第81話 成りあがり領主と妖奇な護衛
樹々を揺らすように突風が吹いた。
ざわざわと葉や枝が揺れる音の中、何か甲高い声のような音が混じって聞こえた。
ヴァリアスが何もない空間に軽く、手をひらひらさせながら小さく溜息をついた。
「どうしたんだ?」
「……天使どもだよ。アイツらとの間にいたんだ。自分達に言われたと思ったんだとさ」
辺りを探知しても何もわからない。
横の馬達は相変わらず、我関せずと俺達に全く注意を向けてないし、役場と宿の間から見える広場には、酒場に入っていく人や、家路に急いでいく人達がポツポツと通り過ぎていくだけだ。
目には見えないが、天使はあちこちにいるらしい。
同じく神界の者だからあのフランケンさん同様に、直に反応したらしい。
「面倒くさいヤツらだよ。状況見りゃわかるだろ、いちいち泣くなってんだ」
泣いたのか。
まあそりゃあ、怖い上司にいきなり侮蔑言葉を掛けられたら、ビビッて半泣きぐらいにはなるわな。
「全く……天使のヤツら
「それは……止めた方がいいと思うぞ」
「う~ん、確かに数が多すぎるか。まっ、オレのファミリーじゃないからいいか」
いや、そういう意味で言った訳じゃないんだが……。
「しかし、天使はこうだが、アイツ……使徒か」
ヴァリアスは彼らが入っていった『パープルパンサー亭』の方を見た。
「ところで抜けたって言ってたけど、その、神様グループから出ていったって事か?」
「ああ、そのままの意味だ」
「それって簡単に抜けられるものなのか? なんかこう、腕の一本とか、翼があったらもぎ取られるとかないのか?」
「どこの無頼集団だよっ! そんな落とし前ないわっ。
刃向かって来たら叩きのめすまでだが、ウチは去る者追わずだ。滅多にそんなヤツもいないしな。
まあだからオレは99番だが、前後に永久欠番はある。消滅したヤツもいるからな」
ああ、地球の場合は反逆したから堕とされたんだっけ。
もしもこいつが抜けるって言ったら、野放しに出来ないからGPSぐらい付けとかないとな。
ポルクルに断って役場のシャワーを借りた。
客室を借りるというは、やはりあの男爵達らしい。
あの簡易宿に泊めるのはさすがに無理だが、それほど離れてないのだから、隣町の宿に泊まればいいのにと思ったのだが
「それがいつ他の方が来るやも知れないので、この村にいるとおっしゃられまして……」
いつライバルが来るかもしれないから安心出来ないんだな。
結構男爵様、小心者だな。
とても『禿山の一夜』の中を走ってきた人には思えないんだが、取引に関する事には神経質な人なのかな。
「オレはまた(神界へ)行ってくるからお前、先に食事に行ってろ」
さて食事に行こうと思ったら、ヴァリアスがそう言ってきた。
「なに、大丈夫だ。アイツはお前に危害を加えるつもりはないようだ。
念のため結界は張っとくが」
そう言って俺の頭に手を置くと、何かまた口笛のような音を出した。
「お前に何かしたら撥ねつけるようにした」
奴と別れて俺は1人、広場を挟んで向かいの居酒屋へ向かった。
『パープルパンサー亭』はすでにかなりの賑わいだった。
俺が入っていくと、奥のいつものテーブルに座っていた村長が手を上げて呼んだ。
「来たな。まぁこっちに座ってくれ」
男爵の真向かいに座っていた村長が左にずれて、横を示した。
向かい側には、男爵を真ん中に、向かって左にフー、右にフランケンさんが座っている。必然的に俺は男爵の真向かいに座る事になった。
エールのジョッキを持つ右手にはあの指輪はついていない。さすがに入る前に外したらしい。
それでも場違いな姿は否めないが。
「旦那はどうした?」
「それが何か用があるとかで、後から来ると思います」
村長に訊かれて俺はそう答えた。
「ほっほぉー、あの怖い旦那は来ないのか。そりゃまた残念」
またフーがヘラヘラしながら軽口を叩く。
フランケンさんは、窪んだ目を微かに伏せただけで何も言わなかった。
「あら、いらっしゃぁい」
すかさずダリアが地元エールを持ってくる。
今日のダリアは、体にぴったりフィットした黒いミニのワンピースを着ている。
背中は大胆に開いていて、肩甲骨が動くたびに、赤紫のベルベットのような毛並みが艶を変えて見える。
「あのダリアさん、良かったらこれを」
俺はバッグからダリアの毛並みに近いかなと思った、赤みの強い牡丹色のタオルを出した。
「あら、すごい柔らかいのね。わたしにくれるの? わぁ ありがとっ!」
ダリアが俺に抱きついてきた時、何かの花のような甘い匂いがした。
「あ、あ、あのダリア、そのこん……」
バチン! と音が鳴った。
「キャッ!」
ダリアが俺から慌てて離れる。
何か一瞬火花のようなモノが見えた。
「イタ~い……すごい静電気ね。ごめんなさい、痛くなかった? 冬でもないのにこんなに強いのは初めてだわ」
と、ダリアが腕をさすりながら離れて行った。
俺は全然感じなかったが……。
あっ アレかっ !!
