第79話 白昼夢の男
やっとラーケル村に戻ってきたのは2時過ぎだったと思う。
俺は転移酔いで眩暈を起こしていた。
あれからまたボア酒が飲みたいと奴が言うので、宿の食堂で昼飯をとった後、ぶらりと町の雑貨屋に入ってみた。
とても庶民的なその店には鍋・フライパン、食器類、掃除道具一式、ロープ、裁縫道具、ランプ、脚立など生活用品ばかりで、王都のイアンさんとこのような装飾品やオモチャの類はほとんどなかった。
日本の田舎のよろず屋のほうがまだ、三角のタペストリーやトランプとか置いてあったと思う。
ただ食器類は木製が多く、表面に細かい細工彫りがほどこされている物が半分くらいあった。陶器製もあったが、こちらは白いだけの皿やカップで、数は少ない。ガラス製は1個も無かった。
「陶器製は木製より高いからだ。窯で長時間焼いたり、場所と手間がかかる。
それに木製はまず原価が安いし、職人以外に内職として子供や老人でも出来るからな」
そう言われてあらためて見ると、柄のない木製の皿は本当に安くて、直径20㎝くらいの平皿が1枚20エルで台に無造作に積まれていた。
それに対して、シールを集めれば誰でも貰えるような白い陶器製の皿は、同じくらいの大きさで470エル。
しかも所々にぼつぼつの残る粗悪品ぽさがある。
日本じゃ陶器より木製のほうが高いのになぁ。
味噌汁用とサラダ用に木製スープボールを買う。
翼を広げたドラゴンを鱗まで彫って表わしてあるボール皿は、1個230エルだった。
ほかに縁に模様彫りしてある大中小の平皿80~240エルを5枚と、同じく
価格調査のために入ったのだが、結局自分の買い物をしてしまった。
「そろそろラーケルに戻るぞ。買い物はそれぐらいでいいだろ」
食堂でまた樽ごとハブ酒を買った奴が言う。
「そうだな。明日の事もあるし、早めに入っておくか」
「じゃあ体慣らしのために、ラーケルまで転移で行くか」
「はぁっ? いくら離れてると思ってるんだよ。俺がそんな遠距離無理なのは知ってるだろう」
昨日歩いた感じだと、ここからラーケルまではおそらく5,6㎞だと思う。
俺が今まで跳べた距離は最高でも100mはいかない。
「繰り返しやればいつかは着くだろ」
「何十回やらす気なんだ !」
――― 本当に何十回もやらされた。
道が一直線の場所は見通しがあるから良いのだが、少しでもカーブしているところがあると、たちまち道から外れてしまい、畑の中に落っこちたり、干し草の中に出現したりした。
一度だけ走る箱馬車の前に出現してしまい、馬に踏まれかけた。
寸前で奴に引っ掴まれて、隠蔽で姿を隠したから事無きを得たが、馬車から降りて辺りをおっかなびっくり探している御者の人には悪い事をした。
すいません、幽霊じゃないです。
ギリギリ出来る距離を狙えばそんな事にはならないのだろうが、出来る限り距離を伸ばすために方角と高さしか定めず、魔力を一滴残らず放出するように跳ぶので、着地点が定まらないのだ。
跳ぶたびに奴に魔力と体力を補給してもらった。
だが魔力と体力を回復しても治らないのが気力、神経だ。
大体半分くらいの距離まで来た頃だろうか、
なんだか転移ハイというのか、頭がボーっとなりながらラーケルのあの石塀前を思い浮かべて跳んだ。
今まで一番すんなりスッと、キレイに遠く跳べた感じがした。
「いいぞ、今までで一番跳べたな。余分な力みや雑念が無くなったから、シンプルに出来たんだろう」
奴は地べたに這いつくばる俺を、また回復させながら嬉しそうに言ってきた。
が、俺は立ち上がるどころか、頭を起こせなかった。
地面がぐらんぐらん動いている。手をついてもいられない。
そのままの態勢で土下座するみたいに突っ伏した。
「どうした? ん、転移酔いか」
《 ドゥウシィタアァ 《《 ンン 《《《 テェンィイヨョイィカァア 》》
奴の声が強い耳鳴りと共に反響して聞こえる。
遊園地のコーヒーカップで回されてるように、体がいつまでも回っている。
実際転移する瞬間、体が浮いて落ちると共に、何故か軽く回転する感覚が時々あるのだ。
それがずーっと連続で止まない感じが続いている。
「ちょ、ちょっと待てっ……。今持ち上げられたら吐きそうだ……」
俺は自分の声も変に反響して聞こえながら慌てて言った。
奴が俺を起こそうとしたのだ。
まだ吐き気はないがギリギリの不愉快感に、動かされたら吐きそうな予感がした。
だがお構いなしにヒョイっと持ち上げられた。体が持ち上がった感覚はなかった。
奴が引力だか重力を操って、俺の体に負担がないようにしたのだ。
