第45話 万能薬と神の祝福


「ん? これは食べ物かい。ちょっと味見……」

 彼女はテーブルの上にあった袋から缶を1つ取り出した。

「おいっ 勝手に食べるな」

「それ、人間用じゃないですよ……」

「んー、不味くはないけど少し薄味かな?」

 そう言ってナジャ様は缶詰を1つ綺麗に平らげてしまった。

 だってそれ猫缶ですから。

「そうそう、これ持ってきたよ」


 白くて綺麗な手に紐のついた小瓶が乗っていた。

 何か森の中のような匂いと柑橘系のようなかすかな甘い匂いがした。

「不眠症によく効くよー。地球ではアロマセラピーとか言ってるようだけど。

 これは誘眠草とその他3種類の安静ハーブのエキスが入っているんだ。直接飲んでもいいけど、こうして香りだけでも十分リラックスできるよ」

「あ……わざわざ有難うございます」


 俺はもらってベッドの壁際についているフックにぶる下げた。

 ナジャ様はベッドの中に身を乗り出してそれを見ていた。

 前のワンピースと違って胸元がやたら開いてるし、スカート丈もスゴク短くなってる。

 腰に巻いていた赤い布は無くなって、胸の下から腰にかけてレース模様で透けていて、微かにヘソが見える。

 いつもだったらドギマギするところだが、今は感性が死んでるからそんな事も面倒くさい。


「もういいだろ、用が済んだら帰れ」

「おいおい、そんな素気無くしないでよー」

 ナジャ様はそう言ってもう1つの椅子に座った。

 あ、これは長居するパターンだな。俺寝てていいのかな。

 俺はなんとかベッドに起きようとした。


「蒼也、お前は寝てろ」

「そうだよ、あたいも構わないよ。

 時にお前さん、さっき目の前で薬を燃やしたろ?」

 そう言いながら俺の方に向かって足を組んだ。

 なんかアピールがハッキリしてるんだが、今の俺は萎えてますから。

「悪い癖だな。覗き見してたか」

「ああいうのは本人の目の前でやっちゃ駄目だよ。コッソリ別のものと交換しとけばいいのにさー」

 チチチと彼女は人差し指を振った。

「う……む」

 すいません、当の本人の目の前で言ってますけど。

 ただこの時俺は直観した。

 以前、ヴァリアスに入れ知恵したインテリヤクザもどきはナジャ様だと。


「ところでお前さんに一応教えておこうと思ったことがあってね」

「なんだ?」

「ほら、運命の893番の――」

「待った! その名前出すなっ !!」

 ヴァリアスが珍しく慌てて手で制した。

「あいつ勘が鋭いから名前出したら気づくだろ。ここに来たらどうする!」

「ケケケ、大丈夫だと思うよ。今こっちにいないから」

「……ならいいが、一応隠蔽を最大にしとくか」

 一瞬辺りが薄暗くなって、また元に戻った。

 窓や階下から聞こえる、1階の食堂の声は変わらず聞こえる。


「で、あのブラックホールがどうした?」

「ケーケッケッケッ! いいね、その比喩。

 それがね、そのブラックホールにちょうど会ってさ、お前さんがどこにいるって聞いてきたんだよ」

「はぁ? なんで? あいつは今休暇中だろ」

「なんか以前世話になったから、何か手伝えないかとか言ってたけど」

「世話も何も仕事で手を貸しただけだ。それにアイツの瘴気はどうなった? 

 あんな状態で来られても逆に迷惑だぞ」


「なんかどっかの恒星で焼いたとか言ってスッキリしてたよ。しばらく瘴気も愚痴も出ないんじゃない?」

「うーん、それでも時間の問題だな。あいつクソ真面目だし通常モードなら全然いいんだが、いつ暗黒スイッチが入るか分からないからな。

 今は蒼也に会わせたくないし」

 なんか面倒な事になってるの?