くそぉっ 馬鹿ヴァリーッ! 雑な結界張りやがってぇっ !!
これじゃ呪いと一緒じゃねえかよっ!
「あらためて紹介させてもらおう。こちらがイーネル・ワイゼン男爵、ここから北にあるシゴール町の領主をしておられる」
村長が俺に紹介してきた。
「で、わっちがフージーン、フーって呼んでくれていいよ。そっちの相棒がネーモー、モーさんだ」
ブッチャー・フーが勝手に自己紹介した。
紹介されたフランケン・ネーモーは軽く頭を下げる。
テンションだだ下がりの俺も、項垂れるように頭を下げた。
「わっちはね、シゴールがまだ村だったころの出身なのさ。北方の割には火山のおかげで温かい土地なんだぜ。温泉も湧いてるしね」
ふーん、温泉はいいね。
だけど今の俺は、この呪いを解いて欲しい件で頭がいっぱいだ。
あいつ早く帰って来ねぇかな。
「なあ、あの男爵、ワイゼンって言ってたよな。あの成り上がり男爵か?」
ぽそっと別のテーブルでひそひそ話が始まる。
「あれだろ、金に物言わせて爵位を買い取ったっていう」
「元はただの地主だって言うじゃないか。そんな金が手に入ると、次は権力が欲しくなるのかねぇ」
おいおい、酒のせいでだんだん声が大きくなってるよ。
普通に聞こえちまってるぞ。
さすがに聞こえた村長が立ち上がりかけた時、男爵が手で制すると
「文句があるなら成り上がってから言いに来い。それからなら話ぐらい聞いてやる」
男爵がクルッと斜め後ろのテーブルに向かって言うと、3人のヒュームと獣人が首をすくめた。
それを見てフーはまたニコニコしながら、口一杯にゴブリンステーキを頬張っている。
ネーモーは何も聞いてないように、静かに酒を飲んでいるように見えた。
「申し訳ない、男爵。みんな悪気はないんだが、酒が入るとどうもいかん」
座り直した村長が頭を下げた。
「フン、これしきの事気にせんよ。都市部の連中の嫌味に比べたら、そよ風のようなものだ」
ジョッキをグイっとあおった。
「見下す奴以外にやっかむ奴らも多いからな。
我が町は有数の
と、俺のほうを睨むように見た。
すでに少し酔いかけているようで、顔がうっすら赤くなっている。
何? 確かに俺はギーレンにしばらく居たけど、そこの回し者じゃないからね。
なんだか男爵様、ギーレンというか、都市をライバル視してる?
