第215話☆ 哀しきアンデッド


「ヴァリアスッ!! これはどういうことだっ?! 説明しろよっ」

 俺はまだ事態が飲みこめず、信じたくもなく、奴にあたった。


 それに対して平然と冷酷な断言が返って来た。

「説明も何も見たまま、感じたとおりだ。

 コイツは生物的には死んだ」


 更に追い打ちをかけて

「ただ力と念が強かったから、こうして肉体に魂が縛り付けられる現象が起きた。

 こういうのはお前のとこではゾ――」

「言うなっ 馬鹿野郎っ!!」

 その言葉を言ってしまったら、全てが肯定されてしまう気がした。

 しかし言わなくても、現実は変えられなかった。


「……ぉ おれわぁ 死んだ のか……?」

 ヨエルがやっと息を吸い込んだらしく声を出した。彼も信じられないといった感じで、しきりに目を動かしている。

「そうだ。生命力はもう枯渇していた。

 だが、お前は体を維持することに全力を尽くした。

 その強い念とまわりの濃い魔素が、このダンジョンという特殊な場で魂を持つ死体リビングデッドとして再構築したというわけだ」


 額に手をやりながらヨエルが目を伏せた。

 俺も力が抜けてその場にへたり込みそうだ。


「コイツを恨むなよ。

 オレ達と出会わなくても、お前が命を落すルートは他にもあったんだ」

 配慮というモノを全く知らない奴が平気で続ける。


「お前がアジーレを避けた為に、あの女エイダが1人で見物に行って災禍に巻き込まれ、止む得ず救助に入ったお前が、女を助ける代わりに死ぬパターンが一番確率が高かった。

 本来、今回の道筋なら、お前が生き残れる確率はおよそ4割以上あったんだ。

 だが、思ったよりお前が職務に忠実に――いや、皮肉なことに情に流されちまったから、傾向が変化しちまった」


 そう言って俺の方をちらりと見た。

という訳だ。まったく笑えねえよな。

 こんなシナリオを描いた、どこぞ運命の奴が」と、ギロッと宙を睨んだ。


 ……え……それじゃ、やっぱり俺が直接の原因なのか……。俺のせいでヨエルは死……。


 背中を奴が叩く。

「蒼也、泣くのはいいが、まだ気をしっかり持て。まだやる事が残ってるんだぞ」


「……あんだぁ、知っでたのか……。知ってたんだろぉっ!」

 こいつが知らないハズはない。何もかも分かっていてやらせたんだ!

「まあな。オレは結果がどうあれ、お前が目的に向かって最善を尽くすよう指導しただけだ。

 それにお前だって、コイツの生死については訊いてこなかったじゃねえか」


「なっ……!」

 カァーッと頭に血が上る思いだったが、言われてみれば確かにそうだった。

 ターヴィの時はさんざん確認していたのに、今回はその事について尋ねなかった。勝手にヨエルが生きているものと思い込んでいたのだ。


「どのみちそれを知ってどうする。

 もし聞いた時点でコイツが死んでいると分かったら、もうここに来る気はなかったのか?」

「それは……。だけどそう知ってたら、……覚悟して対処ができたのに」 

 そうだ。そうと知っていれば、さっきの遭難者たちに迷わず薬を使ってやれたのに!


「言っとくが、通常はここに来るまで結果は分からないだろ。確認するまでは知る術がないんだからな」

 ズイッと奴が屈んで俺を睨むように見た。

「これが当たり前なんだよ。

 だったら自分の信じた方向で行動するしかねえだろ。迷いや不安のない救助なんかこの世にはねえんだよ」


「そんなの屁理屈だ。……論点をずらしやがって」

 しかし悔しいが奴の言う通りだ。俺はいつも他人任せだった。

 その甘えがヨエルの……。

 いや、今こそ頼ったっていいっ!


「ヴァリアス、あんたならヨエルを生き返らせるんだろっ?

