第135話☆ ビール居酒屋 黄金の麦の穂亭
地図で見ると『カリボラ』は、その雑木林から軽く5㎞ほど行ったところだった。
「そっちなら連れてってやらない事もないぞ。こいつが」
そう奴が俺のほうを指さした。
やっぱり俺かよ。
「え……いいのかい? 助けてもらった上にこんな事までしてもらって」
エンリコと名乗った風船男はさすがに気がひけるように言った。
「構わん。こいつの訓練になる」
俺は男をおぶって街まで走ることになった。しかも全力で。
「いいか、蒼也。もしお前が救助ハンターになる気なら、こんな事くらい簡単に出来なくちゃならないんだぞ」
はいはい、だけどあんたに言われると、どうしても軍隊の訓練みたいに感じるんだが。
山々が近いせいか、台地は緩やかな起伏や小さな丘があり、その丘を登っているとベージュ色の市壁が見えてきた。
『カリボラ』は坂の多い町だった。
通常 町を作るときにこちらでは土魔法などで、地面を出来る限り平にならしたりするのだが、この町はそのままの地形を生かした作りになっている。
なんでも建設の際の占いに、そのまま坂を潰さないようにとの託宣が出たということだ。
門を通って建物の間の緩やかだが長い坂を上がっていく。
時々斜面だけでなく、数段の階段もあったりする。そういうところには両脇には商品台や、樽が置かれていたりした。
軽くS字に曲がる坂の両脇には、店や共同住宅が並んでいるのだ。
さすがに街中を走るわけにはいかないので、小走り程度に減速した。
「下宿って普通の宿とどう違うんです?」
俺の感覚だと学生寮しか思いつかない。
「あんまり他は知らんけど、ウチんとこのは二週間単位でね。37,800エルと、この辺じゃ割安なんだよ」
こちらの一週間は9日ある。という事は1日に2,100か。
離れているとはいえ王都近郊の町で、日本の木賃宿より安いんじゃないだろうか。でもそれって逆にボロいのかも知れない。
「ちなみにトイレと風呂は?」
「そんな、風呂なんて御大層なもんないよ。裏庭に目隠しの衝立てがトイレの隣にあるから、そこで沐浴は出来るようになってるけどさ」
シャワーもないのか。それじゃ宿候補にならないな。
「それよりお前から匂う、その渋みの強い麦系の酒はなんだ? ビールだとは思うが」
「凄いね、旦那。鼻が利くや。それなら多分、黒
「ふーん」
もう奴が何を考えてるのか、テレパシーを使わなくても100%分かる。
「おい、言っとくけど、まず宿探ししなくちゃいけないんだから」
「わかってるよ。だけど食事だって必要だろ」
「あんたのは食じゃなくて
とはいえ、食事もしたいのは確かだ。
「あそこだよ」
結構長い坂を上がった先に、青色の塗料が少し剥げた3階建てで、屋根に三角の出窓がついた建物が見えてきた。
くすんだ赤色のドアの上に『黄金の麦の穂亭』という看板が出ている。横に突き出た鉄製の枠に下がった木製の看板には、麦とジョッキの絵が描かれている。
「ありがとう、ぜひ寄っててくれよ。せめてお礼に奢るからさ」
そう言って回復した風船男は俺から降りると、ドアのほうに行った。
だが、閉まったドアには準備中のプレートが下がっている。
腕時計を見るとすでに2時近かった。
あー、ランチタイムが終わってるんだ。
だが、そんなことを気にせずに、エンリコはその赤いドアを開けた。
「ごめんねー、まだ休み時間なのよー」
カランカランというドアベルの音と共に、オバちゃんの声がした。
「あれっ、エンリコ、お前さん、しばらくあっちに行ってたんじゃないのかい?」
淡い赤紫のふわっとした髪の小さなオバちゃんは、食事をしていたらしい奥のテーブルからいそいそと俺たちのほうにやってきた。
「そうなんだよ。実はしくじっちまってさ、この人たちに助けてもらったんだ」
エンリコは簡単に事情を説明すると
「女将さん、だからちょいと、この人たちにお酒を出してもいいだろ? お礼したくてさ」
「ああ、それくらいいいよ。だけどあの人が今買い出しでいないから、大したもん出来ないよ」
「いいよ、おれっちがやるからさ、女将さんは食事しててくれよ。さあさあ、あんた達も座って」
勝手知ったる台所なのか、エンリコはそう言ってカウンターの中に入っていった。
言われるままに俺たちも、窓から1つ手前のテーブルに座った。
開け離れた窓から、先程登ってきた石造りの坂道が見える。坂上とあって見晴らしが良さそうだ。
「どうぞ、これがさっき言ってた黒ビールだよ。遠慮なくやってくれ」
すぐにジョッキを2つ持ってきた。
「どうも」
