第44話 鬱と消えた淡い恋
閉門の鐘で目が覚めた。
窓から差し込む光が薄暗くなっている。
「少し回復したようだな」
ヴァリアスが向かいの椅子に座っていた。
食欲はないけど確かに眩暈も無くなってる。
「大体お前はな、鉄とか亜鉛とかカルシウム、タンパク質が足りないんだよ。
まだ成長期なんだから肉喰え、肉っ」
起きていきなりお説教かよ。
「そんな事言われても、今まで人生100年のつもりで生きてきたんだから、中身はすでに折り返し後半モードだよ。
最近あんまりコッテリしたのばかりだと胃にもたれるし」
この時は成長期と言われても実感しなかったが、随分後になって測定してみたら、この頃より12㎝ほど身長が伸びていた。
「自分がそう思ってるから体に老いが反映してるんだ。これからはオレが管理してやる。
これ飲めっ」
目の前に木製のコップを出してきた。
中に緑色のドロッとした液体が入っている。なんか葉っぱの青臭い匂い。
一口飲んで戻しそうになってしまった。
不味いっ!!
なんというか生青汁に生レバーを入れたみたいな、不協和音の絶望的なハーモニーになってる。
「それは7種類の薬草とロックバードの肝臓が入ってるんだ。お前の足りない栄養素が全部入ってるぞ」
「……味が人間の飲むものじゃないんだけど……ていうか飲めないよ、これ……」
「良薬口に苦しって言うだろ」
「いや、これ無理だよ……。吐いちゃいそうだし……」
奴は苦い顔をすると
「……しょうがないな。じゃあこれでどうだ?」
もう一度渡してきたのは少し甘い匂いがした。
恐る恐る飲んでみると、フルーツの甘味が混じって、さっきより青臭さもかなり減って飲みやすくなっていた。
「あー、だいぶ飲みやすくなった。これならなんとか飲めるかな」
「そうか。だがこれだと含有量が始めの3分の1になってしまうな。一日3回に分けて摂取するか」
「えっ これ毎日飲むの?」
「当たり前だろ。ちゃんと用意してやるからお前は飲むだけでいい」
それは有難いけど、これだけでお腹一杯になりそうだ。
調子が良くなってくると、なんだか体が汚れているような気がしてきた。
確かに森の中を歩き回ったし、転がったりしたからな。
シャワー室は今空いているようなので入りに行く。
家では大抵はシャワーで済ませてしまうが、たまには湯舟に入りたいな。
あっそうだ。
俺は出したお湯を操作して四角いBOX状にしてみた。
これこれ、使えるじゃん水魔法。
前だったら状態を保つのに集中し続けなくてはいけなかったが、最近なんとか気を抜いても維持できるようになってきた。
これならバスタブなしでも風呂に入れる。あー リラックスする。
サッパリしたら気分もだいぶ良くなった。
どうせもう今日は外に出ないし、スウェットのままでいいや。
廊下に出て改めて気が付いたのだが、突き当りに窓があった。
何気に覗いてみると、窓のすぐ下辺りから右側が庭になっていた。
上から見下ろすと馬小屋と納屋がある。どうやらこれが裏庭のようだ。
馬がいるようなので見ていたら
「蒼也、いつまでも廊下にいると風邪ひくぞ。さっさと部屋に戻れ」
いつの間にかそばにヴァリアスがいた。
「別に寒くないよ。ちょっと涼しくて気持ちいいし」
「いいから早く戻れ」
その時、誰かが柵の戸を開けて裏庭に入って来た。
リリエラだった。1人じゃない、若い男と一緒だ。
見た事ある奴だと思ったらあのギルドの買取所にいた男だった。
2人はちょうど死角になる窓のすぐ下でしばらく動かなかった。
ただ街灯がつくる影が、抱き合う2人の姿を見せていた。
そりゃそうだよな。
あんな可愛い
俺はそっと窓を離れた。
振り返るとヴァリアスが、片手を頭に当てて難しい顔をしていた。
「何もこのタイミングでバレなくてもいいのに……」
「なんだ、心配してくれてるのか? 別に平気だよ。
だって親子以上に年が離れてるし、始めからその気はないから」
部屋に戻ってベッドに座ると、洗濯袋に脱いだ服と下着を入れる。
そろそろ洗い物を頼もうか。
ホテルのように洗濯してくれるサービスがあるらしい。たぶん井戸周りの洗濯女に委託するのだろうけど。
何故だか自然と溜息が出た。
なんだ、何を気落ちしてるんだ? リリエラには始めから期待してなかったろ?
