第14話 ファンタジアファウンテン亭


 『ファンタジアファウンテン亭』という看板が入口の上にかかっていた。

 中に入るとロビーも広く、右にソファが設けてあり、左側半分は食堂になっているらしく、テーブルと椅子が並ぶエリア、床の色が焦げ茶の板から落ち着いた橙色(だいだいいろ)に塗られていた。

 所長は突き当り奥のカウンターで、女将さんらしい女性に声をかけ、鍵を受け取ると俺達のところに戻ってきた。


「あの、本当に良いんですか。俺達寝れるだけで良かったので、こんな良い所とは思わなくて」

「いえいえ、富裕街に比べたら全然ですよ。とっ、女将に聞こえたら拙いですね」

 俺達は中央奥の階段を上がり、3階の1室に案内された。

 そこは広場を見下ろせる窓が3つある12帖ぐらいの居間と、左手にベッドが4つ並んだ寝室の2間の部屋だった。

「これが部屋の鍵です。食事もこの鍵で会計できますので、どうぞ遠慮なさらずにご利用ください。お出になる時、またカウンターに鍵を返しておいていただければ結構ですので」

「何から何まですみません」

 俺と所長がお互いにペコペコ頭を下げ合っている横で、ヴァリアスは黙って腕を組んで立っていた。


 所長が帰ったのであらためて部屋の中を見る。

 部屋の窓ガラスは、昨日の食堂の窓より大きかった。ガラスは高価だと聞いていたので、それだけでもここが高い宿だと感じる。

 窓から広場を見ると周りの街灯に灯りがつくように、噴水も水底から光を発していた。

 街灯の位置が広場を囲むように配置されているので、大通りより明るく感じる。


「さすがに広場は明るいんだな」俺は感心して言った。

「あの灯りは光の石を使っている。日中は太陽の光を蓄えて、暗くなると光るんだ」

 それって太陽電池まんまだな。

 ただ、通りの街灯はみんな同じ黄オレンジ系の光を発しているのに、噴水の底の灯りは赤や青、緑と黄色と4色に光っていた。発光石によって光る色が違うのだそうだ。

 寝室のベッドを確認する。当たり前だが、ベッドのマットは昨日の簡易所のよりフカフカだった。毛布もふんわりすべすべだ。


「蒼也、風呂ついているぞ」

 言われて見に行くと、トイレとは別にバスルームがあった。中は5帖ぐらいの大きさで、楕円形の括りつけのバスタブも1.5帖くらいの大きさがあった。もちろんウチのアパートの風呂より断然大きい。


「やった! 昨日入らなかったから、俺 風呂入りたい」

 お湯の出し方を教えてもらう。

 蛇口の根本に赤色と青色の魔石が埋め込んであり、出したり止めたりするときにこれに少し魔力を流す。見た目通り赤はお湯が、青は冷水が出るらしく、魔力の流し具合で温度調整できるらしい。何度かやってちょうどいい温度のお湯を出せるようになった。