だが ―――
「……抱っこやめろ、吐くぞ」
「チッ!」
門を通らず役場の裏にそのまま転移した。
「どうしたんですか ?! 何かあったんでっ?」
役場に入るとポルクルが甲高い声を出した。
すいません、その高い声が耳障りで今聞きたくない…………。
「ちょっと感覚酔いを起こしてるだけだ。少し休めば治る。また部屋貸してくれるか?」
俺をおんぶしたまま奴が言った。
「あの……それが、今お客さんが来られてて、もしかするとここの客室に泊まられるかもしれないんです。
すみません……」
恐縮したポルクルの声が小さくなる。
「そうか、じゃあしょうがない。宿探すか」
奴が踵を返して出て行こうとした。
「あ、あの、もし狭くても良ければ、別の部屋がありますが……」
「横になれればソファでも構わん」
2階に上がり応接室の前を通って、突き当りにトイレのある向かい廊下に入ると、ポルクルが右側のドアの鍵を開けた。
中は四畳半くらいの部屋で、向かって左側にシングルベッド、右側にチェストと机、棚などがあった。
ベッドに座ると横になりたくて、すぐそのまま転がってしまった。
本当はシワになりそうなのでチュニックぐらい脱ぎたかったが、
いまメリーゴーランド真っ只中にいる俺には、そんな面倒くさい事が出来る訳がない。
スルッと背中から上着だけ離れた。
奴がテーブルクロスだけを引くみたいに脱がしたのだ。
「ピジョンさんとこで酔い止め貰ってきます」
ポルクルが毛布をかけてくれながら言う。
「大丈夫だ。それにこれは感覚酔いだから簡単なポーションじゃ治らん。寝かしとくのが一番だ」
なおも心配そうなポルクルを追い出すと奴が戻ってきた。
「オレはちょっと神界に行ってくる。お前はこのまま休んでろ」
「……言われなくてもこのままでいるよ」
奴が消えて1人になると、応接室から聞こえてくる声が気になった。
誰かがアイザック村長と言い争っているようだ。
この声は聞いたことがある気がするが、反響してよくわからない。
しかし今は静かに寝ていたいのだ。
俺は最近耳が良くなったせいで、そういった雑音がよく聞こえるようになった。
が、その反面聞きたくない音は、シャットアウトするようにも出来るようになった。意識を向けないようにすると不思議と聞こえなくなるのだ。
もしかすると頭か耳の中で遮断しているのかもしれない。
少しすると神経が疲れていたせいでウトウトし始めた。
それは白昼夢のようだった。
開いた窓から陽の光が差し込んで部屋の中は明るく、外を歩く人や荷車などの音をうつらうつら聞きながら、壁の方に向いて横になっていた。
その俺の後ろに誰かがいつの間にか立っている。
探知したわけではないのに何故か男だと思った。
ヴァリアスではないのはすぐにわかった。
もちろんキリコでもリブリース様でもない。
そいつはジッと俺を背中側から見下ろしている。
本来なら恐怖を感じてもおかしくないはずなのだが、何故か恐くなかった。
ただ誰かが自分の後ろにいると感じているだけ、そんな気分だ。
殺気とか敵意を感じなかったせいかもしれない。
そっと そいつが長い腕を伸ばしてくると、俺の額に大きな手を当てた。
その指はピアニストのように細く長かったが、ひんやりと冷たかった。
だがその手から、そよそよと波打つように流れてくる波長が、静かに頭の中に染み込んでくると、さっきからゆっくりと波打ちながら回っているベッドが大人しくなった。
そうしてまたゆっくり手が離れていくと、いつの間にか気配が無くなっていった。
ハッと目が開いた。
もちろん誰もいない。部屋の中は入った時と全く同じだ。
応接室からの声はピークを過ぎたようだが、まだ不満そうな声が続いている。
ジーンズのポケットから時計を出すと2時48分だった。たぶんここに来て20分くらいしか経ってないだろう。
眩暈は無くなっていた。
あらためて部屋を見回す。
俺のチュニックとバッグは、ドア側のハンガーラックに引掛けてあったが、その他に小ぶりのシャツとズボンも掛けてあった。
ベッド横の壁には、昔のヨーロッパ映画の女優のような女性の姿が、B4サイズの紙に描かれたポスターが貼られている。
机の上に古ぼけた地球儀ならぬアドアステラ球体模型が置いてあったが、地球のような球ではなく、アーモンドのような楕円体だった。
本当にこんな形しているのだろうか? そういや、この星は確か地球より大きかったよな。
それなのに1日が同じくらいって事は、やっぱり地球より早く回転してるって事か?
