第213話☆ 希望と絶望の混迷


 ロイエとメラッドは戸惑っていた。

 サーシャが自分の体を、『エナジースポット』 に投げ入れろと言うのだ。


 エナジースポット――ダンジョンのコア

 マグマに勝るとも劣らない凄まじいエネルギーに満ち、近寄る者を灰さえ残さずに燃やし尽くす。

 それに触れることは消滅を意味していた。  


「サーシャ……、何故そんな事を言うんだ……」

 ロイエが呻くように言った。

「諦めないでくれよ……姐さんらしくねえよ……」

 メラッドが歯を食いしばるように声を漏らした。


「私は別に諦めたわけでも、弱気になったわけでもないわよ」

 いつもと変わらぬあっさりした口調でサーシャが答えた。


 しかしその様子は石畳に体を横たえ、美しい金色の瞳の中の瞳孔も開いたまま天井に向けて微動だにしない。

 動くのは口だけだ。


「いつかこんな時が来るのは分かっていたはず。それが思ったより早かっただけでしょう。

 それにこの人生はこれで終わるけど、魂生は続くのよ。

 1つの生に執着するのは良くないわ」


「待ってくれ、あっしがなんとかするっ」

 メラッドが立ち上がる。

「ここは王都に近い。町に行けば『蘇生師』くらい見つかるはずだ。

 だからそれで――」


「私は傀儡になる気はないわよっ!」

 細い眉も動かさず、ピシャッとサーシャが言った。

「本当の『蘇生スキル』を持つ者が、いくら王都でも何人いると思うの?

蘇生師リバイバー』と名乗る者のほとんどが、本当は『屍術師ネクロマンサー』なのは知ってるでしょう」


 蘇生術はその名の通り、欠損・損壊した肉体を新しく再生させ、魂をも繋ぎ直す。

 神聖魔法の中でも生命を扱うまさに神の業、軽々しく行ってはいけない禁忌魔法とも言える。

 もちろんその力を有する者は他の能力者に比べて圧倒的に少なく、発現が認められれば不死を望む貴族や王族に半ば強制的に囲われることになる。

 そのため街中や外では護衛及び監視役が必ず付いており、簡単に会えるような状況にはまずいない。

 