リリエラは良い
うん、そう祝福したい…………はずだ。
それともちょっとでも可能性があるとでも思ってたのか…………?
確かにこっちだったら、俺の異常体質も受け入れてくれるんじゃないかって思ってたけど……………………………………
………年の離れた娘に少しでも期待してたなんて、自分が気持ち悪い………………………。
「蒼也……」
「……………………………………ワルい……俺、また寝るわ……」
一回軽く寝てしまったせいもあってなかなか寝付けなかった。
少し眠ると何か後味の悪い夢を見て目が覚めた。
そんな事を繰り返していた。
やっとウトウトしたら何かが背中に当たった。
抱き枕は抱えているから違うな。と思ったら首筋を濡れたザラザラしたもので撫でられた。
「うっひゃぁ!」
吃驚して振り返るとあの大猫だった。
なんだ、また窓から入って来たのか。
「おいっ、邪魔するんなら出ていけ」
ヴァリアスが猫を掴んでドアの方に行った。
本当ならいてくれても良かったんだが、今確かに構う余裕がない。
体がだるくて重くなってるし、頭痛がする。もしかしたらと思ってステータス画面を開く。
《 状態:異常 発熱:深部温度:38.6度 …… 》
おお、体温計いらないな。いや、そんな事より熱出たか。
俺は風邪は引かないが熱を出す事はある。
医者によるとどうも心因性発熱とかいうヤツだそうで、ウイルスや細菌による発熱ではないので、解熱剤が効かないらしい。
漢方薬とか対応するものもあるようだけど、基本的治療方法としてはストレスを溜めない事、ちゃんと睡眠を取る事しかない。
ただ、この倦怠感はたぶん発熱のせいだけじゃない気もする。
部屋の中は窓から差し込む光でだいぶ明るくなっていた。腕時計を見ると11時12分だった。
「ヴァリアス申し訳ないけど……俺の部屋戻れるかい?」
「良いが、帰るのか?」
「いや、一日で治るとは思えないから……逆に帰らないほうがいいんだけど、薬取りに行きたいんだ」
今帰っても月曜までに治るとは限らないから、こっちで治してから帰った方がいい。
就職してすぐに病欠は避けたい。
それに今頃日本は土曜日の昼過ぎだろうから、病院もやってないだろうし。
「ならオレが取ってくる。他にいる物はあるか?」
ヴァリアスが立ち上がった。
少し、考えて俺はスマホを操作した。
「これ買ってきてくれない? たぶんコンビニかスーパーで売ってるから」
目の前で白い霧が出たと同時に、ヴァリアスが消えた。
と思ったらほんの1秒でコンビニ袋を持ってまた現れた。
「有難う。しかしたくさん買ってきたな」
小さなテーブルの上は3つのコンビニ袋でいっぱいだ。
「店にあるの全部買ってきた。あとこれがお前の家にあった薬だ」
赤十字マークに薬と書いてある白い巾着袋は、冷蔵庫に入れておいたのでヒンヤリしていた。
俺は飲むものは大抵冷蔵庫に入れてしまう。その方が保存状態に安心感があるからだ。一緒に入れておいた冷却シートも良く冷えていた。
とりあえずおでこに貼る。
その他は病院で貰った抗うつ剤が何種類かと入眠剤。
抗うつ剤は、今年の春頃に会社がいよいよ危ないという話が出た時、不安感が募って医者に行った時にもらった残りだった。
大体5日分くらいあるかな。食後飲用なので本当は何か食べないといけないんだが、食欲ないしな。
1回分を水だけで飲みこむ。
「それってすぐ効くものなのか?」
「いや、大体2週間くらいから効果があるっていう話だけど、飲まないよりマシかなと」
「だったらその湧き水を飲んでた方が良いぞ。あんまり人工的なモノに頼り過ぎるのはオレは好かん」
「出来れば飲まないほうが良いに決まってるけどさ、飲むことで安心するんだよ」
そう、持っているだけで安心する物だってある。巾着袋に抗うつ剤を戻しながら、パンパンに膨らんでいる入眠剤の袋を見た。
飲んだり飲まなかったりしていたから、結構な量がたまっていた。
これだけあれば好きな時に死ぬことが出来そうな気がする。
途端に目の前で入眠剤の袋が燃えて、まさしく一瞬で消えた。
「エッ? あ……!」
「こんなモノいらんっ! 負の念がこもってる」
「いるよぉ! せっかく溜めたのに。それだけあれば――」
「あればなんだっ!」
