第156話☆ 初トラップ体験
最後の鉄格子が上がると、中はこちらに比べて薄暗かった。
「早く通らないと串刺しになるぞ」
先程の不穏な言葉に立ちすくむ俺に、向こう側からヨエルが手招きした。
俺が慌てて扉を抜けると、ソロソロと尖った格子の切っ先が降りてきた。
そこは確かに
床や壁、おそらく天井も赤茶色のレンガと石で出来ていた。
俺たちの立っている場所は、大型トラックが通れるくらいの通路になっていて、それが左右に伸びている。
正面にはそれよりもやや広い通路が真っ直ぐ続いていて、所々に凸のように柱が出っ張っていた。
そうして近くの柱には、誰が挿したのか松明が燃えている。
そのおかげでこのレンガ造りの内部が、赤オレンジ色の光に照らされて浮かび上がり、その輪郭の陰影をより黒々と見せていた。
柱の上は
ただ遠くのほうまでは灯りが届かず、闇に包まれて奥は見えない。
それは左右の通路でも同じだった。
よく海外旅行記で、こういった城や文化遺産の建物などの内部映像を見た事はあるが、あのように明るく外から光が射す窓も無ければ、もちろんLEDや間接照明もない。
光がほんの数本の松明の灯りのみというのは、焚火とは違ってなぜか不安と閉塞感を感じさせてくる。
赤茶と黒い闇の世界。
もうリアル『ダンジョンマスター』なんだが……。
遠くどこかで水の滴る、ピチャアァーンンン……という音が聞こえてきそうな気がする。
まさかここのラスボスは、混沌の化身『ロード・カオス』様じゃないだろうな。
もうすでにこちらには
「私、光魔法が出来るんで、明かりつけましょうか?」
俺が光玉を打ち上げようとすると、ヨエルが「まだ要らない」と言った。
「これだけでも明かりがあるうちは、無駄に魔力を使わない方がいい。
それより探知してるか?」
「え、もうするんですか?」
いきなりこんな初めから?
「そりゃそうだろ。街とは違うんだぞ。近くに魔物がいるかもしれないし、おまけにここはトラップ型だ。
一歩でも入ったら、どんな罠があるかも知れないだろ」
うう、いつも奴と一緒だったから、直後はあまり気にしてなかった……。
まさしく付いていってる状態だったからなあ。
「確かにここはまだ1階の入り口だが、入るときは注意が必要だ。まず近くに何かいないか確かめるのが基本だろう。行動はそれからだ」
そう言われて俺は探知の触手を広げた。
ここも魔素が濃いというか、空間が歪んでいるせいで、真っ直ぐに触手を伸ばすのが難しい。
『パレプセト』では水の中のようにユラユラしていたが、ここはなんだかカクカクしている手応え。
何本もの柱、いや、キューブの中を手探りしているような感じが近いか。
「ちなみに今、息苦しさはないか?」
「いえ、別に」
確かに外とはまた違う空気が流れている。
やけに乾いたような、そう、真夏の太陽の下で焼かれた石のような匂いがするのだ。
温度は逆に外よりも涼しいのに。
「そうか、それなら良かった。ほんのたまに、魔素が体質に合わなくて、中毒症状を起こす奴もいるんだ。
もしも気分悪くなったらすぐ言ってくれ。
すいません。俺、そんなの用意しませんでした。
とりあえず、ざっと視た感じでは近くに魔物どころか、罠らしいモノも見つからなかった。他の人らしき姿もない。
探知出来た範囲内にただ延々と、レンガと石の壁と通路が広がっているだけだった。
先の方の柱にも等間隔で、松明らしき木の棒が鉄受けにささっていたが、火はついていなかった。
「視てみたか? じゃあもう引っ込めていいよ。さっきはああ言ったが、ここは入り口だし、それほどまだ警戒しなくてもいい。
1回まず確認したら、確認出来た所まで行って再度、探知すればいい。
後で探知し続けなくてはいけなくなるから、今は魔力や体力を温存しておかないと」
それで、魔力を使いっぱなしになると言っていたのか。
俺はまたブートキャンプの始まりかと思っていたよ。
でも、そういう場所にも行くんですね? ヨエル隊長……。
「だけど私たちみたいに、探知出来る人間がいなかったらどうするんです? 魔物もそうだけど、罠なんかヤバくないですか?」
「もちろん、そんなパーティなんかザラにいるよ。そういう奴らは基本的にアサシンとかが仲間にいるんだ。
あいつらはそういう危険物に目ざといんだ。鍵師なんかも罠を見抜く目を持っているしな。
それに注意して観察していれば、色の違いとかで結構見抜ける罠も多いぞ。
基本的に罠らしいところは触らないのが鉄則だが――」
壁に耳をつけると軽くレンガを叩いて見せた。
「こうやって音で判断したりするんだ」
