第118話 さらば 友よ その1
「なんで寿命に差があるかわかるか?」
部屋に戻ってから、俺が一般人のような寿命に出来ないのか訊くと、奴が逆に訊いてきた。
「そりゃ種族的な体の違いだろ」
犬や猫は10年前後、虫や魚は種類によって様々だが、普通の虫たちから見たら、俺達人間は神のような長寿だろうな。
「理由は色々あるがその1つは、試練 ―― 魂の研磨の時間がそれぞれ違うからだ。長いスパンでやるか、短いスパンで繰り返しやるかの違いだ」
ヴァリアスは部屋に1つしかない椅子に座り、俺はベッドの端に座っていた。
「長いという事は単純に言うと、それだけやれる事がいっぱいあるって事だよ」
「という事は、俺はそれだけ試練がこれからもあるって事なんだな……」
俺はげんなりして溜息をついた。
今までに死にたい程の事まであったのに……こんな事がまだまだ続くのか。
「試練って言ったって、別に嫌な事ばかりじゃないぞ」
組んだ足をブラブラさせながら、奴が少しこちらに前屈みになった。
「要はどう感じるか本人次第だ。訓練を楽しいと考えるか、辛いと感じるかの違いだ」
「俺は辛いぞ!」
俺はそのままベッドの上に仰向けになった。
今まで楽しかった事より、なんだか辛い苦しい事しか思い出せない。
やっとまた彼女らしき人ができて、楽しい未来を思い浮かべようとしたら、その先に哀しい結末が待っているのがほぼ確実なんて……気持ちが落ち込むのも当たり前だろう。
「また取り残されてくだけなんて耐えられない……」
「それも考え方次第だぞ。あのコボルトは逃げたようだが、あいつの親父はちゃんと受け止めてるぞ。
それに考えようによっちゃ、生涯ただ1人だけじゃなくて、複数と人生を共にするのも面白いだろ?」
「奥さんは
やっぱりこいつと考え方が合わねぇ。
「ただの例えだ。考え方1つで心象は変わる。心象が変われば、まわりの事象も変わってくるもんだ。
大体そんな事、寿命を教えた時にわかってたはずだろ」
「……ずっとこれからも独りだと思ってたんだ。こんな変な異質の者になって、彼女なんて尚更、考えられなかったから」
そう、年金や戸籍の事はすぐに頭に浮かんだが、俺の将来の展望図はずっとお独り様だったのだ。
最近になってそんな可能性が出てくるなんて……。
やっぱりこっちと行ったり来たりして、時間を調整するしかないのか。だけど単身赴任時間が長すぎて、淋しくなりそうだ。
いや、待て…………まだ上手くいくとは限らないんだ。友達止まりかもしれない。
彼女はただ、このあいだ助けてもらった事の負い目を、解消したいだけかもしれないんだ。
いつものように、そんなマイナスのイメージが浮かび上がってきた。
「おいっ、また下らない事考えてるんじゃないだろうな。お前はすぐブレーキを踏む事ばっか考えやがるから」
ベッドの足にズンと振動が来た。
こいつ、蹴りやがったな。
「おい、ベッドを蹴るなよ。汚れるだろ」
「押しただけだ。泥なんかつけないぞ」
相変わらず足癖も悪いな。
なんでこんな奴が神様の使いなんだか……もう何度も考えた事がまた頭をよぎった。
**************
朝、誰かが揺すってきて目が覚めた。
目を開けると黒い人の形をした影が毛布に伸びていた。
振り返ると窓枠の外にアルが肘をついていた。横にはすでにペストマスクを付けたセオドアも立っている。
「よお、お早う、兄ちゃん。おれ達、一足先に行くわ」
聞けばもう出て行くという。
せめて朝メシだけでも食べていかないのかと訊くと、さすがにガッツリ食うと、走りづらいからと言った。
また走っていく気なのか。
「馬車は遠回りだし、こっちの方が全然早いよ」
2人が帰る町は、ギーレンやラーケルよりも遥か北の方にあるらしい。
とりあえず今日中に山を4つと、河を2つ越える予定だという。
