第137話☆ 裏庭で初野宿
開いた窓からは、ゆるくカーブする坂道を見渡すことが出来た。
深い青に包まれて、赤レンガの壁や緑色の屋根など、家々の2階以上に開けられた窓に明かりがついた光景は、絵本の1ページのようだ。
茅葺屋根の里のような日本の原風景もいいが、こういうのもなんだか落ち着く。
始めの頃はただ薄暗い感じがしたが、慣れてくるとなかなか風情があるもんだ。
「はいよ。摘まみはサービスだよ」
今度はエプロンを付けた
「ここら辺は色んな人がくるけど、アクール人は初めてだよ。アレかい、アクール人てのはドワーフみたいに酒に強いって本当かい?」
「ドワーフみたいにじゃねぇ。それ以上だ」
マスターはヒューと軽く口笛を吹くと、俺の隣の席に座った。
「そいつはいいや。ウチはご覧の通り、ビールの種類だけは多いからな。いっぱい飲んでってくれよ」
「じゃあ自家製とかいうのがあるらしいが、どんなスタイルのだ?」
「ああ、ウチで作ってるのは、カミさんも飲めるライトエールなんだ。あんたにゃ向かなさそうだな」
「そうか。じゃあ他にこれみたいなビターなのがあるだろ。辛味も混ざった匂いがする」
「おう、さすがだな。本当に獣人並みに鼻が利くんだな。そりゃあアレだよ」
そう言ってカウンターの方に親指を向けた。
そこにはカウンターの下に黒板が立てかけてあり、石灰で
『本日のお勧め ランカスター地方 レッドラガービール 380e (お一人様2杯まで)』と書いてあった。
「昨日さ、滅多に来ないビール商から譲って貰ったんだ。レッドホップを使った、苦味と辛味が上手く絡んでコクのある逸品さ。2樽しか買えなかったから、1人2杯までの限定だけどな」
「よし、次それをくれ」
そう言うや、ジョッキをグッと一気に空けた。
もう駆けつけ三杯のノリだ。
「おほぉっ いい飲みっぷりだな。そう来なくっちゃ」
マスターは嬉しそうだ。
「ちょっとお前さん、店は始まったばっかりなんだよ。まだ注文も残ってるんだからねっ!」
半分埋まりかけたテーブルの間を、ちょこまかと動く女将さんから声がかかる。
「おっと、いけねぇや。じゃあゆっくりしてってくれよな」
まだ酒の話を続けたそうなマスターは、軽く頭を叩くと厨房に戻っていった。
俺がオムレットと焼き野菜を食べていると、奥の階段からのっそり降りて来た男が、カウンターから料理を受け取ってまた上に上がっていった。ここの下宿人だろうか。
そういや本当に今夜どうしよう。もうここしか泊まれるとこがないようだが、空いてる部屋はあるのだろうか? 事情を話して、今日だけエンリコの部屋を借りるしかないかな。
そんな事を思っていたら、またマスターが頼んだ料理とジョッキを持ってやってきた。
「あいよ、骨付きアバラだよ。好みでこの芥子菜粉使ってくれ」
ゴブリンの骨付きカルビを置きながら、卓上の小壺を前に出した。それぞれ塩や辛子が入っているようだ。
「そう言えば、ここにあの『パレプセト』で仕事してる人がいるって聞いたんですが」
忘れないうちに訊いておこう。
「ん、ああ、そりゃあダリオの事だな」
マスターは半分折れた耳の後ろを掻いた。なんとなくセントバーナード犬の面影がある気がする。
それからカウンターに向かって体を捻ると声を上げた。
「おおい、ダリオの奴はどうしてる? 今日もう戻って来てるかぁ」
「ダリオかい? まだだと思うよ。また今日泊りかも」
給仕をしている男が、樽からジョッキにビールを注ぎながら、顔だけこっちに向けた。
「だ、そうだ。なんか用かい?」
「いえ、大した用じゃないんで」
そうか。いないのか。じゃあしょうがないなあ。
「で、あんた達、今日は近くに宿を取ってるのかい?」
話を振ってしまったせいか、また椅子に座ってきた。
「いや、実はまだ決まっていない。ここに空いてる部屋あるか?」と奴。
「あ~、残念だが、満室だなぁ」
ポリポリとマスターがもみあげを掻く。
「そうか、じゃあしょうがないから、今夜はどこかの軒下でも借りるか」
とチラッと俺を見た。
えっ、本当にそんなとこで寝かす気か ?!
