第204話☆ 救いと引き金
またもや1万字越えてしまいました( ̄▽ ̄;)
お時間のある時にどうぞ。
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この気のうねりは、以前どこかの戦場で感じたのと似ているな。
あれはいつの事だったけ。
警吏になってこの町に落ち着く前、あちこちの国を傭兵として渡り歩いていたユーリはふと考えた。
狂気と混乱、怯えと恐怖が消え失せ、ただ純粋に怒りと敵意だけの情念が漂う状況と化したのは、名を忘れた宗教戦争の時だったか、最後まで国境を守ろうとした砦での攻防戦の時だった気もする。
そんな事をのんびり考えていたところ、上から相方が渋い顔をして文句を言ってきた。
「おおい、何ぼんやりしてるんだよっ。
いきなりエライところに来ちまったてのによお」
そう、ユーリとギュンターは、1層から突然5層に飛ばされていた。
薄暗い通路からいきなり白っぽい光の中へ放り込まれて、しかも2人はその白灰色の世界を落下していた。
すぐさまギュンターが、桟橋のように壁から突き出たブロックに爪を引っかけ、相方の右足を掴んだのは俊敏な反射能力のなせる技だった。
それで現在、ユーリは空中に逆さにぶら下がりながら、ふと場違いな物思いにふけっていたのである。
「いや、なんかこの感じ久しぶりだなあと思っ――デッ!」
熊の獣人が腕力に物を言わせて、ユーリを足場に叩きつけるように投げ上げた。
「
「こんな時にふざけんなよっ。どうすんだよ、いきなり最下層じゃないか!」
ギュンターも、開いた両手を使って段上に飛び上がった。
「うん、まあそうだな。
あの残り香の感じで、あちこちで『チェンジ』が起こったのはわかってたが、もう少し前触れがあると思ってた。
まさかこんなに早く遭遇するとはなあ」
足場にしゃがみ込みながら、ユーリが遠くに目をやった。
何本もの巨大な柱がほどほどの間隔を開けて乱立し、凸凹な壁がさらに波打ちながらぼんやりと見えなくなるまで彼方に続いている。
遠くに浮遊し動く点は、おそらく亡霊だろう。
ギュンターが思い切り鼻に皺を寄せる。
「ここの空気も気も好きになれん」
「じゃ、どうする? もう
のんびりとした感じでユーリが訊ねた。
「まさか。さすがに入ったばかりで、出来るわけないだろ。
ただ、いつ来ても慣れないってことだよ」
獣人がさらにしかめっ面をした。
確かにギュンターは度胸も腕っぷしもある。
だが温厚な性格の彼には、この場の気がどうにも合わなかった。
辛いのが苦手な者が、辛子とジンジャーたっぷりのスープの匂いを嗅いでいるようなものなのだろう。
さっきからずっと顔をしかめている。
この時彼はまわりの罠や様子を、土の感触で探っていた。
冷たい。
永久凍土のように決して溶けない鋭い冷たさと、不愉快な湿気を含んでいる。
やっぱり馴染めん。
「あー、まったくお前と一緒だと、いつもトラブルに巻き込まれる……」
獣人が曇った空を見上げて唸った。
「まあまあ、来ちゃったもんはしょうがない。とにかく移動しようぜ」
ユーリがあまり深刻に考えない様子で、手をヒラヒラさせた。
ブツブツ文句を言う相方を尻目に、ユーリは壁伝いにブロックを跳び始めた。
それからしばらく2人は白い世界をウロウロと彷徨った。
風向きは時折変わるのだが、他の者の匂いやオーラの痕跡は一向に掴めなかった。
地上と違ってエナジーやオーラが吸収されてしまうダンジョンでは、残り香も無くなるのは早い。
しかも最深部ともなれば言わずもがなである。
今2人は柱と柱の間を斜めに横断する、階段状の長い渡り廊下を歩いていた。
柱や壁と違って、こちらのブロックは通常の階段のやや高めくらいの段差しかない。
だからスイスイと登れてしまうのだが、その渡り易い分、罠が仕込まれている面が多い。
もちろん彼らは、土と電気の感触でそれらを見分けながら避けていた。