この間みたいに、山の中を通って行けばもっと行けそうだが、あれは緊急事態のやり方で、普段はさすがにやらないそうだ。
「そういや旦那は?」
アルが部屋を覗き込んだ。
ヴァリアスの奴は朝いたりいなかったりするから、俺は気にしていなかった。
「なんだ、わざわざ別れの挨拶に来たのか?」
すぐ窓の外で声がした。
「うぉっ、いつの間に……」
アルとセオドアがビックリして後ろを振り返った。奴がすぐ後ろに立っていたからだ。
「さすがですね……。全く気が付きませんでしたよ」
「あんた、おれより隠蔽上手いな……匂いもしないし……」
アルがあらためて感心して言った。
「まっ、もしもウチに来る事があったら、寄ってくれよ。闘刑処刑場のボックス席ぐらいなら手配できるからさ」
「すいませんっ、要りません!」
全力でノーサンキューだ。
2人は開門の鐘が鳴ると同時に出て行った。
「本当にお世話になりました。また修行に来るかもしれないので、その時はよろしくお願いします」
俺は教会の前で、見送りに出て来てくれた皆に頭を下げた。
「うん、いつでも来てくれよ。助かったし、楽しかったぞ」
先生がツルツル頭をさすりながら言う。
「ぜひまた来てくれよね、魔法使い君。もしかするとその時は、ここも人数が増えてるかもしれないけど」
イーファが彼女と両想いだった事がわかって、期待を膨らませている横で、同じくコニ―がうん、うん頷いている。
「おいらもさ、もっと歯応えのある料理のレパートリーを増やして待ってるっすから」
カスペルがヴァリアスを見上げて言った。
フッと奴が口元を少しゆがめた。
ナタリーは先生の後ろで、そっと唇に指を当てて俺を見ていた。
もちろん誰にも言わないから安心してくれ、と俺は目で返事した。
ちょっと心配だったナタリーの身の回りは今後、見えないが天使がつくらしいから、ひとまず安心のようだ。
何故かサウロは、オイオイ泣きながらハグしてきて、ちょっと苦しかった。
「すぐに帰らなくていいのか?」
俺とヴァリアスは門に行かずに、大通りを歩いていた。
「ああ、急いで帰っても昨日と変わらないだろ」
それにやる事があるのだ。
官庁通りと呼ばれる裁判所や留置所、警監視局(警察署)などが固まっている通りに交差する、道具街通りを目指した。
浅草の方にも『かっぱ橋道具街通り』というのがある。
主に皿や鍋、包丁などの厨房用品の問屋が集まっているのだが、小売りをしている店も多く、観光客も多く来る問屋街だ。
以前、あの『バイオハザード』で有名な女優『ミラ・ジョヴォヴィッチ』が、たくさんのSPに囲まれて通っていった事もあると聞いたことがある。
こちらの道具街通りは特に厨房だけに限らず、道具と名の付く物を売っている店が雑多に並んでいた。
鍋釜は元より、ノコギリや鉈・斧などの
ただ道具街通りと言っても、ギーレンほど大きい町でもないので、20軒あるかないかだろう。
その中で目当ての店は1軒だけだった。
『アルチザン錬金道具店』と、金のプレートに斜体の赤文字で書かれた看板が、ドアの上にかかげられている。
「いらっしゃーい」
ドアの左側の奥、角のところの小さなカウンターにキルギルス似の細い親父が、何か本を読んでいた。
耳にかけるツルの無い、いわゆる鼻眼鏡を付けている。
錬金用の道具と言っても様々で、分配するための計量カップ、鉄製の
だが、探しているモノはさほど苦労せずに見つかった。
最新の精密秤、よっぽど執心しているらしく、主に緑色と髪色に似たキツネ色の、イーファのオーラがたんまり残留していた。
大きさはゆうに一抱えほどあって、遊園地の回転遊具のように、真ん中のキノコ型の支柱から何本もの受け皿が伸びている。その後ろにそれぞれの重さを表すのか、試験管のようなガラス管が並び、中に2色のオイルのような液体が入っていた。
一体どうやって使うのだろう?