「『まがいたん』というのは何です?」
奴がいないから訊いてみた。
「知らないのか? いったいどこの国から来たのだ、本当に」
男爵がまた不審がる。
「さっきお教えした通り、彼の国はもうないのですよ。今は同族村だけだそうですから」
村長が説明する。
「もしかして呼び方が違うのではないのですか?」
落ち着いた、あまり抑揚のない声でフランケン・ネーモーが口を開いた。
「失礼ですが石炭はご存知で?」
「ええ、石炭はわかります。化石燃料ですよね?」
静かに頷くネーモー。
「魔骸炭というのは、魔物の死骸が石炭になった『魔』石炭を蒸し焼きにして、魔力を含んだ骸炭にしたモノを言います」
骸炭――コークスか。
「ああ、わかりました。うちではコークスって言ってます。魔力のあるのはないですが」
「ああん? 魔骸炭を使わずにどうやってミスリル銀やアダマントの加工をするというのだ??」
どうやらこちらでは、石炭の中でも魔力を含む魔石炭から出来たその魔骸炭は、かなりの高火力で火魔力を帯び、ミスリル銀やアダマントなどの特異な金属加工に欠かせない燃料となるそうだ。
「だけどコークス――骸炭って、自然に出来るんですか?」
確かコークスは石炭を加工して作るもので、自然界にはないはずだが、ここは異世界だしなあ。
「何も知らんのだな、君は。まあ発掘出来る場所は限られるから、知らない者もおるか」
男爵の話によると、こちらでは火山などの近くで、石炭が自然に蒸し焼きにされて、
それがたまたま魔石炭だと魔骸炭になる。
「そうそう、昔はね、火山灰とかのせいで土地が痩せてて、作物が育ちづらかったのさ。
僻地だの不毛だのって、散々馬鹿にされてたんだっせ。
だけど魔骸炭が出るってわかって、周りの連中が急に押し寄せて来てね。
面白いもんだよね」
そうニコニコとフーは良く喋る男だった。
「可笑しいばかりじゃないのだぞ、フージーン。まわりの奴らウチの土地欲しさに、何をするか分からんからな。
だからお前達を雇ってるのを忘れんでくれよ」
バッハならぬワイゼン男爵は、またしかめっ面しながら言った。
「ハイハイ、心得ておりまっせ」
全然緊張感のない太った男は、エールを一気に飲み干すと
「お姉さーん、エール追加ぁ」
結局閉店になっても奴は戻ってこなかった。
男爵は酒のせいか、元からなのか、饒舌に自分の町自慢を喋った。
平民から成りあがったという事を別に恥じていないので、隠さないということ。
元々は鉱山もふくむ広い土地の大地主―――領主とは別に、平民が領主から土地を譲渡された平民地主というのがいるらしい。
もちろん領主への税は払わねばならないが、土地の権利・責任は基本、地主が持つそうだ。
ただし、有事などの場合、土地を返上しなくてはいけない場合もあるらしい。
だから譲り受けたと言っても、権利を借りている借地に近い感覚だ。
元の領主は男爵の話をよると、すでに棺桶に片足を突っ込んだ老人で、後継ぎどころか身寄りもなく、小さな屋敷に3人の召使と1人のコックの5人で細々と暮らしているという、辺境極貧貴族だったらしい。
温泉があるとはいえ、見栄えのする観光場所もなく、痩せた土地から取れる作物は限られていて、主な収入源は鉱山から採れる石炭と、痩せた土地でも育つ麻栽培だけだった。
ある日、炭鉱夫がちょっと変わった天然骸炭が出たと地主の元へ持ってきた。
解析してみるとそれは魔骸炭だった。
鉱夫達は魔骸炭の存在は知ってはいたが、実物を見た事はない地元民だった。
すぐさま炭鉱に自ら出向いた地主は、そこが魔骸炭の宝庫なのを解析で知る。
おそらく昔の魔物の墓場だったのかもしれない。
それから地主の動きは早かった。
事態をよくわかっていない鉱夫達に硬く口止めをして、すぐに領主の元に行くと、爵位と全権利を譲ってもらえるよう交渉した。
余生を賑やかな都会で演劇を見たり、社交場に行ったりして楽しく過ごしたいと、秘かに願っていた老領主は、地主の提示した金額と毎月の生活費の支給を条件に譲渡を承諾した。
もちろん本人達だけでなく、国王や周辺領主などの了解も得なくてはならないが、そこは何もない辺境の小さな村。
ただの地主がちっぽけな権力でも欲しくなったのだろうと、
弱小とはいえ貴族が爵位を売る事は、あまり快くは思われないが、極貧貴族を救うための最後の救済処置として、暗黙の了解があるようだ。