「お前が風呂に入っている間、オレはちょっと神界に行ってくる」

「ああ、行ってらっしゃい」

 俺はボストンバッグから着替えを出す。

「あっ 中途半端だけど夕飯どうしようか? 食堂 終刻の鐘で終わりっていってたから大体9時頃か」

 腕時計を見ると6時21分だった。


「風呂出てからでも間に合うか。ヴァリアスは後で入る?」

「オレはいい。それとオレがいない間、念のため結界を張っておくが、あの護符も持っていろよ」

「護符ってあのスマホのこと? 元のは防水じゃないんだけど、大丈夫かい?」

「水どころか、ドラゴンの炎でも溶けないし、キュクロープス単眼巨人の一撃でも傷1つ付かんぞ」

 なにその象が踏んでも大丈夫的な頑丈さ。


 言われた通り、スマホを持って風呂に入る。

 石鹸やシャンプーリンスは持ってきたが、風呂場についていたので使ってみる。こちらの世界のがどんなのか知りたかったからだ。

 石鹸は垢すりを使ってもあまり泡は立たなかった。シャンプーも同じだった。

 たぶん、地球の物のように合成の界面活性剤とか入っていないのだろう。こちらで泡立つ石鹸とか売ったら売れるのかななどと考えてみる。


 俺のスマホはワンセグTV機能つきなので、こちらでも見れるのか試してみると見事に番組が映った。

 湯舟に入りながらテレビを見る。

 日本はお昼前なのでワイドショーやニュース、料理番組がほとんどだった。

 と、ザッピングしていたら、石だらけの道を大きなバケツを2つ、天秤棒に下げて歩く少年の映像が出た。

 東洋系だがどこかチベットとか山村の民族のようだ。

 画面左上のタイトルによると、ワイドショー番組の中のドキュメントルポらしい。

 水を運ぶ少年の姿に、今日の水売りを思い出してそのまま見ていた。

 少年は水を家の水瓶に移すと今度は網を持って出て行った。林の中に入ると仕掛けていた罠を確かめる。かかっていない。ガッカリしながらも別の罠を確認する。ここも何もない。だが最後の3つめの罠にイタチがかかっていた。少年は微笑む。

 ナレーターがこれで家族は、5日ぶりに肉を口にすることができると言った。


 お湯につかりながら今日の狩りの事を考える。

「子供でさえ生きる為に狩りをしてるのに、なんか俺ちょっと女々しかったかなぁ……」

 1人暮らしが長いせいか、つい独り言を言ってしまう。

「……殺すのは好きになれないけど、生きるために仕方ない、自然の摂理ってやつか。そういや世界は基本、弱肉強食だもんなぁ。俺も強くなんないとなぁ。……いろんな意味で」

 俺は湯舟で顔を洗った。


「だんだん理解してきたようだな」

「うわあぁぁ-っ!!」

 風呂で溺れるかと思った! 後ろにそったせいでお湯飲んじゃった。

 バスタブのすぐ横にヴァリアスがしゃがんでいた。スマホお湯の中に落としちゃったよ。

「なんで入って来るんだよっ!?」

「1人でいるはずなのに話し声が聞こえたからだ」

 サメ男がさらっと答えた。

「そんなのテレビの声かどうかぐらいわかるだろう! もうっ 風呂とトイレには入って来るなっ!」

「わかった。まぁやる気が出たならそれでいい」

 スッと立ち上がり踵を返そうとして、振り返ってきた。


「ときに蒼也」

「なんだ」

「お前 面白いな」

 ヴァリアスは入って来たときと同じく音もなく出て行った。

 くそっ! あいつ絶対確信犯だな。


 

 俺がパジャマ代わりのスエットに着替えて1階の食堂に下りていくと、3分の1くらいのテーブルが埋まっていた。

 食堂側の窓は特に大きく作ってあり、中央の噴水が良く見えた。4色の光が水面ごしに揺らめいて、中央の像を幻想的に照らしていた。

 広場は明るいせいか、まだチラホラと出歩く人影があった。


 食堂の反対側のソファには、テーブルにチェスのようなボードゲームが置いてあり、2人の客がゲームに講じている。

 メニューは木板ではなく、4面の革製のメニューブックに紙を差し込んだタイプだった。

 見るとビールが、エールの他にラガーもあるようだ。

 だけど『エール 350e』に対して『ラガー 620e』って倍じゃないか。確かにこれは一般庶民には高いかもしれない。

 日本でもビールが高くなって発泡酒が売れているのと同じだな。

 大通りの店よりエールも高いし。

 ドリンクも1種類ではなく、蜂蜜水やレモン水、ハーブ水など色々種類があった。

 ただ、どれも『280e』前後。

 やはり場所によって価格が結構違うようだ。


「決めたか?」

「いやまだだ」

「じゃあ酒だけ頼んでおくぞ。ラガー2つだ。食事はまた頼む」

 注文を聞きに来た給仕にサッサと注文する。

「おい、ラガーって高いじゃないか」

「構わん。どうせ他人の金だ。エールと飲み分けるのもいいだろ」

 確かに風呂上りだし飲んでみたいけど―。こういうのが気になっちゃうとこが貧乏性なんだよな俺。

 風呂でさっぱりしたせいもあって少し食欲が出てきた。


 ふと食べ物のメニューを見ると“ライスオムレット”というのがあった。

「ライスって米があるのか?」

「米ならあるぞ。日本の米とは少し違うがな」

 確かに他にもピラフとかがある。価格は『ライスオムレット 1,350e』 『ピラフ 945e』と安くはなさそうだ。

 