 なあっ、こんなに俺のために頑張ってくれたんだ。なら恩返ししないと。

 ヨエルを助けてくれよっ」

 その時、ピクッとヨエルの肩が反応した気がした。


 俺は奴に必死に頼みこんだ。

 しかし上から冷たい返事しか返って来なかった。

「ダメだ。そんな事をしたら完全なルール違反だ。オレも流石にそこまではできん」


 クソッ! コイツはいつだってそうだ。

 それなら――

 俺はヨエルの後ろに、存在薄く突っ立っている番人に向き直った。


「ねえっ番人さん、あなたも神様の使いなんでしょ? ならなんとかしてくれませんか。

 あなたはここダンジョンで一番権利があるんだから出来るでしょ――」

 しかし焦げ茶色のフードが、虚しく横に振られるばかりだった。


「クソォッ!! どいつもこいつも、ルール、ルールって言い訳しやがってっ。

 人の人生を弄んでるだけじゃないかよっ!」

 俺は怒鳴りながら地団駄を踏んだ。正直暴れまわりたいくらいだ。


 しかし当の本人のヨエルは、ほとんど身じろぎもせずに静かだった。

 するうちに彼はゆっくりと顔を上げた。


「……最後に一本吸っていいか?」

 ごく自然にヨエルが腰のポーチから、シガレットケースを出して言った。

 え……、何言ってるんだよ、ヨエル?!


「いいぞ。なんなら残り全部吸っておくか。それぐらい時間はあるぞ」

 奴が普通に答える。

 そうして彼の顔の前にポッと小さな火を灯した。


「すまねえな」

 ヨエルも違和感なく、その鬼火に加えたカンナビ大麻スの先をつけると火をつけた。

 ゆっくりと味わうように吸うと、ふうぅーと上に向かって吹く。白い煙が天井に向かってかき消える。


「まだ味はするんだなあ……」

 少し感心したように呟いた。

「……今まで色んな最後を視たが、まさか自分がアンデッドになるとは思わなかったぜ。

 まだ予知死を体験してる気分だ……」


「これは夢でも仮死でもねえぞ。お前は死んだんだ。これは現実だ」

「……」

 ふと煙が目に沁みたように、ヨエルが目の辺りに手をやった。

「確かに……、予知で体感した時とは見え方も違うしな……」


「そりゃそうだ。死者と生者じゃ視えてるモノが違う。ましてや瞳孔も全開だしな。

 それに嗅覚も鋭くなってるはずだ。

 今のお前は夜行する魔物と一緒なんだよ」

 死者に対して――いや、人に対してずい分な言い方だ。


「ふっ、さすがに容赦ねえな。最後まで旦那らしいや……」

 微かに彼の口元が皮肉に上がる。

 それから俺の方を見た。


「兄ちゃん、気にすんな。あんたのせいじゃねえよ。

 頼まれた上での事とはいえ、最終的におれが自分でやった結果なんだから。

 ハンターになった時から覚悟の上だ」

 その目は灰色となったとはいえ、意思のある色合いがあった。それはどこかあの『花蜜採り』のオバちゃんとも似ていた。


「よし、いいぞ。お前は最後は潔い奴だと思っていた。

 とにかくよく頑張った。コイツも世話になったしな。

 次の人生は快適に暮らせるように、オレが助言してねじ込んでやるよ。知り合いにそれなりに手をまわせる権力者奴もいるしな。

 なんなら何か要望があれば先に言ってみろ。直接言っといてやるぞ」


「……そんな急に言われてもなあ。……全くとんでもないヒトだったんだな、旦那は」

 フフッと軽く頭を振ったあと、また煙草を吸った。


「どんな最後を迎えるか、いつも考えてた。仕事の割には結構持ったほうだぜ。

 ただ最後があんた達で良かったよ。

 安心してこれを託せる」

 そう言って首の後ろに手をまわすと、ペンダントを外した。


「これ、悪いがギルドに返却してくれないか。後の手続きは伝言通りに宜しくと伝えてくれ」

 俺に向かって金色のハンタープレートを差し出した。


 ハンターの稼業は危険がともなうのが当たり前だ。

 だから万一の時のために、ギルドに公式の遺言書として書置きを預けておく者も少なくない。

 それは生死といつも背中合わせの冒険者と同じだ。

 彼のような身寄りがない者の場合、特にこういった意思表示が無いと厳かに埋葬された後、財産はギルドと教会、国の物になってしまう。


「おれはあまり使う用途がなかったから、あいつエイダが足抜けするには十分な額は預けてある。贅沢しなければ数年は働かずに暮らせるはずだ。

 ただ、一緒に新しい靴を買いに行けなくて済まないと、代わりに謝って――」 


「イヤですッ! 自分で直接言ってくださいっ!」

 やっと俺も声が出せた。

 