「そいつは王都から取り寄せました、最新鋭の秤ですよ」
俺が顔を近づけて後ろを覗き込んでいたら、店主の親父が寄ってきた。
「これはとても精密でして、こうして糸1本の重さもキッチリ計れます」
サンプルとして用意してあったらしい、秤の側に引っかけてあった、長い細い赤い糸を取ると、1つの受け皿にそっと置いた。
微かに受け皿の後ろのガラス管の中のオイルが動き、2層の間に薄い3層めが現れる。
すると同時に支柱の胴に、ぽわんと『0.021164377 OZ』と字が金地に青く浮かび上がった。
「表示をアンスからポムドに変更する時は、ここで調整します」
と、キノコの頭の蓋を取ると、そこに幾つかの羅針盤のような調整器があった。
「その他に、2つ以上の物質の重さの差がすぐに分かるように……」
色々そばで説明してくれている親父の声が遠のいていく。
俺は少し離れた格子の衝立のところで、こちらをチラチラ見ながら、フラスコを布で拭いている娘に意識を伸ばしていたからだ。
娘と言ってもたぶん20代前半くらい。(俺の年代から見ると20代はまだ娘の感覚だ)
ちょっと垂れ気味なアーモンド形の金色に近い薄茶の瞳に、明るいオレンジ色のクルクルとした巻き毛をしていた。
彼女は想い人のお気に入りの品が、売れてしまうのを心配しているようだった。
秤の値段は税込み『 272,2100e』と表記されていた。
金貨3枚近くか。そりゃあ言っちゃなんだが、あの教会じゃ手が出せない金額だよな。
「これ、配達って頼めます?」
俺はポケットからギルドカードを取り出した。
ドアのとこにギルド加盟店と書いてあったので、どうやらカードが使えるようだ。
「ハイハイ、そりゃもちろんやってますよ。ただ、よその町には別途送料がかかりますけど」
買う気とわかって、店主がニンマリ微笑んだ。
その逆に奥の娘が悲しそうな顔をする。
カウンターでカード決済をしながら、配達票を書こうとして、俺は詳しい住所を知らなかったのに気が付いた。
「えと……すいません……。ちゃんとした住所聞いてなかったんですけど、この町のハルベリーという司祭のいる施療院って、だけでわかります?
そこの薬師の、イーファって人宛てなんですけど」
巻き毛の娘がこちらに振り向いた。
「いいのか? こんな大金使って。今回使ってばかりだろ」
店を出るや奴が訊いてきた。
「いいんだよ。世話になったお礼だし、あれならイーファ個人だけじゃなく、施療院全体の役に立つ事になるだろうから」
色々な薬が作れれば、それはそれで施療院の大いに助けになるはずだ。
それにタダとはいえ、今や貴重になった癒しの水をペットボトル一杯くれた。これでしばらくストレスフリーでいられるかもしれない。
「たまには経済をまわした方がいいだろ」
「それならオレが出してやるのに」
「いや、これは世話になった俺が出したいんだ。それに回収できるアテがあるし」
そう、今回またもや成り行きとはいえ、グラウンドドラゴン(伏龍)の皮と魔石という換金アイテムがあるのだ。
皮は傷だらけだから、そんなに期待できないかもしれないが、魔石は少し色がつくのではと期待している。
もう1軒入った店は厨房用具屋だ。
「これくらいの寸胴と、鍋が見たいんですけど」
俺が両腕で丸をつくる仕草をして、店員に大きさを伝えると、業務用コーナーに案内された。
さすが業務用。中には成牛まるごと入れられるのじゃないかと思わるようなフライパンが、壁に鎖で縛り付けるように立っていた。
これも売り物なのだろうか。
鍋コーナーで、しっかりした厚手の鍋とかは重いだろうが、サウロもいるし大丈夫かな、などと鉄鍋を見ていたら、一角に赤銅色の銅製コーナーがあった。
銅は熱伝導率が良くて調理に最適とか聞くが、やはり値段も高い。
同じくらいのサイズの寸胴が10,259エルに対して、銅製は85,480エルと8倍以上だ。
うーん、だけどここはやはりせっかくだから銅製だろう。やっぱり料理人なら一度は使ってみたいかもしれないし。
ここでも配達してもらう事にして、鍋と寸胴を店員が棚から動かしているのを見ているとき、ふと横のジョッキに目がとまった。
ビールジョッキのような大きな銅製の取っ手付きのカップと、ちょうどマグカップくらいのサイズのものが並んでいた。