「………あれば……いつでも死ねるって思える…………お守りなんだよ。
持ってるだけで安心できるんだよ」
「そんなお守り必要ないっ。それにお守りなら護符だってある」
「………………俺には自殺する権利もないのかよ……」
バチンと凄い衝撃が額にあって脳が揺れた。あとから痛みが来る。
「馬鹿がっ! させる訳ないだろっ」
「すっ凄ぃ痛ぃ……!」
俺はおでこを押さえて転がった。デコピンされたとこがジンジンする。
脳が揺れたおかげで頭痛が酷くなった。何本かのハンマーで打ちまくられているみたいにガンガンする。
「おっと、小指でやったがまだ調整不足だったか。今度はゴブリンでやらんと」
俺の頭にそっと手が触れた。
今の衝撃が消えて、また奥の方でこもるような頭痛だけが残った。
「大体こんなもの吐くほど飲まないと死ねないぞ。結局吐くことになるから、内臓やられて死ぬほど苦しむだけだ」
確かにコイツがいたら自殺は無理だな。未遂で死ぬほど怒られそうだが。
それに俺だって死にたいわけじゃない。
こんな苦しい状況から逃げ出したいだけなんだよ。
急に罪悪感がブワッと湧いてきて、涙が出てきた。
恥ずかしいので慌てて毛布を引っかぶる。
「………スイマセン、スイマセン……。こんな奴で…申し訳ありません…………」
鬱になった時、友達にかなり迷惑をかけた。
入院の手続きも任せっぱなしだったし、わざわざ会社帰りに様子を見に来てくれた。
俺は他人に迷惑かけっぱなしだ。
「……せっかくの大事な体に……こんな弱い魂が入ってすいません……」
神様の遺伝子を持つ貴重な体なのに中身がこんなんじゃ……出来るなら誰かもっとしっかりした人と交換して欲しい………。
「蒼也、お前どうしてその体で生まれてきたと思ってる?」
思考力ゼロになってる俺には、今何も考えられない。
「相性だよ。どんなに立派な体でも魂と相性が合わないと、命が生まれないんだ。
生まれる前に消えるか良くて死産してしまうんだ。魂を入れる前に出来る限り相性の具合を見るが、それでも確実に合うとは限らない。
ましてお前の体が造られる確率は非常に低かった。それに合う魂の確率はもっとだ。
主はお前が生まれて来てくれただけで、嬉しいとおっしゃってたぞ」
「……それだと尚更期待外れで 申し訳ないんだけど…」
とにかくこの時の俺はネガティブにしか考えられなかった。
せっかくこうして守護までつけてくれたのに……。
「それに……ヴァリアスにも申し訳ない……。せっかく面倒見てくれてるのにこんな厄介な奴で…………」
「オレはお前の守護霊の代わりだし、別にこういうことは嫌ではない。お前よりもっと酷い状態の奴の面倒をみた事もあるから、気にするな」
「…………他にもいたの?」
「ああ、人間じゃなくて、仕える神が違うが同じく使徒の奴だ」
「え……神様に近い使徒でもなるの?」
「使徒も色々いるからな。アイツは本当にブラックホールみたいな奴だったぞ。それに比べたらお前なんかほんの砂粒の隕石くらいだ」
いつもだったら興味も湧くところだが、今はそんな気分にならない。
しかも話すのが億劫になってきた。
が、これだけは言っておかねば。
「あの、今回の事……リリエラは関係ないからな……。これは俺の問題だから……」
「わかってるよ」
「だから、あの娘にマイナスポイント付けないでくれ……」
「当たり前だ。それより宿変えるか? もっといい部屋見つけてくるぞ」
「いや……ここでいいよ。あんまり綺麗だと落ち着かないし……」
孤児院にいた時は狭い部屋に2段ベッドで皆で寝てたしな。
今は明るいより薄暗いほうが落ち着く。
「とにかく今は気にせず休め。なんなら2,30年ぐらい寝ててもいいぞ」
さすがにドラゴンじゃないからそんなに寝られないよ、仕事もあるし。
それに疲労感はあるのに眠れない。
ゴロゴロ寝返りしていたら、ドアが遠慮がちにノックされた。
「あの……ヴァリアスさん、ソーヤさんいらっしゃいますか?」
リリエラだ。俺はまた毛布を頭から引っかぶった。
「何の用だ」
ドアの開く音がした。
「失礼いたします。所長達が良ろしければ、本日ハンターギルドにお越しいただきたいと言ってます」
「行かん。今は蒼也の体調が優れない。それほど急ぎの用じゃないんだろ?