「諦めないでくださいよっ! まだあなたは死にきっていない。理性もある。

 体だって完全に死んでないっ」

 そうだ、彼の体の細胞はまだ全てが自己融解(細胞の死の始まり)しているわけではなく、部分的には仮死の状態で残っていた。

 脳細胞だって部分的にこうしてまだ動いているのだ。


「これ、拾ってきたんです」

 収納から彼のリュック、剣、ウォーハンドを床に出した。

 それと例のハイポーションも。

「死にきっていない細胞があるんだから、そこから再生だって出来る可能性はあるはずです。

 だからまずこれを飲んでください。それで治して帰りましょうっ」

 ヨエルは俺が差し出した薬も見ずに、軽く首を振った。

「勿体ない。……無駄だよ」


「いいから、飲んでくださいよっ」

 俺の勢いに彼はちょっと眉をくもらせたが、やがて諦めたように受け取るとグイッと瓶の中身を呑んだ。

 俺はその数秒間、まさに祈る思いだった。


 が、何も変化はなかった。

 ヨエルが軽く肩をすくめてみせる。

 確かにハイポーションだったはずなのに、地面に滲みこむ雨水のように、彼の体に消えていっただけだった。

 

「蒼也、無駄な真似はよせ。キュアポーションは生命エナジーに働くもんだ。

 コイツにそれがもう無いのはわかってるだろうが」

 ――っ、そんな事わかってるが――なんでも出来ることはやっておくもんだろうが。

 俺はなんとか一筋の光を、無闇やたらに探そうとしていた。

 駄々っ子と同じで無茶な願いを通そうとしていたのだ。


「そうだっ! 確かこの世界には死んだ人を生き返らせる蘇生術があるんですよね!? 司祭さんが言ってました」

 そう、俺は以前、治療魔法を学んだ際、あのハルベリー先生に聞いた事があるのだ。


 蘇生術、それは肉体を治すだけでなく、魂をも呼び戻す復活の魔法。

 究極の神聖魔法だけに出来る者はかなり少ないらしいが、国王の元にならきっと出来る僧侶か魔導士がいるはず。

 なら、上王様にお願いすれば何とかなるかもしれない。

 あの気さくな上王様アッシュなら力になってくれるに違いない。

 持つべきものは人脈だ。

 

「ギルドから上王様に連絡を取ってもらいましょう。

 大丈夫、上王様はこいつヴァリアスのこと気に入ってますから、きっと力を貸してくれるはずですよ」


「あ”っ?!」

 奴が酷く嫌そうな顔をしたが、無視した。

 もうあんたのプライバシーなんか気にしている場合じゃないんだよ。この際使えるモノはなんでも使ってやる。


 しかし、ヨエルはぼんやりした目を向けただけで何も答えなかった。


「さあっ! 早く行きましょう。やれる事はまだあります」

 俺は彼の腕を掴んで引っ張った。

 が、その腕は力を入れていないのに、彼の体は動かなかった。


「……兄ちゃんはこの辺りに穴が見えるかい?」

 急に妙な事を訊いてきた。

 すぐそばには、あの時入ろうとした上に向かうスロープの穴がある。これは蠕動で移動していなかったようだ。

 

「ええ、もちろん。上に行けるスロープですよね。だけど3層に上がるより、転移ポートを使った方が早いですよ」

 すると彼は何故か淋しそうに薄く笑った。

「そうか。やっぱりそこにまだあるのか……」


 ぽいっと残り少なくなった煙草を、その穴の方に放った。

 それは白い筋を残しながら、緩い坂の上に落ちた。

「おれにはもう、そいつ地上への道は見えない。……おれはもう地上には戻れないんだよ」

 

 呆然とする俺に悪魔が代わりに話し出した。

「蒼也、この世界のリビングデッドはな、普通の場所じゃ活動出来ないんだ。魔力が生命エナジーに取って代わっているからな。

 だからこういった濃い魔素のある場所でしかんだよ」

 聞きたくもない冷たい現実を突きつけられる。


 映画などでは、ダンジョンどころか町や都市にアンデッドが徘徊して人を襲うストーリーが多いが、こちらでは幸いな事に人の住む場所には現れなかった。


 時々魔素が濃く留まった墓場などに発生する場合があるが、それも昼間の魔素が薄まる時間帯には表に出て来れなかった。

 せいぜい魔素を含んだ土の中か、霊廟の奥に引っ込んでいるのだ。


 そうして地表に魔素が降りてくる夜に活動する。

 だからここではそういうアンデッドを、『ナイトウォーカー夜歩く者』と呼んでいた。


「じゃ、じゃあ、急いで誰か連れてきます。だからヨエルさんは待っててください!

