第46話 エッガー副長の来訪

 まどろみながら抱き枕を手探りしたら、毛皮に触れた。

 また赤毛の猫が横にいて、出した俺の手をザラザラした舌で舐めてきた。

 そのドラえもんのようなまんまるの手を取って、肉球の匂いを嗅ぐ。

 なんだかお日様のというか香ばしい匂いがした。

 毛に覆われた肉球は少し表面が硬かったけれど、隙間が柔らかく触ると気持ちいい。

 猫も嫌がらず、そのまま俺の手を舐めていた。

 あっそうだ。猫缶!

 俺は起き上がった。


「気分良さそうだな」

 ヴァリアスは壁を後ろに、足元の方の椅子に座っていた。

「うん、何年ぶりかくらいに清々しい気分だ」

 体も軽いし、今なら何でも出来そうな気がする。

 

 テーブルの上のレジ袋から猫缶を選ぶ。

 カツオ、マグロ、ホタテ、ささみ……色々あるな。

 とりあえず全部の味を出すか。

 缶を開けていくと匂いがするのか、猫が鳴きながら足にスリついてきた。

 缶のまま出すと切り口で舌を切るかもしれないから、皿に出してやらないと。

 あっ 皿が無かった。もうこのレジ袋でいいか。


 床にレジ袋を敷いて1個、缶を開けた。

 レジ袋に中身を出した途端に頭を突き出してきたので、続いて2個めを出す事が出来ない。

 食べ終わると口の周りをデカいベロで舐めまわしながら、おかわりを求めるように鳴くので出してやると、また大きな頭がレジ袋を覆ってしまった。

 しょうがないので俺はわんこ蕎麦方式で、傍で次の缶を開けながら待機するしかなかった。

 猫は変な喋る様な声を出しながら一心不乱に食べている。

 良かった。どうやら美味しいらしい。


 やっぱり動物はいいなぁ。飼いたいけどうちのアパートはペット不可だし、第一、家を空けたりするのに無責任に飼えないしなぁ。

 などと考えながら、次々と順調に猫缶を出していった。ひと通り食べたらお腹も落ち着いたようだ。


 皿が無いので、パックの牛乳を丸く球体にして出してやった。

 始め匂いを嗅いでいたが、一口舐めてからピシャピシャ飲み始めた。

 やっぱりこっちの猫もミルクは好きなのか。


 そんな猫を見ていたら俺の腹が鳴った。

 こんな風に健康的に鳴るのは久しぶりだ。そういや丸一日食べてなかったか。

「なんか腹減ってきた。そういや俺につき合ってヴァリアスも食べてないんじゃないのか?」

「オレは別に食べなくても平気だ。お前達生物とは違う」

 そうなんだ。ってナジャ様はじゃあ何なんだよ? ただの嗜好なのか?


「そういや昨日、リリエラがギルド長達が呼んでるって言ってたよね。昼めし食べたら行こうか?」

「――行かなくても向こうから来たようだぞ」

 そう言われて探知してみた。


 確かに2人の男が階段を上ってくる。

 護符のせいかぼやけて誰だか分からないが、そう言うからにはギルド関係なんだろう。

「どうする? 食事を先にしとくか?」

「いや、わざわざ来てくれたんだから後でいいよ」

 

 3回ノック音がした。

 俺はギルド関係と分かっていたからすぐドアを開けた。

「や、ソーヤさん、具合はもう良いのですか?」

 廊下にはエッガー副長と鞄を持った若い男が立っていた。

「ええ、薬のおかげで全快しました。これからちょうどギルドに行くところだったんです」

「それは良かった。ではちょっとお邪魔して宜しいですかな?」

「どうぞ。狭いとこですけど」

 