俺が一言言ってジョッキに口をつけるより前に、奴が一気に半分は飲んだ。
相変わらず初めの一気が速い。
「うひゃあ、豪快にいくね。じゃあお代わりも同じでいいかい?」
「いや、お構いなく」
さっさと戻っていくエンリコに向かって俺は本心から言った。
こいつに酒を奢るなんてことになったら樽単位になる。こんな安宿に泊まってる者にしたら、エライ出費になるだろう。
『(わかってるよ。5杯でやめといてやるよ)』
『(普通は1杯だっ)』
とりあえずテレパシーでクギを刺しておいた。
それにしてもこの黒ビール、確かに苦味と渋みが強い。濃いブラックコーヒーが好きな奴の好みかもしれないが、ちょっと俺は好みじゃない。
しかも空きっ腹にはちょっとキツイ。
そんな風にチビチビ飲んでいたら
「ん、兄ちゃん、このビールはあまり口に合わないかい?」
ソーセージの大盛を持ってきたエンリコが見抜くように訊いてきた。
「いえ、決して不味いわけじゃ――」
「いや、飲み方を見りゃあ分かるよ。こいつは悪かった。いきなり玄人好みなの出しちまって。
ビターが苦手なら白ビールかフルーティエールならどうだい?」
「白ビールってなんですか?」
「通常ビールが大麦を使ってるのに対して、小麦を使ってるんだ。色も淡かったり黄金色をしているから、そう呼ばれてる。オレはこっちが良いがな」
酒にも一家言ある奴が、すでに空になったジョッキを持ち上げた。
「へぇ、その通りで。じゃあ旦那は同じでいいかな?」
「いや、こいつにはこれを飲ますからいいです」
俺は自分のジョッキを奴の方に押した。
相変わらずペースが速えんだよ。エンリコが全然落ち着けないじゃないか。
「いやあ、本当に助かった」
自分用のエールと俺に白ビールを持ってきて、隣に座ったエンリコはあらためて頭を下げた。
「こっちもご馳走になって、これで十分です」
そう言って白ビールを飲んでみる。
確かにさっき黒ビールを飲んだせいなのか、こっちはマイルドというか苦味もあまり感じなくて、サラッと飲みやすい。
ビール初心者向けなのかもしれないな。
「はいよ、良かったらこれもどうぞ。昼の余りだからサービスしとくよ」
食事を終えたらしい女将さんが、夏野菜と木の実のスープと黒パンを持ってきてくれた。
有難い。ソーセージだけじゃちょっと飽きるとこだった。
お返しの訳じゃないだろうが、今度は奴が俺にスープとパンを押し付けてきた。
それをやや目をしばしばさせて見ていたエンリコが訊いてきた。
「そういや、あの『パレプセト』に行くんだって?」
「ええ、エンリコさんは入ったことあります?」
「いやあ、おれっちは大道芸人だから、そんなのには無縁だよ。ただ、いま祭りをやってる『バレンティア』では、最終日にダンジョンイベントがあるから、その入り口前でやろうかとは考えちゃあいるけどさ。
中に入るなんざとてもとても」
大袈裟に右手を振った。
「私もダンジョン初心者なんですよ。どっかでどんなとこか、詳しく聞けるとこってあります?」
そう訊ねつつも、目の前で酒のメニューをじっと見ている奴が気になった。
「商業ギルドの観光案内所か、ハンターギルドの受付でも教えてくれるはずだよ」
「じゃあ、とりあえずそこ行ってみます」
するとヴァリアスがメニューを見ながら言ってきた。
「ふーん、こう言っちゃあなんだが、こんな安酒場のくせにビールの種類は確かに多いな。
普通、こんな場末の店じゃせいぜい3,4種類あれば多いほうだが」
おい、言ったらなんだがと思ってるなら言うなよ。
だが、女将さんはカウンターに引っ込んでいるせいか、聞こえなかったようだ。
それに
「そう、ここに初めてきた人は皆、そんな風にビックリするよ。
昔、ここのおやっさんが
この町は王都に近いだろ。だから王都に行く商人たちの通り道でもあるんだ。それでビール職人とかに、おやっさんが昔のコネで卸してもらってるんだよ。
おやっさん自身も自家製ビールなんかも作ってるしね」
「
奴が別の単語に喰いついた。
「おいっ、食ったらすぐ出るからな(5杯までってさっき言っただろ!)』
「わかってるよ。どんな種類があるのか見ただけだろ」
そう言いながら、少し辺りに視線を動かして、空中の匂いを嗅いでいる。
またサメが、血ならぬ酒の匂いを嗅いでいる。さっさと出ないと長居してしまいそうだ。
「あと、その『パレプセト』で商売やってるのが1人、下宿人にいるよ」
「へぇ、ダンジョンで商売を? ハンターじゃなくて?」
「ああ、
なんだろ。入り口の手前で露店でも出しているのだろうか。
