第80話 隠れたSSと離脱の神使
「これから男爵たちは、鉱石工房や村の農業などを見学されるようです」
ポットからお茶を注ぎながらポルクルが説明してくれた。
あの金持ちはイーネル・ワイゼン男爵という田舎貴族らしい。
ツィゴイネルワイゼン? バッハじゃなくてサラサーテだったのか。
「昨日例の鱗とマンティスの素材が入荷した事を、ギルド本部に連絡したです。
そうしたら男爵がどこからか情報を入手したらしく、今朝突然やって来られましてね。
すぐ売れって大変だったんですよ」
入手した素材は普通、馴染みの業者に卸すところだが、物がモノだけにギルドを通じて売却することにしたらしい。
特にドラゴンの素材関係のような希少価値のある物は、勝手に横流しするのではなく、本部に売買を連絡しなくてはいけないのだ。
どうやらオークション形式で売りに出される事になったらしい。
「村には物資がないだろうから、隣の町で補給してきたと言われました。ポーションくらいはあるんですけどね」
ポルクルが苦笑しながらお茶を飲む。
「他に競りに参加する方達が明日来る予定と、こういう希少品は抜け駆けで売買する事は、禁じられている事を納得してもらうのに、マスターもずい分苦労してたみたいですよ」
ああそういや、言い争う声がしてたもんな。
あのバッハ、いやワイゼン男爵、先着順で売れってゴネてたのか。
「それにしても昨日の今日で早かったですね。近くに住んでるんですか?」
「早馬の馬車で、夜っぴて走って来たそうです。無茶しますよね。この魔素が荒れている時期に、あの黒い森の側を通ってきたんですよ」
「あの護衛がいるから出来たんだろ。普通はやらないだろうがな」
魔物が出る、百鬼夜行のような外を夜通し走るなんて、あの護衛達どんだけ強いんだ。
「そういやアイツら、途中で応接室から出たりしたか?」
「えっ? 僕はずっといたわけではないので分かりませんが、少しは
お茶を入れ直しに行った時に、護衛の方にトイレを聞かれましたから」
「ちょっとぉ、ポーさん、お湯が無くなっちゃったの。ついでにお茶の葉も替えてもらえる?」
オバちゃんに呼ばれてポルクルが、ポットを持ってカウンターに引っ込んでいくと、声をひそめて奴が言ってきた。
「さっきの見立ては撤回だ。アイツら上手く隠してやがった。
あの時それほど気にしなかったから、軽くしか視てなかったがSじゃなくて、SSランク級だ」
「えっ、そこまで凄いのか、あの2人?」
「ああ、それにあの長身の方、アイツはそれ以上だな」
「ちょっと待てよ、そんなランクの奴ってあんたもそうだけど、伝説級なんだろ? なんであの男爵、2人も雇えるんだ? そんなに金を持ってるって事か?」
「わからん。ただ力を持っていても隠すヤツもいるからな。Aランクぐらいで通してるのかもしれん」
「そんな各地で欲しがられてるのに、それって力の持ち腐れじゃ……」
とはいえ、本人にその気がなくちゃ駄目か。
「――― アイツ、あれで恩を売ったつもりか」
最後は誰に言うとはなしにポツリと言った。
とりあえず明日のために宿を確保しておこう。
ポルクルに聞くと、村に宿は1軒しかなかった。
役場の左側に道を挟んで、役場と同じくらいの3階建ての木造の建物があった。
『簡易宿 蝋燭の
中は6人掛けくらいのテーブルと、椅子が1つ手前にあるだけで、奥のドアに『ご用の方、これを打って下さい』と書いた紙が張ってある。
「これ?」
そのドアの横にボコボコの鍋のような金属の板と、木槌がぶら下がっていた。
それをカンカン鳴らすと、ドアの奥から人が動く音がした。
「はいよ、お2人かい。今だったら泊り客はほとんどいねぇから、どこのベッドでも使ってもいいよ」
服の中に手を入れてボリボリ掻きながら、赤鼻の親父が言った。
「あの、部屋はないんですか?」
「えっ、あんた達、個室を使うのかい?」
「ええ……出来ればそれがいいんですけど」
「え~、ちょっと待ってておくんなまし。おいっ、ベネッタァッ、ベネッタいるかぁー」
親父は慌ててドアの中に消えて行った。
「なんだよ、お前さん。そんな大きな声出しても酒は出てこないよ」
女将さんらしい声がする。
「違うよっ、お客さんだぁ。小部屋を使いたいんだとさ。掃除してあるかぁ?」