 副長は部屋の中を覗くと、男から大きな鞄を受け取り下で待つように指示した。

 おっとテーブルの上を片付けないと。

 猫缶を収納していると、足元の猫が大あくびをして、のしのしとベッドに上がっていった。

 ミルクも綺麗に無くなっている。

 副長にもう1つの椅子を勧めて、俺はベッドに座った。

 やっぱり男3人だと閉塞感があるな。


「本当にこの宿に泊まっていたんですな」

 あらためて部屋を見回して感じ入ったようにエッガー副長が言った。

「蒼也がこういう狭くて薄暗い所が好きだからだ」

「いや、そんないつもじゃないですよ。この間の宿も良かったですし」

 人を穴熊みたいに言うなよ。


「それで今日はどんな用なんです。一昨日のオークの件ですか?」

「ああ、一昨日はご報告有難うございました。あれから念のためDランクの者を十数名手配して調べさせてます。

 森の奥に群れが移動して来ていないとも限らないので。

 で、今日は別件で……」


「どうせ各方面から来た依頼だろう? SSランクがいると分かってこぞって送ってきたんだろうが」

 鞄から分厚い書類を出そうとしていた副長が手を止めた。

「流石ですね。では話が早い」

 テーブルの上に分厚い紙の束がバサバサと置かれた。

 どう見ても全部で広辞苑くらいの厚みがあるんだけど、紙自体が厚いとかじゃないよね。

 何枚あるんだこれ?


「これでも不確かなものや、明らかにAランク以下で済みそうなものは省いたんです。もちろん、受けるか受けないかはお任せしますが、一応目を通して貰えますか?」

「オレが断ったという大義名分が必要なんだな。しょうがない」

 そう言うとヴァリアスは紙の束を手に取った。

「恐れ入ります」と副長は座ったまま頭を下げた。

 ギルドも大変なんだなぁ。


 ヴァリアスは書類を見るというより素早くめくりながら、パラパラと紙を飛ばしていった。

 床はたちまち紙だらけになった。


「これ、Aランクの魔法使いがパーティに1人いれば済む。これもAとBの戦士とBのアコライト神の従者の混合でいける。

 あとドラゴン関係多いな。

 言っとくが被害があっての退治じゃなくて、素材が欲しいだけなのはやらんぞ。

 これ以上鱗を取ったら、アイツ禿げ上がっちまうからな」

 なんで同じドラゴンから取ろうとするんだ?

 紙吹雪はまだまだ続く。


「ディゴン? この時期こんな浅瀬に出てこないぞ。オクトパシー系の見間違いじゃないのか?

 ――ん、迷走の場合もあるか。

 これ退治すれば肝臓はもらってもいいんだろうな?」

「もちろんです。内臓どころか、全部退治した者に権利があります」

 副長が書類を覗き込んで答える。


「蒼也、今度は海行ってみるか? ディゴン見てみるか?」

「ディゴンて? ジュゴンじゃなくて?」

「そういやお前のとこじゃ『ダゴン』って言ってたかな?」

「だ、ダゴン !? いるのかそんなものっ!

 はっ、その肝臓って、まさか俺に食べさせる気じゃないだろうなっ?!」

「そうだ。あれは滋養強壮剤として特級品だぞ」


 俺はキッパリ断った。

「嫌だっ! そんなの絶対食べないぞ。あんな悍ましいもの、なんで食用なんだよっ」

 俺はラヴクラフト全集読んだし、映画も見たことある。

 あの通りだとしたら、人が出会っては絶対いけないものだ。

 なんでイルカ見に行くみたいに気軽に言うんだ。

「まだ早いか、まぁこれは確認しておこう」

 その書類はテーブルに戻された。

 後でだって見たくないって!


 そんな俺の様子に構わず、超速読で書類を見ていく奴と対照的に、ちょっと目が疲れたように眉間の辺りを押さえるエッガー副長。

 護符が邪魔しているが、なんとかオーラが見えないか集中していたら、ほんの一瞬だけスッと視界が開けたようになって、両目の辺りと右こめかみの辺りに黒っぽい靄がかかっているのが見えた。