しかし先程から、ギュンターの気を散らす音が纏わりついていた。
「おい、ボリボリバリバリッ煩いな! もう少し静かに食えよ。
やたらと響くんだよっ」
ちょっとイラつき気味に、隣の相方を振り返った。
「だって、腹減っちゃって……」
ユーリは先程からピスタチオに似た木の実を食べていた。
日持ちするので、携帯食として常備しているモノだ。
本来はその硬い殻を割って食べるのだが、ユエリアンの彼は殻ごとである。
彼らは牙がある無しに関わらず、顎の力は獣人並みだった。
「お前はしっかり昼食ってるけど、”バリゴリッ” こっちは昼抜きで出張ってるんだから ”バキンッ”」
「いつまでも寝てるお前が悪いんだろっ。せめて干し肉ぐらい常備してろよ」
そう言いながら辺りを見回したギュンターが、また眉をしかめる。
「それにしても、ここかなり奥じゃないのか?」
橋のちょうど真ん中で立ち止まると、あらためて辺りをうかがった。
先程落ちてきたところよりも、足元の深淵が更に深く濃い闇を漂わせている。
それに実際に鼻に感じるわけではないのだが、嫌なオゾン臭にも似た、焦げた血のような幻臭を感じる。これは触手で感知される第2の嗅覚によるものだ。
不快で悍ましく、そして恐ろしいモノが発する臭い……。
「そうかもなあ。まあ5層じゃどこも一緒だし」
「同じじゃねえだろっ。アレに遭う可能性が高いじゃねえかよ」
アレとは怨霊アーロンのことである。
その昔20人近くの魔導士や僧侶たちが、やっとのことでこの地に沈めたという、この地最大の悪霊。
そんなモノに出遭ったら速攻で尻尾を巻いて――ギュンターの尾は短くてほぼ無いに等しいが――逃げ出すつもりである。
しかしお気楽頭の相方は、違う事を考えていた。
「こんな奥だと、もしかしてアレがあるかな?」
「ある? 遭うじゃなくて?」
「ダンジョンの奥地と言えば、お宝だろう。魔宝石だよ」
相方がニーッと、牙になった前歯を見せた。
その能天気な考えに、獣人はまたゲンナリした。
この5層に何度か来ているとはいえ、毎回仕事がらみだったので、ついぞお宝を目にした事はなかった。ましてこんな奥地に来た事もない。
いや、仕事じゃなければ来たくなかった。
大体、あの兵士どもはここに本当に来たのか。
来たとしても、おれ達のように無事にどこかに引っかかったりせずに、遥か下まで落ちてしまったのだとしたら、もう探しようがない。
そんな事を考えていると、ユーリが木の実を口に入れかけて
「あ、出た」と言った。
「ナニッ!?」
慌てて相棒が見ている方向に、目を凝らす。
それは
かなり遠くにいるにもかかわらず、圧倒的な存在感を放つ動く小山。
このダンジョンが出来た頃と同時に存在したであろう、いにしえの巨人。
ゴーレムだ。
その石の巨人がゆっくりと、遥か先の歪んだ壁の間をよぎって行く。
「あいつは体が硬いから、背中には手が届かないんだよな。
足場を作って背中に乗っかれば、5層を楽に遊覧出来るかもしれないぜ」
元ダンジョンハンターのユーリがトンデモナイ事を呟く。
「手が回らないったって、そりゃ流石に危険だろ。あれはそこら辺の魔物とは比較にならねえぞ。
それにもう間に合わない。あんな遠くにいるし」
確かにその大きさゆえに見えてはいるが、直線距離にしておそらく300メートルは離れていると思われる。
通常なら走って間に合う距離だが、まわりはブロック状の壁と乱立する柱、底は果てしなくどこまであるかわからない。
とても罠まで回避しながら、壁や柱伝いに追いつけるとは思えなかった。
「ううん、追いかけるんじゃなくて、こっちに来てもらうんだよ」
ユーリが遥か先に目を細める。
「ギリなんとかイケそうだな」
そう言いながら左手を前に出すと、バリバリと雷で作った大きな弧を作り出した。
右にはこれまた同じく、電気で出来た1本の棒を手にする。
「おいおい、何するつもりだ? まさかあの巨人を挑発するつもりじゃないだろうな?