「オレがどこにいるとか言ってないだろうな?」

「どこ行ったって聞くからさ、たぶん“C4”辺りだと思うって教えといたよ」

「――“C4”ってあのコロッセウムか? オレが行ったのは30年程前じゃないか」

「行ったのは事実だし、情報が古かったてだけで嘘はついてないでしょ? だから今頃アイツ、馬頭星雲辺りをウロウロしてるんじゃない?」

 綺麗な顔でコロコロと明るく言ってるけど、それって立派に騙してますよね。

 と横になりながらぼんやり思う。


「待てよ、運命か……。ちょっと使えるかもしれないな」

 ヴァリアスが悪だくみをした時のような顔をした。

 悪代官どころか悪の皇帝並みだ。

「それはそうと、ソウヤはどうするのさ? ポーションは使わないのかい? ―――脳内ホルモンの分泌を正常にすれば、とりあえずはだいぶ良くなると思うけど」

 ナジャ様がノースリーブからするりと出している手を伸ばして、俺の頭を優しく撫でる。

 こういう風に触られたのは元カノ以来か。なんだか少し気持ちいい。


「……昨日1度使っているし、依存や中毒性があるからあまり使いたくない。このまま大人しくしてれば、おそらく2,3日でホルモンバランスは落ち着くはずだ」

「中毒ってあんまり頻繁に使わなきゃいいだけじゃないの?」

「たかが100年前後の人間ならまだいいが、コイツの寿命は桁が違う。同じ感覚で使ってたら大量に使用することになるからな」

「自然力で出来る限り治したいなら、妖精の泉はどう?」


 それを聞いてヴァリアスが体を前かがみにした。

「あっ そうか、アレがあったな! アレなら1回くらい良いか。

 妖精とはいえ実際は精霊界の代物だが、神力じゃないから制約にも引っかからないしな」

「ギリギリだけどね、ケケケ」


「ちょっと行ってくる」

 ヴァリアスが立ち上がった。

「神界にも行ってくるから、お前少し蒼也が変なマネしないように見ててくれるか?」

「いいよ。ゆっくり行ってきなよ」

 いつものフェードアウトでなく、瞬時に消えた。

 しかし俺って信用がないんだな。別に変なマネなんかできないよ。


「さてとソウヤ、やっと二人っきりになったね」

 ナジャ様が椅子から立ち上がるとベッドの縁に座ってきた。

 俺は起き上がろうとしたが、柔らかく手で押し戻された。

「そのままでいいよ。可哀そうに熱のせいで頭痛いんだろー」

 そう言って再び俺の頭を優しく撫でる。

 持ってきてくれたアロマの匂いに交じって、違う香りがする。


「……せっかく来てもらったのに、こんな状態ですいません…」

「いいよー。具合悪い時は気を使わなくて。

 イアンがね、とっても喜んでたよ。楽しみが増えたって。

 昨日も夜なべして魔方式調べてたし」

「……それは良かったです……」

 彼女の声は少女の時と少し違って甘い声になっていた。


「王都は楽しかっただろう? あそこは治安もいいから住みやすいよ。こっちは地球よりも女の数が多いから、男はいいよー。養えるなら妻も複数持ってOKだし」

「……俺は1人で精一杯ですよ。それにまず相手できるかわからないし……」

 いや、相手にされるかわからないんだ……。

「お前は押しが足りなさ過ぎるんだよ。相手がちょっとその気になりかかっても、何もしないからチャンスが流れちゃうんだよー」

 ……だって期待して傷つくのはもう嫌なんですよ。


「お前のとこではチャンスの女神には前髪しかないとか言う諺があるらしいね。

 だけど髪しか掴んじゃいけないのかい? 腕でも服でも大当たりを狙わなければ、意外とチャンスは多いんじゃないのかー?」

 まずモテメンならですね。

 それに今の俺は他人の言葉はほとんど頭に入って来ない。

 言葉だけが上滑りしていく。

「まぁ、女の髪を掴むなんて失礼だけどねー」

 と言ってケケケと美女らしからぬ笑いをした。


 そうして少し声のトーンを落として 

「こっちの女は気が強いから、逆に押してくれるかもね。

 大体、お前は自信が無さすぎなんだよ。自分の事を過小評価し過ぎてる。

 まあ、そこがお前の個性でもあるところなんだけどねー」


 ゆっくりおでこから頭に向かって撫でられていると、香りのせいもあってなんだか眠くなってきたというか、少し朦朧となってきた。

「どう? もうこっちに住んじゃいなよ。イアンだって地球人の友達が出来たら喜ぶしさー。なぁーこっちに永住するー?」

「は……いや、まだわかんないです……」

「チッ、まだ足りないか…」


 あっぶねぇ! 目が覚めた。

 もう少しで言質取られるとこだった。

 少しだけ今の状況を把握した。


「まぁいいや。どうせ先は長いんだし、そういやお前のために今回大きくなってきたんだよー。どうだい?」

 彼女はいったん体を離したが、また屈みこんできた。

「え……ええ…とても綺麗です」

「本当かなー? ちなみにソウヤ、お前は巨乳派か? 微乳派か? それとも美乳派か?」

「は ?」

「ほらー せっかくだからお前の好みに調節してやるぞ。どれがいい?」

 そう言いながら美しい顔が、息がかかるほどに近づいて来た。


 以前は蕾のようだった唇が、今日はなまめかしいつやを放つ花弁になっている。

 前は可愛らしかった大きなエメラルドグリーンの瞳が、今は妖しい切れ長になっている。

 スベスベした太ももが俺の手の甲に乗ってきて、柔らかい2つの膨らみが俺の胸の上に伸し掛かってきた。

 今は感性が死んでるとはいえ、さすがにこれはちょっと落ち着かない。

 マズい。熱が上がりそうだ。

 ヴァリアス早く帰ってきてくんないかな。

「……今のままで良いです」

「そうか、そうか。ソウヤは美乳が好きなんだな」とナジャ様はニコニコした。

 いや、どれとは言ってないですよ。

 それ広めないでくださいね。


「おい、何やってる。熱が上がってるぞ」

 帰ってきた!

