第35話 転生者 ヤン・ヴォロツキー
今から51年前、地球の神界。
天井や壁がパール色に光を帯びる、まさしく貝殻状の構築物の一室で
知識の神の13番目の使徒ナジャジェンダは深く溜息をついた。
地球からの転生者を獲得する為の交渉にきたのだが、まだ1人も面接すら出来ていなかった。
今回の転生希望者は19人。参加した星は8星。
数では充分割り振りに余裕があるように感じるが、そのほとんどが自分のところような、地球より文明の低い場所に行くことを拒んでいた。
転生は転生者自身の希望が優先される。
ここより自然が多いとか、魔法が使えるとか、他に良い処のアピールで補ってはいるが、今回のライバル達は強かった。
ナジャジェンダの星以外、地球とほぼ同じかもしくは高文明で、しかも魔法ではないが超能力というものの存在も強くアピールしてきた。
また世界統一に成功し、安全かつ平和な世界で安心して暮らしていける文化など。
それに比べ未だ無数の国と指導者に別れ、混沌と
おそらく交渉にもいけないだろう。
転生者達は思い思いにそれぞれの星の担当者達に質問を飛ばしているが、ナジャジェンダには全くと言っていいほど来ない。
やっと聞かれたと思った質問が、治安が良いかということだった。
これは国単位、もしくは町単位で是であり否であって、全体的となると地球より否としか言いようがない。
おかげでナジャジェンダのところに希望票を入れてくるものは1人もいなかった。
1人くらい学者か技術者が欲しかったなぁ。
ナジャジェンダは目の前に開かれた、転生者達のファイルを見ながら項垂れた。
今回の転生者達は生前、学者やエンジニア、料理人など……知識人がほとんどで、文明の向上や新しい考えの取り入れに欲しい人材ばかりだった。
1人も会得出来ずに帰ったら、次回の交渉人候補から外されちゃうかな。ふとそんな不安もよぎる。
いやいや、大体ウチの交渉カードが少なすぎるんだよ。魅力的じゃないと思われてるんだ。
ゼロから開拓してやるぜ的な、開拓者根性のあるチャレンジャーな奴は別として、やっぱりどうせ行くなら無難な所を選ぶ者の方が多いんだよ。
今回の転生者達は、特に平和重要視な奴らが多かったしなぁ。
これは言い訳じゃなくて、本当の事なんだから。
文句があるなら何とかしろ、『運命』の奴ら。戦争を無くしてみろ。
ナジャジェンダは深いため息をついた。
仕方ないので今回は不作ということで帰ろうかと考え始めた時、ふとまだ待合室に1人残っているのを感じた。
ここと同じくパール色のスベスベした壁と床で作られている、卵型をした待合室に男が1人ぽつんと椅子に座っていた。
未だに残っているということは、どこからもお呼びがかからないというか、体よく断られたのだろう。
転生者の希望優先とはいえ、受け入れ側のほうも選ぶ権利がある。
希望者にアッサリいらないというのではなく、希望人数に達したとかなんとか言って、やんわり断るのである。
残っている者の気を感じながらファイルを手に取る。
『ヤン・ヴォロツキー 享年42歳 地球 チェコスロバキア人 生前職 路面電車運転手……趣味 読書・ジオラマ作り……』
思いっきり一般ピープルじゃん。みんな正直だなぁ。
『他星転生希望理由:転生得点で希望を多く聞いてもらえると聞いて』
確かに地元から別の星に転生する時は、本人の希望を比較的多く取り入れたりするのが一般的だ。
だけどそのまま書くとは、馬鹿なのか正直なのか。
普通『他所の星で活躍したい』とか『知らない世界を見てみたい』とか、それなりの理由を答えるものなのだけど。
『転生先で何をやりたいか:精一杯楽しく生きたい』
こいつ馬鹿正直なんだ。そして欲がない。
そりゃ楽しい人生を送りたいとは誰も思うだろうけど、どうせならもっと苦労をせずに金や権力を得たいとか、具体的に言うもんじゃないのか。
他の奴なら『知識を生かして新たな文明の発展に協力したい』とか、『平民からのし上がって、一国一城の王になるサクセスストーリーをやりたいから、絶対カリスマ性が欲しい』、『思い切り無双したい』