やめろよ、自殺行為だぞっ」
「平気だよ。前もやったことあんだ。
あいつは大人しいし、それにあの図体だから、ちょっとやそっとの刺激じゃ痛くも痒くもないんだ。
ただ、呆然と動き回ってるだけだから、何かに反応すると向きを変えて来るだけだよ。
呼ぶ方が楽だろ」
そう、いつも目的もなく歩き彷徨っているだけの巨人は、軽い刺激に対して悠然とその移動先を変えるだけだった。
いつもならば。
ロングボウの最大射程距離は約370メートルという記録がある。その時速およそ300キロ以上。
雷で作られた大弓に雷矢をつがえて引き絞る。
そのまま雷を放つよりも相乗効果で遠くに射ることが出来るのだ。
まさしく力の重ね掛けである。
放たれた矢はヒュンという鋭い音どころか、バリバリバリと、激しく空気を切り裂いた。
さながら真横に伸びる落雷だ。
その閃光はこちらに向けた横顔の、こめかみの辺りに見事当たった。
「よっしゃあ! 決まったぜ」
得意気に拳を握った。
飛ばすエネルギーに比べて、威力は小さくしてある。
ゴーレムもほんの少しピりッと来たくらいだろう。よくある静電気で痛いと感じる程ではない。
巨人がふと立ち止まると、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
無表情の虚ろな穴が3つ開いている。
「あとはこっちに来たら後ろに回り込ん――」
最後の言葉はゴーレムの発した咆哮でかき消えた。
凄まじい地滑りのような怒号が2人の耳をつんざく。
思わず耳を押さえながら見えたのは無表情から一変、穴の形を逆三角に吊り上げた、怒り顔の巨人がこちらにドカドカと向かってくる光景だった。
「この馬鹿ぁーっ!! ほんとに何してくれちゃってるんだよっ!」
ギュンターが慌てて柱に向かって飛ぶように走り出した。
「え、いや、だって――なぜあんなに怒る??!」
ユーリも当惑しながら、直ちに隠蔽の闇をかける。
2人は知らなかった。
この直前に蒼也たちが、この大人しい巨人の逆鱗に触れていた事を。
普段はのほほんと、何も考えていないような緩慢な動きしかしない岩山だが、
意思が無いようで、このダンジョンと繋がっているのだ。
体が危険に侵された時、防衛システムとしてしばらくは過敏になるのは当たり前だった。
「ったく、このトラブル野郎がっ! お前といるとロクな目に遭わんっ」
4つ足並に
「違う違うっ! きっと厄日なんだっ。クッソ! 本当になんて日だっ!」
蛇足だが、ユーリの気にしていた魔宝石もむろん取り出された後だ。
まったくツイてない。
そう言ってる間にも、ゴーレムはまわりの柱や壁を物とはせずに進んでくる。
というか、まるで水で出来たカーテンを通り抜けるみたいだ。
何しろまわりと同じ組織で出来ているのだ。
超スピードの同化を繰り返して、この異物――ユーリ達――目がけて一直線にやって来た。
あっという間に2人がいた渡り階段までやって来ると、そのタワーのような拳をブンブン振り回した。
まるで何かにあたり散らしているようにも見える。
そんな激しい様子を、少し離れた柱の陰からユーリ達は闇に隠れながら窺っていた。
石を変形させて橋を伸ばしていては間に合わないと、瞬時に判断したギュンターは、空中に一瞬だけ乗れる石版を次々に作り出した。
その上を走って近くの柱まで避難したのだった。
手前の柱の足場に飛び移り、続いて奥の柱に向かって再び宙に飛び石を形成して移動した。
そうしてなんとか難を逃れたのである。
見ていると巨人は、今度は彼らがいる柱とは逆の方向の壁に向かって、よじ登るように両手をバタつかせた。
彼らが来た方向の壁にまだオーラが残っていたためだ。
途中から隠蔽をかけたので、こちらの気配には気付いていない。
「いやあ~、参ったな……。一体どうしたってんだろ?」
ユーリが隠蔽こそ解かなかったが、ふぅっと体から力を抜いた。
「はぁ~……、穴を掘るよりしんどい……」
熊の獣人がその大柄な体を丸めるように座り込んだ。
全部を具現化させていると走るスピードに間に合わない為に、空中を踏む瞬間だけ足場になる表面を具現化させていた。
一時的な支えなので足が離れ次第、石は再び結晶がほぐれ、崩れて遥か奈落の底へ消えていく。