銅製のカップで飲むとアイスコーヒーが旨いと聞いたことがある。
本当かどうかはわからないが、熱伝導率が高いという事は冷たさも早く伝わるという事だ。
温かい部屋で、キンキンに冷やした飲み物なんか美味いかもしれないなあ。
カップは口広がりで、その下がややくびれ、胴が太い壺のような形をしていた。
赤銅色のその表面はよくあるデコボコに打った模様ではなく、魚の鱗模様のような装飾がほどこされている。
それがまた、店のランプに照らされて色味の濃淡が渋く変化した。
横の説明書きには中が二重になっていて、熱が冷めづらく、持ち手が熱くならないと書いてある。
買っちゃおうかなぁ。
日本円を使うのはなんだか抵抗があるのだが、こちらのお金はゲーム内のように、時折リアル感が無くなるときがある。
まだこちらでの買い物が、どこか旅行気分のノリがあるせいもあるのかもしれない。
だが、さっきまで人にお礼とあって、勢いでホイホイ出していたのに、自分用のモノを買おうと思った途端、急に怖気づいてしまった。
考えてみたらあの魔石は、そんなに高く売れないかもしれないという不安がもたげてきたのだ。
ドラゴンという名前で、勝手に高く売れると思っていたが、翼竜ではない伏龍タイプだ。それではあの
しかも1個だし、皮はおそらく傷だらけだろうから期待できない。
もう40万近く出しているのに、目の前の2つで2万足らずのカップを手に取り悩んでしまった。
すると横から急に手が出て来て、俺が持っていたジョッキとカップを取り上げた。
「これはオレが買ってやる。大体さっきのより全然安いモノだろう」
「うん、どうも……」
サッサと会計を済ますと、2つとも俺に渡してきた。
買い物を済ませるとそのまま門を出て、人目につかない市壁の陰で亜空の門をくぐった。
「あ~、今回も色々あったなぁ~」
俺はすぐにトレーナーとセーターに着替えると、炬燵のスイッチを入れた。
テレビをつけて番組を選んでいると
「蒼也、珈琲 淹れてくれ」
「ハァ? 別にいいけど、なんだいきなり」
炬燵に入ろうとしてた態勢から、また立ち上がった。
「別に良いだろ。ただ飲みたくなっただけだ。粉のじゃなくてドリップのやつな。
せっかくだから、さっき買ったヤツに入れてくれ」
デカいな。あれビールジョッキだぞ。
まあコイツは、なんでも大食い、大吞みだからな。
先ほど買ったばかりの銅製カップをしっかり洗ってから、インスタントドリップコーヒーと一緒にテーブルに持っていった。
「湯はコンロで沸かさずに、水魔法でやってみろ」
いちいち注文が多いな。
俺はジョッキに簡単ドリップを取り付けて、そろそろとお湯を空中から注いだ。
珈琲の良い香りが部屋中に漂う。
俺も自分の分を入れて飲んでみた。
カップを変えただけなのに、なんだか味がまろやかになったような気がする。たぶん気のせいだろうけど。
そんな事を考えて飲んでいたら
「オレは用があるから、そろそろ行くぞ」
もう飲み干した奴が言った。
「うん、ところで次回は一度、ラーケルに寄ってからにしたいんだけど」
「別の町じゃなくていいのか?」
「例のグラウンドドラゴンの皮と魔石を売りにいきたいんだ。ちょっとでも変わったモノをあそこに流してやりたいから」
「フン、まあ別にいいだろう」
確かにいつも移動はやって貰ってるから、負担をかけていることはわかるが、今回は何故か、少し含みを感じた。
「次は来週の土曜日で良いんだよな? 一応それまでに持ってくモノ準備しとくから」
「ああ、それでいい。あとオレは、しばらく来れなくなりそうだから、これ1日1回は必ず飲めよ」
テーブルの上に7つのカップを出した。例のレバー入り薬草スムージーだ。
「いちいち ご丁寧なこったな。
しかし7つって、来週まで来れないって事か?」
「予定ではな。まあもちろんお前の守護は、別の奴に手配してあるから心配するな」
そう言って立ち上がると
「じゃあな蒼也、オレがいなくなってもちゃんとやれよ」
子供にするように俺の頭を撫でてきた。
「なんだよ、気持ち悪いな」
俺が手を振り払うと奴は微かに口元で笑って、霧に霞むように消えていった。
部屋はいつも通り、俺ひとりの情景に戻った。
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