 あの転移ポートのまぇデェッ――!!」


 ヴァチィンッ!! 

 右頬に恐ろしい打撃を受けて、俺は壁にぶっ飛んでいた。


「蒼也っ!! いい加減にしろっ!」

 爆発みたいなビンタを喰らわしてきた奴が、鬼の形相で怒鳴ってきた。


「覚悟を決めた者に、惑わすようなことを言うんじゃねえっ!! 

 旅立つ死者の足を引っ張ってどうする!?  

 ここでいつまでも迷ってたら、それこそ冥界ハデスにも行けず、本当に人を襲う魔物になるだけなんだぞ!」


 頬どころか、背中やあちこちを激しく打ち付けて、一瞬息も出来なかった。

「いいか、コイツの脳はもう長くは持たん。そのうち激しい飢餓感に襲われるようになる。生命エナジーに対する恐ろしい飢えだ。

 それが人を襲う原因になるんだよ」


 言いながら、奴は座り込んでいる俺の頭に手を当てた。

 柔らかいフワフワしたモノが頭から下に流れ体に沁みていくと、背中や頬の痛みが消えて口の中の血も無くなった。


 だが、俺の心中に開いた傷は治らない。それどころか一層痛みが増した。

 痛みの衝撃の余韻もあって、またボロボロと涙が止まらなくなった。


「お前は本当はちゃんとわかってるんだろ。

 だったらコイツの為に最後の祈りをしてやれ」  


 そうだ、もちろんわかってるさ。 

 ただ、この残酷な現実を受け入れるのを、少しでも遅らせたいだけなんだ。


 ヴァリアスは俺から手を離すと、またコートのポケットに手を入れながら、番人の方に顔を向けた。

「コイツはから、こっちで貰っていくぞ。いいな?」

 同意しか認めない強制的な承諾要求に、仮面の男がゆっくり頷くと、その姿がまわりの景色に溶け込むように消えていった。


「しっかりしろ蒼也。お前が出来ることはコイツを正しく送ってやることだ。

 神聖魔法の素質のある者だけが、アンデッドを助けられる」

「……助けるって……」

 俺は涙でグシャグシャのまま顔を上げた。


「ナイトウォーカーは一種の呪いだ。魂が体から離れられない。 

 だから綺麗に体から剥がしてやるんだ。

 祈りを込めて、体を破壊しろ。そうすればレイス迷える魂にもならず魂は自由になれる」

 涙も止まるほど愕然とした。


「……そっ、そんなこと、出来ないっ! 俺に出来るわけがないっ!」

 それに対し、聞き分けのない子供にヤクザが言い聞かせるように、奴が眉をしかめながら屈んできた。

「まだコイツはまだギリギリ『運命の狭間(アンデッドとしても中途半端)』にいる。

 だからオレ達が呪いを解くわけにいかねえんだよ。

 今やれるのはお前しかいない」


 そんな、いくら助けることになると言われても、死人とはいえ親しい人を殺すことなんて無理だ。

 大体、彼女エイダには何と言えばいいんだ。

 俺のせいで『恋人がアンデッドになったので、始末しました』なんて報告するのか。 

 そんなの絶対にいやだっ。


「お前はガキかっ!? イヤイヤばっか言ってても状況が良くなるわけねえだろっ!

 それならコイツが理性を失うまで黙って見ているか?

 自覚しながら少しずつアンデッドになるのは、ゆっくり殺されるようなもんなんだぞ。

 それはまさしく生殺しにするって事だっ」

 それも嫌だ!


 ヴァリアスがふとまわりに目を動かした。

「思ったより時間がねえな」

 それから剣を拾うと、俺の手に握らせた。


「もうすぐまたが起こる。

 その前にさっさと自由にしてやれ。今なら奴も無防備だ」

「ダメだっ そんなの……っ」

「バカ野郎っ! 辛くてもやらなくちゃならねえ事は山ほどあるんだっ!

 長引けばコイツをそれだけ苦しませることになるんだぞっ

 それにもうんだ。もっと面倒なことになるぞ」


 そんな ―― もう本当にどうしようもないのか ――?