第三者から見れば、まるで走るそばから落ちていく橋を渡っているように映ったことだろう。
空気のようにもともと空中にあるものとは違って、地面から切り離した状態を維持するのは、蒼也がやった魔宝石を引き寄せたり、兵士が石のランスを投げつけてきたように、ただ投げ放つ操作とはわけが違う。
一時的にも人を乗せるなら安定させなくてならないし、乗せた荷重のインパクトも加わってくる。
これは短時間とはいえ、力と集中が必要な技だった。
「いや、その、……とにかくスマン」
まだ納得がいかなかったが、自分が起こした事に関しては頭を下げた。
ただし、無条件降伏の土下座をするのは妻にだけであるが。
「……ほんとにしょうがねえなあ、戻ったら赤ヒズメ牛のシャトーブリアンは絶対に奢って貰うからな」
思い返せば、見事に並び崩れる足場を渡る自分たちは、喜劇の一場面にしか見えなかった。
酷い目に遭いながらも、何故か妙な可笑しさがこみ上げてくるギュンターだった。
**************
スッと頬に冷気を感じた。
見ると先の壁際に、キノコのように人の後ろ頭と手が生えている。
先程の脱出スポットからしばらく通路をやって来て、やっと亡霊共が出なくなったと思い直した矢先だった。
もういい加減ウンザリなんだよ。
一体どれだけ嫌がらせしたいんだ。
もう怖いというよりも、鬱陶しい気持ちが強くなっていた。
とはいえ、今度の奴は後ろを向いていて、通路の端っこにいる。
通行を妨害しているわけじゃないし、逆に言えばここは彼らの縄張りなのだから、まあ仕方ないとも言えるか。
俺とヨエルは近づくにつれ、自然と反対側の方に寄った。こちら側に幸い罠はなかった。
すると気配を感じたのか、そいつがクルンとこちらに顔を向けた。
やっぱり来る気かっ ――んっ?!
その顔には覚えがあった。
「あ、お前、あの時のハゲか――」
ヨエルも思わず口にした。
そう、地面に首だけを置き、こちらを見上げて来たのは、あの変態野郎、レッカとアメリを追いまわしたスキンヘッドの姦賊だった。
それが何故か、首と手首だけになっている。
到底擁護する感情も湧かない相手なのだが……目の当たりにするとどうにも複雑な気分になる。
「首と手が切断されてるってことは……、もしかして『贄』にでもされたのか?」
ヨエルが立ち止まって、そいつに話しかけた。
アーロンの『贄』は定期的に行われているが、こんな
すでにその前に厄払いの意味も込めて、儀式を終えているはずだ。
しかも昨日まで自由にダンジョンをうろついていた男。
これは正式の『贄』として捧げられたわけではなさそうだ。
「もしかして誰かが、アーロンに贄を与えて、このダンジョンを動かしたのかもしれないな」
そう考えればこれまでの異変に説明がつく、とヨエルが言った。
それは半分当たって、半分違っていた。
何しろアジーレの災害の件を、俺たちはまだ知らなかったからだ。
今回の異変は、そのアジーレの災厄と偶然混ざりあった結果なのだが、どちらも人が招いた事には違いなかった。
『…… んで …… どうして こんな事に……』
スキンヘッドの口から戸惑いの言葉がこぼれてきた。
死んでも黄色いすきっ歯は変らない。
「おい、お前をこんな目に遭わせたのは誰だ? トラップにやられたんじゃないだろ」
困惑している死者を生者のヨエルが問い詰める。
また上目遣いに見上げると、
『 女だ…… 若い 綺麗な女…… それと男が 3人…… おりゃあ 騙された……』
俺たちは顔を見合わせた。
「そんな事をする奴は、今、あいつらしかいなさそうだな」
苦々し気にヨエルが吐き捨てるように言う。
「今度会ったらタダじゃおかねえ」
あいつらとは、お尋ね者の『サーシャ一味』の事だ。
あの3層の岩山の上で、悩ましい肢体を晒していた彼女は、ただ普通にダンジョン浴を楽しんでいたようにしか見えなかった。
そんな恐ろしい真似をするのだろうか。
俺はこの時、まだ半信半疑だった。
「お前もさっさと逝けよ。
こうなっちまった以上、こんなとこにいつまでいても良いこと何もないぞ。
そのうち人じゃなくなっちまう」
生首を見下ろしながらヨエルが言った。
