第245話 新たなる仲魔 その1
「なんでそんな憂鬱そうな顔になるんだ?」
責任という単語の欠け落ちた脳筋が、隣でしゃあしゃあと言ってきた。
「目撃者がいるっていう事は、全員喰われたわけじゃねえんだろ。ならまだマシじゃねえか」
あんたのマシの度合いは砂粒クラスか。
1人でもやられたらそれは惨事なんだよ。
「幸い人間はみんな無事だったようです。
ただ積んでいた酒樽を馬車ごと持って行かれたそうです。あと馬も数頭ですが、一緒に攫われました」
「ツマミにしたな」
奴がまたニンマリと牙を見せた。
新鮮な馬肉なら生でも炙りでもなんでも旨いし、などという不謹慎発言はもう無視した。
しかし人が無事だっただけでも、確かにマシな方だろう。
あいつ、一応は人間は殺らなかったんだ。いけない事だが、それだけでもまだ救いがある。
「良かった……。いえ、良くない事なんですけど、とりあえず人が無事で」
「そうではありますが……、けれども我が国としては面白くありませんよ……」
所長が拳を握りしめた。
「というか、羨ましいのですよ。
鱗1枚でも喪失した酒、馬車、馬の合計どころではありません。
それに今回の残していったのは、赤子の握りこぶし程の魔石だったそうです!」
本当に悔しそうに力を込めて言った。
「そんな小さ……いえっ」
俺は慌てて口ごもった。
それならビーチボールぐらいのを見た事がありますよ。
なんてついうっかり言おうものなら、絶対噛みつかれる勢いでそれはどうしたんだって追及されるに違いない。
ほんとは持ってるのだから。
「ええ、小さいとはいえドラゴンの黒色系、しかも珍しい黒赤混合の魔石でしたから」
果たして同じ事を考えていると勘違いした所長が頷いた。
「何の気まぐれか分かりませんが、とにかくかのドラゴンは酒と馬を持って行く代わりにワザと置き土産をしていくようです。
すでにワザとドラゴンが来そうなところに、酒樽を載せた馬車と奴隷を置いて試している国も出てきました」
「……もしかすると食べられるかもしれないのに、わざわざ人を配置するのですか?」
条件を同じに設定するために?
それにしても……それは生贄と同じだ。あらためて奴隷の扱いを思い知らされた。
「人がいないと、土産を置いていってくれないかもしれないからですよ。
まあまだ成功はしていないようですが」と変わらず所長の顔は苦虫を潰したようだ。
「ドラゴンは元々警戒心が強いんだ。逆にそんな風に用意したのは警戒して近づかないぞ」
奴がまた面白そうに言う。
「今のところ我が国では報告がありません。
ヴァリアス様は、そのドラゴンの行動パターンとかをご存じではないですか?」
「どうだかな。ただアイツはまずこの国には来ないだろうなあ」
「そ、それはどうしてですかっ?!」
テーブルに両手をついて所長が身を乗り出した。
「ここにオレ達がいることを知っているからだ。
アイツはオレを怖がっているから来るわけがない」
「な、なんて事だ……」
所長がその丸い体をわなわなと崩すようにソファに沈めた。
それに追い打ちをかけるように奴が余計な事を言う。
「しかしアイツも考えたな。
そうやって代価を払えば(オレに)怒られねえと思ったんだろう。
なかなか可愛いところあるじゃねえか」
そんな愉快そうな奴と反比例して所長から生気が抜けていく。
「でも、そのうち人に被害が出るかもしれませんよ。まだこの国に来ないだけ不幸中の幸いじゃないですか」
俺は励ますつもりで言った。
素材は惜しいかもしれないが、いくら注意しててもあのサイズだ。あいつにその気がなくても、うっかり殺ってしまう事だってあるだろう。
俺だってあの時、思わず尻尾でやられそうになったのだ。回を重ねればその可能性も出て来る。
「……ああそれもそうですが、その前にそのドラゴン自体を酒を餌に捕まえようとする動きが出ております
そしてもしこれが成功したら――トンデモナイ価値ですよ」
ハンプティがまた丸っこい拳を震わせた。
どうしてもドラゴンの素材の方が優先なんだなあ。
「アイツはそんな簡単にやられるようなタマじゃないぞ」
奴が麦茶のようにブランデーを飲みながら
「そんな事したら確実に死人が出るどころか、暴れて町の1つや2つは消えるかもな」
面白そうに薄く笑った。
それに所長がブルっと身震いする。
「おい、冗談じゃないぞ。それこそ大惨事じゃないか」
「それこそ自業自得だろ」
ギロッと奴が睨むように目を合わせてきた。
「アイツは人間からしたら天災級の存在なんだぞ。それに立ち向かえば当たり前の結果になるのは当然だろうが」
~~~ったく、いつも人間には優しくないなあ。
こいつ自身が最期の審判の化身みたいなもんだからなのか。
「しかし……このまま手をこまねいているのも……」
所長が言いづらそうに本当に手をごねごねさせる。
「そうだなぁ。確かにこのままにさせておくのも、ちょいとアレだな」
コンとグラスを置いて、奴も呟くように言った。