「フフン、ちょっとお喋りしてただけだよ」

「その体勢でか? お前が変なマネしてどうする。とにかく退け」

 ナジャ様をどかすと、小さな缶コーヒーくらいのサイズの小瓶を渡された。

 中には透明な液体が入っている。揺らすとキラキラと虹色の光を反射した。

「それ飲んでみろ」

 コルク栓を抜いて匂いを嗅いでみたが全く何も感じなかった。飲んでみると見た目よりトロンとした舌ざわりで味は無かった。


「「どうだ?」」

 2人に見つめられながら、1秒、2秒……。

 最初胃の辺りから体に染みわたっていく感じがした。

 それはあの英気の出る湧き水を飲んだ時に似ていたが、そのまま腕や足、指先や髪まで体の隅々まで行き渡っていった。

 それが収まると体が軽くなっていた。熱も引いて頭痛も無くなった。

 気が付くとさっきまで重くのしかかっていた、あの暗雲のような気分が消えていた。


「熱が引いた。気分良くなったよ」

「よし! 上手くいったな」

「ソウヤ良かったなー」

「えと、色々有難うございます。ご迷惑かけました」

 俺は2人に頭を下げた。

「ナジャ、お前にはまた美味いもの食わしてやる」

「オーッ 楽しみにしてるよ!」

 見ると手の肌艶も良くなってる。なんか凄いな。

「一応余分に取って来た」

 そう言ってさっきと同じ小瓶を2つ見せてくれた。


「本当はこんなのに頼るのはあまり好ましくないんだ。元々規格外の回復力があるのに、あまり外部の力に頼ってると、体がそれに依存するようになる可能性があるだろ。

 だけどお前は危なっかしいからな」

「これ何だったの? 回復ヒールポーション?」

「妖精の泉の水だよ。天然のエリクシル、国によってエリクサーとも言うがな。

 これは昨日のポーションのような人工のモノじゃないからリスクが少ないんだ。人工の物と違って過剰摂取になりにくいからな」

「えっ、エリクサーってあの万能薬の?! それってポーションの最高峰なんじゃないの?」

 ゲームや小説・マンガでも手に入りづらいアイテムベスト10に入ったりする物じゃなかったかな。

「まぁそうだな。回復どころか欠損した部位まで再生することが出来る。

 本来なら精神にも作用するんだが、お前の場合そういったものに頼らず、自力で治すよう制約がかかっているから、平常に戻ったくらいだけどな」


 ヴァリアスが向かいの椅子に座る。ナジャ様はまだベッドの縁に座ったままだ。

 さっきまでは感じなかったのに、気分が治った途端に急に意識してしまった。

 白い太腿が丸出しで、ちょっと目のやり場に困る。

「転移で行ったわりには、ちょっと時間かかったんじゃないの?」

「ああ、ちょっと番人キーパー倒してきたからな、今人間どもが泉に行ったら、エリクシル取り放題だな」

「そんなの倒さなくても神の隠蔽を使えば素通り出来ただろうに」

「正攻法でいったまでだ。最近体が鈍ってたしな」

「ケケケ、だからお前さん、力の調節が遅れるんだよ」

「あの、その番人とかってなんか大事なんじゃないの? あんまり人が入っちゃいけない場所なような気がするんだけど」

 何か俺のせいでとんでもない事が起こっているような気がする。


「大丈夫だ。どうせ半日もすれば再生する。それに人間にはそう簡単に辿り着ける場所じゃない」

「妖精の泉ってのはね、元々は妖精の王が住んでた妖精郷にあるんだよ。

 今は妖精たちは出て行ちゃったんだけど、泉を残していったままでね。