『 お、おりゃあ…… もう少し 生きたかった…… 』
男が酷く残念そうに目を落とした。
よくは知らないが、アメリ達を襲った事といい、他にも余罪がありそうな奴。
決して善人とは言えないだろう。
レッカ達は追い廻され、一歩間違えば蹂躙されて殺されてたかもしれないのだ。
これも未遂に終わったが、パネラ達に追い剥ぎをかけているし。
俺もトラウマになりかけるほど、気持ち悪かった。
人は死んでも仏様にはならないのだ。ただの死人だ。
だがこうなってしまうと、どこかものの哀れを感じないでもない。
しかもこうも考えてしまうのだ。
こいつも生まれた時は、まさか悪人になってこんな末路を迎えるとは思ってもいなかっただろうに。
何しろオークやゴブリンで生まれてきたのではなかったのだから。
我ながら甘いな、俺……。
「俺も
俺はヨエルの横にしゃがみ込んで首に話しかけた。
もう数時間前の俺だったら、考えられないくらいの奇行だ。
「だけどあんたが心から反省してやり直す気があるなら、せめて最後に立ち会う者として祈るくらいはするよ」
フッと上でヨエルが笑ったのがわかった。
だってしょうがないじゃん。人の最後に立ち会ってるんですよ。
(本当は最後の後だが)
男の首と手がするすると俺の顔の高さまで浮いて来た。
真っ正面から目が合う。
ヨエルが殺気づいたので手を上げて止めた。
本来なら凄く怖い状況でつい逃げたくなったが、言ってしまった手前、ぐっと腹に力を入れた。
それに男の目からあの厭らしさが消え、一心に懇願しているのが見て取れたからだ。
この世界では人生の最後に祈ってもらうのが、最大の救いになるのだ。
『 ……ベールゥだあ ロロア村の……生まれ ベールゥだ 』
俺は両膝をつき、両腕を胸の前で交差させてやや前屈みに体を傾けた。
「我らが運命の神、スピィラルゥーラ様……私蒼也はここに祈り申し上げます」
祈り文句はもううろ覚えだが、要は気持ちだ。
「この男ベールゥに慈悲を与えてください。
罪を償う機会を与えて下さい。
願わくば、道を迷わぬように足元を照らし、お導き下さいますようお願いします」
すると男のまわりを白っぽい小さな光が浮き上がってきた。
それは2つ3つと増え、男の回りをグルグル回りだした。まわりながら光は増していき、やがて男を柔らかく包み込む。
そうしてそれが淡く消えていくと、男の首はもう無かった。
「ほお~、凄いな兄ちゃん。まるで徳のある司祭様みたいだ」
ヨエルが感心するように声を出した。
そう言われて当の本人の俺もビックリしてるのだが。
やはりここは特殊な場所なのだろうか。
後にヴァリアスが俺自身の祈りのせいだと言った。
仮にも神の血をひく奴が、ちゃんと祈ったのだから、まわりの天使が働いたのだと、仮にも使徒と呼ばれる奴が言った。
俺にはまだまだそんな自覚もないし、徳なんかあるはずないのだが。
「あの野郎には勿体ないくらいだよ。最後にあんな綺麗に逝けるなんて」
ヨエルが宙を見つめながら呟いた。
「俺が万一の場合は、兄ちゃんに弔って貰うとするか」
「止してくださいよっ! 縁起でもない」
本当にこんなとこで洒落にならん。
「ハハ、まあこう言ってる方が、そう簡単にくたばらないんだよ」
そう笑いながら俺の肩を叩いた。
いや、ホントに止めて、そういうの。
この時のやり取りが後になって意味を成してくると、さすがに予知でもわからなかったろう。
再び俺たちは出口を探して歩き出した。
**************
「あなたは本当はもっと可愛らしい顔をしているはずよ。そんな姿で出てきちゃダメよ」
サーシャが軽くたしなめるように言った。
………… だって 痛いんだもん …………ぃたい イタィ …………
「それはね、もう幻なの。終わったことなのよ。
もう誰もあなたを虐められないし、本当は痛みを感じることもないの。
今のあなたはね、もう自由なんだから」
ここは同じく4層の一角。
サーシャはアーロンの息子、ダリルと向かい合っていた。
それをやや遠巻きにしながら3人の男どもが立っている。
「そんな姿じゃ、お父さんもきっと悲しむわよ。もっと元気にならないと」
…… パパ? パパとママもいるの?