 ふと横を向くとヴァリアスと目が合った。

 奴が力を貸してくれたようだ。


「失礼ですけど、疲れ目とか片頭痛とかありますか?」

「……わかりますか? いや、持病でね。

 ギルドに就職してから細かい事務仕事のせいか、酷くなりましてね」

「薬とかでは治らないんですか?」

「以前はよく飲んでたんですよ。だけど段々ポーションに耐性が出来てしまってあまり効かなくなってしまったんです。

 今じゃハイポーションでも効き目が悪いし、いざっていう時に効かなくなると困るので、今はポーションは控えてます。

 代わりに治療師に診てもらってますが、すぐに元通りになってしまって……」


 ああ、大変だな。

 そういや鎮痛剤を常用していた人が、手術の時に麻酔が効きずらくなったって聞いた事がある。やっぱり飲み過ぎは良くないんだな。

 だけど薬に頼らざるえない時もあるしなぁ。


「その治療師の見立てが間違ってるからだ」

 ヴァリアスが書類から目を離さずに言ってきた。

「えっ……それって診断ミスってこと?」

「どうせ疲れ目と頭痛を別々に判断して治療してるんだろ? 

 原因を正さないからいつまでも治らないんだ」

「ヴァリアスは分かるのか? そうだよな」


「副長、お前のその頭痛の原因は目が5、ストレスが3、古傷が1、その他睡眠不足とか諸々だ。このうちの半分を占める目は、瞬きが極端に少ないために起こる乾き目だ。

 以前から戦闘の時に目に頼り過ぎてたろ」

 渇き目ってドライアイの事か。


「……確かに、現役時代パーティの中では一番視力が良かったので、視覚で補うところがありました。

 獲物の一挙一動を見逃さないように目を凝らして…」

「元々涙の分泌が少ない上に、瞬きをしないのが癖になったからだ。それをまず治さないと頭痛は治らん」


「それってポーションで治らないのか? スプレマシーポーションとかなら良いのか?」

 スプレマシーと聞いて副長がたかが疲れ目にとんでもないと言った。

 やっぱり高いものなのか?

「回復ポーション系はな、基本的に元々の回復力を上げるだけの物なんだ。だから回復力だけ上げても元通りになるとは限らないんだよ」

 あ、前に言ってた回復と治療は違うって事か。


「じゃあアレなら治るのか。昨日俺にくれた――」

「ダメだ。あれはお前の為に取ってきた物だ。なんで他人に使う必要がある」

 書類から目を外してこちらを睨むように見てきた。

「でも確かまだあるんだろ。

 ……そりゃ俺が取ってきた訳じゃないけどさ……」

 エッガー副長はどうしたらいいのかわからず、俺達の顔を交互に見ていた。

 ヴァリアスはまた書類に目を戻して、紙を盛大にまき散らし始めた。


 暫く間があって

「蒼也、ディゴンの肝食べるか?」

「え……」

 いや無理だろ。あんな神話に出てくるような、見た者が発狂するような怪物の内臓って……。

 だけどこっちでは認知されてるって事は、地球で知られるほど不吉で忌むべきものじゃないのかなぁ。


「エッガー副長……」

「はい?」

「そのディゴンの肝って……こちらでは食べられるんですよね?」

「ええ、もちろんです。ただドラゴン並みに入手困難で、かなりの高級食材ですよ。しかも特殊素材で万能薬エリクシルを作るときの原料の1つになります」

 なんか高級漢方薬の素材みたいだな。

 冬虫夏草どころじゃなさそうだけど。


「どうする?」

「……善処します……」

「良し! これで終わりだ」

 いつの間にか書類を全部見終わっていたのか、手にはもう紙を持っていなかった。

 代わりにテーブルに数枚の書類と、床を真っ白に覆いつくした無数の紙。


「副長お前、蒼也に感謝しろよ。これは特別だからな」

 ヴァリアスが立ち上がる。紙踏むなよ。

 俺は床に落ちている紙を拾いながらその様子を見ていた。


「動くなよ」

 そう言ってヴァリアスは副長のほうに右手を伸ばすと、目の辺りを掴むように遮った。

 目とこめかみのまわりが、陽炎が揺れたように少しぶれて見えた。

 右手を離すと副長が目をパチパチしばつかせた。

「お……痛みが消えた。目と頭がスッキリしてる!」

「アレ使わないのか?」

「言っただろう。アレはお前用に取ってある。お前じゃなければ力が使えるからな」


「あなたは確か……アビリティは戦士だったはず。これはただの回復魔法じゃなくて治療魔法ではないですか? 