とか諸々大仰な事言ってくるのに。
うーん、こういうの嫌いじゃないかも。
だけど、こいつもどうせ文明が高いところ希望なんだろうとファイルをあらためて見ると、
『転生先の文明度:特に希望なし』だった。
ううーん、どうしよう。今回1人も連れて帰らないより、一般市民枠でも1人連れ帰るのもありか。
他星への転生ができるという事は、ある程度転生ポイントが高い―――言い換えればそれなりに魂に徳があるという事だ。
転生者の転生先希望は第3希望までしか提示できないので、それ以降の希望は直接訊くしかない。
とりあえず交渉に応じるかどうか、係の天使に聞いてきてもらうよう頼んだ。
ヤンはお呼びがかかってすぐに返答してきた。
とりあえず話し合いはできるようなので交渉部屋でそのまま待つ。ややあって、ヤンが天使に連れられて入ってきた。
見るからに人の好さそうな大人しそうな顔立ちの細身の男だった。
「まぁ、そこ座って」
ナジャジェンダは目の前の椅子を指した。男はおずおずと向かいに座った。
「あの、すみません。こちらに希望入れなかったのにお呼び頂いて……。本当はこちらと超能力を誇示されてた星と、どっちにするか迷ってたんですけど……」
ヤンは申し訳なさそうに弁解した。
「そういうのはいいから。こっちは気にしないよ。
で、さっき紹介したけど、あらためてうちの星のこと説明するよ」
「……と、これが一通りなんだけど、今回一般市民枠での募集なので、国王の息子になりたいとか勇者になりたいとか言われても無理なんだけど、もちろん嫌なら遠慮なく断ってくれて良いからね」
ここはあくまで一般市民ランクを強調しとかないと、アレコレ注文かけられても、期待できないから無駄に特約を使えないからね。
まっこれで断るなら縁が無かったって事で。
「大丈夫です。というか、そんな大それた器じゃないです私。そんな過ぎた力もらっても勿体ないです。
一般市民で結構です」
ヤンは目の前で両手を振って慌てたように否定した。
うん、一応身の程はわきまえているようだな。
「ではそう言う基準で何か希望はあるかい? 出来る範囲で要望通りにするよ」
「では、まず両親は仲が良い人にして頂けますか? 生前の両親は私が物心つく頃から喧嘩が絶えなくて、私が義務教育を終えた途端離婚しまして……。今度はそういった親を見たくないんです」
「わかった。相性のいいカップルに生まれるようにするさ。それぐらい簡単だよ」
手元の書類に追加事項を書き込むナジャジェンダ。
「あと、出来る限り健康体にしてもらえますか? 生前はわりと体が弱くて、すぐに風邪をひいて寝込んだり、食が細かったりしたもので」
「うん、うん、まず体は資本だからな。黒死病クラスの病原菌以下には耐えられる免疫力と体力をつけてやるさ」
「それと生まれる場所なんですけど、出来る限り平穏な国がいいんです。前は戦争とか何かと国内でも紛争があったりして……心穏やかに過ごせなかったので。
戦争が無いのが一番なのですが、人が集まれば何かと諍いがあるのは、ある程度しょうがないかなとも思います。
でも独裁とかじゃなくて、出来るだけ国が国民を大事にしてくれるところがいいです」
ふーん、こいつ結構わかってるじゃないか。さっきの他星のPRにあったけど、惑星全体を統一して安定してるっていう処、胡散臭いもんなー。
いいとこしか言ってないけど、ありゃあ民衆を完全管理して個性が無くなってしまっているところが多いんだよね。
だから自分のとこより文明が低くても、新しい精神体が欲しいんだよねぇ。
「よし、それなら民を大事にして比較的平和な国ならあるよ。治安もそうだね、お前の国にも劣ってないぐらいのところが」
「それでお願いします。あと……」
ヤンは両膝に乗せた手を握り、前後に体を揺らしながら聞いてきた。
「魔法があると聞いたのですが、私にも使えるのでしょうか?」
「そうだねぇー」
ナジャジェンダはペンの後ろで頭を軽く掻きながら