子供の顔に少し変化が現れた。
さっきまで痛みと怖さに泣いていた青い顔に、サッと赤みが差す。
「いるわよ。あなたを見捨てたわけじゃないわ。ママやパパは今もあなたを探してるもの」
そう言いながら子供の頭を優しく撫でた。
伝説の神子、そして一度死の横顔を見て来た者には、死の冷たさぐらいでは生気を吸われたりしなかった。
「2人ともあなたにとても会いたがってるわよ。
パパはあなたを抱きしめたいって」
それを聞いてまた子供が泣きじゃくり始めた。
しかし今度は今までのズタズタで血まみれの姿ではない。
確かに悲痛な姿ではあるが、迷子になり心細さに泣く普通の子供のように、切れていない服を着て、裸足ではなく小さな革靴を履いた姿に変化していた。
処刑直後の悲惨な姿と、そうでなかった頃の姿が交互に現れる。
昔を思い浮かべているのだ。
「そうそう、それでいいわ、坊や。でも泣いてちゃダメよ。
そんなんじゃ呪いが解けなくて、パパとママに会えないわよ」
『……あいたい。パァパとマァマにあいたいよぉ……』
今度こそ耳で聞こえる声となった。
これまでのように思念で伝えて来るのではなく、声を出す事を思い出したのだ。
えずきながら上げた顔には、大きな緑色の瞳が開いていた。
流れる涙はふっくらとした頬を伝っていく。
「会えるわよ。それにはまずその泣きベソを消さないとね。
怖いことは忘れて。もうないから。
これからは楽しい事だけを考えればいいのよ。
ここにいてはダメよ」
サーシャは男の子の冷たい頬を撫でながら、優しく微笑んだ。
「……どこに行くの?
怖いとこ……? 地獄はヤダぁよぉ……」
また泣き声を上げそうになった。
「地獄なんか行かないわよ。ここがあなたの地獄だもの」
サーシャがぴしゃりと言った。
「こんなとこにいちゃいけないわ。
パパとママと一緒に出るのよ」
子供の目がパチパチと瞬いた。
泣き止んだ喉から生きている時のように、ヒクっとしゃっくりが出た。
「やはり子供は純粋だな。
お嬢の言葉を素直に聞いている。これなら解呪も早く済むことだろう」
ロイエが頷きながら言う。
「こんな説得で呪いが解けるなら、なんで他の奴らは今まで出来なかったんだろうな?