「軒下って、さすがに夜は危ないぞ。手癖の悪い奴はどこにでもいるからなあ。あんただって、いくら酒に強くても、寝込んじまえば朝まで起きないかもしれないだろ?」
いえ、こいつは基本寝ませんから。
でも、やっぱり酔っ払いを狙う、コソ泥みたいなのはいるだろうなあ。俺にはこの最凶の番犬がいるから心配はないが、それでも落ち着かないことに変わりはない。
どうしたもんかなぁ……。
「う~ん、さすがに外でなんかはなぁ~」
マスターは腕を組んで頭をかしげながら、少し考えていたが、ふと顔を上げると
「じゃあ、軒下でも構わないんなら、いっそウチの裏庭を使うかい? 今夜は雨も降らなさそうだし、出入りするのはウチの下宿人ぐらいだから、まず心配は要らないぞ」
「いいのか? じゃあ遠慮なく借りるぞ」
ええっ! 本当に今日は野宿なのかっ?
「また、お前さんたらっ!」
女将さんからまた怒られたマスターは、おおうと腰を上げながら
「よし、じゃあここに泊まるんなら、後でゆっくりな」
と、いそいそと戻っていった。
「どうだ? 何とかなっただろう」
奴が少し得意げな顔をして、カルビの骨を粉砕した。
「えぇ、だって裏庭だろ。地べたじゃないか。芝生に軽く横になるのと、夜を過ごすのとは違うぞ」
「裏庭なんか住居の内だ。お前も少し野宿に慣れないとな。いい入門編だろ?」
うう、そうかもしれないが、心の準備が……。
俺は駅のホームでだって、一晩過ごしたことはないぞ。
カウンターの方を見ると、マスターと話している女将さんがこちらに目を向けた。
結局閉店までそのまま店で飲んでいた。例の赤ビールは1人2杯までなので、俺の分まで奴が全部飲んでしまった。
終刻の鐘が鳴る頃には最後の客が帰り、片づけをしていた給仕に女将さんが声をかけると、そのまま男は上に上がっていった。彼もここの下宿人なのだろうか。
片付かないのはこのテーブルのみだ。
自分の分のジョッキを持って、マスターがまた隣にやってきた。
「いつもはもうちょっと開けてるんだが、今日は早じまいだ」
そう言いながら遅い夕食に持ってきた、クロケットを摘まみだした。
窓の外では女将さんが長い棒を使って、ドア上のランタンの明かりを消している。
「で、どうだい? 何か気に入ってくれたのはあったかい?」
「そうだな。この黒ビールとさっきの赤かな。青はミント系で清涼系だからオレの好みじゃないし」
「うん、うん。あんたの好みは、渋みと辛味のガツンとくるタイプなんだな。おれは個人的には辛味はそれほど無くてもいい口なんだが、たまに飲みたくなる味だよな。
じゃあ、さっきの赤ビールをまた飲みかい?」
「いいのか? 限定なんだろ」
「いや、もう残ってるのは樽にほんの少しだし、今日のみの限定品だから飲み切っちまおうと思ってな」
そう言って女将さんに赤ビールの追加を頼んだ。
「そうだ、裏庭を使うんだから、防水布と毛布くらい貸さないとな。おーい、ライラぁ」
「要らん。持参してきている」
と、空中から見た事のある柄の布を、半分引っ張り出して見せた。
「あ、それ、俺んとこのじゃないか。いつの間にっ」
そのツートンストライプ柄のカバーは、夏用布団として押し入れに仕舞ってあった肌掛け布団だった。
「いつか必要になると思って、持ってきてたんだ。用意がいいだろう?」
サメがニヤリと笑う。
マスターが感心したように口笛を吹いた。
「さすがはアクール人。空間収納持ちなのかい。それで荷物が少ないんだな」
俺はというと、昼間のランニングの疲れと酔いがまわって来て、段々眠くなってきていた。
「蒼也、お前もう眠いんだろ? じゃあ先に行って寝てろ」
そう言って布団を押し付けてきた。
女将さんに案内されて裏口から庭に出る。