 横を向くと、ヨエルは立ち尽くしたまま項垂れていた。

 始めは額に片手をやっていたが、ゆっくりと両手で顔を塞いだ。

 するうち、肩が微かに震え出す。


「………… そりゃ……おれだって出来れば生きていたかったさ……」

 ヴァリアスもヨエルの方に顔を向けた。

「……せっかく自由になれたのに……。エイダとこれから過ごすことも考……」

 グッと喉が詰まった。


「バカ蒼也っ。お前のせいで未練が出ちまったじゃないかよ」

 パコンと俺の頭をはたくと、ヨエルの方に声をかける。


「ヨエル、もう諦めろ。後の事は心配するな。あの女にもをつけといてやる。

 だから大人しく安心して逝ってこい」


「………… のせいだ……。さえ……入らなければ……」


 肩の揺れが小刻みから、体全体に大きくなっていった。

 それは大きく息を激しく吸っている様子に似ていた。


 しかし、彼から立ち上るオーラが、さっきまでの何もない空っぽの影のようなモノから、蠢く暗黒の闇に変わりつつあった。

 そこにメラメラと立ち上る炎のような殺意と憎しみを散らす、クリムゾンレッドが混じり出す。


「……ヨエル さ ん……!?」

「マズいぞ、コイツ。未練どころか憎悪にとらわれだした。

 だから早くしろと言ったのに」

「そ、……」


 手を離し、顔を上げたヨエルが俺の方を見た。

 それは悲しんでるようにも、怒っているみたいにもとれる表情だった。

 しかしその目だけに色が現れていた。

 オーラと同じ、憤怒の赤が。


 赤い波オーラが突然激しく爆ぜるように広がった。

 ほんの一瞬だったが、酷く熱く痛いくらいな――同時に獣の雄叫びが耳を突き抜けて、俺は目を覆った。


 気がつくと俺の手から剣が無くなっていた。

 そのまま灰色の影は、凄い勢いで通路の奥に消えていた。

 傍らにあったリュックとウォーハンドもない。


「ヨエルッ」

 俺も慌てて追いかけた。


「まったく、こっちの展開かよ」

 奴がボヤくように言うのが後ろから聞こえた。

「死者はな、感情が抑えきれなくなりやすいんだ。心の塊りだからな。

 このまま憎悪まみれになったら、もうお前の手には負えなくなるぞ。

 アイツの能力じゃ、アーロンを凌ぐ悪霊になるかもしれんからな」


 そんな、そんな化け物になるなんて――いいや、させちゃダメだっ!

「ヨエルーっ! 待ってくれっ 頼むっ!」

 俺は半泣きで叫びながら走っていた。

 もうハンターへの警戒など頭になかった。


 どうしていいのかわからないまま、まず彼を止めることしか考えられなかった。


 しかし力のセーブもしない彼の動きは凄まじく、あっという間に見失っていた。

 微かに残る黒と赤のオーラの痕跡を追いながら、広いシャンデリアの通路をひた走る。


 すると途中で横穴が無いのに、通路から痕跡が消えていた。

 追跡をされないように、オーラを引っ込めた?!

 

 困惑しながらもその場を探す。

 と、意外なところにオーラの僅かな鱗片があった。


 それは左手の壁を伝っていた。

 赤茶色のレンガの連なった面を大きく斜めに横切り、天井に達していた。

 シャンデリアの1つが微かに揺れている。


 動きが今までの彼じゃない。それともスカイバッドでも使ったのか。

 本気を出した彼を見つけられるのか、束の間、絶望に眩暈がする思いだった。

 だが、とにかく追わねば――。

 泣くと力が鈍る。

 もう泣いてる場合じゃない。


 再び奥に向かおうとした矢先、足元からズンッとした強い突き上げがあった。

 こんな時にまた蠕動か。


 無視して走ろうとしたが、すぐに違和感に気がついた。

 ハッとして一番近くのシャンデリアの上に転移した。

 同時に俺がいた石畳が口を開いた。


 足元に落とし穴があったのではない。

 通路の床全体が抜けていた。いや、消えていたのだ。


 緩く湾曲した長い通路が見えなくなる先まで、灰色の石畳が無くなっていた。

 その虚空となった床下から、白く淡い光をまとった霧が漂い始めてきた。

 そうして ゴ ゴ ゴゴゴォォォーーー という地鳴りが段々大きくなって来る。


「なんだ?! 今度は何が起きたんだ?」

 戸惑う俺のそばで見えない奴の声がした。


「だからまた異変が起こるって言ったろ。

 始まったんだよ、ダンジョンのが」

 


 

    ******



 この数時間前、最深部のぼんやりとした白い世界の中、またアーロンは猛り狂っていた。


 幾度となく襲うあの時の憤怒、激情、悲憤、嘆き……諸々の感情が奔流となって彼を振り回していた。

 

 成す術もなく陥った罠。

 しかも自分だけのみならず、愛する家族まで巻き込んでしまった。

 罪もないイザベラとまだ幼いダリルまで……。

 どう償えばいい? 