 だけど日本米じゃなくてもやはりお米が食べたい。このライスオムレットってオムライスみたいなものなのかな。

 聞いてみようか迷っていると、メニューのところに青い画面が出てきた。

《 ライスオムレット: 炒めたライスを卵でくるんだ食べ物 》


 おおっ、解析が少し進化している。そしてどうもオムライスっぽい。

 ラガーが運ばれてきたので、俺はライスオムレットを頼む。

 ヴァリアスはブルーバックブルのレバーフライ、オークの白ワイン煮、オークソテーを注文した。

 ラガーはエールに比べて馴染みがあるせいか、喉ごしが良く、スッキリして飲みやすかった。

 やっぱり風呂上りはビールだな。


 続いて運ばれてきたライスオムレットは、ほぼ見た事のあるオムライスだった。

 ライスはケチャップを絡めたものではなかったが、卵の上にかかっているトマト風味のソースが酸味の中に甘みが程よくあって美味かった。やはり高いだけあるようだ。

 米は日本米とは形も違い、細長くて炒めものに向くタイ米を彷彿させた。


「こっちの世界に日本米もあればいいのになぁ」

 俺はつい呟いた。

『昔はこの米もなかったんだが、似た穀類を改良した転生者がいたんだ』

 ヴァリアスが日本語で話してきた。


『えっ転生者ってことは別の星からってこと?』

『そうだ。文明の発展や新しい考えを入れたいとき、転生する者を星間の国同士―――こちらでは星単位を1つの独立領域的意味で言う―――で選び合うんだ。もちろん本人の意思が優先だが。

 学者や技術者はいつも人気だな』


 へぇードラフト会議みたいなもんなのかな。

『料理人の転生者のおかげで、150年くらい前から庶民の食事の質が良くなった。それまでは同じ食材でもレパートリーが少なかったからな』


 これも食えと、俺の皿にオークソテーを載せてきた。

「オークってオークだよね? モンスター、魔物の」

「そうだ。こちらでは豚の代わりに一般に広く食べられてるぞ」

「やっぱり魔物も食べる文化なのか……。でもオークって、手足とか人間みたいなんだよね、多分」

「良いから一口食ってみろ。食わず嫌いは良くないぞ」


 俺は考えの古い人間だし、どちらかと言うとあまり冒険心も強い方じゃない。

 小説やマンガじゃ普通に珍しがって食べるかも知れないが、いざ実際に魔物の肉を調理したと言われて出されると、なんだか河童の肉を獲ってきたから食えと言われてるような気分になる。