ボトル、ほとんど残ってないなあ。
「ぉおっ、ではそのドラゴンを仕留めていただけるので?」
一瞬、所長が喜色を浮かべた。
「そんな可哀想なことするかっ! 酒飲んだくらいで、お前んとこだって首までハネたりしねぇだろ。
しかもタダ飲みしてるわけじゃねえっ!」
うへっと、所長が無い首を引っ込めた。
あぁもう……同じ酒飲みとしてシンパシーを感じてるんだ、これ……。
「……しかしすでに他国のあちこちで、ドラゴンハンターを集めている動きがあります。
もし貴方様のようなSSクラスのハンターが動いたら、無事では済まなくなる可能性も……」
すると残りのブランデーをグラスにあけて奴が言った。
「オレに考えがある」
「ほっ、ほんとですか! では対処して頂けるのですね」
所長がまた期待をした目でみてきた。
「言っとくが、アイツを殺すという意味じゃないぞ」
「――ええ、もちろんそれでも結構ですよ。せめて他国に渡るくらいなら……」
そんなに他所の国に素材が渡るのが悔しいのか。
俺は
そんな俺の考えに感づいたのか、それとも自分の言ったことに気がついたのか、
「こんな事を言うと、負け犬の遠吠えのように聞こえるかもしれませんが、ドラゴンの素材は戦争をも起こしかねない重要アイテムなんですよ」
俺の目をジッと見ながら説明しだした。
曰く、ドラゴンの素材くらいになると、色々と貴重な薬やアイテムになる。
ブラックドラゴン級となれば、なんとか手に入るグリーンドラゴンの比ではない。
それは禁断の魔薬『不老不死の秘薬』の素にもなると言われ、また『神の一撃』と言われる最終兵器の原動力にもなるそうだ。
つまりこれを独占出来る国は、世界を制する力を持つ事が出来るという訳だ。
そうなれば現在勢力が拮抗して平和を保っている状況が大きく変わってしまうのだ。
あいつ本当にただならぬ体してるんだなあ。あらためて気の毒になった。
変な意味じゃなく、誰も彼もあいつの体目当てなんだ。
「そういえば、かのドラゴンは雌ではないんでしたよね? もしや雌なら……」
タイミング良く、所長が尋ねてきた。
えっ、やっぱり体目当て――??!
「オスだ。だから卵は産まないぞ」
代わりに奴が答える。
「ああ、そうですか……」
ちょっと残念そうな所長。
そっちの意味か。
どうも昨日のリブリース様のおかげで、一瞬妙な考えをしてしまった……。
しかし誰もあいつがただの獣じゃなくて、意思疎通が出来る相手としての可能性を考えないのか。……普通は考えられないか。
俺も段々、普通の人としての考え方がズレ始めているようだ。
「行くぞ、蒼也」
奴が急に立ち上がった。
急かされるままに応接室を出ると階段に向かった。
「お前だって責任を感じてるんだろ?」
こちらに顔を向けながら全く下を見ないで降りていく。
「うん……まあ、確かに俺たちが、物々交換を教えちゃった可能性が高いしなあ……」
カラスだってクルミを割るために、車道に置いて車に轢かせるという。あいつの知能はそれどころじゃないからなあ。
「違う、もっと根本的な事だ。しばらく禁酒していたところに、オレ達が飲ませたせいでリバウンドしたってことだよ」
「あっ!!
禁酒中のアル中に一番やっちゃいけない事だった。
「まあ人間どもが少し困るぐらいは全然許容範囲なんだが、ちょっとアイツの別の使い道を思いついた」
「全然、許容出来る範囲じゃないだろ」
あんな奴がちょっとでも暴れたら、それこそ異世界版ゴジラだ。とんでもねぇ。
でも良かった。俺はまだこいつの考えには共感出来ない。まだ人としていられる。
死角になった踊り場で俺たちは転移した。
「ん、あれ?」
俺たちが跳んだ先は、あの洞窟でもなく、空が灰色の雲に覆われているグランドキャニオンでもなかった。
空はどんより曇っていて今にも降り出しそうな雲行きだが、あの暗黒大陸の蠢く火山灰のような雲とはあきらかに違う。
俺たちの前には、赤茶色の砂地にポツポツと樹々が先に向かって生えていて、その遠くに何か塔のような長細い建造物が見える。
そうして先程から聞こえている、地球でも馴染みのあるこの音。
振り返るとやはり――――。
灰色の空を映して暗蒼色の色を帯びた波が、俺たちの2mくらい手前まで打ち寄せていた。
「海……。あいつ、今ここにいるのか?」
この世界に来て初めて見た海を見渡した。
湾曲した浜辺の左の地平線には、四角く突き出した石造りの渡し場らしきモノが見えた。
しかし探知しても俺の視える範囲に、ドラゴンらしき気配どころか、人すら感知することも出来なかった。
「分かるか?」
「いや、近くにいないのかな。誰も視えないんだが」
「お前、もしかして索敵でやってるのか? 探知なんかしなくてもぷんぷん匂ってるぐらいだぞ」
「俺はあんたほど鼻が利く訳じゃねぇぞ。大体ドラゴンの匂いってどんなんだよ?」
ったく、こいつはいつも自分基準だな。サメと人の嗅覚を一緒にすんなよ。
匂いなんかまわりの潮の香りしかしてこないぞ。
――んっ!?