 その泉の守りとしてガィスターゴーレムが残ってるんだけど、コイツらがゴーレムだけに頭固くてさ。

 もう主人がいないのにずーっと泉を守ってて、それこそ神でさえ排除しようとするんだよ」

 美女はさも面白そうに言った。

「それってなんだか切ないですね……。もう誰もいないのに命令だけを守ってるのって」

「そんな事はない。墓守みたいなものだ。あれがアイツらの存在意義なんだよ。

 だからたまに相手してやったほうがいいんだ」

 そういうものなのかなぁ。


「そういやあっちの件も済ましてきたのかい?」

「アイツ、必要な時に見つからないぞ。念のためC4も行ってみたけどいなかったぞ。

 だから運命の使徒総長に伝えてきた。来るときは蒼也が近くにいない時にしろってな。安全を確認するまで蒼也からは100マール(約160.9㎞)近寄らないよう警告してもらう事にした。

 本当はその10倍以上がいいんだが、あいつも何かで地上に降りるとも限らないし、妥協案だな」

 なんかいつの間にか、俺のストーカー事案みたいになってるんだけど。


「まっ、とにかく治って良かったなソウヤ」

 ナジャ様が俺の方に向き直って笑みを浮かべた。

「せっかくだから快気祝いしてやるよ」

 そう言って俺の右手を掴むと、自分の胸に押し当てた。


「え……エェッ!?」

「馬鹿っ!お前っオーラ引っ込めろっ !!」

「おっと、うっかりしてたよ。悪い悪い」

 服の上からだったが、胸元が大きく開いていたせいで指が素肌に触れた。

 とても吸い付くような……。

 触れた手から何かがゆっくり伝わってきた。

 それはとても心地よく温かく甘美なもので、腕から肩や胸、頭と皮膚の上から内側へと全身を包んでいった。


「まっ、うっかり事故って事で。どう? ソウヤ、神界の祝福は」

「絶対ワザとだろ。こっちの籍じゃないのに祝福なんて勝手にやったら………もういい。帰れ、帰れ」

 ヴァリアスがシッシッと手を振る。

「ハイハイ、じゃあまたなソウヤ。命ある限り恋はしろよー」

 ナジャ様はそのまま霧にかすむように消えていった。


 俺は自分の右手をぼーっと見ていた。

 気分はとても穏やかでそれでいて高揚していた。

 なんか今だったら世界中の全てのものがバラ色に見れそうだ。

 こんな気分になったのは昔、彼女と上手くいっていた頃以来だ。

 たぶん一種のチャーム状態になっていたのだろう。

 だが気分が凄くいいのに何故か熱がポーッと上がってきた。

 なんでだろう。熱が上がるのも気持ちいい。

 妙な感じだがダルささえ心地良く感じた。


「やれやれ、反動が出たな。さすがに護符や制約も祝福は防がないし、なんとか耐性を鍛えないと……」

 ヴァリアスが何かブツブツ言っていたが、俺はもうボヤーッとしていてわからなかった。

 そのまま横になると、水の中にするんと綺麗に入ったように眠りに落ちた。


 まだ20代の頃の夢を見た。

 会社の慰安旅行で温泉に行ったときの事で、夜、ホテルで同僚とバカ騒ぎをした。

 皆で子供のように、枕投げや倒れた奴を布団巻きにして転がしたりしてはしゃいで騒いた。

 とても楽しかった。

 後で聞くと俺は寝ながらクスクス笑っていたらしい。

 

 遠くで昼を告げる鐘の音が聞こえた。

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