頭を横に振った。


「おれはそんな善人じゃないよ。

 本当は片付けたほうが楽だったが、あの中を汚したくなかっただけだ。

 あそこは死体を始末してくれるハンターも入って来ないからな。

 後始末が面倒くさい」


「そうなんですか」

「そうさ、それだけのことだ」


 それなら通路に出せば済むだけの事なのだが、もう言うのは止めた。

 そういう事にしておこう。


 再び歩き出しながら、俺は黒い扉をもう一度見た。

 あの部屋で、今頃彼らはパンを分け合っているだろうか。

 内部は探知出来ないのに、そんな情景が頭に浮かんだ。


「だけどあの青年たちって、なかなか強運の持ち主ですよね」

「ん?」

「だって、こんなとこに落ちてきたけど、しっかり安全地帯にたどり着いてるじゃないですか」


 彼らの話だと、この通路に出現したのだと言っていた。

 だからすぐにこの扉に気付くことが出来たのだ。

「まあそうだな」


「それにホールでも、で済んだのって、本当は不幸中の幸いなんでしょ?」

 あの場の空気からして、もしかすると無礼打ちで殺されていたのかもしれないのだ。

 あの傲慢な兵士の態度と階級意識からして、あり得ないことじゃない。


「そうだな。多分、警吏がいたせいかもしれないが」

 彼も頷いた。


「それに最後に楯突いたのが、ヨエルさんで良かった。

 他の人だったら殺されてたかもしれないし」

「それはないな。

 もし兄ちゃんがいなければ、おれも多分殺ってたぜ」

 肩越しに振り返る。


「だけど面倒臭かったんですよね?」

 それに対してまた前を向き直りながら、軽く肩をすくめてみせた。


 

 運命というものは、絶えず流れる川の水のように変ってゆく。


 右足か、左足から踏み出すかで、狙う銃弾が急所を逸れるように、ほんの些細なことで10分後の運命がガラリと変ってしまうこともある。

 

 ”たら・れば”を言ってもしょうがないのはわかっている。

 わかっているが、だけどつい考えてしまう。


 どうしてあの時俺は、あんな急き立てるような事を言ってしまったんだろう。


 あと1日、いやせめて半日、今日が終わるまで、あの部屋で大人しくしていたら、次に起こる出来事は避けられたかもしれなかったのに――――


 





  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 毎回思わせぶりですみません。

 でもやっと、『運命のターニングポイント』が描けるとこまで、あと1話となりました( ̄。 ̄;)フゥー長かった……。って、まだ終わってないから💦


 重い話が長く続くと、作者も疲弊する(-_-;)……。

 されど高く飛ぶ時には、膝を曲げないといけないのと一緒で、救いの前は思い切り低くならないといけないのです。


 夜明け前が一番暗い。

 その夜明けはどう来るのか。


 次回はとりあえず、ユーリ達とサーシャ達の動向となります。

 これがサーシャ達のターニングポイントにも繋がっていく予定です。


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