「やっとわかったか」
俺は先程、生物しか検索していなかった。だから分からなかったのだが、探知で辺りに触手を伸ばして気がついた。
100m近く離れた岩場に大きな洞窟があった。
今はその入り口は波間から1mくらい上にあるのだが、おそらく満潮時にはギリギリ水が入る位置まで水面が上がるのかもしれない。
その岩の縁に青緑色の海藻らしき植物がへばりついている。
その天井の高い洞窟の奥には木片が散らばっていた。
L字型に打ち付けられた、ボックス状の破片や丸みを帯びた板と輪っか、そして先端に黒っぽい蹄をつけた足首の残骸が数本落ちていた。
奴がそこで飲み食いした跡だった。
「さっきから酒と食い散らかした腐臭が強く匂ってんだ。
以前の巣まで持ち帰らずにこんな魔素の少ないとこで飲んだって事は、よっぽど待ちきれなかったようだな」
「それって……もう自制が効かないってことか?」
アル中は麻薬患者と似ているところがある。一度また酒を口にしてしまえば、その誘惑は抗しがたくなるとか。
「いや、多分ここを中継地点に使ってるようだ。馬車の破片に対して酒樽の破片が少なすぎる。
巣に持ち帰る前に、ここで一杯引っかけたってとこだろ」
そう言われれば、ほぼ荷車の原型を留めた荷台も転がっている。少なくとも馬車3台以上の残骸があった。
「それはわかったが、なんでここに? とっとと、あいつがいるとこに行かないのか? こんな手がかりをいちいち追ってたら、時間がかかるじゃないか。
刑事ごっこしてる場合じゃないんだぞ」
「行ってもいいが、空中に出現することになるぞ。お前はまだ飛べないだろ」
ジロリと俺の方を見る。
「空中ってことは、つまり移動中ってことなのか」
そこで俺たちは気配を消して、砂浜で待ち伏せすることにした。
さざ波が立てる音と、時折吹く風が葉を揺らす音しか聞こえない。
人工物はあるのにシーズンオフの浜辺のようにうら寂しい。
「ここら辺はもう人が住んでない過疎地なんだ。人の気配がないからアイツも利用しやすいんだろ」
そんな空も台地も寂しい場所で待つことおよそ10分。
遠くで雷鳴が轟き始めて来そうな黒い雲が湧き出し、それをバックにしていたため気付くのが遅れたが、ソレは雲の中から現われたように見えた。
初めて空を飛ぶドラゴンを見た。
黒と灰色の混ざりあう空をバックに、赤黒の翼は赤い蝶のように見えた。
翼をほとんど上下させることなく、大鷲が森林の空を滑空するように、海上を滑るように飛んでくる。
悠々と空を駆けるこの翼竜の姿は、まさに威風堂々として感動すら覚えるほどだった。
その前脚に獲物の荷馬車を掴んでいるのを無視すれば。
洞窟の手前で数回羽ばたいて速度を落とすと、そのままスルッと中に入っていった。
「行くぞ」
奴が軽く俺の肩を叩いた。
「よぉ、元気にしてたか?」
【――ドォッ! ド・ド・ド・ドドドドドド――】
その声を聞いたドラゴンは、背を向けたままスゴい早口で吃った。
まるでハーレーダビッドソンのエンジン音の口真似みたいだ。
そうして恐る恐る顔を回してきた。
さっきの風格が消し飛んだ。
逆に奴の方は、洞窟の入り口中央に通せんぼをするように立ち、逆光で黒い姿に目だけが更に底光りして見える。
こちらは命を取り立てに来たグレートデーモンそのものの風格だ。
【ススススス、すっ、すいませんっ!!】
ドドンッと山のような体が地面に叩きつけられるように跳ねた。ドラゴンのジャンピング土下座を初めて見た。
岩壁が揺れた。
「おい、ここで暴れるな。洞窟が崩れるだろ」
【はっ、すいませんっ!