いや、それでもこんな形にはならないだろう。
これじゃまるで、SF小説*『重力の使命』の舞台、重力惑星メスクリン並みだよ。
(*巨大なのに形が変形するほど超高速回転している惑星の話。そのため一日がすごく短く、赤道が3Gに対して、極地点は600G近くという恐ろしい重力差になっている。)
「その形は昔の世界観の名残だ」
背後で声がした。いつの間にかヴァリアスが帰って来ていた。
「以前はお前のとこと同じように、地面は平らだと考えられていた。
世界の端は空間が捻じれていて、海の両端の空間を繋いでいると思われていた。
まあ、ディゴンのような空間を歪める魔物もいるから無理もないが」
赤道のあたりを指でなぞりながら
「赤道直下は特に重力と磁場の違いで、他の場所との空間の違和感を感じるんだ。だから今でもこのような形に考える説が多い」
「じゃあ実際は球体なんだな」
「見てみるか?」
「いいよっ! 一体どこ連れてく気なんだよ」
「まだ早いか。ダンジョンも行ってないしな」
「あんまり無茶させんなよっ。今日だってこんなになっちゃったじゃないか」
「だけど治ったろ。 ん? 誰か来たか?」
奴が部屋の中を見回しながら言った。
「えっ……夢じゃなかったのか? いつも結界敷いてくれてるんだろ?」
「ポルクルのヤツが入って来るかも知れないから、緩めにしといたんだ。お前に危害を加えるモノは通さないという条件にな」
ベッドの前に立つと、机とドアの間の角の方をジッと見た。
その方向には応接室があった。
「おや、もう具合良いんですか?」
チュニックを着直して1階に降りていくと、ポルクルがカウンターから出てきた。
「お世話になりました。おかげで気分治りました」
俺は軽く頭を下げながら
「自室までお借りしてすいません」
あの部屋はポルクルの部屋だというのは、服などでわかった。
あのポスター、ポルクルはああいう女性が好みなのかな。
「いえ、狭い汚い部屋ですいません。ちょっと腰掛けて待っててくださいね」
いつものテーブルにはいつものオバちゃん4人が座っているので、俺達はもう一つのテーブルに座る。
カウンターに戻ったポルクルがカップを持って戻ってきた。
「これをどうぞ。ピジョンさんが、神経系を落ち着かせるのに利く薬草だと言ってました」
お茶かと思ったら薬か。
カップの中にはコールタールみたいに真っ黒な液体が半分くらい入っていた。
「どうもすいま……」
せっかくなので有難く頂こうとカップを口に持っていってビックリした。
凄く臭いっ!!
俺の反応を見てやんわりポルクルが言う。
「昔から良薬は不味いものですから」
イヤ、これ不味いじゃなくて臭いでしょ ?!
下水のような腐臭なんだけど、飲んで大丈夫なのか?
「そうだぞ、せっかく用意してくれたんだから感謝して飲め」
奴が横でニヤニヤしながら加勢する。
2人にじっと見つめられてるので覚悟を決めて、臭いを意識しないようにして一気に飲みこんだ。
飲めたが口の中が掃除してない公衆トイレみたいなんだけどー!