 ――どんな顔をして二人に会えるというのだ。今やその顔もない――


 この千切れんばかりの悔いをどう消せる? 

 あいつらへの恨みをどう晴らせばいい……?


 そんな事を始終思い出しては、虚しく暴れ、再び虚ろに戻るを繰り返す。

 怨霊アーロンの精神はダンジョンの虚空より広く、虚しさと怒りで一杯だった。


「ねえ、そんなに激しく飛び回らないでくれるかしら。

 それじゃ話も出来やしない」

 ふいに聞いた事のある女の声がした。


 巨木のような柱の前で急激に止まりながら、アーロンは声のした方に振り返った。

 そこには白いもやの天井から、天使のごとく降りてきた若い女がいた。

 女の足元にはこちらを警戒するような目つきで睨む、小さな男の姿もある。


「貴方があんまりあちこちに移動するから、探すのに苦労したわ。

 まだ私もこの状態に慣れてないから」

 そう言いながら綺麗な眉を軽く上げてみせた。


 この女は誰だ……。

 妙に馴れ馴れしいというか、おれを恐れている気配がない。

 感情にその都度振り回されているアーロンには、記憶というモノは流されがちだ。

 彼には強い思いを残した記憶しか残されていないのだから。


 またおれを宥めるために捧げられた生贄か。

 しかし女はすでに肉体を持っていなかった。

 ふと己の手を見て思い出す。

 

 そうだ。この手と新しい頭を捧げてきた女。

 代わりに力を貸してやった。

 憎むべき国の兵どもを地獄に堕としてやる為に――


 再びアーロンは、湧きあがる憎悪の念に唸り声を上げた。

 居ても立っても居られない憤りに、また身を振るわさんばかりに。


「待って。

 約束を果たしに来たのよ。

 少しは落ち着いて話を聞いて」


 ――約束 だと ?

 アーロンはなんとか体の震えを抑えた。


「そんなんじゃ、二人とも怖がって顔も出せないわよ」

 そう言いながら女は、横に向かって何かを招くように手を振った。

 

 すると、白い空間から浮かび上がるように、また別の女が現れた。

 2番目に現れた女はアーロンをおどおどした顔つきで見た。

 その足にしがみつきながら、怖そうにこちらを窺い見る小さな男の子もいた。


 アーロンの借り物の顔の目が、口が大きく開いた。




  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 いやあ、相変わらず蒼也のダメっぷりが、描いていて痛い……( ̄▽ ̄;)

 でもそれが人間。(無理やり相田みつを)


 しかもつい数か月前までただの日本パンピーだった蒼也は、こちらの人のように日常に死を感じて生きてません。

 どうしても諦めが非常に悪いのです。


 それがこの先どう影響するか。

 またサーシャは何を目論んでいるのか、ロイエとメラッド達はあの後どうなったのか、また残された他の者たちは――

 次回また彼らを追っていきたいと思います。


 ちなみにヨエルが言っていた『見え方』の違い。

 瞳孔が全開するだけでも、かなり通常と違いますね。

 

 実は以前、持病のせいで瞳孔が小さくなっていた私。

 ある薬の副作用で、今度は全開に! 我ながら極端……。


 暗い部屋で目が開いても、人の瞳孔はある程度制御されてますから、無理やり薬でMAXになった視界とは見えるモノがまた違います。


 夜寝る前用なので日中には支障ないのですが、薄暗い部屋の中で見る時計の夜光塗料とかがなんだか奇妙なのです。

 

 おそらくこの時の私の目は、映画で悪魔に憑りつかれた人間の目が真っ黒になるのに似て――瞳孔が開き切って大きくなっているからという説がある――瞳が極限まで大きくなっていそう(^_^;) 我ながら例えがヤダなぁ💧

せめて赤ん坊の瞳のようにと言っておこう。


 きっと夜行動物や、瞳孔が開ききった死者には、こんな光が見えているのかもしれないですね。

 ちなみに『第213話☆ 希望と絶望の混迷』の

( https://kakuyomu.jp/works/1177354054921157262/episodes/16817330649149818644 )

 ヨエルのシャンデリアの明かりの見え方にネタとしてちょこっと使ってます。


 更新が安定せず申し訳ありませんが、どうかこれからも宜しくお付き合いお願いいたします。

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