毎年、僧侶たちだって贄を捧げるだけじゃなく、霊共の救済もしてるんだろ」
フューリィがポリポリと頭を掻きながら首を傾げる。
「あいつらがそんな七面倒臭い真似なんかするもんか」
太い腕を組みながらメラッドが、フンッと鼻を鳴らした。
「追い払うことしか頭にない偽善者たちに、何が救えるってんだよ」
「あんたは貴族や司教(司祭の上)にはいつも辛口だよなあ」
小男が隣の大男を見上げながら、少しからかうように言う。
「権力と寄付しか頭にない奴を、聖職者なんて呼ばねえだろ。
本当の聖職者は、小さな村の神父様と姐さんだけだ」
メラッドの中では、幼い彼をかくまい育ててくれた貧しい村の老神父(司祭)とサーシャは同格なのである。
2人とも彼を救い上げてくれたのだから。
「そうだ。心ある者ならば、その心をほぐしてこそ解呪(浄化)されるのだ。
力づくで祓うのでは、暴力で無理やり言う事を聞かせると同じだ」
老いた騎士が賛同した。
「それにお嬢が先に、家族の現状をアーロンに伝えた事も大きいぞ。
でなければ家族会いたさの一心が、呪いとなって妻と子をここに縛りつけているとは、流石に
その自分の言葉にまたロイエは遠く思いを馳せた。
まったく愛するが故に、愛する者を不幸にするとはなんと愚かしくも哀しいことか。
だが、自ら妻子を贄にしてしまった愚盲な自分は、比べ物にならないほどの罪を犯したのだ。
そっと目を伏せた。
「しかしガキの方は良さそうだけど、女のほうは難しそうだね。ありゃあ時間かかりそうだ」
首を上げ続けているのも疲れると言わんばかりに、フューリィが首の後ろを擦った。
確かに子供はもうほとんど、その姿を取り戻しつつあるのに、いまだに母親イザベラのほうは、頭上でやはりオロオロと逆さまに彷徨っていた。
大人ゆえにこちらは警戒心が強い。
その疑念がまた自分を縛るのだという事も分からずに。
「ん……、誰か来るな」
聴覚が鋭いフューリィが顔を通路の奥に向けた。
まだだいぶ離れているが、確実にこちらに歩いてくる音がする。
これは2人か。
「おい、どこへ行く気だ?」
メラッドが持ち場を離れようとする仲間に注意した。
「姐さんの仕事がまだ終わっちゃいねえんだぞ」
「だからだよ」
体をこちらに向けながら小男は、器用に後ろ向きに歩いた。体から洩れる闇でまわりを探知している。
「姐御の大事なおつとめの邪魔はさせねえ。ちょいと様子を見てくる」
「しかし1人で大丈夫か?」
我に返ったロイエが少し心配気味に声をかけた。
こんな深層には、ただの薬草採りの農夫なぞ来ないだろう。
「平気だって。おいらがすばしっこいのは承知だろう。
それにこのフューリィ様は優秀な偵察兵だからなあ」
軽く小さな胸を張る。
そう、おいらは姐御の身辺を守る兵隊だ。
おいらの耳は姐御の危険を真っ先に聞き取り、おいらの鼻は姐御の敵を嗅ぎ分けるためにあるんだ。
こんなヒュームでもリトルハンズでもない呪われた体を、馬鹿にせずに他にはない素敵なものと言ってくれた、人の誇りを与えてくれた女神をこれからも守り支えていくんだ。
フューリィはまだ相手から距離があるにもかかわらず、完全に隠蔽をかけた。もう匂いも微かな衣擦れの音も断ち消えた。
これで相手にはわからないはず。
何しろケルベロスの鼻先を通っても、まったく気付かれずにやり過ごすことが出来たくらいなのだ。
それだけフューリィは自分の隠蔽能力に自信を持っていた。
しかし彼は少し自信過剰なところがあった。そして使命感が強すぎた。
何しろ相手は、ただの薬草採りなどではなかったからである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ユーリに振り回され過ぎて、ギュンターが壊れて来てる気がする。
まあ彼らも良いコンビなんですけどね。
イメージとしては、ルパン3世と次元のノリです(笑)
ホントにいつか息抜きに『バレンティア第13分署』の1日でも閑話で描きたいものです(´Д`)あ~、早く日常パートに戻りたいっ。
けど、今はこのダンジョン浄化に全力を注ぐつもりであります。ビシッ!
しかしロイエの云った『力にものを言わせたお祓い』、
ヴァリアスがやって――ゲホゲホッ……💧
さて、気を取り直して、やっとベールゥが退場しました。
こんな最後を迎えるとは、作者もわからなかった(^_^;)
もしかすると、オークやゴブリンに生まれ変わってしまうかもしれませんが、彼らにもちゃんと救済の道があります。
それはまたずっと先に出す予定です。
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