すかさずポルクルが出してくれたオーツ麦茶を、うがいをするように2,3回に分けて飲む。
「よしよし、良く飲めたな。今度それも薬草ジュースに入れるか」
「ふざけんなよ、そしたら絶対飲まないぞっ」
ハァーっと両手で口を囲って息を嗅ぐ。
大丈夫か、俺の息臭くない?
急いでミントガムを2つ口の中に放り込んだ時、階段を軋ませる音がしてきた。
「おう、戻ったのか」
村長が先に降りて来て俺達を見た。
その後ろから降りてきたのは……。
「ぬっ、先程の……と」
大きな指輪をつけた手で、手すりをつかまりながら降りてきたバッハさんは、俺の顔を見た後、隣のヴァリアスに視線を止めた。
「もうお分かりかと思いますが、彼等が例のハンターですよ」
村長が床まで降りきって振り返りながら、俺達を紹介した。
「彼らがあのドラゴンの……」
階段途中でバッハさんが足を止めた為、立ち往生した後ろの2人が主人の肩越しに顔を出した。
「ほえぇ、古代系アクール人ってさっきの
お相撲さん、思ったよりやや高めの声。
なんか喋ると、白人系のブッチャーに見えないこともない。
フランケンさんは無言だが。
「先祖返りだの古代だのって、オレは博物館の見世物じゃないぞ」
ドリンカーは認めるのか。
「怖っ! わっちはね、多重歯ってヤツが苦手なんでさあ。子供の頃、マンティコアに尻を噛みつかれたもんでね」
ニコニコしながら全然怖がる様子はない。
「あんなのと一緒にするなっ」
マンティコアは人の顔したライオンのような体をした魔物である。その歯は三重の牙になっているそうだ。
そういやそれって、Sランク前後の魔物じゃなかったか?
「フー、初対面の方に失礼だぞ」
静かに落ち着いた声をフランケンさんが発した。
「いけねっ、またやっちまったよ」
ぺちんと分厚い掌で自分のおでこを軽く叩くと、フーと呼ばれたブッチャーは
「悪く思わんでくんな。つい軽口をたたいちまうのが、わっちの悪い癖でね。悪気はこれっぽちもないんでさ。勘弁してくんな」
「悪気があったらお前の頭は今頃、亀みたいに引っ込んでるはずだ」
「おおっ 怖っ!」
大きな体をわざとらしくすくめて、全然反省してないように見えるのだが。
「黒い髪の異邦人とは聞いていたが、ドラゴンの鱗を採ってくるような男だから、もっと違うイメージだった……」
バッハさんが俺の前にやって来て言った。
ええ、どうせこんなヒョロい奴だとは思ってなかったでしょ。
「採ってきたというより、拾ったんですよ。運が良かっただけです」
俺は口を片手で覆いながら言った。拾ったのは嘘ではない。
「シュクラーバル卿に献上した鱗以外に
俺の前に手をつくと身を乗り出して、ジッと目を離さず顔を突き出してきた。
どうも口を手で隠しているのが不審に見えたらしい。
「本当はもっと持ってるんじゃないのか? 本当は出し惜しみしてるんじゃないのか?」
はい、本当はあと鱗2枚と牙と魔石持ってます(ニコっ)。
なんていう訳ないじゃないかっ。
「出し惜しみなんてしてないですよ。持ってたらとっくに売りに出してますよ(嘘ぴょん)
もし、また拾ったら流すかもしれませんけど」
バッハさんはまだ疑わしそうな顔をしていたが、ふと隣のヴァリアスと目が合って体を起こした。
「まあいい。取り敢えず今やあの鱗はギルドの所有品だから、ワシは明日の競りに全力を尽くすまでだ」
「納得して頂いて感謝しますよ」
村長が横に来て言う。
「フン、納得せざる得ないだろう。せっかく早馬で一番乗りで来たのに、皆と同じ競りとはな。
だが今日は他にも得る物があったのでな、これ以上ゴネて運を落としたくない」
そのままスタスタと出入り口まで行くと
「さぁ、さっさと案内してくれ」
村長がすぐにバッハさんの元へ行くと、後からゆっくり護衛の2人も俺の横を通って行った。
通り過ぎる時、フランケンさんの四角い肩から垂れている、長くて体の割には細い腕になんとなく目がいった。
裾から出たその青白い手の指はとても細かった。
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