「個人差がかなりあって、ほとんど使えない者から大魔法使いと言われる者まで千差万別なんだけど、お前は一般市民枠だからね。
使えるとしても生活魔法と言われる、灯りをつけたり火を熾したりできる範囲ぐらいかなぁ。
あとは訓練次第で少し伸びるけど。
もし魔法をたくさん使えるようになりたいというなら、お前みたいな人間ではなく、亜人や魔人に転生するという手もあるけど」
「いえ、人間でお願いします。まだ見た事もない人種にいきなりなるのはどうも……」
「まぁ、使えない魔法も、魔道具や魔法式と魔石の組み合わせで使うことができるものがあるから、普通に暮らす分には事足りる程度には魔力を付けとくよ」
「有難うございます。私子供の頃、ドラゴンや騎士の出てくる物語を読んで、魔法に憧れたことがあるんです。
自分で少しでも使えるようになるなんて夢のようです」
大人しかった男は珍しく目をキラキラさせて声を高めた。
知ってるよ。うちに転生を希望する者のほとんどが魔法に喰い付くんだよね。
今後募集するとき、いっそのこと魔法力5割増しとか特典付けたほうがいいかもしれないな。
帰ったら特典要望申請をしようとナジャジェンダは思った。
「では、こんなとこでいいのかな? 最後にまだ何か要望は無い?
ないならこれで手続きしちゃうけどさ」
するとヤンは少しもじもじしながら
「……失礼ですがそちらには学校ってあるのでしょうか?」
「あるよ。国によっては違いがあるけど、大体12~14歳までを一般教育として設けているところが多いよ。
150年くらい前から、教育が文化発展に必要という考えが広がってきていてさ。上の学校には大学や魔法学校とかいろいろ最近では出来ているよ」
そう聞くとヤンはやや前のめりになった。
「あの私、学校に行きたいんです。前の家が貧しかったことと親が離婚したせいもあって、義務教育が終わったあとにすぐ働かなくてはいけなくて。
本当は大学まで行きたかったんです。
自分みたいな頭の良くないのが大学まで行っても何が出来るかわかりませんが、勉強は嫌いじゃありませんでした。
家で本を読んだり、一般講習を受けにいったりはしたのですが……言い訳ですが……毎日の仕事に疲れて余り出来なくなってしまって………。
自己満足かもしれませんが、学べば学んだ分だけ、人生に選択肢が増えるんじゃないかと年を取ってつくづく思ったんです。
だから今度は出来れば貧しくないというか、私を学校に行かせてくれるぐらいの収入のある家に生まれたいです。
その……これってやっぱり贅沢ですよね………」
ヤンは申し訳なさそうに少し下を向いた。
「知識を求める者に門は開かれり」
ナジャジェンダはポンと両膝を軽く打った。
「気に入った! それぐらい許容範囲さ。中流家庭以上ならそれくらい容易いだろう。あたいは知識の神の13番目の使徒なり。純粋に知識を求める者には力を貸そう。お前が学びやすい環境に出来るだけ設定しよう」
「有難うございます。凄く希望が持てました!」
ヤンは顔を上げると何度も頭を下げた。
「あとそうだな、どうせだから空間収納魔法を使えるようにしておくか。
これは自分のみの異次元空間に物を収納できる魔法さ。見えないロッカールームみたいなものかな。
お前みたいな人間だと、約3,500人に1人くらいの割合で持ってる特殊スキルだよ。
容量に個人差があるけど平均より大きめにしとくね。
これは持ってると持ってないとでは随分出来る事が違うよ。
仕事の選択肢も増えるしね」
「わぁ、有難うございます! 有難うございます!」
再びヤンは先程より明るい笑顔で頭を下げた。
「以上で良いかな?」
「はいっ十分です!」
「じゃあ最後に確認するけど、うちに来てくれるんだね?」
「ハイ、
ヤンは立ち上がるとガバッと頭を深く下げた。
ナジャジェンダは席を立つとヤンに右手を出した。
その手を触れてよいのかと、おずおずと手を出すヤン。
「ではよろしくな、ヤン。我がアドアステラにようこそ」
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