庭には建物の壁にくっつくように、木造の物置小屋とその隣にトイレ、簡単な衝立てがあった。その脚の隙間から、大きな木製の盥が立てかけてあるのが見える。多分あれが沐浴場だな。
真ん中よりやや柵寄りに井戸があり、L字に曲がった建物の一階端のドアには、頑丈な錠前が付いていた。
「あそこは酒蔵なんだよ。酔っ払いや手癖の悪い奴が入り込まないようにね、鍵をかけてあるのさ」
カンテラを持った女将さんがその前を通り過ぎると、その壁の横には斜め板の屋根をつけた馬小屋があった。
見ると一頭のコニー(緑色のロバに似た馬)が繋がれている。
俺がちょっとコニーにちょっかいを出していると、女将さんが物置小屋から一抱えの藁を持ってきた。
「どこら辺で寝るんだい?」
「え、ええと、この辺りで良ければ……」
トイレと井戸、馬小屋から離れるとなると、この柵手前の樹の下しかない。
「ここでいいかい? じゃあここに置くよ」
そう言って抱えた藁をおろした。
もしかしてこれ。
「ちょうど新しい藁を、入れ替えで買ったばかりで良かったよ。これはまだ汚してないからね」
そう女将さんは再び、藁をいっぱい抱えてきて地面に敷いた。
俺の目の前に軽くこんもりとした藁が積まれていった。
これはアレだ。アニメとかで見た事ある藁ベッドだ。(実際はあんなにいっぱいは無いが)
「それと防水布は持ってるかい?」
「ええ、ここに」
片手でショルダーバッグから、レジャーシートを出して見せた。
女将さんは俺の手が肌掛け布団で塞がっているので、藁の上にシートを広げてくれた。本当は収納に布団を収納すればいいのだが、女将さんに見せたくなかったからだ。
するとシートを広げた藁の上に女将さんが、いきなりダイブした。
えっ?!
そのままシートの上をゴロゴロと転げまわる。
呆然と見ている俺の前で、むっくり起き上がると、軽くシートをまた引っ張って整えた。
「まあ、こんなとこかね」
ああ、そうか。藁をならしたのか。
俺は女将さんが突然ご乱心したのかと思って、ドキドキしちゃったよ。
「ここにカンテラ置いとくよ」
「いえ、私、光魔法使えますので大丈夫です。庭をお借りしてすいません」
「いいんだよ。あんた達、ウチの下宿人を助けてくれたんだろ? お互い様さ」
そう気さくな女将さんはまた裏口から戻っていった。
後にはコニーと俺だけが残された。
裏庭は一気に暗くなった。
近くに街灯がなく、まわりの建物の窓がみんな閉まっているせいもある。
日本だと大抵窓ガラスにカーテンだったりして、薄く明かりが漏れている場合があるが、こちらの窓には木戸か鎧戸がはまっている。僅かな隙間から漏れている光は線のような筋しかない。
寝る前なので目に優しいオレンジ色の弱い光玉を打ち上げた。
これは俺が寝入って意識が消えたら、自然に消えるようにタイマー付きにした。
少しづつこんな小技も使えるようになってきたもんだ。
コニーも寝る時間なのか、馬小屋の中の藁の上にゴロンと横になる。
そうやって寝るのか。
藁のベッドは意外と弾力があった。
マイ枕と抱き枕も出して、そのまま樹の下で横になる。
しかし、テントを張ってるわけでもなく、こう丸見えなのはやはり落ち着かない。
星空が見えるのはいいのだが。
あっ そうだった。
ちょっと辺りを探知して、まわりに誰もいない事を確認してから、遮音と共に土魔法で四方に壁を作った。
おお、アウトドアで使えるな、土魔法。
本当なら屋根も作るところだが、閉じてしまうと閉塞感が出て来るので、この囲いだけでいいや。
ゴロッと転がりながらスマホを取り出す。
今後もこんな感じでいきなり、野宿させられるかもしれない。寝袋ぐらい用意しといた方がいいかもしれないと思った。
眠いがネット通販サイトを開いて、ちょっと寝袋(シュラフ)を検索してみる。