エンリコは祭りをやっている間、『バレンティア』の町に住んでいる仲間の家に泊まらせてもらっているそうだ。きっと心配しているだろうから、もう少し休んだら駅馬車で戻るつもりだと言った。
なんとかビール5杯で辞めさせて、俺たちは『黄金の麦の穂亭』を後にした。
もちろん宿探しだ。
だが今回もそうすんなりとは見つからなかった。
「すいませんねぇ、今日は満室です」
7軒めの宿屋でも同じ返事を聞いた。
この町は比較的、下町の雰囲気のあるところが多いので、リーズナブルそうな宿屋が多かった。
だが、ことごとく満室、惨敗だった。
理由は8件目で分かった。
「お客さん、あの祭りに来なさったと違うんかぁ。そりゃあ悪いタイミングで来なさったね」
宿屋の主人の爺様が白い眉を八の字にして言った。
「確かに案内所で、あの祭りの町では宿はないだろうと言われたけど、こんな離れてる町までなんですか?」
俺はつい呆れてしまった。
日本でも何かの大イベントがある際に、近隣のホテルやビジネスホテルが満員になったりすると聞いたことはあるが、あの町とこことは大河も挟んでいるのだ。地図によるとおそらく15㎞ぐらいは離れてるんじゃないのか。
日本で言うと、皇居からディズニーランドぐらいまでだ。
そんなに離れているのに、ここまで影響するものなのか?
「川を挟んでるっちゅうても、橋がかかってやすからねぇ。それにここから直通の駅馬車で、半刻(約1時間)ぐらいで行けやすから」
そうか、せせこましい島国感覚と広い大陸の人の感覚って、距離感も違うのか。
ちょっと違うかもしれないが、田舎の人の近いを信じて歩いたら、凄く遠かったというのと同じような気がした。
しかし、そんなにあちこちから観光客が来る祭りとは、ちょっと見てみたいかな。
いつの間にか中央広場にやって来ていた。
どこの町もやはり中心地には、主要な施設や機関の建物が集まっているので、高い建物が立ち並び、通りも綺麗に清掃されている。
見た目に一番大人しそうな、ミントグリーン色の壁に白塗りの窓枠が並ぶ5階建ての宿に入ってみた。
「ええ、1部屋なら空いてますよ」
ニコニコ顔のフロント係の男が答えた。
受付のあるフロアは外見よりも贅沢な作りをしていて、スキーシーズンの有名ホテルのロビーを思わせるように、正面に大きな暖炉があった。
もちろん今時期は火は入っておらず、代わりに火のように赤い大輪の花が飾られている。
そして天井にはネックレスの宝石のように繋がれた、沢山の光石がシャンデリアにぶる下がって辺りを明るく照らしていた。
うう、高そう……。
「ちなみにそれは2人用ですか? あと部屋代は……」
「最上階の5階で、2つの寝室にそれぞれダブルベッドが1つ、居間を挟んでそれぞれコネクティングルーム(繋がってる部屋)になっております。
付き人の方やボディガードをお連れの方には、大変重宝がられております。
一泊45,850エルです」
それって要人用の部屋ってこと?
俺が付き人なのか、奴がボディガードに見られてるのか気になるところではあるが、やっぱり高い。
すぐに金を出しそうになった奴を止めて、いったん断ってから外に出た。
「もう安宿が見つからねぇなら、高くてもいいじゃねぇか」
宿を出ると、面倒臭くなってきたらしい奴が文句を言い始めた。
「そりゃ最終手段だよ。毎回そんな無駄に使えないぞ」
「何が無駄なんだよ。それだけ稼げばいいじゃねぇか」
「簡単に言いやがって。やるのは実際 俺なんだからな。能力に合わせたところにしないと、この先やっていけなくなるじゃないか」
大体いまの俺の力って、どれくらい稼げる能力なんだろう?
以前奴が、Dランクが稼ぎの一線を分けるって言ってたけど、それって一般的な家族を養える程度って事だよな。
こんな毎回宿泊まりじゃ、住居費が割高になるはずだから高いとこなんかに泊まれないはずだ。
とりあえず身の丈に合うとこにしないと。
「じゃあ、どうせダンジョンに行くんだから、ついでにダンジョンの仕事を受けたらいいんじゃねぇのか?」
「うーん、そうだな。初中級はEランク以上って言ってたから、俺でも受諾出来るしな。
確かに一石二鳥かも」
実はEランクの魔物というのは、あのオークも該当するのだ。
決して舐めてはいけないランクだったのだが、この時は、宿代をチャラに出来るぐらいの依頼を受ければいいかと、簡単に考えていた。
という事でここはいったん宿探しを止めて、ハンターギルドに行くことにした。
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