治ったらそのうち行くと言っとけ」
「えっ? ソーヤさん具合悪いんですか? 何かできる事ありますか? お薬とか用意――」
「何もしなくていい。とにかくそう伝えとけ」
再びドアの閉まる音。
ヴァリアスが戻ってきて椅子に座る音がした。
本当ならこんな時に人に傍にいられるのは、いろんな意味で辛いのだけど、何故かあまり気にならなかった。
もしかすると気配を薄めてるとか、何かしてるのかもしれない。
聞いたら守護霊代わりなのだから当たり前だと言われた。
後で知ったが同期とか同化とかいう、隠蔽とはまた違う力が作用していたらしい。
俺は眠れないままベッドの上で何時間も過ごしていた。
途中トイレに行きたくなったが、気力も出ないしまず体が重くて動きづらい。
グズグズしてたら急に尿意が無くなった。
咄嗟に漏らしたのかと焦ったが、濡れてなかった。そんな動揺した俺の気を察したようにヴァリアスが言った。
「ちゃんと下水に流したから大丈夫だ」
水魔法か! だけど
自分でやればいいのだけど、何故か水魔法どころか魔力が出ない。声が急に出なくなってしまったような感覚だ。
「たかが排出物の始末くらい気にするな。ドラゴンの時の方がもっと大量だったぞ。とにかく今は何も考えるな」
そう言われてもやっぱり眠れない。
ずっと頭が締め付けられている感じがする。
そうしているうちに閉門の鐘の音が聞こえ、辺りが段々暗くなってきた頃、ポゥっと小さな明かりが部屋に灯った。
「脱水になるから水飲め。これは直接口から飲んだ方がいい」
だが体を動かすのも億劫だし、気力が無いせいか収納空間が開かない。
起き上がるのなんてまず出来そうにない。
そうしたら体がリクライニングベッドみたいに自然と起き上がった。
水の入ったコップを渡されたのでなんとか飲む。
病人みたいだと言ったら、病人だろうと言われた。
だけど水を飲んだおかげで少し気分が回復して動けるようになった。
ずっと同じ姿勢で寝ていたから体が痛い。
……ちょっと音楽でも聞こう。
スマホのマイミュージックから ≪ブルーな気分の時に≫ のリストを選択。
もう夜なのでイヤホンで聞く。
なんか久しぶりに聞くなぁ。
だが暫く聞いていたらイヤホンを外された。
「おい、暗い歌は止めろ。もう少し明るいのにしとけ」
「こんな時に明るい歌なんか聞きたくないよ……これくらい自由にしたっていいだろう」
それに歌の順番はシャッフルで流れるから、失恋して睡眠薬飲んでとうとう川を渡ってあちらに行ってしまうという、某女性歌手の歌が流れたのは決して当てつけじゃないぞ。
「そうだよ。こういう時は悲しい曲の方がリラックスできる事があるんだよー」
「あ゛っ? 何しに来た。なんだその姿は?」
この声は……。
俺がゆっくり振り返ると、結構すぐ近くに顔があってちょっと焦った。
しかもその顔が…。
「ナジャ様? なんか姿が……」
それはあの中学生くらいの少女ではなく、妙齢な女性の姿だった。
「ソウヤ、具合悪いんだろー? 見舞いに来てやったぞ。ついでにお前の好みに大きくなってきたよ」
と言ってケケケと笑った。
中身は変わってないようだ。
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