それはあるかないかの小さな権力だからこそ、見逃されている面もある。
権利を買うためと四方八方に挨拶やら根回しやらで、財産のほとんどを費やした新男爵だったが、ひと通り落ち着くと、魔骸炭の発掘に一気に力を入れた。
驚いたのは周辺地域や貴族達だったが後の祭り。
すでに魔骸炭の権利は国王を除いて、完全に男爵の物になっていた。
かくして魔骸炭の採掘で鰻上りどころか、ドラゴン上りの勢いで村は豊かになり、周りの土地も買収に成功して貧しい
そのやり手のワイゼン男爵は今や、俺の前でテーブルに両手をついて頭を垂れている。まわりにはジョッキの他に、木製のショットカップが散らばっている。
俺の右隣りにドワーフのビンデルが座って、残りの強い酒をあおっていた。
護衛のはずのフーは、いつの間にか別テーブルにジョッキごと出かけてしまい、そちらで勝手に盛り上がっている。
しかし貴族になったとはいえ、こんな居酒屋で酔っぱらうなんて、やっぱり元平民。お里が知れちゃうということか。
そんな風に酔い潰れている男爵を見ながら、チビチビとエールを飲んでいると、ネーモーと目があった。
「こんな様子はやはり貴族らしくありませんかね」
「いえ、そんな……」
急に問われて図星だった俺は少し慌てた。
「でもね、貴族であろうと地主であろうと、部下と一緒の卓で酒を飲む上司というのは、なかなかいないものですよ」
そう言って隣で突っ伏しながら、何かブツブツ言っているバッハのような頭を、どこか子供を見守るような眼差しで見た。
「あらあら、大変。酔い覚ましの毒消し持ってきましょうか?」
カップを片付けにきたダリアが村長に声をかけた。
「ワシなら要らんぞぉ~。そんなモノには頼らんぞぅ……」
男爵は威厳もなくテーブルに顔を横に突っ伏した。
でもその視線は、カップを片付けているダリアの赤紫の尻尾に注がれている。
だらんとテーブルの下に垂れていた、男爵の右手がおもむろに上がってきたので、俺は慌てて立ち上がりかけた。
そっと横から長い腕が男爵の手を抑えた。
「ワイゼン様、そろそろ御休み下さい。明日に差し支えますよ」
静かな声が男爵に囁いた。
男爵を肩に抱えたフーとその隣にネーモー、後ろに村長と俺の順でぞろぞろと『パープルパンサー亭』を後にした。
「お客さ~ん、もう終刻鳴っちゃったからぁ、ベネッタのやつが戸を閉めちまってまさぁ。すんませんが裏口から入ってくだせぇ~」
俺達の前を先に出て行った宿屋の親父ウィッキーが、よろめきながら歩いていった。
飲んだくれてないで仕事しろよ。
俺もそのまま役場の前で別れようとしたが、みんなと一緒に足を止めた。
広場中央に1つだけ立っている街灯の光が、辺りをぼんやり照らしている。
役場の灯りのないひさしの下、銀色の光が2つ浮かんでいた。
「怖っ!」
何故か楽しそうなフー。
「蒼也、遅くなったな。迎えにきたぞ」
「おせえんだよっ。この呪いを早く取れよっ! ダリアを
「あ……!」
奴が急に後ろを向く。
てめえっ笑いごとじゃねぇぞっ !!
「ほっほっふぉっー」
フーも結界を分かっていたようで、一緒になって笑っている。
ネーモーは無表情だが、村長だけ事情がわからず「?」を飛ばしていた。
「いや、スマン、スマン、うっかりしてた。あの女の事忘れてたよ」
そう言って俺の頭をポンポン軽く叩いた。
なんか子供扱いでムカつく。
「それとそこのノッポ、ちょっとつき合ってくれるか」
ヴァリアスがネーモーにそう言った途端、フーのニコニコ顔が一気に変わった。
あたりに緊張した空気がキンと張りつめる。
役場の鍵を開けるため、後ろを向いていた村長さえ、ビクッと振り返ったぐらいだ。
男爵だけは泥酔していて夢の中だったが。
「大丈夫だよ、フー。この人はちょっとワタシと同郷の人のようなんだ。
ちょっと話してくるから先に部屋に戻っててくれ」
ネーモーが落ち着いた声でそう言うと、あたりはまた静かになった。
「そうなんだぁ。うん、じゃあ男爵はわっちが見てるよ。ごゆっくり、モーさん」
またニコニコ顔に戻ったフーは、男爵を担いで役場の中に入っていった。
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