俺は仰向けで寝ることが出来なくて、いつも横向きなので、なるべく腕は伸ばしたい。だからよく見るミノムシ状態になる寝袋は、俺にとってはどうも寝心地悪そうに感じるのだが。
検索するとミノムシ型――マミー型の他に、封筒型というのがあった。これはまさしく四角いタイプで、幅も広めで布団に近い感じになるようだ。マミー型の方が密閉性があるので保温性は高いようだが、俺にとって寝やすさはこちらの方がいいかもしれない。
他に着ぐるみみたいな人型のもある。
色々種類あるんだな。
それに地面と寝袋の間に敷く、テントマットというのもあった。
キャンプはしたことがないので、単純にテントの中はこういう防水シートを敷いているだけかと思っていたが、本来はこういうものを敷くようだ。
そう言われれば確かに地面は平面ばかりじゃないし、小石だらけの川べりなんかでは、寝袋だけじゃ痛いかもしれない。
それにどうやら寝袋だけでは、地面からの底冷えが防げないようだ。となるとこれも必要だな。
そうやって見ていると結構種類があって、なんだか楽しくなってきた。
選ぶポイントに『コンパクト』性があったが、俺の場合収納があるので関係ない。そこはワゴンに積んでいくようなかさ張るタイプでもOKだ。
重要なのはやっぱり寝心地だよな。
中綿はダウンと化繊か。ダウンの方が寝心地良さそうだが、洗濯しづらそうだ。『丸洗いOK』というポイントも外せないぞ。
あー、布団と同じで季節でも変えた方がいいのか。そりゃそうか。
などとすっかり目が覚めてしまい、ネットサーフィンしていたら、妙なことに気が付いた。
横に出てくる広告の内容にやたらと酒が多いのだ。
これはcookieとかの過去の検索情報から、勝手に表示される広告だが、俺はまず酒を検索したことはない。
そう言えばここ最近、よく使う通販サイトから、酒のダイレクトメールが度々来るようになったな。いつもDMは見ないで消していたから、気にしてなかったが。
ふと不審に思って、その通販サイトで検索履歴を調べてみた。
そしたら、あるわあるわ。
ダダダと履歴が酒一色になっている。
世界中の酒が一気に検索されているようだ。
なんだこれっ、俺は覚えがないぞ。
もう犯人は推理しなくても1人しかいねぇ。
あのドランクシャークめ、俺が寝てる間にいじりやがったな。
夜中に退屈なのか、興味本位なのかは分からないが、使い方を覚えたのは確かのようだ。
あいつだって自分のスマホは持ってるはずなのに。
ん、そう言えばあいつのは、通信のみって言ってたか。
どっちみち一言くらい言えよな。
まあ酒ぐらいで良かったけど。
これがリブリース様だったら、エロ動画ばっかになるかもしれなかったのだ。
そんな事されたら、この間イアンさんに見せるように、うっかり画面を人に見せられないとこだった。
念のためカートの中身を確認したが、そこにはイアンさんに納品するモノしか入っていなかった。
さすがにそこまで図々しいことはしてないか。
ちょっと疑って悪かったかな。
そのままサイトを閉じる前に、先程の気になった寝袋とマットをマイリストに入れておくか。
と、タップして驚いた。
『マイリスト』に入れると、いちいちリストが開くのだが、中はウォッカやテキーラ、バーボンなど色々な酒がびっしりと入っていた。
これじゃ俺が世界中の酒を探しまくっているみたいじゃないか。
こりゃあ確かにDMが来るわけだ。
くそっ、あの野郎! 勝手に入れやがって。
全て消してやろうかと思ったが、止めておいた。
第一沢山あり過ぎて時間がかかりそうだ。全消しすると、俺のリストまで消えちまう。
文句は明日だ。
雲の少ない満点の星空を見上げながら、ひとまず寝ることにした。
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