そうして後ろに片手をやると、リュックの横から、警棒くらいの金属製の棒を取り出した。横ポケットというか、横スリットがあるらしく、肩から外さなくても物が取り出せるらしい。
流石エルメス(じゃない)、実用向きだ。
その棒をヒュンとひと振りすると、1m近くに伸びた。まさしく特殊警棒のようだ。
その
「ちなみにコレは、先が開いてモノを摘まめるんだ。便利だろ? 武器にもなるしな」
伸縮棒の柄には、六芒星型の鍔の下に銃のような
そんな道具どこで売っているのかと訊くと、普通に武具屋や道具屋で売っているのだという。
ただ、形が『苦悩の梨』に似ているとかの風評被害で、最近のは先の形がグーの握りこぶし型になっているのが一般的なようだ。
おれはこの初代の形の方が、シンプルで好きなんだがと言った。
「なんですか、その『苦悩の梨』って?」
「知らないなら、知らないでいいよ。あまり趣味の良いモノじゃないから」
ふっと口元で笑って、その話は終わりになった。
気になって後でヴァリアスに訊いたら、本物を見せてくれた上に、使い方まで教えられた。
もぉ~~~~~っ、一言、『拷問道具』って言えよなっ!
俺はまた何か毒草みたいな植物かと思ってたのに……。
ふと、ゲーム『ダンジョンマスター』では、まさしく石を投げながら進んでいたのを思い出した。
松明の節約の為と、投げのスキル向上のために、石で前方を確かめながら攻略していた。
暗い中、モンスターがいたら先制攻撃もできるように。
「あの、怪しいところに、土魔法で小石を投げて確かめてもいいんですよね?
離れたところからやれば、比較的安全だし」
「魔法もいいが、できるなら素手で投げるか、スリングショットとかを使えるようにしたほうがいい。
場所によっては魔法が使えないところもあるからな。
それに基本的に罠は作動させないのが一番だぞ。
その場だけならいいが、飛び道具どころか、魔物が出て来る場合だってあるんだからな」
うう、安易に考えててすいません。
「……やっぱり剣以外にスリングショットとか、違う道具も持ってた方がいいですか?」
俺はヨエルの手にしている特殊警棒を見ながら訊いてみた。
「そりゃあ得物は、最低2種類は使いこなせた方がいいだろう。レパートリーは多いにこしたことはないし。
でないとさっき言ったように、魔法が使えない場所や相手に対峙した時に、剣だけじゃ難しい場合だってあるんだから」
ふと前を歩いていたヨエルが振り返った。
「そういや、あんた、魔法使いだったよな。なんで
それ、もしかして魔剣なのか?」
「全然違いますよ、あいつが買ってくれなかったんですよっ!」
そばに奴もいない事もあり、ここぞとばかりに愚痴をぶちまけた。
始めに魔法使いと登録したのに、剣をくれた事。のっけから魔力切れまでやらされたこと。いきなりドラゴンに会わされたことなど、いくら言ってもネタが尽きない。
ああ 考えると、あいつへの文句だけで百科事典作れるな。
ヨエルはちょっと同情したような顔をして
「まあ、SS様の感覚はおれたち一般とは違うからなぁ……。あんたも良く生きていられたなぁ」
それは寿命まで生かされてるんだけど――って言えないか。
通路にある火の消えていた松明は、何故か俺たちが近づくと、自動的にボッと燃え上がった。その代わりに後方で灯っていた火が消える。まるで俺たちの動きに合わせて明滅するように。
入り口付近ではT字にしか見えなかった通路も、進むにつれ左右に通路が現れ、十字路になっていた。
ヨエルはそのどちらに曲がる事もせずに、真っ直ぐに初めの正面の通路を進んでいく。
「あのヨエルさん、道を知ってるんですか? 私、実はここに来る前にここの地図を買おうとしたら、迷宮タイプだから無いって言われたんですけど――」
そうだった。しかもこの1層には落とし穴や落盤、回転岩とかのトラップがあるんだった。
「いや、道なんかあってないようなものだ。ただ奥に行きたいって思ってると、自然と着くんだよ、ココは」
俺たちの声と足音だけが、薄暗い通路の中を響いていく。
「そう思ってると横に曲がろうが、グルグル廻ろうが、何故か奥に進むようになるんだ。だから余計な体力を使わずに短距離で行った方がいいんだよ」
そう勝手知ったるナントカ的に、気楽に歩いているように見えるが、1階とはいえ大丈夫なのだろうか。
「あの、この階にも落とし穴とか落盤とかあるって、パンフに書いてありましたけど大丈夫なんですか?」
ピタッとヨエルの足が止まった。
「そんなこと書いてあったのか」
ヨエルは首をやや少し上に向けてコリコリと動かした。
「う~ん、まあそうだなあ、大丈夫といえば大丈夫だし、厄介と言えば厄介だな」
どっちなんだ?