 他にも近い能力者――再生師というのがいる。

 魂までは戻せないが、欠損した部位の完全再生を施す『一部蘇生』能力。


 これは王家・貴族達がやはり厳重に管理しているエリクシル万能薬の力に匹敵する。

 対象が死にきっていなければ、個人の能力差もあるが元通りに肉体を再生させられる事が可能だ。

 当然、これらの者も権力者たちに重宝される存在となる。


 彼ら生きるエリクシル達は、貴族たちのみならず、裏の権力者たちの大切な切り札でもあった。


 そうして裏社会なら、金や交渉次第でなんとか取り次いでもらえる事がある。

 彼らにとってそれは多大な利益に繋がるビジネスであり、そういった表に出せない仕事を取り次ぐ闇ブローカーも少なからず暗躍していた。


 ただし信用が第一と言いながら、身内さえも信じていない闇を生きる者たち。

 名は知れているとはいえ、 一見いちげんの客に真っ当な働きをしてくれるかどうか。

 しかも遺体はこの美貌である。どのような穢らわしい目的に使われるかわからない。


「……しかしこのままでは姐さんが……」

「だから、私の今生は終わったのよ。

 こうして体を通して話していられるのも、今のうちだけよ。スピリットは完全に外れてしまってるのだから、もうこのからだにはつかないわ。

 本当の私はお前たちの真ん中にいるの」


 言われてメラッドとロイエはそれぞれの横を振り向いた。

 ただ2人に見えるのはあくまでも互いの戸惑う顔だけ。あの麗しいかんばせを薄っすらとも感じられなかった。


「魔法使いの感性がないお前たちには無理ね。それはしょうがないことよ。

 ああ……もう時間がないわ。

 お願いだから最後の頼みを聞いてちょうだい。

 私は次にいきたいの。だからこの体の墓も残さないで」


「サーシャ……。そんなにこの老いぼれを残して先にいきたいのか……」

 ロイエが思わずサーシャの冷たくなった手を両手で握る。

「順番が早くなっただけよ。ただ……」

 唇が動きを止めた。


 2人の男も呆然としたまま微動だに出来ない。

 辺りは一瞬にして静寂に包まれたようだった。


「ああ、余計なことを話し過ぎたわね」

 サーシャは絹糸のような髪をかき上げると、小さくため息をついた。実際には口から息は出なかった。

 2人の間から立ち上がると、まずロイエの後ろにまわった。そのまま老人の前に両手をまわすと、その小さくなった背中を抱きしめた。


「今までありがとう。初めて会った時から助けてくれて。

 最後に言えなかったけど、本当の父のように思える時もあったのよ。

 愛してるわ。元気でね」

 それから今度は左の男メラッドの後ろに立ち、またその大きな背中を抱いた。


「メラッド、お前は見かけによらずに泣き虫ね。いつもそう感情を剥き出しにして。

 でも一緒にいて本当に楽しかったわよ。ありがとう。

 愛してるわ。残りの人生を無駄にしないでね」

 そう言う彼女は淋しそうに細い眉をひそめていた。


「今……確かにサーシャを感じた。この老いぼれを気遣っていた……」

 ロイエがゆっくりと後ろに頭を動かした。

「おれもだ……。姐さんが抱きしめてくれた……」

 メラッドも背後を見る。

 まるで彼女が視えているかのように。


「肉体は無くなっても、我らはいつも一緒だ。

 ……死さえも我らを引き裂く事は出来ん」

 ロイエがサーシャの体をそっと抱え上げた。

 メラッドが顔を上げる。

「行こう。まずはお嬢の意思を履行しなければ」


 そんな2人の後ろ姿をサーシャと共にフューリィも見送っていた。

「あばよ、旦那たち。おいらの分まで元気でな」

 出ているわけでもない鼻水をズッと啜るように鼻を鳴らした。


「もちろんお前も大好きよ、愛してるわ、フューリィ」

 サーシャが彼を振り向くと言った。

「だから自由にいきなさい」

「おいらはこれからも姐御と一緒にいたい。いいっすか……」

 最後の方は少しおどおどと上目遣いになった。

 

 ふっとサーシャが口角を上げた。

「好きにすればいいわ。お前の自由ですもの」

 そうして通路の向こうに顔をむけた。

 そこには角から怖々と顔を覗かせる子供と、壁の途中にしがみつくように宙に浮かぶ戸惑う女がいた。


「まずはあの2人からね」

 そう言いながらフューリィに向き直ると

「付いて来るならまた手伝ってもらうわよ」

「がってんでさ! 姐御」

 小男は嬉しそうに顔を綻ばせた。


 けれど物事は思い通りに上手くいくとは限らないもの。

 それは人の心も同じで…………。



    ******




 ……ズ・ズ・ズズズ ゴゴゴォオォオ ゴォゴゴゴゴォ…… 


 始めは微かな振動だった。

 やがてだんだんと大きくなると左右の壁や床、辺り全体を揺さぶり始めた。その強い揺れで目が覚めた。

 

 次第に小さく消えていく振動の代わりに意識がハッキリしてくる。


 反射的に探知の触手を伸ばして辺りを探った。

 こんな場合むやみに体を動かさずに周囲を窺う。動くことで自分の存在を知られることを防ぐために身についた習慣だった。


 思い出した。

 魔力を探知に使って大丈夫か? 確か枯渇寸前だったはず――


 だが、くり出した触手はなんの苦も無く伸び、いつも通り腕を伸ばすが如く動かす事が出来た。

 魔力の切れそうな感じもない。ダンジョン内は魔素が平地より濃いから、より早く充填されたのか。

 

 何故かおれは緩い坂の通路に横たわっていた。

 最後の記憶では4層の石畳にいたはずだ。そこに猫が来たまでは覚えている。

 それは背中や首まわりに、あの蔓山猫のオーラが微かに残っているので夢じゃないようだ。

 猫がおれをここまで連れてきた……?


 通路沿いに探っていくと、緩く下る坂を降りたところに出口が開き、その外にはぼんやりした石畳が視える。

 4層の通路だ。そこから上層に向けたこの坂が伸びている。

 

 ただ自分のいるこの通路は途中で行き止まりだった。

 目の前には通路を塞ぐように分厚い壁がある。壁と言っても仕切りというより、地層であった。この穴は層の途中で止まっていたのだ。


 このような繋がらない通路は少なからずあるが、何故こんなところに連れてきたのか。

 亡霊やハンターが来ない、一時的な隠れ家としてか。

 それなら猫はどこに行った?