「馬鹿だね、宿屋が部屋掃除しなくてどうするのさっ。使ってなくてもちゃんとしてるよ。お前さんが酔いどれてる間にね」
「あーっ、じゃあどうぞ案内しますです」
鍵をジャラつかせてドアから出てきた親父は、横の急な階段を上っていった。
2階を通った時ちらりと見ると、柱だけのぶち抜きの空間で、ベッドだけが並ぶ大広間になっている。
部屋は3階だった。
手前のドアを開けると、親父は先に入って突き当りの窓を開けた。中はシングルベッドが1つと椅子が2脚、籠が1つだけでハンガーラックや小机もない。
「あれ、油がない。おーい、ベネッターッ」
親父がランプの中を覗いてまた階下に叫ぶ。
「いや、大丈夫ですよ。光魔法使えますから」
「そうですかい、そいつはすいやせんね。じゃあそこが厠でさぁ」
と廊下の奥のドアを指した。
「あの、食事とかは?」
「すいやせん、うちは宿泊だけなんで。食事はご持参か、そこの『パープルパンサー亭』でお願いしやす」
ヴァリアスの奴も ‟ 見りゃわかるだろ ”的な目付きで見てるし、どうせ中途半端な都会人だよ、俺は。
「オヤジ、幾らだ?」
「へぇ、小部屋は1日1,200エルで、下のベッドは480エルです」
「ここでいい。釣りはいらん」
「こりゃ、アリガトさんでやす!」
銀貨2枚(2,000エル)を受け取って顔をほころばせた親父に、念のため聞いてみた。
「あと、シャワーとか水場は……?」
「あー、裏手に井戸がありやすよ。裏口からも出られます」
えーっ 中に顔洗う場所もないのかよ。木賃宿だって水道くらいあるぞ。
「蒼也、水を引くってのは大変なんだぞ。それにポンプを使っても、水面から9m程度の高さになると、普通の汲み上げ式ポンプじゃ上がらなくなるんだ。
王都の橋上住居でも、手汲みで水を直接汲んでいるのを見ただろう? ポンプの弁が壊れることだってよくあるしな」
窓から汲んでたあれか。
ただ風流だなあと思ってたけど、考えてみたら大変な労力だよな。わざわざやってたのは、そうせざる得ないからだったのか。
「それに1日くらい体を洗わなくても死ぬ事はないだろ」
そりゃそうだけど、やっぱ今夜はシャワーくらい浴びておきたい。
ダリアに会うんだから。
そんな俺の気持ちを奴は察する気もなく、出された宿帳を俺に押し付けてきた。
夕食までの時間があるので軽く(?)運動をしようと奴が言いだした。奴の軽くはもちろん軽くない。
村の裏手側の石塀の前で剣の特訓である。
「お前の剣技は基本受け払いだが、これからはもっと別のスタイルも身に付けないと、捌ききれなくなる。
この間のマンティスで思い知ったろう?」
「そりゃそうだけど、例えばトロールみたいな巨人とかの一撃なんか払えないぞ。ネズミが象の足を受けようとするのと一緒じゃないか」
「無理に払おうとしなくていいんだ。要は相手の攻撃をどうかわすかという事だから、相手の攻撃を逸らすばかりじゃなくて、自分の体もその力を利用して逸らしてく事を意識しろ。
スタンドファイトのように体を軸に動くのではなく、腕を支点にして、体を押された方向の斜めにかわせ」
大雑把に言うと、突っ込んできた車のボンネットに手をついて、こちらから車に乗り上げるか、横にかわすみたいな感じか。
合気道では立身中正というか、基本的に頭や体を前後左右に傾けず、真っ直ぐに姿勢を保ちながら動く。
逆に体をしきりに傾けて動かすのが、よくあるボクシングスタイルだ。
もちろん足さばきも違ってくる。
要は両方の良いとこどりで、臨機応変に使い分け出来ればいいのだが、慣れたスタイルを変えるのはなかなか難しい。
退路を塞がれた状態を想定して、石塀を背に俺が立ち、奴がそこら辺で拾った木の棒で軽く(?!)打ち込んでくるのを、受け流しながら体をかわす。
角度を予告して、ゆっくり打ってくるので、はた目には簡単そうに見えるが、これがキツイ。
まず奴の打ち込みは、力を抑えてるとはいえ凄く重い。
重心や力の掛け方を覚えれば、筋力の少ない女子供でも出来ると言うが、まずあんたの力で言うな。
そこへもってきて今俺の体重は2.5倍になっている。
前日フランにやったように、俺の地面に対する引力が今2.5倍に増加しているのだ。