……ただ、ちょっと飲んだら、またお酒を飲みたくなってしまいまして……】
ドラゴンは顔を前脚の間に入れたまま、たらたらと言い訳を始めた。
「別にお前を懲らしめに来たんじゃない」とヴァリアス。
「そうそう、俺たちが中途半端にお酒をあげちゃったのもいけなかった」と俺。
「人間どもがお前を捕まえる算段を立ててるぞ」と
【――え、自分を、ですか?? なぜ? あれ、足りなかったですか???】
ドラゴンは顔が上げた。本当に分からないという顔をしているのがわかる。
そんな衝撃的な事をいきなり言われても、危機感じゃなくて違う当惑をしている。
やはり人と感じ方が違うのか。
【……確かに今日は鱗が落ちないし、魔石も吐けなくて……。
やっぱり爪くらいじゃダメでしたか?】
ハァッ?!
見ると左の4本指のうち人差し指に当たる爪が、半分からポッキリ折れて無くなっていた。
【……すいません……。これならすぐ生えてくるし、歯を抜くよりやり易かったので、つい……】
「いや、あんた、というか、オッドアイ、まずいきなり持ってきちゃダメだよ。
いくら代金払っても、相手の承諾無しにいけないのは分かるかい?」
俺の発した言葉の意味がわかったのかどうか、ドラゴンがこっちを見て瞬きする。
「代価としては足りてるぞ。まず払い過ぎだ。
そのおかげで目立ち過ぎちまったんだよ。お前自身でお前のその貴重な素材を、アイツらに知らしめちまったんだ」
ドラゴンがやや混乱したように目をクルクルさせる。
「人間どもはドラゴンハンターを集めているようだぞ」
その言葉に落ち着きなかったドラゴンの目が止まる。
【それは……防衛しても宜しいので?】
「もちろんだ。そうなったらお前だって、ただ殺られるのは業腹だろ?
なら立ち向かうのは当然だ」
大魔王が腕を組みながら笑いかけると、ドラゴンの口から黒い牙がみっしりと見え始めた。
【だったら蹴散らしてやりますよ。あんな人間ども、いくら来ようとシラミにも満たない】
オッドアイも少し自信を取り戻したらしく、平伏していた体を起こした。
「だがな、いくらお前でも、そうそういつまで平気でいられるか分からんぞ」
奴が片眉を上げて、イタズラを仕掛けるような顔をした。
【人間相手ぐらいなら、自分は引けを取る気はないであります】
その自信あり気な笑みは、俺が初めて会った時の威厳を取り戻したかのようだった。
やはりドラゴン。生物界の頂点にたつ存在だ。
「ただの人間ならな。だが、中には魔王クラスに近い奴もいるんだぞ。
そうだろ、蒼也?」
「えっ? SSとか?」
急に振られて頭がすぐに追いつかなかった。
「もう忘れちまったのか? アイツだよ、今はネーモーとか名乗ってる」
「あっ、もと使徒のっ! だけど彼はドラゴンハンターじゃないだろう?」
ネーモーとフーは実力はあるが、その力を鼓舞するような真似はしないようだし。
「アイツらの主がこいつの素材を欲しがったらどうすると思う?
サポートしているだけとは言ってたが、オークションにも出てないようなブツを、主のために気が向いたら獲りに来るかもしれないんだぞ」
「それは――」
確かに絶対にやらないとは言えないのか。
おそらく彼らにとって、こいつもタダのクラーケンと同じなのだろうから。
そうしてヴァリアスの奴はドラゴンに脅しをかける。
「オレほどじゃないが、精霊並みの奴もいるんだぞ。お前、大精霊相手に太刀打ちできるか?」
【……そんな人間が いるんでありますか…………】
一度膨れた風船から空気が抜けていくように、ドラゴンの覇気がみるみると消えていく。
「ソイツにお前のその両の目ん玉、えぐり取られるっていう可能性だってあるんだぞ。
それに鱗は全部1枚も残さず剥がされるのは確実だ。
何しろこの世に一つしかない貴重なものだからな」
ビビッ! と、ドラゴンが体中の鱗を逆立てた。
重なり隠れていた赤い鱗片が現れて、黒い巨大な山に深紅の燐光が美しく散る。
申し訳ないが、これは狙われる価値がある。
【そっ、そ、そ、それは ど、どうしたら――】
またドラゴンがワナワナと縮こまった。
気の毒なのだが、なんだかコントを見ているような気がしてきた。
「そうならないようにオレが守ってやる」
そう言うと奴がドラゴンに歩み寄った。
「お前、蒼也の従魔になれ」
「【 ハアッ!!? 】」
思わずドラゴンとハモってしまった。
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