 まさか餌になりそうな獲物がいないこの場所で、狩りにでも行ったのか。


 気まぐれに助けてくれたのか、それともおれが死んだら喰うつもりで運んだのか。

 ――いや、魔物の、動物の考えはわからないな。

 どうであれ結果的には助かったが。


 右手の指を動かしてみた。

 痺れているのとは違う、力は入るのに麻痺しているような鈍い妙な感覚だ。

 続いて左手も。いや体全体がそうだ。


 神経が鈍くなっているのか痛みはないが、体が硬く強ばっているのを感じる。

 頭の奥がヒンヤリして鉛が入っているように重い。


 ギリギリまで死にかけていたせいだろう。

 だが、ゆっくりと力を入れていくと、軋みながらも動かす事が出来た。

 

 左足に意識を持っていく。

 相変わらず軋むが痛みもなく、とんでもない方向に曲がっていたはずの膝も戻っている。

 骨はつながっていた。左腕も。胸骨も。

 負傷したはずの箇所は跡かたなく治っていた。


 一瞬信じられなかった。

 いくら魔力を体の維持に振り切ったとはいえ、こんな速度で治ったのは初めてだ。

 まるでスプレマシーポーション(ハイポーションより上の治療薬)を使ったみたいだ。

 

 目の前に掲げた腕には実体がある。亡霊の幽体などではない。

 助かったのか。

 それでも慎重に体を起こす。

 

 大丈夫だ。問題なく片足でも立てる。肩を軽く振ると脱臼も治っている。少々体の節々が硬くなっているが問題ない。

 ただ全体に、何かが失われたような妙な喪失感があるが、鈍重な雲がかかった頭ではそれが何かわからなかった。


 一体何時間、眠っていたのだろう。これは相当長く仮死に近い状態だったのでは。

 もしかすると何日かもしれないな。


 ふとエイダの顔が浮かんだ。

 もう約束の日は過ぎてしまっただろうか。

 あいつはおれが来ないことに腹を立てているか、それとも心配してくれているだろうか。

 

 とにかく今考えなくてはならないのは、ここから脱出することだ。 

 あらためて身のまわりを確認する。


 泥の臭いが酷い。

 体中にあのハンターの泥がこびり付いている。元々地下奥深くの土石の塊りだから泥臭いのは当たり前なのだが、それにしてもまるで腐葉土に顔を突っ込んでいるみたいに臭う。


 他の感覚が鈍っているのに、何故か嗅覚だけが以前より鋭敏になっている気がする。

 これも本当に死にかけたせいの副作用か。時間が経てば戻るだろうか。

 

 この臭いを付けたままでいれば、ハンターから身を護ることも出来るかもしれないが、おれは体と泥の間に空気の層を入れて汚泥を全て剥がし落した。

 ハンターに襲われる危険よりも、今はこのかび臭い刺激臭をいつまでも吸っている方が体に良くないように思われた。


 剣どころかダガーも無くしたので、残る武器はサイドポーチにある数個の鉄弾だけだ。

 だが怪我も治り、魔力も回復したのならこれで十分だ。

 今までだって身一つで乗り越えてきた。今回の予知の実現化はヤバかったが、それもなんとか乗り切った。

 もう予知の不安感はない。

 

 すると行き止まりの通路を塞ぐ壁がまた蠕動なのか、揺れながらじりじりと迫ってきた。

 体をゆっくりほぐす暇もなく下に降りる。


 穴から出ると、広い4層の通路は夏の日の昼のように眩い光で溢れていた。

 ここはこんなに明るかったか?


 天井のシャンデリアの明かりが、前よりも色が滲むように強く見える。

 確かにこのシャンデリアに灯る明かりは、ダンジョンのエナジーによる発火なのでただの炎ではない。

 