歩きながら辺りを見回していたが
「そら、これ」
さっきの棒で床のレンガを指さした。
近寄って見てみると、周りのレンガや石の
「そっと踏んでみろよ」
「えっ? 嫌ですよっ」
俺は即、断った。
もしかして大した威力は無いのかも知れないが、それでも
少なくとも俺はそんなマゾではない。
「じゃあ見てろよ」
そう言うとヨエルがそのレンガの上に、その伸縮棒を当てるとグッと押した。
俺は次に来る何かに身構えた。
……何も起きなかった。
ただ、ズリっとレンガが1個分低く凹んだだけで、何かが上から落ちて来るとか、何かが飛んでくるとかは全くなかった。
棒を離すと、レンガはまたすぐに元の位置に戻った。
「これがいわゆる落とし穴だ」
「え……これが……?」
俺は一瞬、冗談でも言ってるのかと思った。
だってこんなの誰が落ちるんだ? 公園で子供が作る落とし穴の方が、よっぽど大きいぞ。
まさか小動物用ではあるまい。
「確かに落とし穴っていうのは大袈裟だな。転び穴って改名した方がいいだろう。この1階じゃまず転落するぐらいの穴は無いはずだ。
恐らく名前を付けるのが面倒で、適当にそのまま使ってるんだろう」
「ふぅーーー、なんだ、そうなんですか。緊張して損しちゃった。
しかし、これもトラップって確かに初級っていうか、ビックリするけど、可愛いもんですね」
俺はなんだか可笑しくなって、ついクスっと笑ってしまった。
だが、ヨエルは笑うことなく言った。
「意外とこういう小さなトラップが、厄介なんだ」
もう一度踏んでみろと言われて、右足でゆっくり踏んでみた。
レンガは水に浮いている落ち葉のように、抵抗なく下に下がった。
「ちょっと足を乗せただけですぐ下がるだろ。これがもし走ってる時や、敵に襲われて逃げている時とかに、こんなのを踏んだらどうなると思う?」
「……思いっきり転びそうですね」
「それどころか、体勢を崩したところをやられるかもしれない。そうでなくても、転んだ弾みで荷物をぶち撒けるか、最悪、自分の得物で怪我するかもしれないんだぞ」
確かに……。
俺は、包丁を持って転ぶ姿を想像して、ちょっとゾッとした。
「試験に出るかもよ」
深刻な顔をしている俺を見て、ヨエルがニヤッと笑うと、またスタスタと歩き出した。
ヤダッ ヨエル教官っ、その緩急が怖いですっ!
すると10mも行かないうちに、今度は十字路で立ち止まると
「ちょっとコレ踏んでみてくれ」
それは四角いレンガではなく、丸い石だった。やはり縁がクッキリしている。
ただ直径が俺の足より小さいので、足先や踵で踏まなければ転んだりしなさそうだ。
俺は素直に足裏全体で踏んでみた。
「! ブッ わぁっ あああぁぁーーーっ!!」
思わず悲鳴を上げてしまった。
俺は床の上でいきなりマイケルジャクソンのように、キレッキレの3回転スピンをしていた。
足元の石が、高速回転したのだ。
ビッと止まったと同時に、よろめいた俺にヨエルが左手でサッと支えてきた。
「~~~っ、 これが回転岩――いや回転石かな。とっても危険だろ?」
そう言いながら右手で口を押さえている。
あんたもかっ、ヨエルッ!
あんたも
悪い悪いと軽く手を振りながらまだ笑っている男を見て俺は、もの凄くこの先が思いやられる予感がした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『苦悩の梨』は昔、御茶ノ水の明治大学犯罪博物館で、展示されているのを見た事があります。
先っちょがホンのちょっとだけ、開くようにめくれていて、『まさか使用済みじゃないだろうな……』とプルった覚えがあります( ̄□ ̄;)!!
ちなみにこのダンジョンの様子は、最近見たリアルな夢を参考にしました。
おかげでまた、くどくなってしまいましたが( ̄▽ ̄;)
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