 戦士と正反対のスキルをここまで持つなんて……」

「そうやって1つの基準だけで考えるのは良くないぞ。千差万別、同じ人間なんか1人もいないんだから、こういう奴もいるって事だ」

 いやあんた人間じゃないけどね。


「いや、本当に敬服致しました。どうも有難うございます」

 副長は深く頭を下げた。

「そんな大したものじゃないぞ。治療したのは古傷と涙腺だけだ。あとは回復しただけだから、また原因を溜め込めば再発するからな」

 気が付くと手に持っていた書類が無くなっていた。床のもだ。

 見るとテーブルの上にまた紙の束が綺麗に山盛りになっていた。

 副長もまた目を瞬かせた。


「その山はそっちでなんとかなるはずだ。こっちは一応受諾する。情報が違ってたら突き返すからな」

 コツコツと数枚の書類を指で叩いた。

「いや、1件でも受けて頂ければ有難い」


 副長は書類の山を鞄に仕舞い込んだ。

 そうして受諾するほうの書類を確認していたが

「これも宜しいので? 確かに緊急案件ではありますが……ちょっと報酬額が心もとないので」

 と、1枚の書類をこちらに向けた。


「そのつもりで持ってきたんだろう? 別に報酬以外に思うところがあるからだ」

 こちらからは書類が斜めになっていてよく分からなかったが、また肝関係じゃないだろうな。

「どうも恐れ入ります。助かります。もちろん各拠点となるギルドへ行かれる際の移動費用は、ご用意いたします。なんなら転移を使って頂いても――」

「いらん。それより面白いものを持ってきてくれればそれでいい」

 転移を使うようなとこって事は、やっぱり相当遠いところの依頼もあるのだろうか。


「ああ、そうでした。うっかり忘れてました」

 そう言って鞄から銅色のプレートを取り出した。

「ソウヤさんFからEランクに昇格ですよ」

 新しいハンタープレートだった。おお、やっとランク上がったか。

「前回のドラゴンの新発見や今回の報告の件もありますが、ドルクがソーヤさんの魔法力が高いと押してましてね」


「ドルク……さんて?」

「ああ、買取所の主任がドルクといいます。あのブラウン髭の」

「あーあのスタンハンセ……じゃなくて主任さん」

 そうか、そういう推薦も昇格ポイントになるんだな。

 ありがとドルクのおっさん。


「それではこのプレートに血を。あと古いプレートは回収します」

 またあのモスキートペンで血を取り、新しいプレートに垂らした。

 Eの文字以外、前と変わらないがそれでも気分が上がる。早く色もシルバーにしたいところだ。


「ちなみに今回持ってきて頂いたオークですが、ハイオーク以外はソーヤさんが討伐したと聞いてますが」

「ええ、まぁ証明は出来ませんが……」

 やっぱり疑われてるのかな。確かに申告制だもんな。

「いえ、疑ってるわけではありません」

 慌てて副長は手を振った。


「ただ、うち3頭が調べても体に傷が無くて、解析しても死因がハッキリしないのですよ。毒の痕跡もないし、強いて言えば窒息に近い感じでしたが、どうやったんですか?」

「あれは酸素欠乏症にして窒息させたんです」

「さんそけつ……?」

「空気中の酸素を極端に少なくして……いや風魔法のアレンジです。空気の配分をちょっと変えるんです。息をしている生物には大概効くかなと」

 ここでは酸素とか、そういう概念がないのかもしれない。


「窒息にしても、普通苦しくて顔や喉の辺りを掻きむしったりした跡が残ったりするんですが、3頭とも古い傷以外無かったと聞いてますが」

 へぇー、監察医みたいな事するんだ。

「酸欠にさせると、上手くいけば即死させられるので、苦しまないんですよ」


 副長が俺をじっと見てきた。

「……やはりあなたも只者じゃなさそうですな」

 なんかあらためて品定めされてる気がする。


「いや、お邪魔しました」

 ポンと軽く両膝を叩いて勢いよく副長は立ち上がった。

 もう一度頭を下げると副長は出ていった。

 俺も頭を下げて見送った。

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