 だが、サメ男がじっと俺のことを睨むように見ている。

 仕方ないので恐る恐る、小さく切って口に入れてみた。


 ソースはデミグラスソースのようで、濃厚なうま味がある。

 肉を噛むとじわっと肉汁が出てきて、まんま牛肉のように霜降りのある豚肉だった。

 良かった。人型を想像してたから、もしやザクロ味とかだったらどうしようと思っていたのだ。

 これなら食べられる。


「どうだ、食べられそうか?」

「うん、これならイケるよ。上質な豚肉みたいだ」

 少なくともいつも買うスーパーのお肉よりは断然美味い。調理法も違うのだろうか。

「まあこれはオークでもハイオークのだからな。上等な方の肉だ」

 ふーん、やっぱりオークにもランクがあるのか。

 でも美味しいならいいや。

 俺はこの時にオークの事を、ただ魔物の1つとしてか考えていなかった。

 食べ物として口にする肉と生きて動いている存在が、いかに違うものかを思い知らされるのは、まだ少し先の事だった。



 会計は部屋の鍵を見せるだけだった。

「蒼也ここにもあるぞ」

 部屋に戻るとクローゼットとチェストの間をヴァリアスが指さした。

 焦げ茶色の木でできた扉のついた箱があった。開けてみると白い冷気が広がった。


「冷蔵庫か」

「こちらでは人工氷室と呼んでいるがな」

 内側は鉛っぽい金属で囲われ、天板に文字を書き込んだ青い魔石がはまっていて、これから冷気が出ていた。その冷気の中に2Lくらいの陶器のピッチャーが6つ入っていた。


「これってもしかしてビールか」

「そうだ。飲むだろ」

 もうコップを用意している。

「でも全部向こう持ちなんだろう。いくら迷惑料って言ってもタカリすぎと思われないか?」

「構わん。それにアイツら、必ず何か頼み事をしてくるはずだ。これくらい安いものだ」

 そういうもんなのかな。

 外の広場はもう人通りが全くない。薄ぼんやりと光をはなつ噴水の水音だけが、かすかに聞こえてくるだけだ。東京では考えられないな。


 **************


 朝、また開門の鐘の音で目が覚めた。

 寝室にヴァリアスの姿はなかった。残りの3つのベッドを使った形跡が全くない。

 あいつ寝ないのかな。


 居間を覗くと昨日と同じソファに座って、夕べと同じようにヴァリアスが何か飲んでいた。

「お早う。もしかして朝からビール飲んでるのか?」

「こんなもの水みたいなものだ」

 まさか夜中ずっと飲んでたわけじゃないよね。


 朝食を取りに1階に。すでに3分の2くらいのテーブルが埋まっていた。夕べは気付かなかったが、お客さんの層が大通りの食堂と違うようだ。

 一昨日の食堂では比較的武骨な肉体労働者系の人達が多かったが、こちらは袖広の服に帽子を被った商人系の人がほとんどだ。


 聞いてみるとハンターも金に余裕があれば泊まるらしいが、やはりこういう高い宿は商人が多いとのこと。

 やはり安宿より安全だからだそうで、少し高くても商人はセキュリティの高い宿を選ぶらしい。

 そう聞くと日本ってホントに安全なんだなと思う。


 少し腹が落ち着いた頃、宿を出る。

 カウンターに鍵を返すと、「またのお越しをお待ちしております」と言われただけで会計は請求されなかった。ちゃんとギルドのツケになっているらしい。

 とりあえず昨日清算できなかった兎の代金を貰わないと。


 見慣れた噴水の前を通る。よく見ると噴水の周りには、東西南北にそれぞれ▲印と通りの名、その先の門が刻まれていた。なるほど迷ったらまずここで確認できるんだな。


 2階に上がると今日は比較的空いていた。

 カウンターの中に例の赤毛のがいたが、手前の受付におらず、奥で壁に繫がったパイプのようなものに何か喋っていた。

 なので今日は空いていたブロンドの受付嬢に依頼書とプレートを渡す。


「はい、こちらが28,790エルです。お確かめください」

 おおっ初めての大銀貨だ。お金のランクが上がるとなんか嬉しい。

 大銀貨になると大銅貨のように銀貨より一回り大きくなる。

 シルバー色といい、大きさといい、500円玉のようだが、その価値は1万エル。

 鉄貨や銅貨は価値が低いせいか、加工途中のコインようにふちがすこし波打っていたり、簡単に作られた感じなのだが、銀貨となると100円玉のように綺麗に整えられている。

 それに銀貨より大銀貨のほうが飾り彫りも細かい。やはりある程度高価な通貨は丁寧に作られているようだ。


 コインを小銭入れに入れて、ヴァリアスが待っている柱のところに行くと同時に声を掛けられた。

「ヴァリアス様とソーヤ様、所長がお会いしたいと申しております。恐れ入りますが、4階に来ていただけますか?」


 赤毛の受付嬢はすっかり俺達を覚えたようだ。

 今度は察していたようで、ヴァリアスも黙ってついてきた。

 昨日と同じ応接室に通されると、所長のトーマスと副長のエッガーがすでに座って待っていた。俺達が入ると2人が立ち上がって深々と一礼してきたので、俺も慌てて頭を下げる。


「「昨日は本当に大変失礼いたしました」」

 2人は声を揃えて言ってきた。

「いえいえ、こちらこそお世話になりました。とても良い宿を用意していただきまして」

「どうぞ、立ち話もなんですから座ってください」と言われた。

 ヴァリアスはサッサと座っているので、昨日と同じく俺はトーマス所長の前に腰を下ろした。

 すぐにノックがして女の子がお茶を運んでくる。

 昨日は容疑者だったが、今日は待遇が違うようだ。


「本当はもっといい宿をお取りしておけば良かったのですが、あいにく昨日はあそこしかございませんで、次はもっといい処をご用意いたします」と所長。

「いえ、もう結構です。これ以上厄介になるのは申し訳ないですから」

 あまり接待に慣れていない小市民の俺は、逆に気が疲れるし居心地が悪い。


「挨拶はその辺にしておけ。何か頼み事があるんだろう?」

 ヴァリアスが話を促した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る