 しかし、こんなモゾモゾと蠢くような光を発していただろうか。

 まるでエナジーそのものが瞬いているようだ。

 探知で視たが以前とは変わらない。

 視力もおかしくなっているのかもしれないな。


 ふと今出てきた通路に振り返ると、前から何もなかったように繋ぎ目一つない壁となっていた。


 穴は完全に塞がったようだ。

 上に通じない穴だから閉じたところで一向に構わないが ―― ん、この場所はおれ達が落ちた罠のところじゃないか。


 通路穴があった壁から数歩先に、落とし穴のトラップがある。その踏板の上におれとあの兄ちゃんの気配が微かに残っている。

 ということは、さっきの穴はあの時目指した出口だったはずだが……。

 おれの読み間違いだったのか、それとも蠕動で変ってしまったのか。


 とにかく今は出口が移動してしまった。出来れば近くに移動していて欲しいものだ。


 そういえば近くに亡霊どもの気配が全くしないな。

 肉体がないとはいえ、奴らもこういう揺さぶりには敏感だ。

 樹に斧を撃ち込んだ際に騒ぎ飛び立つ鳥のように、あんな大きな蠕動の後はあちこちから湧き出て来るものだが。


【 お前は――どうする? 】


 驚いた。

 いつの間にか後ろに、ダークブラウンの長衣を着た人物が立っていた。体のまわりには幾本もの黒い鎖が緩く巻き付くように浮かび、波打つように宙に揺れている。


 ホールで会った、係と思われたヤツだ。

 やはりあの旦那と同じ、とてつもない存在感を持つくせに、気配が小虫の吐息ほども感じられない。

 

「――ぁんた ワぁ――」

 声が擦れた。

 喉というより胸に違和感があり、上手く声が出ない。まだ体が正常じゃないらしい。


【 我は ここの番人、管理人だ 】

 フード下の黒い仮面の穴から、赤い炎がちろちろと洩れる。

 

 死の淵まで行った今なら分かる。 

 確かに人の姿を模倣した人ならざる存在だった。

 管理人――ここダンジョンの本当の番人か。


 もう一度相手は聞き直してきた。

【 それで これから どうしたい? 力を貸してやろうか 】


「チぃ ニ……(地上に) もぉ……(戻りたい)」

 くそ、声が出ない。

 それでも番人は意味を察したように返答してきた。


【 残念だが それは出来ない。 我の権利は このダンジョンの内部なかのみだ 】

「 それ……(それなら)いっ……(一層まででいい)」 

 そこまで行ければあとは簡単だ。目を瞑っててもホールまで行ける。


 番人が手を貸してくれるなら有難い。

 助かるぞ。

 そうしたら『青い夜鳴き鳥亭』にまっしぐらだ。


 少し遅くなった償いはサプライズで穴埋めさせてもらうぜ、エイダ。

 戻ったらお前をあの店から永遠に連れ出してやる。


【 そうか。 けれど お前は―― 】

 そこで番人がおれの肩越しに何かに反応した。

 つられておれも背後を視た。


 ――あれは。

 

 まだ目視は出来ないが、探知の触手にこちらに走って来る男が視えた。

 間違いない、あの兄ちゃんだ。

 どうやら向こうも五体満足らしい。

 良かった。これで依頼も無事に終えられそうだ。


 向こうもこちらの触手に気がついたようだ。通路側面の穴にも伸ばしていた探知を引っ込めると、速度を上げて真っ直ぐにやって来た。


「ヨエルさんっ!」

 カーブから現れた依頼人の若い方が、手を振りながら走ってきた。

 おれが伝えるまでもなく、手前の罠を避けて回り込んでくる。


 目視でしか分からない旦那も、後から悠々と歩いて来た。

 依頼人であり恩人に言うのもアレだが、思った通りあの人も化け物だな。

 以前より確実に、人じゃない何かを感じる。

 そうして兄ちゃんも何か違うような――


「良かったっ! 思ったより無事だったん――」

 嬉しそうに差し出してきた両手が、急に何かにつかえたように止まった。その表情が笑顔から戸惑いに変っていく。


「…… …… ……」

 もう1つの音も出せない。

 まあいい。戻って治療師に診てもらえればすぐに治るだろう。

 それにどこで用意して来たのか、ポーションを持って来てるじゃないか。

 それを使わしてくれれば、一発で治りそうだ。


「……そんな、どうして……」

 若い男の顔が、子供がベソをかき始めたようにみるみる歪んでいく。


「…… ……」

 どうした?

 おれの顔色がそんなに悪いのか。

 確かに声は出ないし、まだ頭が芯が重いが、この通り体は大丈夫だ。


 おれは声が出ないだけなことを示すために喉を擦った。

 壁と同じヒンヤリした感触があった。

 

「……?」


「そもそも肺に空気が無いから声が出せないんだよ」

 後からゆっくりと追いついて来た、灰色の上衣コートを着た白い悪魔がこの世の終わりを告げて来た。


「お前、もう息してないだろ」




  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 何故かこれを書いてて、BGMに元ちとせさんの『春のかたみ』が浮かんできました。

『怪~ayakashi~化猫』と、和風アニメのエンディング曲なのだけど。


 それにしても、もう少し早く更新したいものです……(;´Д`)


 次回は更に混迷していきます。

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