おかげで剣を持つ、振るう、動くといった動作にいつも以上に力がいる。ジェットコースターとかでGを感じた人は、なんだ2.5Gくらいと思うかもしれないが、たった数秒と、ずーっとかかっているのでは雲泥の差がある。
頭や全身は重いし、息もすぐ上がる。
フランはもっと負荷をかけられていたようだが、よくやった。
もちろんこちらも身体強化してはいるが、15分に1回は5分ほど休みを入れた。
でないと一気にまた筋肉痛がきそうだからだ。
そんなことを2時間くらいして、また壁の内側に転移で戻った。
宿の裏手の井戸は裏庭と言っても、塀も囲いもなく、近所の人達が入れ替わり立ち替わり、水を汲みに使っている共同の井戸だった。
特訓のおかげで汗だくなのだが、こんなオバちゃん達が鍋洗ってる横で、水浴びできるほど俺に度胸はないぞ。
ここは村長か、ポルクルに頼んでシャワーを借りよう。
俺達は隣の役場のほうに向かった。
さっきは頭を伏せていたし、そんな余裕が無くて気がつかなかったが、裏には3頭の馬と4人乗りくらいの馬車が停まっていた。
馬は黒っぽい肌をしているが、たてがみや尻尾、足まわりにも生えた毛が、茶色というより金色で、日暮れの光に照らされてキラキラ光って見えた。
素人目にもがっしりしていて、なんだか目付きが草食系というより、サバンナの肉食のそれっぽい鋭さを持っている。
「金竜馬だな。気は強いが忠誠心も高くて、飼い主以外にはなつかない。度胸もあるから大概の魔物には怯まない。
だから夜の走りにも使えるんだ」
確かに顔つきも、あの荷馬車のベルと比べると、虎と小猫みたいに違う。
近寄ったら蹴られるどころか、喰い殺されそうだ。
「そいつに蹴られたら胴体が引きちぎれるぞ」
馬を遠巻きに見ていた俺に、役場から出てきたワイゼン男爵が声をかけてきた。
「いい馬ですね。初めて見た種類です」
俺は思った通りに言った。
「そうだろ、そうだろ。この3頭は金竜馬の中でも上位種なのだぞ。3年前には王都のコンテストで7位までに入ったぐらいなのだからな」
ふんふんと男爵は自慢げに話しながら、たてがみをすくように撫でた。
7位って微妙なんだけど、何位中の7位なんだ?
でも王都なら王様の馬も出るだろうから凄い事なのかな?
「ではそろそろ行こうか。たまには下々と同じモノを食するのもいいだろう」
そう言って男爵は踵を返すと、ついてきた村長と護衛2人と共に『パープルパンサー亭』の方に向かった。
その時、隣から音が聞こえた。
それは強い風が樹々を擦るようなリズムで、素早く高く低くを繰り返してすぐにやんだ。
発生元は奴だった。
口笛?
その音に反応を示したのは、やはり護衛の2人だった。
「ん?」といった感じで後ろを振り返ったフーは、ちょっとこちらと辺りを見たが、また顔を前に戻した。
ゆっくりと顔をこちらに向けたのはフランケンさんだ。
無表情だった彼の眉が僅かに動いたのがわかった。
だが、そのまま、またゆっくりと顔を前に戻すと、何事もなかったように歩いていった。
「フン、これでハッキリしたな。あのヤロウ」
4人が『パープルパンサー亭』に入っていくのを見ながらヴァリアスが言った。
「今のなんだ? 口笛みたいな」
「神語だよ。言語スキルが利かないから、お前にもわからないだろうが、あのヤロウは、ちゃんと意味がわかって反応しやがった。さすがにこれは無視できなかったか」
「なんて言ったんだ?」
「 『この糞っ*―――*―― 野郎っ』 って言ったんだ」
「そ、そんな汚い言葉、神様の言葉にあるのか ??」
こいつが作った言葉じゃないのか。もうピーピーだらけなんだけど。
「あるぞ。他にも『腐れ*―――* 』とか『**―――ろ』とかあるがアレで十分だ。
お前にも
「いるかっ、そんなスラング神語! 覚えて どこの場面で使えばいいんだよ」
一応 神の使いを名乗る者が、こんな無法スラング使うのを許していいのだろうか。
「あれっ、だけどそれがわかるって事は―――」
「そうだ、アイツは元神界の者、離界した使徒か天使。
つまり神界から抜け出したヤツってことだ」
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